第96話「ニビシュドラ介入」 シラン

 南廃王の息子、廃王子レン・セジンの首を取ってきたので褒賞をくれとか、無償で構わないとか、民と兵のためとか、泣きながらとか、そんな具合に偽物の首が十を越えて差し出されている。

 南廃王軍残党の内部で裏切り者が続出しているようだが本物は逃げ続けているのだろう。本物の策謀ならば、とにかく時期が来るまでは逃げ続けるという手なのだろう。

 特務巡撫である自分の目を誤魔化す心算はあるかどうかは不明だが、何にせよこれ以上戦いたくないという非戦派へ口実を与える事は出来ている。実際、もうこの辺で手打ちにしようと言ってくる者は少なくない。その首全てが偽物と知っていても、合理より感情が勝っているのだ。その合理でさえも南朝天政の合理であるので、そこに属している感慨も無い者には合理であると見えぬのかもしれない。

 敗北の責任者である老いた南廃王ならばともかく”知略と武勇で奮戦”している若き廃……いや王子ともなれば判官贔屓もあろう。武勇は知らぬが、知略と忍耐強さは賞賛に値する。案外、次の天子は彼やもしれぬ。レン家でもある。

 小競り合いはあるだろうが南部は膠着状態に止まるだろう。あまりしっくりは来ないが、一応は望んだ状況だ。南部情勢はまずこれで良しとする。ここで強行に討伐に出ると号すればまた離脱する輩が出かねない。南部で現在我々南朝に組している勢力の殆どは元々南廃王の、名目上であっても臣下だったのだ。濃淡あるにせよ、人間には忠義心が否応にでも宿るものだ。それと気付いていなくても、踏ん切りの理由になったりする。

 ここで手打ちとし、尚且つ――南朝の、皇太后のババアの狭量な指導方針があるが――一先ずは現状維持とすれば、反感の強い勢力もこちらに逆らう大義名分を上げ辛くなって動き辛くなる。広い心へ狭い心で突進しても格好悪いものだ。名誉も重んじる――本当か?――貴人にはおよそ出来る行動ではない。

 非公式にだが、投降すれば慈悲をかけるとも噂話を流布しておく。本来ならば公式に言いたいし、将来有望な彼を救いたいとも個人的に思うが、あのババアが生かしたまま連れて来い、両手両足を刻んで男色の物好きに売ってやるとか何とか、その手の金切り声を上げているという確かな”噂”だ。とばっちりを受けぬためにも下手は打てん。

 では次の特務巡撫としての行動をどうするかである。

 まず内戦中のタルメシャに手を出す暇は無い。そもそも解決策も、根こそぎ武装勢力を虐殺する程度にしか思いつかぬ程に複雑だ。

 北のフォル江戦線は水軍衆の損耗が意外と激しくて互いに攻めあぐねている。今更、軍に官に軍閥に土豪が渋滞を起こしているかの地に赴いたところで何も出来ないだろう。

 状況を覆すとしたら東海方面と南海方面からだ。海軍を味方につけたい。真に天政を任せるに足るは、天政を守る気概のある者と判断する……可能性が高い。義心あるならばそうなるだろうと思いたいが、義心あるからこそ中立であるか?

 次に特務巡撫として手をつけるべきは、東海のアマナ海賊討伐、南海の内戦中の属国ニビシュドラの安定化。それからそのどちらかか、少なくともそのどちらかの方角からやってくる謎の海賊討伐だ。

 謎の海賊は略奪のようなある種経済的な行動を取るのではなく、沿岸都市を焼いたら逃げるというような破壊を志向する敵だ。海賊と一括りにするのも疑問の浮かぶ災厄のような敵だ。金品目当てでないならば政治目的があるはずだ。純軍事的な破壊活動に専念するのであるなら然るべき軍港機能を備えた拠点と、海洋を渡る太い補給線の両方があるはずだ。

 北朝が外交交渉で獲得した魔神代理領海軍の応援と見做したいが、憶測で断定するのは早計である。下手に手を出し、その謎の海賊に加えて”本物”の魔神代理領海軍にまで遠征されては恐ろしい事になる。謎の海賊対策はヒンユの調査報告待ちとなる。

 アマナ海賊の沿岸襲撃は今に始まった話ではない。海軍と、水軍衆の自発活動程度で普段は済む。しかし内戦の影響でそれが十分ではないのが痛い。場所の分かっている根拠地、アマナの島々自体を攻撃して船に港に港町を焼き払ってしまえば良いのだが、流石にそれを行う規模の軍を、内戦をしている状況で派遣する事は難しい。

 あそこは領主同士で年中小競り合いをしているような野蛮な地だが、時に大同団結して事に当たる伝統がある地だ。被害と対処時の顛末を考えれば、内戦が終わるまで放置するよりない。勿論それが終わったら全力を傾注して叩きのめすのだ。

 ではニビシュドラ王国の支援を行う事にする。服属する正当王朝に叛旗を翻すは、大きく分けて三つ。

 一つ目は本島南部の土着民族連合。過去に天政より渡った軍人の作った本島北部の王朝が単純に気に入らない連中だ。こちらでも南北朝を――馬鹿らしい――やっているのだ。即決する為に、連合の長達の首を狩りにいくべきだろう。根絶せねば似たような反乱は止まらぬだろうが、天政地の南北内戦が終えるまでの間、大人しくしてくれれば良い。天政地が収まった後ならば、いくらでも支援出来る。

 二つ目は西部諸島部のタルメシャ系移民貴族。こちらが反乱を起こしたのはタルメシャ内戦の煽りだ。本土から逃れてきた優秀な奴が糾合したらしい。西部諸島部は貧しいし狭いし、あの謎の海賊程の勢力が拠点に出来るような地力は無い。金と物資と渡航用の船でも用立てて、本土へ反乱軍達をその優秀な奴に引率して貰うのが一番適当だろう。

 三つ目は南島の星海教徒集団。南島は鳥頭の異形種族が住む蛮地中の蛮地だ。こちらは何と言うか、名目上のニビシュドラ領であって、最初から独立しているようなものだ。駐在している軍人と官僚が皆殺しにされて腸を啄ばまれたという話だ。皆殺しなのに腸を食われた事が分かっているというのも不思議な話だが、ニビシュドラではそういう事になっている。こちらは無視して良いだろう。

 属国の分際で足手まといだ。

 見捨てて勝手にしろと放置したいのが人情だが、土着民族達が天政に敵対的な勢力となって、北朝と共同して挟み撃ちにされては困る。それにここが謎の海賊の拠点ならば尚の事困る。動かねばならない。

 弱小ながらニビシュドラ軍も動員出来るようになれば謎の海賊への抑えに、少なくとも海上監視網強化の一助になる。この島々は南海における城塞でもある。

 やる事は決まった。

 メイツァオと下山して来た龍人一同を使う。他には真似出来ない事が出来る連中に、こちらの介入を王朝側にも土着民族連合にも気取られず、奇襲の首狩り作戦を行わせる。奇襲とはその作戦を知る者が少ない方が良い。龍人達なら出来る。彼らにしか出来ない。

 メイツァオを使いの者に、クンチョンで今使っている執務室に呼ばせる。何時でも連絡のつく所にいるようにとは言ってあるが、川や湖の中にいたり、屋根や断崖絶壁の上にいたりと捜し辛い所で寝てたり遊んでたりするので気長に待つ。

 今日は早かった。待っている間に命令書を一つ仕上げてしまおうかと思ったが、題名に筆をつけたところでやってきた。

 リスのように、メイツァオは頬を膨らまして現れた。口が咀嚼の為に動いている。

「食事中だったか」

「んぐぉむぐ!」

「下山して来た弟達とニビシュドラ王国に向かってくれ。標的は本島にて王朝に敵対する土着民族の連合軍だ。西のタルメシャ人や南の鳥の妖怪は放置で良い。即決が望ましい、首狩り作戦で連合を崩し、本格的な掃討は王軍にさせるが良い。もっと凶悪な敵は他にいる、下手に消耗はするな」

「はい兄上! パっと行ってサっと殺してヤっと帰ってきます!」

 龍人の真価とはやはりこれである。

「隠密方にも敵の首の在り処を探り、告げるように指示する。奇襲的な方が良い。敵を混乱させるのがニビシュドラにおける至上目的だ。別の手があれば行使するに構わない」

 龍人にまで隠密働きを期待するものではない。両方の才覚を備えた者など過去幾人いたか。

「分かりました! 日が沈む前に発てます!」

「ではそのように。油断はするな」

「はい!」

「これを持て」

 南海提督に宛てた親書をメイツァオに手渡す。

「南海提督殿へお渡しするのだ。我等が正当天政の行方を決める物だ」

「了解です! 行ってきます!」

 メイツァオは走り去る。騒々しい奴だ。

 それから王朝側に敵の混乱発生時期を伝える手紙も、時期を合わせて伝えるように指示を出すようにしよう。二度目の奇襲が出来るかどうかは王朝側の頭次第だが、数手遅れても指揮統制が乱れた状態で挑めるだろう。

 これ以上の介入となると、大軍を率いて上陸作戦を行う必要がある。地続きならばまだ容易に手を出しようがあるが、軍と共に海をしっかりと渡るのは難しい。渡ってから戻るのは更に難しい。更に更に天地人合わせた時期を間違えないのようにするには天のみぞ知るところである。

 内戦さえなければこんな中途半端にせぬのに。


■■■


 外洋航海に耐える船を多数揃えるというのは中々、金だけがあっても難しい。船の新造には時間が掛かるし、現役船は既に使われているし、解体されていない退役船は……しかし何があっても金だけは欲しいという連中は掃いて捨てる程いる。家族のために大金を残したいという意気もある連中だ。特務巡撫ならばそこは何とかなる。

 心当たりに手紙を出す。こちらも必要な人物にだけ情報を与えて、他には漏れぬよう工夫が大いにいる。それも踏まえた心当たりだ。人脈は造ってきた心算だ。

 一軍を運ぶだけの艦隊を用立てるとなると工夫しても中々難しい。工夫せずに用立てるのも、やはり難しいか。船に船員、大砲に用具類、食糧に弾薬、奴等が元気を出す程度に揃えてやらねばならない。

 艦船のような大物も含めた物品表と、現在の収支表に、対象範囲の変動に伴って徴税額にも変動が生じてきた軍税徴集表の推移を見比べる。中々――今までもこれからも当然だが――失敗の出来ない額になりそうだ。そもそも人民の血税を寸たりとも無駄にするという事は忌避されるべきで、そして不可能な事ではあるが……悩ましいな。

「若様、謎の海賊の正体が判明致しました」

「うむ? おお、ヒンユか、遂にか。聞こう」

 やや遊び人風の書生姿でヒンユが執務室に現れた。何時もながら、敵どころか味方の目も誤魔化し切って登場する奴である。味方というのが本当に味方か分からぬのだからこれで良い。

「謎の海賊は魔神代理領軍と判明。活動拠点は領主シラハリ・ハルカツが名目上、妻のシラハリ・コウこと、ギーリスの娘ルーキーヤが統治する港湾都市マザキです」

「アマナの、よりにもよってマザキときたか」

 マザキの商社は東大洋貿易で名高く、海賊に襲われる事が極端に少ない、安全な海運企業としても有名だ。位置もかなり深く抉れ、幾又と分かれた入り江の奥にある名高い港だ。収容能力が高い上に、陸上砲台の組み合わせ次第ではどれ程の艦隊を差し向けても突破出来ぬとも言われる。難儀であるな。

「マザキ側は補給基地として港を提供するに留まり、武力支援は無し。逆に敵対領主達との抗争に力を借りている状態にあります」

 妥当そうな対処は陸路攻撃だが、そうなるとマザキ以外に手を出す事になって、それも連鎖し、アマナ全体を刺激する事になり得る。アマナ全体を敵に回して戦うのならば、最低でも魔神代理領との繋がりを断ってからの方が良い。かの野蛮なれど第二の文明国の力は天政に迫る。その魔神代理領からの支援を受けた敵勢の討伐など北朝相手より気が遠くなりそうになる。万全の状態ならばまだしもだ。当たり前だが今はそうではない。状況は良くない。

「敵対領主とは?」

「現在は東隣のムツゴ、ハセナリの二領です。かの地では大領主が周辺領主を糾合して急拡大する事が流行だしておりますので、今この時点でも情勢は変化しているかと」

 その敵対領主に支援を行う用意をするか。直接支援するのは相当に厳しい距離であるし、しばらくはその二領に金と硝石を送る程度に止めようか。また支出が増えるな。

 しかしこれは考えれば考える程に良くない。魔神代理領からのあからさまな武力干渉があったと龍帝殿下にご報告申し上げるべきだろうか? して呆れられても、敵対するわけではあるまい。可能ならば、内戦はともかく、そちらだけでも助力を請えないだろうか? 天龍には天政を守る義務があるから、何とかならないかと期待したい……北朝が呼んだ傭兵扱いで終わるだろうが、必要な訴えをしない理由にもならない。

 霊山にまた赴く用意も必要か。家の方へも伝令を飛ばすか。これでは身体が一つで足りぬな。

「使いを頼む。ニビシュドラ西方のプアンパタラ諸島に亡命してきたアセガンヤマン王にこの親書を渡してくれ」

「は」

 ヒンユに、かの乱入者にタルメシャへ戻るために支援を行う用意があるという旨を伝える親書を手渡す。

 これは早さと正確さと機密さが重要だ。内容は、正直に書いてある。下手に勘繰られても面倒だ。タルメシャ人には故郷へ戻って貰うのが互いに良い。

 ヒンユは素早く礼をし、足早に去った。

 むう……労いの声すら掛ける前に消えてしまったな。


■■■


 ニビシュドラへの介入を開始してしばらく、朗報である。プアンパタラ諸島部のアセガンヤマン率いるタルメシャ人共は贈物を受け取ると、意気揚々と本土奪還――馬鹿馬鹿しい――に向かったらしい。また戻ってこられても困るので、全て沖合いで自沈するようにしてあるというのに。まあ、普通に走っていても沈むような老朽船と急造船ばかりだが。

 もう一つ朗報である。メイツァオ等が土着民族連合の族長集会を奇襲して、確実に誰も逃がさず皆殺しにしたとの事だ。権威的な集会だったので、場所から日時まで周知であったそうだ。これには首を探した隠密達も気が抜けただろう。

 土着民族連合は元々多かれ少なかれ対立し合っていたのが、敵を一つに絞って団結した連中だ。団結を進めてきた長が丸ごと死んでは、さてどうなるか? それとニビシュドラには頃合を合わせて攻撃をするように伝えたが、さて? 続報待ちだ。


■■■


 南海提督から現状維持に留まるという煮えきらぬ返信へのそのまた返信内容を書くために待つことまたしばらく。

 待っていた朗報。ニビシュドラ王が内戦に対して勝利宣言を出した。こちらがお膳立てした頃合の奇襲作戦は実行されなかったようだが、着実に連携の取れぬ土着民族連合を確固撃破したそうだ。それはそれで良し。現場の判断というものがある。

 次は天子様のお名前でニビシュドラ王へ南海防衛の、具体的な勅令を出して頂かなければいけない。そして特務巡撫の名前で事前説明する手紙も出さないといけない。

 ニビシュドラの安定を一先ずは取り戻せそうである。これで南海を固める事が出来るはずだ。なんとも遠回しな対策だが、穴の開いた城壁ではいけない。

 次はタルメシャ南洋諸島部で海賊王を名乗っている、天政に仇なすギーリスの息子、大海賊の亡霊ファイードを屈服させねばならない。

 謎の海賊が魔神代理領軍と判明した以上、そこを断って東西海路を分断する。

 南海程度の範囲ならば特務巡撫の権限で、かなり準備期間は必要だが動ける。しかし南大洋の一部であるタルメシャ南洋諸島部まで出張るとなるとかなり厳しい。金で済む話ではなくなるのだ。であるから海軍の支援が必要だが、中立の立場を主張する彼らをどう利用する? ニビシュドラ安定化の寄与したのだからと義心を煽るのは、やや苦しい。

 否、簡単な事だった。謎の海賊、魔神代理領軍という外敵を追い払う作戦であるのだ。海軍に遠慮する必要は無いじゃないか。南海提督に会いに行く算段をつけよう。返信は書かず、直接口頭にて伝える。

 そして二つ目の報告があって、それは朗報ではないようだ。当主に本宅まで呼び出されたのだ。この大事に何事だ? 移動するだけでも日時の浪費というのは並大抵のものではない。分かっているはずだが。


■■■


 山間部、岩肌を縫う迷路のような長い階段上った先の、仙人が住んでいると噂になっている本宅へ到着する。後ろには荷物を背負った騾馬と使用人が列を成している。

 玄関で守衛に礼と共に迎えられ、門が両開きになる。昔は脇の通用扉を潜っていたものだ。出世すれば扱いが家でも変わる。

 比較的手狭ながら、京の宮殿にある調度品と見劣りせぬ逸品が並ぶ通路を抜け、ふふふ――馬鹿馬鹿しい――食卓を外した茶の間こと、我が家の謁見の間に着く。

 ”玉座”に座り、出迎えるのは当主ルオ・シリュン。引退した宦官だ。

 当主の引退は表向きで、派閥抗争に負けて追い出される寸前で勇退を演出した食わせ者。敵対派閥にもそのように思わせる事に成功している。京では石を一つ投げれば二つの派閥に当たるらしい。らしいというのは、自分が思うに三つだからである。それぞれ皇族、役職、家毎に斑模様。本当に馬鹿馬鹿しい。

 礼をする。

「直れシラン」

「はい」

 下げた頭と合わせた手を戻す。

「世は酷いな」

「はい」

「エンがレンに取って代わろうという時である。どう思うか?」

「名の交代は稀なれど天政の習いです」

「ふむ。かつてはレンがキーに取って代わったものだ」

「はい」

「ではルオがエンに取って代わる事があっても、歴史の流れの中では何も不自然ではない」

 痩せた老婆のような顔で、当主が言う。モノが無い分、一族繁栄への執着は熱狂を帯びているのだろうか。

「結婚をしなさい」

 誰の? 自分の? 何を馬鹿な。

「日時は?」

「相手の名を先に聞きなさい」

「お相手は?」

「エン・ジュイシャン」

 エン本家筋の年頃の娘で、以前に見た時は見てくれはどこかで用意したかと思うほど幼いくせに妖艶だったと記憶にある。目付きに首の傾げ方なぞ、踊り手にでも教授してやれるものと感心したぐらいだ。それが歳をやや重ねたとなれば、出来の良い娼婦にでも仕上がっているか。

「私が思うより戦況は落ち着いているのですか」

「その皮肉を言われても笑っているような愚か者揃いだ。脇腹が見えておる」

 南朝の連中にとっては、今は戦線膠着状態で動きが無いものと見ているらしい。やれる事はいくらでもあるというのにだ。ふざけている、急所が確かに見えているな。奴等は自分の努力を嗤っているのだろうか? 見てすらいないか。そもそも澄んだ目は無いか?

「外戚のやり方があるな。分かるな」

「はい」

 まずは妊娠するまで家を出さないと、遠回しに言われた。当主には逆らえない。

 子供が生まれて初めて正式に婚姻が成立するというのは古き伝統。産めぬ女、作れぬ男と結婚しても浪費でしかない。

 古い伝統が足を引っ張る。やる事がまだまだ山積しているのにだ。そしてまさか妻を最前線、それも混沌とした南部や沿岸部に連れていくような真似は、今のエン家の女であれば尚更出来ない。個人的にも反対だ。

「下がりなさい。花嫁が来る頃には報せよう」

「はい」

 自室に戻る。寝泊まった回数は数える程の。

 寝台に寝転がる。誰が見ずともこのような無作法、しないのだが。

 真に天政を憂う者はいないのか?

 皆、私腹を肥やすことばかりを考える。たまに徳の有りそうな者がいれば、それは天政ではなく一家如きの繁栄を目指すだけ。天政の為と言いつつも、結局は派閥争いの領域にとどまり、外を見ない。そう思いつつ、お家には逆らえぬと任地を離れた自分は何だ?

 それにしてもメイツァオにはもう一度、自分の親書を持たせて南海提督に会いに行くよう指示したが……不安だ。一度使いに出した事だし、大丈夫だと思うが今更に不安だ。不安過ぎて胸が苦しい。あいつが貴人の礼を取れるか? どもらないか? ああ、服装の指導をしていなかった。しまった……自分が南海提督役になって何度か面会の練習をしてやれば良かった。大丈夫かメイツァオ? そもそもメイツァオに何故自分は任せた? 血縁ということこちらの威容を借りられると考えたのもあるが、別に伝令任せでも……いやいや、それでは礼を失するというものか。

「ぬぅ……」

「思わず唸ってしまうのう。公職はほんに面倒複雑、怪奇な手管が万博のようやの。下げたことの無い妾の頭まで下がってきそうやわ。エラいのう、偉いわ」

 黒龍公主再びである。しかも何たることか、枕と思って頭を乗せていたのが彼女の膝だ。今、頭を撫でられている。龍人にして隠密とはこの方であるか? 自分がそこまで間抜けとは思わないのだが、どうだろう?

「これは失礼を……」

 身を起こそうとしたら押さえつけられた。反発してもそれ以上の力で押さえて来て、首がおかしくなりそうになったので諦めた。自分が貧弱なのではない、むしろ頑健である。龍人の膂力がおかしいのだ。

「結婚やて?」

「はい」

「妾寂しいわぁ、本に寂しい。先に純潔奪っちゃろか」

「ご用件をお伺いします」

「まあ、純潔やの?」

「一官僚に児戯を嗜む暇はございません。ご用件を」

「あらまぁ、お堅いのは別に職業病ではなかったんじゃの」

「ご存知でしょう。ご用件を」

「女子を急かすもんや無いの」

「私には関係無い事です。ご用件を」

「サウ・ツェンリーという娘っ子に会うて来たわ」

「はい」

「こんな程度で内乱を起こす天政の天子という制度は欠陥で、二人協力して、龍人にでもなって南北朝も一緒に滅ぼして、代わりの天政に相応しい制度を組んではどうやろかって?」

 ここにも反逆者がいるのか。

「二人とは?」

「分かるやろ? ランランにツェンツェンじゃ」

「天子と官僚に求められるものは異なります」

「天子が無くとも丞相がいれば問題無いやろ。丞相か、ちょろと名を変えた役を天政の最高位にすればえぇのう。世襲から三選挙のような選抜試験に変えるんじゃ」

 惹かれるものは多少ある。

「名目的な君主がどうしても必要なら、不死の龍帝殿下がおられる。名代としてなら黒龍公主、妾が動けるやろ? 完璧無穴、のう?」

「サウ・ツェンリーは否と答えたでしょう」

「そこはお察しの通り。だがの、言葉を伝えるのは馬鹿でも出来る。はい、としか言えぬようにするのが政治じゃ」

「それは私に対してもですか?」

「今、聞いてみても良いのか?」

 腹の底、自分も分からぬその裏側まで見通すようなその口振りに勝てる気がしない。

 レンがいて、エンがいて、ルオがいて、黒龍がいて、軍閥があちこちにいて、もしやするとサウもいる。海賊に加えて、魔神代理領の武力干渉もあって、隣の野蛮人達はタルメシャを始めに混乱状態。天政下の属国も何時までも大人しくしているとは限らず、戦乱が長引けば軍組織のような盗賊も出てくるだろう。ユンハル部はなにやら北朝に撃退されたらしいが、一度や二度の撃退で遊牧民が消滅するのならば先祖代々、北方問題で苦労はしていない。天政とはここまで砕けやすかったか? もしも千々に砕けたならば、一体この先どうすれば?

 黒龍公主が自分の頭を撫でる手を止めずに、ふと思い出したように言う。

「そやそや、リャンワンで総把軍艦が脳溢血で死んだらしいのう。表向きにまだまだ、何や愛人を追加したとか変な噂が流れてるだけやけど、どうなることやら」

 貴人と号する輩は知らぬが、真面目に働く者は死ぬ程苦労する状況であるか。

 嘆かわしい。実に、実に。

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