第88話「出港前夜」 ベルリク

 久々のバシィール城は良い。我が家というのはなんとも言えない匂いを感じるし、布団の柔らかさも違うように感じる。いくら金をかけてもこれを再現する事は出来ない。自分の身体で捏ねて作った”くたびれ”は買えるものではないのだ。

 仕事があるわけでもないから帰りの船旅は暇の連続だった。

 まずジャーヴァル南端のナギダハラから南大洋に出てビサイリ藩王国に寄港。雨季だったのでしょっちゅう大雨が降り、船の中がカビ臭くて仕方がなかった。カビの生えた食事が下級の船員達に出たらしい。

 メルナ川を昇って運河も通って魔都を経由。見た目は変わらないが、老けたように見えたルサレヤ総督に会ったのが辛かった。いっそ今生の別れになっていた方が気楽だったかもしれない。後、イシュタムが高齢で引退して、故郷で後進指導に当たるらしい。時代は過ぎるものか。

 ビナウ川を昇って運河も通ってダッスアルバールを抜けて中大洋に出て、そしてセルチェス川を昇ってバシィール城に戻った。

 大量に本でも買い込まねばやってられない行程だ。朝起きて糞をしながら小便をして朝飯を食う。本を読んで頭が疲れたら小便をして身体を動かして昼飯を食う。本を読んで頭が疲れたら小便をして身体を動かして晩飯を食い、小便してから寝るの繰り返し。

 急ぎの用事でもなければ、時間がかかっても陸路にしたくなるぐらいだ。陸なら狩りの時間も取れるし、地域毎に変わる風景も食事も楽しめる。軍事演習だなんだと、盗賊を襲って血の臭いを嗅ぐことだって出来る。地方領主に挨拶して一晩ご厄介になるのだって面白いのだ。

 海ではそんな行事が無い。寄港地は確かにあるが陸より間隔が長い。まさか沿岸を縫うように寄港して接待航行しろ等とも言えない。

 久々のバシィール城は良い。妖精達の追いかけっこに思わず加わってしまったし、昼夜通して馬でその辺走り回ったり、ナシュカの尻を触って怒られて逃げたり、ルドゥと隠れんぼしたりしてた。

 仕事もした。ナレザギー用の部屋の用意や連絡網の構築にシェレヴィンツァまで出たり、戸数が大きく増えたレスリャジン氏族の様子を見に行って乳幼児やらデカい腹を飽きるぐらい見て、我が第五師団の様子も見て回ってラシージに評価をさせた。緊張状態の国境線が近くにあるとはいえ、即時攻撃に移れるだけの状態にあって安心した。他の師団は、風聞では多少だらけている様子だ。

 気になるのはクセルヤータと分かれて腹に不満が溜まっていないかと心配したアクファルだ。見る分に態度はいつも通りだが、見て分かるような性分の女ではない。というわけで話を聞いてみたら「問題はありません」らしい。しつこく聞いてもアホ丸出しなのでそこで止めたが……どうにかならないか!? イスハシルを死地に追いやったのが悔やまれる。

 それから持ち込み案件が一つあった。それは心胆を寒からしめるに十分であった。

「将軍閣下に、出港前に裁可して頂きたい計画があります」

「おいラシージ、何時から俺がお前のやりたい事を否定する奴になった?」

 持ち込んできたのはラシージである。最も信頼を置き、常々自己裁量でなんでもやっていいとお任せにしているラシージだ。それがわざわざ言いに来るとは只事で済むはずはない。

「お聞き下さい。おそらく私の世代では最重要案件です」

「何か凄いな。題名は?」

「しゅるふぇ号計画です」

「しゅるふぇ?」

「しゅるふぇは識別記号なので、番号と同義です。この計画はランマルカ革命政府と連動しております。これからお話する事以外に関しましては、申し訳ありませんが紳士協定につき、という事であります」

 その重たい発言に恐ろしくなる。

「紳士協定は了解した。内容は」

「妖精種の保全を目的とした貿易です。まずアウル藩王国のような例外を除き、可能な地域から妖精奴隷を輸入して人的資源を確保します。独立した妖精勢力はランマルカ革命政府と新大陸のペセトト王朝のみです」

 新大陸のペセトト王朝? 一切全く聞いた事が無いが、まあ大陸の外の話はいいか。

「半独立と言えるのは我々マトラ、アウル等の魔神代理領傘下のある程度まとまった数を保っている妖精勢力のみです。後は文字通りに人里知れぬ場所にいる程度で、残りは全て、表現の仕方は違ってもほぼ全て隷属、奴隷状態です。繁殖も満足に出来ずに”消費”される運命にある彼らを取り込みます。次に輸入の対価のような形で最新の武器を輸出します。妖精奴隷を集める撒き餌として使います。ランマルカ革命政府はこれに反対することはありません。次に今回のような事案でもよろしいので、義勇兵でも傭兵でも、名目は何でも構いませんが、戦争に参加して実戦にて将兵を、訓練では足りぬ部分を教育して錬度を向上しつつ、その戦場を知る将兵でもって新しい人民も含めて再教育し、戦力の量的、質的な向上を図ります。同時に戦いに乗じて貿易路も広めて輸入規模を拡大します。可能であれば収支も改善させます。これを繰り返します」

 共和革命派の全人口を戦争に投じる全人民防衛思想の欠点は、妖精が用いるには人口が少な過ぎるというものがある。じゃあ人間社会の導入すれば凄いんじゃない? と思っても、妖精でもなければ現状、運用することが出来ないと思われる。徴兵するにも組織を立ち上げて四苦八苦して、詐欺誘拐までしているのが人間国家の現状なのに、女子供老人まで根こそぎ運用するなんてのは無茶な話だ。反乱が起きるし、起きなくても運用出来る人材の確保が難しいか不可能か、だ。訓練を受けていない、羊より動けず統率の取れない女子供老人を扱える人間がいるとは思えない。いてもイスハシルぐらいだろう……ああ、イスハシル、何でお前はあんな間抜けな死に方をしてしまったんだ。どこかに潜伏して生きてたりしないのか?

「長期計画みたいだな」

「はい。ナレザギー殿下が現れて貿易路が広がり、初めて実現の見通しが立ちました。この形式は時が経てば制度疲労を起こして改革せねばならなくなりますので、基本的には毎年継続するかを検討します」

「俺に否定する気は無いし、ナレザギーにも話は通すが……傭兵、したいのか?」

「はい。我々は戦いを続け、常に最善の百戦錬磨の軍隊である事を続けねばなりません。弱い人間以上に、弱い妖精に生きる価値を認めてくれる国はありません。ならば強くあらねばなりません。内実は時に変化するでしょうが、常に強いと見做されなければなりません。将軍閣下」

 ラシージが手を握ってきた。いつもこれには、あらゆる意味でドキドキさせられる。毎日やられたら精神を病む自信がある。

「今まで以上に我々はあなたの導きを必要としています。どうか戦場をお与え下さい。血を対価に我々は威容を得なければなりません。マトラ妖精に仇なせば極大の不幸が降りかかるという事が常識化されなければなりません。何れ人口が膨れ上がり、土地が必要になった時にそれらは必要です。安住の地を手に入れるための武力と発言力が必要です。ランマルカ革命政府も努力しておりますが、彼らだけに任せておけるほど世界は甘くありません。世界に並べられた限りある椅子の多くに座る人間を殺し、その椅子に我々妖精が座ります。勿論皆殺し等は出来ませんしする気もありませんが、生存が保証される席分は確保しなくてはなりません。半端ではいけないのです。人間である将軍閣下にはお聞き苦しい所はあると思いますが、頼まれては頂けないでしょうか。我々には人間と交渉する影響力に欠けております。将軍閣下がいなければ手も足も出せません。我々はあなたの望む事に力を捧げましょう。既に捧げた心算ではありますが再度、言います。ベルリク=カラバザル、あなたに全てを捧げます」

 ラシージの、そう、これが怖い。嬉しいとか有り難いとか感心するとか、そんな軽いものを根こそぎ吹っ飛ばしてくれる。心に何か別なものを捻じ込まれる感覚があるのだ。洗脳されているのかもしれない。

「やる事の方向性の一致は今に始まった事じゃない。今まで通りだ、な?」

 ラシージと見つめ合う。返事は無い。


■■■


 本拠地で身辺整理もいいが、我々にはこれからまた海路、遠路遥々極東のレン朝まで行って戦争をしなくてはならない。第一陣として頑張っているガジートやグラスト魔術戦団、ナサルカヒラ州軍の皆を応援しに行かなくてはいけない。どうせ到着する頃には大体の決着がついていてやる事少ないような気もするが、それでも行くのが魔神代理領流だ。約束を守ってみせるのが誠実を証明する手段だろう。

 その遠征準備の一環として、バシィール城の演習場では展示訓練の実演なるものを行っている。

 出席はイスタメル州軍関係者の代表格やその代理がいる。何時の間にか知っている顔も減っていて、ジャーヴァルで戦っている内に引退したり病死したりしたらしい。世代が少しずつ前に進んでいる事を実感する。

 これは陸軍開催のお遊戯会であるが、海軍さんからも士官方に異様に不機嫌な面をぶら下げているセリンだっている。中大洋で大暴れしたクセにまだ血が滾っているのか?

 総督代理ウラグマもいる。この人と黒い竜半々の姿も懐かしいものだ。相変わらず、ほよーん、とした雰囲気を醸し出している。

 レスリャジンとマトラの主だった第五師団や身内連中、軍人に軍人じゃないが戦闘員の連中がたくさん、一揃いやってきている。小うるさいミザレジがいないのは良かった。奴の話は傍から聞いている分には面白おかしいが、直接相手にすると鬱陶しい。

 国外勢もいる。愛しのシルヴとヤヌシュフに、エデルト軍の陸海士官に加えてヴィルキレク王子の名代までいる。アソリウス島嶼伯領とイスタメル州の間には軍事同盟が結ばれているので正当な参加だ。アッジャール侵攻時の共同戦線という実例があり、互いの実力は知っているに越したことはない。それに加えてアッジャール王とエデルト王女の婚約が正式発表されたのだ。未亡人戦争への正式参戦まではしていないが、武器弾薬の取引、軍事顧問の派遣、オルフ人士官の士官学校受け入れなど、軍事同盟と見做されても間違いが無い所まで両国の関係は発展している。楽しそうだ。

 それからアッジャール朝オルフ王国とオルフ人民共和国からの外交特使様までいらっしゃる。片方はあのアッジャールの老将軍オダルだ。会話に思い出話に恨み節から今後の関係改善? とかが合わさりそうで面倒の臭いが凄まじいので関わり合いになりたくない。

 後はイスタメル州隣接国家にメノアグロ州にヒルヴァフカ州からも武官が見えている。

 とにかく、わざわざあっちこっちに面を出さなくても一同に会せたのだから面倒が無くてよろしい。ランマルカ式の新装備の性能を知る為に、知らせる為に皆が集まっている。田舎で適当に済ませとけと言う程に小事ではないのだ。

 マトラの妖精達の装備が最新のランマルカ様式に次々と改められている。それも見本品や設計図を入手してから工場で量産された品なのだ。これは大事で、どう考えても異常事態だ。

 マトラ県ことマトラ自治共和国が大陸側の妖精達の安住の地として価値を認められているからランマルカは援助するのだろうし、魔神代理領がこの状態を認めるのは、魔なる法のお陰だろう。

 ランマルカに援助して貰ってはいても、最新式の武器の設計図どころか輸入も出来ていないオルフ人民共和国側からすれば何とも見ていて歯痒いだろう。人間には冷たい。

 アッジャール朝オルフ王国としても、そんな最新式の武器を敵が入手する事は受け入れられないだろうし、目が届く範囲では常に光らせておきたいだろう。

 両外交特使はバチバチと火花を散らして武器問題に関して口を開こうと構えている。エデルト側からもアッジャール朝を応援するような素振りが見て取れ、そんな余計な連中が寄り付かないように偵察隊に見えない壁を作らせて行く手を阻ませている。他所でやれ。

 大砲の実演が始まる。

 妖精の砲兵は、実演向けの大袈裟でキビキビした動作で大砲を操っていく。

「火薬装てーん!」

 今から何の道具を使い、何をするのかをハッキリと見せるためだ。

「砲弾装てーん!」

 特に歩く姿が、ワザと足を上げて遠回りをするので、知らぬ者が見たら滑稽過ぎて笑うかもしれない。ましてや妖精、玩具の兵隊みたいで可愛い。

「点火準備良ーし!」

 ジャーヴァルでの戦いでは、新式と旧式の小銃、大砲、弾薬の組み合わせで色々と実用試験をしていたそうだ。傍目には順調な砲撃しか確認出来ていなかったので、そんな素振りは全く無かったと言って良い。

 球形砲弾、円筒形砲弾、ドングリ形砲弾、滑腔砲と施条砲に使い、それに鉛環を噛ませたり、円錐帽? をつけたり、装弾筒をつけたり、安定翼? をつけたり、異なる砲弾を分解して組み合わせて無理矢理型式の違う大砲に合わせたりと、あれはダメこれは良いこれはそこそこだがわざわざ手間をかける程ではない、と専門職でも無いと把握できないあれやこれを、演習では計れない情報を実戦で得ていたらしい。ランマルカと違ってマトラの工業力、魔神代理領隷下という立場では新旧の兵器が入り混じる事は必須なので、そのようにしたそうだ。

「発射準備良ーし!」

 指揮官の指示で小旗が振り上げられ、発射の合図が出される。そして長く号笛がビーっと甲高く鳴らされ、吹奏が止まる。

「発射!」

 静かに小鳥がさえずる程度だった演習場が、発射の爆音と着弾の爆音に染まる。空高く、地平の遠くまで音が走っていくのが後から聞こえてくる。

 静かな所で落ち着いて聞くと、何とも大砲の音というのは馬鹿デカい。風が無くても音に肌を撫でられるようだ。白い発射煙が迫って来て、包まれ、鼻を刺す。

 それから様々な組み合わせで砲撃が始まる。

 不適正な砲弾を大砲へ、装具をつけて無理に合わせて発射する時の飛距離、精度は当然悪い。

 適正な砲弾を大砲に装填して撃てば、当然に飛距離、精度は良い。

『おー!』

 拍手と感嘆の声が上がる。

 施条砲にドングリ形砲弾が装填され、発射されたのだがその飛距離が普通の大砲の、単純な目測でも倍を超えたのだ。しかも精度が異常に高い上に、着弾した時に炸裂した。

 まずこれでランマルカに対して戦争を挑む事が馬鹿げた事だと皆に理解がされた。マトラに対しても同様である。これでしばらくは前のアッジャール朝みたいな大侵攻を起こす気には――元から無くても――ならなくなっただろう。

 マトラがこういった技術を広める事には一切協力的ではないという事は、ウラグマ代理は分かっていて、あれが欲しいどうしたら良いとは言わないので助かる。他の連中ならともかく、彼から圧力を掛けられたら困ってしまう。困るだけで協力しないけど。

 特に大砲関連はラシージ任せなので口は挟んでいないが、ランマルカ的な装備が堂々と、ジャーヴァル内戦時にも使われていたと思い返せば中々、背筋にくるものがある。明確な敵ではないが、主義主張的には殺し合っても疑問が浮かばぬのが魔神代理領とランマルカ革命政府の間柄だ。魔なる教えとやらが無ければ、そこらの国なら内閣が転がるような大事件になりかねない。

 一時休憩、大砲弾薬の撤収と、次の見世物の準備があるので少し時間が空く。

 妖精相手では話にならず、通訳を求めるように自分へ声がかかる前に牽制だ。

「おいヤヌシュフくんよ、こっち来なさい」

 シルヴの養子、彼女の兄の息子ヤヌシュフを呼ぶ。あの施条砲に感銘を受けた連中の視線が一挙に集まって暑苦しい。

 ヤヌシュフはベラスコイの系譜に連なっているのが分かる顔付きをしている。セレード人らしく目も髪も黒だ。

 自分はこの子の、親戚のおじさんなのだ。身内の話、セレードの話である。何やら期待の目で見ているエデルトの黄金の糞共はあっち向いてて下さい。

「はい、バシィール卿……グルツァラザツク様」

「ベルリクでいい。言い辛いだろ」

「はい、ベルリク様」

「人間ぶっ殺した事あるか?」

 この問いかけだけでは、ヤヌシュフが聡いか勇敢かは判別できるだけのものがない感じだ。

「いえ、ありませんが」

 馬鹿で虚弱ではない事が分かるだけでも十分だろうか? 歩き方と喋り方から何らかの障害を患っている様子も無いようなので安心した。”要らない子供”を養子に送りつけるという話は、ある話なのだ。

「お前の歳ぐらいにはな、シルヴなんかエデルト兵を何十人も殺してたんだぞ」

 こっちに視線をくれているエデルト系の士官を指す。ヤヌシュフも士官達も困ったような顔をした。

「俺はまだ鹿撃ったり、自警団ごっこでカスみたいなゴロツキ共を虐めてたぐらいだったなぁ」

「はぁ」

「死刑囚か何か見繕ってやるから、殺してみるか?」

「え!?」

「こら」

 シルヴからバチンと鳴るぐらいの拳骨くらう。一瞬気が遠くなった。

「痛っ、何だよ。分かった、スラーギィで難民狩りに加えればいいんだな」

「ああ、それはいいわね」

 直ぐに同意するシルヴ。確かに、無抵抗な肉の塊に刀を突っ込んだって名誉ではない。

「お、お母様?」

「いいですかヤヌシュフ様。兵隊と向き合う以上、人の一人や二人殺した事も無ければ侮られます」

「え、あ、はい」

「何ですかその返事は? 意志薄弱と見られます。もう一度」

「はい」

 シルヴが子供の教育しているなんて感慨深いなぁ。子供に戻って養子になりたい。

「カイウルク! こっち来い!」

「はーい親父様!」

 子供の成長は早いというが、あっと言う間に良い若者になったカイウルクを改めて見て、これも自分が少し育てた分が上乗せされていると思うとこれまた感慨深い。

「後でアソリウス島嶼伯領の方々と相談して、ヤヌシュフ殿をスラーギィの難民狩りにご案内しろ。彼はセレードの男になる方だ。その心算で指南して差し上げろ」

 レスリャジン氏族はセレード族の系統。遥か昔にはセレード王国ではなく遊牧帝国域に連なるセレード部だったのだ。セレードの男がレスリャジン氏族に男にして貰ってもおかしい所は無い。

「うん分かった! うーん、五人くらいが目安かな? 君、歳いくつ?」

 ニッコリ笑って優しく喋るカイウルクが、何だかヤヌシュフのお兄ちゃんみたいな感じがしてとても良い。良い良い。顔が緩みっぱなしになる。

「は、はい。今年で十三になります」

「じゃあ、十三人でいいかな。女子供も入れればそう多くないし、大丈夫だよ。最初は動けなくしてからトドメ刺すって感じで行けば良いし、ね?」

「そんなにですか?」

「その数だとちょっと時間掛かると思うけど、いいよね?」

 目を細めてまるで母のような視線をしているシルヴが、ヤヌシュフの両肩を掴んで押し、カイウルクに差し出す。

「お願いします、男になるまでは帰さないで頂きたい。ヤヌシュフ様、島に帰る予定は延期です。よろしいですね」

「はい」

 それは納得した上での、はい、だったのかはやや微妙だが、命令に逆らうという考えは既に無いようだ。

 カイウルクがヤヌシュフの手を取り、早速レスリャジン氏族の輪の中へ引き込んだ。

「今のカイウルクくん? 良い子じゃない」

「レスリャジン方の血統で俺の親戚だ」

 シルヴが席を詰めて来た。手も繋ごうとしたら叩き落とされた。

「俺もあんな面倒見良いと思ってなかったな」

「どうして?」

「最初は愛想の良いガキってぐらいにしか思って無かったからかなぁ。見ない内にボーっんと成長しちまった」

「年寄りみたいな事言い出すのね」

「三十でくたばるならもうジジイだよ」

「その面で早死にする気?」

「シルヴが結婚してくれたら長生きを頑張る」

「違う相手に言ってやりなさいよ。ほら、いるでしょ」

 首が思わずある方向へ動きそうになったが、気合で止めた。

 大砲の次は新式歩兵操典の実演が始まる。

 まず研究用に訓練したものとして、各国の歩兵操典による戦列歩兵の動きを妖精達が見せてくれる。わざわざ、軍服まで真似しているという凝り様。これならマトラ式を見た時に比較がし易い。何とも親切だ。

 ロシエ式。

 隊列に隙間をわざと作り、最前列が射撃したら身を翻して隙間を縫って最後列へ移動し、大きな隙を見せずに列交代射撃を行う。

 列交代の様子はまるで舞踏である。ロシエ貴族が、死の舞踏、などと格好つけて呼ぶ形式だ。

 通常は縦三列の厚さの横隊で行うが、状況に応じてそれより厚くすることもある。

 漸進射撃を行う際は各小隊毎に分かれて発射と行進を行うのが通常。列交代射撃時に何歩か前進する事もあり、逆に徐々に後退していく事も可能。

 また戦列内に自己判断で発砲する選抜射手がいて、列交代時の間隙を埋める役割も担っている。

 歩調合せの小太鼓が何とも小気味良くて、ロシエ舞踊という感じがしてしまう。集団を音に合わせて動かすという行為が戦いと踊りの共通点だ。これを大量の歩兵に訓練して仕込むとなると時間と金が掛かるだろう。

 イスタメル州軍の中でも、ロシエ式に訓練した戦列歩兵を持っている将校達が感心するように話し合っている。旧イスタメル公国軍の中でも、精鋭と呼ばれた者達はこのロシエ式だったのだ。自分が着任した時にはそのような方式で戦う者は見てこなかったから、やはりこの方式の軍をある程度の規模で維持するのは難しいはずだ。

 ランマルカ式。

 基本的に全隊が合わせて一斉射撃をすることはなく、射撃判断は全て小隊単位で行う。移動判断は大隊が行い、攻撃方向や防御地点は旅団単位で判断するらしい。

 戦列は一応は組むものの、状況に応じて即座に散兵として隊列を崩して戦う事が出来る。戦線は常に流動的という思考らしい。

 武器は全て装填に時間がかかる施条銃で、一斉射撃の衝撃力よりも高い命中率での殺傷率を考慮に入れている。

 また全兵士にまで護身用の拳銃を持たせているので、施条銃の発射間隔の遅さはある程度補われているようだ。加えて拳銃は小銃と弾薬が共用で、拳銃には施条がされていないのでこちらは装填が比較的早い。

 野戦よりも都市部や森林部のような入り組んだ地形を想定しており、敵を押せる時は押して、抵抗や進撃が強ければ無理しないで引くという柔軟性を持っている。

 考えるだに戦い辛い相手だ。決戦に持ち込んで主力撃破というのが困難に思える。泥沼のような長期戦がおぼろげに見えてしまう。流動的な押したり引いたりの冷静で勇敢な戦いが出来る兵士でなければこのランマルカ式は困難だろう。

 これがマトラ式に一番近い方式か? マトラの妖精ならば可能だと断言出来るが、数を揃えねばならない他国では難しいだろう。戦列を組まなくても逃げない兵士というのは貴重で金が掛かるし簡単に揃わないのだ。

 両オルフの外交特使が、目付きを変えて観察している。

 魔神代理領式。

 初めだけ最前列がしゃがんで、二列目が立って一斉射撃をする。その後は各自任意に自分の速度で乱射する。

 発射速度より命中率を高くするよう指導することになっており、他国の戦列歩兵よりは華に欠ける。それを保証するために小銃の精度は非常に高い、とされる。

 また前列に疲れが見えたら指揮官判断で後列交代させる。大量の火力を投入することよりも、長く立つ事を重視している。魔神代理領では歩兵はあくまでも牽制が目的で、敵の撃破は騎兵や砲兵の役目と考えており、最悪立っているだけで良いと言う者もいるぐらいだ。

 大量の兵士を集めて使うのであればこの程度が丁度良いように思える。優秀な騎兵と砲兵、それから魔術使いに多様な種族、そして魔族に頼れる魔神代理領にとっての最適解がこれだ。兵士の濃密な訓練もしていられない貧乏国家にもお勧めだ。

 エデルト式。

 エデルトでは横隊は基本的に取らず、縦隊隊形が基本である。高い機動力に基づいた攻撃精神こそが勝利の鍵であると士官学校の教官は常々口にしていた。

 縦隊の射撃は、射撃位置についた後にしゃがみ、まず立ったままの最後列が発射し、次に前の列が立って発射を繰り返し、最初に戻る。

 しゃがんだままでも装填がし易いように小銃は若干短く作られている。代わりに口径と銃の重量、装薬量は大きく、銃兵に高い体力を要求するが、射程では他国に劣らず、近距離での破壊力は勝る。

 射撃戦は基本的におまけで、大抵は射撃を一巡するだけか、それすらせずに敵へ突撃する。突撃前には白兵射撃用に一発装填しておくのが良いとされる。士官や下士官は拳銃を使う。

 馴染み深い方式だ。エデルト人士官が先祖のように斧を担いで突撃したいという願望がこの方式の着想点である。セレード人も刀を振りかぶって突撃したいという願望があり、この方式は今でも愛されている。

「あらお上手」

 シルヴが感心する程、エデルト式は完璧に演じられた。

 オルフ式。

 小銃の銃身を支える銃架を兼ねる三日月斧が標準装備であり、装備重量は嵩むが射撃は正確である。

 列交代のような細かな技術は使わず、攻撃的に前進しながら正確な射撃を行い、銃架代わりの三日月斧で突撃するというのが基本で、そこに手榴弾を装備した擲弾兵も混じる。これが突撃部隊。

 後はロシエ式を簡略化させるか、そのまま流用した射撃部隊もいる。しかしアッジャールの侵攻時にそういった錬度の高い部隊を集結させる事が出来なくなってしまったという問題がある。

 田舎者とか野蛮人とか人間の出来損ない扱いを受け易いオルフだが、方式は他国に劣るものでは決して無い。国情が安定しなくて経済的にも実現出来ないのがやはり出来損ないたる由縁だ。

 オルフ人民共和国大統領ジェルダナの突撃を思い出す。あの時も突撃部隊と射撃部隊が仕事を分担していた。あれに大砲が加わっていたらと想像すると、興奮する。あのカッコいいおばちゃんと直接殴り合ってみたかったなぁ。

 そしてお待ちかね、マトラ式。

 マトラの妖精は今や、ジャーヴァルに遠征していた内に、何時の間にかマトラ式ランマルカ水準装備になっている。ランマルカ式にそのまま取り込むのではなく、あくまでもマトラ式である。

 ランマルカ式の装備はあくまでも陸海共同作戦が大前提で陸軍も全て海軍歩兵様式である一方、マトラは川はあれど基本的には大陸軍としての運用が基本だ。違いは当然出てくる。

 地方勢力が独自に装備を調達し、戦闘様式を編み出せるような軍事素養がある時点でまた普通の国なら内閣が転ぶような大事件である。

 その装備は異色だ。軽量鉄兜、中帽、防刃襟巻き、絹製防弾着、鉄板入り長靴を標準装備。贅沢である。

 そして何と、軍服は機能性重視で飾り気は完全排除。色は濃淡ある灰色の斑模様で統一。顔まで染料で塗れば、視界が悪ければ人に見えない。夜戦で強さを発揮するだろう。地味なランマルカの薄茶色の軍服から着想を得たような軍服では決して無い。偵察隊の潜入時の姿、現地の草や泥を使ってマントを飾り、団子みたいになり、息を潜めれば足元にいても分からないような格好を簡略化したと思われる。

 歩兵は小隊単位で動いて戦列を組んだり、散兵になったり出来るが、基本は散兵として行動する事になっている。

 施条銃を使い、遠距離戦にて連射数より命中率を重視し、弾薬を共用する拳銃を予備武器に標準装備。これはランマルカ式と同じ。

 そして白兵戦にも使えて、土が掘れる折り畳み円匙も標準装備。ラシージの土は信頼出来る援軍という教えが活きている。

 小銃を持たず、刺突も出来る棘付き棍棒を持った突撃兵がいて、白兵戦を専門にする。肩当、小手、脛当を追加で装備。拳銃も四丁携帯し、鎧代わりになるよう前面に鞘がつけられている。これはエデルト式から着想を得たか?

 長銃身で照準装置付きの小銃を持つ猟兵は、指揮官や狙撃手を主に狙う。ロシエの選抜射手に着想を得たか、偵察隊の亜種のようなものか。

 工兵や砲兵、斥候に伝令も軽装であるが、基本装備に準じる。工兵は爆薬を扱い、場合によっては擲弾兵の役目を負う事もあるらしい。

 装備品が充実しており、かなり贅沢な軍隊に仕上がっている。これまた金の掛かる部隊だ。

 そして派手な事にマトラ式歩兵と、各国式歩兵の模擬戦が開始された。

 まず、マトラ式歩兵は施条銃で通常の小銃の射程距離外から攻撃するという状況に持ち込むのが基本となる。相手が前進してきてたら遠慮無く後退。

 演習場をかなり広く使って行うので、観戦するには移動しつつ馬上からとなる。

 ロシエ式、魔神代理領式歩兵は一方的に撃たれて敗北。マトラ式歩兵は敵の射程距離外から射撃する隊と、弾薬を装填する隊、敵の射程距離外へ逃げる隊に交互に分かれて動いた。

 ロシエ式、魔神代理領式歩兵では白兵戦を挑もうとしても、隊列を組まずに全速力で走って逃げるマトラ式歩兵に追いつけず、追いつこうとする程に走れば隊列が崩れて仲間同士で衝突してしまう状況も見られた。

 実弾を撃ち込む訳にはいかないので被害は全て監督官の判定という事にはなったが、優劣は明らかだった。

 エデルト式、オルフ式歩兵では射撃戦では話にならないと最初から見切りをつけ、被害覚悟の突撃で損害は与えたが敗北した。

 やはり散兵の逃げ足と施条銃の組み合わせが凶悪である。追いかけっこをしている内にエデルト式、オルフ式歩兵は散兵に柔らかく包囲されてしまい、鴨撃ち状態になった。一点突破を狙っても、狙った方向の散兵は逃げるし、逆に後背からは散兵が迫るという状態。遂には突撃兵が射撃で乱れた隊列へ拳銃を連射しながら突撃し、演習用の棍棒で殴りこんで粉砕判定を得た。

 ランマルカ式歩兵とは遠距離での撃ち合いで始まった。当初互角のような感じがしていたが、マトラ式歩兵が簡易塹壕を掘って有利になった。円匙は偉大であるか。

 ランマルカ式歩兵が逆転を狙って突撃を敢行するも、突撃兵による迎撃を受けて撃退された。拳銃は有効射程距離が恐ろしく短いが、小さくてそこそこ軽いので何丁も持てるし、代わる代わる使えば連射が出来るのが強みだ。正確な射撃が出来なくても敵に近づいて、敵の群れの方向へ大体に撃てば誰かに当たるものだ。小銃では大きくて重過ぎて拳銃のようにはいかず、せいぜい二丁が限度であろう。拳銃を一人で四丁持って倍、倍々の火力を発揮出来るというのは強力だ。模擬戦なので使われなかったが、拳銃に散弾を込めて更に近接戦能力を上げる工夫も出来るらしい。

 実戦でこのように上手くいく事はないし、他にも多様な要因が絡んでくるのでマトラ式歩兵が最強等とは言えないが、隙の少ない方式だと証明はなった。

 施条銃は連射能力に劣るので、捨て身で敵の大軍が突っ込んできた時が怖いかなぁと思うが……そうなれば逃げればいいのか? まあ、まずそんな状況になったらどんな兵隊だって怖いものだが


■■■


 こんな催し物の後はお決まりの、バシィール城で食事会。酒を大量に出して宴会に持っていくと少々後が怖い要素が今回は多い。

 バシィール城の改修はそこそこにして止めてしまったので、大勢を招くには内部は手狭だが、それに文句を言うような奴はいないから良しとする。言うような奴は最初からお呼びではない。

 ナレザギー経由で輸入した香辛料を使った、ナシュカの料理が振舞われる。スラーギィの羊と山羊、マトラの野菜に果実、イスタメル諸県から麦に豚、マリオルから魚に海老、といった具合に州内の物を主に使った料理が出される。

 やっぱり美味い。皆が褒めまくる程に美味い。

 しかしそんな美味しい物を食っているとは思えないようなセリンのおっかない顔がある。こいついつまであんな面している心算なんだ? 出港前にどうにかしよう。

 隣に椅子を持っていって座る。セリンの隣にいた海軍士官は、やあやあようこそいらっしゃいましたささどうぞ、といった感じで席を動いた。椅子まで持って来なくて良かったな。

「おいセリン、折角の美人が台無しだぞ。共食いして不機嫌なのか?」

 セリンの目の前にある皿には蛸足を刻んだ酢の物料理がある。手で摘まんで食べる。魔術使いが贅沢にも氷を作って、それで保冷した蛸がそこそこ遥々セルチェス川を昇って運ばれた物だ。内陸で食うものじゃない。

「あーそう」

 糞不機嫌だ。あれだけ戻って来いと熱烈に手紙を出しておいて、戻ってきたらこれだ。また直ぐに極東のレン朝にまで遠征に行くのが気に入らないらしい。

 セリンが席を立つ。自分も立って引き止める。何だか、何時ぞやの逆だな。

「お前来れないのか? こっちはもう軒並みぶっ殺して休戦して暇なんだろ?」

 セリンが、何言ってんだお前? という顔になる。

「代理立てれば行けるだろ。魔神代理領ってんだから、代理がいれば何とかなる風潮、あるだろ。ここにいるのはウラグマ代理、俺等のお頭は魔神代理だぜ」

「代理立てれば許可出しますよー。もうこっちは比較的平和ですしねー」

 ウラグマ代理が遠くから声を出す。素晴らしい、流石は俺等のウラグマ代理。理想の上司だ。

 セリンの腰に手を回して抱き寄せる。

「一緒に来い。嫌なら突き放せ」

 皆で好き勝手雑談しながら飲み食いをしているのがこの食事会。形式張らずにやっている。席毎、出身毎にある程度の組が出来た幾つかの集団に分かれて独自の空間が作られるものだが、このやり取りで雑談が止って、視線がこっちに集まった。

 セリンが無表情で涙を流す……なんかおっかないな。ギャーギャーブチ切れられた方が理解し易い。

「どうした?」

 首に手を回される。それはもう、組み付きと言って過言ではない強さ。次に、口付けなどというものではない。口の中を舐め回されたと言うべき。勿論、皆の前だ。隠れ等しない。

「アッハハハハハ!」

 シルヴが手を叩いて、今まで出したことも無いような高い声で笑っている。

 アクファルが、何と珍しいものを見るような表情をして、小さく拍手。

 ナレザギーが杯を片手に立ち上がって「乾杯!」と大声を上げた。


■■■


 魔族になると身体は尋常ではない構造に変質するのだが、それでもまあ、どうにかなる事が判明した。


■■■


 食事会の後、あれやこれやがあって、巡洋艦「アスリルリシェリ」を筆頭にレン朝の地まで行く事になった。

 前に手紙で自慢していた旗艦の戦列艦は、所有元がイスタメル海域艦隊なので今回のような”金が出る私用”には使えないらしい。

 この巡洋艦はセリンが個人所有しているもので足の早さが自慢の新造艦である。今となっては懐かしい、イスタメル州発足時に手に入れた大金で作ったそうだ。

 出港前にイスハシルと戦ったときに捨てた小銃と同型の物がオダルから贈られた。何故今から海の彼方へ行く自分にこんな曰くつきの物をくれるのかは不思議でならないが、貰える物は貰っておこう。好印象を受けてしまったし、それが狙いか。何年も先を見越して贈物をするというのもおかしな話ではない。

 マトラ自治共和国の旗を持っていく。極東にもマトラ妖精の名前を、恐怖とともに刻んでやろうと思ったらこれしかない。しゅるふぇ号、か。

 今回はレスリャジンの出番は無いし、魔神代理領の名前を広めたところで良い事も無さそうだ。だからこそ命を張るマトラ妖精のために、彼らの恐ろしさを広めるために旗を使おう。実際に出兵するのはマトラの非軍属の者達だ。第五師団所属ではなく、マトラ自治共和国の民兵だ。正規軍より良い装備で錬度が高くても民兵だ。総数は二万、大砲は八十門。騎兵は偵察用のみで僅かだ。

 ”海賊セリン”として私有する艦船はイスタメル海域艦隊の規模に比べてわずかだが、ルサレヤ総督が出したスライフィールの船団や、ナレザギーの会社の船団、そして他の海賊の船団がシェレヴィンツァに集合しているので重装備の大人数でも問題ない。港に入り切らないので、沖で停泊している船も多いくらいだ。民間船は一時追い出されている。

 兵達をそれぞれの船に分乗させるには時間がかかるだろうが、まず今の所は極東遠征艦隊旗艦である巡洋艦アスリルリシェリの出港が先だ。この船に自分を含めて主だった者が乗る。

 出港の見送りに海軍、港湾関係者に政府、陸軍からも顔が、ウラグマ代理を筆頭に出ている。そして人間の街では稀に見る程のマトラ妖精達が、おそらく一万人以上集まっている。これほど妖精が集まったのは史上初ではないか?

 こういう時には登場するのがマトラ県知事のミザレジである。お祭り男なのかもしれない。

「マトラの人民将兵諸君、イスタメルの人々も御機嫌よう! 私がマトラ県知事のミザ……レジ……であるッ!」

『こーんにーちわー!』

 勿論の事、人間達が妖精達の唱和に合わせることはない。練習でもしないとそれは無理だ。

「忠勇なる正義と力の申し子達よ! 我等マトラ人民の威容をかの地、遥々彼方、未踏の極東、レン朝にて披露せよ! 我々は強いか!?」

『強い! 無敵! 大勝利!』

「我等は負けず諦めず、敵を一切合財撃滅粉砕するものである! 撃てば必中、振るえば一撃! 唸る科学の猛獣を解き放て! 我等が英雄的労働者による貴き革命的工場に作り出されし進歩的な必殺の銃弾は未明なる敵を撃ち倒し、雷鳴と共に地獄の業火を生み出す砲弾はかの地の古き城壁を根こそぎ破壊、撃砕、一掃せしめるだろう! 諸君等は科学と兵士達を信じるか!?」

『先進科学! 現代兵士! マトラ人民義勇軍こそ常勝無敗!』

「行けよ人民! 戦えよ人民! 選ばれし諸君には最大の我等が英雄、第二の太陽、無敗の鋼鉄将軍、鉄火を統べる戦士、雷鳴と共に生まれた勝利者、ベルリク=カラバザル・グルツァラザツク・レスリャジン国家名誉大元帥がマトラ人民義勇軍をご指導下さる!」

『馬が通った跡には草一本生えず、地図上の敵を指差しただけで神風を呼び撃滅せしめ、天を一睨みすれば雲を自在に操り、死せる英雄達の足跡の先を越え、軍武未踏の地へ至られた、史上に並び立つ者無きお方よ! 貴方の敵に雷が降って、触れる物が腐って飢え、割れる大地に飲まれて打ち倒されますように! 世界が終わり、時尽きて、光失せて海果てるまで栄光が輝きますように!』

 前に似た様な台詞を聞いた時よりも色々と増えている気がする。

「全マトラの恩師、兵士の父、労働者の母、明日への指導者、国家名誉大元帥あらばこの人なくして語れぬ最大の革命的英雄ラシージ親分もおられるマトラ人民義勇軍に敗北等有り得ぬ! 我等は凱旋の準備をして待とう! 勝利とは我等に与えられるものであり、敗北とは敵に与えるものである! 英雄諸君を送ろう! 感謝と尊敬と愛を込めて! 国歌斉唱! この声が届いている皆さん、どうかご起立下さい!」

 こんなにいたのかと思うほどの軍楽隊が出てきて、マトラ自治共和国国歌を港の岸壁で演奏、国歌らしく荘厳な曲調。妖精達が揃って合唱する。人数が多いだけに、空気が震えるような大音量だ。それから、国歌斉唱時に起立するという礼儀が分かる連中はほとんどこの場にいない。国歌という概念を知っている者もあまりいないだろう。


  我等が父マトラの山よ

  我等が母マトラの森よ

  我等はこの地の子、この地より湧く乳を飲む

  二つを永久に結ぶ緒は切れない

  幾万と耐えてより、銃剣持ちて塹壕から出よ

  死すともこの地に還り、我等が子孫に還る

  永遠の命、何を惜しまん突撃せよ!

  永遠の仇、何を怯まん突撃せよ!


 次に共和革命派の歌が歌われる。事情を知らない者達がちょっと妙な雰囲気に包まれる。


  敵は何処か、知るのだ同胞よ

  奴らはいる、隣にいる、我らを吸血する奴ら

  その汚らわしい手に噛み付き、食い千切れ

  剣を持て! 吸われた血を大地に還せ

  その大地を耕し、豊穣とせよ


  敵は何処か、見つけた同胞よ

  奴らはいる、そこにいる、我らを滅ぼす奴ら

  あの汚らわしい首を落とし、穴に放れ

  銃を持て! 戦列を組んで勝利せよ

  革命の火を広げ、世界を創れ


 そして曲調が一気に軽快で激しくなる。


  我等は無敗の人民軍

  その旗は腸に突き立ち翻る!

  暗闇でも、嵐でも、一時も休まず、

  我らは戦い続ける!


  命令せよベルリク

  雷鳴の如く、速攻を仕掛けろ!

  我等は人民軍

  全てを差し出そう!


  我等の勝利の大元帥

  その拳を振り上げ『突撃に進めぇ!』

  包囲下でも、野戦でも、閣下の側には、

  親分ラシージがいる!


  命令せよベルリク

  暴風の如く、鉄火を浴びせろ!

  我等は人民軍

  全てを差し出そう!


  我等が誉れの大遠征

  その銃で敵に撃ち掛け滅ぼす!

  荒野でも、吹雪でも、銃剣を並べ、

  人食い豚のッ! 心臓へッ! 食らわせろ!


  命令せよベルリク

  災禍の如く、軍靴を進めろ!

  我等は人民軍

  全てを差し出そう!


  ・間奏


  命令せよベルリク

  行こう、盟友レスリャジン!

  我等は人民軍

  次なる戦場へェー!


 ナレザギーが、これは何だ? と弱った顔をしている。共和革命派の言うところの、汚らわしい手を持つ人食い豚というのはまさにナレザギー王子みたいなお貴族様を指すのだ。

「ラシージ、これの曲名は?」

「ベルリク行進曲です」

「マジかよ」

「はい」

「こっちに帰ってきたら四番目? が作られるのか?」

「はい」

「マジかよ」

 次に魔神代理領やセレード王国の行進曲を接続した演奏が始まって、見送りは大体終りという事になり、巡洋艦アスリルリシェリの碇綱が巻き上げられる。

 海水を吸ったとんでもなく太くて重たい綱が海面からゆっくりと上がる。巻き上げ機を回す船員達の力む声に、船内から応援の為の弦楽器と太鼓の音が響く。

 碇が引き上げられ、係留索が外され、「帆柱を登れ!」の号令で船員が縄梯子を伝って大急ぎでのぼり、各自配置につく。帆桁の下に張ってある、一本の綱を足場に、船員が固縛された帆を下ろして、風を受けさせる。

 風に動かされた巡洋艦アスリルリシェリが岸壁を離れ、水平線に舳先を向ける。


■■■


 船では寝る部屋の割り当てというのが中々、容量が限られているので少し頭を捻る必要がある。この船では”平”の客は、基本的に多めにしてある空いている士官用の寝台が割り当てられる。アクファルやナシュカとなると男の船員がいる以上、本人が気にしないと言ってもダメなので、外交使節などの偉いさんを乗せる目的に作られた賓客室兼”臭くない”倉庫へ。

 艦長閣下は艦長室で、そしてセリンは提督様なので提督室である。それから、腕を引っ張られて「旦那の部屋はここ」と案内されたのも提督室だ。船内は無駄なく狭い作りで、如何に提督室と言えど陸の部屋に比べれば狭い。それからいくら偉いと言っても海賊流か、ある程度は大きい海軍艦艇にならある、艦長や提督用の召使い部屋というのも無い。他所の海賊がどうかは知らないが、自分でやれる事は自分でするのがギーリスの海賊達の風習のようだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る