第129話「悲劇と怪物」 フィルエリカ

 ユーグフォルク城は歴史古く、千年前にその始まりが確認出来る。見張り小屋まで遡れば二千年だとも言われる。見晴らしの良い丘の上なのだ。

 そんな改装も重ねて威厳と麗美さを兼ね備えていた城を、数年ぶりに見たら爆破されたのかぺしゃんこに潰れている。

 その城下町も焼け落ちている。腐臭は既にしないが、完全に白骨化したわけでもない死体が見せ付けるように何千と揃えて焼け跡に置かれている。

 野生動物が持っていったり、風に転がされて欠損している箇所もあるが、概ね骨は全身揃っている。

 骨に刻まれた弾痕が見られる死体より、頭骨を叩き割られた死体が圧倒的に多い。九割以上だ。処刑は凡そ全て鈍器による打撃で執行されている。

 門扉は破壊されており、城主一家と思われる大人と子供が鉄篭に入れて吊るされている。服は腐肉に染められているが地位ある人物の物だ。

 それから跡付けに看板が立てられ”神罰受けたるユーグフォルクここに滅ぶ”と解説付きだ。

 後は戦塵に塗れた様子も無い不気味に綺麗な城壁のみが健常にそびえ立つ。

 ウルロン山脈東麓の細い道から南下し、初めて目についた南部の拠点がコレだ。

「街が襲撃された後どうなるかは見て来た心算でした」

 軍隊が入城すれば略奪強姦に放火までやり放題なのは確かだ。それでもある程度復興の可能性は残されている。

「どれほど手酷くやってもここまでのものは悲劇として過去いくつか記録されている程度だな。大抵は家ならある程度残るし、男は皆殺しでも女子供はある程度残っていたりする。時間が経てば逃げた住民や流れ者が居つくことだってある。それが無いのは稀だ。ましてや手間をかけてまで利用出来る城をぶっ潰すのは知らないな」

 アブゾルが死者達を前にして、言葉は知らないが気持ちは篭ってそうな祈りを捧げる。自分はあれだ、するに足る理由でも無ければやらない。緊急避難とか。

 同情は程ほどにして南部の横断街道へ向かう。

 ユーグフォルクの城主男爵領を抜けるまでは途中、いるはずの農民の姿は白骨になり掛けの姿で飾られ、農村は全て焼き尽くされていた。畑は全て刈られて焼かれていた。


■■■


 この横断街道は西にロシエ、中間地点で縦断街道と混じって南に行くと聖皇領があって逆に北に行けばウルロン山脈、そこから更に東に行けば旧イスタメル公国に通じる主要道路だ。世界一整備されている……少なくとも世界屈指なはずだ。

 現在地は縦断街道に合流するのに、西へ順調に進めば十日と少し、と言ったところ。

 沿岸部に出てファランキアから聖都行きの船に乗るのが旅程として一番早いが、もう少し敵の様子が見たくなってきた。

 我々は先の大戦で活動した聖女率いる聖戦軍というものをある程度知っているが、魔神代理領からやってきた妖精と遊牧民による傭兵と、神聖公安軍という聖なる組織の活動実態を知らない。身の安全の確保を最優先にしつつ、ある程度実体を掴んでおく。

 街道上には巡回警備中の神聖公安軍がいる。変装して監視の目を掻い潜る。

 変装上の設定は学が多少ある中年修道女と、体力馬鹿の若い護衛修道士の二人組。事実に基づいているので説得力があり、既にやっているから慣れもあるのでこれで行く。

 今度の偽造書類は、聖皇領に留学するというもの。学ぶ目的は中部にはまだ少ない女子修道院を創立するというもの。紹介人であり後援者はメイレンベル伯。発行日は開戦前にしてある。これについては本物以上の出来である。

 神聖公安軍は聖女の、聖なる神の慈愛の象徴であり神聖教徒の擁護者、という権能に基づいて組織された民兵だと推測される。権能の拡大解釈を肯定して予算がつけば十分に組織可能だ。

 今代第十六聖女は歴代のお嬢様方とは違ってすこぶる猛者で、本来ならば聖王が持つべき聖戦軍指揮官であり神聖教会の守護者、という権能も兼任してしまっている。

 聖王の位は初代にして最後のカラドスにのみ与えられた地位で、今でも空位であるならば誰かが、聖戦軍指揮官であり神聖教会の守護者の役目を担わなければならないのである。

 その役目を見事、先の大戦において第十六聖女は成し遂げてしまったのだから、聖女の権能に聖王の権能が足し算されてしまっている。聖女の権能の拡大解釈を否定する要素が無くなってしまったのだ。

 聖女は聖戦軍と神聖公安軍の両指揮権を、聖皇以外に邪魔される事なく行使出来る状態にあるだろう。当の聖皇レミナス八世は聖女と蜜月関係である事は隠されてもいない事実。艶っぽい噂話もあるが、俗な噂程度。

 聖戦軍は神聖教会連合軍を結成する際に、バラバラな諸侯や傭兵団の指揮系統を統一する役目を持つ。ロシエ王がその役目を負う事が歴史上では多く、次に聖皇領出身の軍人聖職者だ。聖女は軍人聖職者の範疇。あのグルツァラザツク将軍が率いる妖精と遊牧民による悪魔の軍はいかに大規模であっても傭兵であり、聖戦軍旗下にあっても論理は――どう見ても異教徒である事以外――おかしくない。

 横断街道を行きながら観察して、民間人に神聖公安軍兵士相手に世間話をして確認したが、神聖公安軍は聖職者や民間人から有志を募って組織した民兵組織である。勿論、第十六聖女ヴァルキリカの名前を使っての募集である。

 聖女は敵地侵攻に聖戦軍、治安維持に神聖公安軍と分けて運用している事も確認出来た。これでその敵地が異教の地ならば普通に苦労するのだろうが、あいにく我々にとって不幸な事に敵地が信徒が彼等の信徒なのだ。呪われろ、とでも罵声を浴びせてみても自分に返ってきそうではないか。

 そして最も重要な事だが、聖女が聖王をほぼ兼ねる現状において、聖王が中部を再征服して取り戻すという大義名分を否定する要素があまり無い。千五百年以上も前の事を蒸し返しやがって、と言える貴族が中部にどれだけいるか? 古い大貴族程無理、新しい弱小貴族は喋っても意味が無い。


■■■


 占領下のティレマ伯領のニリキア市に入る。聖戦軍旗とニリキア市旗が並んで立っている。

 神聖公安軍の旗印は輝く真鍮の”聖なる種”が竿先に付いた物で、織物の旗は使わないようだ。安物で済ませないと間に合わないくらいに掲げる気だな。

 降伏した都市なので、神聖公安軍の僧兵が物々しく巡回している以外は平穏そのもの。

 僧兵は粗末な修道服に棍棒か、錆びたり古ぼけた小銃。後は個人で持ち寄った雑多な装備。分かり易いくらいに二線級。

 何か目立って奪われた形跡は目につかない。食糧や水の提供ぐらいはしていると思うが、戦があったとか、その気配が無い。

 降伏直後は知らないが、今では活気もあるし市場には商品が並んでいる。

 抵抗したらユーグフォルクにする。降伏したらニリキアだ。

 宿に泊まる。変装のせいか多少は過剰に店主が丁寧だった以外は何も問題無かった。

 僧兵達だが、軽く目礼をする程度はあったが誰何される事も無かった。


■■■


 宿泊したニリキアを出た道中に焼けた廃村を通りかがる。

 何が合ったか想像も付かないが、泥になった灰、黒焦げの木片に石が散乱している。

 建物は基礎部分が焦げて残っているだけだ。地面には何かが渦を巻いた跡が焦げ目の調子で見て取れる。

 ユーグフォルクのように白骨死体も晒されているが、炭化しているし欠損が酷い。

 悪魔の使う集団魔術というやつなのかこれが?

 これを見た後の野宿は薄寒いものがあった。

 その後、降伏したお陰か何もかも――おそらく――無事な村で一泊。

 ここはニリキアのように戦の痕跡すら見られない。多少は普段より余所者に対して疑心暗鬼の目を向けはするものの、至って平穏だ。

 村の小さな商店も余所者に物を売る余裕がある程度に平和である。

 粗末な修道服に袖を通した若者が、棍棒と荷袋を担いで家族に別れを告げている姿が見られる。徴兵というよりは志願兵といった様子。

 神聖公安軍の装備は雑兵以下かもしれないが、人材層の厚さは底知れぬ感がある。宗教人が聖なる職務で死ねば殉教。宗教熱が過熱して、志願者が増えて、か?


■■■


 中部のような盗賊、傭兵がうろちょろしていない道を通って敵勢力の大拠点グラメリスへ入る。

 ここは聖女ヴァルキリカの懐刀、メノ=グラメリス枢機卿ルサンシェルの本拠だ。

 華やかなりしグラメリス。嫌味なくらいに花壇に街路樹に生垣、噴水に彫刻が多くて良く管理されている。管理できる余力がある。

 住民の顔の色艶も良い。貧困層もあまりいないようだし、裏通りを覗いてもそこそこ綺麗なぐらいだ。

 かなり良い施政をしているんだろう。何とも嫌な敵だ。敵っていうのはもっと醜悪で民衆を馬鹿に虐げていたら分かり易いのだが。

 グラメリス周辺と内部の荷馬車の交通量が多い。簡単に積荷を確認したところで穀物、鉄鉱石に石炭。厳重に警備された車列の確認は流石に無理だったが、硝石樽と見られる物があり、そして硫黄の臭いも香った。

 真新しい修道服に背負い鞄姿で小銃を担いだ僧兵が並ぶ。立ち姿、整列の美しさは一線級の兵士だ。

 家族であろう女子供老人が声を上げて見送っている。戦争に盛り上がる後方の街、という雰囲気が良く出ている。

 今日は神聖公安軍の出征式がグラメリス大司教主催で行われている。

 街道や村で見かけた連中とはまた別格な軍隊が見れた。敵の動員準備は着実に進んでいる。

 宿に泊まる。出征式だからと宿泊料を無料にしてくれた。その代わり、女将の話し相手をしなくてはならなくってしまった。

 世間話をしながら情報収集を行った。良く喋る代わりに耳新しい事は無かったのであるが、不信心な貴族達に対する住民達の攻撃性が過敏になっている事は知れた。息子が異端者を殺して帰って来ますように、と祈っていたくらいだ。

 明確に南部住民達が神聖公安軍へ熱狂している事が分かった。多くの理解と協力が得られ、強力に後押しされる状況になっている。

 例えあの山を越えた悪魔の軍を完全に撃破したとしても敵の兵力は中部を危機に至らしめるだけ存在する。


■■■


 グラメリスを発って更に西へ行き、縦断街道に差し掛かる手前で南へ行ってペシュチュリアを目指す。

 ペシュチュリアから縦断街道へ向かう荷馬車の列は、これまでと比べようも無いくらいにごった返していた。昼夜問わずに物資が運搬されており、駅の整備、建設が急速に進んでいた。

 荷馬車の列の護衛には、神聖教会圏ではおよそ見る事が無いような犬頭の獣人騎兵がついており、狐頭の商人のような者の姿もあった。

 そんな魔神代理領に何時の間にか侵略されてしまったかのような光景を覗けば戦争なんか嘘のように平穏だった。宿泊する場所では毎度その街の様子を探ったものだが、活気付いているという以外の印象は無い。いっそ戦争が終わるまでこっちで大人しくしているのも悪くなさそうだ。

 ペシュチュリアに入るとより一層、犬頭に狐頭の姿を見かける。そしてその異形達が街では歓迎されていた。必要以上に聖戦軍旗が掲げられ、聖なる異教徒であると主張がされていた。どういう理屈でそうなるのか知らないが、皆疑問に思う様子も無かった。

 そして街の一角、大使館が集中している区画ではあの香りが漂っていた。

 濃密で入り混じりに混じった香辛料の香りだ。鼻でそれを追って行くと、そこにはジャーヴァル料理店が開業していたのだ!

 あのアンブレン修道院での一食は忘れられない。香辛料を多用した料理程度はヤーナの屋敷でいくらでも食べたものだが、やはりあれとは違う。

 まず修道女姿で入るものではないので男装をした。アブゾルだが……服装を変えても田舎者の形を隠せそうにないので、料理を包んで持ち帰れるか頼んでみよう。

 店は混雑していた。予約を取らなくてはならなかったのだが、少なくとも三十日先まで全席が埋まっていた。

 代わりに客が取られていた料理店に入って食べた。元より中部とは比較にならないほどに食文化の発達した南部沿岸の料理であるからかなり美味であった。

 ここまで悔しいのは久し振りだ。


■■■


 修道女に変装し、ペシュチュリア発の定期便に乗って聖都に入る。

 ペシュチュリア程ではないが聖都も普段よりは人と物の出入りが激しい。信仰のお膝元と言うべきか、神聖公安軍に参加する者達の列が見られる。

 聖王カラドスが凱旋に使った、磨り減り切った石畳の通りを進む。カラドスが踏んだ石だから取り替えるなんてとんでもない、という理由でオンボロガタガタのままだ。泥溜りに草まで生えている。

 それからファイルヴァインにもある、ほぼ様式が同じカラドス騎馬像が見えてくる。勿論時代考証は後回しだ。

 何につけてもカラドスだ。自慢出来る英雄がそれしかいないのかと思えてくる。魔神代理領相手に敗北を認めさせ、領土を割譲させた事がある唯一の英雄ではあるが。

 カラドス程称えられていないが、四百年前にロシエ南半の異教徒を征服し、南大陸のアレオンに橋頭堡を築いた英雄エンブリオの功績を称える壁画がある広場に到着。

 エンブリオはフラル人で当時の聖戦軍指揮官だ。今と違ってちゃんと当時の聖戦軍は架空の天の王国を崇める異教徒と戦っている。

 その追い出された連中が後に魔神信者になって、南大陸西部北岸を統一してハザーサイール帝国を名乗って魔神代理領に参加し、最近になって強大化してアレオンを奪還してしまったが。

 エンブリオ広場から繋がる画房通りに入る。出迎えるように、絵を描く画家像が立っている。

 画家であるという意味づけの姿勢や小道具はともかくとして、何故か肉体美を表現する全裸姿である。余計な服装で要らない解釈をさせないという意図であるとされているが、いやに男根が大きい事で有名だ。彫刻家が参考にした男がそういう”持ち物”だっと言われ、あれは魂に筆を持っている表現だ、とも言われる。

 三人目の画家ミゼレオ・ウルチェリゼへ会いに来た。

 その画房はそこそこに大きい。店先には大きな陳列窓があり、外からでも彼の作品が見られるように飾られている。

 尋ねる前に男装して向かう。修道女が何用かと問われて一々応答するのは面倒だし、貴族男ならば対応も良いだろう。

 画房を訪ねると弟子がいて、今は寺院の天井画の修復に出かけているとの事だった。昼には帰ってくるというので絵を見せて貰いながら待った。アブゾルはかなり暇そうだった。

 昼を告げる鐘が、流石は聖都という具合にいくつも重なって鳴り響く。これだけでもここが特別だと思い知らされる気がしてくる。

 少しして顔を絵の具だらけにしたミゼレオ・ウルチェリゼが帰って来た。弟子が用意したお湯で顔を拭うの待ってから尋ねる。

「この絵の事で伺いたい事があります」

 革手帳の細密画を見せた。この画房の絵の数々と類似性はいくつもあった。

「これをどこで?」

「然るべき人より託されました。ご存知ですか?」

「私が描いたものです」

 ルメウス、良くやった。手先はそれなりだが目の良さは確かだな。

「彼女をご存知ですか?」

「クロストナ・フェンベル。綺麗なお嬢さんでした」

「行方が知れないのです。詳しくは存じ上げられないのですが、保護しなければ身が危険だと聞いております」

 散々追い回した挙句に身柄の保護等と良くこの口は言えるものだ。呆れるな。

「詳しいところは知りません。昔、中部の方でお抱え絵師をしていた時に雇い主の友人の娘さんだと紹介されて描きました。それ以上は生憎、描いた時以来顔も合わせておりませんので」

「参考になりました」

 礼にタリウス金貨一枚を渡したが突っ返された。

「それならばあれを下さい」

「あれに目をつけますか」

 弟子に見せて貰った中に良いのがあったのでそれを買った。東大洋から流れてきた絵に触発されて描いたという、霧深い林の絵だ。政治的、宗教的主張を一切に排除した作品である。

 半分寝ていたアブゾルを蹴って起こし、絵を持たせて次へ向かう。


■■■


 小金持ち程度の中流層の住宅地に到着。ここは周囲の見通しがよいちょっとした丘の上にあるので中々都合が良い。今は使われていない旧大灯台が立っているのが特徴だ。

 そんな丘の上だがちゃんと水道橋が伸びてきているので水には困らない。良い立地だ。

 ある家へ行く。小さいが家の前に庭が作れる程度に余裕がある。

「こちらは?」

 額縁も合わせるとそこそこ重たい絵を持たされているのでいい加減、今まで黙っていたアブゾルも流石に嫌になってきたらしい。絵を馬に乗せるのを忘れていた。別に嫌がらせじゃない。馬鹿正直に絵を持ったままのアブゾルが悪い。きっとそうだ。

「聖都一の名所だ」

「名所ですか?」

 付け髭とカツラを取る。

 扉を叩く。少し待つと扉越しに女の子の声。

「どちら様ですか?」

 受け答えははっきりしている。扉はまだ開かない。こんな風に喋るのか。

「どちら様かな?」

 扉の覗き窓が開いて、そして直ぐに鍵が開けられる。扉が弾くように開いた。

 小さな、大きくなった、女の子が「キャー!」と叫んで飛びついてくるので抱き上げる。

「大きくなったなポルジア! どこのお嬢さんかと思ったぞ」

 バタバタと階段を忙しく下りる足音。

「お母様!」

 前よりも背が伸びて胸も膨らんだ女が抱きついてくる。

「階段で走るなエマリエ。怪我をする」

 次女エマリエ・ダストーリと、エマリエへ養女に出した五女ポルジア。

 中部でリルツォグトが皆殺しにされてもこっちで生き延びられるようにしてあるのだ。ダストーリの家名は由来確かである上に、何時でも捨てられるようにしてある。

「ご結婚されてたんですね」

「してないぞ。全部愛人との子供だ」

「愛人!?」

「こんな良い女がこの歳まで何も無いわけが無いだろう」

 わざわざ言う必要も無いのでアブゾルには言ってなかったが、言うと驚く人はそこそこいる。

「家の裏に馬を繋いで来い」

「お家の方は?」

 アブゾルは衝撃で耳が馬鹿になったようだ。

「私は当主だぞ、令嬢じゃない。どの男で産もうが私の家の私の子供だ。ほら行け、エマリエに絵を渡せ」

「はい、あ、重たいですよ」

「大丈夫ですよ」

 アブゾルはエマリエに絵を渡してから家の裏へ。

「ポルジア、ちゃんとエマリエの言う事聞いてるか?」

「はいお母様!」

「おおそうかそうか、良い子だ」

 ポルジアを揺らしながら家に入る。こっちは久し振りだ。

「エマリエ、不足は無いか?」

「こちらで対処出来ています。あの方は?」

「拾いものだ」


■■■


 夜になった。昼寝をして夕方に起きても大分だるいし寝足りない。

 アブゾルは客室で寝ている。ポルジアは自分に抱きついて寝ている。

 旅の疲れなど知らないようにアブゾルはポルジアと近所の子供達と一緒に遊んでいた。修道院で子供を相手取るのに慣れていて、そして面が良いせいか女の子から大人気だった。小さな子供でも人の顔を品評するものだ。

 こちら年寄りは無茶な旅程ではなかったが流石に疲れたものだ。気楽な寝巻き姿も久し振りだ。

 エマリエに酒を注がせる。適当に飲むのに丁度良い安酒だ。

「順調か」

「はい」

 聖都での活動は恙無く進んでいるということだ。

「無理はしていないか」

「安全圏内です」

 看破されても問題にならない切れ端のような情報を集める活動以上はしないように言ってある。

「子供達の情報網を掴んでいますよ」

 エマリエがポルジアの髪を撫でる。

「そうでなくてはな」

 聖都で娘二人は人々の口に上がる人名をまとめ、世間話に噂話、誰それがなんの仕事で儲かった損した、昨日はあれを買って貰った、あの家の子供が発表会に出た、などの本当に切れ端のような情報を集めて埋め合わせ、誰もが知っている情報から誰もが知らない情報を作り上げる。

 二人は情報員としてよりもリルツォグトの精神を存続させる為に外国へ避難させているのだ。安全が第一である。しかし安全圏からでもやれる事というのはいくらでもあるものだ。

 エマリエに革手帳の細密画を見せる。

「クロストナ・フェンベルもしくはリフカ。アタナクト聖法教会の伝手で聖都にウルロン山脈経由で十年程前に来ている可能性がある。生きていれば二十代半ばだ。頭は、実力を隠していなければ良いはずだ」

「知っている名前です。少々お待ちを」

 エマリエが地下室へ行く。資料の確認だろう。

 安酒を飲む。味と香りなんてどうでも良い作りだ。

 ポルジアが目を開けて、こちらの顔をチラっと見てからまた寝に入る。

「目立つ人物でした。分かりました」

 エマリエが戻ってきた。

「日頃の行いが物を言ったな」

「クロストナ・フェンベルの名前で年頃、頭の良さで一致しています。プラントエレ大学の卒業生です。彼女の同期生には現メノ=グラメリス枢機卿ルサンシェルがいます。ルサンシェル枢機卿が首席卒業者でしたが、非公式の首席卒業者がそのクロストナ・フェンベルという噂が立っていました。女ですし、ルサンシェルには面子がありましたからね」

 この時点で偽名を使う事を止めたようだ。逃げるのに疲れて諦め半分だったのだろうか、それとも隠れる必要も無かったか……ルサンシェル枢機卿といえば聖女の懐刀だが。

「プラントエレに通うならかなり金が掛かったはずだ。後援者はアタナクト聖法教会か」

「間違いなく。そちらの集会にも参加しております」

「卒業後の行き先はその系統しかないはずだが」

「聖府へ入庁しております。あそこで女が活動するとなれば女性省、聖女選定会か、聖女猊下の直接の部下になるかです。アタナクト聖法教会に関係するとしたら聖女猊下でしょう。その後は行方知れずですね」

「また行方不明か」

「というよりはクロストナ・フェンベルの名前での活動を止めただけで、通称を使っているようです。聖女猊下の部下には出所不明な人物がかなりいまして、探ると不味いので詳しくは分かりませんが、その女である可能性がある人物の候補があります。卒業時期と平行して聖女猊下の部下に新しく加わった女性はアルリカ、シェミラ、異色目のリフカ、ジルマリア、クオエリス、イヨフェネですね」

「アルリカ、シェミラ、ジルマリア?」

 聖女の手下になって働いているジルマリア? 聞き覚えがある。アンブレン修道院にいたあのジルマリアか? あろうことか悪魔将軍と働いていたあの修道女か?

「でかしたエマリエ。誰か分かったぞ」

「ありがとうございます」

 しかしあの時気付いていれば! だがあの怪物のような顔付きでは分かりようも無いか。リフカちゃんを知っている院長にアブゾルが気付かない変貌振りでは悲劇のご令嬢と気付くのは無理な話だ。

 アブゾルには言うまい。

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