第97話「南洋諸島沖海戦」 ベルリク

 ある早朝、何時もより早くに目が覚めたら何と、セリンがジャーヴァル土産に贈った透け透け下着の姿でいた。朧気な朝日にその姿が浮び上がって、似合ってなくて、笑ってしまったらかなり不機嫌になった。

 そして口を利かない事二日、アクファルがクセルヤータと一緒にやってきたので、そのままルサレヤ閣下の乗艦まで連れて行って貰う事にした。

 その時に初めて帆柱の天辺、避雷針の所まで上ったが、まあ、木登りなんて生易しいものではなかった。掴む所が明確にあるので登り易さだけなら具合は良いのだが、陸と違って揺れるし風も強いし、カモメが残していった乾いた糞を触らないようにしたり、大変だった。

 アクファルの後ろ、クセルヤータの首に跨っての飛行中に、海の色が沖合いの深い青から澄んだ明るい緑色に変わる境目を上空から見る事が出来た。凄い! これに比べたら石の宝石なんざただのクズ石だ。

「将軍、少し流しますか?」

 後頭部に目は付いていないはずだが、この感動でも察したかクセルヤータが遊覧飛行に誘ってくれた。

「頼む!」

 風音に負けないように声を出してみた。

「何で色、違うんだろうな!?」

「陽射しが北に比べて南は格段に強いのと、海底が浅くなっているせいです」

 新しい色の海に、艦隊の進行方向に大小様々な島々が見えてくる。右手側は水平線と深い青の海、左手側には黒々と見える北大陸の南岸が遥か彼方にぼやけて見える。高所は視界が良い。

「あれです」

「あれか!」

 大小の島々が作る複雑な潮流、干満の差で現れたり消えたりする無数の暗礁、裸の人食い蛮族から熱帯病と気味の悪い危険生物の群れ。北国の人間が聞くに、御伽噺で終わってしまうそれらが集まっているのが南洋諸島。南大洋東部の大半を広域に占める。名目上はタルメシャが領有権を主張し、異論を唱える勢力がいないのでタルメシャ南洋諸島とも呼ばれる。地方毎に南洋諸島と呼ばれる場所は異なるが、何も指さず単に南洋諸島と言えばタルメシャ南洋諸島である。

 南洋の島々を辿れば未開のそのまた島々が南へ東へどこまでも広がっているという話である。話であるというのは、完全に探検をし尽くした冒険家が未だ現れていないからである。領有宣言をしているタルメシャ人は内戦に忙しく、諸島部の北側にある有用な島に若干定住しているだけで、その島の奥地には言葉が通じないような部族がいるような状態。

 無政府状態であるその南洋諸島は海賊の良い拠点になっているそうだ。世界一豊かな海上交易路、魔神代理領とレン朝の交易路が通っているのだからその稼業の者が一攫千金を夢見て集まる。船倉一杯の財宝を手に入れた武勇伝なんてのは”ある話”なのだ。

 そこで海賊達の王を名乗るのがギーリスの息子ファイード。ギーリスの長男坊で正当後継者でもあり、大海賊の亡霊の異名を持つ。ナギダハラの次に我々が入港し、休暇を取る時に世話になる者の名だ。

「お兄様!」

「あ? ああ!? いいぞ!」

 長い事遊覧飛行をして貰ったので、クセルヤータが疲れる前にアクファルが気を利かせた。竜の巨体が大きく、緩く旋回しつつ下降してスライフィールの竜用広甲板がある船へ向かう。船と竜とで互いに減速、増速して位置を調整し”ふわり”と軟着。

 わざわざ出迎えてくれたルサレヤ閣下に指でクイクイっと誘われ、一番後ろの高い所の甲板、艦長提督か必要があって仕事中の船員しか立ち入れない場所に連れて行かれる。

 遠く――でも割りと近い――から砲声が響いてくる。

 船上がにわかに騒がしくなって、甲板上に増えた船員、士官が動き回り、別の竜が偵察飛行に飛び立つ。

 船の者でもない自分が騒いだところで何もならないので、落ち着いてそのまま。

「元気そうだな」

「はい。海が凄いですね」

「ジャーヴァル南西の暗礁海域も似たようなものだったろ」

「え、歳取ると”色気”が無くなるんですか?」

「言ったな」

 ルサレヤ閣下の固くてゴツい翼の手で鼻を抓られた。ああ、こうして貰いたかった。

「警戒態勢に入った。しばらくゆっくりしていけ」

「敵ですかね?」

「この辺りは海賊の狩場だからな」

 この後、士官室係がお茶を配膳してくれた。


■■■


 ルサレヤ閣下とのお茶の後、アクファルの「お兄様」と、色々意味合いが含まれた一言に誘われてまたクセルヤータに乗って飛行。

 上空から面白いものを見た。白黄色の旗を掲げたレン朝籍の交易船がいて、ファスラの艦隊が威嚇射撃からの進行妨害、そして拿捕臨検が行われた。

 そうして拿捕したらその船の小銃や大砲、とにかく重たい積荷を海に捨てる作業が始まった。悲鳴も聞こえる。

 それが終わってから船が解放され、足腰が軽くなったその相手に、何と射撃訓練を開始したではないか。空樽相手にお手軽もいいが、本物の敵を想定できた方が良いに決まっている。

 全速力で逃げる船を狙って射撃するというのは中々に難しいものだ。回避機動を取る船に向かって何発もの砲弾が撃ち込まれ、外れて水柱を上げては、当たって木片を散らす。

 そうしてから索具破壊用の、鎖で二つの砲弾を繋げた鎖玉を発射して足を止め、衝突しないように接舷し、鉤縄を投げて船を捕まえて引き寄せ、切り込み攻撃を仕掛ける訓練が行われる。ファスラが大声を上げて、馬鹿笑いしながら指揮を執るのが上空でも聞こえる。

 弄ばれて泣いてしまっている相手の船長、船員達はまあどうでも良いが、標的船の現地調達とは恐れ入った。

 後でファスラに聞いたが、南朝系の船とちゃんと確認した後での蛮行である。本当か?


■■■


 南洋諸島海域を航行中、ナサルカヒラ州の両棲、水棲種族兵を誇る海軍と接触。マザキにいるベリュデイン私兵軍への補給物資を積んだ輸送船の護送中らしい。この辺りは野良海賊が多いから注意と、互いに了解済みの事を挨拶の言葉として送り合って別れる。

 タルメシャ、南洋諸島系都市国家の要塞が睨みを利かせる島々の海峡を通り抜けるという神経を磨り減らす航海が続く。レン朝系の要塞も時折あって、南北朝とはまた別の大局にいる彼らの海軍が敵対的であったので、先行していたベリュデイン私兵やナサルカヒラ海軍が奪取済みである。魔神代理領系の要塞もあり、挨拶が交わされる。

 敵地か中立か分からない海域の航行もそうだが、港へ入港する時も戦闘体制である。何時でも艦砲が発射出来るように支度がされた。

 そのようにして我々はファイード艦隊の都、海賊が作った港町ユルタンに向かっている。そんな町があるような海域であるから、由来も知れぬ海賊がその辺をうろついていてもおかしくない海域だ。こちらは大所帯なので襲撃は無かった。それにセリンとファスラの海賊艦隊が同業者を臨検し、ナメた真似したらぶっ殺すと脅迫して回ったので尚更だ。反抗的な海賊船にはギリギリ航行が出来る程度に人が残されて、全て海中投棄される光景も見られる。

 ユルタンのあるガシリタ島に近づく。南洋諸島の中では特に大きな島で、そこいらの火山島と違った古い島。目立った山も無く上下の起伏には乏しいが、その他の地形が植生含めて複雑らしい。

 幾つかある、目印も無い入り江の一つに船が進入する。

 海際にあっても満潮干潮に対応出来る作りの、木組みの高床式の村が連なる水路を通る。猿が枝や蔓を伝って船に追走してくる。

 南洋植物が茂っているので分かり辛い箇所もあるが、ここは奥行きも水深も深い入り江になっている。崖や植物が日避けになって、”外”より”中”はひんやりしている。ここはおそらく、特別に薄暗い入り江なのだと思う。

 この入り江、水路に入るのはアスリルリシェリ号とファルマンの魔王号の二隻のみ。残りは沖合いで、臨戦態勢で待機中である。尊敬を集めて海賊王を名乗って否定されないにしても、全ての海賊を率いているわけではないのだ。それから、可能性は低いが海賊王が南朝に組している事も無くは無い。

 段取りとしては二隻で入り江に入り、先にファスラとセリンが上陸して、海賊王である兄ファイードに直接話をしに行く事になっている。ここではルサレヤ閣下の魔なる権威より、海賊としての顔が利く。

 もし上陸許可が得られれば、艦隊全体で期間中には沖で停泊している船から上陸用の定期便を出す予定だ。

 セリンが説明するに、

「あれが海賊船、水竜ヒュルムの八つ当たり号」

 が入り江の奥の港内に係留中である。並の戦列艦の半倍はありそうな巨大船だ。

「”折れず断たず”の竜角の衝角が見えるでしょ?」

 舳先側には海中に半ば浸かって、儀式用かと思う程に歪な鋸刃になっている、かなり長そうな衝角が見えている。”折れず断たず”かどうかは知らんが、あれでぶつかってそうならそうなんだろう。

「名前、あれ、海賊的には格好良いのか?」

「ファルマン人が古代に海賊を始めた伝説があるのよ。水竜ヒュルムが雌との交尾に失敗して八つ当たりに商船を襲って沈めない程度に痛ぶって放置した。で、その満身創痍のその船を、当時鉄すら持てない貧乏漁民だったファルマン人が小船で囲んで、棍棒と石で襲撃して略奪、それを元手にデッカくなっていくって成功物語ね。有り難い名前なのよ」

「へぇ」

 二隻が入港し、ユルタンの港湾作業員が港で迎えてくれ、無事に係留される。我々は船上で待機だ。

 セリンとファスラだけが上陸し、ファイードが出迎える。見た目は全く知らなかったが”間違いなく奴”だと、ファイードには港の人間達に紛れぬ雰囲気がある。剃り上げた頭と顎がツルツルなだけではなく、威圧感が相当にある顔だ。上背は無いが、筋肉の塊みたいな感じだ。

 少し遠いのではっきりと三人のやり取りは聞こえないが、しきりに「ハゲ」呼ばわりしているのは聞こえてくる。

 ファスラが振り返って、指笛を吹いて、こっち来い! と手を振る。上陸許可が取れた。

 ちょっと緊張して――俺の知らないセリンの兄がいる――アスリルリシェリ号を降りると、セリンが腕を取って引っ張り、ファイードの前に連れて行かれる。

「この人」

「その人です」

 ファイードは目をギョロっと開いて、こんな顔が出来るのかと思うほど破顔して、抱きつかれて振り回されて「ダァッリャー!」と海に投げ落とされた。その後、そのファイードもセリンに投げ飛ばされたか海中に落ちてきた。


■■■


 ユルタンでは乾船渠を借りて船の本格的な修理点検も実施出来る事になって、海上でも馬鹿デカいというのに、陸で見れば更に怪物のように大きい艦船が整備される。

 そんな船の整備に船員達は大忙しだが、関係の無い自分は兄弟揃っての宴会に招かれるだけで食って飲んで寝て糞してセリンと寝るだけ。

 宴会はギーリスの霊廟でやるという。ファルマン人は先祖の墓でお祝い事をするのが慣わしで、墓の近くじゃなければ棺桶を持ち出すぐらい、やるらしい。

 霊廟の前でやるのかなぁと思って会場に行けば、広い霊廟の中で、食べ物や酒が山と供えられたギーリスとその妻のミイラが壁際に置かれた、その場所で宴会が始まる。

 ルサレヤ閣下は場を白けさせると、たぶんそのような事を言って不参加。ナレザギーは金勘定の仕事があって少し顔を出した程度で退席。寂しい限りである。

 長い船旅で飢えていた、陸の豊かな食事にもありつけた。ジャーヴァルより豊富な香辛料を使った水牛鍋が、乳が使われているので辛さの割りにまろやかで美味い。変な色の鱗の魚料理は気持ち悪かったが、身は普通の色で、少ししたら慣れた。

 砂糖黍や米で作ったユルタン製の酒の数々も美味い。出来立てだというので何の事だと思ったら、直営の畑と工場があって、その酒を輸出する規模だそうだ。船に乗せて運べば揺れと劣化でどうしても味と香りが落ちるとの事で、それも納得の代物だった。それでも土産にその酒を大量に貰う約束を取り付けた。

 ファイードは絡み酒なのか、喜んでいるから普段と違うのか、「なーあーおいおい、お前しか頼める野郎はいないんだよ」「あいつはなぁ、そりゃクセは酷いがなぁ、頼んだよーなぁ?」「親父もお袋も頼むってそう言ってるって聞えるんだよ心によーなー心だよ」等と、似たような言葉を途切れなく時間感覚が曖昧になるぐらい喋っていた。

 ファスラは尻を触ってチンコも触ってくるが、ファイードは手を握ってくる回数が多いかな? という程度。ましてやセリンのように死人が出そうな騒ぎ方はしない。しかし、ギーリスの息子なのに至ってまともな人物と見受けられるのが不思議だ。セリンとファスラがイカれ過ぎなだけか?

 しまいにはファイードが五人の嫁さんと三十人くらいの子供をもう親戚みたいなもんだと紹介された。酒が美味いのでかなり飲んでしまって、酔っ払って正直、顔も名前も頭に入らない。それだけではなく、馴れ初めからどんな風にあーだのこーだのと長い事語り出し、見かねた――おそらく――ファスラが裸になって躍りだして酒を使って火を吹き回ってお子様退場の空気を呼ばねば、寝ても起こされてそのつまらん話を聞かされた事だろう。


■■■


 上陸休暇中は妖精達と遊ぶのが恒例となっている。二万もの妖精を揚げて休ませる建物は流石にないので、また野外に天幕を張る。防虫対策に時間が掛かったぐらいか。

 デカい虫取り競争では、子供並みに長い百足を捕まえたファイードが「へっへへー、いっちばーん!」と宣言して優勝。こいつ、知らない内に参加してやがった。

 デカい虫以外にも綺麗な蝶の採取も盛んに行われた。訓練代わりにガシリタ島一周行軍だとやっている最中だ。こうしてビサイリ以降、少しずつ数を増やす蝶の標本が壮観になってきている。魔都かどこかの博物館に寄贈するのが適切かな?

 七色に並んだ無数の鳥羽で出来た外套を貰った。着てみたが、かなりヘンテコな外見だ。その格好で鳥の鳴き真似をしながらナレザギーの仕事を邪魔したら怒られた。

 大蛇縄跳びという遊びも行われた。蛇が太くてかなり重たいので動きが鈍いか、勢い余ってかなり早いかのどちらか。

 飛べない鳥、結構大きくて体重もある走鳥に騎乗しての競争には参加出来ず、見るだけに終わった。人間相手だと蹴り殺すくらい凶暴らしいが、妖精達が相手だと割りと仲良くやっていた。


■■■


 全船が乾船渠での整備を終えて休暇を終了とした。

 ファイードだが「兄弟姉妹が四人揃う機会もこれが最後だろう」と、艦隊が目指すはアマナのマザキ港までついてくる事になった。

 そうしてユルタンを出港し、マザキへ向かって東進していると、見張り員が所属不明の艦隊を発見。相手がどこの船か特定する作業に入る為、竜跨隊が発進し、レン朝の南海艦隊群の内の西路艦隊と断定された。

 攻撃するか無視するかはセリン提督が決める。この艦隊には色々と海のお偉方が面を揃えているのだが、一番階級が高く、出港当初より責任を負ってきたのがセリンだ。兄だろうとルサレヤ閣下だろうと、海上では指揮を一任されたセリンが決めるのだ。

 レン朝の海軍は北朝にも南朝にも組せず、従来通りに海上警備任務に勤しむとガジートからの報告にもある。悩ましいだろうなと思っていたら、セリンは「悠長な事を考えている暇があったら機先を制するのが良いよね」等と判断して、攻撃開始の信号旗を揚げる様に指示を出した。

 戦闘配置。船内隔壁を倒して甲板を全通状態にし、大砲の窓の蓋が次々に解放されて薄暗い船内に陽の光が入る。窓からは下の船倉に運べない余計な物は全て投げ捨てる。余裕があればそこまで金持ちみたいな事はしなくていい。通りが良くなればクソ狭い船内が、まだやっぱり狭い船内に早代わり! 音の通り、号令の通りも良くなるし、砲弾や火薬の運搬にもやはり狭いよりやや狭い方が格段に良い。それから足が血で滑らないように砂が甲板上に撒かれる。

 こちらの艦隊が先んじて動きつつも、互いの艦隊が出来るだけ縦隊を崩さないように、どれだけ砲門の数を相手に向けられるよう、競うように機動を始める。風と潮の流れの読み合いでもある。

 マトラの新式榴弾を試しに使ってみるという砲手についた船員達の顔はちょっと苦い。得体の知れない物を、常に暴発の危険と隣り合わせの砲手が使いたがらないのも分かる。

 旧式な滑腔砲でも新式榴弾を撃てるようにする専用の装置を嵌めれば、砲弾の縦回転を防ぎ、落下しても弾頭から落ちるようになるという説明を、砲の指揮につく士官達にラシージが再度説明する。

 ラシージの説明が終わってしばらく。戦闘前の緊張ある沈黙と、船を動かす号令に海を擦る船底の音が対称的。鼻を啜る音がやけに響く。

 遂に船が位置取りをして砲撃開始。大砲が固まって上下にあるので、陸よりも局所的に砲煙が濃くて大きい。

 敵船に命中、着弾後に爆発して木辺と煙が上がって、わずかに時間を置き、誘爆するように爆発が連続で起きて、命中した敵船の上部構造物の大半が吹っ飛ぶ。強力なその榴弾だが、ちょっと実験する程度の扱いなのでそこそこに品切れ。通常の鋳造鉄製砲弾に戻る。

 船の中心、最も底部、竜骨の隣の砲弾倉庫からは砲弾が、火薬庫からは火薬が小分けにして出されては装填され、発射される。まとめて大砲に運ばない。誘爆の危険を考慮しているのだ。普通は体が小さくて小回りの利く少年達が火薬運びなどを行うが、セリンやファスラの艦隊では妖精が担当している。魔神代理領では基本的に子供がする仕事を妖精が担当することはよくある。鉱山でも良く使われる。彼らは正規に雇われた船員達だ。何も言うまい。

 船でも戦闘中は士気を上げるために演奏がされる。太鼓と笛に歌も混じる。

 敵艦隊の中から見張り員が逸早く、船体が腐っているのを見つけて報告。それから砲撃が加えられ、穴だらけになっていく。

 続々と砲弾が撃ち込まれ、撃ち返されてお互いに船体を削り合う。塗装した物も混じった木片が舞って、船員が砲弾か切り裂く木片に当たっては血肉に服も散らす。そうして船上で出来上がった死体は海に投げ捨てられる。生きている者は医務室に運ばれるか、通路の脇にでも退かされる。

 足元を、船体に大穴を開けて船員を肉入りボロ袋にして、大砲を砲台から叩き落す砲弾が飛び込むのが、足の裏から伝わってくる。先の大戦で屋敷に立て篭もって小銃を撃ってたら、敵の工兵に柱を爆破されて危うく屋根の下敷きになりそうになった事を思い出す。

 陸の、それも提督の客人扱いの自分に今のところ仕事は無い。偵察隊と一緒に、敵船が近づいたら狙撃をしてやろうという準備だけはしているが、出番はあるか?

 ファイードの艦隊はかなり遠巻きにいるので良く確認出来ないが、遠巻きなりに敵艦隊を包囲するように動いているとセリンが説明してくれた。

 砲戦なんてのは下らないとばかりに、竜跨隊が上空から敵船に爆弾を投下……命中する事は稀だ。しかし、そんな未知の相手から敵船は慌てて逃げて、隊列を乱す。隊列が乱れれば、相手艦隊へ船の腹を向けて最大効率で多数の砲門を向ける事が出来なくなってしまう。狙える先が友軍艦船しかいない状況というのは窮地である。そして相手から自分たちの船が隊列を乱し、固まったところを砲撃されては自分の船に当たらなかった砲弾が仲間の船に当たるような包囲下状態に持ち込まれては悲惨だ。鴨撃ちになる。仲間同士で船体に帆桁をぶつけて絡ませるような状態に陥っては絶望だ。降伏するのが一番良い。そんな状況に敵艦隊の一部は陥り始めた。

 クセルヤータに乗ったアクファルが飛び去り際に敵船へ火矢を放つ。あんな所でどうやって火の管理をしているかがやや気になる。ともかく船には火気厳禁であり、敵の慌てようが面白い。帆に火矢が刺さり、派手に焼ける。冷静にしていれば見た目程の脅威ではないだろうが見た目が凄いのだ。頭上で炎が踊って冷静な奴の方が珍しいか。次は大砲の窓に火矢が入る。爆発、連鎖して爆発。

 アクファルも大分あちらの人間になってしまった。

 中でも一番酷いのは、船が突如として大炎上を始め、爆散する事。竜のような衣装で空を飛び、硫黄香る炎を撒き散らしているルサレヤ閣下がいるのだ。

 船なんてのは早々に沈没するなんて事は無いのだが、ルサレヤ閣下にかかれば撃沈轟沈の連続だ。老いたらしいが、これを見せられては何の事だと言いたくなる。

 このようにスライフィールの艦隊と、船ですらない飛行兵力が敵艦隊の……たぶん半数を引っ掻き回し、行動不能にしている。そのもう半数は常套の手法で無力化する。

 船にはそれぞれ格というのがある。一番格上なのが提督が乗っている旗艦だ。敵将首だ。

 敵の西路艦隊は単純一つの艦隊で構成されているわけではないようで、外国籍の船も混じっているようだ。我々が乗るアスリルリシェリ号は、その外国籍の船の敵将首、ニビシュドラ海軍の旗艦を狙う。

 風を操る魔術使いの追い風を受けての、普通の船には真似出来ない艦船機動の後に、まず索具狙いの鎖砲弾が高角に敵旗艦へ発射される。鎖でつながれた二つの砲弾が飛んで、綱や帆柱を登っていた敵船員を真っ二つにして滑車を叩き落し、落ちた滑車に頭を破壊されながらも、命知らずという言葉通りに敵船の男達が綱を引いて、外して、縛って操船を続ける。

 面と向かって刀で切って刺して殴って噛み付いて吠えるような白兵戦と、相手を殺すための手順を繰り返す銃撃に砲撃戦と、それとはまた一つ別の勇気が試されている。

 火薬増量、砲弾を二発装填した接近砲撃が敵将首の旗艦に撃ち込まれ、敵船の腹と中身をボロ屑にする。

「魔神代理領海軍のギーリスの娘セリンだ! 降伏せよ、でなければ皆殺しだ!」

 とセリンが挨拶して、船員達が気勢を上げる。

 鉤縄を船員の投擲自慢達が投げて、相手の旗艦に引っ掛け、手の空いた者達が一斉に縄を引っ張って船体を引き寄せ始める。

 上甲板に設置してある旋回砲に散弾を装填され、切り込み攻撃前の露払いに発射される。

 帆桁同士が絡むほど近づいて、敵味方砲手同士が面と向かって罵り合いながら大砲を撃つ。先の二発装填砲撃が利いているのか、敵船の大砲は大人しい感じ。

 アッジャールのオダルから再度贈られた騎兵小銃を構えて、敵の船員を狙って撃つ。狙ってない奴に命中した。

 偵察隊の狙撃も開始。小銃を持った敵の銃手を真っ先に狙い、確実に仕留める。敵にしたくない奴等だ。

 お互いに上と下の甲板、帆柱に帆桁の上で銃撃と砲撃を加えつつ、鉤縄の縄を斧で切ったり、鉤縄を追加で投げて船じゃなくて敵船員に当たって曳き、肉を抉り取ったり、そうしている内に互いにかなり近づいてきて、手榴弾の投擲も始まって、陸とは違う上下ある濃い火力密度が味わえる。

 飛び乗れる程に船が近づく。波の揺れで互いの船体が近づいたり離れたりを繰り返し、船の腹がぶつかり合う。砲弾で著しく損壊している相手の船は、それだけでボロボロと木片を海にこぼす。

 切り込み攻撃の先頭はセリン提督。髪の触手での十数丁による拳銃一斉射撃で敵船員を薙ぎ払ってから、強烈な神経毒が送り込めるその髪の触手自体でまた薙ぎ払って、刀に手斧を無数に乱舞させてまた薙ぎ払ってと、遅れて相手の船に飛び乗った自分の出番が無いくらいにあっと言う間、甲板上の敵船員を殺してしまった。

 既にこの旗艦はボロボロで、綱は切れて下がり、帆は穴だらけに引き裂かれ、木片肉片が散乱し、死体と瀕死の重体がそこらに転がる。

 そして左腕の吹っ飛んだ敵の艦長がフラつきながら、頭を銃撃で砕かれた提督を引き摺ってきて降伏した。

 降伏させたこのニビシュドラ海軍旗艦の艦旗が降ろされた。ニビシュドラの艦隊は士気を落す事だろう。

 次にファルマンの魔王号の支援に向かう事に決定する。

 アスリルリシェリ号が風の魔術の追い風を受けて高速機動。西路艦隊旗艦にファスラが乗艦するファルマンの魔王号が攻撃を仕掛けているのが確認されたので、その支援に向かうのだ。

 確実に敵の頭を狩り、それを誇示して敵艦隊の士気を削ぐというのは陸でも通じる常套手段。

 次の相手、西路艦隊旗艦はとんでもなく大きくて、単純な船体の長さは戦列艦二つと半分ぐらいあるだろう。もはや要塞だ。

 ファルマンの魔王号はやや遠巻きに敵旗艦の回りを動き回り、索具狙いの砲撃を繰り返している。ファスラなら足を鈍らせた後に、自分一人で切りこんで制圧か、そこまでいかなくても引っ掻き回して行動不能と考えているだろう。

 こちらアスリルリシェリ号も砲撃に加わる。セリンは早くも海に飛び込んで、直接敵旗艦に切り込みに行った。提督ってのは指揮するものだと思うが、まあいいか。

 葉巻を吸いながら、腹を面と向け合って敵旗艦の銃手、海兵を狙ってアッジャールの騎兵小銃を撃つ。相手の船体が高くて、角度をつけて撃たないといけないから妙に当たらない。

「おい! お前等の方の艦長? 提督でいいや、何て名前なんだよ!?」

 喋りながら撃つ。当たらねぇなぁ、再装填。

「こっちは提督セリンがいるぞ、ギーリスの娘だ! そっちにはファスラだぞファスラ! ギーリスの息子、良くチンチンを弄るファスラだ! お前等のチンチン弄るのは誰だよ!? 教えてくれてもいいだろ!?」

「疾風のアムハザだ!」

 敵の士官が意外にも言い返す。魔神代理領の共通語喋ってるし。しかし何か妙に、疾風のアムハザ? 格好良い名前だな。

「おおそうか! 有名か!?」

「昔親父の艦隊に居た奴だ!」

 ファスラが大声でそう言うので聞こえた。レン朝も海軍に海賊を使っていると分かる。しかしファスラめ、良くこんな状況で聞えるもんだ。

 それからその話の通じる敵士官と「元海賊か!?」「そっちの海軍は何したいんだよ!?」とか雑談しながら銃撃を加えていると、派手な羽飾りの帽子を被った男がこちらに顔を出してきた。

「ギーリスの子供達が相手とは光栄だ!」

 と格好つけてきた。そしてルドゥが狙撃して目立つその疾風のアムハザの顔面を砕いた。敵旗艦に動揺が走るのを感じた。

「アムハザめ! こんなところで死ぬたぁ屁っ臭ぇったらねぇな! ギヤッハハハハァ!」

 ファスラの馬鹿笑いが良く聞こえる。あいつの声は高めで響くのだ。

 その機を見てか、偶然か、やっと足が鈍って取り付けるようにでもなったのか、セリンが海中から出て来て敵旗艦の腹を髪の触手でよじ登る。

 同じ頃、シャチのヘリューファに乗ったファスラも、手甲鉤で船腹をよじ登り始めた。

 アスリルリシェリ号にファルマンの魔王号もこれを機に一挙に接近。船首や船尾、大砲が少なくて脆い箇所を狙って砲撃を始める。

 ファルマンの魔王号上からは、ヒナオキくんが長弓で矢掛けをしているのが見える。「ヌオォー!」と叫んでいる様子。

 やや沈黙状態へと傾きつつある敵旗艦に更に近づく。セリンとファスラの相手だけで敵旗艦の船員は手一杯になってきている様子だ。

 ヒナオキくんが帆桁の上から跳び、敵旗艦の索具に鉤縄を投げて引っ掛けぶら下がり、ファスラに続いて切り込みに行くのが見えた。また「ヌオォー!」と叫んでいるように聞こえる。そうして大曲芸を見せてくれて、勢い余って反対にまで飛び出して海に突っ込んだようだ。

 どうやって背の高い敵旗艦に乗り込もうか直前になって艦長を始め、士官達で相談が始まり、船腹を大砲で粉砕してそこから突入しようという算段になった頃、敵旗艦の艦旗が降ろされた。

 遅れて敵旗艦に乗り込んだところ、ファスラとの首狩り合戦に勝ってやたら上機嫌で血塗れのセリンに抱きつかれて振り回されて口付けされまくった。足元には千切れた首が真っ赤に濡れた甲板の上をゴロゴロと、船の揺れに合わせて文字通りにゴロゴロと転がっている中で、である。

 負けたファスラは余裕に笑っていた。こんなので悔しがる性格ではないだろう。


■■■


 その後、ニビシュドラ海軍の逃走に引き摺られるように西路艦隊も徐々に士気を喪失して逃走を開始した。

 そこで海戦は終わらない。降伏した敵艦艇の武装解除や、拿捕してからの賞金勘定があるのだ。敵船の積荷を売り払って船員達に大金を振舞うというのは伝統である。しかしこれも大事だが、まだ仕事はある。追撃だ。

 応急修理をしながらも、追撃艦隊を編制する事になったのだ。陸より海は逃げる先が広い。追撃は何日も、場合によっては月跨ぎでも掛かる事もある。機動力に優れるセリンとファスラ、ファイードの兄弟艦隊で敵艦隊を追撃することになった。

 取り分の賞金はちゃんと後で会計して支払う事になっているのだろう。その辺りの信頼関係は問題無いのか、金の相談をする事も無く別れる事になった。

 残存敗北艦艇の始末はスライフィールやナレザギーの艦隊に任せるので、それは信頼していいだろう。彼らにはマトラ義勇軍を乗せる輸送船団のマザキへの護送も任せる。護衛戦力としては竜跨隊と、何より海戦最強であろうルサレヤ閣下がいるのだ。こちらの艦隊が離れても大丈夫だろう。

 ラシージに偵察隊はナレザギーの船へ預けた。妖精達を任せられるのはあいつだけだ。アクファルもそのままクセルヤータに預ける。そしてアスリルリシェリ号に自分が残るのはあれだ、楽しいから。

 ヒナオキくんは後でシャチのヘリューファが回収。生きてた。

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