第57話「ダガンドゥ赴任」 ツェンリー

 宇宙開闢史にて、太平上帝は中原を太平に導く道程でこう結論を出した。


 粗衣小人 忠節遠心 錦衣大人 忠節求心


 ハイロウ人の半遊牧民が経営している牧場で毛並み良好な白馬を買って騎乗する。他の馬より割高だが、見た目は重要である。騾馬では格好がつかぬものだ。

 馬が騾馬のように頑丈であれば最初から連れて来たのだが、途中で旅の邪魔になる可能性を考慮して連れて来なかった。

 上の者が率先して粗衣粗食に質実剛健を実行するというのは聞こえはいいが、現実的ではない。ボロを纏って見た目に威容も感じられぬ者の求心力は、そうではない者より低い。そうなるより他が無いというのであれば致し方ないであろうが、繕う余裕があるならばすべきである。勿論、下品なほどに華美でもいけない。

 旅でくたびれた官服を補修し、体も少なくない金を出して水を買って洗い、髪も結い直す。ショウにももう少しまともな服を買って着させた。生意気に剣まで強請ったが、持たせても扱えなさそうな上に滑稽そうなのでやめさせた。男子は何故兵士に憧れるのか? 徴兵されれば嫌がるくせに。

 ハイロウ随一の都市、ダガンドゥを目指して進む。ダガンドゥにはビジャン藩鎮の行政府が置かれるからだ。

 ショウは休憩したいとは言わなくなったが、途中の都市に寄って物資を補給しようなどと小癪な意見を出してくる。そう言い始めると足が鈍るので、犬がショウの襟首を咥えて引きずる。寄り道する余裕など無い。

「こらワン公! やめろって!」

 しかし最近思うに、ただ犬などと呼ぶには惜しい犬だ。言葉を話せないだけで人間と賢さは対等ではないかと思い、食事休憩の折りに命名した。

「あなたの名前はこれから公安号です。言葉が話せなくとも警備活動には供与できるでしょう。伏して拝命なさい」

 ゆっくりと公安号が伏せて「ヴォン!」と太鼓のように響く吠え声を出す。

「よろしいです。立ちなさい」

 ゆっくりと公安号が立つ。しっぽをゆっくり振っている。

「あなたは普通の犬より遥かに賢いようですね。目下のところは私の身辺警護をお願いしますが、武力行使は必要最低限に抑えてください。あなたの力では相当に加減しなければ容易に人を殺してしまうでしょう。無用な殺生は避けるよう心がけなさい」

「節度使様、こんな犬ワン公でいいんですよ」

 杖でショウの頭を叩く。

「イタっ!」

「無礼ですよ、品性にも欠けます。仲間を貶して何をしたいのですか? 言ってみなさい」

「言ってみなさいって……いえ、あの、その……」

「言えないことなら言うんじゃありません。反省しなさい」

「はい、申し訳ありません」

 心ここにあらずという風に見受けられる。疲労か慣れか、少なくとも贖罪を行っているという自覚が薄れてきている。

「いい加減に返事するんじゃありません」

 ショウが反射的に土下座する。

「はい! 申し訳ありません!」

「謝る相手が違います。公安号に謝罪しなさい。彼は理解しています」

 ショウが公安号に土下座する。

「公安号、俺が悪かった!」

「ヴォン!」

「よろしいでしょう」

 少し道を外れ、荒れて赤茶けてしまっている畑を見て回る。先は急ぐが、これも重要。

 地下用水路の点検孔の前で、やるせなさそうに鍬で地面に渦巻きを描いている老人に聞けば、北部のヘラコム山脈の水源が断たれて以来、別水源から何倍も高い水を供給されていたけれども、そこからの今年分の給水権が買えなくてもう死ぬしかないと言っていた。事前に調べたとおりの惨状だ。やはり文章と実物では印象が違う。

 ハイロウ都市間の連絡調整会議が停止されてしばらく経ち、会議に参加したことがない新興勢力が二つある。一つはマシシャー朝という名前から推測するに魔神代理領方面から出てきたと思われる謎の多い王を頂く自称国家。ヘラコム山脈を拠点に弱小馬賊を力でねじ伏せ、水利権の操作で勢力を拡大しているらしいが、秘密主義で情報は少ない。


■■■


 遂にダガンドゥの市門前に到着する。その前に人気の無いところで、

「公安号は外で待機しているように。現状では無用な騒ぎになりますので、目立つ行為は避けるように、いいですね?」

 公安号は「ワフっ」と小さく口から空気を漏らし、道の外れへ身軽に姿を隠す。賢い犬のように主の表情を読んで言葉の加減を大まかに理解するのではなく、公安号は言葉を細かく理解しているのだ。幽地の際にいる妖獣なのだろう。

 改めて市門を通る。市門は商人か不審者でも無い限りは門衛には呼び止められない様子。関税の徴収が主な役割なようだ。

 この東門は人通りが多くて活気がある。荷車も荷物も多い。

「ショウさん、以前と比べて人通りはどうですか?」

「はい。違いが……無いと思います、たぶん」

「はっきりと分からない程度ですね。ありがとうございます」

 中原出身の商人がこちらの姿を見てうやうやしく礼をした。知っている顔ではないが、知っている家紋だ。京に屋敷を構えている。

 門衛は自分を見咎めもせずに通し、やや遅れて入ろうとした鈍足のショウを止める。服装を改めさせたので問題なかろうと思ったが、顔つきが貧相だったか?

「おい、乞食の来るところじゃないぞ」

「乞食じゃない! あの方のお付きだ……です!」

 馬首を返す。鈍々と歩くから面倒事になる。側にいれば問題なかったはずだ。

「その者は私の供です」

 門衛はこちらとショウの顔を見比べる。

「む、分かった。通れ」

 門衛は頷いてショウを通す。ボロを纏っていたのではこう簡単にはならない。

「しっかり歩きなさい。堂々としていれば面倒事は起きないのです」

「はい。申し訳ありません」

 市内をまず周回する。

 北門は盛況、北回り街道を通って中原と騎馬蛮族の商人が多く来ている。

 西門は寂れ、同じハイロウ系の商人が細々と空荷でやってくる程度。

 南門は少々寂れている。ハイロウより遥か南部の山脈を越えたところから商人が少し来ている程度。

 西方からの物流が滞っている証拠だ。ジャーヴァル商人を一切見かけない。中原でも最近は見かけることはほぼ無く、物品が入ってこないのは周知のこと。投資の意味もあろうが、魔神代理領で作られた工芸品に異常な高値がついた話もある。

 アッジャールの蛮族王の暴挙が波及し、人民が苦しんでいる。騎馬蛮族とはまるで災害だ。イナゴに例える者もいるが、そんなものではない。凶悪な人間の集まり以外の何者でもなく、これに勝るものは知らない。

 天災は恐ろしいが、天災の後の人災には敵わない。それを抑えるのが政治で、それが出来ねば天命が尽きたとされる。天命が尽きるかどうかを一官僚が予知など出来ないが、それを抑える一助にはなれる。此度の件は西域での恐ろしい人災であって、異国情緒ある贅沢品以外には万物揃う中原にはかすり傷すら与えていないが、ビジャン藩鎮を任せられた以上は何とかしなければいけない。

 行く先々で痩せた乞食が見られるが、こればかりはいつもより多いか少ないかは不明だ。門衛の喋り方では本来そのような階層の者はほとんどいなかった様子だが。

「ショウさん、町を見て回って前回訪れた時と何が違いますか?」

「はい。えーとですね、もっと人で賑わってて、あんな感じの乞食は見なかった気がします。何年も前であやふやですけども」

「十分です、ありがとうございます」

 その乞食に対しては宇宙太平団を名乗る集団が炊き出しを行っている。無料で病気診療も行っているようだ。人々から支持されないわけがない。これは内乱の種になるが、放置しているのはどういうことだ?

 ハイロウ都市間の連絡調整会議が停止されてしばらく経ち、会議に参加したことがない新興勢力が二つある。マシシャー朝と、そしてこの宇宙太平団という貧民救済を謳う新興宗教団体。上辺の信念は共感できるかもしれないが、為政者との折り合いは悪そうだ。単純に価値観が違う。

 次に市場を見て回る。

 明らかなのは物価の高騰である。事前に調べたとおり、そしてそれ以上である。月日が過ぎる度に上昇しているわけだ。

 西方からの物流が滞り、畑も荒れて生産力が落ち、東方からの輸入に頼りきりになって値段が吊り上げられている。特に食料品が高く、これでは餓死者も出るだろうという値だ。それもゴミが混じっているような粗悪な物ばかりで、ここがハイロウ一の都市ダガンドゥとは思えないぐらいだ。道中に寄った村の方がまだ状態は良好である。農村部が食料の出し渋りをしている一面もありそうだ。まずはわが身第一であるか……これはビジャン藩鎮が上から調整の手を入れねばならない。

 見て回った所感に間違いがないか市場で豆を袋で買い、そのついでにその商人から話を聞いて裏づけを取る。ほぼ間違いは無かった。

 その買った豆を騾馬に食べさせる。

「今までご苦労様でした、その労苦に報います」

 ショウが物欲しそうにしているが?

「豆が欲しいのなら一緒に食べても構いませんよ」

「いえ、結構です」

 ややこしい男だ。

 市内中心部にある市庁舎に到着する。その前に、何故か不機嫌な顔をしているショウの頭を杖で殴って修正する。

 市庁舎の門衛に騎乗したまま、袖から白檀箱に入れた勅命状を取り出し、両手に持って一礼してから広げて見せる。

「我は天政地より、天より降りし、宇宙を開闢し、夷敵を滅ぼし、法を整備し、太平をもたらし、中原を肥やし、文化を咲かし、四方を征服した偉大なる八大上帝より後代、宇宙を司りし天子の名において、丞相ハン・ジュカンよりビジャン藩鎮節度使に任ぜられたサウ・ツェンリーである! その行政府であるダガンドゥ市の市長に用向きである。取り次がれたし」

 制覇上帝は、権威に驕らず権威に恥じず、と言われた。堂々とするべし。

 白檀箱に勅命状をしまい、袖に入れる。

「はい、レン朝からの使者様でございますね? 少々お待ち下さい」

 門衛は中央からの使者と勘違いしているようだ。

 そこらの末端兵士ではないのだからそれくらい理解が出来る者がこの仕事を勤めるべきだ。もしくはそれが出来る官僚を配置するべきだが、まさか財政難で解雇などと言うまい。それとも休憩時間か休日? 代役もいないとは不手際と言わざるを得ない。これがハイロウ随一のダガンドゥ? 妙なことだ……いや、見下すのは早計だ。想定をしていないのだろう。

 しかしレン朝とは不敬な発言。天子様は遡ればレン氏に連なる血統ではあるが、それは祖先が人であった頃の名である。

「門衛! レン朝とは天子様のご威光を貶す発言、そしてまるで他に正当王朝があるかのごとき発言である。無礼なるぞ、訂正しなさい」

「はっ? いえ、失礼しました」

「そして私は使者ではありません。勅命で節度使に任じられた者です。行政府となるダガンドゥの市長に重大案件があってお会いしたいのです。お取次ぎを願います」

 権威に驕らず権威に恥じず。分かりやすく言うのも大事だ。

「えーと、天政地からの……方ですね。サウ様。今お取次ぎ致しますので少々お待ち下さい」

 正しい理解を得ようと努力しても時間の無駄か。門衛の一人が市庁舎内に消える。

「ショウさんは外で待っていてください」

「はい。節度使様」

 騾馬とショウは外で待機させる。

 程なくして市長秘書が門に現れる。門衛に馬と杖を預けてから、市長室まで案内される。

 市長は席には座らず、執務机の前に立って待っていた。

「これは使者様、遥々ダガンドゥまでようこそ」

 作り笑顔の市長は一礼をして迎えてくれた。

 中央からの使いだと勘違いされている。袖から白檀箱に入れた勅命状を取り出し、両手に持って一礼してから広げて見せる。二度もするのは憚られるが。

「我は天政地より、天より降りし、宇宙を開闢し、夷敵を滅ぼし、法を整備し、太平をもたらし、中原を肥やし、文化を咲かし、四方を征服した偉大なる八大上帝より後代、宇宙を司りし天子の名において、丞相ハン・ジュカンよりビジャン藩鎮節度使に任ぜられたサウ・ツェンリーである。その行政府であるダガンドゥ市の市長に用向きである」

 市長が文面を確認したところで白檀箱に勅命状をしまい、袖に入れる。市長の作り笑顔は消えた。

「なるほど……なるほど。行政府ですか、ここが。天政の丞相殿がそう任じられましたか。ビジャンとは初耳ですが、ハイロウも含む名称になるんですね」

「ご理解頂けているようですね」

「征服を甘受する気はありませんよ」

 ご理解頂けているようだ。

「征服とは穏やかな表現ではありませんが、その通りです。ビジャン藩鎮の範囲はハイロウを中心とする周辺地域及び、政務課程で獲得した地域であります。市長殿は市長殿のままであり、私はダガンドゥ市長になりにきたのではありません。むしろハイロウで最も栄えるダガンドゥを治めている人物がハイロウで最も有能と考えております。市長以上の役職をしてもらいたいと考えていまして、ハイロウ都市連合議会の初代議長と考えております。そしてまず、私の権限で市長殿をダガンドゥ市男爵に任命したいと考えております」

「随分と大きな空手形ですね。ご自分で無茶を言っているのはお分かりでしょうか? お供も子供一人、あなたに至っては女の子供ではありませんか。勅命状が本物でなければ追い出していますよ」

 大分抑えているようだが、市長の顔には不満がありありと見て取れる。当たり前だ。

「ごもっとも。しかしハイロウにおいて今も解決していない問題を解決できます。市長殿は策がおありでしょうか?」

 市長の顔が苦々しくなり、執務机の上にある陶器の馬像を弄り始めた。

「強気ですね。お話だけでも聞きたいですが」

「西方貿易途絶により干上がっているハイロウの貿易状態を節度使権限で改善できます。具体的には食料支援。独立ダガンドゥ市長が中央に食料支援を申し出るのは物乞いでありますが、ビジャン藩鎮節度使が申し出るのは業務であります。違いの重大さは説明しなくてもよろしいですね」

「なるほど、魅力的ですね」

「また交易商にあまり値を吊り上げないようにと行政指導も可能です。他都市が今の物価高で苦しんでいるときに、ダガンドゥはいち早くそれを緩和できるのです。不都合がありますか?」

「素晴らしいご提案ではあります」

「ヘラコム山脈のマシシャー朝を打倒することは、飢え死にする前に可能ですか?」

「難しい話題です」

「宇宙太平団から市長が選出される前に、問題を解決できますか?」

「耳の痛いことです」

「今このハイロウの地で、最も大きなダガンドゥ市に出来なければ誰が可能ですか?」

 市長は俯いてしばし沈黙。陶器の馬像で机を軽くコツコツ叩いてから顔を上げて返事。

「ならば実績を見せてもらいたい。そうでなければ、年端もいかぬ女子に従うなど考えられない。あなたのように高貴と呼ばれる出自ではありませんが、言葉一つで膝を曲げるほどに卑屈ではありません」

 思った以上に理性的で助かった。そうでなければダガンドゥの統治など不可能であろう。

「ごもっともです。それでは私が活動することを皆に周知して貰えますか?」

「分かりました。ですが」

 好き勝手はするな、か。

「分別はあります。ご安心を」

 一息吐いてから市長は席につく。

「サウ殿、あなた、酷い左遷をされたと分かっていますか?」

「統制外の書類上のみ存在する藩鎮の節度使に任命されたことぐらい分かっております。随伴する官僚も兵士もおりません、厄介払いは明白。生意気な小娘が、生意気に優秀な成績を修めて他人が面白いと思うわけがないのは当然ですから、それに対する殺人紛いの嫌がらせであることなど簡単に分かります。本来ならば万の軍に、行政府機能をそのまま移植できるほどの官僚組織が必要です。しかしこれは天子様の名で丞相閣下が命じられたことです。それは正しく、間違いが無く、相違があればそれに事実を合わせるだけのことです。凡人にはその御言葉に含まれる深謀遠慮を伺うことは不可能であり、ならば迷う必要は何もありません。すべき事をするのみです」

 市長が白紙を取り、筆に墨をつけて書類の作成に入る。

「信念の強さとそちらの論理は分かりました。現状の打開は望むところですが、まずは実績を。市民のほとんどが認める実績をお願いします。私は君主ではありませんから、それは必要です」

「分かりました。まずは行政記録を見せてください。中原でハイロウについては勉強してきましたが、やはり現地の記録が分からなければ正しい対処が不可能です。必要です」

「分かりました。案内させますが、詳細に記録しておりますので膨大ですよ?」

「それは素晴らしいことです。案内をお願いします」

 市長が机の上の鐘を鳴らすと秘書が入室してきた。

「どうぞ、あの者が資料室にご案内します。食事と部屋の手配を、お供の方にもだ」

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