第101話「中原再進出」 フンエ

 雪に寒波に足止めを受けている。トンフォ山脈越えは春を待たないといけなくなってしまっている。凍てつく北の暴風を受けながら上れる程、あの山脈は良い場所ではない。

 冬越えのために旧ベイラン同盟諸都市へ我々ビジャン藩鎮軍が分泊している。

 都市生活というのは、野宿続きだとそのありがたみが分かる。城壁で風が防げるので寒さが、辛さが違う。外でも一箇所に固まった、家々から漏れる暖房と人の群れの熱気の強さが実感できる。何より屋根と壁に暖房設備まである家だ。寝て、そして凍死しないで起きられるという安心感は良い。

 都市部の良さはまだある。服と靴の調達が超簡単で、自分で作らなくても商店でかなり良い物が手に入る。露店で安く美味しいものが売っていて、羊とタマネギの饅頭に温めた酒の組み合わせが最近のお気に入り。本来なら冬季に加えて寒波、そして外国人ということで安く手に入るわけは無いのだが、そこは軍事的な影響力が働く。

 小雪が降る中、軍の石炭配給の列に並んでから、小隊が泊まっている徴用した民家に戻り、暖炉に石炭を入れて室温が保てるようにする。

 酔っ払って寝ながらも、何となく寒そうにしている仲間の遊牧兵の布団をかけ直す。

 元の住人は親戚の家に移ったとは聞いている。子供が好きそうな人形が部屋に飾られているのを、柱に刻まれた子供の背丈ほどの傷の列を見ては、どうにも。ベイランならともかく、その同盟都市だ。どうにも胸がもやもやする。日は沈んでいないし、ちょっと外を歩くか。

 我等がビジャン藩鎮軍が、正に我が物顔で道の真ん中を歩いている。住民や商人に対する態度も上からで、性格によっては威圧的。憲兵が容赦無く、治安を乱した不良兵士を公開で処刑した後ではあるが、それでもだ。

 昼間から酒を飲んで、雪の溜まった道の脇で寝てしまっている馬鹿な兵士を引き摺って憲兵に引き渡す。憲兵も何だか面倒臭いようで、冬でも凍らぬ井戸水を汲んで来て、その兵士の耳の穴ちょろっと流すとびっくりして起きた。水の残りは飲ませていた。

 遊びながら通りがかった子供達がこっちを見て、黙って止って、どう反応したものかと少し考えていたら逃げた。その時たぶん「ごめんなさい」とか言っていたような気がする。言葉は分からない。

 散歩するだけでも気が休まらない。徴用した家の前に戻って、積もっている雪を集めて玉を作る。故郷でここまで雪が降った事は何回あったかな? 大小の順番で玉を乗せる。溜息が出る。

 冬越えの最中は体を休め、凍え死なないのが仕事だ。でも今は何かしていないと落ち着かない。もう一度外を歩いて回る。

 晩飯は家で食べるか店で食べるかどうしよう、とまた街中を歩き回っていたら、公安号を発見。何をしている? 節度使様がいらっしゃる都市は別の所だったはずだが、さて? 伝令の用件か?

 公安号の後をつける。気にするなという方が無理があるだろうこれは。気付かれて追い払われたらそれで退散しよう。犬の鼻ならたぶん、もう気付いているようなものだ。追い払うなら追い払え。

 公安号は人気の無い裏路地を縫うように角を何度も曲がって進む。巨体に似合わず、相応か、優雅そうなのに素早い公安号に追いつくのはキツい。汗が出る。汗が凍ったら嫌だなぁ。

 次の角で公安号を見失う。北なので夜は遅いが、結構時間が経っているか?

 次の角、分かれ道は三つ。どれか見当もつかないが、一つ曲がって終りにしよう。

 次の角を曲がると赤い霧? が見えて、その中に入るあの長くて美しい三つ編みの髪は節度使様? 公安号は? いやそれにしても何故あの方がそんなコソコソと隠れて行動する道理があるのか。何かをなさるのならば自分が何であろうとお助けしたい。

 赤い霧に入る。入ってしまった。入れるのか。入ると暑い? いや、春か秋か、良い時期の気候か。周囲は……ん? 緑が混じった紅葉の山? 何だ? ここはどこだ? 異様な方術にかかった?

「おんやぁ? 可愛い子ネズミちゃんやのう……」

 誰……?

 良く分からないが、疲れているのかボーっとしてしまった。

 寒いと気付かない内に体力を消耗してしまうものだ。今日はあまり出歩かないで寝てよう。

 もう外が暗いな。変なところにまで来てしまった。こんな裏路地、住民に殺されてもおかしくないぞ。


■■■


 変化に乏しい冬篭りも終り、春前になって寒さが緩くなったところでトンフォ山脈越えに挑む。緩いと言ってもまだまだ寒いが、北の暴風は既に止んでいるので油断しなければ大丈夫だ。

 多少無理をして冬山を行くのは、春の雪解けで雪崩や土砂崩れに巻き込まれぬためである。土が凍って足場がしっかりしている内に進むのだ。

 旧ベイラン同盟諸都市から”支援”された冬季装備や食糧に燃料は大いに助けとなっている。後続の友軍にも大いに”支援”される予定。

 雪がまだ覆っている山道を進む。徒歩ではなくて馬だ。我が小隊は今では皆、馬に乗る斥候小隊である。こうなると部隊単位としても上位のものと認定され、扱いが違う。盾代わりの消耗品同様な徴集兵と、真っ当な正規兵ぐらいに違う。馬を用意したクトゥルナムとその遊牧民仲間、そして上層部にこの存在を認めさせたパウライ小隊長のおかげだ。給料も配給も質が良く、何より馬に乗っても怒られないのが良い。

 その辺の雑兵が馬に乗っていたら生意気、どこから盗んできた? などと憲兵に引き摺り下ろされるものだ。隊列が乱れるという問題から、定数外でしかも金も無いような雑兵の馬に飼料なんか与えられる余裕が無く、皆がやり出したら収拾がつかないという秩序的な理由もある。

 馬で進む。徒歩の雑兵の槍兵に銃兵達を高いところから見下ろすように、小隊仲間と一緒に馬に揺られて、寒くならないように密集しつつ悠然と進む。しかしこんなに楽とは! 馬が温かいので寒さも和らぐ。人間のように精神的にも不快な臭さも無い。今まで徒歩だったのが恐ろしく間抜けだ。

 馬は良い。良いというか、生活に必要な存在だ。遊牧民が”地べたを這い回っている”農民を頭の悪いノロマと見下すのも分かる。

 まるで遊牧民のようになるには遠いが、蹄鉄は一人で交換出来るようになったし、騎乗戦闘は無理だが、荒地を走る程度なら問題無くなった。遊牧民の合成弓だが、彼らの引きの強さに合わせていたら引けないので、弦の張りを並程度にして使ってみたがまるで獲物には当たらないし、まずもって弓を構えながら走れない。弓がダメなら拳銃はどうだとやってみたが、更に当てられる気がしない。両手で使う小銃も下手糞だ。騎射はまだまだ無理。こちらの乗馬の下手さが馬にも伝わり、振り落とさないようにと馬が気を使って慎重に揺れないようにしてくれるぐらいなのだ。自分は体重移動が下手で、それで落ちないようにしがみついてしまうので馬も転ばないようにしているというのもある。天気の悪さと任務さえ無ければ練習したいが。

 このトンフォ山脈を越えて中原へ行くのは判明しているが、具体的な行き先はまだ不明だ。北方での遊牧蛮族に対する警備任務ではないかという噂が立っているが、歩き疲れによる希望的観測だろう。ウラマトイ界隈で行軍が終わるようならば、終りの無いような歩きの苦しみからは解放される気分だ。

 勘ではあるが、我々は激戦区に派遣される事に間違いないだろうとは感じる。確かな実戦経験と得難い勝利経験を持つ軍を遊ばせておく余裕が官軍にあるだろうか? 下っ端にはそこまで分からないが、楽勝の雰囲気でないようだからそうであろう。


■■■


 雨が降る。トンフォ山脈の寒さが過ぎ、ウラマトイの薄ら寒さが終わって、気持ちの悪い湿った空気に突入し、春の冷たい雨を中原で浴びる。

 この前と同じく、ユービェン関の門から垂れる猛烈な雨垂れを背中の浴びて通過する。ここを抜けるのも三回目だ。門の上に掛けられた大看板に書かれた”ユービェン関”の名が、どうにも憎たらしく感じる。

 春の雪解けと長い雨、泥沼に足を取られて気分が萎えて来た頃になって目的地はヤンルーと判明した。到着は遅れるのか、遅れるのが予定通りか、長めに時間を取っているのか、太鼓で急げや急げと急かされて進む事も無い。

 東方の海岸沿いに、買収された海軍と協同で大攻勢に出るというのが噂にあって、立ち聞きで士官級以上でその事について話し合われている事実がある。行く先が違うのではないかと思ってしまうが、ヤンルー付近に配置された軍がその東方沿岸へ移され、その代わりに北から遅れてやってきた我々が配置されるという段取りらしい。

 中原に入ってからは食事と燃料に替えの服と靴に苦労した覚えが無い。行く先々で必要な物が全て揃っている。一年前にはもっともっと苦労した――馬の有る無しを除いても――覚えがある。戦時体制への移行がようやく完了したか?


■■■


 ヤンルーのあるオウレン盆地、中原の中でも特に中心部であり、最も”華”があるとされる。そこを囲うようにある長城の北部関門の一つであり、大都市でもあるガリョン市に近づく。近づいたとは聞いたがまだまだ先だ。ただ、そのガリョン市が管理する湖水地帯を利用した要塞が見えてきた。この辺りは今はまだマシだが、夏になると恐ろしい程に蚊が湧くと聞く。

 お偉方が通るので道を開けろと指令。何だか面倒だなぁ、と道の脇に退く。道の脇は更に泥が深いし、足場が坂になっていたりして崩れやすく、しかも大きいくらいの石まで転がっているので馬の足を入れたくないのだ。

 ガリョン市はどうにも、中央政府から距離を置くような軍閥に属している貴族が影響力を多く持つところらしく、下っ端にはそれ以上は推測も難しいが、わざわざ節度使様が挨拶と軍の通行を直接お願いしに行かねばならないらしい。救援しに来てやったというのに、一体何の心算だろう? そもそも京に近い所にそんな、何時裏切るかもしれない軍閥がいるなんて事が信じられない気分だ。中原情勢は複雑怪奇か?

 節度使様や高級軍人が乗る立派な馬車に護衛がついて、目の前を車輪で泥を跳ねつつ通過していく。

 歳もあまり変わらないというのに節度使に抜擢されたサウ・ツェンリーという官僚は随分頑張るなぁ。凄いもんだ。

 どんな顔をしているんだ? 馬車の窓から見えないか? ……見えないな。まいいか。

 クトゥルナムが肘で突っついてきた。

「何だよ」

「あーん? 何でもねぇよ」

 やけにニヤニヤしてやがる。

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