第94話「東進後南進」 ベルリク

 魔都よりメルナ川と関連運河を下り、南大洋に出る。

 少し南下すれば熱帯の雨が凄まじい。まるで滝だ。雷も同様、帆柱先の避雷針が無ければ逃げたくなる。これに比べたら魔術の規模の小さいこと小さいこと。

 雨水集めに甲板に空樽や鍋が並べられる。裸になって、甲板で体を洗うのも良い。自分も洗ったし、船員達とチンコ比べもした。

 南大洋は突発豪雨があるから真水にはそこそこ苦労しないのがいい。少し悪くなった水を酢で割っていたが、今日は真水が飲めるぞ。

 提督便所、艦長便所、士官便所、船員便所、穴の真下は海原。四つとも試したが、提督と艦長便所が妥当に一番良い、造りは同じ。ケツを置く所の出来が違うし、踏ん張っている最中に辛そうな顔をした次の番手と面を合わせなくても良い。

 尻を拭くときは古くなったボロ綱で拭く。拭いた後に便所から垂らして海水で洗えばそのまま、また使える。それでも汚れが酷いときはそこだけ切り落として捨てれば良いのだ。

 船にネズミはご法度。食糧は荒らす、木材は齧る、病気は撒くわで大変なのだ。もし噛まれたら怪我したというだけではなく高熱を出してしまう。設備も物資も乏しい船上では命取りになる。敵にケツでも追われていない限りは荷物検査は徹底してネズミが入り込まないようにしているらしいが、それでも入り込む。

 ネズミ獲り用の猫を各船で飼っている。ネズミを食うように基本は餌はやらないが、あまり痩せてくるようだと食わせるらしい。暇な時はこの猫を捕まえて腹に胸を撫でて甲板で転がしている。にゃんにゃんにゃん。

 またネズミには賞金がかかっている。非番の船員が小遣い稼ぎに殺したネズミを主計官の所に運ぶ姿がたまに見られる。

 アクファルはクセルヤータにべったりと思いきや、定期的にアスリルリシェリ号にやってくる。たぶん、クセルヤータの気遣いだ。送り迎えは彼がやる……彼氏の送り迎え?

 そんなアクファルだが、暇を持て余して白兵戦用の短槍を借りてネズミ狩りを行った。すると桶一杯に獲ってくる。根こそぎやったのか?

 船を移動する時になるとアクファルは帆柱を登る。流石に熟練船員の早さではないが、スルスルと縄梯子に綱を掴んでよじ登って、天辺、避雷針の所まで到達する。クセルヤータに乗っているので高所は平気なのだろう。

 アクファルが帆柱の天辺あたりで口笛を吹くと、少ししてクセルヤータが飛んできて、すれ違い様に手と手を繋いでアクファルを持ち上げ、勢いのままに首の後ろまで持って行って鞍に着座させる。船員がヒューと口笛を吹く。

 定期的に、汲み上げ機であげた海水を甲板に巻き、下っ端船員達が裸足になって石で擦って磨いていく。苔なんぞ生えたら転んでくたばっちまうだろう。甲板の木は固い。固いのは当たり前だが、陸上で固いのとは意味合いが違ってくる。船上は転び易いのだ。

 スライフィールの方の船に乗船しているルサレヤ閣下だが、洋上で頭同士が会話する時は、閣下自らこちらへ飛行してくることになっている。いくら親近感があって時に冗談を言うとはいえ、足を運んで貰うとは畏れ多い。手間でも船員に嫌がられても、こっちから船を出して向かいたい。現在無職とはいえ、あの大ルサレヤ大閣下である。書類上から見れば役職持ちの我々の方が立場がありそうなものだが、そんなものではない。齢超九百の威光が我々に侮り等許さない。例えルサレヤ閣下が許してもである。

 次に入港するのはビサイリ藩王国であるので、ルサレヤ閣下を招いてその事について打ち合わせ、意思疎通を行った。

 入港前から各船で病気にかかった者を一つの病院船にまとめている。発症者を出さないというのは無理な航海日程であるが、早期に隔離したので罹患者は少ない。時間は流石にかかるが、元の船に復帰した船員もいる。これは凄い事だ。流石は魔神代理領か、病院船という名の隔離施設ではなく、本当に内部の造りに医者の体制が病院なのだ。

 ビサイリ藩王国で物資を購入する交渉はジャーヴァルの者、ナレザギーが担当する。資金については軍務省より既に十分なだけが現物で出ている。人が出せない時はちゃんと金を出せるのが魔神代理領だ。

 ビサイリ藩王国での休暇中の行動制限。原則、入港する藩都カラスーラの外から出てはいけない。船員へのお小遣いは通常通りに、給料から差し引いて出す。軍の金から出すにはまだまだ任地が遠く、成果無し。それに余り羽目を外されて船に戻って来られなくなったりされたら困るという事もある。ダスアッルバールでの宴会は、あれは地元といえば地元なので出来る事だ。たぶんね。

 それから病気や動物に虫、女を持って帰って来ないか乗船前に検問する段取りをつける。そして事前にそんな事、酒と女に病気やら何やらを持ち込ませないように目を光らせる目的で海兵隊を街中に配備させる。地元警察との連携もさせないといけない。船上での仕事が少ない分、海兵隊は陸で苦労するのだ。船員は船の点検整備があって交代上陸だし、海兵隊も交代勤務だ。別に不公平ではない。

 妖精の休暇についてはダスアッルバールや魔都での入港に倣う。民間人との接触を避ける為に移動制限区域を設けるのだ。妖精達は別に人間を相手にしないからといって腐るものではない。街中では郊外に野営地を築く予定だ。川があればいいが、大体にして川沿いは人口密集地帯だ。湿地帯でなければいいだろう。あの疲労を知らないんじゃないかと思える妖精達だが、ラシージに聞けば街中より草木のある揺れない床に戻した方が良いとの事だ。その通りにする。

 ビサイリ藩王にはルサレヤ閣下とナレザギーで会いに行く事に決まる。藩都のお偉いさん方の相手はルサレヤ閣下が引き受ける事になった。自分如きが心配する事案ではない。

 船の方は各艦長が当然面倒を見る。そしてセリンは魔族であり提督という権威があるので全艦船の代表として現地の役人と折衝させる。これには勿論ナレザギーが補助に付く。

 自分は他の皆が苦労している間、郊外で妖精達とキャッキャと楽しく遊ぶのだ。


■■■


 ビサイリの藩都カラスーラに入港する。ナサルカヒラ州の軍事顧問団に鍛えられた海軍に出迎えられ、礼砲が鳴った。

 水流が穏やかな港内に船が入ると、良く見なくても人間の死体がプカプカ浮いている。鳥が啄ばんでいたり、ワニが水中に引きずり込んだり、虫や魚が集っていたりするので、意外と腐ったりしているようなエグいのは浮かんでいない。ここでは川に死体を流して水葬にするのが習慣なようで、河口からそこそこの頻度で人の死体が流れてきている。

「これまた凄い光景だな」

 ナレザギーが解説を入れてくれる。

「アバブ神の釜戸で火葬するのが一応、最もジャーヴァルでは好ましいとされているけどね。でもそれは石油の出るザシンダル以外では結構な贅沢だし、川があれば川に流す水葬が一般的だね」

 それにしても、そんな死体の横で網を引いて魚を取っている漁師が凄い。頼りない小船だし、その脇で死体とはいえ人を食ってるワニが泳いでいるのだ。

「ああいった魚を食べて祖父母が体内へ間接的に戻ってきて、子供が生まれたらその生まれ変わりだ、という信仰がビサイリを含めたジャーヴァル西部では根強いよ」

「へぇ。メルカプールは?」

「棺に入れて土葬」

「あの漁師のおっさん、危ないだろ」

「食べる物があればワザワザ動く物はあまり狙わないみたいだよ」

「あぁ」

 各船が入港作業に入り、船員達が大きな声を出し合い始める。独特な言い回しに専門用語、それにわざと緩急をつけた号令だ。その発声方法は言葉がハッキリ聞き取れなくても音の調子で理解出来るようにする技術であるが、門外漢ならば知ってる言葉であっても聞き取れない。魔神代理領の”共通語”が分かっても、これは理解し難い。それから船の共通語も”共通語”だが、魔都で聞くような共通語ではなく、どこかの方言の様子。作業要領まで理解しないと耳で聞いても覚えるのは難しい。やっぱり自分の仕事場は陸の上だなぁ。

 入港を歓迎してくれるというお偉いさん方の対応はルサレヤ閣下にお任せしてしまったので我々は普通に入港する。

 役職持ちという事で序列的にはセリンが出張るところではあるが、ルサレヤ閣下の”魔なる権威”には名札付きでも及ばないという判断が適当であるらしい。一応、無任所将軍でもあるし、とにかくこちらに面倒が無い。面倒が無いだけではなく、”魔なる権威”で相手方のお偉いさんを圧力で負かせてしまえば、向こうから勝手にこちらを優遇してくれるのだ。合理的に考えても虚仮脅しはババアに任せるべきだろう。

 検疫を受ける。病院船という画期的な対処のお陰で、その病院船以外の船の上陸許可は素早く降りた。

 次に、事前に用意させていた生鮮食料品以外の腐らない物を運び込む。

 そして各自持ち場に分かれ、休暇に入る。次の目的地のナギダハラまではそう遠くは無いので期間は若干短め。

 自分は妖精軍団二万を引率し、用意された郊外の、割かし湿気の少ない所で野営する。

 まずは航海で鈍った体を鍛え、戦争技術を取り戻すために訓練を一通り開始。ラシージが出来栄えを見て、何度も反復。実弾射撃は流石に人様の土地で出来ないので、空砲射撃訓練も実施。

 そういったものが終わったらもう好き勝手に遊ぶ。追いかけっこしたり、砂の川原で山を作ったり、石投げたり、花輪作ったり、蟻の行列を追跡したり、蝶の標本作ったり、誰が一番長い蛇を捕まえるか競争をした。ルドゥが人間の子供を飲み込んだ蛇を持ってきたのが最大で、優勝。子供は判別不能に溶けていたので川に流した。

 アクファルがクセルヤータに乗ってやってきた時は、竜の巨体が潰れそうになるくらいに妖精が集って乗り掛かった。アクファルには、何と奴等は人間の雄雌の区別がつくようで、大量に摘んだ花を持ってきて振りまいたり、綺麗な蝶やら甲虫、石を持ってきて見せていた。

 セリンが夜中にやって来ることもあったが、妖精共がワッキャワッキャ騒いでいるので長居はしなかった。

 ルサレヤ閣下とナレザギーは休暇無しに仕事をしていたので最終日まで会う事は無かった。

 そうして休暇が終り、各船は出港用意中である。

 そんな中、ナレザギーの指示で怪しい箱を船に運び込む、メルカプール人一行がいた。護衛にはそこそこ身形の良い同国人の兵士付き。

 ナレザギーの背中を突っつく。

「あれは?」

「神の酒と呼ばれる物を作るための薬だね」

「飲めるのか?」

「君が飲むものじゃないかな。飲ます以外にも使い方はあるけど」

「どんなのだ?」

「我が王家秘伝の聖戦士の儀式に使う。疲れず飲食を忘れて眠らず痛みを知らずに動き続けるようになって、それに良く言う事を聞くようになる」

「おお、凄いじゃないか」

「これは傭兵でも現地で雇ったら捨て駒にする時に使おうかと思ってるよ」

「ほう?」

「これを使うと一生味わえないような快楽が得られるけど、効果が切れると逆にとてつもない苦痛がやってくる。お祭りの時には用法を心得た神官が二日酔い程度で済むように調節するけど、そうしないで飲ませつつ洗脳すれば聖戦士の完成。あの楽園に戻りたいならば戦って来いと命令する。その時に幻覚を見て神秘体験もしているから、もう普段の常識が非常識になってしまう。自分の世界が変わってしまう。これに耐えられる程人間は良く出来ていない。特に、これはこういうものだと知らない無垢な者程良い。青年になりかけの少年が理想とされるね。猜疑心の強い者でもその時に女でも抱かせれば大体成功するよ。頭が変わるくらい気持ち良いらしいね」

「もしかしてジャーヴァルの時に使ってたか?」

「アッジャールが本格侵攻をしていた最中だけだね。おかげでシッカは守れたし、ナガドの方に受け流せた」

「お前が犯人か!?」

「まさか、それは藩王の功績だよ。父上の手柄だ」

「第十五王子義勇軍には?」

「これから帰農させたり国防を担わせたりするような兵士達にそんな物は使わないよ。頭がおかしくなるし、寿命は短くなってしまう。飲ませ続けるには結構な金もかかる。どこまでいっても鉄砲玉用」

「薬の配分、洗脳の儀式、それから捨て駒共が良く働く頃合を調整して出撃させるまでを含めて王家秘伝の技ってところか」

「その通り。薬の配分なら手引書を読めば結構簡単に覚えられるけど、それで聖戦士に仕立てる方法から、万全の”体調”で戦場に送り出すまでの運用方法は簡単に真似出来るものじゃないよ。会戦前に全員がぶっ倒れて戦う前に降伏なんて失敗談はあるからね」

「その時が来たら頼む」

「任せろ」

「……妖精にやったらどうなりそうだ?」

「君がいれば要らないんじゃないかな」

「マジで?」

「マジで」

 そうして朝に取れたような新鮮な生鮮食料を積んで出港する。


■■■


 ナギダハラへ向かって航行中である。

 ベバラート藩王国近辺で、近道な上に外海の激しい嵐もそこそこ避けられるが、毎年座礁する船が出るという暗礁海域をセリン先導で抜けた。海産物を獲ってきては腹一杯にしてくれる上に、艦隊指揮も取って暗礁海域の確実な先導も出来るとは、冗談みたいに有能な奴だ。

 暗礁海域にはそこそこの小島がいくつもあって、真水補給ついでに蝙蝠に、誰かが昔に放して居ついた猪豚を獲って食べた。

 それから武器に鉄を欲しがる原住民がうるさかった。武器は勿論ダメ。鉄は樽のタガのようなある程度加工された物――短刀なり槍の穂先なりを作る気らしい――を欲しがったがそれもダメ。上陸部隊には無視するよう指導した

 それでも若い女が船員を誘惑してまで欲しがったので、威嚇射撃で追っ払わせた。誘いに乗ったらチンコもいで島に置き去りにするとセリンが言っていたので、皆大丈夫だった。

 それでも部族抗争に鉄器は相当に有利になるので、対価にと人まで売りに来る始末。しつこい奴はフラフラになるまで殴ったし――少し死んだ――盗もうとした奴は斬り殺した。復讐を試みた奴等は偵察隊が殺してバラしてバラ撒いていた。

 一つ狭い海域を渡れば火箭をぶっ飛ばしている連中がいるというのに、世界は大小様々に斑になってあるものだと思うと感慨深い。

 暗礁海域を抜けると、潮流同士がぶつかり合って海に筋が出来て、そこにゴミが滞留している。ゴミと言っても枯れ腐った海草や、砕けて角が削れた木屑程度。

 その中に黒い物を発見。下甲板に降りて――下っ端船員が砲弾磨きで錆び取りを行っている――砲門の蓋を開けて、大砲掃除の螺旋棒を伸ばして引っ掛けて取る。海水がついた螺旋の金具部分を雑巾で拭く。

 黒い物は、ロシエの海軍士官が被る二角帽だ。裏にはフラルの共通文字で名前らしき頭文字が刺繍されている。奴等のジャーヴァル会社はまだ細々としてしまったが存在しているので、珍しい物ではあるが、奇跡の産物ではない。

 沈まずに海を漂っていたとは――元の台座はどうなったか知らないが――運の良い帽子だ。触った感じ、防水加工がしっかりした上物である。くたびれた感じはちょっとしかしていない。乾かせば十分被れる。

「どしたの旦那それ」

 セリンが拾った帽子を指差す。

「拾った」

 水気を払って、濡れそぼっているが被ってみる。

「似合うか?」

「糞みたい」

 セリンが持ってきた鏡を覗けば、かなり似合ってなかった。記念品として取っておこう。

 少し前から練習をしている、甲板上での逆立ちがそこそこ出来るようになった。海が凪いでいる時でも船はそこそこ揺れるので、中々平衡感覚が掴み辛い。逆立ちというより、逆腕踏み? のようにするとそこそこ良い感じ。


■■■


 折り返してやって来た、戻って来たとも言えなくもないナギダハラに入港する。

 見るのも久し振りなファスラ艦隊が出迎えてくれる。彼らはナギダハラにおいては公式な存在ではないので礼砲は憚られる。

 代わりだが、再建されたらしいザシンダル海軍の小ぶりな艦船が礼砲で迎えてくれた。時代の一山を越えた感がある。

 またもお偉いさんの相手はルサレヤ閣下とナレザギーに任せる。礼砲を受けたのはルサレヤ閣下の乗艦だ。入港時にはタスーブ王直々の出迎えの挨拶やら何やらを行うという、ビサイリ以上の国賓待遇だ。魔なる権威が如何程かと感じる。ベリュデイン総督の言葉が少しずつだが理解出来てくる。

 後から入港する身としては、船縁で頬杖突いてのんびりするしかない。まずは歓迎されている船が入港、係留してから我々後続が入港する。

「よっと」

 トンっと、隣で足音がした。横を向けば、長髪長髭のファスラくんだ。船に海を渡ってきた様子。

「おう」

「よう」

「どうだね?」

「ああ?」

 ファスラが尻を撫で回してくる。割れ目に指が入ってきたので逃げる。

「よお久し振りだな。髭の調子はどうだ」

「ツヤツヤピンピンだ」

 こっちから、ファスラの髭を撫でる。

「セリン、来てるな。部屋か?」

「艦隊で出す書類確認してるよ」

「はぁーん、真面目に見えないクセに真面目だからな。そうだ、イスタメルに戻ったとき、あいつどうだったよ」

 どう表現しようか?

「とりあえず、結婚はしてないだけだな」

「頼んだ。あれの相手が務まるのは旦那ぐらいだろうな」

「そうか?」

 今度はチンコを触ってきやがった。まあいいや。

「ジャーヴァル、どうよ」

「ザシンダルは牙が抜けて今や子猫ちゃんになった。主戦犯の割には王妹ネフティがジャーヴァル皇孫妃だし、そいつが産んだガキが成人したらケテラレイト帝が譲位するって事になってる。臨時皇帝だからな」

「産んだ?」

「短期一発で野郎を産みやがるなんて特別な股座でも持ってるに違いねぇ」

「美人だったしなぁ」

 ファスラのシャチが目の前の海面で、背ビレを立ててクルクルと円を描いて泳いでいる。

「それにしてもタスーブ王は有能だ。ぶん殴られて負けた敗者の上、親父を暗殺した奴がだ、今や最有力の外戚なんだぜ? ケテラレイト帝が後見に、ある程度の期間はつくんだろうが、政治は怖いねぇ」

「ある意味今が絶頂か。ルサレヤ閣下を直にもてなして更に上か」

「ルサレヤ様か。そうだな」

「アギンダの奴等は?」

「アギンダ族は罪を丸っ被りにされてあちこちで狩られてる。悪行は全部アギンダ族に押し付けて高原の山賊共は仲直りしようって腹だ。上手くいってるみたいだ。内戦で余った武器がガダンラシュ藩王の軍に流されて、アギンダ族も真っ青な厳戒態勢で統治するって方針らしい。皇帝陛下公認なだけ昔より、低地の人間には優しくなるだろうな。良い感じだぜ」

「俺の撒いた肥料から芽が出たか」

「旦那のダルマフートラでのやんちゃは良くお話に上ってるぜ。悪口を言うのも微妙だから、仕方がなかったって事に表面上はなってるよ」

「おーん、中途半端だな。無理にでも焦土作戦やっとけば……ああ、アブラチャクに突入した方が良かったか」

「旦那の仕事は面倒臭ぇな」

「目指すは名前出すだけで全面降伏か、一致団結して激戦か、だ」

「寿命足りるか?」

「頑張ります」

「へっへっはっ」

 シャチが俄かに周囲の船、船員から注目を集めている。ファスラが指笛を高く吹くと、シャチは一旦海中深く潜り、一気に弾き出されるように高く跳んだ。拍手、拍手。周囲も拍手。

「頑張りっていやぁ、ガジートの猫野郎のにゃんこ軍団に魔術使いのヘンテコ共は良く働いているぜ」

「おお、おっ始めてるか」

「順当に沿岸部を襲撃して、焼ける物は焼いている。依頼してきたビジャン藩鎮のサウ・ツェンリーって奴からの連絡は今のところ無いからこの方針を継続するみたいだな。まあ、今更そんな激しいのは勘弁してって言ったって遅いがな」

「不測の事態は?」

「アマナで使っている拠点を防衛する仕事があるんだ。アマナは五十年前に折角まとまった中央政府が内戦始めてな、緩急あるんだが、徐々に影響下から領主が抜けたりなんてしてるんだ。小競り合いがその頃から流行なんだが、最近は畑の分捕り合いが激しい」

「不作か?」

「冷害もあるが、新大陸の銀が流れ込んで相場が崩れて経済が面倒になってるんだとよ。鉱山持ちが山だけじゃなくて周りのケツまで掘り始めて、やられた奴がやり返して、隙を突いてー、ってな。しかもそこに銀相場の混乱と煽りを受けた米相場の混乱に乗じて儲けた奴が出てくるもんだから楽しい事になるわな」

「小競り合いかー、はー」

「その拠点がマザキっていうんだが、海洋貿易で羽振りが良いから、他所の領主が小遣いを稼ごうとちょっかいを出してくるんだ。村占拠して住民攫って、返して欲しいなら金払えってな。払わないなら村はそのまま頂いて、住民は奴隷に売っ払うって手口が良くある」

「貧乏人は忙しいな」

「貧乏なのは外の奴等だけだ。今頃ならもうマザキに行けば物が売れるってんで、旦那の連れて来た艦隊を受け入れたってちゃんと食わせるだけの物流は整ってるぜ。先発後発で軍を分けてて良かったぐらいだ。普段ならこんな大所帯を食わせるような物なんて流れてくる仕組みが無ぇから、レン朝以外の奴等相手に略奪でも仕掛けねぇと飢えてたところだ。姉が物流捌いてるから、外からの流れが遮断されない限りは信頼してくれて良い」

「姉?」

 何となくファスラにセリンを足したものを想像する。人格破綻者かな?

「そのマザキで領主やってんだ。名目領主は旦那さまだが、基幹の海軍は姉の物だ。なんつーか、セリンを理性的にしたような感じの奴だな。海賊働きより、普通の海洋貿易で計算尺弄ってるのが性に合ってるようなアレだ」

「どっちが面白い?」

「可愛い可愛いセリンちゃんに決まってるだろ。なぁ!?」

 なぁ、のファスラの声が向けられた方向にはセリン。兄妹の感動の再会である。

「セリンちゃん、お兄ちゃんに、おひさーのちゅーは?」

 ファスラが目を閉じて口を尖らせる。うわっ、気持ち悪っ。

「死ね糞が」

「何でよー、昔はしてくれたじゃないかー」

「あー! 糞野郎」

 ファスラは今にもセリンに、顔から飛びかかりそうだ。セリンの足腰は何時でも逃げられるような状態で、手は短刀の柄に掛かっている。

「ちゅーしてくれないと死ななーい」

 髪の触手による十を越える拳銃一斉射撃をファスラがニヤけつつ避ける。

「見ない内に大道芸を身につけたじゃねぇか。俺にゃあ通用しねぇがな、ちゅーしてくれないと死ななーいからー」

 セリンが口を尖らせて、普通に唾を吐いた。ファスラが笑って避ける。

「酷いなぁ、お尻触っちゃおうかな? 俺がどれだけ揉まれたか検査してやる。お兄ちゃんの務めだー!」

 それから正に白刃閃く白兵戦に展開するが、ファスラが何枚も上手。刀でセリンの、手と髪の触手が繰り出す短刀に手斧の斬撃刺突、思い出したように不意打つ拳銃の銃撃も避ける。常人でも魔族に渡り合えるという証明に、やや胸が沸き立つ。殺せぬ敵等この世にはいないだろというものだ。

 しかし、無尽蔵を思わせるセリンの髪の触手が四方八方から迫り、遂にはファスラを捕らえて頑丈な甲板に一度、二度、三度! 叩きつけてから海に投げ落とした。

「じゃあまたなぁ愛してるよぉ!」

 が、まるで攻撃など受けていないような元気な声を出して、ファスラは海面を走り!? シャチの背に乗って去った。乗ると言っても、気取ったように立ったままだ。

「今海面走ったよな? え?」

「足早いのよ」

「早い?」

「うん」

 アスリルリシェリ号の入港準備が整った。入港、上陸後は自分は妖精共の引率だ。

 上陸してから妖精達を率いて、宛がわれた休暇野営地に向かう。そこには遠路遥々、アウルのチェカミザル王が妖精用の警戒封鎖された上陸地点で歓迎式をしてくれた。アウル側からの歓迎の演奏。ザガンラジャード以外にもジャーヴァルの神々を題材にした楽曲が演奏された。そしてマトラの演奏で返す。お馴染の国歌から共和革命派の歌、それから魔神代理領系にセレード系の楽曲。

 チェカミザル王とは、ファスラが出来なかったおひさーのちゅーをした。

「ねぇ、ナシュカちゃんどこいったの?」

 威厳の欠片も全くない、お子ちゃまのような顔と声でチェカミザル王は尋ねてくる。

「魔都で妖精の権利を守るために働いています。市場に流れている妖精奴隷が共同体から連れ去られた者であったり、不法な扱いを受けていますので」

「うん、ナシュカちゃんなら大丈夫だね。だがそれ以上の成果を得る為、我が同志達に連絡を入れよう。気運が高まるとはこの事と思う」

 チェカミザル王の顔と声が切り替わった。しかし同志とは……?

「ランマルカ?」

「魔神代理領内にいる同志達であって、あちら側とは別である」

「失礼しました」

「気にしなくてよろしい。彼らほど成果を出していない故な」

 チェカミザル王の苦笑いの顔は何とも、見たくないというかさせたくない感じがした。

 アウル妖精も一部交えて、皆で野営地を整えてからワッキャワッキャしつつ遊んで食って飲んで寝る。

 今回も航海で鈍った体を鍛え、戦争技術を取り戻すために訓練を一通り開始。ラシージが出来栄えを見て、何度も反復。実弾射撃は今回も流石に人様の土地で出来ないので、空砲射撃訓練も実施。そういったものが終わったら好き勝手に遊ぶ。ファスラも加わった。

 けんけんぱをした。ファスラは空中での捻りを加えての前宙、後宙の連続をキメやがった。

 草木で体を隠蔽する事までしてかくれんぼをした。偵察隊の連中は、踏んづけていてもこちらが気付かないくらいに、泥を塗り草を纏って隠れた。中でもルドゥだけはどうやっても捜し出す事は出来なかった。土に潜って腐った牛の死体で蓋をして隠れていたらしい。遊びでそこまでするかよ、というところが盲点である。

 槍や円盤を投げた。ファスラの野郎は自分が投げた槍に、奴の槍を命中させた。ムカついたから乳首を抓ってやった。勿論、服の中に手を突っ込んで直接。

 泥団子を作った。ファスラは泥団子を作るのが上手で、何とツヤツヤに輝く泥団子を作って妖精達に配って喜ばせた。遊びに来たアクファルが真似しようとして、出来なくて、ファスラの鼻先スレスレに泥団子を投げた。そのような行為に至った理由としては「あの空間に違和感がありました」だと。性格変わってきてないか?

 海で泳いだ。ファスラのシャチが突っ込んできた時は本気で死ぬかと思った。

 ザガンラジャード神の像が御座する山車を引っ張り回した。チェカミザル王はどんなに山車を揺らしても屋根の上に立って踊り続けた。

 フンコロガシ競争もした。何種類かいる糞転がしの習性がある虫を選び、そして転がさせる糞も選び、一番早く誰のフンコロガシが開始線から糞を転がして終了線まで走り抜けるかが争点。虫選びと糞選びが重要で難しい点である。アウルでは良くある遊びで、やってみると非常に奥が深い。出来る奴は遊びも上手なのかラシージのフンコロガシが一番足が速かった。自分のは、虫と糞の相性が悪くて直ぐどこかに逃げてしまった。


■■■


 妖精とばかりではなく、ファスラの船へもアクファルを連れて遊びに行った。東大洋の銘酒を揃えて迎えてくれた。

 そこでファスラ、ひいてはセリンの母方の親戚、母の弟の息子、アマナ出身の武士ヒナオキ・シゲヒロを紹介された。東大洋の人間は姓が前で名が後である。そのヒナオキくんに頭を下げて挨拶されるが、共通語が話せないようで意味不明。

「外の世界が知りたいということで乗せて来た。俺と同じで美系の血筋だぜ」

 ファスラが翻訳してくれないので変わらず意味不明だが、まあ挨拶って意味合いだろう。美系かどうかは……目が見たことも無いくらい細長いのが見慣れず異様に見えてしまうが、美系は否定出来ない。

「まだひよっこピーピーおケツの真っ青ちょろろんだが、中々の名手だぜ」

「何の?」

「弓だ。よし……」

 ファスラがアマナの言葉と思われる言語を発し、「シゲ」と呼ばれたヒナオキくんが頷く。そして弓を射るのに、ヒナオキくんが上着をはだける。肉の張りは相当な物と見受けられる。

 このヒナオキくんの背中一面から肩、胸にかけての刺青には魔族のような、その土地の神や悪魔の姿が美しく描かれる。これに比べて、船で見た船員達の刺青は何とショボいことか。

「あれ何の刺青なんだ?」

「アマナでは武神とされてるモノノハツだ。俺の刀もそれに縁がある」

 射的の的は、そろそろ捨てるのも妥当というところの古くなったボロ樽。岸壁に直接係留索で止っている船に他の船が横付けし、綱で繋がって停泊しているので、障害物は多いが結構広い場所が船上にて確保されている。

 岸壁につけてあるファスラの御座船「ファルマンの魔王号」から射手が構え、六隻横隣先のマジュルバティー号に置かれたそのボロ樽を狙う。距離は百歩の距離まではいかないが、その程度には遠い。尚且つ船上であるので港内で風も波も緩い天気とは言え六隻の船がそれぞれに上下左右に揺れる。そして甲板上に道具や船縁、索具が障害物として並び、船員達も状況は知っているが横断したりする。これは難しい。

 ヒナオキくんが上が長い非対称に作られた合成長弓を構える。そして弓相応に長い矢を番えて引き、放つ。障害物に触れることなく、ボロ樽に命中。軽く拍手。

 酒を飲みながら見るというのは面白い。

 ヒナオキくんは更に、連続して矢を射てボロ樽に当てる。

 ボロ樽が矢達磨になった所で交換。そして置かれたのは二つ?

「二つ?」

「だとよ」

 ファスラの、だとよ、が何を指すか? 弓を持って立ち上がったアクファルだ。競争となれば更に面白い。

 両者、矢を三十本ずつ用意し、爪先を揃えて射始めた。

 良い勝負となれば尚更。酒が進む。

 アクファルが弓で射る体勢になると、背中をこちらに向ける形になる。何だか体形も昔見たのと違う。歳相応に体が大きくなっているのもあるが。

「おいお兄様、あのケツ触って良いか?」

 ファスラが自分の尻を触りながら聞いてくる。

「本人の許可取れよ」

「それが望み薄なんだから頼んでるんじゃねぇか」

「俺のケツじゃ不満なのかよ」

 尻を揉みだした。

「おい、お前の妹の方がケツの筋肉ついてるぞ、間違いねぇ」

 アクファルの尻を見る。身体を動かすたびに筋肉が動く……女の方向ではない方向に大きくなっている気がする。やはり騎兵か。

「あぁ……そう言えば、クセルヤータに乗るようになってから姿勢っつーか、変わった気がするな。歳取って成長したからそんなもんだと思ってたが」

「竜の首、股で挟んで戦闘機動で両手放しの騎射か。そりゃあんなケツになるわな」

 次々と二つの樽に矢が刺さる。三十本当てる前に樽がぶっ壊れないかと思ったが、中に何か詰めてあるみたいで、木が割れて崩れてもどんどん矢が問題無く刺さっていく。

 三十、三十の射撃が終了。マジュルバティー号の船員が命中した矢の数を数えてくれ、そしてアクファルが一本多く当てて競り勝った。

 負けを告げられてヒナオキくんが大いに悔しがって座り込んで甲板を叩いているのが結構可愛い。素直でいいなぁ。レスリャジンのガキんちょ共を見ているみたいだ。

「歳は?」

「十……九か八か……あー、八だ」

 ヒナオキくんが泣いて大袈裟に――当人に演技をしている様子は無い――悔しがっているのを見て酒を飲む。アクファルは彼女らしく、そんな奴は無視して隣の席に来た。

「おい馬鹿野郎、俺のベルベルの杯の底が見えちまってるじゃねぇか!」

 言われて自分が気付いたが、酒の進みが早かった。ファスラの船の士官室係が酒を注いでくれる。

「お? ファスラは何って呼べばいいんだ? チンチンか?」

「おい馬鹿野郎、俺のチンチンは馬並みだ。うーまおチンチンだ!」


■■■


 そのままファスラとイチャイチャしながら飲んで気付けば夜、月が出ている。

 酒で顔が熱くなって、少し飲みすぎで、海を覗いて冷やしているとあのシャチが船の下から出て来て、可愛い事に水面から鼻先を出してこっちに向けて振っている。可愛いなぁ。セリンなら捌いて食っちまいそうだ。

「今船の底から出て来たな」

「俺のヘリューファちゃんの寝床が船底にあるんだ。鉛版張りの空間で、空気穴がついている。いくらシャチでもよ、風任せに何月も走り通しの船に食いつくのはキツいからな」

「あれって普通よ、人に懐くのか?」

「旦那は知らないのかい? 時々、魔術こそ使わないがその素質がある動物がいるってのをよ。そういう動物はなんだ、頭がべらぼうに良いんだとよ」

「おとぎ話程度には知ってるか、なぁ?」

「魔族とはまた何やらかんやら違うとか何とだが、尋常ならざるって魔導評議会が見解出してるんだ」

「奴等も良く分かってないって事だな」

「そうだ」

「ヘリューファって女の名前か?」

「ありゃ雌だ」

「まさか?」

「へっへへハハハァ、長いこと男所帯で洋上にいるとな、ああいったのでもイルカでも何でも、女に見えてくるんだ。人魚だ! ってな」

「まさか!?」

「まさかは無ぇが、羊はあるか、いいや。リュウトウのお話の方じゃない本物の人魚を見りゃあそんな幻想も吹っ飛ぶぜ。知らんだろ?」

「リュウトウ?」

「フラルの方の人魚ってあれだろ、長髪美女の下半身が小奇麗な熱帯魚みたいな、下がおっ立つヤツ。絵本の、頭悪ぃ馬鹿が考えたアレ」

「うん、そうだ」

「リュウトウのナマ物人魚はだな、勿論全身鱗。環境次第で雄雌に変化。基本は肉食、生で丸齧り。知性はあるが言葉が独特でな、よほど専門に訓練した耳の良いヤツじゃないと聞き分けられないんだ。喋り始める前の子供を人魚に差し出して覚えさせるってのが伝統だが、九割方は食われちまう。ナサルカヒラの魚頭に水竜みたいにハッキリ喋らねぇし、蛸頭と鯨頭みたいに聞き取り辛いだけじゃない。人格も良く分からないな、ありゃあなぁ、なんつーか、陸で例えりゃ熊かなぁ。愛想作る程度の要領はあるんだが、やっぱ何考えてるか分からんなぁ。臆病なんだか人食いなんだか、餌付けで仲良くなったと思ったら、手食われたりだ。契約次第じゃ赤珊瑚に真珠、龍涎香が安く手に入るんだがね」

 次に海面を覗き込んだ時、海中から黒い大量の何かに覆われた白い顔に浮かぶ黒い目と、目が合った。そして黒い何かが首に巻きついた。戦場では死ぬ気はしないが、こういった分けの分からない何かで死ぬ事はあるように思っている。

 全神経が引き攣って動かない。ファスラに、助けてくれ! と叫べばいいじゃないか。出来ない。抵抗出来ぬまま海中に引きずり込まれた。誰も助けてくれなかった……水中で化物に敵うはずがないじゃないか。

 自分を取り返しに来たセリンだった。

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