第93話「天政の表裏」 シラン

 晩春に終えた春獲り小麦の収獲は天政地にて、比較的順調に行われた。春税の徴税も、敵と味方を色分けするが如くに滞りなく行われた。流石は完成された天政の官僚制度と言えよう。その土地の貴族に素直に従って業務をこなす中原の地方官僚達の愚直さには、何とも言えない感がある。中央官僚と彼らは別種であるのを思い知る。

 大々的に徴兵を行った北朝でも、フォル江渡河での前線南下の失敗により――頭でも冷えたのだろう――大々的に帰農させたので実を腐らせる事も無いとの見立て。

 また春の田植えや秋獲り小麦の種蒔きも問題無く行われており、秋の収獲にもそこそこ期待はもてる。食い物を巡るような気分の悪くなる戦いは今年は無さそうだが、来年はどうか? 帰農させる兵士が残っていれば大丈夫そうだが?

 本格的な衝突はまだまだ。まだ決戦よりも陣取り合戦、足場固めの段階だ。

 遂に固まったフォル江の守りだが、互いに攻めの手を失ったようでもある。飢えぬ内は思考は守りに入る。この戦争、更に長引くか?

 ただそんな事を考えている内にも状況は動いた……皇太后陛下の甥の息子エン・グーアイ将軍と配置を交代する事になったのだ。またこいつ、ファンコウ陥落、南廃王降伏の手柄を横取りした奴だ。皇太后のババアが縁戚を盛り立てたいのは人情で理解出来るが、それ以外では理解出来ぬ。

 良き手柄が取れそうなのは今や北部戦線、相手は栄えある正規軍。南部戦線は南王軍残党、何時もの海賊と謎の海賊、とにかく賊の類。相変わらず我が皇太后陛下とその意を受ける総把軍監は分かりやすい。革命天政だと言うのに、もう既に腐敗臭が嗅ぎ取れるではないか。

 南王の都ファンコウへ移動する支度を整える。今回はニリ軍閥へ挨拶を行う程度で、後は我がルオ家の私兵達の分の物資や準備金を懐に収めるだけ。本来はこのような後ろ暗い真似等したくはないのだ。何も出さぬ中央が悪い。


■■■


 ファンコウへ向かう路中、ふと目の前に美しい鳥が現れた。輝く羽毛は白、冠羽は黄、風切羽は青、尾羽は赤の配色。南方の鳥類が迷い込むとは珍しい事もあるものだ。誰かが飼っていたものが逃げたか?

 その鳥が目の前で羽ばたいて滞空を試みたので、前腕を出してみるとそこに止った。

「ルオ・シランドノヘ、ヘンシンデアル」

 鳥が人の声を真似るのは、そこそこ珍しい程度で奇々怪々な事ではない。ではないが、これは奇々怪々であろう。

 その鳥の首には通信筒がぶら下げられており、それを受け取ると鳥は直ぐに飛び上がって空の彼方へ消えていった。

 ヒンユが珍しい伝書の鳥でも発見したかと思い、中の手紙を見れば、差出人はサウ・ツェンリーである……返信か!

”ルオ・シラン殿、恙無きや? お手紙拝読させて頂きました。まずは、お断りします、とお返事申し上げます。彼我の力量差に正統性の有無等、節度使が考慮する所にありません。我々は手足であって頭では無く、組織の一支柱に過ぎません。

 かような形で同期の官僚、それもかのルオ・シラン殿と文通が出来るとは思いもよりませんでした。あなたの誠実なる文はこちらなりに受け取った心算です。しかし私が賊軍に下るなど、書いたあなたも信じてはおられないでしょう? こちらがどのような美文名文を用いてもあなたが賊軍から官軍に戻る事が無いようにです。

 上から命令されて書いた文面ではないようなのでこのように返信を致しました。賊軍にて特務巡撫のお役目を引き受けていると聞き及んでおります。急造の偽称天政では政務も軍務も至らぬ所ばかりで、その不備を補完するような無茶な任務をなさっているのではありませんか? あなたにも止むに止まれぬ事情があると存じます。個人的感情にてルオ・シラン殿個人にご同情申し上げます。選んだ道が違う以上はこのような事になるのでしょう。

 最後に、この手紙を送ったのは我が使いの霊鳥、奉文号です。お見知りおきを”

 今の立場に同情してくれている者が敵にしかいないというのは中々、笑える。

 しかしサウ・ツェンリー、神話にしか見られぬような幽地の際にいる鳥獣を手先とするとは、なんと天晴れであるか。元より読めぬ天命の振れる先が、見る事すら敵わなくなったのではないか?


■■■


 南王の都ファンコウに到着した。雨季につき道も良くなかった。通る道の橋は落ちなかったが、水位が上がって川が橋の上を流れていた事もあった。

 自分や方術使い、隠密、龍人を中心にする足の早い者でまとめた先発組は方術を使って洪水を強引に突破した。私兵の戦闘部隊や兵站部隊のような足の遅い者達は後発組として分けている。

 頭脳だけを早く進めた理由は、調べなくても酷い事になっているだろうファンコウに到着し、混乱を収拾するためだ。

 ファンコウに居残っていたエン・グーアイ将軍の代理の手下? なんだか役職名がハッキリしない奴から引き継ぎを行い、頭の中に覚書をしつつまとめると……一言で滅茶苦茶といった様相である。

 エン・グーアイ将軍の紅龍軍――名前と特別あつらえの旗だけは立派――の引き上げ時の稚拙さが目立つ。引き抜ける屯田兵は全て持っていってしまった。良さそうな一般成人男性も強引拙速に、名簿作成もおざなりに徴募。食糧まで徴発し、在地勢力に喧嘩を売って回った。それから支配下の各南廃王領の都市から武器に火薬に財宝に、どうやら芸術作品も保護名目で持ち去ったらしい。それから何とも、美女も持ち去ったとの事……南々朝が出現してもおかしくない。

 現地勢力の寝返りも酷い。あの有様であるから南朝への反感が強く、寝返っていなくても機嫌を損ねている貴族も多く、また無気力にすら陥っている貴族もいる。領主としての貴族だけでなく、土地が無くても職がある貴族も含まれているのだから南部方面の神経が麻痺している感がある。

 自分が再び赴任したという手紙をすぐさまに、敵味方の判別もしないで素早く大量に出した。これだけでも味方が増え、敵が減り、第三勢力が減って状況が若干改善した。それから敵方に寝返った者達は無条件で恩赦、ファンコウに囚われていた捕虜、捕虜同然の者達を可能な限り素早く送り返した。これで更に状況が改善した。

 傭兵達の扱いに、フォル江に防衛任務についていた時に溜め込んでおいた金と物資が物を言った。まず、話をつけるために金を払い、エン・グーアイの呆け野郎が払わなかった金を払い、武器と食糧を援助し、切り分けられる領地は切り分けて、軍はあるが土地が無い傭兵貴族を、我が意に応える土地持ち貴族にした。その縁戚を呼び込む手伝いもすれば領地経営は良くなり、恩も強大複雑になって裏切り辛くさせる。

 それでも我が南朝、北朝と南廃王軍残党、盗賊、独立軍閥、海賊、謎の海賊が入り乱れてしまっている。少し視点を広げれば内戦中のニビシュドラがあって、戦乱で領外に人が散っているタルメシャもあって地続き。完全な把握は不可能な程に混沌としている。おかしな宗教集団が名乗りを上げていないのが不思議に感じる程度だ。

 把握出来ている、そして味方の勢力であっても、またあのエン・グーアイみたいな糞野郎が戻っては来ないかと旧南王領貴族は疑ってかかっている。そこで彼らを一つの大軍閥に統合する提案をした。馬鹿が戻ってきても対抗出来て、好き勝手させないようにすればいいのだ。他所から相容れない奴が来た時だけ団結すればいいので、意見を拾って取りまとめて集団提訴するに相応しい、年長で功績の大きいという分かりやすい人物を長として推薦して承認された。

 そのように後始末をしても一番の、一番最初に仕出かした失敗が最大級である事に代わりが無い。南廃王の子レン・セジン王子を取り逃したのが響いているのだ。これさえ無ければあのエン・グーアイ程度でもそこそこ務まったはずだ。あの時、あの間抜けな配置転換が無ければまだ違ったというのに、その間抜けな配置転換でこの地に戻ってきた。

 南部の網目のように川が走る密林、山岳地帯での不正規戦は困難を極める。広い道など存在せず、いくら大軍を投入してもどうにもならないのだ。かと言って彼らの補給基地となる村や畑を焼けば敵は住民を取り込んで更に強大化する。北部のように開けて平坦、水系も単純ならば軍を素早く動かせるので効果を出せるが、土地全体が迷路、要塞となっている場合は地元住民の勢いには勝てない。少なくとも勝てる勢いにまで持っていくだけの余力が無い。

 南廃王軍残党はもう、ハッキリ言って倒せない敵なのだ。そして倒せないが、こちらの主要拠点を良く守りさえすれば、多少凶暴な野生動物と変わらない。南部はそこそこに牽制して、北部へ戦力を集中して中枢を撃破して反抗を続ける理由自体を消し去り、和解するのが適当であろう。

 頭を失った後も、しぶとい虫のように南王軍残党は手足をジタバタと動かし続けるであろうが、それは盗賊、蛮族対策と割り切って長い目で付き合っていくしかない。残る独立軍閥を引き込み、点と点を繋げ、面にして影響力を拡大する。直接戦わずとも、陣取り合戦で親北朝勢力や南廃王軍残党を降伏させる。


■■■


 クンチョン都公のお屋敷にて食事を戴く。屋敷は川沿いの崖縁にあり、流れる雄大なツーリョ川や、縦に細く長い奇岩が一望出来る風光明媚な所である。食事をする場所も、屋内だが屋外を思わせるような作りの大部屋である。

 料理の品目は様々で、北部ではお目にかかれないような魚料理と、見た目は綺麗にされている虫料理が出ている。そして珍味である小人料理が出された……猿の脳みそを食べた事はあるが、小人の脳みそは初めてだ。耳の辺りが人ならざるようだが、それ以外はそのまま人の子のようである。南王討伐の折に南部人の悪食には慣れた心算であったが、顔には出さないが面食らってしまう。

 クンチョン都公ウハン・フォモンはツーリョ川水系の水軍衆の利益代表とも言える人物である。所有する多数の銀山を背景に、地場産業と密着し過ぎる程に密着した金融業でツーリョ川水系の経済を握っている。この軍閥を引き込めればレン・セジンの片脚を切り落とす程度の損害は与えられよう。

 食事中もさることながら、クンチョン一という踊り子や奏者の演芸でも彼、クンチョン都公は何も喋らず、表情も変えない。お付きの老人が代わりに喋るだけである。

 偉大なる父から位を継承したばかりの若い彼が失言をしないようにという配慮……というのが凡人の見解であろう。

「この度はこのような席を設けて頂き、ありがとうございます」

「特務巡撫殿、とんでもありません。南部の安定に寄与して頂けるあなた様をもてなすにはささやか過ぎて恐縮しているところです」

 とお付きの老人が喋る。

「実はですね、ただ食客に甘んじる事が出来ぬと言うので、一つ舞を貴人にご披露したいというご夫人がおりまして、一つ拝見して頂きたいと思っておりますが、いかがか?」

「お断りする理由もございません、特務巡撫殿。こちらからお願い申し上げます」

 とお付きの老人が喋る。

 連れて来た従者に目で合図をし、その夫人を呼ばせて、舞を披露させる。

「お美しい方ですな」

 とお付きの老人が喋る。その後の顔は、隠そうとはしているが渋いもの。

 このご夫人の舞の程は、貴人の手習い程度である。見世物としては中の下、内輪で楽しむには良いか、悪いかという具合。ささどうぞ、と見せる力量に無い。

 優雅に動くには筋力が足りていない。ゆったりとした舞を行うには生半可な身体では無理なのだ。無理にそう動こうとしても、節々の震えは見っともない。若々しさがまるで足りない。

 それに可憐な女性を表現する手先の動きが、ほぼとってつけたようなもの。ただの真似事の範疇だ。あれでは心に響かない。

 目線、眼球の動作も踊りの一部だが、踊りの通りに目を動かそうとしていても、目線が伴奏者に自分にクンチョン都公にチラチラと動いて見苦しい。まるで移り気なアバズレのようだ。そのような表現と捉えられるのだ。

 何にしても下手糞だ。だがその下手糞な舞に、クンチョン都公が見惚れている。

「特務巡撫殿、あの方は?」

 とクンチョン都公が喋る。

「今は亡きヨンリー州侯メオ・コウミン様のご夫人でいらっしゃいました。この乱世では頼る先も難しいとの事で、こちらの方で保護させて頂いております」

 踊りではなく、踊り手に見惚れているのだ。この下手糞加減も大いに彼の思い出を刺激しているだろう。

 メオ元夫人がクンチョン都公の前で、舞が終りの動作としてかしずく。

「もしかしてイールーか? フー・イールーか?」

「ご無沙汰しております都公閣下」

「そのような呼び方は止めよ。昔のようにフォモンと呼べ」

「はいフォモン様」

 クンチョン都公が、酒の入った盃を手から離し、信じられないものでも見るかのように震えている。

「失礼、都公閣下」

「おお! 特務巡撫殿、これは一体どういうことか!?」

「先に私が言った通りにございます。実は話に続きがありまして、私は特務巡撫という役職上、何時どこぞやの任地に飛ばされるや見当がつかぬ身でございます。そこででして、女性の方にそのよう旅に付き合わせる事は出来ませんので、ここは一つ、縁ある間柄のご様子なので、夫人をそちらで保護しては頂けないでしょうか? 真に勝手なお願いなのですが、いかがでしょうか?」

「引き受ける、引き受けるぞ!」

「それはありがとうございます。夫人のような不幸な人が出ない太平の世にしなければいけないと身が引き締まる思いです」

「ああ、そうだな!」

 そして、クンチョン都公はメオ元夫人に駆け寄って、肩を抱いて何やら睦言のように喋り始める。余人が横から首を突っ込む隙間は無くなった。

 お付きの老人が難しい顔になっている。目が合って、頷いたら、頷き返してきた。

 知らぬところへ嫁へ行った、初恋の幼馴染に再会出来たとなればさぞ嬉しかろう。クンチョン都公の作った感傷的な詩から推測して調査を進めた甲斐があったというものだ。ヨンリー州侯メオ・コウミンが隠密に対する警戒を全くしていなかったのも幸運。


■■■


 ツーリョ軍閥の協力を得られた後、南廃王軍残党の行動範囲を限定させ、尚且つ兵量攻めを行う事に成功した。未亡人一つあてがうだけで一軍閥が動くのだから安いものだ。

 ツーリョ川水系周辺では川伝いの水運無しに運送業は成り立たない。なまじ、水運が便利過ぎて陸の道路が未整備なのだ。山がちな上に密林ばかりで、猛獣に毒蛇、命に関わる害虫も数多なのだ。

 南廃王軍残党に協力する者は水運から切り離されるという段取りになっている。この圧力に勝てる者はツーリョ川水系には存在しない。居たとしても外部交流無しでも平気な、かなり原始的な生活を送っている者達ぐらいだろう。

 兵糧を断ったならば、こちらから攻撃を加えて敵戦力を削る必要等無くなる。南朝の経済活動に組すれば得をし、そうしなければ野蛮人の如き生活を強いられるように南部の、乱世における社会構造を作り上げるのだ。

 このまま南廃王軍残党とは正面切って戦わず――そもそも手出しが困難――徐々に飢えさせていけばいい。貧すれ鈍するもの。その内飢えて農村の略奪でも始めて、現地住民からの支持を失って自滅するだろう。

 苦労が多かった後だけに簡単に大仕事を終えてしまった感慨が深い。

 食べている月餅も好みのハス餡だ。たまに一食全部をお菓子にしても良いだろう。お茶も良い。クンチョンの茶葉はそこまで有名ではないが、味と香りにクセが無くて単純で良い。

 久し振りに気分が良い。部屋に迷い込んできた毛虫をそっと手に乗せ、外に逃がすくらいだ。

 毛虫が無事に茂みの方へ這って行った事を見届けてから顔を上げると、薬売りの姿をしている我が隠密タウ・ヒンユだ。今日は皺の深い中年女の顔をしている。

「若様、よろしいでしょうか」

「ああ」

 全く大した事ではないのに、かなりな大事を見られてしまったと思ってしまう。

 照れ隠しでもないが、手で鼻を擦ろうとしたらヒンユにその手首を素早く掴まれた。

「ん?」

「あれは毒蛾の幼虫です。お顔に触れば酷い事になります」

「あぁ……すまん」

 方術で手に水を集めて洗う。毒は方術で分解して無毒化出来るが、術を使っていなければ無駄だ。それに、刺激するような毒で腫れた肌を戻す方術は会得していない。治療を早める工夫は出来るが。

 しかし、良く良く細部まで観察されていたという事だ。恥ずかしい。

「報告します。正体不明の海賊がチュアルを襲撃、港と停泊中の船舶を燃やして逃走しました。燃やした方法でありますが、砂浜の方角からやってきた、焼けた砂の竜巻そのもの、だそうです。発生現場周辺を検分しましたが、既に大雨の後で、更に波に洗われ、巻き上げられた砂の量も、術者と思しき足跡もありませんでした。相手を特定する情報は得られておりません」

「焼けた砂の竜巻か。面妖だな」

 想像もつかぬような方術であるな。そのような恐ろしげな方術を扱う者には心当たりは無いし、そのような流派も知らぬ。

「また焼かれて撃沈された海軍艦艇の生き残りから聴取しますと、火の鳥そのもの、に船を破壊されたと証言しております」

 船を沈めるような強力な火の方術使いと、港を焼いてしまうような方術使い、同一人物……いや、同一集団で、同一訓練を受けた集団もいると見るか。

「チュアルの守備隊の抵抗は?」

「射程距離外から一方的に砲撃されたとの事。また敵の放った砲弾ですが、良き鋳鉄であり、天政の鉄でもアマナの鉄でも無いとの事で、魔神代理領製である事は間違いないようです」

「海賊ならばあちらの砲弾を使っても珍しくはないが、優れた大砲を積んでいるとなればそこらの海賊ではないな」

 魔神代理領海軍がこちらに攻撃を? まず有り得ない。奴等は最近立て続けに二度の大戦に加えて大きな内戦もしている。他所に手を出す余裕は無いし、天政に攻撃を仕掛けたとして一体何の利益がある? 可能性を絞るのなら、魔神代理領海軍水準の装備を持った軍属の海賊連中か。大海賊ギーリスに苦戦した歴史はある。それの再来かもしれない。そうだとして集団方術――あちらでは集団魔術か――に秀でた者達を海賊が抱えているというのは不可解。

 とにかくこのままでは海軍が危険だ。宇宙一の規模であろうとも、南北に分かれて争っている時にその本領を発揮出来るわけはない。不干渉宣言をしたとは言え、支援せねば我等の正当天政全体が締め上げられる事になる。内戦にばかり注力して本来討つべきである外敵に対処しないという選択肢は有り得ない。

 南廃王軍残党対策は現状で良い。海賊対策に差し向けられないような人員はたくさんいる。少々予算の方は削らねばならないのが頭の痛いところか。

 海賊対策に差し向けるのはまずメイツァオと方術使い達。大軍を動かして相手取る段階にないので少数精鋭だ。相手の本拠地、補給基地でも分かれば大量動員のしようもあるが、分からぬ内は水際対処になる。まさか、広い海原に出て捜し歩く訳にはいかない。

「その海賊の調査を命じる。海外、蛮地に長期間、必要なだけ出る事も許可する。本拠地、補給基地、支援者、奴等の港がどこか暴け。アマナ、ニビシュドラ、タルメシャに諸島南洋、必要ならジャーヴァルにも行け。とにかく相手が分からぬのでは話にならん」

「畏まりました」

「メイツァオは……自分の足で行くか。では……」

 では行けと言おうと思ったが、皿に乗った、クンチョン都公に貰った月餅を出す。

「これは良い月餅だ、美味いぞ」

 ヒンユの表情は伺えないが、手を出そうともしないので、また食べないのか?

「甘い物は嫌いか?」

「いえ」

「あ、すまんな。虫を触った手で出してしまったか」

 皿を引っ込めようとしたらその前に月餅を一つ、ヒンユが手に取った。

「後で頂きます」

 ヒンユは一礼して去る。

 また失敗したな。


■■■


 気落ちした顔が元に戻るのを待って、茶を飲んで、メイツァオに会いに行ったが留守だった。出先からまだ帰ってきていないか。

 メイツァオは龍帝殿下に手勢を借りられぬか交渉に行っている最中だ。そろそろ戻ってきても良い頃合だと思ったが、気が早かったらしい。

 部屋で待つ。お付きの者がお茶を出してくれたが……少々水腹だ。

 厠へ行こうか、行ったら行き違いになるかと考えていると、戻って来た。

「兄上! 俺の方から伺いましたものを、お待たせしました」

 我が弟メイツァオ。常人ではない龍人で、幽地の底に近い身である。頭髪が左右非対称に白と黒、瞳孔は爬虫類の如きに縦に割れ、耳が何故か魚のヒレのようである。そして全身ではないが、手の甲や背中のような身体の外側が白と黒の鱗に覆われている。まさしく異形。

「お返事は」

「拒否されました」

「だろうな」

「はい」

「このような醜い争いに高潔なる殿下が関わるなど、それは有り得ぬ話だ」

 メイツァオは無言で肯定。あまりに馬鹿らしくて不敬な発言が出てしまった。

 公式には我がルオ家が龍帝殿下との交渉を一任、許可されている。だからこの内戦での南朝への助力要請をしたのだが失敗だ。皇太后のババアはともかく、天子様からの頼みが無かったらこんな事は恥ずかしくて出来なかった。

 歴史的には龍帝殿下の助力を得るということはあったのだが、ここ最近は全く無くなった。黒龍神道弾圧の折に、龍帝殿下を奉じる龍僧の弾圧までしてしまったツケがここに現れているとも言える。そんな状態で助力要請……ルオ家全員が耄碌した等と思ってくれなければ良いのだが。

 如何様に皇族、官僚から毛嫌いされようとも、ルオ家が排除されない理由の一つであるこの拝謁特権。方術使いの大家として、素質ある者を龍帝殿下の下へ送り続けてきた結果である。であるが、こんな馬鹿な事のためにそのような努力をしてきたのではない。

「何か殿下は言っておられたか?」

「大儀である、とだけ」

「誰かに聞かせたいな……黒龍公主様には?」

 しかし弟も無理筋の龍帝殿下にお話を持っていくとは律儀であるが、間抜けである。

「いえ、お見かけしておりません」

「姿は見せぬ、か。お声掛けはされたのか?」

 その後に融通の利く黒龍公主に話を通すべきである。天政初の龍帝殿下の最も古い養女であるあの方ならば、人智を超える采配にて天政の為に取り計らってくれるのだ。龍帝殿下が表ならば、黒龍公主は裏である。

「ごめんなさい」

 メイツァオは顔を下げて、両手の指を擦り合わせる。怒られるとこのクセが出る奴だ。これが貴族、官僚、常人ならば注意したが、弟は龍人だ。そんな下らない事を気にする必要は無い。

「まあいい。次は海賊対策に移るから、その心積もりでいろ。準備出来次第発つぞ」

「はい!」


■■■


 メイツァオ相手に格好つけた後、厠に早足で駆け込んで用事を済ませたら、あてがわれた自室に戻る。

 どのような命令書を作成するかと頭を回転させながら机の前に座ると、

「内緒で手伝ってやろか」

 耳元で逆毛が立つような囁きをしてきたが、

「龍帝殿下がお断りになられました以上、助勢を頼む事は道理に反します」

 丁重にお断りをする。形だけではあるが、そう言うのが道理だ。

「律儀な男に育ったのう。それでは下界は苦しかろうに」

 何時の間にやら背後に黒龍公主である。メイツァオ同様、龍人とは龍と人の中間のようなお姿である。結い上げた髪と髪飾りに紛れているが鹿のような角があり、瞳は爬虫類のように縦に割れている。体の内側は人の肌だが、メイツァオと同じく外側は黒い鱗である……昔、風呂に入れて貰った事があるので覚えている。それ以外は人型、勿論人が着るような衣を羽織っておられる。

 龍人にこそならなかったが、幼少の頃に方術の手解きを受けた方だ。父の威厳と母の慈愛を受けたも同然で、親よりも頭が上がらぬ。

「黒龍公主様、お久し振りでございます」

 振り向いて、座礼。

「そんなお堅いのはよしとくれ」

 黒龍神道の乱にて庶民にまで名が知れた黒龍神とはこのお方を――崇拝者が断りも無く神格化したので間接的に――指す。

「突然のご来訪に驚いております。私如きにご用がおありで?」

 人智及ばぬお役目をお持ちで、時に大騒動を地にもたらすと、一部学者が推定している。事実かどうかを探るのはルオ家の役目に無く、問う機会はあっても問わぬ。

「何じゃあ? 可愛い子に会いに来るのがおかしいか?」

「おかしいです。ご用は?」

「あれまぁ、連れぬ釣れぬ。まあ、何にせよエイ坊の系統は断絶じゃ。勝たねば面倒であろうな」

「断絶ですと?」

 やはり大騒動の種。

「人間は口や筆でも戦うからの、教えてやろな。父殿下に雷落とされんでも済む範囲じゃがのう。エイ坊とお嫁ちゃんの間には子が出来んようになってる。今いる女子は妾が無理矢理作った人形じゃ。世間にもよう出せん見てくれだからのう、貴人凡人の務めも出来んし、夫婦の慰みもんになってるだけかの? 妾が若かったら泣いてしまう話やわ」

 聞いたことの無い話ではあるが、有り得なくは無いか。一族にだって話して回るような事ではない。

「信じられぬか?」

「私には判断出来ませぬ」

「ウーテン公主レン・エウマ。皇族女への箔付けの名ばかり領主とはいえ、一度くらいは顔見せ程度の巡察に行くものじゃが、そんな話聞いた事あるか?」

「ありませぬ」

 おそらく、いや確実に当主はこの事を知っている。だからこそ南朝側に組したのであろう

「馬車に閉じ込めて引っ張り回す事も出来ぬような肉塊が唯一の娘じゃ。どう思う?」

 エイシュ様は不幸を恨むよりないのか。病死された天兄様が生きておられれば、おそらくはちょっとした文化人として平穏に過ごされたであろうに。

「私が聞くには過ぎたるお話です」

「この事をエンのじゃじゃ馬が知っとる。ちぃっとはあれに同情したか?」

 並みの人間と黒龍公主様は根本から違うと分かる。それがお役目……か?

「一官吏の与り知らぬところであります」

「力、いらんか? 良うしてやるぞ。母子のよしみじゃ」

「道理に反しますれば」

「トイン坊が枕を濡らしておるぞ」

「一官吏の与り知らぬところであります」

 それに、この方の言う事を全て鵜呑みにしてはいけない。嘘が無かった場合でも真実を言わぬような、人を煙に巻く性分である。その分、大概の事には寛容であるが。

「まあ良い、それも天命じゃろうて……そうそう、たまには山の暴れん坊共にも下界を見せてやらんとな。兄としてちゃんと面倒見るんじゃよ」

 龍人の援軍を与えてくれる約束をしてくれた、という意味である。こちらについてくれるとは信じていたが、実際にそうなると有り難い。

「力の制御を知らねばなりませんね」

「のう」

 戦えば死ぬかもしれない、とはわざわざ問わない。龍人は戦い、死ぬためにいる。

 海賊対策の兵力が十分に集まった。

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