第99話「ヤンルー攻略準備」 シラン

 今年の北部では十年に一度程度の寒波が到来、秋の気配無く冬に入るらしい。十年に一度という予測が外れなければ北部と言ってもトンフォ山脈以北の、地理的な意味での北部で寒波は止まるのが通例。政治的な意味での北部を包む寒波なら百年に一度か?

 秋の収獲に問題は無いはずだ。冬季中の燃料の用意を多めにしたほうが良いくらいか?

 南部はともかく北部は……喜んではいけないが、多少でも敵が弱るというのはありがたい話だ。陸上では天運がこちらに傾いている。

 状況が把握し辛い海上では天運と海軍の義心に頼る以外に今は無い。

 海軍は彼らなりに最善をつくしている。自分が介入する余地と言えば財政支援程度のものだが、そうそう底なしの懐を用意出来るものではない。艦隊はとにかく金が掛かる。

 メイツァオ等龍人を海軍の支援という形で派遣はしているが、彼らは強力であっても絶対的ではない。今は海上、特に南海に関しては”待ち”である。

 ならばどうにか出来る可能性がある陸上方面で手を下すべきで、そして南部より肝心要の北部、北朝本土をどうにかせねば根本は解決しない。

 だから京であり北朝に不法占拠――笑える――ヤンルーまでの道を開くために要衝バオン関を奪ろうと考える。京のヤンルーを奪還すれば北部の士気も財政も崩壊を始めるだろう。容易に退避させられぬだけの財宝があり、北部陸上交通の要衝にあり、政治を行う施設が集中している。北朝がヤンルーの代替機能を構築するまでの”政治的気絶”期間は確実に長くなる。そこで決着するかは不明だが、致命傷は与えられる。言うは易いが行うは難いところだ。

 難しい事のために大掛かりな準備が必要なので陣頭指揮を執りたいが、まだ執れない。新妻を妊娠させるという仕事があって、家の周辺からは出られない。脱走するような立場にもなく――子供のようにする気も無い――当主も足を引っ張ってくれる。

 エン家そして皇族の外戚としての権勢を振るうにしては新妻の立場は若干弱いというのにこの念の入れようだ。後の二世代、三世代ぐらい先を見ての行動なのだろう。王朝交代までならもう何世代か? とにかく迷惑だ。一年や二年くらい時を待って行動というのも考えた方が良いか?

 周囲の状況がゆっくりしろと言ってくる中、急ぐべき事がある。総把軍監が死んだせいでその役割を誰かが分担せねばならず、動揺を避けるためかその死は公表されていないので後任を就けるわけにもいかないという状態に今はある。ヤンルー攻略用の軍を仕立てるために、その役割分担をする者達の中に入り込む必要があるのだ。

 日頃から小まめに各所へ売っておいた恩を買い戻す時期が来た。心当たりに手紙を送り、バオン関を攻撃する位置にある軍の権利を入手もしくは新設しよう。将軍人事に介入するならばやはり、皇太后のババアの影響力を行使するのが一番良いか? 急ぎたいが何にしても時間がかかりそうだ。


■■■


 将軍人事に介入して少し、今年の春税程、秋税の徴税がやや思わしくないという報告があった。

 晩秋に終えた秋獲り小麦と米の収獲量は例年に比べて減産傾向にはあるが、ほぼ平時と比べて誤差範囲内である。

 しかし穀物価格の値上げが庶民には辛い程で、戦災で畑が焼けたという地方もいくつか出てきている。そういった地方には食糧支援が行われるのだが、南北朝の軍事行動に阻害されて上手くいかないのだと言う。

 そういう事情があって、徴税の拒否という動きが出ているのだ。農民が自主的に動いている場合もあれば、軍閥が組織的に行っている場合もある。南北双方から税を徴収されそうになって、進退窮まって暴動が発生している場所も出てきた。

 当然このような事にはなると思っていたが悪い傾向である。年内の春から秋にかけた程度で悪化が目につくのだから、二年三年と続くと悲惨であろう。

 冬到来までわずかである。初春か晩冬には動き出せるように準備を整えなくてはいけないと感じる。

 徴税の拒否と暴動、財源不足により重税、更に暴動となれば南北対立どころの話ではなくなる。天政のためには速戦即決でなければいけない。

 現地の将軍にはかなり嫌がられるだろうが、特務巡撫として攻撃開始位置へ強引に赴任して、別のところから軍を集める方法を取るしかない。当たり障り無く人事介入等やっている場合ではない。

 次に軍を編制したいが、どのようにするかも手駒の私兵を除けば一から作らねばならない。各所に配置されている将軍の指揮権に強引に介入して兵を分捕る権限は無いのだ。

 南で使えた兵を北に持っていけるかと言えば相当に厳しい。天政ではなく己の故郷を想って動く者が多かったし、南部の広大複雑な水系を熟知しているからこその精兵であって、北部の平坦な土地に持って行けば強いかと言われれば疑問でもある。戦い方や物の運び方に対する考えは全然違う。北部向きの兵を集めなければいけないのだが、そのような兵隊がいるとすればエン家、西王が大きく支配する西部から集める必要があるだろう。南部人は騎馬が下手であり馬も悪い。西部人は高原出身が多くて、馬も良くて巧みである。北部の戦いに馬は必須だ。

 新妻の縁類を頼っての募兵が手っ取り早いが、はてさて、対価に首輪をつけられてしまっては今後に差し支える。相手にそのように錯覚させるのも一つの手だが、下手な恨みもまた首輪の一つだ。

 バオン関はまだ今の南部がまだ蛮地であった頃に作られたもので、最小の兵力で絶対に抜かれないように、そして何時でも南方への攻撃進路として使えるような、南部が狭くて北に余裕がある峡谷が選ばれて作られた。最新情報でも以前からの報告程度、本格侵攻をしても厳しい程の厳戒体制である事に変らないそうだ。

 南側から攻め上がるには絶対不利、最も強固と呼ばれる場所である。恐ろしい程の――南側が一方的にやられて――消耗戦でも繰り広げない限り攻略は不可能である。

 そこが最強であるというのは双方の共通認識である。であるからこそ、最強を破ったという事実が欲しい。進行路が一つ開ける等という単純な意味合いではない。北進はやれば出来ると、フォル江を挟んで膠着状態にあって、半ば寝ている全軍の目を覚まさなければならない。海からの侵略、脅威に対処するにはまず陸の問題を処理せねばならない。

 それと変り種だが、バオン関には攻撃用収束大鏡がある。日光を集めて反射し、収束して一点に投射して焼く機械だ。非常に高熱であり、逃げないで止っていれば焼ける。逃げれば焼かれないが、隊列は確実に崩れるという優れものであるという伝説。焼かない程度に焦点を絞り、相手の視力を狙って攻撃する事も可能という伝説なのだから晴天時には攻撃し辛い、可能性が高い。やや胡散臭い。

 攻撃用収束大鏡は大昔の遺物で、現在の技術では再現が恐ろしく難しいとは聞く。良く光を反射する鏡が今の技術では作れないかららしいが。

 半信半疑での試用結果として、伝説通りに間違いなく効果があると何年か前に噂にはなっていたが……それらの確認も含め、隠密には防御設備の破壊準備を命じる。

 攻撃に際して陽動作戦は必須である。万全の余裕があって、最良の状態で警戒をされた、最強の拠点を攻め切る事が出来るわけがない。理論上ではそうである。

 何事も理論では決められないとは言うが、それは計算するべき何かを見落としているせいである。その何か、全てを見通すのはまず常人に、龍人にも、何者にも不可能であろう。ならば見えるところだけでもどうにかして、理詰め出来るところはするべきだ。

 見えるところ、ある程度自分の意で使える材料は自分が海軍との良い繋がりを得たという事実である。東部方面の軍を中心に、まるで海軍と共同して仕掛けるような動きを見せるのが良いだろう。敵は勘違いし易いだろうし、味方もそうなる可能性がある。

 隠密を使ってそのように噂を流させよう。今までは薄っすらとそのような噂は流させてきたが、今度もう少し具体的な内容にして煽ろう。そうして敵の兵力や物資を東に寄せて、西側にあるバオン関の周囲の余裕を減らす。そうして一度動かしたならば、再度元に戻すというのは大仕事だ。大仕事が終わる前に決着しなくてはいけない。

 さて、大枠の作戦は決まった。

 肝心のバオン関攻撃の軍が手元に無い。

 この陽動作戦に協力する約束を取り付けた将軍もいない。

 誤った情報を広めて、正確な情報を知るべき者だけに報せてもいない。

 そして皇太后のババアがしそうな――本人は恐らくそうは思っていない――妨害行動を事前に牽制する事もしていない。

 自分で作った仕事であるが、まさにすべき事が山積。新妻の相手などしている暇は無い。どこか親戚の若い男でも連れて来るか? いや、流石にそれは義に悖る等という話どころではない。生物として間違っている。それにエン家の者との交流も増えてしまっているし、噂でも立って皇太后のババアの耳に入れば、必ず面白い事にならない。

「ぬぅ……」

 唸ってしまう……ハっと、周囲を確認。今日はいなかった。


■■■


 募兵をした。何も差し出さずに得るのは難い。一先ずは天政の統一が何よりであり、その他の問題は統一後の強大な力によって始末すべきである。

 エン家から恩を着せられるのも甘んじて西部から兵を集める。南部からも、稼ぎ先を失った傭兵を集める。

 ルオ家縁類から、エン家にあまり恩を売るな、と釘を刺してきたので、じゃあお前等から出せと逆手に取って出させた。我がルオ家は中央寄りだが、やや西部に影響が強い。エン家より強い兵を集めてくれれば良いと言ったら、エン家勢力が身近なだけに――意外と馬鹿が多かった――かなりの兵を出した。

 総勢で十五万の兵が集まったが、人数に見合った武器が足りずに大分貯蓄を放出する事になった。その武器の中にフォル江にて警戒配備をしている軍から流れてきたものもあったのが我慢し難いが、何とか飲み込む。革命当初から腐敗してどうするのだ馬鹿共め。

 軍の名は西勇軍と決まり、その将軍職には自らが就く。ルオとエンが混じっているのでぼやっとした名前になるのは仕方が無い。

 西勇軍には最も効率的な力押しを行う編成をする。そして訓練をさせる。兵士の消耗を恐れず、最高の後方支援体勢で次々と休まずに軍を矢継ぎ接ぎに繰り出す体制を作るのだ。

 真に全力発揮する組織というのは難しい。それを実現するため、奇怪な形の車輪が回るが如き部隊運動を行う訓練を重ねた。第一波を送り出し、一波が損耗したら下げて第二波を間断無く送り出し、三、四、五と送り続け、その間に下げた一波を、予備部隊を加えたり第二波と混成したり等して再編成し、また送り出す事を繰り返す。歩兵騎兵だけではなく、砲兵工兵に補給部隊も絡み合うのだから容易ではない。鉄を赤く熱し続けるために、絶えずふいごで新鮮な空気を送り込むが如く、絶えず新鮮な兵力を吹き込み続けてバオン関の要塞を落す。

 奇策を弄して難攻不落の要塞を陥落させる名将というのは歴史上いるが、それ以外にどれほどの奇策を失敗した者がいて、正攻法で成功した者がいたか数え切れない。そして今はバオン関を突破することよりも、正面から殴りつければ北朝は膝を折るという実績を見せ付ける時だ。戦術的に愚かな攻撃かもしれないが、戦略的には大変意義がある。

 これで粉砕するのバオン関ではない、北朝の戦意と南朝の怠惰だ。いくらでも兵力を注ぎ込んで正面から最強の要塞を砕く。この戦いで発生する一時的被害など、長引く戦乱で起こりうる様々な災禍に比べれば些細なものだ。冬の内に彼らをそのように仕立て上げる。死んでも戦う兵士にせねばならない。競って俺こそ命知らずであると公言して飛び込む馬鹿にせねばならない。

 その点。ルオ家とエン家の武人的な張り合いは大いに利用できる。せいぜい、気張って死ぬが良い。

 陽動作戦を察知されぬように周知するのは面倒な事だ。作戦開始当日に開封されるように手配された手紙と、その手紙を将軍達が確実に読んで、実行するように根回ししなくてはいけない。そしてその雰囲気を北朝の密偵に悟られてはいけないのが難しいところだ。皇太后のババアの影響力があれば、と思ってしまう。

 海軍との協力関係を匂わせるために、東海艦隊への現物での物資支援を今まで以上に目立つように行う。陽動に値するそれなりの量を支度するのには骨が折れる。現在、軍税を搾れる土地がほぼ無い。

 金策に、いくつか脇が甘くて縁も弱い貴族の罪を抉りだし、誇張し、でっち上げてから我が私兵でもって特務巡撫の権限で財産の没収をしていくしかない。前々から準備はしていたので難しくはない。流石にこれは最終手段と思ってやりたくなかったが、背に腹は変えられぬ。

 皇太后のババアの横槍が入らぬように牽制するにはどうしたら良いか? 新妻の膨れた腹でも見せて、老女の心情にでも訴え、自由にやらせて頂きたいと頼んで、頷かせる事だろう。

 問題は新妻の方である。赤子は天の授かりものというのが昔からの常識。欲しいと思って出来るわけではなく、欲しくなくても出来るという。

 窮した夫婦が縋るような怪しげな呪術師に頼るのは分の悪い賭けであろう。意外と効果のある療法である場合もあるらしいが……黒龍公主は……裏か表かというところか?

 新妻が艶やかな美女であるのが不幸中の幸いだ。何となくエン家出身と分かる顔からあの皇太后のババアを連想するのが憎たらしいが、流石にそれは彼女に関係無い。血縁なので無くは無いが、罪は無いだろう。


■■■


 天命あったか、妻が妊娠したと分かるまでになった。出産まで待つのは時勢的に悪いと判断する。

 情報では敗北こそしたがユンハル部とベイランが北朝を掻き乱したので、その乱れた状態から復帰していない今しかない。次の機会もあるかもしれないが、それは一体何時になるのか分からない。だから今しかない。

 当主の許可を取り、皇太后のババアに会いに行く。エン家に良い顔するのは今のところ推奨されている。

 皇族に会うには本来は事務手続きから儀式まで酷く面倒だが、家族として会いに行くという名目があれば容易だ。

 隠密には事前にババア周辺で、家族や親族は大切にするべきだ、という感情に訴えるような世間話を広めさせておいた。その手の、望まず皇族の側室になった悲劇の女の、それでも子供だけは幸福な存在だという古典演劇を観に行くようにも誘導して成功している。あなたもそのようなお話の中の主要人物の一人にしてあげよう。

 謁見等という面倒な手順なく、リャンワンの宝船禁城の後宮へ向かう。旧名は黒龍禁城であるから、何やら不吉だが。

 趣味と壮麗さは格別の庭園を進む。

 庭池用の船着場で小船にまでまず案内され、乗る。漕ぎ手は櫂ではなく、棒で水底を突いて小船を操る。

 石組みに見せよう植物の乗った池の縁を、小さな滝を過ぎる。奇岩の柱を回る。風切り羽を切られた白鳥が脇を過ぎる。亀の背に子亀が乗っている。

 その他、風流であろう光景が流れる。遠方より取り寄せた希少な動物も飼育しているとかで、巨大で壮麗な鳥が上を飛ぶ、否、跳んだだけか。変なものを飼っている。昔は可愛かったが育ち過ぎたか?

 奥への入り口である船着場につく。

 見たことのない種の毛長の猫が、何やら物欲しそうにそこで待っていた。お行儀がよろしいのか、近寄っては来るが身体を擦り付けて毛をつけるような真似はしない。漕ぎ手が「こいつはここでお菓子を良く貰っているんです」と言う。猫の腹に菓子が合うのか?

 次に案内人に連れて行かれたのは、庭園の中によくも作って風景と合わせたものだと思えてしまう馬場だ。南部人の趣味ではなさそうだが、早くも個人的に設えたか? 西部人は女の騎馬も良しとするが。

 しばし待つと、一汗流したとでも言わん雰囲気の皇太后が一目で名馬と分かる馬に乗ってやってきた。服は、遊牧民でもなければ履かないような股の分かれた物だ。髪は女性にあるまじき程に短い。

 お偉方は万事口先で全てを解決し、常日頃からくつろいで余裕でいる所を見せるという習慣でもあるのか? 貴人は政務をすることすら下品だとでも? いくら飾ったとて、その神輿の担ぎ手は何時だって百足と紙魚のような者達だ。どうしても醜悪だぞ。

 跪いて平伏する。身重の妻も跪いて、平伏する前に皇太后が「シャンシャン、無理な姿勢は取るでない」と平伏は止められた。

 皇太后は身軽に馬から降りる。奥で怠惰な生活をしてはいないと知れる軽やかな着地音。

「ルオ・シラン、面を上げよ。妻が上げているのに下げているものでない」

「はは」

 身を起こす。皇太后エン・キーネイ、一応はエン家始まって以来の”じゃじゃ馬”だ。身の締りも肌の色艶も、小さいながら曾孫がいるとは思わせない。老いた今でも良く食べ飲み、馬を駆っては騎射にて鳥獣を狩って来るらしい。嘘か真か、庭園の池にて水練すらするとか。

「そのお腹、触って良いか?」

「はい皇太后陛下」

 皇太后がゆっくりと妻の前で膝をつき、やや膨れた腹を両手で包んで、目を閉じて耳を当てて音を聞く。今この見てくれだけならあの間抜けな配置転換を命じた者には見えない。

 腹に耳を当てたまま、首を曲げたまま皇太后は目を開けてこちらを見る。その様相は老いても艶やかで美しい。八徳乾帝が寵愛したもの頷ける。その優れた理性のまま正室と側室の立場を変えられなかったのが何とも、正しいような恨めしいような。

「ルオ・シランよ」

「は」

「仕事ばかりが人生ではないと分かるか?」

「以前までは官吏の仕事に専念すべきとし、考えてきませんでした。今となってはどうやってこの子をこの乱世で、母無き不幸な子にせず生き残らせるかを考えております」

 など、それなりの事を言ってみたら、妻の方が「そのようにお考え頂いていたなんて、私、申し訳ありません、情の無い方などと思っておりました」と泣き出して、それにババアがつられた。気せずして妻に関しては”落して””上げて”しまった。

 年寄りの女は涙もろい。扱い易いようで、機嫌を損ねると理屈が通じないところが恐ろしいが……横槍はこれで阻止したはずだ。

「皇太后陛下、今この場で畏れ多い話ではありますが、ご助力をお願いしとうございます」

「その乱世をどうこうしようと言うのであろう。言うが良い」

「は、ありがとうございます。現在、戦局はフォル江を挟んでの睨み合いに終始して膠着状態、打開せねばこの争い終わる事はありませぬ。現在、東海艦隊群には私より支援物資を届けており、周知の事実にあります。東海提督は海軍の方針に乗っ取り南北の争いには介入致しませんが、そうではないという疑惑は敵味方にあります。それを利用し、東方から陸海協同で攻め上げると見せかけて陽動し、西方から攻める策を実行しとうございます。陽動作戦を成功させるにはこちらの意図の秘匿が重要課題となります。つきましては、時期となったならば皇太后陛下より直接、フォル江沿岸に配置されている各将軍へ命令文書を、指定された時刻に開封するようにして頂きたいのです。確実に各将軍がその指示に従い、命令文書を読んで、実行するとなれば皇太后陛下のご威光は必須であります。お願い出来ないでしょうか?」

 皇太后が身を起こす。立ち振る舞い、動作の機微ならば馬鹿には見えないのだが。

「流石はルオ・シラン、そこらの凡骨とはわけが違う。任せるが良い、造作も無いこと。後で連絡官を送るゆえ、それで事の次第を伝えよ」

「ありがたき幸せ」

 平伏する。

「それにしてもこれは何かな? 男の子か、女の子か?」

 女二人が何やら子供の話で盛り上がり始める。顔を上げる。

 これ以上は望めまい。


■■■


 皇太后との折衝の結果は快調に思えたが、家に戻って当主にお伺いを立てたら、陣頭指揮を執る許可は取れなかった。まだ出産していないし、男かどうかも不明であるのが理由。反論しようにも、隠密達の中でも特にヒンユがいるから指揮に関しては問題無いだろうとの事。反論出来ぬ程のヒンユの有能さ、方術を使った足の早さを恨めしく思ったのは始めてだ。その上で、「今のお前が戦場で死んだらどうするのだ?」と言われてしまってはもう、反論も思いつかなかった。

 代わりにタウ家以外の、他の隠密や武芸に長けた我がルオ家傘下の者達を使えるように権限を寄越すように訴える。勿論全てだ。

 ルオ家内でも色々あるであろうと察せる程度に鼻から溜息を吹いた当主は「後で返事をする」と言って、後で”使える名簿”を寄越した。

 代わりの西勇軍の将軍を捜さないといけないな。


■■■


 代わりの将軍を、参将としてエン家から招く事になり、我がルオ家からの反発は、自分が変わらず将軍の地位にあるということで解決。招いたのはエン家の中でも老練な者であったので、悪くないと思う。

「若様」

「ヒンユか。他の者との連携はどうだ?」

 今日のヒンユはある種素顔だ。醜悪で見せられぬ故、との理由で覆面を被っている。

「当主が厳選して下さったので良好です。特にユェイ家、ハン家とはやり方が同じなので問題ありません。これにもしサーマー家が混じっていたら、下手をすれば殺し合いです」

 覆面越しながら、いつも無表情に徹するヒンユの顔が苦笑いの形に歪んだのを感じた。

 しかし我が家内部の事情に無知だった事が分かり、顔が熱くなってしまった。一体この天政下ではどこまで内紛をしているんだ?

「バオン関の工作は?」

「は。防御施設の破壊はいつでも実行可能な状態にあります」

 攻撃直前に破壊するのが良いから、まだ破壊は待機状態だ。

「また、赤痢の糞を井戸に少しずつ混ぜております。発症者は少しずつ増えております」

 酷い話だ。本当に酷い。

「それからバオン関の補給将校の人事に関しまして、汚職に平気な貴族の派閥を人事で有利に出来ました。清廉な者達は実戦部隊に配属されます」

「良く出来たな」

「清廉な者達ですので、名誉は前線にあると煽ったまでです」

 次にヒンユが何か言うか少し待ち、沈黙。

「ご苦労」

「では」

 ヒンユが去る。当主の影響下から抜けるのは不可能か?


■■■


 家の中から伝令、隠密伝いの情報だけで仕事をするのも辛くなってきたように思える。

 企てが軌道に乗ったとはいえ、依然として資金繰りが厳しい。どのように金を掘り出すか常に悩ましい。その一つ事に専念出来るのであれば苦労は少ないが、当主が官僚組織にルオ家の者を捻じ込むよう圧力をかけろ、という。自分で工夫してやれ、とは言えない。

 皇太后の影響有って、我が南朝はまるで東方から海軍と協同して攻撃するかのような動きを見せている。その今の攻撃的な状況を利用して軍政院に人を送り込む。兵站部門ではいくら人がいても足りない状況なので丁度良かったと言えば良かった。後はそれにかこつけて、水利土木部門にも人を入れる。こちらは兵站部門と繋がりが濃いのでそのように出来た。

 司法院と幽地院には必ず入れるようにしつこく当主は言っていたが、エン家が占めていて入り込む余地が無かった。直接ではなく、関連部署に入れるのが精一杯だ。文書を運ぶ馬車の車輪を作っている御用業者だとか、祭祀を行う場所の清掃人だとかだ。

 再来年の――かなり不確定な――官僚の人事予定表の写しを再確認してまだ捻じ込めるところはないかと考えていれば。

「ランランも遂にお父ちゃんになるんやねぇ。あらぁ妾、もうお婆ちゃんやの?」

 その数え切れぬ歳で何を言うか。

「ご用件を」

 また突如、前触れなくあの声が聞え、聞き取ってから初めてその存在が思ってもみない程に至近距離に確認が出来て、その段階になって慣れ親しんだ匂いも嗅ぎ取れる。

 真横に座っていたのだ。黒龍公主の髪が既に肩に乗って、その右手が自分の左手の甲に乗っている。ここで手の感触も存在を認識して、触覚が伝わる。悲鳴を上げぬのは慣れのせいかと思ってしまう。

「堅物ぶって、やることきちんとやっとるやないの。何月経った? 初夜に出来たんやないのって思うぐらいやわ。あら、もしかして仕込んでから送ってきた?」

「問題ありません。ご用件を」

「あらぁ、怒らせちゃった? 大丈夫やて、ランランの足腰見れば牛並みだって分かるわ。ほわぁ、いやーん、壊れちゃうー」

 黒龍公主が何やら気持ちが悪い動作で、風にそよぐ草? そんな可愛いものではないが、ともかく身体を揺らす。殴りたい。

 黒龍公主が止まる。それからしばらく不気味に微笑む。張り手を顔に入れたら良さそうだ。

「サウ・ツェンリーと顔合わせられるよう一席設けたわ。時期になったら教えよかの」

 匂わす話は聞いていたが、承諾無しにもう作ったとは何事か。うん、ただこれはありがたい。正直、一度会ってみたかった。色々ある迷いを断ち切ってくれそうだが……はい、と言わせるのが政治とは黒龍公主の言葉。危ういか?

「分かりました」

「手土産は考えておくように。女の子に会うんじゃからの」

「はい」

 手土産か。ダガンドゥ市で何やら盆栽をやっていたらしいが……あいつが盆栽? 悪い冗談だ。

「何かの? リュウトウ真珠の首飾りがお勧めじゃ」

「他にご用件は?」

「ランラン、分かっとるか? リュウトウ真珠の首飾りじゃ」

 あんたの欲しい物だろ? 知るか。

「出かける用事こそありませんが忙しいので……」

「まあまあ、待ってちょうだいよ。家の子に相応しい人間をの、連れて来て欲しいんじゃ。多目に欲しいのう」

 才能ある者を霊山に連れて行くというのは昔からの話である。多目に欲しいとは珍しい……違う? ルオ家ではない、自分自身にやれと言っている? まさか、家との縁を切る準備でもしているのか?

「当主に掛け合うのが筋かと」

「分かっとるくせに良う言うのぅ。妾から”ランランおめでとお父ちゃん祝い”をくれてやると言うとるのに」

「筋に、ありません」

「んん、ええんかの? ランランが得するだけやのに?」

「はい」

「そかそうか、そうかのう。じゃあまたのランラン」

 頬に温かい湿った感触がして、黒龍公主の気配が消える。袖で頬を拭う。口を付けていきやがった。

 全てこちらに仕事を放り投げてくるわけではないのがある種救いだが、”余計”な仕事を寄越してくるのには変わらない。龍人を良く使っているので”余計”は言い過ぎであろうが……どうだ? 分からなくなってきた。

 我がルオ家、黒龍公主双方の企みに介入、調整して、潰すか有名無実化するか良き方へ流すか何か、とにかく何か手を打たなければならない。

 手を打つ? また仕事が増えるのか? あのサウ・ツェンリーは寝なくても平気だと聞いたが、本当か?

 誰か役を代わってくれないか……馬鹿な、馬鹿な事を考えている。

 頭が痛い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る