第98話「ベイラン虐殺」 フンエ

 ウラマトイで小休止の後、トンフォ山脈越えにかかる。我々の後背を突かんとしたユンハル部に次ぎ、ベイランを討つ。

 先のユンハル部との戦いで損耗した部隊の再編成が小休止期間中に、即席で行われた。ハイロウ出発時からの上官である小隊長パウライの部下という立場は変わらず、自分の誘いで加わったクトゥルナムとその騎兵仲間も含め、新設された先行旅団の配下の偵察小隊に配属される事になった。そして階級が下校尉であるパウライ小隊長の補佐役ということで、参隊の役職を得た。正規の下士官教育を受けていないので扱いが別格になる准尉の階級は得られなかったが、下補という雑兵よりは高い階級を下校尉権限で貰った。給料が上がったらしい。

 先行旅団司令部所属第五偵察小隊参隊ショウ・フンエ下補という身分証明書も貰った。配給を受け取りに行けば扱いが違う。面白い。

 それにしてもただ単に旅団は先行旅団という名である。長の名も管理番号も無く素っ気無い。消耗する事が前提であろうと噂され、特に否定をする上層部の見解も漏れ出てこず、聞えない。

 自分は小隊では書記などして、クトゥルナムやその仲間の遊牧騎兵が持ち帰った情報を文書にして旅団司令部に提出するという役目を負う。文盲の人間というのは気にしてみれば非常に多く、パウライ小隊長からは有り難がられた――彼は文盲ではないが、標準語である天政官語の文が書けない――そして遂に鎧兜や矛槍からは解放され、代わりに刀を腰に佩けるようになった。最初の内は何だかただの雑兵から頭一つ抜けて嬉しかったが、刀は自己管理なので普段邪魔だし、強行軍で歩くのには変わらないので気分転換が出来たか? という程度だ。


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 上り坂の強行軍は辛い。山登りは万全の状態で挑んでも辛いものだ。

 足が痛い、擦れて剥けて剥がれて痛い、痺れる、変な音が鳴ってる。

 こちらの訪れの早い冬場は乾燥していて、雪も少なく、地面がしっかりしていると誰かが言っていたが、何の慰めにもならない。

 脱落する兵が目に見えて増えている。蹴飛ばした程度では無反応で、引っ張り起こされても脱力状態なのはまだ良い方。顔を赤くして泡を吹いて白目を向いて、胸を掻き毟って死んだ者も見られる。「足が痛い!」と泣いて座り込む者もいるし、それを見て情けないとは既に思えない。

 行列からはみ出して、斜め前に進んで行ったと思ったら躓いて転んで、そのまま起き上がれなくなった者が出てくる。ウラマトイの兵が処分してくれていたら助かるが、あの人食い虎がまだいれば彼らは餌になるだろう。倒れた者を守ってやれる余裕は誰にも無い。皆、自分の足を動かす事で精一杯なのだ。

 伝令が走っている。その伝令が転んだ。一向に起き上がらないので――自分はそれでも余力がまだあった――様子を見に行くと、倒れたまま寝てしまっていた。

 自分も歩きながら寝てしまって、道からどんどん外れて段差で転んで、悲鳴を上げて起きれた。起きれただけマシだ。

 大荷物を運ぶ牛や馬、ロバに騾馬にラクダの中でも脱落する動物が出てくる。思わずあれが食えないかと考える。


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 下り坂の強行軍も辛い。山下り時の足への負担が酷い。正直もげそう。これで足が取られる程に積雪していたら、たぶん全滅している。

 遂にベチルの靴も壊れた。修理する時間も取れず、気力も無い靴の応急処置に布を巻くが合わない。足の皮が剥がれてくる。裸足の奴よりゃ良いが、酷い。

 長い、長い。遠い、遠い。寒い、寒いというか痛い、死ぬ。

 強行軍で頭が馬鹿になっているので気にしないと気付かないが、月日は早くて冬本番。まだ中原は初秋だというのだから何だか信じ難い。世界は一体幾つあるんだと思えてくる。

 凍死者が出てきている。朝起きたら冷たくなっていたというのは冬の前からの話だが、とにかく寒い。防寒具の配給はしっかりしていたが、強行軍で削られた体力が劣ってしまう。湿気が無い分だろうか、防寒具さえきちんと着ていればそこまで辛くないが、いやしかし、寒い事は寒い。鼻や指が腐ったという話が聞えてくる。

 ハっとして自分の指を見る、手はいい、足は? 靴は壊れたままだが、何時の間にか分厚い毛皮の靴下? 靴袋かな? を履いていた。触って動かして確認したが指に問題無かった。頭を酷使した心算は無いが、頭が呆けてきていると確信出来る。


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 下り坂が終わって平坦な地形に変わってもやっぱり辛い。水の補給が乏しくなってきて気が狂いそうだ。水源の多くは凍り付いていて、燃料を使って溶かさないと飲めないのだ。大量に石炭を運んでいるので冬の乾燥地帯としてはそこそこ燃料に苦労はしていないのだが、でもやはり制限があるので辛い。雪を食って倒れて死ぬ者も出る。体力が落ちている時に冷えた物を食うなど自殺行為なのに。

 酷い有様に狂って暴れて処置される奴も出てきている。馬の湯気立つ小便に人が殺到する光景なんて、初めて見た気がするが……前にもあったか?

 遂に、遂にベイランとその同盟の領内に入る。ここからは略奪をするに遠慮する必要が無くなったが、もとよりオアシス都市国家が発展するような土地であり、道すがら奪う物も少ない。先ほど通りがかった小さな綿花畑からなんて、何を奪うんだ? 戦争等知らないように、砂に埋まらないよう用水路の整備をしている家族など、何をしろと言う?

 クトゥルナム等の遊牧騎兵の斥候達は逸早く情報に触れる存在である。であるから、他の兵士達が知る前に色々と重要な情報を知る事が出来た。

 最初の大きな情報は、ベイランに組したと言われる遊牧蛮族だが、ゲチク将軍のジャーヴァル軍が直接交渉して和平してしまった。アッジャール朝崩壊後に有力視されていたユンハル部を下した影響はかなり大きい様子。

 次の大きな情報は、賊軍討伐の第三陣としてビジャン藩鎮を出発したバフル・ラサド将軍の宇宙太平軍が協力に応じたカチャ軍も加え、遊牧蛮族の援軍を受けられずに浮き足立ったベイラン軍を敗走させたとのこと。

 そうした後にやっとの事で、腹の立つ思い出と疲労が混じって殺意に合成されて、目的地に到着する時になって入った大きな情報は、ベイランとその同盟諸都市からの降伏申し入れがあった事だ。この苦しい強行軍は何のためと思ってしまうが、こうして我々が到着したからこその降伏なのだ。

 やっとの事でベイラン市に到着し、この強行軍も終りかと思って安堵して、それから全軍の整列が命じられた時に、皆から見えるようにベイランからの降伏を申し入れに来た使者の、その首がベイランの旗が風に靡く竿先に突き刺さっている光景が見られた。その横に並ばされた他の都市の使者は、恐々としてはいるが身は無事の様子だ。そして降伏した――はず――ベイランの城壁の周囲には大砲が発射準備を整えて並べられており、ベイランの門は閉じられている。降伏ならば開放されるはずだ。

 何事か?

 その何事を説明するために現れた、夢にまで見た節度使様のお姿を、ダガンドゥ以来久し振りに拝見する事が出来た。天命にて出会ったあの時より、更に美しく背が高くご立派になられておいでである。白馬に跨っていても一目瞭然。

 目に涙が溢れ、畏れ多く、そのお姿を拝見したいのに顔を上げる事が出来ない。お側にいるあの公安号と場所を代わりたい……いや、代わる事は無理だ。自分なら胸が一杯になって動く事も出来ないだろう。この、今の、視界に入っても確認されぬこの距離でなければきっと、ダメになってしまう。

「諸君、ビジャン藩鎮節度使サウ・ツェンリーである。私は先ほど、ベイランからの降伏申し入れを拒否した。その他、ベイランを盟主と仰いだ同盟諸都市に関してはその降伏を受け入れた。天政の危機に、人民の困窮の時に、諸君等が苦難で喘いでいる時に背後より突き刺そうとした卑劣漢を許す事は出来ない。只今よりベイランを滅ぼす。焼き尽くし、殺し尽くす。ベイラン人を助命しようとする者は死罪である。女子供であろうと死に掛けの老人であろうと、例え親類縁者であろうと、今日この日不運にもベイランに居た者は全て死ぬ。来年の書にはベイランという文字が記載されぬよう、抹殺する事にしよう。諸君等はこの度とても苦しんだ。理解している。それをここで晴らして貰いたい」

 節度使様のお言葉である。我々諸兵は飲み込むのである。

「全て奪って良し。では全軍かかれ」

 全て好き放題にして良いと、いやそうしろと節度使様が仰られた。見せしめである。後日、この有様はあの並んだ同盟諸都市の使者が伝えるだろう。

 整列を解散し、改めて市内突入のための部隊配置がされる。

 程無くして砲撃が開始された。

 我が隊の役目は……先行旅団として、先行突入する事にある。この中途半端な、損耗した部隊で編成した旅団は損耗されるためにあるのだ。いくら士気が崩壊しているであろうベイランが相手でも、被害の出る戦いはある。

 一方的に、準備された大砲の一斉の後の連続射撃により、干し煉瓦は砕け、中の土が散って、木の骨組が折れ、壁内通路が潰れ、ベイランの城壁は見た目とは裏腹に呆気無く崩壊。塔と門も、壁より容易く粉砕された。

 今度は身分も隠さず、砕けた門の破片を踏みつけてベイランに入城する。

 手には刀と松明、人を切って家を焼くためにある。他の兵士も、常の得物に加えて松明や荷物袋を持つ。下着を脱いでいるのはまだいない。

 まずは人影が少ない。命乞いのために姿を見せているか、逃げ遅れたかの民間人、殺されない心算の者だけ。兵士はどうやら市の中心部に逃げてしまったらしい。

 一応は一度ベイラン市内に入ったという事で、自分が小隊の先導役になって移動し、家や露店に松明で火を点けつつ――乾燥しているので直ぐに燃え広がる――燃えた家から逃げ出す市民を切り倒す。自分の腕では一回で殺せない。倒してから何回も刀で殴って、ようやく殺せた。

 山賊だった頃に――手は出していない――少し見たが、やはり敵でも相手を殺すと気分が変だ。体が震えて、罪を意識して、何も間違っていないと確認して、またぶり返す。使い辛い刀は止めて、建設途中の家の脇においてあった金鎚を掴む。これならどうだ?

 若い女だけではなく、子供から結構な年増女まで服を裂かれて道に引き摺り出されるか、逆に建物や物陰に引っ張り込まれるか。今は遊んでいる暇など無く、早く全員を殺して中原に戻って賊軍を討つべきなのだ。自分の力や権限であれは止められないから、せめて真っ先に女を見つけたら自分が殺そう。死に際でも節度使様を邪魔するような糞女共め。

 女を引きずり込んだ兵士がいる小屋に火をつければ、下半身を出したまま慌てて出てくる。間抜けが。

 戦闘中だというのに奪った酒を口からこぼす程に飲んでいる馬鹿がいれば、宝飾品をジャラジャラと身につけて笑っている馬鹿もいる。そうして略奪品を巡って内輪揉めが始まるので、憲兵を呼んで――階級が下補になると奴等の態度が違って面白い――止めさせ、それでも止らないなら処刑。自分も手伝う。略奪は許可されているが、内輪揉めは許可されていない。しかし死体から金歯を外すぐらいに略奪に夢中な奴がいるから、何ともキリが無い。

 クトゥルナムやその騎兵仲間達は、保存食糧や馬、羊に山羊から牛にラクダ等、連れ歩ける家畜を中心に略奪中だ。

「ここで金女酒に走ってるのは馬鹿だぜ。戦時は足と食いもんが命よ。お馬ちゃんにラクダくん、扱いも知らねぇ農民が主人になったら可哀想だぜ。俺達が救ってやらないとな」

 納得してしまった。

 閉じられた市内の内城壁の門前には、入り遅れた市民が早く開けてくれ、と殺到している。大分、かなりの数だ。あれが破れかぶれに素手で向かってこられたら負けるような気がする。

 凶暴性を遺憾なく発揮している兵士達が、そんな事は考えもせずにその門前の人々に矛槍に棍棒、松明で持って打ち殺しに掛かる。ワザと銃口を相手に擦りつけてから至近距離で小銃を発砲する奴もいた。こうなったら一塊にならないで逃げれば――市内からは逃がさないが――いいのに、未だに内城壁の門が開く事が無いのに叩かれている。

 露店に置いてあった遊牧民の合成弓と矢を持つ。クトゥルナムの肩をつつく。

「ちょっと教えて」

「弓を引く時には、親指に指貫をつけて射る。他所の部族は知らん。俺のやる」

 指貫を貰って嵌める。これだけで何か強くなった気分だ。

「弦の張りが強いから付けないで何回も射れば指をおかしくするし、この方が力入れやすい。農民のヘボ弓とは比べようも無く飛ぶぞ。鉄砲みたいな玩具とも違うからな。ちゃんとやればちゃんと飛ぶ」

 それから略奪した中から大人しい、扱い易い年寄りの馬を貰って乗る。これで行軍が楽になると思えば、確かに金女酒に走っているのは馬鹿だな。

「騎射の仕方を教えてやる。馬の駆ける揺れに影響されぬよう、馬の足が地面を離れた瞬間に射るのがコツだ。揺れが止まった瞬間だ。当たり前だがな、揺れた状態で当たるわけ無ぇよ」

 弓すら使った事が無いというのに、いきなり馬上から射撃とはちょっと、緊張して、馬は動かさず停止したまま、そして矢を番えて引こうとしたら弦が固過ぎて引けなかった。大笑いされた。

 内城壁の門に殺到した市民の虐殺中であったが、少し勇気を取り戻したか、内城壁に配置された逃れた敵兵士の攻撃が始まった。耳元を明らかに銃弾が通過。全ては運が握っていると悟るに十分過ぎる。

 敵の武器は小銃と弩である。内城壁には大砲を配置する機能は無いらしい。

 近くにいた仲間の兵士が腹に矢を受けて混乱して、抜いたら内臓が鏃に引っかかって出る。馬に乗せて後送してやったが死んだ。

 その後も、誰か知らないが膝が銃撃で半分千切れた兵士を運び、擦り傷で死ぬ死ぬと騒ぐ兵士を殴って落ち着かせたりした。医者が敗血症にならないよう、汚く酷く負傷したその腕を切ろうとしたら暴れ出す負傷兵を、抑え付ける仕事も手伝った。

 そうこうしている内に門に殺到していた市民は死ぬか逃げるかして、そして大砲が市内に持ち込まれた。内城壁の門を砕くための砲撃が開始され、内城壁は外の城壁と同じく、あっさりと崩れた。城壁の上と銃眼から射撃していた敵兵士も逃げ出す。

 今度は市内の中心部。いわば旧市街地というところで、市庁舎や寺院や豪邸等、金の掛かっている建物が多い。新市街地に比べてここは今、人が過密状態。相当な人数が逃げ込んでいる。

 殺す目標が多過ぎて、残虐性だけでは殺しきれず、兵士達の疲労も相当なものになってへたり込む者が多い。何せ、今まで強行軍で死ねる程に消耗してきたのだ。身体がおいつかない。が、そんな事で節度使様の深謀遠慮にて命じられた焼き尽くして殺し尽くす命に背く理由にはならない。今度は末端兵士の暴行に任せるのではなく、士官の指示でもってその命を実行に掛かる。

 大きな建物に人を追いやって押し込んで、まとめて焼き殺す方法が一番効率的だった。寺院は特に、最後だからと何の神か霊か知らないが、それに縋りたい人が多かったので、背中を蹴飛ばして押し込める必要が無いくらいだった。そこそこに焼ければ屋根が支えを失って崩れて潰して皆殺しにする。簡単なものだ。

 家畜が散ってしまうのを嫌ってクトゥルナム等は市外に出てしまった。適切な理由とは思うので非難はしない。

 とりあえずは引き続き市内を回って、燃やせそうな物に松明で火をつけて回る。落ち着いてやっているので、何だか町の巡回作業でもしている気になる。名前の見当もつかぬ果樹があったので、一つ実を採って食べてから、渋くて吐き捨ててから燃やす。時期じゃなかった。

 今更ながら、街角で出くわした敵兵が土下座して地面に頭を擦り付けて命乞いをする。その丁度良い位置にある後頭部を金鎚で殴ると、一回で死んだ。刀より簡単だ。武器を積んでいる車にもっと武器らしい打撃武器があったからそれを貰えないか後でパウライ小隊長に聞いてみよう。

 裏路地で、まだこんなのが無事に生き残っていたのかと思ってしまうような可憐な少女が、自分を見て腰を抜かして座り込んだ。目に涙が浮かんでいる。上着をはだけながら必死に命乞いらしき言葉――ベイランの言葉は分からない――を捲くし立てるが、どうしようか? 良い機会じゃないかとも思いつつも、節度使様のお姿が浮かび、その少女の頭を金鎚で殴った。あの真面目なパウライ小隊長でさえ「あーあ」と言った具合だが。

 少女の頭に金鎚の頭部分――握りこめる程度で小さい――が深くめり込み、蹴っ飛ばして引いても骨の内側に引っかかって抜けず、グチグチ鳴らしながら捻ったりしてやっと抜けたので苦労した。騎兵ではない徒歩の小隊仲間の一人が今更になって嘔吐していた。

 ベイランは焼き尽くして殺し尽くさないと。

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