第64話「遠過ぎる前線」 ファルケフェン
ザシンダル東部方面軍はラザム、ナックデクの両藩王国の治安維持と北東部の対アッジャール残党作戦についている。ザシンダル本軍はジャーヴァル帝国本土進攻に向けての人員増強に伴う再編成と再訓練の最中。そしてザシンダル西部方面軍はいよいよ、分散した軍を一つにまとめてメルカプール軍を撃破しにいくそうだ。
海沿いにあるニスパルシャー藩王国はメルカプール軍によって陥落寸前という話である。ラザム軍にナックデク軍よりは強敵なのだろう。タタラル藩王国に派遣されていた会社軍も攻撃に参加するという。そしてタタラル周辺では、メルカプール軍出現の隙を突いてアギンダ軍が、友軍であるにもかかわらず略奪を働いていると聞く。
どうなっているんだこれは? 何の冗談だ? そんな状況でまだ警護任務をしなければならないのか!
更に今回はよりにもよって、そのアギンダ軍の者も参加するというグナサルーンの王宮での晩餐会にネフティ女史が参加するというから堪らない。
今回の晩餐会は少々規模が大きいようで、会社からもナギダハラからも身分高い方々が多く参加される。併せて護衛も大規模になり、タタラル藩王国へ出兵しているというのに会社軍からも人員が休日を削ぎ落として捻出され、有志の退職者の応援を仰ぐという事態だ。人的に余裕が無いというのに……腹立たしい。
ネフティ女史の馬術は、簡単に進んだり止まったりする程度なら危なげなくなった。戦闘機動とは言わないが、暴漢から逃げる程度の早駆けには慣れて欲しいが、まだ早めに走らせると怯えてしまって馬が気持ち悪がる。どうも高い所が少々苦手なようで、それで走る馬の揺れが加わるとかなり緊張してしまうらしい。
今日は馬車が多く出ているので、懇意にしている人の馬車へネフティ女史は同乗している。彼女の馬は今自分が引いている。出番は無さそうだ。
■■■
グナサルーンの王宮での晩餐会が始まる。
王にタスーブ王子も多忙で出席していない。王の第一夫人主催という名目らしい。
これでもかと言うほどの豪勢で巨大に飾り付けられた料理を囲み、寝ながら酒を浴びるほど飲みつつその料理を食べるのがパシャンダの晩餐会だ。全く動かずにお付きの奴隷に食べさせて貰っている人すらいる。どちらが家畜だか見分けがつかない。ロシエのものとは趣きが大分違う。会場をうろつき回ったり、酒の入った杯を片手に立ち話をする姿はロシエでも見かけるが。
会場の外で待っていたかったが、あくまでも自分はネフティ女史の警護担当。彼女が目に留まる位置にいなくてはならない。
嫌悪感が混じると料理の臭いで吐き気がしてくるので辛い。
壁に張り付くように、なるべく周囲と関わらないようにしているが、ネフティ女史は仕事柄か多くの出席者に挨拶をして回るのでこちらも追わなくてはならない。
この晩餐会――たぶんネフティ女史の語訳がおかしい――の会場は広く、飾りと思われる柱が多かったり、大きな彫像があって、吹き抜けに三階建てで構造も多少複雑。見世物や楽団や踊り子に珍獣用に場所取りがされているので一角が迷路のようになっていることもある。戦場などよりも遥かに踏み出す一歩が重くて疲れる。
顔見知りになった後宮の女官達が仕事の合間を縫って、気を使って水を持って来てくれるのがありがたい。時には次にどこへネフティ女史が動くかすら教えてくれる。初めの印象が風呂場での裸の姿なものだから自然と娼婦と変わらぬものと見下してしまっていたが、彼女達は良く気が利き良く働く人達だ。認識を改めた。
少しだけ理解し始めたパシャンダの言葉が耳に入ってくるが、そこで当然だが、しかしロシエの人間としては事前に知っていたとはいえ、やはり信じ難い言葉を拾ってしまった。アギンダ軍統領の息子がこの会場にいる旨の言葉だ。
少し辺りをつけて見回せば、裸に宝石で固めたようなふざけた格好の、茶毛の狐頭の獣人がその人物であるようだ。寝そべって、お付きの奴隷に食べさせてもらっている。
その婚約者か妻か愛人か恋人か良く分からないが、そのような関係にあるという白毛の狐頭のご婦人も参加しているらしいと耳が拾う。そのご婦人は、言葉の理解が間違っていなければザシンダルより北のガダンラシュ高原にいる地方貴族の令嬢だという。
ガダンラシュ高原には狐頭の獣人が主に住み着いていることは会社で勉強した。今戦闘中のメルカプールもたしか狐頭が主体だったか。北大陸西部では獣人が統治者になるなど考えられもしないことだ。思わず偏見の目を向けてしまいそうになるので出来るだけ柱でも見ておこう。
動き回っては話をしてお付き合いを繰り返すネフティ女史の凄さに感心していると、何を思ったかアギンダ軍統領の息子が近寄って来て話しかけてくる。
パシャンダの言葉はある程度似通っているが地方や信仰、生活様式によって一様ではない。このアギンダ獣人の言葉はパシャンダのものなのかも分からないほど聞き取れない。酒に酔って呂律が回っているとも考えられる。
何か、ナメた口調で喋っていることだけは分かるが、全く返事も反応もしようがない。立場さえなければその毛だらけの顔面を血だらけになるまで殴ってやるというのに。
理解出来ない言語に返事も出来ず、勝手に不機嫌になってきている馬鹿息子をどうしてやればいいのかと思考が停止し始める。
救いの手、急いでやってきたネフティ女史が通訳についてくれる。警護役が警護対象に面倒を見られるなど、馬鹿な事だ。まるで名誉ではない。
どうやら馬鹿息子がふざけたことを言っていたのは間違いないようで、ネフティ女史が苦労して意訳してくれる。
「武勇に秀でているという噂ですが、本当か? と仰っています」
「初陣より誰よりも多くの首級を挙げて来たと自負しております」
お前ただの木偶の坊じゃないだろうなとでも言ったのだろう。
「好きな食べ物は何か? と仰っています」
「豚の腸詰です」
何を食ったらそんな図体になるのかとでも言ったのだろう。
「このような晩餐会は初めてか? と仰っています」
「ロシエで行われるものとは趣きが大分違っています」
田舎者がこんな豪勢な宴に参加したこともないだろうとでも言ったのだろう。
というような問答の繰り返し。同じ質問も混じる。
盗賊の親玉の七光りを浴びているだけの糞ガキめ! とは顔に出してはいけない。
余りにしつこいため、ネフティ女史がくだらない質疑応答を止めて馬鹿息子へ長めに話し始める。話しながらさり気なく目線を飛ばし、その先にいたのはあの白毛の狐頭。その獣人がやってきて、穏やかに何やら喋って馬鹿息子を連れて去る。
「助かりました。私ではどうにもなりませんでした」
「いえ」
そしてネフティ女史が女官を一人呼ぶ。
「ガンドラコ様、申し訳ありません。先にお部屋で休んでいて下さい。あの方は、あのような方でして、また先程のようなことになるかもしれません。今日はもうよろしいですから、どうぞ」
職務の放棄こそ名誉ではないが、あの馬鹿息子の調子では口だけでは済まない喧嘩を売ってくる可能性はある。そして立場上手は出せない。我慢出来るかも不明。人を噛む犬の口に手を出して噛まれるのは、人間が悪いだろう。
「分かりました。先に失礼させて頂きます」
「すみません。お休みなさい」
「はい、お疲れ様です」
女官に連れられて会場を後にする。
既に後宮には自分用の部屋すら用意が出来ている始末。こんなことをするためにこんな異郷まで来たんじゃない。
デュクトル提督、シェフューロン号の将兵、あの老水夫、艦隊の犠牲の結果がこれか!?
女官が部屋に持ってきてくれた夕食を食べる。酒を持ってきてくれたが、断った。今酔ったら自制が利くか怪しい。八つ当たりをするものすらここには無い。
早々に床につく……しかし寝られたものではない。
部屋の外に出る。会場での騒ぐ音がここまで、薄っすらだが聞こえてくる。
警備の宦官兵が松明を持って巡回している。彼等とも顔見知りになり、こちらを見ても警戒はしない。
中庭に出て、その辺をうろついている虎のタタルを手招きして呼んで遊ぶ。こいつとも仲良くなってしまった。
■■■
武人には分からぬ晩餐会が終わって一夜明け、それから三日続き、何もしていないが大いに疲れて、それ以上に疲れたであろうネフティ女史は休みもせず、彼女を警護してナギダハラへ戻る。
行きに比べ、帰りが大所帯になってしまっている。手土産を積んだ馬車に牛車が列を成す。ロシエ一の見栄っ張りが仮に王になったとしても、その王が持たせる手土産はこれの十分の一に満たないだろう。
会社に戻り、戦況の続報を知る為に購買部で新聞を買う。ザシンダル西部方面軍はメルカプール軍を追撃中だという記事が今のところ最新。
その続報が待ちきれない。叶うのならば走って現地へ行きたい
ネフティ女史はあの晩餐会の続きのように女性だけの会合に招かれたそうで、一旦別れる。明後日の早朝にまた社門で出発準備を整えて合流する約束だ。
自室の郵便受けを覗いて届いた手紙を見る。当たり前だが、兄からの返事はまだ来ていない。
寝台に寝転がって手紙を見る。
レギャノン大尉からの、先ほど買った新聞よりは日付が前の近況報告では、タタラルではアギンダ軍が我が物顔で農村を略奪しているが、手を出せないとのこと。またメルカプール軍には魔神代理領から派遣された将校団がいて、以前とは違う戦い方をしてくるかもしれず、西部戦線での連戦連勝も続くか正直分からないとのこと。それと、タタラルの近くで摘んだという花で作った押し花が一つ。家族には別に手紙を送っているだろうから、この押し花は間違いなく自分宛てということになる。中々可憐な趣味の人である。
ロシエの退役軍人会からの広報。遥か海の向こう側から発信されたものなのであらゆる情報が時代遅れな感がある。見たことも聞いたことも無い無数の組織が広告を出して人員を募っているのが少々気に掛かった。国内情勢の不安定化の兆しかと勘繰ってしまう。
■■■
翌日、レギャノン大尉の奥さんに招かれたので家を訪ねる。ネフティ女史と一緒だ。
奥さんが迎えてくれて、ジレットが泣きそうな顔で寄って来たので抱き上げる。お父さんがいないと、朝からぐずっていたらしい。
席に着く。隣は奥さん……本来なら肩を並べるのはレギャノン大尉であって……いやいや、何を失礼なことを考えている。
四人では食べ切れない程の料理を出してくれた。家庭料理とは思えないほどの香辛料の使い振り、と感動はしなくなったが、文句をつけられる所は何も無い。あの晩餐会とやらで出された物より格段に腹が減る。
「では皆さん、杯を手に」
奥さんの声に合わせて酒が注がれた杯を持つ。ジレットは水へ塩と果汁と香料を足した、ナギダハラ伝統の飲み物だ。
「夫の無事を願って乾杯!」
「大尉の武運長久を願って!」
「次は五人揃って!」
「えー、あー、お父さん!」
笑いながら杯を一息に空ける。奥さんが注いでくれる。
ジレットが「私も!」と、頑張った感じで飲み干して「お酒のほうがいい!」とねだる。「ちょっとだけよ」と奥さんが酒をわずかに注いで、飲んだジレットは咽てしまう。
「おいしくない」
これには皆笑ってしまう。
あの髭マントは、生きて帰ってこようが死体になってこようが絶対ぶん殴ってやる。今ここはとても素敵な空間だが、バルマン騎士の居場所では絶対に無い。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます