第80話「停戦」 ベルリク

 ジャーヴァル帝国とレン朝との一時停戦が取り決められた。正式な和平条約締結に向けての前準備で、終戦を既成事実化しようという気配すら濃厚に感じる。息切れどころか、骨が浮くほど程血反吐を吐いて腕まで切り落としてきたジャーヴァル帝国にはそれ以外の選択肢は無いだろう。

 自分も第十五王子義勇軍もまだまだやれるだろう、という気がしているのは部外者な上に目標が戦争に勝利する事だけであって、ジャーヴァルの国家運営に対して責任も何も感じていないからだろう。ケテラレイト帝からしたら、今後の事で頭も胃も――何年も前からだろうが――痛いだろう。事情に詳しくは無いので何とも言えないが、まだ皇帝は正式には臨時皇帝であって、地位が暫定的である。何かと強権を振るう事も叶わないはずだ。

 前回の野戦での大勝利でアブラチャクまでの、ジャーヴァル北東部の西部を確保した。それからは確保領域を維持するための押さず引かずのへっぴり腰な戦いに終始。その戦いとすら言えない戦いすらケテラレイト帝の停戦令で停止された。

 それ以降は宇宙太平団とかいうヘンテコ集団が至るところで武力弾圧未満な騒ぎを起こし、その間に対パシャンダに出張っていたレン朝の精鋭軍も戻ってきて体勢も整えてしまった。

 そんな敵の優位は認めたくないので奇襲計画を立てた。分散進撃、敵を陽動しつつけん制しつつ、各個包囲撃破する準備を紙面以外でも始めようとした、その時に停戦令。間が良いというか悪いというか、だ。こうなっては大人しくする。

 停戦期間中に、情報収集はしても奇襲はしない程度の常識は持ち合わせているので、適宜作戦計画を修正する程度に収める。休める時に休ませて貰う。

 政治的に許されるのならまたガダンラシュ高原に進んで、敵首都グナサルーンまでの直撃街道を拓いてやろうと思ったが、ケテラレイト帝には話すまでもなくその許可は下りないと分かる。ガダンラシュ藩王国の安定という名目ならばレン朝との一時停戦にも差し障りは無いはずだが、でも現状では無理だ。どうしようもない。どうしようもないならどうもしない。

 とりあえず何かあったら直ぐ動けるように、アブラチャクに第十五王子義勇軍は駐留してジャーヴァル北東部の橋頭堡にて待機中。緊張感が抜けないように定期的に訓練を実施。演習規模になると一時停戦合意に抵触しかねないので、机上のみ。

 アウル軍も我々と一緒。アブラチャクの人口が相次ぐ戦争と持ち主の激しい入れ替えで激減しているので、派手な彼等はより一層目立つ。市内が何だか変な雰囲気になっている。神聖教会のように妖精を見下す習慣は無いのでそれ程諍いが起きている様子は見受けられない。むしろ楽しげなアウル妖精を歓迎しているようにも見える。祭りでも無いのに楽しそうに祭り騒ぎをされてはそうもなるか。やはりザガンラジャードの教えは偉大であろう。

 ナガド軍は西部三藩方面の防衛に戻り、皇帝軍は本隊を帝都に戻し――一部帰農すら始め――各支隊を各所に分散配置。ラーマーウィジャ教団は傭兵を解散させて、大事な本隊は前線より遠い領内で腐らせている。ジャーヴァル皇帝を正式に決定する権限を持つ集団の一つなので、多少の我儘は黙認されるようである。

 グラスト魔術戦団だが、そこそこ規模の大きいレーグプルに駐留している。そこは現時点での勢力図ではジャーヴァル、パシャンダ、レン朝の三勢力が丁度接している場所にあり、要衝である。逃げるも攻めるも容易い彼等に打ってつけであろう。

 そのようにして、アブラチャクに腰を落ち着けたかな? という辺りで、暗殺者騒ぎが身近に起こった。既にアギンダ軍が派遣したと見える刺客を五十は返り討ちにしている。こちらの被害は、喧嘩か食中りか強盗か不明な、良くある不審死がいつも通りにある程度で判別し難い程度だ。被害はほぼ無いと勘定出来る程度。

 しかし五十って凄いな。そして全て自分が気付く前に仕留められているのがまた凄い。ルドゥがまとめて報告しに来なかったら全く知らなかった。

 メルカプール人の狐頭とガダンラシュ人の狐頭とでは見た目がやや違い、体臭に仕草に喋り方に物の食い方と来たら文明人と糞に集るナメクジ並みに違う――メルカプール人が言っていた――ので、発見は割りと簡単だそうだ。

 報告が遅れたのは、貧乏人がコソ泥でもしに来たかと思って殺していたら、殺した奴に関連性が見出せたのが後になってから、とのこと。

 そんな報告があったので皆に周知したら、次は暇潰しにと刺客狩り競争が行われ、掲示板に成績表が張り出される始末。ささやかな賞金と賞品までついている。アギンダ軍との戦闘経験が豊富なメルカプール出身の猟師が現在首位を、二位と倍差で維持している。家族の仇らしいので血眼になって狩っているそうだ。

 そんな刺客の内、生きているのが磔にされてアブラチャクの広場に飾られている。死体は腐ったら臭いので燃やさせている。


■■■


 軍としての活動は休眠状態に近いが、やれる事はいくらでもある。個人的にもだ。その一環として、ジャーヴァル北部全体に居残る、というよりは取り残されている雑多なアッジャール残党の取り込みを行う。

 強い者に従って己が一族の繁栄を願うのが遊牧民の伝統。厳しい環境故の伝統である。魔神代理領の師団長で、アッジャール朝オルフ王領の軍を退け、子たる王イスハシルに直接重傷を負わせ、ジャーヴァルで連勝を続ける遊牧系統レスリャジン氏族の将軍、となれば強い者の看板としては上出来である。その看板で募集をかければ、行く末に迷ったアッジャール残党が一族を引き連れて来た。

 彼等を取り込むのは勿論、自分の私兵としてである。ナレザギー王子の方が高貴で金持ちだが、遊牧帝国に連なる草原の血統ではない。それに権限の幅と強さならばこちらが、僭越ながら上である。

 私兵を抱える事に対して魔神代理領はかなり寛容である。将軍と呼ばれるような身分であれば万を越えて抱えても横から口を挟まれないのが常識である。軍務省に申請して認可を受ければ補助金すら出る。それを制御できる自信が魔神代理領にはあるということだ。末恐ろしい自信である。

 取り込むアッジャール残党方の女達と、こちらの青少年騎兵等と縁組を同時に行う。お互い遠征先であるが、相手は家族に家財、家畜も財産も諸共移動出来る遊牧民なので不都合がかなり少ない。それに良い加減結婚しても良い年頃の者ばかりで、後継者も作らず死ぬ可能性もあるので不憫と思っていた。結婚に関しては親から権限を委譲されているので問題ない。レスリャジン氏族を増やすのもまた問題ない。

 自分の結婚相手が、うん、どうだと族長血統や綺麗どころが――既婚者もいて、選ばれれば離婚させると思われる――ズラりと差し出された。選り取り見取り状態で、ありがたいやら恥ずかしいやら、とりあえず面倒で全て断った。大将首を取って大手柄なのは男も女も同じで、お断りに際してはちょっとした騒ぎになってしまった。

 シルヴ、セリン――魔族で不可能――を差し置いて結婚しようと思う相手が、個人的にも政治的にもいない。ルサレヤ総督はあれだ、お母さんとかお婆ちゃん、いややっぱり総督か? ともかく、難しく考えないで五人でも十人でもパっと重婚してしまうぐらいは給料的にも立場的にも可能だが、どうも戦場で肩を並べるような相手じゃないと納得いかない気がしている。一緒に移動するだけではダメだ。だからか全員に魅力を感じなかった。子供の頃は違ったような気がするんだが、いまいちさっぱりだ。

 自分に話が来れば次点の大物アクファルにも当然話が来る。彼等の中で一族最強の男みたいなのが紹介されたが、アクファルは何時も以上に無関心だった。一応の面通しもしたが、ハッキリ興味無いと態度で示し、最強の男も一族に掛けられた気合が萎んでいた。アクファルを口説き落とせば己の一族、家系の立場が強固になると考えるのは当然。その気合も、笑いを堪えるのが大変で我慢するのを諦めそうになった程。流石に侮辱して仲が悪くのは避けたいので途中で席を外して水瓶に顔を突っ込んで笑った。

 とりあえず大事なアクファルを、本人が興味の無い相手と結婚させる気は無い。今ならば誰でも無理ではあろうが……。

 そのアクファルは現在、竜のクセルヤータと相思相愛だ。他に例えようがあまりないが、互いに戦友と愛馬と、やはり人間の保護者として認め辛いが恋人の感情が混じったようなものがあって、そして火が点いたのが最近なので尚更他は眼中に無い。

 こちらとしてもイスハシルの印象が強過ぎて並の男では満足できない目になってしまった。イディルさえ死ななければ全人民防衛思想によって大強化されたマトラをもブチ抜いた事は確実で、直接に殺そうとしても失敗した相手、つまり自分よりも強いという単純な証明がされている素敵なイスハシルに匹敵する男……参ったな。今後は自分の意志で相手を決めろと言ってしまおうか? クセルヤータとか言わないよな?

 重大な我等兄妹の縁談は流れて、しかしレスリャジン氏族を親とし、こちらに合流してきた彼等の氏族を子とする事に合意がされた。

 アッジャール朝の魔神代理領侵攻以前に、旧ラグト朝時代からの連戦で彼等の氏族は大分減ってしまったとのことで、数が減って勢力が維持できず、他氏族を頼って寄生して何とか生存していたが、アッジャール朝の崩壊から行く場所が無くなって、馬に余り好ましくないジャーヴァルへ残留して、残党軍に寄生して、それからレン朝軍に吸収され、立場の異動に伴って氏族の結束力も何もかもが希薄になってきた。どうにもならなくなって、そこで我々の登場に望みを託したそうだ。今回複数の氏族が”子”となったが、何れも出身地が違う程度で境遇が以上の話の通りである。家族連れではない男所帯もいるが、やはり同じような境遇。

 イディル王の大侵攻の話は、もちろん参加当事者である彼等は良く知るところであり、スラーギィにてレスリャジン氏族の魔神代理領派が大奮闘したという話は伝わっている。その大奮闘した者はベルリク=カラバザル・グルツァラザツク・レスリャジン将軍。その名が今回の戦いでの敵方の将軍であると聞き、しかも戦場で出会ったならば噂に違わぬ凄まじい戦い振りで、頼る先はもうそこしかないと決めた、と耳が痒くなる賛辞を貰った。

 こちらを持ち上げるための方便は混じっているだろうが、そんな事はどうでも良い。人と馬が欲しい。戦えるのならば区別しない。世界と比較すればまだまだ弱小なレスリャジン氏族の強化も出来るのだ。己の部族の繁栄は血の使命である。我が故郷セレードは正直自分の手に届かぬ所にあるが、レスリャジン氏族ならばやりようはある。”親父”と呼ばれるに恥ずかしくないようにしたい。

 親子になった記念にでもと結婚式を兼ねて宴会や、武人同士としての交流で相撲大会等も行われた。あっちもこっちも勝ったり負けたりしながら楽しく行われ、良い感じである。

 停戦中でも手の抜けぬ仕事があるので催し物に全面参加とはならぬが、相撲の優勝者との勝負が行われる事になった。相手はあのアクファルと縁談をして何も無かった、一族最強の男と取り組む事になった。適当に一族最強とか頭の中で呼んでいたが、本当に最強格であるらしい。若くて肩幅が広く、近くで見ると指の太さと長さが蒼天の神に祝福されたようである。

「勝負に勝ったら妹さんを頂きたい」

「名前を改めて聞こうか」

「テュグルホクです」

「テュグルホクくん、これは遊びだぞ。本当に欲しいなら軍隊引き連れて皆殺しにしろ。俺は戦争には全力を傾けるから魔神代理領全てを相手にすることになるな」

 と、大人気の無い言葉で若いテュグルホクを黙らせ、圧倒する。

「始め!」

 号令が掛かって始まる勝負の方だが、相手に腰帯を掴まれた事に気付いた時には、空を眺めて倒れていた。遠慮が無くて良い。

「どうです!?」

 立ち上がる。腰を打ったかちょっと痛い。テュグルホクの手首を掴んで上げて、勝者を称える。観衆からワっと歓声が上がる。

「今度俺の所に酒でも飲みに来い」

 肯定的に受け取ったテュグルホクは、まあ何と素直に喜んで笑った。悪い事をした気がする。

 それから羊袋の馬上で取り合いを、氏族対抗とせずに混ぜて行ったりと、怪我人は出たが楽しく行う。自分は相撲で負けたときに腰を痛くしたのでお休みだ。申請書類が持ち込まれているのでそれも見て裁定しなければいけない。

 家族が増えた心地だ。実際、これで親戚が増えた。カイウルクの嫁さんも決まったのだ。自分が断った相手、その中から好きな女を選べ、と言った。遂にそんな台詞まで吐けるようになったのかと自分にビックリしたものだ。奴は分かりやすく、歳の近い一番の美人にあっさりと決めた。見比べもせず、あれこれも考えずに”鼻”で決めた感じであった。その美人は未亡人で、子供は動乱の最中に早死にしていないが、とにかく子供が産める事が証明されている。気の毒な経歴の持ち主だが”最良”の一人である。血統で言っても、相手氏族の中では族長系列に連なっているので、政治的にも問題無い。


■■■


 新たなレスリャジン氏族の子達ばかりを見ていられる立場でも無いので見回りに出る。

 まず、アブラチャクの外に出てしまう前にクセルヤータに声をかけてみた。ルサレヤ総督の私兵達の代表でもある。

「順調かな?」

「これは将軍閣下。お陰様で不都合な所はありません」

 よろしくない事は全く無いのだが、気になってしょうがないから聞く。アクファルは最近はずっと竜跨兵のところに出向いているのだ。

「アクファルが面倒かけていないか?」

 そういう事はアクファルに限って無いだろうとは思うが口に出てしまう。心とは不思議に出来ているなぁ。

「あえて言うならば、私が人間か、彼女が竜か、であるならば面倒は無かったでしょうか」

「マジかよ」

 思わず言ってしまった。クセルヤータも中々、人間なら言い辛いであろうことも簡単に言う奴だ。竜だからか。

「縁談の件は彼女から聞きました。会ったみた彼は客観的には良い男とは思ったそうですが、正直木偶人形でも見てたような気分と言っておりました。自分からそう言っていたので思うところは何がしかありそうですが」

 あいつクセルヤータ相手だと色々喋るのか!? 抑え切れる嫉妬ではない。

「アクファルとは良く喋るのか?」

「空の上だと地上よりは喋ります」

 何度か乗せて貰ったことがあるのでその気分は分かる。あれは気分が躍りまくって口が動く動く。

「あの男が木偶に見えたか……俺は見えなかったけどなぁ」

「私の背に乗せたのが問題の始まりであれば、言い辛いのならば私からあまり接触しないように言いますが」

「いやぁ! いやいやいや、そんな事は言ってないぞ。圧力を掛ける心算も無い。妹に近寄るなって言いに来た訳じゃないんだ。とにかく思う通りにしててくれ」

「はい、お任せ下さい」

 爽やかな笑顔? でクセルヤータは自信満々に言う。心はどうやっても安心は出来ない風になっているようだが、納得は出来る。

 アクファルは父違いの妹で、自分ですら忘れそうになるが形式的には養子に取っているから親子になる。養子ってのはまだまだアッジャール朝のイスハシルが全盛期だった時に縁談を断るための方便だったので意味消失はしているが、そのような関係である。昔なら想像もしなかったが、これが男の”におい”が娘にチラついた時の気持ちか!

「これからアクファルも一緒に我々の訓練に参加しますので、ご了承頂けますか」

「贔屓しないで頼むぞ」

「勿論です。というか文句のつけようが無いので、しろと言われても甚だ困ってしまいますがね」

 奴隷騎兵や竜跨兵達は、今は休暇も同然なのに、適当に休日は設けつつも真面目に基礎訓練からみっちりと行っている。これが普段通りだというのだから強いはずである。あのシルヴがぶっ殺されそうになったのも分かろうというものだ。


■■■


 ルドゥと偵察隊の面々は相変わらず安定して、見ていて不安になる。この独自集団は、特に人間との交流が無い。見た目からして、人と分かる革で飾っている時点でそうなろうというものだ。

 今は暗殺者狩りに勤しんでいるので忙しい状態。妖精に休みが必要なのか疑問だ。ルドゥは「必要ない」と一言で返して来た。

 常人からは――青少年騎兵に奴隷騎兵に竜跨兵も含め――不気味がられ、仲間内からも非接触な態度が取られている。妖精同士ではラシージと工兵組は勿論、アウル妖精とも交流は通常通り行われているので、そこまで気に掛けることも無いのだが、やはり自分が人間であるせいか、孤立しているのではないかと思ってしまうのだ。

 しかしまた偵察隊の連中に何かしてやれることも正直思いつかない。ルドゥにそのまま聞いてみても「必要ない」と一言で返して来た。

 こういう事はラシージに聞くのが一番であろう。早速会いに行く。ラシージに会うのにそもそも理由が必要だろうか? いやない。

 人間とは良く交流するのがラシージと工兵の職人土方集団。彼等はアブラチャクの防壁近代化工事を行い、水源確保の為の井戸掘りに水路整備まで何でもやっている。人手には兵士達や職にあぶれている都市住民、周辺住民を雇用している。

 軍になった元雑兵達、兵士の規律は、アブラチャクで見る限りでも厳正である。作業態度は真面目である。

 以前は反抗的だった貴族の坊やに士族のボンクラも、今ではまっとうな将校である。おかしな宗教人も、軍の行動に支障が出ない程度に自分たちの伝統儀式を省略している、その辺に転がっている乞食やコソ泥に飲んだくれみたいな連中も、今では見た目もしっかりした兵士だ。反抗的な者は公開処刑、規律違反は鞭打ち、そして食事はしっかりした物を取らせて給料も支払い、上官の横暴も下っ端の怠慢も許さない厳格さ、そして勝利する強い軍隊という自信で人格まで修正したのである。昔なら工事作業なんて、背中に銃口突きつけてもやったかどうか。

 人間以外にも工事にはアウル妖精を使っており、仕事への姿勢は妖精らしく忠実精勤そのもの。人間とはともかく、どうやらマトラとアウルの妖精同士では言葉が通じなくても意思疎通が何だか出来ているらしい。どうにも妖精達がワッキャワッキャと体を動かしてちょこまかしているのが非言語交渉の一環のようだ。

 工事指揮所にいるラシージに会いに行けば、工事計画書と予算計画書と申請書類を見比べている背中が見えて話しかけ辛い。

「将軍閣下、ご用を承ります」

 頭の中で一段落がついたらしいラシージが振り向く。

「大した事じゃないんだが、偵察隊の連中が気になってな。ルドゥは気を使うなって言うんだが、奴等はそうとしか言わないだろ」

「人間の観点から見れば確かに悩みの種でありましょう。どうしてもというならば、見かけたら頭でも撫でてやればよろしいのです。我々はそれで死ねます」

 最後にサラっと恐ろしい事を言われたが、確かにその程度の事しか出来そうに無い。

「分かった。邪魔したな」

「いえ、何時でもどうぞ。お待ちしております」

 妖精って社交辞令を言うのかなぁと思いつつ、早速ラシージの頭を撫でてから去る……絶対に言わないな。


■■■


 寝泊りをしている市の迎賓館で、参加者都合によりやや遅めの時間に昼食会。飯くらい腹減った時に食わせろよと言いたい。ナシュカも時間外れに注文つきの仕事とあっては不機嫌そのもので、場を仕切る軍務省の偉いさんを、良い大人が半泣きになるぐらい罵倒してから殴り倒す始末。まあ、冗談抜きに食べ残しをした妖精のケツの穴に残し物を突っ込んで裂傷を負わせて療養所送りにした実績があるから、軽いものだ。偉いさんには申し訳ないが、こちらの料理長はナシュカなのである。嫌なら場所と面子を変えればいい。

 席に並ぶのは上席からチェカミザル王、ナレザギー王子、自分ベルリク、アブラチャク市長、魔神代理領軍務省――顔に痣――連絡官、ジャーヴァル帝国外交官、第十五王子義勇軍高級将校等、取り込んだ氏族族長等、アブラチャクや周辺の名士等。

 ここまで面子が揃うとやたらに堅苦しくていけない。何気ない冗談を一つ言っても、皆が足元に注意を払いながら愛想笑いをする。己の立場を守って競争相手をさり気なく蹴落とそうとしたり、ささやかな己の権益を拡大しようとする会話を、さも楽しいかのように取り繕って行われている。自分に必死さが不足している分客観的に場が読めるのだが、こりゃ気持ち悪いな。

 上席三位までならもっと気楽に食べられる。チェカミザル王を膝に乗せたり、ナレザギー王子に、はいあーん、と食べさせたり。それこそナシュカが物食ってるチェカミザル王を蹴っ飛ばしても笑うだけだが、この面子でやると状況が理解出来なくて空気が凍りつくだろう。

 このように飯食う時も仕事するのかよ、と食欲が減退する状況を作り出したのは、上席四位から六位のお役人さんの意向である。彼等に悪意は無い。それが仕事だからである。特にアブラチャク市長は自分と市民の血の流れる首がかかっているので、それはもう作り笑いから飛び出す冗談から、おどけて自分に不利な発言を煙に巻いたりと真剣そのもの。彼にとってここが戦場なのだ。良い”茶化し”を思いついても口に出すのは気が引ける程である。

 料理は勿論ナシュカとアウル妖精が作ったもので、それはもう美味くて美味くて仕方がない。不機嫌でも手抜きは無い。材料があれば見てそれと分かる宮廷料理も作れるらしく――飾り付けはナシュカが嫌いで省略――そのような品も出る。珍しいアウル料理が絶品ということで、絶賛の声が、正直な所を越えて競争になる。チェカミザル王はというと、素直に褒められて喜んでいるように見える。意志の強い妖精は腹芸も出来るので内心は知らない。

 チェカミザル王にナシュカも、アウル藩王国の将来を考え、意志の強い妖精が集まって誰が藩王をやって大臣をやって、そして国外に調査へ行くかを相談し合ったような、その次元の思考が出来る妖精である。もしかしたら自分より遥かに真剣にこの昼食会に望んでいるかもしれないと思うと、中々侮れなく見えてくる。

 料理のタレを口の周りにつけて美味そうに食べているチェカミザル王のご尊顔が見える……布巾で口の周りを拭いてやると、きょとんとした顔になってからこっちを向いてニコっと笑った。

 全く侮れないな。


■■■


 昼食後に腹が落ち着いてから、肩の疲れを癒す心算でナレザギー王子をお茶に誘う。これは最近の楽しみの一つである。

 お茶を淹れるのはナレザギー王子手ずからである。お茶も趣味だそうで、ご身分が高いと多芸多趣味の傾向にあるのは大体世界共通だ。

「我が父、王から私の結婚が破談になったと報せが来ました。大分表現は和らげていたようですが、とにかく虐殺者に娘はやれないそうです。あなたのせいですから面倒見て下さい」

 まさか嫁さんを探せという事じゃないだろう。

「国を出て我が軍に従軍するってことになりますよ。私兵的な感じで」

 お茶を飲むと、大分香りが強くしてあるようだった。この方が好みだな。

「居場所が無くなって、直ぐに座る席があるという話ですね。そうしましょう」

 急な話に簡単に答えてしまったが、そのまま通った。

「たぶん、殿下の金を当てにしますよ。人の金ですから、玩具みたいに扱いますよ」

「金というのは使うものです。それに私は投資家じゃなくて王族です。浪費は得意ですよ」

「その割には商売が手広いようで」

「失敗を恐れていないので次から次へと手が出せるんです。卓上遊戯と同じですよ。あとこれを」

 魔神代理領の軍務銀行に持つ自分の口座――給料が振り込まれる――への振込み明細書が手渡される。額は百万ウラクラ? 調度品込みで屋敷が建つ額だ。

「桁がいくつか間違ってませんか? というか何の金ですか?」

「カツラですが、流行ってきています。メルカプールだけでなく、魔神代理領内の広義の獣人に好評のようです。本格的な発売はまだですが、広告次いでに少量販売した結果だけでも発案者のあなたにこれだけ支払っても良いと判断出来ました。お友達値段ではありませんよ、相場相当です」

「殿下は金の生るお狐様でしたか」

「拝んでも構いません」

 拝んでみる。


■■■


 夜になった。酒に誘ったテュグルホクだが、偵察隊に誰何された後に何をされたか青い顔して現れ、就寝前のアクファルには無視され、彼より前に酔っ払って現れたファスラを差し向けたら、絡んで浴びるほど飲ませてぶっ倒してしまった。

「穏当に雑魚をあしらう方法ってのは、やっぱり面倒なもんだ。俺に頼って正解」

「やっぱり良い男だなお前」

「知ってた。ズボン脱ごうか?」

「下だけ?」

「この淫乱野郎」

 アクファルが関わるとムキになっている自分が見えてきた。馬鹿をしたとも思うが、”親”が”子”の名誉を守りつつ話を胡散霧消させるにはこういった手を使う事も、今後あるだろう。

 予告も無く現れたり消えたりを繰り返すファスラだが、艦隊の方は自分がいなくても無事運行するようになっているそうで心配無用らしい。その内乗っ取られないかと思ったりするが、そうしたら奪い返す楽しみが出来て良い、と呂律の回らない口で喋って、気付いたら床に転がって寝ていた。酔って寝た二人には布団だけかけて放置。

 酒の相手もせずに自分は素面である。全裸のファスラの誘いも断って飲まなかったのは、遠路遥々、遥かなるイスタメル州シェレヴィンツァから魔都経由、船便陸路を伝って手紙がやってきたからだ。少年の頃は馬鹿らしいと思っていた文通だが、気になる人の無事が確認出来るだけでもこれは重要である事に気付いたのは……何時だったか? 魔神代理領に来てからなのは確かだ。

 まずはやはりシルヴの手紙から。匂いが残ってないか嗅ぐ……全く残ってない。

”アソリウス島嶼伯の件について進展があった。甥ヤヌシュフを養子に取って後継者問題を解決。今は島の方言も含めた言語、そして島の地理に風俗と基礎的な所から教育中。後で見に来なさい”

 手堅い手段に出たものである。魔族化のせいで子が出来なくても、血縁者にアソリウス島嶼伯を継がせるのならばそれしか無いだろう。しかし、お母様と呼ばれるシルヴは……何とも言えない。

”それから何時までもそっちで遊んでないで戻ってきなさい。セリン提督があらゆる意味で血塗れ。この前、危うくこっちの港に退避してきたゼカ公国籍の商船を撃沈しそうになった。ゼカは現在、敵でも味方でも無い。公海上で海の藻屑になろうと知った事ではないけど、こちらの庭先となれば話は別。友好関係は崩したくないので事は有耶無耶にしたけども、続くならそうもいかなくなる。今彼女は理性を攻撃性が凌駕している。元からそうだったらしいけど、少なくとも今まではあなたの存在が抑えになっていたと見ている”

 まずはそのヤヌシュフくんの新しい父親は俺だな、と返書に書こう。

 セリンかぁ……少なくとも職務の範囲内で活動する常識だけは残っていたはずだから、そこまで神経質にならなくても良いとは思う。手紙に書いてある以外にも、本国側から色々言われているのだろうと推測する。ヴィルキレク王子はアソリウス島を拠点に海外植民地に関して指揮を取っている事だし、そちらからやんわりとこちらを通してセリンに何か言ってくれと頼まれたのかもしれない。養子だが後継者も出来た事でシルヴも立場的な発言をしなくてはならなくなっているのかとも思う。今のセリンの海賊働き振りは味方の側から見ても恐怖を感じるのは、手紙のやり取りだけでも想像がつく。理解出来る話だし、そのように協力するのはやぶさかではない。しかし、シルヴ相手に立場的な返事等したくもないので、相変わらずセリンは可愛いなぁ、と返書につけ加えるだけにする。

 セリンを抑えない方がシルヴに争いがやってくる可能性があるのだ。そんなシルヴの筆を通した他人の意見等聞きたくもない。我々が望んでいるのはそんな事ではない。そうだろう?

 それから次はセリンの手紙。血の臭いがしないかちょっと嗅いでみたが、流石にしない。

”雑魚ロシエの棺桶を沈め切った心算は無いのに、最近全く奴等のゲロ桶を見ない。たまに見えても小船ばかりでぺーぺー共の訓練標的にしかならない。ファランキア共和国が海賊として改めて私の首に大きい賞金をかけたから、市庁舎の門前に適当な通行人の首を五十並べて来たよ。魔族の体になったから単独潜入が楽ちんで簡単だったね。ペシュチュリア共和国の腰抜けの方は、中大洋の海外植民都市、諸島の防衛縮小までやり始めたね。資源確保まで諦めて本土防衛に回っているんだからもう窒息寸前。海路切断の物価高の中で、仲の悪い周辺国に頭下げて貯金穿り出している様を見てれば笑いが止らない。早くしないと海戦も小康状態になっちゃうから帰ってきてよ。旅行は十分でしょ?”

 相変わらずだが、これを相変わらずと評価出来る事に違和感しか覚えない。それとファランキア共和国は都市国家なので、市庁舎ということは首都直撃である。ロシエ王国との協商関係にある煽りでこうして海戦に引きずり込まれているファランキア共和国とペシュチュリア共和国にとっては不幸である。しかし、ジャーヴァルでのロシエとの戦闘は終わったというのに、あちらの海ではまだやり合っているのか? 手紙の配達には時差が出るものだから、ここに到着している今ではもう終わった話なのかもしれないが。

 帰ってくるまでは首は繋げておけ、と返書に書く。折角の美人が台無しに……とは書かないでおくか。

 次はルサレヤ総督からの手紙。例に倣って匂いを嗅ごうかと思ったが流石に止めた。

”御前会議にて、魔族を増加させるというベリュデインの案が通過する見込みだ。内容の調査と修正の段階に入っている。つまり時代が一つ通過したという事だ。また時代を跨ぐ老人が居残る不自然さが際立つな。軍事顧問としての活躍を聞くに、満足いく結果だ。親衛軍を出さずとも戦局を挽回しつつある。出せばもっと早期に決着していたと愚痴も言いたくなるが、論じてもしようの無い事だ。私兵達が役に立ってくれていると良いのだが、君ならば使いこなしてくれよう。議事は魔導評議会の在り方にまで議論が及んでおり、百年振りの長丁場だ。相次ぐ大戦による大きな疲弊からの脱却、次にこのような事があっても対処出来る体制、そのような事まで話し合われている。とにかくまた改革だ。明日の為に努力して変化を恐れないのが魔なる教えだが、正直昨今の事態に年寄りは目を回してしまう”

 魔なる教えとその改革に関しては論ずる程の知識も何も無いが、ルサレヤ総督が自嘲しているという事態そのものが気に食わない。

 こうなれば――ルサレヤ総督の信念と違うかもしれないが――保身に走って欲しいと願う。反対意見を述べる者を処罰するような魔神代理領ではないが、何らかの遠まわしの処罰が無いか心配になってしまう。

 魔族の種という、どうやって魔族からあんなのになるかは不明だが、歳だから種になれと宣告されまいかと無い知識で持って危惧してしまう。返書で尋ねるのも怖い。

 何にしてもまたルサレヤ総督に会えれば私は構いません、と返書に書く。

 イスタメル州で留守を預かってもらっている我が第五師団の師団長代理から手紙。

 スラーギィ東部の入植を停止したそうだ。試算ではまだ入植する土地に余裕はあるが、人は増えるのである。増えても東部は貧しい土地なので紛争が多発してしまう可能性があることと、東部の人口が爆発したら将来的にスラーギィが東西分裂して統制出来なくなってしまうことも理由である。

 西部の我がレスリャジン氏族が人口でも武力でも優勢を取り、東部の連中に頭を上げさせない事が重要なのだ。魔神代理領イスタメル州の領民、という意識の低い連中には特にそのような圧力が必要。人口が少ない状態ならば統制も取りやすいし、世代が下れば望まぬ客から気に入らない身内くらいになるまで互いに我慢は出来る。

 それでも入植希望者がスラーギィに押し入って来ており、軍を出動させて追い払っているそうだ。追い払うには東部住民も協力的で、そして西部レスリャジン氏族より一層苛烈らしい。実際に自分たちの食い扶持を、命を糧を奪いに来ているも同然の連中が相手なのである。それはもう殺すしかない。

 そしてだが、アッジャール朝オルフ王国とオルフ人民共和国が追い払った入植者を人的資源として金を払ってまで引き取っているというのだからスラーギィでの戦争はまだまだ終りでは無い。

 一方マトラ山地に森林部では全てが好調で、工業生産能力の革命的な向上によって全労農人民兵士への装備自弁が叶ったそうだ。焼け跡に飢えた若木も病気も無く育っているそうだ。県南部の街道、運河の維持拡大も順調路線とのこと。

 その要領で問題無い、引き続き任せる。そして、送ってくれた榴弾のおかげで人民の敵を粉砕撃破ならしめた、と返書を書く。

 親父からの手紙が、シルヴの封筒に同封されていた。どうやらこの形式じゃないとちゃんと読まないとか思っているらしい。

 嫁さんが妊娠したそうだ。手紙が着く頃には出産しているはず、だという。男なら祖父の名からサリシュフ、女なら祖母の名からエレヴィカとするらしい。無事生まれればアクファルとは全く血縁に無い弟か妹が出来る。妹と言えばアクファルと自分の頭がそうなっているので、違和感が強い。

 イューフェ・シェルコツェークヴァル男爵を継承するのはその子になるのか? 故郷を知らん女の子供に持っていかれると考えてしまえば、どうにも憎たらしい気がしてしまう。

 色々と落ち着いたら休暇を貰って故郷に帰ることにしよう。親父にアクファルを見せてもやりたい。細密画だけでその新妻の事を知ったことにはとてもならないし、一度会ってみたい。憎たらしさが薄れるかもしれない。

 状況が落ち着いたら一度帰郷する、と返書に書く。

 ヴィルキレク王子からの手紙もシルヴの封筒に同封されていた。送ってきても不思議は無いと言えば無いが。

 ジャーヴァル貿易が非常に好調であるという前書きで始まった。それから、作戦行動を通じて気になった人物はいないか? と尋ねる本文である。貿易拡大に一役買ってくれる人物を探しているのだろう。

 毒のある話でもないし、ナレザギー王子を紹介しよう。今や本格的に相互利益の恩恵を受ける仲である。繋がりが多くなって困る事は無い。

 それから後書きで、土地と屋敷に嫁がついて仕事もあるという誘いの文章で、なんとそれが南北に用意があるらしい。

 話半分として、エデルトでも色々と状況が動いていて、人手が足りないと言った所であろう。南北にあるとはどのような符号であろうか? 姉の方のヴァルキリカ聖女猊下も人手が欲しいのか?

 とりあえずナレザギー王子を紹介する文を、本人に確認してから返書にして送ろう。

 ヴィルキレク王子からセリンに言及している箇所は、遠回しにでも一つも無かった。より一層、シルヴの筆を借りた印象を受けた。まあ、その程度の気配りは当然だろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る