第90話「次は東王迎撃」 シラン

 フォル江を渡河する勢いで南下してくる東王軍主体の敵を何とかして撃退しなければならない。

 状況は悪く、東王軍と正面から当たるにはこちらは劣勢に過ぎる。後方支援要員を含めても戦力は優に十倍差。仮に互いに全損するという有り得ない状況に陥ったとしても相手側は補充が利く見通しだ。

 北朝――流行の俗称とは言え、中央で口にしたら殺される――の強さは大軍であることで、弱さも大軍であること。東王軍の後方、兵站部を破壊する。これしか勝つ方法、否、凌ぐ方法は無い。撃退するまで飢えた敵に土地を略奪されて荒れされてしまうのが問題だが、侵攻を遅らせるにはこれ以外に無い。北朝は残虐非道で、人も畑も食い荒らしに来ると宣伝工作をする事も出来るから一石二鳥だ。

 リャンワンを中心にしたフォル江線での防衛体制は未だ構築中。水軍掌握にまだ手間取っているのが致命的。地元領主の船団、商人や漁師、そして海賊とほぼ区別の無い水軍衆の関係は彼ら独自の封建制度にも似た括りがあるので話をまとめるのが困難なのだ。軍として指揮系統が確立されている海軍とはまた違う。

 武装蜂起から皇太后と縁の深い西部は勿論、南部過半の取り込みは迅速だったが、細々……と言ってはいられない程に取りこぼしは多い。広大な天政にある巨大な官と軍を掌握するのは困難なのだ。我が南朝――これこそ中央で口にしたら一族皆殺しにされる――側の勢力図真っ只中に、抵抗しているんだかいないんだか良く分からない北朝側の諸侯がいて、皆気付かなかったりするぐらいだ。

 先々代の鉄火幽帝の軍制改革において北征軍百万、南覇軍百万の銃砲標準装備の大軍が作られた。それから先代の八徳乾帝が現実路線に修正されて、大部分が屯田兵と徴募兵用予備武器に実数から置き換えられ、枠組みと化してからも腐ったり立て直されたりして編制表と高級士官数は維持されている。

 しかし、もう少し何とかならなかったのか?

 前正当天政と革命天政という比較では、やはり信頼が前者に負けてしまう。こちらの召集要請に対しては諸侯は渋り、屯田兵はいまいち応じず、徴募兵は反乱を起こしそうで当てにならない。

 取りこぼしがあるにせよ、百万にある程度迫る軍の準備が出来る枠組みはあるのだが、実数がまるで届かない。今、各戦線で動いている兵は総数で四十万程だろうか? 北朝ならば総数で百万は既に越えただろう。

 そんな状況で私兵以外の兵士を掻き集めるのが困難だ。傭兵が頼りになってしまうが、南部と違って既に”完売”した後だ。軍税を集めても使う先が少ない。南部で”活躍”中の、既に袖の中で握手をした連中を呼び寄せるわけにもいかない。あれは逃したしまった新南王との戦いに投入されている。

 そんな状況なのに皇太后のババアが本当に百万の正規兵がいると思って命令を出しているのだ。直接話したわけではないが、作成計画を見たらそれが分かる。末端は見ず知らず、上っ面の編制表だけを眺めて裁可しているに違いない。

 百万で当たる計画を四十万で当たっては隙間が歯抜けのように出てくる。その隙間を抜けて来たのがこの東王軍だ。数はおよそ二十万と目される。こんな大軍、何の何処の隙間から漏れてくるというのだ。

 ともかく勢力基盤は明らかにこちらが弱い。それでも不利を承知で戦って、勝たねばならない。負ければ親類含めて斬首ならば寛容な方だ。

 北軍は徴募兵が大多数で準備武器数量が規定未満で装備が足りず、農具で戦っている者までいると聞くがそこに頼って安心する事は出来ない。

 東王軍の撃退は直接には不可能であろう。だがそこを何とかするのが特務巡撫だ。いざとなれば北朝に降りてルオ家断絶の危機を救うという方法も無いでは無い……努力を惜しまぬほど振り絞ってからにはなるが。

 朗報という朗報ではないが、農作物の収獲時期があと少しでやってくる。ここを凌げば敵の攻撃が鈍る。北朝は大軍だが、やはり徴募兵と屯田兵が主体だ。

 屯田兵は耕作する男と兵隊に出す男が名簿で定められているし、待機分の給料代わりに減税措置もされているが、それでもいくらか帰農させねばならないのだ。刈り取りが遅れればそれだけ実が食えなくなる。食糧不足を覚悟で攻撃を仕掛けてくるのならば別だが、それはそれでこちらが有利になる。

 あちらは屯田兵と徴募兵を召し上げてまで攻撃していて食糧に余裕は無い。こちらは、望まぬにせよ田畑を耕す兵士を消費はほとんどしていない。

 相手の長所を潰し、こちらの短所を補うのだ。

 この革命は官僚の世襲制を現実化している老人官僚と、そうではない若手官僚の戦いでもある。

 人事部が既に老人の社交界と化して久しい。老いて判断力が衰えている者もいれば、明らかに痴呆症の者もいる。いくら年老いても引退する理由にはならないからだ。

 そのような無能ばかりならば勝ち目もあるが、老練な者も多く、支える者だってたくさんいる。その地位を継ぐのは、その老人達の息子に孫にとにかく親類縁者。自らの地位を約束してくれるのだから強力に支えよう。そして年老いた官僚ほど財産を持っているものだが、それが常軌を逸する程にまでなっている。力でも金でも地位でも勝てない状況が固定化されていた。

 そんな中での官僚の定年制案は簡単に潰された。人事を透明化するための内部文書公開案も駄目だった。それは自分が三選挙に合格する一年前の話。

 そして一年後、自分とウィー丞相と同期の、稀代の三選挙筆頭サウ・ツェンリーが流罪同然の憂き目に遭った。女であるから虐められても大きく反感は買わず、尚且つ脅迫になるとでも思ったのだろう。実際、反発する者は目立っておらず、臆した者は目立っていた。同期としても、若い身の上としても怒りが沸く出来事であった。

 そのサウ・ツェンリーが十万以上の軍を率いて北朝、旧天政、老人官僚達の援軍にやってくるというのだからなんとも、感心する。あの軍がやってくる分だけ北朝は北部防衛の負担を軽く出来て、戦力を存分にこちら南朝に向けられる。到着する前から既に到着しているも同然なのだ。それが今目前の東王軍の大軍にすり替わっているような気がしてならない。

 三選挙に好成績を修める天才でも官僚の天才であるかはまた別なのだが、サウ・ツェンリーは別では無いらしい。同期として誇らしく、妬ましい。そして逆境を覆して最大級の意趣返しすら見せられては……何とも言いようが無いではないか。あの”チンチクリン”がやったのだ。からかわれる為にいるような存在だったあいつが、キンキン声を上げて「やかましい!」だの「黙らっしゃい!」だの言っていた奴がだ!

 手紙一つで信念を左右する人物とは思えぬが新たな正当天政に誘ってみよう。こちらの理、不理を懇切丁寧に書けば何か思ってくれるやもしれない。無用な誤魔化しはしない。自分はウィー丞相のような詐欺師ではないのだ。何より、肩書きはともかく、遥か実力の階段の先へ行った彼女の言葉が聞きたい。極めて個人的に。

 手紙を出す方法が一苦労だ。ここはフォル江南岸の南朝側の砦。そこから遥か遠く向こう、北朝勢力を抜けて中原の外にいる敵に出すのだから。

 俗世と無用に関わらずに行動する龍僧の姿をしている、我が隠密タウ・ヒンユが報告に上がって来た。

「若様、東王軍の南進経路と、各物資集積所の配置の調査が完了しました」

 笠を脱ぎ、見知らぬ顔をして一礼したヒンユからその配置図を受け取って見る。これで敵軍の進軍経路、補助経路が分かり、軍の分散具合に集合時期の大体の予測も出来る。

「ご苦労。数は?」

「目録にて二十四万と六千。大将のいる先頭集団は概算にて六万前後。後続は雨で柔らかくなった道を踏み荒らしたせいで相当に遅れております。赤痢の兆候がありますが、便所穴の糞の具合から見まして流行るかどうかは不明です」

「軍容は?」

「農具装備の徴募兵が多いのは事実ですが、後続です。重装備の正規兵は先頭集団に集中しております。収穫期に関する会議が何度か行われており、帰農に関しては概ね肯定的な意見が多いように聞こえました」

 これからのこちらの対応次第で大分状況が変わるな。

「妨害工作の程は?」

「怪文書にて煽り、ユウ・ライサイ将軍とコンミィ・イェンワ参将が酒の席で殴り合いをするに至りました。手酌する女に酒を多く注ぐように仕向けました」

「双方、役職に変更は?」

「ありません」

 首の無い将軍より、まともに機能しない将軍の方がやり易い。

「次に、米へ白い砂利、骨片、歯を混入しました。食糧担当が管理責任を問われて斬首になりました。奥の方にも良く混ぜておきましたので、何度も発覚するでしょう。そしてそろそろ雨の季節ですので、袋を引っ繰り返して中身を精査するのも捗らないでしょう」

「後ろ脚は鈍ったな。前脚は?」

「水軍衆のとりまとめに苦労しているのは北朝も同じようでして、一挙に大軍で川を渡る事は不可能でしょう。日時さえ決めて頂ければ、多少の船は燃やせてしまいますが?」

「可能な限り、大規模な出港の直前に焼くように。だが頃合は任せる」

「心得ました」

「メイツァオに後方への攻撃進路を教えて来い。敵を飢えさせろ、とな」

 弟メイツァオは幼少の頃に龍帝殿下へ養子に出され、人外として帰ってきた龍人だ。水中行動に卓越し、陸でも馬より早い。弟の配下にも同じような龍人が数多いる。

「畏まりました」

 サウ・ツェンリー宛ての手紙をヒンユに手渡す。

「ビジャン藩鎮節度使サウ・ツェンリー宛てだ。最優先にしなくて良い」

「畏まりました」

 皿に乗った、駐屯地の豪族に貰った砂糖饅頭を出す。毒見はさせてあるし、毒でもあったら即座に皆殺しに出来る状態だ。それに方術は毒をも解かす。

「どうだ、美味いぞ?」

 変装、変貌すら行うヒンユの表情は伺えない。

「……お戯れを」

「そうか……」

 ヒンユは一礼して去る。奴は足の軽さが他の隠密より幾つも図抜けている。そのような方術も特異としている。

 タウ家の者、特にヒンユは昔から自分に良く仕えてくれている。何かしてやりたいのだが。


■■■


 傭兵が当てにならぬ時にまとまった兵力が欲しいときは地方豪族を当てにするしかない。下手な数の屯田兵や徴募兵を集めたら世話に故郷への気配りなりなんなりが面倒臭いし、それに見合った働きをする事は期待出来ない。

 ニリ都公であり、息子が隣接するチシーイン州候であるカー・ロロウに挨拶へ向かう。

 カー・ロロウ卿はニリの都周辺へ親類縁者である諸侯をまとめており、そうではない諸侯もその親類縁者の領地で包囲して圧力で屈服させており、何時でも独立勢力として振舞う事が出来る準備を整えている大勢力、軍閥の長だ。

 いくら戦前の天政が太平の世であるからと言って、そのような真似が許される事は通例では有り得ない。その通例を破る者は、澄みも淀みも構わず飲み干す大人物であろう。賢く求心力が無ければ出来ぬ事だ。太平という薄皮を剥けばこのような地方軍閥が天政の中にいくらでもある。

 カー都公は言を左右にし、北にも南も組するようなしないよう発言で煙に巻いている方である。地位や名声、金に女で動くほど貧しくない人物には……これしか自分には無かった。

 庭園に案内され、彫刻の回廊を渡り、扉無き円の門を潜る。そうすると別世界のような涼しさを目で感じる。庭木と岩が互いを邪魔しないような配置で、緑がうるさくなく、無駄が無いように見える。

 池に架けられた橋を渡る。足元の水中花の咲く池を色鮮やかな鯉が泳いで回る。小さな滝が絶えず水音を立てているので水は濁っていないようだ。池の底には白黒ハッキリした色合いの砂利が見える。

 池の孤島のような場所、巨大な一枚岩を削りだして作った足場に建つ楼閣に案内された。その一階部分は高く、全方位に扉が開け放たれていて開放的、四本の柱に囲まれた屋外のようになっている。

 滑り止めのようでいて、全てが風景画の彫刻となっている石の足場を進み、楼閣一階の真ん中に、小ぢんまりとした二つの椅子と、茶器の乗った卓がある。そこにカー都公が待っていた。

 一礼する。

「この度は面会の機会を下さり、真にありがとうございます。特務巡撫ルオ・シランと申します」

「うむ。随分とまた偉丈夫、否美丈夫よの。皇太后陛下の妾と言われても疑問も浮かばぬぞ。それにワシより高級だ。益々疑問が浮かばぬな」

「一時的な肩書きですので」

「まあよいよい。早速、手に持っている物を見せてくれ」

「はい」

 手土産を桐箱から取り出し、紫絹の覆いを外して卓の上に花瓶を乗せる。

「これはまた、少女の足首のようにイニャっとしているのが気をそそられる」

 カー都公は立ち上がり、姿勢を低くして見る。神経の細やかそうな、老齢を思わせぬ肥えた身体の方である。上背も肩幅も戦士の如きである。

「そこが、そこだけを見れば極端なようだが、この全体シュフォンっとした感じがそれをそのように見せぬのが妙技である」

 次は身を離して、指で枠など作ったりしてみる。

「地の白も透明のようで、奥深い色合いがその下に隠れて波打っておるのが見えるわ。この色合い、硝子皮膜の焼入れはキーチンの名工の秘術よ。これは眼福、失伝して長い事になるのぅ」

 それから表面を見透かすようにして見ようとぐるりと回る。

「そしてこの持ち手の曲線が謙虚に見えて実に艶やかで、主張が確かにある」

 爪先立ちになって上から覗き込むように見る。

「手に取り、形だけを見れば少々大きいような気もするが、見れば見るほど儚く小さくチュンっとしているのが幻想的、いや幻惑的とも言える」

 直に手に取り、重さを確かめるように上下しながら見る。

「なんとも育ち盛りの娘を見ているようで心がこう、ムキュっとなるのう。このような名磁器であれば花を生けるのが勿体無くなるわ。怒らぬから言ってみよ、誰が選んだのだ?」

 カー都公が、やや上気して興奮している様子に若干戸惑いつつも、何とか言葉を出す。

「我が家の倉庫より眠っていたものを引き出して参りました。」

「お主が引き出したと?」

 カー都公が眼前に迫る。鼻息が荒い。

「正直申しまして美術品に興味はありませんが、良き物かどうかの見分けはつきます。戦時下でありますし、下手な商人から仕入れるよりよろしいかと愚考しました」

「なるほどのう。して、ワシを見てどう思った?」

 これはいきなりで、更に答え辛い問いを投げてくる。試されているのは間違いない。

「はい。丘に根を張る大岩と」

「ほう。ほうほう。日和見をしておればそうも見られような。して転がす用意は出来ておるのか?」

「金と食糧、閣下の軍が縦横無尽に動ける程を用意してあります」

 軍税は兵がいなくても、動かさなくても徴集を行っている。揃ってから集めたのでは遅いのだ。内戦では時勢も流動的であるので取れる時に取らねばならない。

「もう一つ。あの磁器を選んだ理由は?」

「お嬢様がお早くお嫁に行かれたとのことで、代わりには決してなりませぬが」

「そうかそうか。家族も気遣ってくれんのにお主が気遣ってくれるのか。何とも、大きな岩になってしまったのう」

 カー都公に勧められて席につく。手ずから淹れてくれた茶を飲む。

「毒は疑わないか?」

「効きませんので気にしておりません」

「方術使いは可愛げが無いのう」

 茶が空になり、もう一杯頂いた。小鳥が一階を飛び抜ける。

「イーハンの様子はどうかな?」

「琴で”無為有転””現中九色””還水受繋””乾期不変”を暗譜して通しで演奏する稽古をしてらっしゃいます。通しで弾くと長いですから、ご苦労なさっておいでのようです」

「そうかそうか。それが出来るようになってから嫁に出す心算だったのにな。良く知っておる」

「はい」

 こちらに茶を注いでばかりだった、カー都公が自分で飲む。

「トイン様には男児含め、正室側室も含めてたくさんお子がいらっしゃる。エイシュ様の正室には男児がいらっしゃらない。時折お子が出来たという側室もいるが、エイシュ様が否定なさる上に放逐するという状態。しかも公主殿下はもう良いお年頃だというのに、人前に出たという話も、ご婚約の話も、拒否されたという話以外は全く聞かない。邪推であるが、何かあるのだろう。温厚であるエイシュ様が、いくら血が繋がらぬとはいえ皇太后陛下に死刑宣告などされるのだから何かあるに違いないし、それを正当性の主張に利用出来そうなのに利用しないという皇太后陛下の妙な態度も邪推するに値する。不敬ながら、障害があられて見せられぬ、などだ。八徳乾帝の種に異常有り等という話に繋がりかねず、話せる内容ではない。下手をすれば天政における天子の有り様にも一石投じる形になる。だからありえぬわけではあるまい。だが邪推は推測である。特務巡撫殿はどうお考えか?」

 話題が急に変わったか、筋通りか。

「安定した世襲こそが本義であります。”無能”に代わり、”有能”な自分の息子を正当な天子にしたという事実を皇太后陛下が絶対不動にしたいというのは分かる話ではあります。凡愚廃帝の寿命を待って」

 エイシュ様には既に南朝側から、生きながらにして諡号が贈られている。時、場合、場所に応じた呼び名が入り乱れてかなり面倒臭い。それにしても凡愚などと、恥は無いのか?

「天子様かその子が次代を担われるのが正しき道理ではありましたが、人前にて話せぬような話があるという時点で僭越ながらお疑わしいのは事実で、そのような邪推は避けられません。天政を乱すものであります。しかし我々は革命するのが目的であり、天政を崩壊させるのが目的ではありません。何にしても触れぬ事こそ最善と考えます」

「見ねば無いと同じというのは良き処世術だ。皇太后陛下は、エイシュ様の母である亡き前皇太后陛下とは仲が悪かった。実際二人が顔を合わせたのを見た記憶があるが、あの目付きはもう、思い出すのも嫌じゃ。気分が悪くなる上に、嫌味を言ってはそこかしこに同意を求めてきおる。皇太后陛下が幼い頃からトイン様をとてつもない程に煽ったのは間違いなかろう。トイン様が無用に三選挙を受けるほどの意欲も、そこから来ていると見える。子も孫も曾孫もいる身としては、存命の内に息子の晴れ姿を見たいという心はよーく良く理解出来る。いくら貴人でも、龍人になって仙人にでもならねば寿命は有限だ。特務巡撫殿、ちょっと話しただけで感じぬか? どちらに正当性があるかなど論じても、言葉遊びの域を出ぬ。なあ?」

「南北どちらにいようと口が裂けても言えぬ事があります」

 こんな下らん理由でこれから何十、何百万も殺そうというのだから、呆れて舌も動かない。

「では仕返しをしたい。皇太后陛下のエン家は古い家系で、レン家より古い。少なくとも法治上帝の時代にて既に貴族として名が確実に数えられている。レン家の元を辿れば、東北のかつては蛮族の地域の出である。エン家から見ればおぞましい蛮族であろう。ゆくゆくはレン家からエン家に王朝を転換させる気であるのは火を見るより明らかだ。トイン様の代でなくても、次代、次々代にそうなさる事も出来るだろう。それでもトイン様を立てられるか?」

「家長が新たな天子様を支えると仰いました」

「己の言葉が聞きたい」

「官僚が天政への反逆に加担しようと考え付くことは本来おかしなものです。今の官僚達は大体にして主だった要職にもついていなかった若手官僚ばかりで、皇太后陛下に引き立てられたウィー丞相が若手を焚き付けて引き込まねば、この蜂起はお話にもならなかった程に無理筋であります。そんな状態であったにしても、しかし家長が言った以上、ルオ家の名誉にかけて全力を尽くします。今となっては仕方の無い話ですが、凡愚廃帝に穏当な禅譲をして頂ければ何も言うことはありません。皇太后陛下の、息子の晴れ姿を見たいというわがままを我慢して貰い、廃后となり静かなところで暮らしていただくのがおそらく、お二方にとっての幸福でありましょう。しかしやはりそれらは理想に過ぎます。血は半身に引き裂かれる程度では決して止らぬ状態に陥っております。レンがエンに変わろうとも、昔からあったことで、特別な事でもありません。ただ一つ、中原にある者が座して傍観などは許しません。当事者ではないと主張したいのなら、天政の外へ行くべきです」

 カー都公は、残りわずかな茶をすするように飲み干す。

「怖いなぁ。人は怖いなぁシラン殿」

「はい。叶うなら霊山に篭って仙人になりたいです」

「その歳でそこまで人嫌いになるものじゃあない。せめて歳を取った嫁があーなったりこーなったりしてからだ」


■■■


 ニリよりフォル江南岸、東王軍迎撃地点の砦に戻ると朗報が相次ぐ。

 東王軍の足が止まったというメイツァオからの報告。東王軍後方部隊の警護が手温いお陰で、兵糧を大量に焼く事が出来たという。食糧問題に敏感だったらしく、体勢を立て直すため帰農する数を調整するために先遣部隊を除いて一時南下を取り止めたらしい。警護が手温いという話だが、龍人の機動力を相手が想定していなかったということだろう。

 過去の諸将は、龍人を無駄に有り難がり、旗のように誇示し、決戦時に投入するだけという重騎兵のような運用しかしなかった。しかし一番に有効な使い方とは、このような軽騎兵、時には隠密のような運用であろう。

 強風を狙い、敵側についた水軍衆の船団を焼いたとヒンユからの成功の報告。これで先遣部隊の渡河は防いだ。戦時の今、河の船とて用立てるには平時より代金が嵩む。再建費用を渋らず出す懐が東王にあるかないかで今後が決まる。出さねば水軍衆は我々につく、いやつかせる。ヒンユには水軍衆に再建費用を出す用意があると、手付金を持たせて派遣しよう。少し準備がいるがやって損は無い。

 金が更に掛かる。軍税以外にも金を稼ぐ方法を考えねばならない。敵の軍需物資を奪えれば一番後腐れが無いが……豪族の隠し畑の覆いでも取る準備をするか。

 ニリ軍閥とその親類縁者の軍が動き出して配置につき、フォル江防御拠点の増築が始まる。前線の兵数はこれで四万。ニリ軍閥で待機中の予備兵力は精鋭の一万と、召集中の二万。徴募用の武器は集めて整備をしている段階だそうだ。こちらからも武器を出す用意はあると打診したが、それは固辞された。こちらにつくとなった以上は負担は分けたいとのことだ。動くとなったら岩のように頼もしいものよ。

 次いで水軍衆、取り込みの朗報が入る……残念ながらヒンユの方からではなく、南朝正規軍からの定時連絡での報告だ。敵方に流れる連中が減ったというだけでも良しとしよう。フォル江の水運は、今の南朝経済にとっては欠かせぬものであり、それは水軍衆も同じである。彼らは有象無象であるが、川と沿岸を知り尽くした商人である。真に求めるのは武功ではない。

 加えて、正規軍からの定時連絡に、海軍の不介入宣言が含まれていた。アマナの海賊でもない軍が南部の港を一つ焼いたらしい。”卑劣にも”夜襲で――おそらく海軍は間抜けにも対応出来ていない――被害は大きかったらしい。

 アマナ海賊はあくまでも海賊で、荷を奪って人をそこそこ奪っても、建物まで焼く事は無かった。卵を産む鶏を殺す畜産屋がいるか? これは奴等とは違う。

 港を焼くというのも一苦労な作業である。敵に優れた方術使いでもいると見て良いかと思う。

 何にしても内戦に構ってられないとでも海軍は言うわけだ。彼らこそ忠臣である! 余裕があれば弁護でも何でもしてやりたい。余裕が、あれば。

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