第75話「大軍勢」 ツェンリー

 宇宙開闢史にて、記録されている限りでは降臨上帝の唯一のお言葉がある。


 食べるために命を獲る 獲るために命がいる 生きている限りそれが続く 生まれる限りそれが続く


 文明人が豊かさ故に忘れてしまう生活原理である。

 お言葉は、開地上帝の時代に口伝を可能な限りに音写された形で残されている。形式に沿った言葉ではないのは、当時は話されていた言葉が違っていたからである。意味ある文章として解読されたのはつい二十年前だ。

 使い古した祖父の官服官帽を修繕に出した。しっかりした作りの生地なので二代続けて使っても持ち応えたが、ついには目に見える程に擦り減ってしまい、修繕して着るのも限界に近い。余程着る物に困った時の第三の予備にする。

 フラルの職人が作ったという曇り凹凸一つ無い澄み切った立て鏡の前で、卸し立ての官服を着て官帽を被る。着て気づいたが、祖父の物は既に小さくなっていたらしい。何時の間にやら体が成長していたようだ。大人に見下ろされる感覚も久しく感じていないと、ふと気付く。子供の成長は早い、か?

 公安号が、新しいにおいがするせいか、寄って来て鼻を近づけてきて嗅ぐ。無礼と指導しようかと思ったが、においを覚えて追跡することもあるだろう。嗅ぐに任せる……その鼻は、生理現象で濡れている。鼻水がつきそうになったので口を掴んで止める。

「いい加減にしなさい」

「ワフン?」

「ワフンじゃありません」

 公安号の頭に手刀を打ち込むと、頭を引っ込めて「キュウン」と鳴いた。

 奉文号が飛んできて、公安号の頭の上に止まる。そしてこちらを見て、首を傾げる。人のする動作と意味は共通していないと思うが?

「どこかおかしい所がありますか?」

「クルッ」

 奉文号が短く鳴く、意図は分からない。

「ウッ」

 公安号が唸る。個人的? な意思疎通はこちらが取りやすい。鳴き方はともかく、仕草で何となく分かるのだ。

 しかし奉文号は分かり辛い。下手な人間より賢いこの美しい鳥は、とにかく不可思議だ。実は魔族なのではないかと思ってしまう。ファイユンに聞いてみたが、動物にも魔なる教えで言うところの強靭なる者、幽地の際にいる者が稀に現れるらしい。人が観察して発見することも、動物自身が自覚する事も、その力を活かす事も稀で、かなり分かりやすい”何か”が無いと誰にも気付かれないらしいが。

「完璧なお姿と思います」

「ショウさん、何の用件でしょうか」

 部屋の入り口のところで黙って立っていたショウが求めていない感想を述べる。

 もう既に宇宙太平団には身元が明かされている事を教主から聞いたので潜入調査からは解任してある。遊ばせておいては彼の贖罪にならぬが、さてはて何の役に就かせようかと考えれば思い浮かばず、仕事が忙しくて放置していた。拾った以上は責任を持つべきであるが。

 新しい服で思ったが、ショウも大分成長した。青年である。

「節度使様、新しい仕事を俺に下さい」

 しかしどう頭を捻っても思い浮かばない。

「では何が出来ますか?」

「読み書きも出来るようになりました。武術も習いました。ハイロウの言葉も、ジャーヴァル北部のナシャタン語も話せます!」

 随分と知らない内に成長したものだが、取り立てて任せる仕事も無いのが事実。三官選挙のいずれかを通過したわけでも無いし、それに相当する資格も職歴も無いので権限内で配役できる所も無い。読み書き出来るだけで官僚になれれば誰も勉学で発狂する程苦労はしまい。

 配役に困る一番の理由は、凡庸な人材が全く不足していないことだ。ショウ個人の努力は認めるが、既に節度使がどうこう指図するような人材ではない。真に凡庸である。個人的な小間使いにしようにも品性に欠けるし、教育するような暇は無い。

「ではショウ・フンエ」

「はい!」

「天命の意図までは我が俗なる身には図れませんが、私の意図からは既に離れているのは間違いありません。あらゆ責務から解放します。今までに身につけたものがあれば賊等しなくても健全に生きられるでしょう。これからはあなたがどうしたいか選んで、進んで下さい」

「どういうことですか!?」

 壁に立てかけておいた杖――ハイロウ到達前に方術で作った物だ――でショウの頭を叩く。教育する暇は無い。

「やかましい」

「申し訳ありません」

 叩いたというのに何やら嬉しそうな顔する。解せん。

「端的に言います。私からショウさんに与えられる仕事は一つとしてありません。ですから自分で就職して下さい。その経歴があれば、専門技能が必要とされる職以外には就けるでしょう。斡旋書類なら作れますが、何か就きたい職はあるのですか?」

「何でも、節度使様の下で働けるのならば何でもです!」

「ですからそのような仕事はありません。無いのなら作りません、暇ではありませんので。む……時間がかかり過ぎました。仕事がありますのでお引取り下さい。退職金は口座に振り込んでおきます」

 呆然とするショウは入り口に立ったまま動かない、邪魔だ。同情する余裕を作れるほどビジャン藩鎮の状況は良くない。もう一回叩くか?

 公安号が座ってショウに目線を合わせて低く唸る。その頭に乗った奉文号も若干姿勢を低くして威圧。

 震えた声で「お世話になりました」とショウは言い、走り去った。余裕がある時に、早目に対処してやれば良かったか。

 私室を出て、余計な事は頭から振り払い、廊下伝いに議場へ向かう。仕事場が全て同じ建物、ビジャン藩鎮行政庁舎内にあるというのは便利である。節度使官邸は無用なので建てていない。ヤンダル知事から頂いたあの家で十分である。

 議場の扉前の衛兵二人が改めて姿勢を正して敬意を表するのを確認、二人が扉を開いて声を合わせる。

『ビジャン藩鎮節度使サウ・ツェンリー様ご入来!』

 銅鑼が鳴らされる。これが作法だが、やはり仰々しい。入場すると、床に座っている皆に平伏して迎えられる。やはり仰々しい。王以上の権威ある者ならばこれが相応しいと個人的に考えるが、こちらは所詮節度使である。ただの高級官僚だ。もっと事務的な議場、いや会議室でも作るべきだったか。

 ビジャン藩鎮行政庁舎の議場は、ダガンドゥ市のような市長や議長が、議員から扇型に包囲されるような、対話するための形状ではない。

 一応藩鎮の場合は議場という名であるが、上意下達の場に近い。最上段の中央の席に節度使の席があり、一段下がって両脇に――不在だが座布団だけは置いてある――観察使と按察使が右、進行役と鎮守将軍が左に控え、また一段下がって召喚された者達が名簿序列順に節度使と正対して四角形に並ぶ。

 議場に関係各者が召喚されて座っている。名前だけで顔を知らぬ者も増えたものだ。

 節度使の席につくと、進行役も担当するヤンダル知事が顔を上げ、こちらへ一礼し、天子様がいるヤンルーの方角向けて再度一礼し、召喚者へ向き直り、声を張り上げる。とりあえず権威のいる役にはヤンダル・チャプトだ。安定して使える。

「天より降りし、宇宙を開闢し、夷敵を滅ぼし、法を整備し、太平をもたらし、中原を肥やし、文化を咲かし、四方を征服した偉大なる八大上帝より後代、宇宙を司りし天子の名において、丞相ハン・ジュカンよりビジャン藩鎮節度使に任ぜられたサウ・ツェンリー様千歳。これよりジャーヴァル北東部への侵攻計画を節度使様自ら発表される。皆の者、心して聞け」

 大量に兵士を動員して、渋滞を軽減するために進路を分けて進軍して目的地で集結する”演習”は既に対マシシャー作戦で実行済みである。

 やはり事務的な大会議室は別に欲しい。諸々用事が終わって余裕が出たら考えるか。

「皆の者、顔を上げよ」

 言葉に合わせて召喚された者達が顔を上げる。この方式に慣れていない者は、そこはかとなく不満げである。それにしても魔族ファイユン、序列に関係なく一番奥にいるが大きくて目立つ。

「発表する。ビジャン藩鎮人民を救済するために、西方交易路の開通及び交易の復活、難民問題の解決、食糧問題の解決を企図し、魔神代理領傘下ジャーヴァル帝国へ全力を挙げて侵攻を開始する。三目標が達成されるのならば、手段は問われないものとする。良いか?」

『はい』

「ビジャン藩鎮軍サウ・バンス鎮守将軍」

「はい」

「今計画及び全軍の最高司令官とする。何れの軍、部隊より上位である」

「はい」

 上意下達、ただ肯定する返事を聞くだけだ。はい以外の返事はこの場で許されないのが慣例。はい、と口に出させ、反対の意思があっても、多少でも信義がある者に暗示をかけるという意味合いがある。無駄ではない。

「鎮守将軍直下にはフタイ師団カム・ツィリン将補」

「はい」

「チャスク師団サウ・ワンホウ将補」

「はい」

「ムルファン師団サウ・インシー将補」

「はい」

「トルボジャ師団サウ・サークオ将補」

「はい」

 各郷子をそのまま直轄部隊にした。藩鎮統一前よりの指揮系統で動く軍だ。これが主力となる。四師団合わせ、六万名。

「その四師団を置く。鎮守将軍直下の四師団は中央街道を先行して侵攻する。立ち塞がる敵を撃破し、拠点を攻略して確保していく。第一目標は玄関口となるコバシットであり、最終目標は対ジャーヴァル帝国への防壁となるアブラチャクである。その間にある各要所は状況に応じて対処せよ」

「はい」

「ハイロウ軍司令官として」

 名目上、

「ヤンダル・チャプト将軍を任命する」

「はい」

「補佐に参将サウ・コーエンをつける」

「はい」

 実質指揮するのは我がサウ家から出た者だ。名高い御輿を担いで、実務は別の者が行うという方式は昔からある。

「ハイロウ二十七都市より派遣される六旅団と二十一連隊を率いて中央街道を侵攻。異常あるまでは確保した拠点、道路の警備拡張を行う。戦いとあらば柔軟に兵を出せ」

「はい」

 大都市からは二個以上の複数連隊を抱える、護校尉が率いる旅団が出る。小都市からは定数を若干越えても、届かなくても管理上、総校尉が率いる連隊として出る。合わせて十二万。

 ハイロウ軍は民兵交じりで、正直部隊としての体裁を書面で整えたに過ぎない。戦闘部隊というよりは補給部隊、建設部隊、警備部隊等の後方支援要員として活躍して貰う予定。大軍と当たれば、勿論予備兵力として動いて貰う。

「太平軍司令官としてバフル・ラサド将軍を任命する」

「はい」

 軍の名前は少し悩んだが、一地方軍に宇宙という言葉は尊大に過ぎてよろしくない。数は兵士としては三万。後は民兵に転化する要員や潜入工作員が一体いくらか、実質三倍くらいと考えて九万か?

 太平軍は人員から指揮系統まで完全に宇宙太平団そのものである。こちらからは連絡要員を置いている程度。既に彼等独自の編成がされているのでこちらからは手を入れない。下ってきた蛮族の軍を指揮系統に入れる時に行われる手法だ。無用に弄ると反感を買うし、組織力も落ちる。

 こちらはマシシャー朝へ謀略を仕掛けたような能力はあるが、戦闘となれば狂信的ながら民兵に毛が生えた程度だ。容易に戦場に用いるのは避けたい。諜報任務の他には難民や入植者の管理が主任務になるだろう。現地人の人心掌握に活躍してくれると期待する。

「宇宙太平団の戦闘部隊を率いて南回り街道を侵攻せよ。第一目標はエンサル峠であり、最終目標は対ジャーヴァル反乱勢力への防壁となるウサイフである。諜報任務に関しては専門であるバフル将軍に一任する」

「はい」

「枠に囚われず良く他の者と連絡を取り合うように、また他の者も協力を惜しまぬように」

「はい」

 南回り街道は拠点も無く、人口も希薄なので現地勢力と呼べる勢力もいない地だ。何時でも四師団がかけつけられるように歩調を合わせるようには事前に言ってある。彼等は彼等で道路を整備して警備出来る要員がいるので任せる。

「マシシャー軍司令官としてテイセン・ファイユン将軍を任命する」

「はい」

 こちらも太平軍同様、連絡要員を置いているだけで、遊牧民独自の編成法もあるので、やはり手はつけていない。数は四万。

 宇宙太平団の謀略で戦う機会も無かったが、主力は遊牧騎馬兵である。文化の低さはともかく、こと軍事にかけては長らく天政さえ後塵を拝してきたものだ。

「マシシャー軍を率いて北回り街道を侵攻せよ。アッジャール朝残党以外にも北回り街道では勢力争いをしている騎馬蛮族が多数である。維持は無用、素早くこれを通り抜けて中央街道を進む軍が正面に対峙する敵の側面を突け」

「はい」

「以上である。状況は刻一刻と変化する。必ずしも計画に囚われず、臨機応変に対処せよ。最終目標確保後も戦争は継続すると思われる。これらは第一段階と心得よ。最終目的は三目標、西方交易路の開通及び交易の復活、難民問題の解決、食糧問題の解決。人民救済の一言に尽きる」

 一度言葉を止めて、皆の顔を見る。ここまで来て呆けた面をしている者はいない。皆には一貫して人民救済を唱えて協力を仰ぎ、同志として、短い間だが歩んできた心算だ。進む方向を見失う方が今は難しいと考える。

「これにて発表を終える。今後の成功を祈願し、万歳を唱える、後に続いて唱和せよ。良いか?」

『オォ応!』

 予想以上に皆、気合が入っている。

「宇宙太平、天下招福、万民盛興、天政万歳!」

『万ザァイ!』

「玉体無双、施政至当、龍声東光、天子万歳!」

『万ザァイ!』

「方水存立、大乾有転、志向懸命、子々孫々、八上帝万々歳!」

『万々ザァーイ!』

 今回も現在序列二位、州伯爵ヤンダルが最後に唱える。

「ビジャン藩鎮節度使サウ・ツェンリー千歳!」

『千ザァイ!』

 総勢二十五万での侵攻だ。実数は三十万を超えるかもしれない……初めの頃の十五万倍の兵力? おかしな感じだ。


■■■


 発表も終わり、事前準備も終わっているはずで、最終調整に入る。

 鎮守将軍が侵攻準備を指揮する。準備通りに事を進めるが、指揮される側が上手くいかない事がある。実際やってみなければ分からないことは無数にある。節度使の権威権力で調整する事が発生する。どう掻き集めても物資が足りないから工面してくれという部隊は多い。余力のある所の紹介と受け渡し量の調整を行う。出撃に備えて軍事演習をするだけでも物資は消費される。そこで誤差が良く生まれる。

 紹介はともかく調整くらいは自分でやれるようになって欲しいが、新体制故相互信頼に欠け、節度使の権威権力が無くては喧嘩になってしまう。

 必要量とは言え、軍へ供出する食糧が多くて苦情が寄せられる事もあるので代替案を示して解決か、最低でも問題先延ばしで納得してもらう。これからという時に内輪揉めはしていられない。

 武器弾薬馬匹、その他多くの備品の購入代金を要求される。流石にこのような規模になれば祖父と父から残された遺産で賄う事も難しい。出来なくはないが、これは緊急用だ。各所へ分担金の要求、造幣局への増発令、商人からの借金、連絡して計算して要求して返済計画を立ててまた計算。

 それから春税の貢納に、中央へは侵攻計画に基づいて説得力のある数字を上げて文章を書いて支援物資の要請もしなくてはならない。そして中央からの施政指導もあり、改善点を明記して返事を出さなくてはならない。

 相変わらず節度使は観察使と按察使を兼ねるとされている。丞相閣下から直接の手紙で確認している。

 観察使は丞相直下の役職であり、節度使と按察使の行動が天政の方針から外れていないか監視する。丞相閣下が自分を信頼して下さるのならば問題無いだろう。

 しかし、司法院から派遣されて節度使からは独立性を保たなければならない按察使がいないのは困惑と同時に、実務的に困る。相応の知識を持った司法の専門家がいない分はこちらで肩代わりしなければならないのだ。司法官僚から要求、問い合わせは無論尽きる事は無い。平時でもあれこれと忙しいのが司法である。それに司法官僚のような有能な者はその辺にうろついているわけでもないのだ。募集はしているが、難しい。

 それでも部下の官僚が増えたお陰で細かい仕事は大分減った。しかし規模が拡大したので別の仕事が増えた。ファイユンがいなかったら寝なくても仕事が終わらなかっただろう。戦わずして勝つ文化上帝の極意を参考したおかげであろうか? 先人の偉大なるお知恵には感謝申し上げるのみである。

 一番の大仕事、侵攻先に連れ行く官僚の代役の目録を作ることだ。ビジャン藩鎮の統一以来、中原からも出仕して来た者が増えている。官僚の頭数だけは何とかなる。司法官僚は何とかならない……ファイユンに教育を頼む? いや彼女は忙しい。教主に? 後で二人に奉文号を使って素早く連絡を取ろう。

 今まで以上の急がしさに、日を跨ぐ感覚が失せていった。

 司法官僚のツテだが、各都市から引退した官僚や教師等を集めてファイユンと教主と自分が暇を見つけて、時には仕事をしながらダガンドゥ市議会の議場を使ってまとめて授業を行った。予備知識があるかも怪しいショウもいた。皆有事という意識があってか勉強にかける意識、集中力は並々ならぬものがあった。とりあえず、凡その者が実務をしながら勉強をすれば最低限の事はこなせる程度にまでは仕上げた。


■■■


 今は公武上帝の仰る所の一国至難の状態に近いであろうか。

 国を名乗るのは無論おこがましいが、ここはビジャン藩鎮。節度使の身分は州候相当で、藩鎮は道相当である。西方蛮域に接して中央から遠く、道よりも、場合によっては王よりも多大な権限を許されている。蛮族から見れば国のように見られるだろう。

 遂にその日が来た。ジャーヴァル北東部へ向けて全軍が進路を分けつつ前進する。

 指導者は先頭に立つ。時代にはよるが、節度使が陣頭指揮を執って戦争を行う事は昔から珍しくない。珍しくないということは、当たり前の事なのだ。実際指揮するのは鎮守将軍であるが、立っているだけで意味がある。旗印とはそういうものだ。

 馬には乗らない。大きな馬車で作りは一つの執務室になっている。馬上にいられる程暇では無いのだ。権限は出来るだけ残った者達に委譲してきたが、節度使への”お伺い状”は出発初日でも絶えない。

 とにかく進む。


■■■


 四師団の中核は精鋭揃い、長年を共にした者達だ。ビジャン藩鎮で集めた者も多いが、一部がそのように気心を知り合っていれば他者にも少なからず伝播するものだ。数も限っているので歩みは順調である。敵の斥候らしき者は確認されているが、まだ武力衝突には至っていない。

 ハイロウ軍からの定期報告。順調に道路を拡張、基地を建設して補給業務を行っているが、やはり人が多くて渋滞してしまっているらしい。先頭部隊にしなくて良かった。

 宇宙太平団からの定期報告。宇宙大救世主を称える言葉を省いて省いて、武力衝突は今のところ小さな盗賊団を壊滅させて、現地住民を抱きこんだ程度。そして、本隊到着前にエンサル峠を選りすぐった者の先行部隊が確保したそうだ。どこかの勢力の警備部隊がいたそうだが、少数で弱小だったらしい。

 それから、先行してジャーヴァル北東部を探っていた潜入工作員からの現地報告資料の束である。鎮守将軍と見て、どう活かすか考える。

 マシシャー軍からの定期報告。異常無し、という言葉に、詳細な現在地と発行日付のみである。

 ビジャン藩鎮の領域の外へ出ても節度使への”お伺い状”が万と……は言いすぎだが、千を優に超す。手紙袋を抱えた職員を脇に、どこまで進んだかどうかの景色を確認する暇無く進む。官僚が自立出来るまでに人を揃えて教育出来ていなかった弊害が出ている。政治的な監視員も欲しいものだが、作る暇が無かった。

 前へ進むほどに後ろ髪引かれる思いだ。


■■■


 遂に四師団が敵と衝突した、と言っても相手は偵察部隊で、数発矢弾を放った程度で終わった。しかしこちらは二名の騎手を失った。獲るために命がいるのだ。感傷に浸る暇は無い。既に接触して降伏させている村々は、混血多文化ながらもハイロウ風から変わり、はっきりとしたジャーヴァル風である。つまりは敵地内。

 ハイロウ軍からの定期報告。順調に道路を拡張、基地を建設して補給業務を行っている。四師団が通った後から進んでいるのだから何事も無かろう。

 宇宙太平団からの定期報告。潜入工作員が、先遣要員も含めてジャーヴァル北東部全域に潜伏したそうだ。恐ろしい味方である。それと、ジャーヴァル北東部全域の地図が送られてきた。以前に貰った物より大きく、書き込みも詳細である。鎮守将軍と見て、どう活かすか考える。

 マシシャー軍からの定期報告。幾度か遊牧民と接触し、その内のいくつかを取り込んだそうだ。それと戦闘を避けるため、アッジャール残党の中でも十万を超える兵力を持っている部族に貢納品を官費で出したと、明細が添付されていた。彼女に任せて良かった。

 ビジャン藩鎮に残した官僚から送られてくる報告書を読んでいたら、矛盾点が大量に出てきた。普段でも、人間失敗はするもので大なり小なり致し方ないが、今回は酷い。前々から悪化していたが、これは酷い。報告書の修正箇所へ赤墨をつけてから質問書を書いて添える。他にも必要に思えた指示書も書く。書いている内に紙の束が分厚く重くなり、速達したいが奉文号に運ばせられる量ではなくなったので公安号に運ばせる。馬より早いので役に立ってくれる。

 遠隔地から政務とは辛いものだ。


■■■


 ジャーヴァル北東部のアッジャール残党への攻撃を開始する日が来た。

 初めの目標はコバシットという要塞都市だ、規模も中々である。我が軍、四師団はその東側に布陣する。

 事前に民衆暴動を宇宙太平団が起こしており、コバシット周辺の敵軍は散ってしまっている。手際の良い事だ。

 合わせてマシシャー軍が北回り街道を突破し、北部から進んでコバシットの西側に布陣して挟み撃ちの状態にする。また西から現れた後詰の敵軍を牽制する。

 四師団が正面に配置して攻城戦の用意にかかる。まだ砲撃は行わない。

 コバシットの太守に降伏勧告の使者を送る。拒否されるが、応対は丁寧だったそうだ。理性はまだあるか。

 ハイロウ軍の先行部隊が続々と到着。包囲陣に加え、徐々に軍を大きく見せる。

 太平軍が現地人と混ざって派手に、天政の象徴でもある光明八星天龍大旗を簡略化した白黄一色の光明旗を掲げて城壁の外、そして城壁の中でも喚声を上げる。青黄赤の三色旗も混じっているが、あれは宇宙太平団の旗だ。

 戦をする覚悟と死ぬ覚悟をし、そしてそれを見せるが、同時に避けるものと訴える。

 降伏勧告の使者を再度送る。コバシットの城門はほぼ無血で開かれた。宇宙太平団の工作では多少の血は流れただろう。完全無血では無い。


■■■


 似たような手口でジャーヴァル北東部の都市、城塞を攻略していく。

 無血で、降伏後も丁重に扱われるということで戦争に疲れた彼等を、戦火を交えずに下していく事が出来た。

 宇宙太平団の現地人を巻き込んだ暴動、光明旗の掲揚に、大軍の威容を見せ付けること、マシシャー軍の高速包囲機動による心理的衝撃によっての降伏勧告。そして負けても安心が出来るという噂。硬軟合わせ、戦わずにして勝利していく。

 アッジャール残党の攻略は意外な程に順調、単調と言っても良かった。

 西はジャーヴァル帝国軍、南は新興勢力のパシャンダ帝国と相対しているために、北東からの我々の侵攻に対応出来ないのだ。更にアッジャール残党同士でも疑心暗鬼、敵対している。彼等の北を塞いでいる別のアッジャール残党もいて、まるで処刑台に置かれたも同然であった。

 そんな中アッジャール残党から、崩壊前のアッジャール朝でも勇将として名を上げていたゲチクが軍を率いて降伏を申し出てきた。

 下ってきた現地勢力を大きくまとめて任せるのに適当な人材が今までいなかった。大体が小人物ばかりで、凡そが敵対関係。その中では彼は大人物で、そこそこに凡そと敵対関係。

 ゲチクに任せる軍は規模が大きいので新参でも高格にせねばならない。藩鎮軍、鎮守将軍よりは無論、格下にする。

 ならば師団を率いる将補か? それにしても下ってきたアッジャール残党の数は多い。ゲチクは軍を率いる将軍にする。

 軍名を考えるのには時間がかかった。安易にゲチクの名や氏族名、アッジャールの名を使ったら私兵、独立勢力を作る口実を与えてしまう。名前には方を操る力があるのだ。そこでジャーヴァル軍とした。この名前ならば現地人も抵抗無かろう。

 このようにして、硬軟合わせた方法でジャーヴァル北東部をほぼ平定する。

 ジャーヴァル軍の編成も整い、農民兵等は帰農させ、七万の兵を数える。これで総数、三十二万の大軍勢。拠点や道路、境界線警備に人員は割かれるが、圧倒的だ。宇宙太平団の把握困難な民兵も合わせれば、今や四十万に届くのではないか?

 我々の動きを警戒して、ジャーヴァル帝国軍もパシャンダ帝国軍も境界線付近から進出していない。

 難民からは故郷に戻る人もいれば、新たに加わる難民も多数。未だに食糧不足なのは変わらない。ジャーヴァル北部一帯はアッジャールの侵略で荒廃し、食糧生産量が少ないのだ。しかし南部は多いと聞く。ならば南部へ侵攻するべきであろう。

 西を守り、北を守り、南へ侵攻する。また計画を立てる、初期段階を終えて第二段階だ。入植と農地の復興計画も実行せねばならない。

 人民救済である。節度使が救済できるのは己が人民のみで、他領までは権限の範囲外である。範囲外の人民はそこの為政者が粉骨砕身して助けるべきである。

 我々は乞食の津波となりそうだ。まだ自給出来ている内は統制が利くが、これが無くなったらならば致し方ない。最悪、放流する計画はある。

 我々は食糧供給をビジャン藩鎮から、現地に徐々に切り替えている。おかげでビジャン藩鎮では食糧問題が、配給計画段階だが改善しつつあるという。

 この戦争は無意味ではない。わずかばかりでも無意味ではない。

 無意味としないため、裏表から攻めねばなるまい。

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