第84話「天政官僚の模範」 ツェンリー

 ビジャン藩鎮東部関門フタイを通過し、低木やわずかな雑草が散見される以外は岩と砂利と砂しか見えない荒涼とした道を進む。今は昼の小休憩中。川が近くを流れている。

 自分は全く休まなくて良いが、だから他人も休むなと馬鹿な事は言うまい。皆、腰を下ろして食事を取りながら雑談を交わしている。

 伝統的な道というのは体験的に先人達が通い易いと判断した場所である。近くに流れる川からは水が飲み汲み放題。乾燥物の携帯食糧を水に戻して食べる者も見られる。燃料の方は不足しているので湯ではないが。

 食事を済ませた後、軍の停止中に追いついた伝令から手紙を受け取る。

 手紙には、ジャーヴァル帝国が解体されたパシャンダ帝国を再併合したという嬉しい内容が含まれている。士気を上げさせるため、鎮守将軍に命じて将兵に宣伝させる。話が広まると、その結果を目指して戦ってきた皆である、喜びの声が聞こえてくる。個人的に目指した目標ではなく、まして強要された面があったにせよ、自らの苦労が実を結んだという実感は素晴らしいものである。

 単調で意気が落ち込みがちな道中に、ちょっとした楽しみは重要であろう。何も刺激が無いと人は生きながらにして死体となる。心身求水とは、公武上帝が遠征した時の記録に良く出てくる言葉だ。

 それにしても喜ばしい。これでビジャン藩鎮の食糧問題が解決されたのだ。魔神代理領は背中を突くような事は歴史的にもしないので、最低限の警戒は勿論必要だが、一安心して良い。

 労いの言葉に続き、ジャーヴァル北東部方面軍を再編し、逆賊討伐軍第三陣の用意をさせるよう指示をする手紙を書く。既にそのように事前に言い含めてあるが、下の者を迷わせない為の念押しの指示である。無用に数が多くても仕方がないので、中でも精鋭だけを選ばせるよう指示を加えよう。大軍のせいで補給が持たなくては何も意味は無い。中原に入ったとて、全て中央の世話になるわけにはいかないだろう。

 出発の時間になったので、立ち上がって自分の馬車に乗り込もうとすると、まるで乗れと言わんばかりに公安号が横腹を向け、行く道の先を見据えて待機していた。流石の鎮守将軍も、他の将兵も笑い出す。

 単調で意気が落ち込みがちな道中に、ちょっとした楽しみは重要であろう。何も刺激が無いと人は生きながらにして死体となる。

 自分はさも当然のように公安号の背に跨り、その腹を軽く足で蹴って前に進ませる。

 鎮守将軍直下の、遠征を意識して再編成し直したフタイ、チャスク、ムルファン、トルボジャの四師団と心置きなく進む。高い笑い声が後ろから聞こえてくる。

「遅れるな!」

 窒息を思わせる程の笑い声すら混じる。遅れるなの言葉に冗談等込められてはいない。

 数日程の距離を離して街道と駅を応急整備しながら進む後続のマシシャー軍がいる。ファイユン後任の将軍には、彼女の軍事部門で参謀格であった者を繰り上げて任命。勝手知る者が最適であろう。

 更に後ろには、動きは遅いが街道を確実に整備し、駅を補給基地化する役目を負うハイロウ第二軍がいる。ジャーヴァル侵攻時に実質のハイロウ軍の指揮を執ったサウ・コーエンを任命。ハイロウ軍から警備用と遠征用に分割した。

 これら三軍が逆賊討伐軍の第二陣である。

 第一陣である将軍ゲチク率いるジャーヴァル軍が既に、今通っているハイロウより中原に至る北回り街道を順次確保している。必要なだけの親書、態度に応じて複数種を持たせてある。

 道中、そのゲチクより伝令が到着、手紙を受け取る。自分の顔と公安号を見比べているが、どうしたというのだ。まだ高い笑い声が聞こえてくる。

 まずは北回り街道の主要都市の一つ、最も近い所にあるカチャの協力を取り付けたという朗報。友好的であったそうだ。

 歴史的にもハイロウと近しいカチャである。最初の目標はそこであり、そこで将兵達を一休みさせねばならないだろう。ジャーヴァルからの帰還後、短いながら休暇は挟んだが、相次ぐ出兵である。こちらが把握出来ないような、兵卒単位での何かしらの不備が出てきているはずだ。調整する時間は必要。

 カチャの次はベイラン。ハイロウの旧都市同盟程ではないが、中小都市を束ねる連合体の事実上の首都である。こちらは協力姿勢は見せても、見返りに物資購入代金とは別に通行料を要求しているとのことである。強気の背景にはアッジャール残党の一部がいるとのこと。金で解決出来れば苦労はないが、つけ上がって額を吊り上げる可能性に不安がある。

 ジャーヴァル軍の速やかな通過のためには金での解決が良策である。金を惜しまぬように指示する手紙を書かなくてはいけない。後はこちらが到着したならば、不徳商人のように弱みに付け込んで来るところを未然に防ぐ必要がある。今後、背後を突いてくるような素振りがあれば攻略するのも手段である。かの地は天政の外、遠慮は無用である。何かあれば、如何なる外的要因があろうとも統治者の責任である。その覚悟はベイラン市長にあるか? こちらにはある。

 ベイランの次はウラマトイ。ほぼ中原の文化に染まっているが、ここはあくまでも定住化した者も多いが、遊牧蛮族に連なる都市国家である。天政下であるが天政地ではなく、かの地は服属関係にあり、ウラマトイ王の称号が天子様より冠せられている。平時ならば何も問題は無いが、天下二分のような有事では完全に信用する事等出来ない。ベイラン以上に金以外の力が物を言うだろう。

 ゲチクへ指示する為の手紙を書く為に馬車へ戻る。

「あなた達は何がおかしいのですか?」

「ワフッ」

 また笑い声が高くなった。

 咽ている鎮守将軍にゲチクからの手紙を渡す。


■■■


 数日でカチャに到着する道中、魔神代理領軍による海路支援が決定されたと伝令が報告に来る。予定では百隻以上の艦艇と、総数で二万を越える百戦錬磨の軍を向け、現地で傭兵を雇い入れる資金も用意もあるそうだ。

 単純に陸上兵力で二万と聞けば、中原においては梨の礫もいいところだが、海軍とそれが組み合わさるのならば話は別である。陸の兵では追いつくことの出来ない足を持った海上兵力二万は決して馬鹿に出来る存在ではない。決定打にはならずとも、一助にはなる。

 しかしこの道中はする仕事がほぼない。ジャーヴァルに侵攻した時は官僚としての仕事が山ほど届いたものだが、今ではファイユンから定期的に一通、現状を報告する手紙が届くのみである。

 ファイユンは優秀である。彼女の方が実務経験が百年に近く上であるので不自然な感覚だが、任命した事に誇らしさすら感じてしまった。人事も仕事の一つで、自分の成果ではある。だが実力はファイユンに由来するものである。驕ってしまった事に反省せねばならない。

 またそれを天が見咎めたかのように、丞相閣下より手紙を預かった奉文号が戻ってきた。受け取って読む。

”リャンワンを基点にフォル江以南はほぼ賊軍に帰順。以北は官軍に留まる”

 懸念通りに天下二分の戦いとなろう。フォル江以北の方が常在兵力に優れているのが救いであろうか。しかしフォル江以南の経済力は以北に勝る。長期戦は不利である。

”東海方面、アマナは静観。海賊は南北に活発化の兆しあり”

 海賊の影響を多大に受けるのは海運が活発な南方である。しかし二分したとは言え、その南部もまた天政地である。逆賊討伐という観念から見れば朗報に聞こえるが……筆舌にし難い。

”南海方面、ニビシュドラは賊軍支持。経済的にも分断不可能”

 かの南海蛮族の動静が北部に影響を与える事はほぼ有り得ない。ニビシュドラ王の称号が天子様より冠せられているが、昔から経済交流以外にそれほど関わり合いは無いのだ。賊軍の派兵要請にも応じぬだろうし、無理に応じさせても使いものにならぬ。何よりかの地の王は名目統治で、領邦は内輪揉めに忙しい。

”西南方面、タルメシャは政情不安継続。何もかも当てにはならない”

 タルメシャはここしばらく五十年以上に渡って好調不調の波こそあれ、無様な状態が継続中。余程物好きな歴史家でも無い限り編纂したがらないであろう複雑なお家騒動が繰り返されている。有名無名の成立した王朝を数えれば百を越すという話だ。数える気にもならない。

”北部方面、ユンハルは軍事支援と引き換えに公主殿下との結婚と貢物を要求。信用出来ぬ”

 これでは東南北より包囲されているも同然である。精強で唸る北部諸藩鎮が前線に出られぬ状況であると考えれば事態は危急に瀕している。しかし公主殿下を遊牧蛮族の切れ端の如きユンハルが求めるとは天罰が下ろうというものだ。状況によってはユンハルを撃破して戦闘能力を喪失させてから中原に向かって官軍と合流という選択肢も考慮の内だ。

”西より来るビジャン藩鎮軍は官軍の心の支えである。よくぞ単身にて赴いてから短期間でここまで成し遂げた。まさに望外、我が不徳をここに詫びる。ビジャン藩鎮節度使サウ・ツェンリーこそ、まこと天政官僚の模範、鑑である”

 最後の言葉で目頭が緩みそうになるが、まだまだ! 先は長いのだ。

 八上帝のご苦労を想えばこの程度、序の口である。ただ邁進するべし。評価、賛辞は死後にでも受ければ良いのだ。

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