第100話「東大洋海戦」 ベルリク

 西路艦隊は追撃戦で散々に沈めた。反撃出来るような隊列ではなく、先を競って逃げるような形だったので群れから逸れた子羊を捻り潰すようにしていった。

 大金そのものであるような船だが、拿捕している暇なんか無いので、必要性が認められた場合のみ物資をそこそこに奪い、後は全て焼いて沈めている。勿論船員は、元海賊のような立ち位置をコロコロ変えるのに抵抗が無い連中を仲間に加えるのを除いて海の底。説得に時間は掛けていない。大海賊ギーリスが亡くなった際にはあの”疾風の何とか”みたいに方々へ散った者が多く、その元海賊の中には割りと多くいたらしい。

 十数隻ぐらい、とりあえずそこそこの敵船は取り逃しているが艦隊としての組織力は完全に破壊したと判断された。

 追撃戦での損失した船は無し。現在、ギーリスの子達が連合した追撃艦隊は合計二十八隻である。良い気分で船を沈めて敵もぶっ殺してアマナに舵を取った。


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 それから二日後、早くも見張りが艦隊を視認した。広い海上での出来事であるから、一日二日の誤差は同日中に発生したような感覚でもある。その所属不明艦隊、明らかにアマナへの進路を妨害する形で出現しているのだから嫌な気配である。

 ファルマンの魔王号からシャチに立ち乗りしたファスラが出発してこちらに来る。立ち乗りしているのは別に魔術でも何でもなくて、足腰の捌きらしい。

「おいセリンよ、ちょっくら見てくるぜ。距離とって合戦準備でもしてな!」

「次いでに沈めて来なさいよ!」

「はっは! 首の一つくらい土産にしてやる」

 そうしてファスラは偵察に赴いた。

 こちら追撃艦隊が、信号旗の指示によって、適正な距離を保つように機動を開始しつつ、動きながら戦闘隊形に移行。合戦準備への移行に関しては、危険海域を離脱するまではそれに準じた体制にあったので状態の復帰は迅速。先程片付けた物をまた引っ張り出すような徒労感は無かった。

 しばらくしてファスラが戻って来た証拠にアスリルリシェル号の甲板に偉そうな髭をたくわえたおっさんの生首が放り込まれた。甲板に血が飛び散る。

「ファスラ! あんた血抜きくらいしなさいよ、汚い、何これ」

 セリンが生首を蹴り上げて、跳んで蹴って返し、ファスラは後宙蹴りで海に叩き込む。勿論、シャチのヘリューファちゃんからは落ちない。

「うっせぇ化もん! あれ、あれだぜ、南路艦隊だ。今の首ったまは艦隊司令の先任艦長、名前は聞き忘れたな、いいや。隻数は六十越え、もう合戦準備終えてやがるぜ。気合入ってやがる」

 南防、西路、南路の三艦隊と補助艦隊多数で構成されるのが南海艦隊群だ。

 西路艦隊を追撃し、間も無く南路艦隊が出現するという事は、敵の連携した待ち伏せの可能性が非常に高い。ほぼ確定なぐらいだ。期せずしてと言う程に海は狭くない。良く利用される海路、沿岸沿いならまだしも、そんなもの無視して遮二無二――のように見える――逃げる敵のケツに砲弾ブチ込む追撃戦の後だ。

「こりゃ待ち伏せだぜ。あいつらそんな良い連絡手法持ってたか? 知らねぇや、どうすんだ提督閣下よ!」

「待ち伏せの不利で戦うのはあんた以下のアホ! 逃げるわよ。信号旗、撤退及び全艦旗艦に続け」

「了解、撤退及び全艦旗艦に続け」

 当直士官が復唱。

「殿はあれだ、ハゲにやらせよう! 奴が一番良い」

「そうして!」

 ファスラが手を振りつつ去る。

 号令に従って全艦旗艦に続けと信号旗が揚げられる。

 アスリルリシェリ号が、他の船の動きを待つようにしてゆっくりと進路を変更し、水竜ヒュルムの八つ当たり号以外がこれに従う。待ち伏せに進路妨害をする南路艦隊を避けてアマナへ向かうために迂回機動、遠回りの航路へ進み出す。

 水竜ヒュルムの八つ当たり号は大砲の様に響く大太鼓を鳴らし、帆を畳み、対砲弾を想定した分厚い防護用の幕を舷側へ垂らした姿で、その隙間から長い櫂を三段に幾つも突き出して漕ぎ始めた。人力だけとは信じられない、おそらく水流操作の魔術も併用しているだろう操船で高速に走り出す。誰か見えない巨人の手があの船を持って玩具みたいに動かしているんじゃないかと思うぐらい、遠目でそう見えるくらいにとんでもない機動だ。

 帆柱に上って望遠鏡で見たが、水竜ヒュルムの八つ当たり号は砲撃を避けたり、難なく受け止めたりしつつ、竜角で出来ている衝角を敵船に擦り付けつつ回頭して抜き去る。衝角で腹を削られた敵船は、相当に大きく船体を削られたらしく、直ぐに傾き始めて転覆する。脱出の為に短艇を海に降ろす暇が無いほどだ。”折れず断たず”の竜角で作った衝角らしい無茶苦茶な使い方なのだろう。


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 水竜ヒュルムの八つ当たり号に殿を任せてから逃走を始めて次の日。二十七隻でアマナへ遠回りに向かう。セリン提督の判断に不服はありようもないが、その消極性が悪い方へ傾くと嫌だなぁと思っていたら、やはり海の広さを考えれば同日中、ほぼ同時に起きた出来事。

「あ? イルカ、違う? ん!? 龍人! 鐘鳴らせ!」

 セリンの命令で、警戒せよと鐘がガンガンと打ち鳴らされ、それを聞いた後続の船も鐘を鳴らし始める。

「信号旗、敵襲警戒及び対白兵戦」

「了解! 敵襲警戒及び対白兵戦」

 信号旗が敵襲警戒と対白兵戦の二種を掲げる。魔神代理領方式の旗は結構種類が多い。信号旗訓練で雑談するというものがあるらしい。

 何となく戦いの”におい”が変な感じかなぁと海面を眺める。イルカもどきらしいが、水中を高速で動く何か、か? うん? 船では間違いなく無いが。

 はて? 小銃を用意して戦闘準備に入る。さて、龍人だったか?

 頭が何となくセリン何言ってやがると感じるが……まるでファスラのように、角の生えた鱗交じりの顔の化物が海中から航行中の船の甲板に跳び上がって来た。

 魔術使い? 異形の姿? レン朝風の服装? レン朝の魔族!? 龍人とはそれか!

 まず一人目、目の前、素早いルドゥの射撃で龍人とやらの頭が吹っ飛ぶ。シルヴのような頑丈さが無いなら殺せるな。

「撃てば死ぬぞ、殺せ!」

 皆に気合を入れた心算だが、さて?

 続々と甲板上に龍人達が跳び上がって来る。得物は揃いの短槍のようだ。画一化されているという事は思ったより数が揃っているという雰囲気を感じる。

 まだ空中にいる状態の龍人に目をつけ、着地の瞬間の硬直を狙い、拳銃で胴体を撃って動きを止め、愛刀”俺の悪い女”で――短槍の柄で防ごうとしたが切り抜けて――頭をカチ割る。普通の人間ならスルっと抜けて手応えが弱いはずなのに、皮膚の張りと骨の硬さが感じられた。異形は伊達じゃない様子。

 船員、海兵隊達と龍人の白兵戦は分が悪そう。次々と短槍で刺して叩いて殺され、蹴りの一発で大男でも倒れ込む。馬鹿力は相当だな。

 舷側に張り付いていてから大砲の窓から侵入している龍人もいるようで、甲板の下でも戦いが始まっている音が聞える。それより怖いのは、速度が出るように銅板張りとはいえ、船底に穴でも開けられるという可能性。出来るならわざわざ切り込み攻撃はしないか? 停船中ならともかく、船は走っている。

 乗り込まれて操船不能に陥る味方の船が出て来ているように見える。火災、破片を仲間の船に叩きつけての爆沈までする船が見えた。派手にいった。乗り込んだ龍人共も銃弾程度で死ぬなら死んだな。

「クソッタレ!」

 セリンが叫んで海中に飛び込む。ついでに髪の触手で甲板上の龍人に短刀を突き立てつつ掴んで巻いて海中に引きずり込んだ。そのお陰で甲板上は優勢になったので船内へ入る。

 船内の戦いは劣勢だった。襲撃から大した時間も経ってないのに船員と海兵隊員の死体がゴロゴロ転がっている。歩き辛そう。

 偵察隊が前後列を交替しながら装填射撃の隙を短くし、船員と白兵戦を繰り広げている龍人を次々と狙撃して倒す。貫通した弾丸が時々船員に命中するが、仕方が無いな。

 龍人はなかなかに頑丈で、頭を撃ち抜かないと一発、二発では殺せない。一発目で足を止め、二発目で頭を撃ち抜くのが安定した戦法になっている。こちらの危険性に気が付いて向かってくる龍人も、面をこちらに向けた時点で緊急用に射撃を控えていたルドゥに顔面を粉砕される。自分も賑やかし程度に拳銃を撃つ。

 順調に龍人を殺していくと、不利を悟ったか大砲の窓から続々と龍人が海に飛び込んで逃げ出す。撤退の知恵はあるか。

 そうして船内の龍人を排除。船員もかなり排除されてしまっているのが何とも言えない。ちょっと殺しちゃったし。

 もう一度甲板上の出たら龍人は排除された後だ。アスリルリシェリ号での戦闘は劣勢と見て海中に逃げた。

 逃げた、と思ったら、逆にこっちにまた跳び上がって乗船してきた龍人がいる。ただし、服も肌も肉もボロボロに焼け爛れて剥がれた状態で、呼吸困難なのかえずくような音を喉から出し、目が潰れているようで顔も目も盲人のような不自然な挙動に留まる。海中で焼けるとは何事だ? 酸?

 海面全体が巨大な太鼓にでもなったようにドン! と鳴って、辺り一面に気泡が立って弾けた。そして龍人や魚が大量に浮いてくる。焼け爛れたのも混じっている。

 そうか、セリンだ。あいつの魔族としての特性は水中でこそ発揮されるもののはずだ。セリンって酸吐けるのかな? どうだっけ。シルヴが前になんかそんな事を言ってた気がするけど。

 周囲をざっと眺めれば、感じたものはこちらの被害は甚大、しかし敵も被害甚大という風。

 味方の船からは怒声に悲鳴に銃声が激しく上がっていて、甲板上で――遠目で見れば――ちょこまかと殺し合っている。この船の甲板を見れば他の船の様子も分かろうと言うものだ。

 化物の体力で短槍を振るう龍人に殺された、重態で助からない、もう仕事が出来ない重傷の船員は、甲板上に出ていた者なら半数を優に越える。セリンの艦隊の船員と海兵隊の勇猛果敢さと強さは、一緒に肩を並べて戦ってきたので分かる。それなのに、それだからこそか、かなりやられてしまっている。

 偵察隊は戦闘能力を喪失しないように集団になりつつも海面を警戒する配置につく。最優先で自分を護衛するという役目も捨てていないので、自分も参加。海兵隊も警戒配置につくが、どうにも及び腰風。鉄砲撃ちの兵隊のクセに元気出せよ。

 無事か軽傷で済んだ船員達が死人を海に捨て、死に損ないに止めを刺して海に捨て、助かりそうな者だけが船内の医務室に運ばれる。

 セリンは泳いで船を回って巡って龍人を始末している。その度に助けられた船から大――生存数故小も――歓声が上がる。

 海面の警戒を続けながら観戦させて貰ったが、海でのセリンは恐ろしく強い。本当に化物。浅い海中ところを泳ぐ影が見える時があるが、髪の触手を大きく広げて後ろに絞って流し、とんでもない早さで動き、跳び上がって味方の船の甲板上にいる龍人を排除する。そして海中に潜れば、また海面がドン! と鳴って泡だって、龍人が浮き上がってきて動かない。お得意の音の魔術は海中でも強力か。

 徐々に龍人と交戦する船が減ってくる。セリンの応援があって勝利した船と、船員がほぼ皆殺しになったであろう船の両方。

 龍人はレン朝の保有する魔族かその係累に思えるが、魔族になるには魔術の才が必須なはずだ。奴等がそれを使わないのが妙だ……アソリウス島騎士団の化物騎士を思い出した。何でも魔術が使えない者を魔族にしようとする儀式を行った時に生まれる出来損ないらしいが、奴等もそれそのものかその係累か何かだろう。お頭の具合は悪いらしいが、常人ならざる戦闘力が得られるというのが、たぶん共通している。

 いい加減に鼻が慣れて感じなくなった潮に、血と火薬の臭いが混じった変な臭気の中、空を見ればカモメが悠々と飛んでいて海上の大荒れ具合が嘘のように見える。空は青いし、風は良いし、太陽は眩しくて雲の白さも輝くようだ。死ぬには良い天気か……でも湿気少し濃いかな? べっちゃべっちゃの中で死ぬのは嫌だなぁ。もうちょいカラっとした方が良いなぁ。

 海水に濡れて、人間には無理なくらいに髪の触手の間から大量の海水を甲板に落としながらセリンが戻ってきた。

「大活躍だったな」

「殺す」

 とセリンは低く、レン朝の奴等に向けて喋ったように聞えた。今回予定している官軍への支援内容は賊軍支配地域の沿岸部への陽動攻撃である。

「レン朝に行けば男のチンコはもぎ放題、女の腹も裂き放題、家も畑も焼き放題だ」

 セリンが「んー」と唸って唾を吐く。たぶん「うん」って言ったと思う。


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 その後、襲撃の影響でバラバラになった艦隊の再集結の後、各船の被害状況の確認作業、そして激減した船員の乗せ替えを含めた再編成を行った。時間が掛かる作業で、追って来ている南路艦隊がいるのだから気が気でない者が多い。セリンは気が短い暴力女だが、そういった作業に入ると頭が切り替わるらしく、眩暈を起こしているような状態の士官達に冷静に指示を出していた。

 ファスラは体力だけで掛かってくるような連中相手に負けるような名人ではなく、かすり傷一つ無く三十は首を落としたと言って、いつもの調子でヘラヘラ笑っていた。それから上の者らしく再編成でも働き、各船間の伝令次いでにセリンが指示し切れなかったような細かい調整を独断にやって素早く作業を終えさせた。

 結果、艦隊から脱落した船は十三隻にもなった。内、撃沈されたのは一隻、あの爆沈した船になる。龍人は自爆攻撃のような事はしなかったらしいので、船内へ乗り込んでからの焼き討ちという事は――大砲の火薬に引火した大爆発――死ぬ寸前の破れかぶれの状態になるまではしなかったのではないかとの推測。仲間も乗り込んでいるのだから当然か。

 他十二隻の脱落原因は船体の損傷ではなく、船員不足である。殺されまくったので操船要員が足りないのだ。必要な物だけ無事な船に移譲し、敵に奪われぬように放棄した船は自沈させ、艦隊の隊列を組み直し、残る十四隻で逃走を継続する。

 新しく組み直した隊列で航行することしばらく、日もいくつか跨ぎ、急な船替えで操船作業に手こずる船員が怒鳴られるのを眺めていたら、良く殿の務めを果たした水竜ヒュルムの八つ当たり号が、砲撃を多く受けた姿を見せながらも無事合流。あの龍人の襲撃とそれから復帰するための再編成でしばらく足が止っていたが、それでも南路艦隊の姿が一切見えなかったのは水竜ヒュルムの八つ当たり号、海賊王ファイードの実力だろう。

 十四隻からの指笛と拍手の喝采で出迎えた。空砲も撃ちたいところだが、流石に待ち伏せの連続でやるのは憚られた。損傷した船体、勇姿を自慢するように、いや自慢するために水竜ヒュルムの八つ当たり号が全船の横を、賞賛の声を浴びるために流す。当然の権利だ。

「水竜ヒュルムの八当たり号、その乗員、そして我が兄ギーリスの息子ファイードへ向けて万歳三唱!」

 セリンが号令をかけて、

『万歳! 万歳! 万歳!』

 とアスリルリシェリ号で三唱が響く。

 南路艦隊から逃走する為の航行はこの戦闘で所々邪魔されたが勿論続行される。

 目的地はアマナ。敵は既にこちらがアマナを目指しているという事を察知しているのは分かりきっているが、追撃戦という敵領域内に突進する作戦を取ってしまったがために避難するような、姿を眩ますような海域が無いのだ。航路の変更は検討されたが、ナサルカヒラ海軍やベリュデイン私兵の艦隊、マザキの艦隊に合流出来る可能性を考慮に入れればアマナ行きが最善とされた。

 執拗な追撃はこれが妙味である。


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 熟練船員が鼻を鳴らして空気を嗅ぐ。気にしてみると湿気と気温が明らかに違う空間に入ったのが分かる。低気圧が到来したようだ。少しして黒い雨雲が迫ってくる。

 船体の修理は放棄船から回収したので資材は豊富、十分に行えている。食糧も同様。船員の組み換えで一時は低下した操船錬度も、非常事態という事もあり、皆が文字通り命がけになって訓練したので問題は無くなった。荒天を乗り切れるという自信は見ているだけで伝わってくる。元が船員に自ら志願して、戦闘行為前提のこの艦隊に乗り込んでいるのだから質自体は良いのだ。

 陸者の自分は変わらずに、海と空でも眺めてのんびりする。

 偵察隊だが、少し前までは態度から姿格好から不気味過ぎて船員も海兵隊も近寄らず話し掛けもしていなかったが、最近は襲撃時に龍人を殺しまくったお陰か交流が若干ある。偵察隊員はルドゥに似て辛気臭いので楽しくワッハッハと言えるような交流ではないのだが、一緒になって布や革の修繕をしたり、持ち合わせの材料で装飾品を作って贈り合ったりして微笑ましい。

 特に龍人の皮や鱗や角、衣服の生地や短槍等々、身体と身につけていた物を使った装飾品は流行り物になっている。ルドゥが自分とセリン用に一番良い角を削って、龍人の装飾品を解体して補強材にしたり、取り出した宝石類を組み込んだような手の凝った揃いの指輪を作って贈ってくれた。その後しばらくセリンは上機嫌であった。クセは強烈だが可愛い女、一番の上官が機嫌良く少女みたいに笑っているものだから、船の雰囲気も良いと言えば良くなったかもしれない。

 空模様が非常に怪しく、強くなり始めた風に煽られて波飛沫が飛び始めている。荒天航行のために広げた帆の数が減らされ始めた。

 何やらボリボリと掻くような音が聞えて、変な高い声。

「おちんたまがかゆかゆなのですぅ」

 ズボンに両手を突っ込んでいるのはファスラだ。こいつ、何しに来やがった?

「どうした。いつも通りだな」

「いやよ、旦那の面見たくなってな」

「何だよ、ビビってんのか?」

「ビビってないか見に来てやったんだろが!」

 先程までボリボリやってた手を広げて顔を触ろうとしてきやがった。

 対抗して後ろに退いてから「よーし」と、ズボンに手を突っ込んで……ケツを蹴られて倒れてしまった。セリンだ。

「あんたら何やってんの」

「女の出る幕じゃねぇんだよ、おリンちゃんよ。お前のくっせぇくせぇおまんちょチーズの出番はまた晴れてからだ」

「そんなもんあるか!」

 髪の触手にファスラが巻かれ、荒れ始めた海に投げ捨てられた。まあ大丈夫だろ。

 セリンの両のケツを掴む。

「え、何よ?」

「え? 何も」

「何も無い事は無いだろう!」

 次に現れたのはふんどし一丁でびしょ濡れのファイード。太い腕を組んで、胸の筋肉をビクビク動かしている。

「さ、続けなさい。お兄ちゃんを安心させるんだ」

 胸の筋肉を交互にビクビク動かしている。

 髪の触手にファイードが巻かれ、荒れ始めた海に投げ捨てられた。まあ大丈夫だろ。

「次は姉ちゃんか?」

「邪魔だから寝てなさい、この馬鹿」

 よもやセリンに馬鹿呼ばわりされるとはヤキが回ったもんだ。

 視界の先、遠くが急にボケたようになって迫ってくる。海面が弾けている、雨か。

 雨が降る。真上から降っていたと思ったら、少ししたら横から飛んで来る。強風だ。

 海上は遮る物が無いので風が陸より強いのは今に始まった話ではないが、強風で帆が裂けて交換ともなると、提督室に篭っていても船内が慌しくなって昼寝もし辛い。船の揺れも凄いので寝辛い。慣れると揺り籠のようで気持ち良いと言えば良いが。

 嵐の時は湾内の港に係留していてもかなり怖い思いをするというのに、外洋にいるなんて正気ではない。風鳴りと海鳴りと雨音が正に災害のような轟音を立てる。海と風の神様にでも命乞いをするしかないのが分かる。

 逃げるため、荒天航行が始まる。


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 荒天航行が始まった次の日。帆を完全に畳んで風を余り受けないようにするらしい。帆柱が圧し折れるのを防ぐためだ。

 船が軋む。雨に加えて波が上甲板から大砲窓から入ってくる。窓は閉めても隙間は多少あるので水漏れは日常茶飯事で、この低気圧は酷い暑さも揃っているので蒸し暑さがこの上無い。食糧が腐り出している。

 荒天時は石炭が焚けないので冷たい食事だが、少なくともアスリルリシェリ号には魔術で鍋を加熱出来る神様のような奴がいるので問題ない!

 揺れが酷い。船が転覆しないかと思えてくる。転覆するのも当たり前な位に傾く。甲板が”坂”になり、波が入ってきて通路を洗うぐらい。

 波の底と天辺ではとんでもない差がある。窓を見ているだけでも空を見たかと思えば海面を見ているぐらいだ。そしてそんな中でも防水雨合羽を着た船員が甲板に出て作業をしているのだから凄い。

 船が腐ってるとこれでもう終りだ。穴だらけになって海に食われる。損傷から復帰出来ていない船がいたら沈んでいるところだろう。

 損傷が無くても、荒天明けには十五隻残っていない可能性は十分にある。


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 帆を畳んだ次の日も荒天が続く。帆は海と風の神様に行く先を任せている状態である。ただし、緯度経度の測定は怠らず、現在地は把握している。

 荒天の峠は越したようで多少は和らいでいるが、凪の日に比べたらまだまだ大荒れだ。雨が止んでいるので多少はマシな感じはするが、曇り空は変わらず、風は重っ苦しく湿っている。

 現在のところ、二隻が行方不明で絶望的。加えて一隻が転覆し、もう一隻が船底に穴が空いて沈没寸前らしい。海は荒れているが、慎重にやれば可能性があるとのことで救助作業に入る。

 残るは十一隻。

 上手く救助出来るだろうか? そもそも生き残ってるか? そう思いつつ甲板に出て外を見れば、転覆した船に救助船が接舷すると大爆発。炎が上がって破片が飛び散る。狙ったが如くである。狙ったな。

 同時に、沈没しかかった船から海に飛び込んだ船員を救助しにいった船が異様に傾く。何がどうしたのか、沈没する船から伸びた鉤付きの綱が救助船に引っ掛けられている。おかしい。そう思っている内に救助船が傾いている上に、風に煽られてしまって転覆してしまった。

 望遠鏡を使うと、海面から顔を出して綱を引っ張っているおかしい人影が視認出来る。龍人か! 一度迎撃された程度ではめげないようだ。おそらくだが、先の龍人の待ち伏せは二手に分かれていたのではないかと思う。大雑把だが、こちらの艦隊が西回りで迂回するか、東回りで迂回するかで。

 龍人対策は練り済みで、皆に教育されている。同士討ちも許容して一斉射撃で龍人を確実に殺すという前回成功した堅実的な手段。奴等を一人でも減らさなければ、それ以上にこちらが殺される。巻き添えはこの時点で許容範囲内。なかなかやってくれる敵だ。

 龍人の出方を見て迎撃体制で待機していると、味方の船が大きな山のような三角波に突き上げられて、木材の束を引き裂く轟音を立てて見事に真っ二つに圧し折れて荒波に喰われる。凄ぇ……荒天時の自然現象かな? もう一隻、また三角波に突き上げられて船が圧し折れる。狙いが完璧だという事は魔術だな。レン朝じゃ方術か?

 セリンが「殺す!」と海に飛び込む。おっかない方術使いを狩りに行った。

 あんな、船を一発で撃沈する奴が足の下を泳いでいるかと思うとゾクゾクする。標的の選別は旗艦も狙わず間抜けなようだが……海面状況に合わせて発動するような、海の地雷みたいなー、何かそういうアレだろ、たぶん。

 雨がまた降り始めた。船内はともかく、船外では火打石式での着火では心もとなく、この船には置いていない火縄式銃でもないとまともに撃てそうにない程度の、火器を使わないなら気にならない程度。雨除けでも使えば良いか? それでも前より死にそうだな。銃弾じゃないと奴等に致命傷を与えるのは困難。体力差で筋力でぶちのめす武器は有効的じゃない。狙えば避けれず、当たれば中身をグチャグチャにする銃弾じゃないと動きも止められない。

 遂に龍人が海面から跳び上がって船に乗り込んでくる。他の船も同様だろう。

 前回は好き勝手に乗り込んできた感じだったが、今回は前後左右から二人一組になって包囲攻撃を仕掛けるようにしている。統制の取れ方が段違いだな。出来損ないの脳足りんを動かす親玉がどこかにいるか?

 こちらは雨で五感が鈍るが、龍人は何となく動きが良くなってるようにも見えるぐらいで分が悪い。

 自分が担当した龍人の足を止めるのに、一人に対して拳銃を三発も――懐と鞘に入れていたので濡れていない――撃ってしまったし、”俺の悪い女”で切り込んでも急所を外されて致命傷を与えられず、襟首を掴まれて組み手に持ち込まれてしまって、鎧通しで心臓を突き刺してかき回しても、踏ん張る顔のまま生きているので流石にマズいと思ったら、その龍人の顔から槍の穂先が突き出て、切っ先は少しずれて刃の腹が自分の鼻の横を撫でた。血を被ったが無傷である。前より殺し辛い。

 それにしても艦長が鯨を銛で獲った自慢話を毎日していたのは伊達ではなく、槍投げで助けてくれた。生きていたら一回だけうんざりするだけ質問しながら最後まで話を聞いてやろう。

 こちらアスリルリシェリ号の甲板上にいた船員、海兵隊は短時間で皆殺しにされたか、死に掛けか、死んだフリかで転がってて完全に戦闘不能。銃が良く使えれば人間でもそこそこ相手取れるのだが、雨が悪い。船員、海兵隊の戦いの様子は、感想としては刀剣槍に棍棒じゃ体力負けして相手にならない。

 船内の方は一応まだ足掻く音を立てられる程度に頑張っている。銃が有効、唯一の撃退手段になっているので銃声は前の襲撃より派手に行っている。「俺を撃つなぁ!」「構うな一緒に殺せ!」という悲鳴怒号も珍しくない。

 甲板上にいるこちらとしては偵察隊のマントを雨除けにした銃撃で攻撃。やや晴天時より狙いをつけるまでに時間がかかるようだ。不発は錬度が高いおかげか最小限である。

 弾除けになっていた船員、海兵隊が喪失した代わりの、偵察隊による銃剣突撃に欺瞞した肉弾自爆攻撃で龍人の接近を牽制する防御が射撃に合わさる。自決用にしては爆発は強いし前方へ噴出す形だから、最初から目的はそれか。

 マトラ自治共和国の旗を用意した分だけ全部敵地に立ててやらないとな。アマナで発注して追加もいいか?

 海面全体が今度は巨大な煮えたぎった鍋みたいに気泡が弾け続け、止らない土砂崩れみたいな音を立てる。

 セリンの魔術がまた発動……したが、その前にそこそこの龍人共が海面から跳び上がっていた。逃げ遅れた龍人と海中生物? が煮崩れたような姿で浮いて来た。

「おいおい」

 船沈まないよなこれ? 滅茶苦茶船が振動して脳みそ砕けそうなんだが。

 セリンのその大規模と思われる魔術の後は、どうやら龍人同士の連携が乱れたようで、船に乗り込んでくる龍人がまばらになって、単独だったり、波状攻撃のような形にもならず、偵察隊にとっては良い的になった。動きを止める銃撃からの止めを刺す銃撃で確実に仕留める。

 そうしてちまちまと統制を失った龍人を流れ作業のように殺していると、他の船でも戦う音、人と銃の音が段々と小さくなって、沈黙に変わる。雨音と海鳴りに混じって、死に掛けの呻き声に「死ぬな」と仲間を気遣う声程度に収まる。

 一応は戦える者達は静かであっても警戒を解かずに各所で臨戦体制で待機。

 そう、肝心のセリンが帰って来ないのだから海上での戦闘はともかく、海中での戦闘は終わっていないのだ。

 そしてまさかセリンが負けるはずが無い。

 待つ。


■■■


 セリンを待ってる。遅いと思ってしまっているが、きっと時計を見れば針は少ししか動いていないだろう。

「ルドゥ、俺とお前の可愛い偵察隊の被害は長期的に見てどうだ?」

「問題あると思うのか大将?」

「無い」

「そうだ」

「今作戦期間中はどうだ?」

「合流したらいくらか選抜する。長距離浸透には使えなくても、他の易い任務に使える数は欲しい」

「そうだな」

 自爆で胴体が真っ二つになって内臓を散らした偵察隊員を集めて、甲板に並べる。偵察隊はルドゥ含めて周辺警戒をするので手は出さない。遺品から使える物を取る。それからそいつらが着ている人の革やら骨で飾った自作マントに、そいつらを包んで頭撫でてやってから海に落す。妖精は小柄だが、九人もやるとなると重たい。服が水吸ってるしな。


■■■


 雨に濡れないようにして拳銃三丁の発砲準備が良いか、周辺に目を光らせながら再確認していたら、一つ飛び込んできた。

 それを見ると何であるかが認識し辛い気が思わずしてしまう変な形の塊だ。両腕両脚が切断され、抜けている髪の触手で傷口が縫われた、鱗交じりで角のある、それもまだ生きている龍人だ。レン朝の、天政官語と思しき言葉で、何だか悔しそうに泣きながら喚いている。こいつが親玉か。

 次に跳び上がってきたのはセリンだ。顔色というか表情はもうげっそりとやつれているのが直ぐ分かる。今にも倒れそうなので右腕で両膝の裏を、左腕で背中、そして左手でおっぱいをがっしり掴む。

「勝ったな。で、これどうするか決めてるのか?」

 龍人の親玉を爪先でちょんちょん突く。親玉は最後の力を出し切るように何か、怒る。それからぐったりする。そうしながらも何ポツポツ喋るが理解不能。

「セリン、翻訳」

「あぅん? うー」

 こりゃダメだ。寝言みたいに唸るだけで、もう目は閉じててお休み状態。

 セリンの体自体は普通の男程度の重さだが、脱力しているので割り増しで重たい。そして何よりこのもっさりびろーんと生えているこの髪の、毛にしては太い触手が超重たい。海水吸ってるせいかカッコつけたこの両腕が女を抱えている感触を感じていない。おっぱいだけだ。

「ルドゥ」

「分かると思ってるのか?」

「いーや」

「よっと」

 丁度良い時にファスラが海上から、股下くらいの柵を跨ぐような気軽さで船縁を越えてきた。

「おー! おリンちゃんよ、疲れてぐったりしている時は本当に大人しくて可愛らしいなぁ。阿片浣腸でも常時してりゃ良いぜ。魔族だから拳骨くれぇの突っ込まなきゃな」

 ファスラがセリンの頭を撫でて、額にちゅっと口を付ける。いつもならここでブチキレるが、まあ本当に大人しくて可愛らしい。重てぇ、落すか?

「通訳してやるぜ。何言う?」

「じゃあ、龍人って楽しい?」

「どうだろうな。聞いてみよう」

 ファスラが天政官語を使って親玉と会話。通訳

「外道の野蛮人共め、犬の方が道理を弁えている、だと」

「わんこちゃんの従順さと比較されちゃ負けちゃうよね」

「そう言うか? 言うか」

 通訳。親玉の台詞は短い。

「犬に食われろ、だと」

「犬? もうお前俺達を陸に上げる気になってるのか。船に犬飼ってないぞ」

 通訳。親玉は何か言ってるような気もしなくないが。

「唸ってるだけだ」

「観光しながら人と町を焼いて回るだけで侵略する気なんてないから気にするなよ」

 こちらが知る最新情報では、ベリュデインの私兵が賊軍相手にやったのは、焼いた都市三つに小さな拠点は十四、崩した灯台は八、艦艇拿捕数二に確実撃沈数十一だったはず。

 通訳。親玉は、十数えるぐらいの間に百に迫りそうな程の言葉を捲くし立てる。

「んー、ちょっと天政官語じゃなくてやっこさんの方言で言ってるから分からねぇな。たぶん、たぶんだけど内陸の……うーん、西部方面かなぁ」

「じゃあ、あれだ。内陸に手を付けないんだからお前馬鹿見たなって」

 通訳。親玉は体力が尽きたか喘ぐように唸るだけ。

「ま、お終いだな」

 疲れたので座る。セリンの頭を肩に乗せ、ケツを脚の間に入れる形に抱え直す。そうするとセリンの腕が首に回ってくるので意識が全く無いわけではないようだが、魔術の酷使で喋る気力も無いみたいだ。まさかここで乙女みたいにか弱いフリをするような糞みたいな根性はしていない。

「仕留めたのはセリンだ。コレの処遇はセリンの判断を尊重したいけど、ファスラお兄ったまはどう見る?」

「生け捕りだな。方術使いっぽいから酒漬け薬漬けで無能化するのは当然だ。まあ、アマナにお持ち帰りにして、ルオ家の連中への交渉材料にするってとこか」

「ルオ家?」

「このトカゲもどき風のやけに強い兵隊を作る仕事を受け持っている連中だ。それからなんか幽地思想に基づいた土着っぽい龍信仰の儀式を中央政府から一任されているとか……何か分からんがとりあえず化物製造機関だ」

「殺すには惜しいが生かすには強いか」

「面倒だねぇ。俺ならスパってやっちまうが、まあいいさ。セリンの意志を尊重しようじゃないか。このお手芸を捨てるのは勿体無い」

 親玉の肩と股関節の切断面の縫合は名医のようである。非常に綺麗丁寧。髪の触手という糸も、抜けた後も生きているのか、少し蠢きながら出血や傷口の露出を防ぐ。

「だな」

 残るは九隻だが、船員の組み換えでまた放棄する船が出るだろう。


■■■


 低気圧を抜け、高気圧帯に入った。空は青くて良いのだが、風が穏やかなのが今はちょっと不安。速度が出ない。

 二度目の龍人の襲撃には九隻の船が浮かんで残っていたが、船員の組み換えで再編成し、残るは八隻となった。三つの旗艦、アスリルリシェリ号、ファルマンの魔王号、水竜ヒュルムの八つ当たり号に乗員を集中させており、残り五隻は必要最低限の航行が出来る人数だけが乗艦している。実質的には三隻だ。

 そして予想もされていた通り、見張りが大規模な艦隊を視認。さて、敵か味方か? まあ敵だろう。

 少しして、ファスラがシャチに立ち乗りして、偵察結果を携えてこちらに来る。

「今度は東海艦隊群の東路艦隊の待ち伏せだぜ。参ったね、百隻は越えてやがるぜ。無風状態も考えたのか櫂船もそこそこ揃えてやがるな。準備万端、ぶっ殺す気全開だぜ、楽しいなぁおい、こんなに戦力傾けてくれるなんて海賊冥利に尽きるぜ。それだけ認められたってこったな」

 東防、東路、北警の三艦隊の補助艦隊少数で構成されるのが東海艦隊群。隻数配分は不明なので大雑把だが、レン朝が抱える六個艦隊中、三個艦隊を相手取った上に、魔神代理領における魔族並みの切り札と思える龍人を投入してきているのだから本当に、兵隊冥利に尽きるとはこの事。もう既にビジャン藩鎮からの陽動作戦の依頼は十分過ぎる程に果たしているな。じゃあもう、好き勝手陸地を荒らして好きな時に引き上げても良いだろう。それ以上何を求める気だ?

 セリンは魔術の多用で具合が悪そう。何日か寝た程度で魔術で磨り減った精神というのは完全に回復しないようだ。

「二十八隻が八隻になって、それから戦力的には実質三隻だから、まだまだ戦力は元より一割以上残ってるな。いけるいける。おまけに頭がまだ無事に生き残ってるんだから楽勝じゃねぇか。敵将首上げる余裕もある」

「あぁん?」

 セリンが唸るように返事をする。

 敵艦隊は長大に幅がある横隊での、網で根こそぎ掬い上げるような集団衝角戦術で確実に仕留めに来た。正面切っての優勢な戦力でブチ込んでくる力押しってのは普通、どうにもならない。木っ端微塵に粉砕される。しかも風向きは敵が追い風側。こちらは船員が減って、連戦と低気圧抜けの疲労状態では操船困難、熟練船員でも作業に失敗が目立っていて、若い船員の中には腰砕けになって立ち上がろうとしない者も出てきた。降伏する気か死ぬ気か不明だが、海に飛び降りる奴もいるし、勝手に短艇を降ろそうとして海兵隊員にぶん殴られている船員もいる。

 釣り寄せ、待ち伏せ、追い立て、疲れさせ、あまつさえ低気圧に追い込み、荒天中の再攻撃で弱らせ、そして荒天明けに止めの待ち伏せ、とは海戦芸術の粋であるのではないか? 初めの西路艦隊の甚大な被害と、おそらく相手方も予測していないような龍人部隊の壊滅は汚点であるが、最後の仕掛けに持っていけているのだから成功間近だ。レン朝海軍恐るべし。敵ながら天晴れである。幸運でどうにかなったという次元では無かろう。天候も読んでいただろう。凄いねぇ。海洋の天候を作戦に使えるだけ先読むなんて人が出来るものなのか?

「おいセリン! ギーリスの子供達でも流石にこいつは小便チビリそうか?」

「まさか! 私等の首が繋がってる限り敵の黄金のケツの穴は開きっぱなしよ! 手ぇ突っ込みゃ出てくる」

「じゃあ勝てる!」

「あったり前! 舵寄越しなさい」

 当直の操舵手から、セリンの手に舵輪が渡る。

「提督操舵!」

「両舷砲、二つ弾装填」

「両舷砲、二つ弾装填!」

 甲板の下で砲手達が動き出す。

「補助付き帆走用意」

「補助付き帆走用意!」

 龍人襲撃時は身を弁えて船の奥に隠れていた風の魔術使いが配置に付く。力仕事は担当ではないので他の船員に比べてほっそりしている、というか女だ。鼻が立派で、思わずこの前指を突っ込んだらビックリしていた。

「無風航行用意。短艇無し」

「無風航行用意。短艇無し!」

 同じく船の奥に隠れて生き残った水の魔術使いが配置に付く。黒人の爺様で、腰が曲がっているクセに揺れる船上でも素早くて気持ち悪い。

 短艇無しとは、普通の無風航行は搭載した短艇を海に下ろし、母船と綱で繋いで、櫂での手漕ぎで引っ張る力技を用いない事。

 取り舵一杯の回頭が始まり、集団衝角戦術で来る敵艦隊の横隊と正対する前に舵輪が戻され、そして正対。鼻先をぶつけ合うような位置取りだが。

「補助帆走全速前進」

「補助帆走全速前進! 総帆開け! 送風最大!」

 逆風を無視するように、全開に張られた帆が風を大きく孕んで快速自慢のアスリルリシェリ号を走らせる。

 そして走らせ、敵艦隊の壁が迫り、見た目の圧力だけで体が仰け反るんじゃないかと思えて来る。正攻法には正面突破か。

「補助帆走止め」

「補助帆走止め! 総帆畳め! 送風止め!」

 風を孕んだ帆が急に萎み、そして逆風や船が進む事で生まれるかぜに吹かれて反対側に膨らむと思いきや、ここでも風の魔術使いが力を発揮して帆を風の影響下から外して緩ませる。そして簡単に帆は全て畳まれる。

「全帆柱左旋回九十」

「全帆柱左旋回九十!」

 帆が畳まれて固縛された帆桁が回り、横から縦向きに変わる。船幅より外へ突き出る物が無くなった。

「無風航行始め。送水流航行全速前進」

「無風航行始め! 送水流航行全速前進!」

 そして風の力を失っても、水の魔術使いによる水流操作でアスリルリシェリ号の速度は緩まず、加速する。

「発砲用意」

「発砲用意!」

「艦長、操舵。旗艦やってくる」

「は!」

 鯨漁自慢がうるさい艦長が応え、セリンから艦長の手に舵輪が渡る。

「艦長操舵!」

 接近。敵船は本当に大きい。無駄に大きいんじゃないかと思うぐらい。

 敵船の艦首砲が今になって発射される。帆柱間の綱を震わせる事はあったが、命中せず。

 艦長が目を一切閉じまいと見開いて、衝角を突き立てようと迫る敵船の隙間、舵輪の微調整で抜けようとする。

 敵船もただ馬鹿に直進はせず、おそらく味方の船に突っ込むという大きな覚悟もして進路を調整してくる。ただ、アスリルリシェリ号は足が速い。魔術の力も借りて相当に早く、水の流れは船足を押しまくる。避け切れるような、じゃないような?

 そして進路を変えた敵船の舳先、そして水面下、船で最も頑丈な竜骨の先の方に取り付けられた武器、硬くてデカくて突き出ているイチモツ、衝角での体当たり攻撃を敢行しようとこちらに迫る。船とは女性であり、彼女と正式に呼ぶ。彼女にそれをブチ込もうとするんだから突っ込む側はさぞかし楽しい事だろう。

 舵輪回しに神経を磨り減らしている艦長の面には最後の最後まで諦めないで避けてやるという気合が鼻水が垂れるぐらいに溢れているが「総員何かに捕まれ!」と遂に叫ぶ。

 叫んだが、命令を無視した風の魔術使いがアスリルリシェリ号の舳先目指して駆け出し、途中で転んで、胸でも打ったか喘ぎながら叫んで気合を入れて再度駆け出し、迫る敵船の帆を風の魔術で押して、そして退けた。

 乙女が勝ったとは幸先が良いではないか。ちょっと年増だが、これからは風の魔術使いは乙女で良い。

 そしてこちらと敵の船が横並びになっていく。まるで森間道にでも入っていくように日が陰る。それだけ敵船が大きく、帆柱に張った帆が巨大で、その分陰が大きい。

 敵船員、海兵隊の顔、表情が分かる距離ですれ違っていく。敵は砲撃の用意が無いか、隣の味方船が完全に大砲の射線に入っているせいか、とにかく撃たない。小銃を撃ってくることもせず、信じられないような顔でこちらを見ている。

 帆柱が事前に縦に向けられたので、こちらの帆桁は敵船の帆桁に絡む事なくすり抜ける。静かに、船体が海面を掻き分ける音だけが鳴って、通り過ぎる前、完全にこちらの両舷の大砲が両側の敵船に命中する位置になる。

 この時点で小銃あたりで撃ち合ってもいいはずだが、何となく、敵味方お互いにここは静かにしていようという空気になってしまっている。そんな空気を読まないようなルドゥといえば、当てるに良さそうな階級の高い目標を捜している様子。

「撃ち方始め」

「撃ち方始め!」

 艦長の号令で一つの砲門に二つ装填された砲弾が、合計百以上一斉発射。砲煙と木片、海側に跳んだ破片が立てる水柱、砲声に衝突音が一斉に吹き上がってアスリルリシェリ号を包んで、破片と海水がパラパラと降り始める。

 これを合図に小銃と旋回砲での撃ち合いが始まる。始めの銃声を鳴らしたのはルドゥ、こちらの甲板の様子を覗き見に来た偉そうなおっさんの頭を吹っ飛ばした。

 短い銃砲撃戦と――装填が尋常ではなく素早かった砲手班が操る大砲が三門程二発目を砲撃――完全にすれ違う前に、セリンが敵船の後尾に跳んで、髪の触手で張り付いて移乗した。

 艦長が号令。

「ギーリスの娘セリン提督の勝利を祈願し、万歳三唱!」

 号令に応えてアスリルリシェリ号で三唱が響く。

『万歳! 万歳! 万歳!』

 完全に通り過ぎる。お互いに船尾砲を撃ち合い、派手に硝子が割れる音が足の下で鳴る。船尾を後甲板から覗けば、提督室に砲弾が直撃したようだ。クソッタレめ。士官室係が死んだから、今あそこを掃除するのはそこの住人だ。

 これでセリンと、既に始めているだろうファスラの首狩り訪艦が終わるまでに、帰るべき船を浮かべさせていれば我々の勝ちだ。どうせ沈んだってあの二人なら何とかなるだろうし、一隻で六十隻相手に善戦するというわけの分からない次元にいる水竜ヒュルムの八つ当たり号のファイードもいる。

 被る損害の程度は知らないが、これは勝てる戦いだ。確信出来る。

 それからのアスリルリシェリ号は敵船からの砲撃と衝角から逃れるように機動して逃げ回る。一旦敵艦隊の後ろに回り込めばそれは意外と簡単だった。密集している状態での横隊の方向転換は難しかろう。

 あの集団衝角戦術を実行した横隊の後ろには予備戦力として船は幾つかあったが、どうにも二線級の雑魚らしく、艦長に船員に魔術使いの別次元の機動には全く追いつけず、船首や船尾に砲弾を喰らって船内を縦に突き破られ、索具を鎖砲弾で切られて戦闘不能、航行不能になる船が続出。

 ファルマンの魔王号は、そう言えばと気付いたが、戦闘中は殆ど姿を見せないのだ。まさか魔術を使って姿を完全に隠している!? そのまさかと思って周囲を眺めてみるが……いない。だが、突然砲撃を受けたように木片を散らしている敵船が見えるので、やはりどこかにいるのか。

 水竜ヒュルムの八つ当たり号は衝角攻撃を敢行している大型の敵船をおちょくるように、逆に衝角攻撃でやり返している。目立つ存在なのであの船にほとんどの敵火力、砲弾が集中している。砲弾をブチ込まれても耐えられるようにかなり工夫されている様子ではあるが。

 その三隻は格好良い姿で戦っている。だが続々と他の囮になるのも難しい仲間の船五隻は一方的に砲撃され、接舷されて白兵戦で乗っ取られて、衝角を受けて沈没していく。

 直ぐに投降した船は一隻。まあしょうがないだろう。投降した船に手をつけるだけでも最低敵船一隻を一時拘束出来るのだ。


■■■


 実質から実際に生き残りが三隻になった頃、見張りが、所属不明の艦隊が戦闘海域に接近する事を告げる。これが敵の増援だったら流石に”引き分ける”だろうか。

 ファスラに偵察結果を報告して貰う贅沢は出来なかったが、代わりに砲撃を加える相手がどちらか確認出来たことにより、艦旗の確認をせずとも出来た。

 不明艦隊艦船から放たれた砲弾が敵船に命中し、直後に爆発してから誘爆の連鎖で一隻が爆沈して、その破片や炎を被って敵船一隻に延焼した。あれはマトラの榴弾である。

 アスリルリシェリ号で歓声が上がる。敵の増援もあり得るが、味方の増援もあり得るのだ。作戦予定を組んでなければ大体にして無いが、あったんだからあるのだ。

 アスリルリシェリ号は逃走を止めて反転。それに合わせて増援艦隊も機動して、東路艦隊を挟み撃ちにする形に持っていく。信号旗等の合図も無しで行われているのは……ギーリスの子達が出来る連携行動か何か?

 水竜ヒュルムの八つ当たり号だけが船の法則か何かを無視するように動き、包囲を崩そうとする東路艦隊の動きを、衝角攻撃を繰り返して牽制を始める。

 セリンとファスラの首狩り合戦も手伝ってか、東路艦隊の一部艦船の動きが明らかにおかしい、麻痺しているところが随所見られる

 既に生き残っている船はアスリルリシェリ号、ファルマンの魔王号、水竜ヒュルムの八つ当たり号だけだ。それぞれの旗艦には他の船より上等な船員に海兵隊がいるという事情こそあるが、何、二十八隻が三隻になっただけで、その三隻何れもが他より優れているのだ。戦力の九割の損失もなっていない、余裕だ。その上で増援が来ているんだから負けたら間抜けだ。

 アスリルリシェリ号と増援艦隊が包囲機動を取り、水竜ヒュルムの八つ当たり号敵艦隊の隊列を分断する行動が合わさり、敵艦隊の分断とその片割れの包囲という連携が成った。増援艦隊には間違いなく”姉さん”がいるだろう……しかし相変わらずファルマンの魔王号は見えないなぁ。時々発生する変なところからの砲撃は見えるが。

 増援艦隊が放つ榴弾は着実に敵艦隊の隻数を砕いて減らして燃やす。

 敵の司令官は分断されて包囲されている船を見捨てる判断を下したらしく、無事な片割れを率いて逃走を開始した。その隊列は綺麗なもので、これを追撃したら逆襲して撃破してやるという気迫が陸者の自分にも見えた。あのケツは固そうだ。

 セリンが戻ってきた。髪の触手に含んだ海水と血が甲板に流れる。何だと思ったら、中から大量の偉そうなおっさんの生首が十、二十と現れて、髪の触手に持ち上げられる。流石に怖いものを見た感じはある。

「旦那さ」

「おう」

「本気の本気で戦力一割残ってれば、百人中九十人ぶっ殺されても十人いればまだ勝機あるって思ってるの?」

「今回は勝った。セレード戦役の時は大戦果出して引き分けだ。要するに、生きてりゃその内勝つ」

「はーん、ははぁ、あーん、そう」

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