第81話「天命」 ツェンリー

 ジャーヴァル帝国との和平条約締結を前提にした一時停戦は成った。

 パシャンダ帝国との実質的な停戦は継続しているが、和平条約締結に関する返事が、暫定的なものすら返ってこない。そしてその間にもパシャンダ帝国は軍の再編に向けて人と金を大いに動かしているという確かな、目にすら見える情報がある。徴税、徴兵逃れの難民がパシャンダ占領地域に流れ込んでいるのだ。

 そんな不安定な状況での、中央からのビジャン藩鎮支援の打ち切りは全く恐ろしいものであった。

 鎮守将軍にはいかなる状況にも対応して軍を何時でも動かせるように、と指示とも言えない指示は出したが、情報不足の中では玉虫色の対応しか出来なかった。その程度の能力しか無かったということだ。準備が足らぬという無能である。恥ずかしい限りだ。

 中央へ飛ばした奉文号を、空を眺めて待つことの一刻は半日にも感じた。なまじ、最近は無理に寝ようにも目を長く閉じる事も横になる事にも落ち着けず、文字通りに一切眠れぬようになっては待つ時間が尚更長い。

 その時間を体感的に早く送るために政務へ力を向けても、整備した官僚制度が順調に動き出しているので直ぐに仕事が終わってしまう。順調と言ってもまだまだ未熟も未熟甚だしいが、何が間違っているのかが分かりやすくはなった。対処は容易く直ぐに終わってしまう。ならばと仕事を新しく見つけようかとも思ったが、要らぬ仕事を増やせば現場に後任が混乱してしまうので行わない事にした。とにかく待つ事が仕事であった。

 ヤンダル・チャプトに習った盆栽があればまだ手慰みになろうが、遠征先にそのような物は持ってきていない。あれは家に置く物である。趣味だからと戦地に持ってくるような愚か者にはなりたくない。

 ジャーヴァルの郷土史でも頭に入れようと思ったが、まるで神話の如き記述と内容で学ぶ気力も起きなかった。完全に何もすることが無ければ読み込んだが、全く暇というわけでもないのだ。

 公安号がどこからか牛の大腿骨を咥えて持ってきた事がある。遊んで時間を潰せと迫ってきたのだ。無視した。気を使っているのは分かるが、流石に節度使が……。

 空いた時間はバフル・ラサドから語学教師に相応しい者を選んで貰い、ジャーヴァルとパシャンダで使われる言語の習得に励む事にした。南北では言語体系から違うので頭を切り替えて学ぶ必要があった。

 そうして状況がほぼ動かぬまま、四言語程新たに問題無く話せる言葉が増えたところで奉文号が空からやってきた。

 千秋の想いで来た丞相の手紙に喜びそうに成るが、そんな事態では無いと思い出して気を引き締め、開封して読む。

”リャンワンにて天弟トイン殿下、天子様の座を奪わんと謀反。戦時体制への移行につき止むを得ず支援業務を停止する。ビジャン藩鎮からも援軍を送られたし。そちらは余りに遠隔地でもあるが、賊軍へ西部から圧力を加えるだけでも良い。助力を願う”

 リャンワンは京ヤンルーに次ぐ天政第二の都市である。人口と経済規模ならばヤンルーを大きく越え、河川と海洋を結ぶ交通の要衝でもあり、そこを掌握しているとなると基盤は頑健と推測する。”にわか”の謀反ではあるまい。

 トイン殿下は三選挙を受けるお立場に無いが、個人的に試験を受けられ、方術の素質は無かったが、結果は文と武で合格して双七元挙人相当だったと云われる。感情に任せた無謀な謀反をされる方とは思い難く、成功の見込みがあっての謀反と見て良い。後ろ盾にも名家、軍閥が揃っているに違いない。我がサウ家傘下の軍閥では間違いなく無い。ということは長年対立しているルオ家傘下の軍閥か、と思うが。

 安定した今の治世に何の不満があるか理解に苦しむが、高慢な跳ねっ返りとは得てしてそのようなものだ。己より上に人がいるのが心底気に入らないのであろう。

 リャンワンが奪取されている時点で中原は天下二分の大乱によって混迷を極めているのは明白である。こちらまで助力を要請されるぐらいだ。時折起きる破れかぶれで謀反を起こす者がいるが、普通は中原の軍が始末をつけて終わるものである。藩鎮の謀反でも、その藩鎮の隣接藩鎮に助力が要請される程度。

 とは言え、距離があるからかあまり期待を寄せているような文面ではなかったが、そんな事は関係ない。天子様の一助となるべく救援軍を派遣する事を大前提にせねばならない。まだジャーヴァルにおける問題は解決されておらず、ある種ビジャン藩鎮も挟み撃ちの状態にあろうともだ。


■■■


 政権の”舵取り”などと国を船に例えるが、古今東西その船はいつも浸水している。ならば排水せねばならない。今は目先の事から解決しなければ沈んでしまう。可能な限り出来る事を考える。

 まずはパシャンダ帝国からは返事が来ないので、ジャーヴァル帝国と単独で和平を結ぶ事にした。

 そして天政の外とはいえ、古き良識ある第二の文明国魔神代理領とは”誠実な”話し合いによって、書簡を二往復するのみで早期に交渉が終わった。

 その後、ジャーヴァル皇帝――六肩のジャーヴァル神話の神のごとき異形――ケテラレイトと魔神代理領の外交担当官が列席する調印式も速やかに行われた。お互いに緊急事態という事で無用な儀礼も接待も省略、当日内に式場から離れられたぐらいだ。

 そして和平に加えて通商条約も締結された。状況が改善されるまで、魔神代理領が一部輸送費を負担して、ジャーヴァル外から食糧を輸出するという解答まで貰った。輸出量はビジャン藩鎮の人口を養うには十分で、中原の天子様をお助けする軍を派遣する余力すら得られる量であった。

 であるから誠実にジャーヴァル北東部は返還した。そして北東部における軍事通行権も貰い、交易路を守る権限も貰った。これで軍事的敗北が無ければ食糧供給は途絶えない様になっている。

 これはジャーヴァル帝国にとっても利がある。返還したジャーヴァル北東部がパシャンダ帝国の北上か、またアッジャール残党が南下して喪失してしまっては笑い話にもならないからだ。ジャーヴァル帝国軍が強い事は戦いで証明はされたが、先のアッジャールの侵攻からの損害からは立ち直っておらず、消耗戦となれば土地の維持は難しいだろう。大事な交易路を任せるのには心許ない。だから我々が維持する。これによって対パシャンダ同盟とも言える仲に進展した。

 和平条約締結に伴い、捕虜が全員帰って来た。そしてファイユンも無事に戻ってきた。個人的にも嬉しい。負傷者もきちんと手当てをされている。何にしても良い事だ。

 何やらジャーヴァル帝国軍の一部には虐殺を好み、捕虜の目を抉って送り返してくる等という苛烈な軍がいるという噂であったが、我が藩鎮軍に関しては噂に終わった。事実であるらしいが、蛮族同士のなじり合い等知った話ではない。

 この後この地で望むのは、ジャーヴァル北東部の安全かつ完全な移譲と、距離的に輸送費が安くつくパシャンダ穀物の輸入再開だ。

 公武上帝の仰る所の天政天命の状態になっている。天子様ですら逆らえぬ天命には畏怖して慈悲を請うより他に無い。嵐は過ぎ去るを待つよりなく、家が壊れたら過ぎてから直すしかないが、それでも嵐が強くなる前に備えは出来るし、備えが遅れても己が身の避難ならば出来よう。とにかく、出来る事をするのだ。

 賊軍の規模は、とてつもない規模になるだろう。各地の軍がどのように呼応するかは不明だが、ざっくりと天政全軍が二分されると考えれば、互いに常備兵力だけでも百万程度を向け合うだろう。それに加えて予備役招集、民兵招集、戦乱で民衆が暴徒化、暴徒の連鎖、暴徒をまとめる私設武装集団の台頭、外勢力の侵入……時にそれへ天災が加わる。戦時には余裕が無く、復旧出来る災害が復旧出来ずに被害を拡大させる。鎮圧後もその余力が無ければ同様である。早期に賊軍を討伐せねばならない。こちらから少しでも多くの兵を出し、一刻も早く決着をつけねばならない。


■■■


 今呼べる重鎮を、司令部を置くジャーヴァル北東部は南部の拠点ウサイフに集めた。指導者は方針を示すものである。

「今、天政は逆賊天弟トイン殿下により、天下を二分するやもしれぬ大乱の只中へと落とされた。我々ビジャン藩鎮も微力ながら正統なる天子様をお助けするべく行動せねばならない。それが例え、このジャーヴァル、パシャンダでの戦争が行われ、余力がわずかでもである。天子様を頂く天政があってビジャン藩鎮があるからである。指惜しさに首を切る愚か者はいない。中には中原を見たことすらいない者もいるだろうが、天政とはそうなのである。ビジャン藩鎮を例え失ったとしても、天政さえあればまた復活させる事が出来る。しかし天政が失われてはビジャン藩鎮があろうとも天政を復活させる事は出来ない。以上を踏まえよ」

 天政有りて他無し、の理論は外縁の者程理解しかねる論理だ。親は子を作れるが、子は親を作れぬという俗な論理で説明も出来るが、では孫は等とおかしな論理に誘導されて水掛け論になる事もしばしばである。

「念の為に説明します。天政のような伝統と実績があり、信頼出来て威容もある組織の再構築等出来ないというのが理由です。天政の抱える千年単位で蓄積してきた知識と手法とその運用法、そしてそれに慣れきった人民の存在を考慮して頂ければ優先順位が何れかと、節度使としての私が思考するか理解頂けると思います」

 あまりこのように公式の場で改めて解説するのは威容を損ねるので良くないのだが、異民族が多ければ仕方が無い。

「……鎮守将軍サウ・バンス」

「はい」

「軍をジャーヴァル北東部方面軍、ビジャン藩鎮警備軍、逆賊討伐軍に三分する。そのように編成せよ」

「はい」

 中原まで道は遠く、大軍を送るのは難しい。精兵のみを送る事になるだろう。

「ハイロウ州伯ヤンダル・チャプト」

「はい」

「ビジャン藩鎮は今回の件にて動揺が走る事は間違いない。速やかにダガンドゥに戻って領内の安定を図れ。共に戻るハイロウ軍の数は鎮守将軍と協議せよ。またビジャン藩鎮にて我が交渉代理人とする」

「はい」

 おそらくビジャン藩鎮の人民は中原での反乱という話自体には余り動揺はしないだろう。まだまだ”他人事”である。しかし支援の打ち切りという、今実際に口に入れている物が無くなるという話には、貧民から貴族まで余りに身近な事態に動揺してしまうだろう。常に略奪の隙を伺う周辺の遊牧蛮族にも弱みを見せるわけにいかない。彼の存在は必須である。

「将軍バフル・ラサド」

「はい」

「中原にまで情報員は派遣されているか?」

「はい。しかし即座にお役に立つ事は叶わないでしょう、人員もほんのわずかであります」

「引き続きジャーヴァルとパシャンダで民心を掴み、この地をビジャン藩鎮を守る盾とせよ。後顧の憂い無く逆賊討伐軍を出す。またジャーヴァル、パシャンダの地における我が交渉代理人とする」

「はい」

 宇宙太平団の活動範囲が中原に至っていないのは仕方がない話だ。彼等の活動地域はジャーヴァル北東部からハイロウ西部にかけてであり、構成員もその地域出身だ。限界はある。

「将軍ゲチク」

「はい」

「逆賊討伐軍先遣隊としてビジャン藩鎮より中原に至る北回り街道を確保せよ」

「はい」

 足の早い遊牧兵に相応しい役割であろう。”気持ち悪い”ジャーヴァルの気候から脱して力を出して貰う。言い訳はさせない。

「将軍テイセン・ファイユン」

「はい」

「将軍職を解任する。マシシャー軍の将軍後任を鎮守将軍と協議して決めよ」

「はい……」

 戦下手かどうかは分からないが、兵が既に勝てる将軍ではないと思っていることだろう。顔色は暗いが、皆、本人含めて納得した顔だ。兵を大事にするのは良いが……父性が足りず母性に勝るのが乱世に向かぬか?

「そしてビジャン藩鎮行政長官に任ずる。不在の間、諸官僚の指導を任せる」

「はい!」

 そしてこれこそが彼女の適所であろう。ヤンダルもバフルも軍事外交の代理であって、内政の代理ではない。地方行政程度ならともかく、大きな行政を任せられるのはファイユンだけである。ヤンダルも適役ではあるが、彼に行政長官まで任せたら仕事が多すぎて能力を超えてしまう。役割の分担こそが官僚の真髄だ。

「皆さん、第一目標は賊軍の討伐にあります。最悪、”西方問題”をあなた方が納得いかない形ですら放棄する事もあります。それを踏まえて意見ある者はいますか?」

 現地人にしてみたらとんでもない発言であろう。しかしビジャン藩鎮とは中原にある天子様のいる中央があってこそ意味があるのだ。独立国家ではない、天政有りて他無し、である。

「よろしいでしょうか」

 ファイユンが挙手をする。落として上げての、早速な感があるが。

「お願いします」

「中原を二分するような大乱であるとお話を聞きました。天運が悪ければ一千万を越す軍民が死に至る恐ろしい戦災となるのは歴史が証明しております。私がかつて関与した黒龍神道の乱もその一つです。あれらの戦災を最小限に抑える方法は一つ、何よりも早期決着です。戦争中にも人の意に関わらず天災がやってくる可能性があり、戦争中はそれに対応する事は困難であり、戦争が長引く程戦災に天災が加わる可能性は単純に高くなっていきます。早期の決着には速やかに出来るだけ多くの兵力を多方面から送るのが定石であります。ビジャン藩鎮には陸路から軍を送るしか通常はありませんが、他に方法があります。海路からの支援ならば陸路より早く、我が軍の補給線に負担は加わりません。ジャーヴァルとパシャンダの戦争では魔神代理領の海軍が重要な役割を果たしたと虜囚の時に良く聞きました。魔神代理領の外交担当に、海軍の支援を要請してみてはいかがでしょうか? 今後、ビジャン藩鎮を接して魔神代理領は隣国となります。決して無謀な要請と私は思いません。内乱に外部勢力を引き込む愚かさは重々承知ですが、戦災が長引く可能性を僅かでも除去出来るのならば、決してただ愚かと決め付けられないと存じます。また魔神代理領の性格から推測するに、彼等は天政にも通じる”誠実”さを理解する者達です。ご一考下さい」

 これは即答出来ないが、一考の余地は十分にある。制覇上帝も、王道の縁を歩くも止む無し、と言われた。外道寸前の行いは褒められる行為では決して無いが、縁に留まるならば止む無しである。

「検討の余地があります。他には?」

「私が」

 今度はゲチクが挙手をする。

「お願いします」

「我々は土地を欲しています。繋ぎ止めるモノが無ければ、散る事もあるでしょう」

 ここに来て土地か。こいつらは遊牧民だった。

「我が配下は最低でもジャーヴァル北東部、でなければハイロウのどこかが貰えると信じておりました。しかし最近、何も貰えないのではないかと皆、危惧しております。私個人ならばよろしいですが、ジャーヴァル軍の規模をお考え下さい。ジャーヴァル人を除いても我々は一万戸に迫ります。褒美が約束されねば抑え切れなくなりましょう。死んでも忠義を尽くす等という者ばかりではありません」

 ゲチクもおよそ無茶を理解して言っている。そもそも彼等アッジャール残党を迎え入れる時に土地の約束など何もしていない。兵士には給料が渡されるという契約だけである。

 遊牧民は我々から見て非効率的であろうと放牧地を求める。農作地にすれば遥かに小さくて済む場合であっても放牧地である。馬、駱駝、羊、山羊、牛は遊牧民の誇りであり、理屈ではない。その割には農民を攫って自分達の為に農作地帯を作ったりするのだから馬鹿らしいが、言葉で負かす次元に無い程彼らには放牧地が必要である。放牧をある季節に限る半遊牧化にするにしても時間は世代単位でかかり、放牧ではなく通商に専念させて全てを金で解決させるようにしてもその全ての者にそうさせるわけにもいかない。巨大な家畜小屋とそれを維持する金を渡す等の不可能をやっても出費が馬鹿にならず、何より彼らの誇りが許すわけもない。この手に無いのならば、有ればいい。

「遊牧民の論理は知っている心算です。ヘラコム山脈以北、以西の辺縁部が落とし所です」

「そこはビジャン藩鎮の領域でしたか?」

「ビジャン藩鎮は我等が人民のためならば魔神代理領傘下のジャーヴァル帝国にだって武力侵攻をします。古より蛮族の侵入は常に課題でした。それらの土地を遊牧民であり我等が人民が治めれば都市部の障壁となり、遊牧民は持て余す程の広大な土地を得ます。不都合はありますか? それとも戦いを続ける勇気を失ったのですか?」

「サウ・ツェンリー千歳」

 ゲチクは両手を上げた。

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