第63話「時間の絞首」 ツェンリー

 宇宙開闢史にて、天政の絶頂期を築いた豊都上帝が出した訓戒がある。


 欠食邪心 欠衣無礼 欠家絶縁 欠金非人


 豊かな時代だったからこそ広められた戒めであり、危機にあるハイロウこそが忘れてはいけない戒めであった。

 西方路封鎖により、途端に落ちぶれた者がハイロウに続出した。蓄えがある者ならやり直す機会もあろうが、そうではない者は路頭に迷った。西方貿易に従事していた貧しい労働者はその筆頭であり、裕福でも投資に失敗した者もいる。そしてその弱みに付け込んで私腹を肥やした者の、その被害者である。

 義憤するだけならば何も要らない。救済するのならば何もかもが要る。我が身以外の全てを失った欠けたる者達に埋め合わせをするにはあらゆる物が足りていない。

 人心乱れて一家離散、獣のような所業に手を染める者の多いこと。ダガンドゥ市守備隊長に直接話を聞き、警備記録も見せられるところだけ見せてもらって知った。夜の街通りも案内して貰ったが、守備隊が姿を現している場所ですらその光景が見られたほどだ。

 死罪に処される者も多く、見学した斬首刑では首切り役人が過労でふらつき、斬首刀を振り上げる前に要員を交代させた程。そして墓地では、首の離れた罪人以上に餓死者や痩せこけた病死者が多く運び込まれていた。その罪人も大抵は痩せこけている。ただその辺を歩いているだけでは分からないものが見れた。

 何度か飲み込んだ嘔吐物に喉が焼けて気持ち悪い。気取られてはいないと思うが。

 中央に申請した支援物資の到着はいつになるだろうか? ビジャン藩鎮近郊から物資を供出し、その供出した場所へ中央から補填する手段を取れば素早く事が済むのだが、そうこちら側に都合良く事が運ぶだろうか? 何にせよどの地方にだって事情はあるのだ。こちら側から見たらおそろしく、血が出る程に歯痒い事情であろうとも、あるのだ。そしてそれを覆す権限は節度使に無い。あるのは中央の官僚であり、丞相閣下である。西方事情に関してなるべく誠実に文章へ表現した心算だが、どうなるのか不安で仕方が無い。

 ただ一つ分かっている事は、その件に関しては待つことしか出来ない、この一点である。中央と離れ過ぎている辺境を治める節度使だからこそ大きな独自裁量権限が与えられているというのに、中央の反応が無ければ満足に行動も取れぬとは酷い有様である。我が無能を呪いたい。

 しかし呪っていても何もならないのは明白。待っている間にも片付けられる難問は山積しているのだ。休んでいる暇など有りはしない。


■■■


 ダガンドゥ市長に訳を話し、あの美しい鳥が役に立つかどうかを試験することになった。

 ショウの方が差し障りはないが、能力判定の信頼性に欠ける。それに逃げていなければ潜伏中である。目立たせるのは得策ではない。

 既に公安号を使っての伝令試験は成功している。首に下げた伝令筒を単純に行政庁舎と市庁舎を行き来して交換する程度は勿論、相手が分かれば人物を指名しても問題は無い。それを鳥が可能かどうか?

 鳥の右足に市長宛ての、試験中であることを告げる紙をくくりつけ、ダガンドゥ市長に届けるように言って外に放したのがつい先ほど。

 鳥の飛ぶ速度ならば相当に早い返事が貰えるはずだが……もう来たか。

 鳥の左足に紙がくくりつけられている。外して広げて読む。

 ”お日柄も良く、ご機嫌如何か?”これはこちらが書いた文章。

 ”御機嫌よう。今日も平穏無事に過ごせますように。私の下へ直接訪れたのには驚きました。二度も驚かされました”これは市長の返事。成功だ。個人の特定も可能である事が証明された。

 そして次に、鳥なら出来るかどうか気になっているところ。

「私の”伝言”の返事を聞かせて下さい」

「パンガカタクテトシヨリニハコタエマス……コレデイイカナ」

 伝言の内容は、「朝食はいかがでしたか?」だ。完璧だ。

「素晴らしいです。もしやと思って試させて頂きましたが、予想以上の能力です。あなたに名を与えます。名は奉文号、伝令、伝言などの重要機密を扱う仕事に従事して貰います。伏して拝命なさい」

 奉文号が床に降り立ち、羽を畳んで座って頭を下げる。

「よろしいです。立ちなさい」

 奉文号は立って、瞬きを大きく二回してから「キェン!」と鳴く。

 何の天命かは凡人のこの身では預かり知らぬが、与えられた者達は十二分に使役させて貰う。


■■■


 あの任侠者から直接手紙が届いた。マシシャー朝の情報が欲しいと言ってあったが、望みの情報が記載されていた。

 垂簾の向こう側にいるマシシャーを直接見ることは出来なかったが、陰の形に息遣い、体の擦れる音、重量感、何より声量と声質は確実に大型動物であったそうだ。

 アッジャール朝の大分裂により放牧地を追われた遊牧民が多数流入中。またヘラコム山脈の水源、畑目当てに流民が動いているが選別も行われている。選別条件は厳しいようで、老人や弱った者、言葉の通じぬ者は追い払われるか殺されるかしているそうだ。

 遊牧民を上位にする階級社会が構築されており、働けぬ者は切り捨てる遊牧民思考を持っているが人口は着実に増加中。足りぬ物資は勿論、騎馬蛮族の例に漏れず略奪で補っている。

 信用はしていなかったが、報酬も約束も無しに働いてくれたのは確かである。マシシャー本人の正体を探るとは命掛けであったろう

 まだ節度使と認められていない状況でこの働き……無料より怖いものは無いということか?

 しかし誠実な恩返し以上はする心算は無く、ビジャン藩鎮の不利益となるようであればどのような手段も取る。弱きを助ける真の任侠者かはまだ判断がつかない。

 謝意を示す手紙に礼金を同封して送る。そして更なる調査の依頼願いも。好かぬ輩だがハイロウを熟知しているのは彼等だ。

 幸い資金だけならある。本来ならばあるはずのビジャン藩鎮の資金が丸ごと無いが、祖父と父の残した遺産がある。無駄無く使い尽くさせて頂きます。元よりそれは人民から徴集した税であり、還元するに惜しむ理由は無い。


■■■


 ビジャン藩鎮行政庁舎とはいえ元はダガンドゥ市長が個人的に持つ別荘、実用性よりはそれなりに趣味が生きている場所である。玄関先には盆栽が並んでいるのだが、使用人はいないので世話をする者がいない。聞き齧った知識と時々訪れる市長の助言で手入れをしているのだが、何とも、手つきが危うい気ばかりする。市長はこういうことをするのも大切だと言うが……判断出来るだけの経験が無い。先人の教えを無碍にすることはない。

「節度使様! 長らくご無沙汰しておりました。ショウ・フンエ、ご報告に上がりました!」

 無駄に大きな声へ振り返れば、跪いているショウだ。一月見ない間に顔付きが男らしくなった気がするが、外面はまあいい。内容だ。

「ご苦労様です。報告して下さい」

「はい! 宇宙太平団の基本的な活動は噂と違いはありません。信者や支援者の皆で少ないながらお金や食料を出し合い、公平に分配して貧しい者達を救う為に活動しております。皆の雰囲気は明るく、笑っている顔を良く見ます。町の人とは違います。中でも最大の支援団体はシテンタン市で、議会も完全に信者で占められているようです。そうなったことを八日前にお祝いしていました。他の市にはまだ布教が足りないそうなので、市ではまずシテンタン市のみです。宇宙太平団の本部は都市のように発展してきているそうです。水源があって作物は無事に実っていて、建設事業や土地の開墾で人手が足りないほどで、流民や職を失った者がたくさん集まってきているそうです。ジャーヴァル人も多く集まっているそうです。それから教主が唱える”宇宙大救世主”なる者の詳細は不明です。とにかく、現れたならば宇宙を太平に導くという話ですが、それ以上の話は一般信者には伝わっておりません。その本部には塔があって建設中で、宇宙大救世主を迎える為の玉座であるらしいです」

 宇宙太平団の人民を救うという心意気は素晴らしいのであろうが、天政とは相容れぬであろう。天子様を宇宙大救世主なる正体不明のものと認識すれば摩擦も少ないであろうが、新興宗教団体がそのような発想に至るとは考え難い。至っても要注意である、何をするのか分かったものではない。教主の言葉一つでその善良な信者達が叛旗を翻す。

 シテンタン市は既に乗っ取られている。一都市が落ちれば二都市目も圏内である。もう既にハイロウ二十六都市は危機的状況にあると見るべきだ。

「ショウさん」

「はい!」

「可能ならば次は教主や組織の最終的な、そして段階的な目標の情報を中心にお願いします。成功よりも失敗しないことを考えて行動して下さい。また直接の報告は約一月後を目安にお願いします。目安ですので、進捗状況によっては早くても遅くても結構です」

「はい」

「紹介します」

 左肘を軽く上げて腕を少し前に出す。奉文号が飛んできて左前腕に止まる。

「彼の名前は奉文号、連絡要員です。会話までは不可能ですが、声を真似ての伝言は可能です。伝書鳩のように手紙を託すことも勿論可能です。必要があれば適宜指示しますので、奉文号の姿を覚えておいて下さい」

「はい」

 左腕を少し動かす。奉文号は羽ばたいて空へ飛んで行く。

 懐から給料包みを取り出して手渡す。中身は天政下では金銀と交換が認められている兌換紙幣にしておいた。本来ならば給料は交換が認められていない不換紙幣で行うのだが、ハイロウでは天政の不換紙幣は好まれず、所によっては扱いを拒否されて使い勝手が悪いだろう。この程度は裁量内。

「給料です。上級官僚補佐と同額なので、ショウさんの身形で今のハイロウで使おうとすれば非常に目立ちますので気をつけて下さい」

 言わずとも野盗をしていたような身分なので、大金を持てば命も取られかねないということは分かっているだろう。余計な言葉だったか。

「はい」

「では行ってよろしい」

「はい節度使様。失礼します」

 ショウは行政庁舎を発つ。途中からいやに元気を失っていったが、わけが分からない。

「えー!? 何この額っ? えー!?」

 と思いきや叫び出す始末。近所迷惑である。

 軍や物資の到着はまだしばらくかかるだろう。早くて一季節、遅くて一年、最悪は何の支援も無いどころか貢税や賦役の要求が出されることだ。

 時間が首を絞めてくる。こうしている間にも宇宙太平団は勢力を伸ばし、マシシャー朝は拡大し、人民は飢えて再び働き出す力も萎んでいき、灌漑が乾いた土に埋もれ、畑に地力を取り戻す時間がまた先へ延びていく。

 比べたら盆栽の手入れ如きは児戯である。横に十二鉢、三段列の三十六鉢への水やり、飾り砂の調整、飾り石の掃除、苔の選別、枝葉に花の剪定が完了。角度を変えて見ても美しい……と思うが専門家が見たらどうだろう? 他人に見せるものでもないか? いや、これは行政庁舎に飾られている。次に市長が訊ねて来たら聞いてみる。

 公安号がやってきて、隣に座る。座っても、立っているこちらより背丈がある。

「全て手を入れた通りになれば何程の事はありません」

 公安号は後ろ脚で耳の裏を掻く。毛が飛び散る。

 今は瞬き一つする時間も惜しい。盆栽のように政治で相談できる誰かはいないか? いれば時間が節約できるのに。

「生きて動くものを御すのは八上帝ですら困難でした」

 官帽と官服にかかった毛を払う。盆栽にかかった毛も払い、公安号の頭に手刀を振り下ろす。

「キュウン」

「キュウンじゃありません」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る