第82話「バルマン騎士道」 ファルケフェン

 名誉に殉じる、とはバルマン騎士道の教え。不利と見れば理屈をこねて逃げ出す他の騎士。負けると分かれば戦いを捨てて捕虜になる他の騎士。契約さえ形だけでも遵守すれば名誉と考える他の騎士。

 バルマン騎士は違う。思想の源流は傭兵公アベレード一世とその配下の強烈な戦い方にある。逃げる事無く戦い、怪我病気は理由にならぬ。引く時は戦術判断に限る。捕虜にはならず、仮に捕虜になったならば可能な限り暴れて脱出を試みる。それさえ叶わぬのならば味方の為に自決する。契約は単純なものしか最初から結ばず、内容は名誉にもとらぬ限り絶対服従。

 だからこそ民族は違えどロシエ王の近衛兵は五百年に渡りバルマン人のみに与えられてきた名誉である。自分はバルマン騎士道に反した事は一度として無いと断言出来る。

 グナサルーンの後宮、密に近衛宦官兵が配置につく廊下を渡り、タスーブ皇太子の斜め後ろについて皇帝の自室へ入る。

「タスーブか、何のようだ。また下らぬ和平だなんだと言うまいな?」

 大人物の燃える目とは異質の、狂気に光る目を持つパシャンダ皇帝は裸身で、英雄に相応しい堂々たる体躯である。その足元には鼻を潰され、息を止めて久しいであろう老人が倒れている。部屋の奥には怯える、裸の若い娘が三人いる。

「陛下、宰相を殴り殺すとはいかな事でしょう」

「三十万も兵を集められぬとほざきよった。解任だ」

「三十万ですか、なるほど。西部は牽制されて動けず、東部は丸ごと占領され、各藩王も離心し始めているのにその数を揃えろと仰ったのですね」

「お前、父に何か言いたいことでもあるのか?」

 皇帝が抜刀しながら寝台から立ち上がる。警備の近衛宦官兵は微動だにしない。

 タスーブ皇太子は片手を上げる。その手先は、堂々とした喋り方と違って目に見えて震えている。

「ご退位願います」

「お前、そんな冗談が言えるようになったのか」

 近衛宦官兵の目線が一挙に自分へ突き刺さる。それが彼らの考え方か。正しい。

「真の英雄にして差し上げます。それが最後の孝行です、父上」

 タスーブ皇太子が手を振るように下げる……体は脱力、しなる鞭のように踏み出して、拳を振って皇帝の喉を潰した。

 主君には絶対服従である。勿論、タスーブ皇太子にネフティ”皇女”、パシャンダ皇帝も主君ですらない。ジャーヴァル=パシャンダ会社に属するが、それは軍からの、王からの命で派遣されたのである。服従するのはロシエ王唯一人、それ以外の解釈は無い。

 これは決してバルマン騎士道からは外れていない。会社は王のものである。会社の責任は今やタスーブ皇太子が、間接的にだが持つ。ならばタスーブ皇太子を助けるのがバルマン騎士道の道理であり、会社側から別段の指示が無い限りはそれ以外の解釈は無い。今はその別段の指示は無く、もしその指示を下す者がいるとすれば、会社軍に指示が出来る者がいるとすれば己以外に誰もいない。

 そのバルマン騎士道から外れていないはずなのに……。

 近衛宦官兵の、鍛錬の成果か、異形に見えるほど変形した足が脇腹に突き刺さる。もう一人の近衛宦官兵の、同じく異形に見えるほど変形した拳が耳の後ろに叩き込まれる。銃弾に比べればいずれも何のことは無い。皇帝の顎と頭を掴んで首を一回転、捻って折る。

「それまでだ!」

 タスーブ皇太子が怒鳴ると、二撃目を振るおうとした近衛宦官兵が動きを止め、引き下がる。

 不気味に首へ捩れた皺を浮かせたまま、皇帝は膝を突いてから前のめりに倒れた。

 ……名誉に殉じて動いているという実感はまるでない。体がそれでも迷い無く動いたのは、燃える魂の熱があったからだ。

「近衛隊長をここへ」

「は!」

 近衛宦官兵が駆け足で去る。

「ガンドラコ卿、ネフティの所で待機だ。兄弟の動きにも万が一ということがある」

「はい」

 皇帝は死んだ。近衛宦官兵は第一継承権を持つタスーブ皇太子についた。

 ネフティ女史の部屋へ走って戻る。脇腹が刺すように痛い、勝手に体が曲がる程。眩暈がする、若干吐き気もある。しかし何のことはない。魂は燃えている。

 不安そうにタタルの体を撫でながらネフティ女史は無事、部屋にいた。まだ騒動はここまで波及していない。

 ネフティ女史はこちらを見て息を呑み……何も言わない。

 部屋の入り口に控える――事情はほぼ何も知らない――協力者の女官に、用意しておいた紙と筆で素早く手紙を書き、神聖教会の方で待機する会社軍の者達に渡しに行って貰う。事態を知らぬ女官は、外出が嬉しいのか笑顔で足取りも軽く出て行った。

 後は、部屋の入り口を塞ぐようにして待つ。タスーブ皇太子が完全に近衛宦官兵を掌握して後宮を乗っ取る事と、会社軍の皆を宮殿に引き入れる事、ネフティ女史を守る事。

 静かに待つ。タタルが喉を鳴らす。部屋の外では女官達が世間話をしながら仕事をしている。異様ととれるのは近衛宦官兵が何時もより足早に動いている程度だが、一見不自然ではない。


■■■


 しばらくして女官達が静かに騒ぎ出す。異常事態の空気が広まり始めたようだ。

 王子の一人がこちらに現れた。目の焦点が合っていないように見受けられ、手には持ち込み禁止のはずの短刀。

 堂々と話しかける。引け目は、もはやどこにあろうか。

「これは殿下、ご用件は何でしょうか」

 何も言わず、瞬きを繰り返してからその王子は去った。


■■■


 時間の感覚が鈍いか鋭くなったかも今は分からないが、またしばらくして近衛宦官兵が慌しくなり始めた。そして悲鳴や怒号が聞こえ始めた。

 部屋から離れる訳にいかないので全体像は見えないが、近衛宦官兵が王子や王女、女官の一部を連行して一箇所に集めようとしているらしい。

 見慣れた年増の女官が食事と水を運んできた。これは……予定に無い。

 ネフティ女史がゆっくりと、言い聞かせるように喋る。

「どうしましたか?」

 ハっと気付いたかのようにその年増の女官、平伏した。毒入りだろう。死ぬ程度か眠る程度かは不明だが、見えぬ相手方も色々と仕込んでいるらしい。

「下がってよろしいですよ」

 消え入りそうな声で、おそらく「申し訳ございません」と言って年増の女官は、食事と水を持って去った。

 遠くの方、宮殿の外から騒がしい音が聞こえてきた。会社軍の到着だろうか? それとも他の王子の私兵だろうか? 今は待つしかない。

 門衛についているはずの近衛宦官兵が、自分の兜と胸甲に槍に剣に拳銃、赤マントまで持ってきた。

「外の騒ぎは?」

「ハイエルダリー殿下の雇っているヤクザ者だ。物の数ではない」

 そういうと近衛宦官兵は走り去った。

 自分の装備を身につける。騎士とはこうであろう。

 外の様子が気になりだしたようで、タタルがネフティ女史を離れてこちらの隣に来る。首を伸ばし、遠くのにおいを嗅ぐようにしている。

 騒ぎの音が激しくなり、銃声も聞こえてきた。ラッパの音も聞こえる……我が会社軍のラッパの音だ。騎兵突撃の合図である。

「突撃……か」

 タタルが鼻を忙しく動かしたかと思うと、素早く飛び出し、悲鳴を上げる近衛宦官兵の一人を一撃で殴り倒す。一緒に歩いていたもう一人は腰を抜かしつつも、何とか走って逃げようとするが、背中を殴られて倒れる。そして首を噛まれ、苦しそうに呻いたと思ったら静かになる。部外者の侵入?

 タタルはそのまま侵入者の首を噛んだままその一人をこちらまで持ってきた。とりあえず撫でて褒めつつ、その近衛宦官兵を確認。体は近衛宦官兵とは思えないほど筋肉が少なく、手足は常人のもの。短刀に拳銃まで持っている。殴られた箇所は酷く内出血して骨が砕け、爪がかかった所は骨が見える程に切り裂かれている。首も似たような状態で、食ったわけではない。死体は中庭に放って投げる。変装した暗殺者もいるのか。

 口周りについた血を舌で舐め取っているタタルに、人の味を覚えたかとやや不安になる。背中に手をやると、顔を擦り付けて来る。

 外の騒ぎは、勝ち名乗りのような声の後は静かなもの。

 宮殿と後宮が抑えられれば、名実共にタスーブ皇帝か。


■■■


 またしばらく経って、夕方も過ぎようという時間になってタスーブ皇太子が、手に杯を持って護衛を伴ってやって来る。顔は相変わらず気難しげだが、一つやり遂げた顔だ。

「後は戴冠式と和平と降伏をするだけだ。一つ時代の終焉だ」

 ネフティ女史は一瞬タスーブ皇太子を見やって、顔を伏せてしまう。

「ご苦労だった。水くらい飲め」

「ありがとうございます」

 気付けば相当に喉が渇いている。おそらく毒の入った食事と水が運ばれて以来、部屋のものにも半信半疑で手をつけていなかったのだ。

 受け取って一気に飲み干す。美味い。

 タスーブ皇太子が、何故かやや首を傾げた。

「どうされました?」

「いや……」

 何だろうか? ネフティ女史は加担はしたが乗り気ではないのは前からの事であるし。不安にさせてくれる。非常時とはいえ後宮で武装しているのが気に入らないか?

 こうなんだか、胸が苦しくなってくる。今更この程度で胸が?

 汗が出てきた、息が苦しい、眩暈? 近衛宦官兵に頭を殴られた影響が今更? 耳の後ろは確かに急所だが、今気が抜けたとでも言うのか?

 立っていられなくなり、床に膝を突く。マズいな。

「ファルケフェン様!? どうなされたのですかファルケフェン様!」

 ネフティ女史の声だが、遠くに聞こえる。

 視界が霞む、胃が焼けるように熱い、全身も熱い。どうした? 自分はどうなった?

 踏ん張って立ち上がるが、よろけて壁にもたれかかる。タタルが不安そうに鳴いて寄って来る。

「象も仕留める致死量だぞ!?」

「何てことを!?」

 タスーブ皇太子が毒を……頭に血が昇る。殺してやろうか?

 殴り殺そう、拳を振り上げる。

 定かでなくなってきた視界、ネフティがタスーブに平手打ち。

「卑怯者! あなたという人はどこまで邪悪になれるのですか!?」

 ネフティがいて殴れない。

「卑怯だからどうした! こんな下賎のフラルにお前をくれてやるものか!」

「なんですって!?」

 また平手打ち。

「お前を蔑ろにしてきた父は死んだ! あの堪え性の無い英雄気取りの馬鹿は死んだ! 既にお前は内外に認められる存在になっている! もうジャーヴァルの皇太子に嫁いだって恥にならん! お前の友人を数えろ、数え切れるか!? 我々はどんな状態だ!? 言ってみろ! お前はこの図体のデカい獣に抱かれるのか!? それとも反乱終結の象徴になるのか!? 答えろネフティ! お前は何だ!? そこらに転がってるただの女か!? 違うだろ、ザシンダル藩王の妹だ! 社交界では知らぬ者は誰一人いないな! 王族の義務を果たせ!」

「兄上……」

 振り上げた拳で壁を砕く。外へ走る。

「ファルケフェン様!?」

 騎士は乙女を守るものだ。武力以外にも方法はある。それにパシャンダとジャーヴァルの安定は会社貿易の……後はもう何も考えたくない。

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