第55話「パシャンダ上陸」 ファルケフェン

 いやに綺麗な直毛の髪と髭を飾り紐で結っている海賊剣士が突然現れた。服装も貴族地味た小奇麗さで、鼻につかない程度に香水のにおいもした気がする。

 船は帆走中で、どこかの船が接舷しているわけでもない。それなのにポンっと、おそらく海上から、低い柵でも簡単に飛び越えるように船縁を越えてきた。

「よう兄さん、また会ったな。いちいち撥ねた首なんざ覚えちゃいないが、まあ面白いのは大体覚えてるぜ。盛大に面に血ぃかけちまったな」

 この声は提督の首をいきなり撥ねた奴の声だ。

 ここは先に艦隊が撃滅された海域から、勇敢にも救出してくれた同胞の、快速型輸送船の甲板上。目的地のナギダハラが見えたからと船室から出て陸地を眺めていたらこれだ。

 この短期間に二度も襲ってくるとは……これは追撃戦か。

「どうした兄さん? ロシエから来たんだろ、俺のフラル語通じないか? 多少訛っちゃいるだろうが、西でもちゃんと通じてたぜ。それともどっかの田舎言葉しか分からんかな?」

「良く喋る口だ」

「ほう! カッコいい台詞吐くねぇ。演劇みたいだ」

 海賊剣士が風変わりな刀を投げ、異変に気づいた海兵を突き殺す。それに隙ありと見て、こんなこともあろうかと用心に帯びていた剣で斬りかかるが、「ヒュー!」口笛を吹きながらこちら剣の腹を拳で払い、直ぐに切り返したら――糸でも結ってあったか――投げた刀を瞬時に手元に戻し、切り払われる。剣身が金属ではないかのようにスッパリ切り落とされた。しかも手応えはほぼ無し!

「なんと!?」

「名刀モノグイアシバラ、腕が良けりゃ青銅砲ぐらいだったら輪切りだぜ」

「くっ」

 この海賊剣士、相当な腕だ。そして明らかに遊んでいる! しかも侮辱だと叫ぶ気力も沸かないほど上手だ。もう四、五回は殺される機会があった。

「良い切り返しだった、俺じゃなかったら死んでた」

 喋りながら海賊剣士は、そっと背後から索留め具で殴りかかろうとした水兵を、後ろも見ずに刀で突き殺した。

「もちっと良い得物を持っててくれれば嬉しかった。今時代は鉄砲だなんだで良い剣客に会うにゃ時間がかかる。師匠の武勇伝にゃ嫉妬ばかりだったもんだ。得物取ってこいよ、待ってるぜ」

 下品な舌打ちをしそうになったのを堪えつつ、近くの海兵士官が差し出してくれた剣を受け取って構える。負けると分かっている相手でも引けぬ……しかしこちらがこの海賊剣士と対峙しているせいで海兵達が銃を構えているが撃てないでいる……いや撃たせん。これは仇討ちでもある。提督は良くしてくれた、誰にも譲らん。

「名乗ろう。ギーリスの息子ファスラだ。魔神代理領からは小銭貰ってる代わりに傭兵ごっこをやってるケチな海賊だ。ロシエの艦隊さんにゃ良く世話になっている。手下共を二十年食わせて尻から酒が溢れるに十分なだけ稼がせてもらったよ。これから老後分も頼むぜ」

「ロシエ王国はエルズライント辺境伯ヴィスタルム・ガンドラコの弟、元近衛騎兵師団所属ファルケフェン。上陸後にはジャーヴァル=パシャンダ会社の職員になり、賊は全て吊るし首にする」

「兄さん、生き残る気があるんだね?」

「名誉に殉じる」

「ふぅん? それって食えるのかといつも思うけどね」

 ファスラは刀を上下逆の峰打ちの持ち方に変える。殺すに値せん? 侮辱するのか! 自然と鼻と眉間に力が寄ってくる。

「怒るねい兄さん、折角の玩具が直ぐ壊れちゃあれだ、大好物は良く噛んで食べるってあれだ。俺は鮫の心臓の刺身が好きだ……あ?」

 ファスラは何かを鋭く吐き出すと、拳銃を構えた水兵が突然片目を抑えて見当外れのところを射撃。甲板を抉り、あわや味方を誤射するところだ。

「で、自分で銛打ってな……あー、関係ないか。そんな感じだ」

 そして何事もなかったかのように語りを続ける。水兵が目の痛み以上に苦しみ出して倒れた。

「兄さんの心臓ならロバぐらいありそうだな。食ってみたいな。そこの間抜けには毒針刺しておいたから助からんよ。刺さって直ぐに目ん玉抉れば助かっ」

 小手先では決して勝てない相手であろうから小細工無用、真っ向から斬りかかって膂力で圧倒する。こちらの方が体が大きい。最低でも刺し違える。

 何の工夫も無く上段から剣を振り下ろす。ファスラが刀で受け止めて刃の峰に手を添え両手で堪える。

「たのにな!」

 刃がファスラの髪に触れるまで押した。もう少し押せば頭に刃がめり込むから、空いている左手で刀を持つファスラの右手を掴み、下に引き降ろすように力を入れ、頭を押し割る……腹に鋭い痛み。胸の下、腹の上をつま先で蹴られ、次に胸を蹴られ、その反動でファスラは後方に飛び退く。飛び退いたそのファスラのつま先、靴からは刃が出ていて、血に濡れている? そうか、刺されたのか。

「おう立ってる?」

 また真っ向から小細工無しに上段から剣を振り下ろす……動作に入ったらファスラは素早く、こちらに体正面を向けながら後ろに走る。

「心臓刺した心算だったが、届いてなかっ……?」

 海兵士官が「狙え!」と海兵達に号令を掛ける。

「おっほー!」

「撃て!」

 海兵達がファスラ目掛けて一斉射撃を行うが、横っ飛びに避けられる。体勢が崩れたと見て海兵士官が素早く拳銃で射撃するが、それを見越したようにファスラは不安定な姿勢ながら水兵を掴んで盾にし、その水兵の胸を銃弾がえぐった。即座にこちらも切りかかるが、水兵を放しながら綺麗に受身を取って体勢を立て直してしまったファスラに斬撃を受け流される。

「凄い腹筋の厚さだな兄さんよ。馬のケツ並みか?」

 花火が陸地の方から突然上がり、それから砲声が連続して轟き始める。今の自分には関係ないな。

 受け流されないことを意識してファスラへ真っ直ぐに剣を突き出す。ファスラはその突きを受け流すことには失敗したが、受けで発生した力を利用して身軽に避けた。

 陸上砲台が沈黙していて、海賊艦隊が港にその周辺の船を無差別に砲撃していると当直士官が望遠鏡で確認して怒鳴っているようで、やっと甲板上に出てきた船長が船足を止めるように指示を出す。

 ファスラが提督を狙ったように船長の首を取るのではないかと一瞬意識が取られてしまい、その隙にまた剣身をスッパリと切り落とされた。ふざけやがる。

「貴様今殺せただろう!」

「そうかなぁ?」

 海兵士官が「着剣!」そして「前進!」と銃剣攻撃を指示。

 壊された剣をファスラに投げつけ、避けられ、踏み込みつつ脇を絞めて真っ直ぐに拳を突き出し、避けられ、懐に潜り込まれて腕を掴まれ、脇に肩を差し込まれたと思ったら体が浮いた!? 頭から甲板に叩きつけられた。衝撃で何をしていいか分からなくなる。

「おやおや」

 ファスラは軽く笑って、ズボンのポケットに手を突っ込み、銃剣先を突き出して迫る海兵達に砂を投げて目潰し。視界を失った海兵達の足並み、やや揃った隊列の横に回りこんで、次々に首に肩に胴までを鮮やかに両断して海兵達を殺した。踊るように滑らかだった。

 この船はあくまで輸送船。戦闘要員の乗り組み数は少なく、今ので海兵隊は士官を残し……今、短刀をファスラが投擲、海兵士官の額に見事なまでに突き刺さった。海兵隊は皆殺しにされた。

 よろめく身体を何とか起こし、死んだ海兵の銃剣付き小銃を拾う。銃剣格闘の訓練は受けていないが、槍なら使える。

「首折る心算で落としたのに、頑丈だねぇ。お母さんに感謝しとけよぉ」

 減らず口が叩ける余裕……また信号花火。ようやく陸上砲台が射撃を開始し、海賊艦隊が撤退していると当直士官が望遠鏡で確認して怒鳴り、艦長は「陸上砲台が砲撃を停止次第入港せよ」と指示を出し、「入港用意!」と当直士官が怒鳴り、鐘が鳴らされ、水兵達が慌しく動き出す。

「冷静な船だなぁ、攫いたくなるぜ」

 ファスラに向けて走り、銃剣を突き出す。

「あばよ兄さん!」

 ファスラは躊躇無く足で、突き出す小銃の先、銃剣を避けて銃口だけを蹴り、勢いをつけて海へ飛び込んだ。どれほどの武芸の達人なのか想像もつかないほどだ。

「命拾いだったな!」

 声はすれど着水音は無く、船縁から乗り出して見ればファスラは海面を軽快に走っている!? それから海中から現れた白と黒の巨大魚に乗って去った。なんなんだアレは? 何時の間にか物語の世界に迷い込んだのか? 東の世界は一体なんなんだ?

「野郎シャチに乗ってやがるぜ! 馬じゃねぇんだからよ」

 当直士官が言う。シャチ? あの魚の名か?


■■■


 ナギダハラの港には停泊したまま焼けている船があり、慌てて入港しようとしている船あり、逆に出港しようしている船がある。港周辺の建物は軒並み炎上中で、それのせいか港湾局職員はどこへ行ったらやらで接岸していい岸壁や桟橋が不明。容易に港内に入れる状況にはないのは素人目にも明らかとなっている。当直士官が港を眺めながら「しこたま焼き討ち弾撃ちやがってクソッタレ」と漏らす。

 寄港できるようになるまで大分時間がかかりそうなので、港外から一部の者だけを小船で降ろして上陸することになった。操船要員に、海軍の連絡士官とジャーヴァル=パシャンダ会社に着任予定の者達が荷物をまとめて小船へ乗る。撃沈されたせいで荷物と呼べる物は失ったが、輸送船の乗組員達と、死んだ海兵と水兵から少しずつ分けて貰った。ありがたいことだ。

 腹の刺し傷だが、船医に消毒と縫合をしてもらい、包帯を巻いてもらった。痛み止めの阿片を勧められたが断った。大して痛くないと言ったら、瞳孔の状態を確認されたり、酒酔いしていないか息を嗅がれた。失敬な。

 出港しようとして海賊に砲撃され、船の修理や負傷者の処置に騒いでいるボロい櫂船の横を通り、呑気に浜辺から一連の騒動を、網を直しながら眺めている地元漁師達がいる浜辺に着岸。水兵達が小船から飛び降り、膝下まで波で濡らしながら小船を砂の上まで押し上げる。おかげで服を濡らさずに砂浜に降り立つ。ようやくパシャンダの地に足がついた。

 この地はジャーヴァル南部などと呼ぶのが一応の世界的な常識だが、この地の者はジャーヴァルとパシャンダは別と考えている。ロシエではジャーヴァル=パシャンダ会社設立時より、ジャーヴァル南部はパシャンダ地方であるとした。歴史と政治による名称の違いとは部外者から見れば下らないものだが、当人からしたら名誉がかかった重大事である。自らの名の否定を許容するのは魂の死だ。

 人口も地力もザシンダル藩王国――自ら名乗るはザシンダル王国――は大国である。領土人口とも我が巨大なるロシエ王国に匹敵するという話だ。しかし今はそのような威容があるように見えない。第一印象は焼かれた港である。

 その焼かれた港町ナギダハラは密林に囲まれ、そこを両断して流れる川の河口に位置している。大都市一つ手前という規模であろうか?

 城門を潜れば猥雑な街並みが広がっている。ごった返す街路にいる男性は染色されていないような粗末な服で、女性は派手めな色の服を着ていて、全て薄汚い。騒動など我感せずと蝿の集る魚市場は営業中で、犬と水溜りで遊んでいる子供達が騒いでる。物乞い達が足並み揃え、火事が起きている現場を指差して走り出している。それから何故かは知らないが、片脚立ちで瞑想をして、足がむくれておぞましい事になっている老人がいた。民警らしき槍を持った男は鼻をほじりながら疲れたように街路樹の木陰に座り込み、隣で寝転がっている牛が小便をして彼の服を濡らすが、意に返さない。家屋の小路から首の無い鶏が走り出し、馬車に轢かれて潰れた。貴族子弟の一段らしき連中が街路を楽しそうに馬に乗って走り、通行人を撥ね飛ばし、無視して走り去る。撥ね飛ばされた人は他の通行人が面倒臭そうに引きずって川へぞんざいに放り込んだ。何なんだここは?

 そんな混沌とした街並みを見ながらジャーヴァル=パシャンダ会社の事務所を目指して進むが、汗が酷く出てくる。蒸し暑すぎるのだ。ロシエ東方出身にはキツい気候だ。

 このパシャンダで信仰される一柱、釜戸の神アバブ像がある。像と一体になった釜戸で、港方面から担ぎ込まれる死体を、防護面をつけた神官が黒い油を注いで焼き、黒煙と猛火を作り出している。凄まじい悪臭、肺を病みそうだ。

 アバブは火と家を守る神で、転じて今では火器と国防の神と聞いている。そして雌雄同一、自分と性行して火を噴きながら子供を出産……異教の神とはなんとおぞましい存在か。

 海賊の砲撃で火事になっている場所に近づく度に、火事場泥棒の群集と自分の家を略奪から守ろうとしている住民の衝突が激しくなる。貧しさは罪なのか?

 暴動を煽っているような奴を見つけたが、成敗したところでこの程度でどうにかなる騒ぎではない。少人数で頑張ったところでどうにかなるものではないのは明白。いち早くジャーヴァル=パシャンダ会社に合流、治安維持活動をしていると思われる会社軍に加勢するのが正しいか? 現地の警察部隊のようなものは見当たらないが、どうしたのか?

 道々で見かけた人達とは違って服装が小奇麗な目立つ女性と、怪我をして倒れている兵士がいた。砲撃の影響か、破片を受けた複数の傷があると軍服の上からでも分かる。息はあるようだが長くはないだろう。

 女性が介抱しようとして、しかし重傷なのでどうしようかと困惑しており、そうしていると暴徒が女性の手を乱暴に引っ張って連れ去ろうとしている。兵士は起き上がろうとして、あまりの苦痛に耐えかねて諦めた。

 我々一行は現地人の行動に関わっていいのかと目配せをする。下手に関わり、暴徒の矛先がこちらに向いたら惨殺されかねないのだ。着任前とて会社員なので命令無しに大袈裟な行動は難しい。

 女性がこちらの姿を見て、濡れた視線で助けを求めてきた。一目で分かる異邦人を頼りにするとは哀れ。この地はどうなっている?

「助けて!」

 聞き間違いではない、あのパシャンダの人であろう女性がフラル語で叫んだ。何故遠い異人が喋れるのかは知らないが、近くにあった放置されている壊れた馬車の車輪を掴んでから女性の手を掴む暴徒の脇腹を蹴る。蹴られて力が抜けた暴徒から女性が逃れたのを確認し、背中を車輪で殴打。死なないようにした心算だったが、派手に複数の骨が折れる手応えがあった。

 暴徒達の視線がこちらに集中。恐怖に飲み込まれてはいけない。圧倒するのだ。

 こちらに特に挑発的に見える暴徒を車輪で殴る。腕で防いだようだが、こちらも骨が折れる手応え。激痛で呻いて倒れ込んだ。

 仲間達が刀や銃を構える。これでは動く理由も異国の理も関係など無い。

「死にたい奴からかかってこい!」

 声の限りに叫ぶ。言葉は通じないだろうが、勢いというのは伝わる。近くの暴徒達は困惑して動きを止める。少し静かになった。

 唸り声を上げ、粗末な槍で突きかかって来た暴徒に車輪を振り回して投擲、顔面を粉砕。その槍を奪って――軸が曲がって扱い辛い――構える。兄よ、母よ、愛しの君よ。これは間違いではないはずだ。

 静かになり、怒号と悲鳴に馬が集団で駆ける地響きが遠くから聞こえてきた。暴徒達が右往左往し始めた。

 新たな騒ぎの方向には、紺と黄色の組み合わせのロシエ軍色の軍服を着た騎兵隊が現れ、威嚇射撃を時折混ぜながら、馬上から棍棒で暴徒を殴りつけて蹴散らす。

 その騎兵隊が通り過ぎた後から銃剣を着剣した小銃を持った歩兵が現れ、これでも逃げない暴徒を殴り蹴り、それでも刃向かうなら銃剣と銃口で脅して追い散らす。そうしてから交差点などに配置についていって睨みを利かせる。

 歩兵隊が場を鎮圧した場所から、これでようやくと住民達が消火活動に入った。

 こちら側近辺の暴徒を追い散らした歩兵隊の指揮官が、こちらに軽く敬礼を送りながら、跪いて兵士の状態を確認する。

「ネフティさんはご無事で?」

「私は大丈夫ですからこの人を……」

「いえ」

 怪我をした兵士の目蓋を、その指揮官が手でそっと閉じた。

「使命を果たしたようです」

 指揮官が立ち上がるのと同時に女性、ネフティがよろめいて膝を突く。指揮官は彼女に手を差し伸べようとして、やめてこちらに向き直って改めて敬礼。礼で返す。

「お疲れ様です。見かけない顔ですが、その、民間人にも見えないですね」

「我々は先ほどロシエより海路で到着しました。これからジャーヴァル=パシャンダ会社へ赴任する途中でした」

 兵士の遺体を抱き上げる。生きているのではないかと思う汗臭さと体温がまだある。

「道案内の方をつけてくれると助かります。その女性も安全で静かなところへ連れて行かないと」

「分かりました。あー、バチスト伍長、この方々を事務所へ案内して。ネフティさんの護衛には、とりあえず後任がつくまで君がつきなさい」

「了解しました」

「ネフティさんは……」

「歩けます。大丈夫です」

 ネフティが立つのを待って、バチスト伍長の案内について行く。


■■■


 はためくのはロシエ王国の種月旗。紺地に、黄色い三日月四つの組み合わせで聖なる信仰の象徴である、世界創造の聖なる種を表現している。聖皇を昼の太陽とし、それを支える夜の月という意味がある。

 ナギダハラの、郊外と言って良いほど町の中心から外れたところにロシエ人街があった。そこは町の物とは別に厚い城壁に囲われ、見張り塔に砲台まであり、大砲の一部は現地人の街中へ向けられている。

 ロシエ人街は元は伐採所で、昔からの建物は無く、全てロシエ風の造りになっている。そのままロシエ風の少し古い建物と、熱帯地方に対応した新しい建物に二分される。聖なる神の教会は古い方に分類される。

 人々の服装も夏のロシエ風で、現地パシャンダの物を多少混ぜて着ている。肌が茶色で髪の黒いパシャンダ人は僅かで、色の薄い髪と目の見慣れた同郷人が多数だ。外の現地人街とはエラい違いだ。

 兵士の遺体を会社事務所の医療所に運ぶ。傷を縫い合わせ、防腐処理をして英雄を故郷に帰さなければならない。彼は砲撃からネフティを庇って死んだそうだ。

 そんな庇われるほどのネフティとは、ザシンダル宮殿とジャーヴァル=パシャンダ会社との連絡役と通訳を兼ねるという中々の重要人物だ。ネフティ女史は落ち込んで口を開かなかったが、バチスト伍長が教えてくれた。

 ネフティ女史が何故フラル語が喋れるのかは、何と聖なる神を奉じるからだ。これもバチスト伍長が教えてくれた。

 フラル語。聖典語、神聖教会圏共通語とも。聖都周辺地域のフラル人の言語、そして聖典に書かれている言語。これからの世界の共通語に適当だろう。

 会社事務所の受付に到着。黙ったままのネフティ女史と、意外と良く喋るバチスト伍長と別れ、名簿を眺める受付嬢から配属先を通達される。

 自分は騎兵隊に配属されるので騎兵隊宿舎へ向かう。馬屋はほぼ空。治安維持活動で出払っているので人が戻るまで少し待つことにした。

 昼寝しようかと思ってしまうほどに待っても人は来ず、輸送船仲間が食堂で食事をしようと誘いに来たので一緒に食べた。船と陸の食事とはここまで違うのかと感動した。それに香辛料の豊かさ! ロシエで食べるのなら一食分で馬が、家が買えるのではないかと思えるほどであった。辛さもあったが、美味過ぎて泣いた。冷静に考えればおかしいが、もう死んでも良いと思ってしまった。

 食事も終え、しばし放心。騎兵隊宿舎に戻ると騎兵達が戻り始めている。汗と革に土埃と煙に血と硝煙に獣と糞の臭いが混じっている。しばらく船にいたせいで忘れていた懐かしい、本業のにおいがする。

 着任挨拶に隊長室のドアを二回叩き、「入れ」の声を聞いてから入る。

 正面の席には口髭を蓄えた、左肩に金糸で家紋の入った赤いマントをつけた中年の伊達男が座っていた。事務机の名札には”ナギダハラ騎兵連隊連隊長 シャトゥラ=ギュイ・ダルヴィーユ”とある。帰還したばかりのようで額が汗ばんでおり、息は若干弾んでいる。

 礼をする。着帽していないので敬礼ではない。

「本日を持って着任しました、エルズライント辺境伯領から来ましたファルケフェン・ガンドラコです」

「ん、ガンドラコ? あのガンドラコとはまたクソ石頭のバルマン人の中でもご勇名だな。早速大活躍と聞いたよ。ご婦人を助けるのは騎士の義務だからな、素晴らしいことだ」

「恐縮です」

「それに、あの海賊ファスラと戦って生還したそうじゃないか。期待しているよ」

「恐縮です」

「元軍人だったか? まあガンドラコ一族でそのガタイじゃそうか。あー、人事書類どこいったか……」

 ダルヴィーユ連隊長が机の上の書類を掻き回す。

「後でいいか。元の所属と階級と、勲章もか、それだけ教えてくれ」

「元近衛騎兵師団所属、最終階級は騎兵中尉です」

「近衛騎兵か! 悪いがここに重装騎兵の衣装は無いぞ。このマントの通りにお洒落な軽騎兵隊だ」

 ロシエの近衛騎兵は伝統的にバルマン人の重装槍騎兵が務める。

「問題ありません。名誉に殉じます」

 例え徒手空拳であろうと敵とあらば打ち倒すのだ。下品な軽騎兵隊であろうともだ……ただ、あの軽薄な左肩マントを着用するのは嫌だな。

「”名誉に殉じろ”、バルマン貴族の信条だな。そう堅くならんで気楽に魂を燃やせばいいさ。簡単だ」

「”魂を燃やせ”ですか、アラック人の信条ですね」

「そう、生き様だ。早い、安い、強いがアラック人。このマントの通りに真っ赤に燃えて、灰になる。さて、勲章、教えてくれ」

「勲章ですが、聖アルベリーン勲章、特星戦傷勲章、一級勇敢勲章が主だった物です」

「んー? 特星戦傷勲章って知らないな」

「はい。戦傷勲章は十星までしか用意されてませんでしたので、私用に特注された物です。こちらに来る海路、海賊に乗艦のシェフューロン号を撃沈されてしまって証明する現物はありませんが」

「デュクトル提督の艦隊か……頼んでた武器がなぁ……ああすまん、で特星は何星分になるんだ? 君の戦傷回数だ」

「二十までは数えた記憶があります」

「不死身の騎士様ってわけか。勲章の話は信用する。バルマン貴族が嘘吐くようになったら四歳児までしか信用できない世の中になったってことだからな。書類さえ書いてくれればその三つ、私が署名して補給部に出させるよ」

「ありがとうございます」

 勲章をつけている、いないでは隊内での扱いも変わるだろう。ここでは新参だが、今更一兵卒扱いは嫌なものだ。

「先ほど襲撃してきたファスラ海賊は沿岸部で活動する際には陸に支援要員を置いて活動しやがる強敵で、魔神代理領が雇い主だ。今日は沿岸砲台をまんまと麻痺させられたよ。クソッタレめ、敵に港内まで入られてこのザマだ」

 ファスラと戦っていた時に打ち上げられた信号花火がその合図だったか?

「それだけでも嫌なもんだが、敵は他にもいる。今から攻撃する東のラザム藩王国を筆頭とする非支配下パシャンダ各藩王国だ。ザシンダルの国王が後背を固めたがってるから、我々ロシエ兵が同盟により命を賭ける。最終的に勝利せねばならぬ北のジャーヴァル帝国も疲弊しているが存在している。何時元の威容を取り戻すのかは知らんが、放っておけば魔神代理領の本気が見れてしまうな。居座るアッジャール残党も敵だな。ザシンダルの国王がそう言っている。奴は戦争好きなんだな。今起きた暴動のように、隙あらば略奪しにくる躾のなっていない現地人がたくさんいる。民衆に統一性が無いせいで拍車がかかっているようだ。それから複雑なことに、ザシンダルと同盟を組みながらも略奪してくる大山賊のアギンダ軍っていうのもいる。全く、ジャーヴァル=パシャンダはどうなってるんだろうねぇ? まあとにかく、敵には困らんぞ、物資と頭数には困るが、君? えぇ? ファルケンくん」

「連隊長殿、ファルケフェンです」

「そっちの方が呼びやすいよ、ファルケンくん」

「ですが」

 自らの名の否定を許容するのは魂の死だ。

「じゃあ私のことを嫁のようにシャッツと呼んでも良いぞ。ファルケンくん、君は私直属の護衛にしよう。私は先頭に立って突撃することもあるから暇はしないぞ。一緒に華を咲かせようじゃないか。だからそう呼びたまえ」

「連隊長殿、それは出来ません」

「バルマン野郎め。補給部に行って採寸して来い、その熊みたいな身体に合う軍服なんか特注しないと無いぞ。早く行け」

「はい、分かりました。書類は不要で?」

「うっさいわ、今書く」

 アラック野郎め。

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