第1部:第5章『聖女の野望』

第117話「人捜し」 第5章開始

 付き合いも長くなったこの宮殿の執事が扉を開けてくれる。子供の時から格好良かった青年は壮年を過ぎても良い男だ。妹とはどうにかしてちょっかいを掛けようと色々と悪戯をしたものだ。

 直接主従契約を交わしているご老公に呼ばれて来た。

 ご老公の執務室には見栄では済まされない程に手垢がついていそうな資料本が所狭しと本棚に並ぶ。見る者が見れば背表紙だけで全て実用書と知れる。唯一実用的ではないのは、在りし若き日にご老公が戦場で身に付けていた戦装束が人型に立てられており、当時の聖皇から授与された指揮杖が手甲に握られている。この杖を次に誰が握るのかは社交場での話の種である。

「ご老公、参じました」

「大事だ」

「はい」

 ご老公は誇張をしない。

 老眼鏡をつけて子供程は重そうな広くて重厚な家系図を網羅した本から目を離し、机に一冊の革手帳を引き出しから取り出して置いた。

「見ても?」

「捜して欲しい」

 重みのある手帳を取って開いて見ると、美化されていると前提しても眉目秀麗な少女の細密画が挟まれていた。絵は相当に貴重らしくて革手帳と鉛の薄い箱の二重構造で保護されている。

「年齢は?」

「今年で二十代の半ばぐらいのはずだ」

 正確な年齢が分からないという事は由来が尋常ではないという証拠だ。教会で洗礼を受けたなら記録は残るし、当然ながら細密画にて着飾っている姿をしているなら貴族か高位聖職者の娘、裕福な商人の何れかである。尚更記録は正確であるはずなのだ。

「名前は?」

「明かせない。捜索中に判明しても決して口に出すな」

 名前一つで大事に至る大物か。その名から探りを入れている隠密がその辺にいてもおかしくないという事でもあるか。

「偽名は?」

「不明」

 潜伏先の見当すらついていないという事になるか。先が長そうだ。

「髪と目の色は絵の通りで?」

「そうだ。髪は象牙色、目は灰色」

 特徴的ではあるが髪は染めている可能性があるし、象牙色のカツラもそこまで珍しくない。目に至っては際立ったものではない。

「本人は身を隠す立場ですか?」

「その家系は賢くなければ普通に生きる事ができなかった。親は良く教えていただろう」

 間違いなく隠れている。目の色と二十代半ばの女で、そのまま育っていれば美しい可能性はあるが。

「この細密画は美化されておりますか?」

「する必要の無い方だった」

 美しい可能性がある。

「消息が途絶える時点での財産の程は?」

「物乞いせずに済むように気配りはしているはずだ」

 貧民街を底浚いするような途方も無い捜索にはならない可能性がある。

「当人と捜索者である私の下へ暗殺者がやってくる可能性は?」

「存在を望まない輩はたくさんいる」

 救いの手も死神の手も双方とも手袋を嵌めて伸ばされてくるだろう。

「ご両親の身長や体格は如何ほどで?」

「二人共やや高い方だ。体格はそうだな、肩はしっかりしていた」

 小柄で華奢な女は候補から外そう。栄養不良でそのようならば別だが、細密画では十代前半程度だったので、ある程度体は出来上がってから失踪しているはずだ。骨格に注意だ。

「癖や訛りに特徴は?」

「落ち着いた物腰で愛想笑いもしなかった。フラル語での挨拶を受けたが美しくて訛りは無い。母語は不明だが、当時でもこちらのエグセン語は流暢だった。ロシエ語も咄嗟に喋れたはずだ」

 人が変わっていなければ才女でいて理知的で頑固者。感情より論理優先な思考だろう。

「今までの調査結果での感触をお聞かせ下さい」

「失踪直後は女子修道院を頼った可能性が高い。当時の諸侯は信用ならなかったはずだ。足取りが消え去ったという証拠が無い。無いという証拠が女子修道院の男子禁制という女なら駆け込める少し低い敷居を示唆している」

 当時の捜索担当は男だったのだろう。自分は女なのでその禁域は問題無い。

 そして女人禁制の場所があれば自分はカツラを使う為に短髪にしているし、胸も大きくない男装可能。顔は女らしくふっくらしていない痩せ型だ。付け髭で優男程度にはなれる。どちらも大丈夫だ。

 それに面倒事を押し退ける権威ある爵位持ちの女というのは早々にいない。夫人はいてもそのものは珍しいし、大抵は結婚して旦那に実質的な権限を渡すものだ。しかし自分は未婚だ。そして野外活動も出来てある程度の荒事も切り抜けられて、そしてご老公が信頼するような人物となればやはり自分か。

「期限はありますか?」

「出来るだけ早くだ。今我々は後手に回っている」

 喫緊の大事とは恐ろしげである。ただ何はともあれ期限があろうが無かろうがやる事はやるのだ。

「定時連絡は一月間隔程でよろしいですか?」

「支援が必要な時だけにしろ。それこそ暗殺者がお前に目をつける」

 ご老公が差し向けた捜索人ともなれば怪しさはかなりのものだ。郵便途中で横から目や手が伸びてくる可能性はあるか。

「今回は支度金を頂きたいと存じます。旅費と賄賂分が必要になりますので今の収入では厳しいです」

 我が愛しき、しかし狭き領地は疲弊している。先の大戦では運悪く出兵者の帰還率は一割を切り、その後は傭兵崩れ相手に戦闘があり、その時の始末が悪かったのか傭兵が持ち込んだのか疫病が流行った。援助とその時捕まえた傭兵達を使っての強制労働がなければ破産していた。

「お前の裏の山を買おう」

 屋敷の裏の山には銀鉱脈がある。あるにはあるが採掘量に見込みが無くて放棄されて百年以上が経つ。それは一族の秘密だ。他所に知られたら嗅ぎ付けたおかしな連中が集まってくるからだ。

 それに掘らせたくない理由がある。埋蔵量も無いのに川を汚されては諸産業に差し支える。水は全ての基本だ。そしてその川は自領を越えて様々な地域に流れている。友人の所領にも流れているし、気に入らない奴の所領にも流れている。友を傷つけるのは許されないし、他人から恨みを買うのも頂けない。何より静かな我が家の直ぐ裏で大騒ぎされるなど想像しただけで我慢ならない。

「その話は彼から聞きましたか」

 妹の旦那だ。奴が嫌いだ。

「妙だと思ったが隠していた話だったか」

「採掘量に見込みが無いので掘っておりません。また川の汚染による被害が採掘量以上にあると独自調査ではありますが試算が出ております」

「隠していた理由は良く分かった。川の汚染は気にする程か?」

「水量はそこまで多くありませんし、独立した一本の川な上に海へは出ずに湖で止っております。試掘段階で諦めたのも不要な採掘物が多過ぎた為です。銀が形を見せる程に掘った土砂に汚れた地下水は何処へ持っていくのでしょうか? 私の屋敷の裏庭は私の菜園です。川は農業用水から漁業もありますし、飲用にも醸造にも洗濯にも織物の染色にも使います。山自体も鹿狩りをしていますし、木の実畑もあります。小さいですが山の沢の水を水道橋で流している場所もあります。何より私の家の近くで他所からやってきた輩が騒ぐのは許せません。趣味の横笛の時間を奪われるのは耐え難い苦痛です」

 これだけは決して絶対、反乱を起こしてでも阻止してやる。

「分かった、売れとは言わん。頭に血が昇っているぞ」

「失礼しました」

「ただ金に関してはこちらも再軍備で余裕が無い。エデルトの餓狼共が露骨に牙を研いでいる今ではな。逆にこっちが貰いたいぐらいだ。先の大戦以来馬に鉄に銅に硝石に硫黄、樫に綿に麻の値段も上がり通しだ。中大洋が魔神代理領の海になってからは南と東の物も高値のままだ。先の大戦時点ならまだしも、ジャーヴァル戦争のとばっちりで潰れた南部の海運商社が一体幾つあるか分かりもせん。ワシの懐からいくらか出して送るがそれで何とかしてくれ。今なら無言で引き出せた小額予算でも議会で説明しなければならんのだ。極秘任務を議会で説明は出来ん」

「これ以上は言いません。任務承りました」

「頼んだ。下がれ」

「はい」

 依頼を受けて退室する。

 聞き耳を立てられないように廊下を見張っていた執事に会釈をしてから帰る。

 帰る途中の廊下で妹の旦那と擦れ違う。挨拶はしないし向こうも目も合わせない。

 昔は嫌味を言ってきたものだが、殴って決闘になって、奴が連れて来た代闘士の喉を切ったら奴め、血の噴水を見て失神したのだ。あれは良い思い出だ。

 その男はご老公の執務室へ入った。

 奴が嫌いだ。初代が聖王から宮中伯なんて大層な肩書きを貰った名家で学もそれなりにあるらしいが敵であるならば関係無い。

 自分に子が出来なければ我が領地を継承するのは妹で、そして次に可愛い甥へ引き継がれる。甥が成人するまで死ねるものか。奴に野花一つ飾ってやるのも汚らわしい。

 成人していない甥の代わりに我が領地を管理するのはまず奴だ。鉱山は絶対に掘らせない。掘りたきゃ自分のケツでも掘ってればいいんだ。魂と誇りに掛けて死んでやるものか。暗殺者が来たらそいつらの首は全部奴に送りつけてやる。

 衛兵の敬礼を受けて宮殿を出る。

 宮殿前広場には聖王カラドスの騎馬像がある。明らかに年代を無視したような板金鎧姿で、当時はまだこの地方には無かったとされる鐙まである。持っている剣も突撃部隊のように大き過ぎる。

 ここはその聖王カラドスの都だった場所だ。

 カラドス死して以来、正当後継者がこの地に落ち着いた事は無かった。

 聖王はそれから現れていない。二台目聖王の栄誉は誰かのものになるはずだが、当時の聖皇聖下が示した二代目となる厳しい条件に合致する者は一度も現れていない。条件が緩和された事も無い。

 聖王の代わりに大公が今この地で政務を執り行っている。有力諸侯の中でも大公という尊称に相応しい公爵が選ばれ、一応この中部地方の顔役を務めるのだ。その伝統を作ったのはご老公。今はそのご老公の二代目が現れるかも怪しい。

 先の大戦が終わったというのに戦争の気配はいつまで経っても去らない。聖王カラドスは現代にこそ望まれるべきだろうか。

 因みにロシエ人にカラドスの後継者は現れていないなんて事を言えば絶対にムキになって否定してくる。

 奴等はとっくの昔に聖王になった心算で、数え方で違うらしいが、現在の見解では第四十八代聖王であるそうだ。流石に聖皇のお墨付きではないのでその名乗りは身内で留まる。公言し過ぎると敬愛する聖皇を蔑ろにしてしまうからだ。その代わりに聖皇を太陽とするならばロシエ王は月であると言っているのは否定されていない。

 神聖教会諸国で最も強大なロシエ王ですら聖王にはなれないのだ。

 半分蛮族であるエデルト王ならどうだろうか? カラドスは元々蛮族なのだ。

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