第53話「華の魔都」 ベルリク
魔都正門。俗称凱旋門。
大昔、魔神代理領親衛軍の全部隊が魔都に駐留していた時代には戦勝のたびに正門を潜っての凱旋行進が行われていた。領域が広がってからは親衛軍も分散され、戦争も中央より遠い地方で繰り返されるようになった。その状況で毎回魔都に召集するのは手間で費用が莫大だし、かと言って近郊の部隊だけ呼んで凱旋行進なんかしたのであれば地方に残っている将兵に申し分けない。ということで取り止めとなった。
門はとにかく大きく、戦列艦でも余裕で潜れるぐらいに高いし、幅は門に見えず橋の下と思える程に広い。そして馬鹿デカい魔神代理領の旗印が簾になって垂れ、風に揺らいでいる。それから装飾的な彫刻がびっしりと刻まれている。金銀の箔に宝石なんてものは無いが、丁寧に着色がされている。圧倒されるとはこのこと。
故郷のイューフェ・シェルコツェークヴァルのガラクタみたいな関とは比べようも無い規模だ。親父よ、ベルリクはここまで来たぞ。
「よくもまあ造りましたね」
「鉄骨入りのコンクリート製だ。時間と金と人足さえあればどうにかなる程度だ」
「普通の国じゃどうにもなりませんよ」
「根気が足りんぞ。十年かけて百年かけろ」
門はあるが城壁は無く、普通は城壁がある場所より外へ街が広がっている。城壁の代わりであろう要塞のような塔は散見され、そしてその塔を繋ぐ陸橋が街中に張り巡らされている。その橋の上を歩く一般人は皆無であり、そこは随分と足腰の具合が良さそうである。
「あの上の道をパパーっと通過は? 特権か何かで」
「出来ない。伝令、治安機関、許可証持ちの医療関係者のような連中が使うためにある。緊急用だ」
「役人はダメなんですか」
「役人が高速道路を使うような時勢じゃ高速では無くなっているだろうな」
魔都の大通りは賑やかそのものである。人はごった返し、芋洗い状態で、都市部は果てが無いように見える。
なんと魔都の住民登録数は約二千万。エデルト=セレード連合王国の国内全域の人口は約一千万。母国セレード王国領内でも三百万程。少数民族を除外すれば、一人あたり二人のエデルト人を殺せば良い計算だ。
エデルト=セレード連合王国は大国と言って良い国力、国威がある。単純にこの魔都”圏”一つで十分に大国である。
魔都は建物が途切れず、整備された道が彼方まで続き、途中で途切れたと思ったら公園や運河や都内の農園であって、人の手が入っている所しか目に付かない。
そしてこれだけ大規模な都市なのに非常に清潔。水路が巡らされていて、ゴミ回収業者が動き回っており、屎尿は完全に隔離された地下下水路に流されて処理施設に運ばれるらしい。
馬や駱駝にのった騎乗警察も良く巡回しており治安も良さそう。
市場は活気があり、そして何より整然としている。猥雑な空気は無い。ここはもうちょっと汚らしくても良いと思う。ワクワクが足りない。
各年齢層に対応した学校も良く見かけ、年少向けの学校ではガキんちょがキャッキャギャーギャー騒いでいる。何処の宗教か良く分からない神学校からは不気味なお経が響いてくる。妙なにおいの煙まで立っている。
魔なる信仰以外の各宗教寺院も立派な物が立ち並ぶ。宗教の違う友人同士が隣り合ったそれぞれの寺院に「またね」と入って行く光景は何故か感動的に見える。
擦れ違う人々の人種種族も多種多様。それに応じて道案内の表記が四大共通語、”共通語”、フラル語、遊牧諸語アッジャール方言、天政官語。特に大きな標識になると自分にはさっぱり由来も不明な文字の言語が十以上並ぶ。
丁度良い広さの公園が見つかったので小休憩を取る。何せ街が広いものだから、都内移動だけでもちょっとした旅行になってしまうのだ。
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市内中心部に近づくと見えてきたのは旧城壁。その旧城壁は道路に小路に水路ごとに細断され、残った建物は商店街になっていたり、集合住宅になっていたりと再利用されている。
「これだけ市街地が広いと新しい城壁を造る金も無いとは思いますが……どうなんでしょう」
「馬賊の襲撃があったらどうするのか? という話題は昔からある。現にこの前のアッジャールの侵攻の時など、市街地外縁部はあっと言う間に焼かれるんじゃないかと騒ぎにもなったそうだ。答えとしては、焼かれるのは想定内。市街戦訓練を受けた魔都警察隊、河川警備隊、有事に召集される予備役、戦争と盗賊被害に対する保険制度、定期的に行われる避難訓練、それからあの要塞塔、全ての建物、街区内の運河、それらが組み合わさったものが魔都の城壁だ。いくら大砲があったって足りないぞ。次の職場があったら試してみるといい」
「海軍で水路封鎖。周辺住民を無傷の手ぶらで魔都に放り込む。餓えて共食いを始めるまで包囲、なんてことはしません。包囲部隊の補給がキツそうです。飢餓合戦は部が悪そうです。だから地道に街を平らにしていって殺したり、脅して突撃させます。病気持ちを送り込むのは事前に行います」
この規模の都市で行われる無制限のような市街戦を想像……しかも魔族が他の国と違って混じってそうだ。攻めるのは面倒だなぁ。人口二千万を鎮圧するような軍量ってどの程度必要だろうか。百万はいるか? どうやって食わせるんだよそんな人数。
「ははは、嫌な敵だ。素早く司令部を急襲して殺してしまおう」
ルサレヤ総督の翼の手でデコピンをくらった。投石でも受けたかと思った。
我々は軍隊行進に近いこと――軍楽隊と旗手がいないので――をしている。獣人奴隷五百騎あまりと相応の荷馬車の列。ルサレヤ総督とイシュタムは列中間に位置する。州総督ともなればこんなものである。
他州の州総督、各国元首も似たような列で魔都へやってきている。時折見かけ、代表同士顔が合えば馬上から丁寧なお辞儀をする程度の挨拶はしているが、その程度じゃこの魔都、ちょっと賑やかになったかな? 程度である。商人の千人を越えそうな荷役と馬車の列などザラ。無料か有料かは不明だが、魔都警察が交通誘導をしているぐらい。
こちらの連れは彼等に比べれば微々たるものだが、ちょっと目を引いている。
我が最良の工兵将校ラシージと工兵十名。目であり耳であり親衛隊のルドゥと偵察隊二十名だ。妖精達は目立つ。如何に人種種族が雑多に集まった魔都と言えど、彼等は珍しいので目立つ。妖精奴隷程度ならチラホラと見かけるが、故郷の外に出て人間のように秩序立って、目的意識を持って行動している妖精など見かけるものではない。
何より偵察隊の連中だ。奴等、人を加工した装飾品で飾ってやがる。それも、一目でわかるように。ルドゥの影響だろうが、歯の帽子飾り、耳や指の首飾り、胴革の外套、人面革覆いの鞄あたりが目立つ。胴革は、皺というか革の模様が分かりやすいほど人間だ。胸で腹にヘソ、肩甲骨に背骨の線、尻が見える。あれが狐だったり熊だったりしたら誰も不思議に思うまい。妖精の、マトラの妖精の認識がそういうことなのだ。
それからナシュカも同道。何とジャーヴァル内にある妖精の国、アウル藩王国出身。向こうで話をつけるときに通訳、交渉役になるとラシージが推薦。随行を頼むとあっさりと了承した。まるで人間のようなしっかりした旅装で、杖を持って刀に腰に拳銃までぶら下げている。また道中はバシィール城に居た時のように皆の飯を作ることもなかった。切り替えがハッキリしている奴だ。
そしてアクファルとレスリャジン氏族の青少年達三十名。アクファルは相変わらず澄まし顔だが、他の連中は初めての都会にあちこち顔をグルグルと、遊牧民衣装も伴い田舎者丸出しである。衣装もまた刺繍入りで鮮やかな色を好んでいるので街ではそこそこ目立つ。
自分も、レスリャジンの女達から、魔神代理領軍将校服の型を基本にした黒地に赤い刺繍の衣装を貰ったのを着ているので目立つことは目立つ。しかしこれは良い物で、裏地を外せば砂漠でも着れるぐらいに風通しが良く、毛皮を裏地に貼りつければ酷寒でも温かいという遊牧民衣装の基本を抑えている一品だ。ズボンも同様の造りで白い物である。三角帽も内張りが付け外し出来る黒テンの毛皮という物を貰った。公式行事以外の軍務ではこれを着る予定。
彼等が馬を走らせる度に鞍に吊るした刀に弓矢に拳銃に鍋などがぶつかりあってジャラジャラ鳴って目立つ。馬の背に立って周囲を広く見渡すのも目立つ。一人ずつ馬を三頭も四頭も引き連れているのが更に目立ち、馬が逸れそうになると高い口笛を吹くので更に更に目立つ。突然はしゃいで広場を馬で駆け出したり、大道芸のような見世物があれば騒いで道を外れそうになったりすると大いに目立つ。また目を輝かせて「あれあれ!」と壮大な寺院を指差して……まあ可愛い奴等だ。
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「ここが我がスライフィール民族が集中的に住んでいる街区だ。私の与り知らん遠い孫がその辺を歩いているかもな」
似た系統の顔が揃っており、建物の雰囲気も似たものが固まっている。スライフィール人街と呼ぶに相応しい。
「ざっとで四十代下って、平均二人ぐらい子供が出来て、何やかんやでくたばっていって……計算尺があっても俺じゃあ無理ですね」
ルサレヤ総督が進む度にスライフィール人達がお辞儀をしていき、まだものを知らなそうな子供は母親にお辞儀しろと頭を押される。
「しかし見えぬ数が今見えましたよ」
「これはな、照れくさい」
スライフィール人は南方の半遊牧民であり、中央と南方地域、南大陸にも進出して交易を行っている活動的な民族。ルサレヤ総督とはまるで違う系統の顔つきに浅黒い肌の色の者ばかり。世代が離れに離れるとこうも変わるものかと感心する。
スライフィール人街は商店の密集率が他の街区より高く、民間人だけではなく商人風の者も店を眺めに来ているのが目立つ。転売しても儲かりそうな物はある。木の枝みたいにデカい牙とか、極彩色のやや大きめの鳥とか、拳ぐらいの宝石とか、筋骨隆々の黒人奴隷とか、猫頭にしちゃあ滅茶苦茶ゴツい顎とガタイの獣人奴隷とか。
スライフィール人街を進んだ先に到着したのは、流石は州総督の家という大きな屋敷だ。門に壁も立派に大きく、中の庭はちょっとした林になっている。池もあれば馬場もあり、家庭菜園と言うには大き過ぎる畑もある。ツルっとした石造の壁と床の溝に水が静かに流れてて、風通しが良いように垂簾が降りた出入り口が複数、天井が開閉式になっている避暑用の建物まである。
主館が大きくて綺麗なのは当たり前。そして別棟の数が尋常ではない、大規模な集合住宅級。それに伴って倉庫も何やら港湾倉庫並みのが館の裏に並んでいる。馬屋の規模も大手畜産業者という雰囲気。獣人奴隷五百人とその馬の世話を出来る使用人を抱え込めばこうもなろう。
それに魔都で仕事をしているルサレヤ総督の子孫の家族が何組も生活しているそうなので、町とまではいかないが、ちょっとした村の規模である。
使用人達の出迎えも早々に、このルサレヤ邸に人と荷物を預け、今まで乗ってきたお疲れの馬は預け、家の馬に替えてルサレヤ総督とイシュタムに連れられ、ラシージを伴って出発。一休みくらいは欲しい気がした。
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「最終確認だ」
「はい」
「無いところに空があって、あるところに喪失がある」
ルサレヤ総督が詩やら小説やら条文から適当に抜粋した”共通語”を復唱する。これで発音を確認するのだ。
「無いところに空があって、あるところに喪失がある」
「ハラノガイで初の灌漑事業が実験的に行われたが、メロノ湖の面積が一年で激減したため中止された。綿花栽培も灌漑事業と平行して中止された。現地での代替産業の検討が急がれる」
「ハラノガイで初の灌漑事業が実験的に行われたが……」
ちょっと長いなぁ。
「メロノ湖の面積が一年で激減したため」
「メロノ湖の面積が一年で急減、いや激減したため停止された。綿花栽培も灌漑事業と平行して中止される。現地での別、代替? 代替産業の検討が急がれる」
「愛する者よ、お前は謀っているのか? 出会いからの仕掛けは全て私の臓腑に突き刺さっている。これを抜き去るにはお前の手が必要だということも」
「ちょっとそれは流石に恥ずかしいんですけど」
「何だと、私の旦那が求婚してきた時の前台詞を馬鹿にするのか」
「えー? 何それー」
「イシュタム」
ルサレヤ総督に名を呼ばれたイシュタムがガっと両肩を掴んで、目が目に触れんばかりに横面を近づけてきやがった。
「愛する者よ、お前は謀っているのか? 出会いからの仕掛けは全て私の臓腑に突き刺さっている。これを抜き去るにはお前の手が必要だということも!」
そして恥ずかしげも無く吠えた。うげ、気持ち悪っ。
「んん?」
何が「んん?」だ、この犬っコロが。
「愛する者よー謀っているのか出会いからの仕掛けは全て私に突き刺さっているから抜き去るにはお前の手が必要だということがー?」
「愛する者よ、お前は謀っているのか? 出会いからの仕掛けは全て私の臓腑に突き刺さっている。これを抜き去るにはお前の手が必要だということも!」
そしてまた恥ずかしげも無く吠えた。うげ、気持ち悪っ。奴隷ってこんな仕事しなきゃならねぇのかよ。
”共通語”は、魔族語、魔神代理領共通語とも呼ばれ、世界共通語を目指して作成された経緯がある。
多少の教養人ならば、母国語に加えてその四大、何れかを修得しているのが一般的である。これでもセレードの貧乏貴族の端くれ。母国セレード語に敵国エデルト語の修得は常識として、貴族階級ならば一般教養としての神聖教会圏共通語のフラル語も喋れるし、士官学校時代に習ったその”共通語”が下手ながら喋れる。セレード語は遊牧諸語のセレード方言に当たるため、アッジャール人相手だろうと――少々歴史的に遊牧帝国域とは離別した期間が長いが――大体そのまま、身振り手振りを加えれば問題無く通用する。
魔都にて行われる五年に一度の定期御前会議には正式に、名指しで自分ベルリクが呼ばれている。その公式な場では流石にどうか? という訛りがあるそうなのでルサレヤ総督がイスタメルからの道中、発音の矯正をしてくれた。あれは良かった。もっと訛ろうかと思った……でもこれは嫌だ。有名な詩人とかならまだ良かったが、よりにもよって何百年も前にくたばった野郎の口説き文句とは!
「総督は良く平気であんな顔面内出血しそうなことを言えますよね。面の皮の年輪が辞書みたいになっているせいですよ」
「ふむ、それくらい綺麗にすんなりと言えればいいだろう」
イシュタムがやっと離れた。
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定期御前会議とは、大宰相の五年任期満了を境に、任期継続審議をすることを主題として、魔神代理の名で各州総督、各国代表、公認主要組織代表が召集されて行われる会議だ。
普段の会議は議事堂か、小規模で済む会議なら大宰相邸で行われるのだが、御前会議だけは魔神代理が居る岩窟宮殿で行われる。
岩窟宮殿は魔都中心にあり、御前会議開催期間外は魔導評議会の者以外は絶対立ち入り禁止――不法侵入者は問答無用でぶっ殺して正門に吊るす――だそうだ。
魔神代理が居る岩窟宮殿に到着する。外観は壮大だが単純で、超巨大な柱が支える天井の下に巨大な一枚岩があり、そこに大きな横穴が掘られている。普通の宮殿と違い、噴水やら植木に花壇、彫刻すら排除された飾り気が全くない全貌をしている。
警備は厳重で、親衛軍近衛隊が「何か怪しい動き一つでもしやがったらブチ殺す」ような目付きで完全武装、馬に軍用犬に若い竜まで用意して至る所で待機している。人外のお姿をしてらっしゃる魔導評議会の連中も警備に参加している様子――素人には良く分からない――で、こちらも至る所で待機している。見間違いじゃないが、壁に立っている奴もいる。視点が変われば何か見えてくるのだろう。
横穴を潜る。光源は壁に立てかけてある頼りないランプのみ。それも点々と配置されているので岩窟内は暗い。ランプの火守は魔族がやっていて、普通の人間風もいれば、鳥肌が立つような異形もいる。
天井も壁も道も粗い素掘りの岩肌の状態で、一応通路には木のスノコが敷かれている。御前会議期間外はこのスノコも無い様子だ。
魔神代理って普通の生き物なのかなって感じが当然してくる。魔族だって生殖能力を無視すれば普通の生き物とも言えなくもないが、それを超越している気がしてきた。
道は一本道で、螺旋状にやや急な下り坂。到着した会議場で行き止まり。会議場の出入り口は一つで扉すらなく、臨時で暖簾が掛けてあった程度。
会議場内は半円球状で、壁面には正体不明の骨がびっしりと半ば埋まっている。魔族の種の残骸でも飾ってるのか?
また光源が、あの頼りないランプが会議場の円卓にポツポツ置いてあるだけなので、暗さと灯りの不気味さも合わさって地下墓地にいる感じがしてくる。因みにランプの横には油差しが置いてあって、油が切れたらお前等で注げ、と暗に語られている。
円卓には誰が何処に座るか分かるように名札が置いてあるので、それに従って参加者は着席していく。ルサレヤ総督の後ろに自分、イシュタム、ラシージが控える。
各州総督、各国代表、公認主要組織代表が着席していく。
どう見ても普通の人間もいるが、どうしても魔族が目立つ。化物みたいな外見の者ばかり。巨大で真っ赤な単眼で、エラが広い蛇頭の魔族。蜘蛛みたいな八本足で、衣装なのか鎧なのか外骨格なのか不明な格好の、おっぱいの大きい女魔族。人間には不可能なぐらいに筋骨隆々な四肢に翼の、蝙蝠と竜の中間のような姿の魔族。まだまだいるし、その背後には色々な獣人奴隷が控えている。広義の獣人なので、蜥蜴や虫? 鳥に魚みたいな奴隷までいる。
あの黒鉄の狼イディルの首を獲った、シャクリッド州総督ベリュデインの獣人奴隷ガジードがこの中にいるはず――筆頭の獣人奴隷じゃなくても見せびらかしたいだろう――だが、さて? 気になる。
七人の宰相が――円卓だが――上席に着席する。大宰相は席の前で立ったまま。
大宰相は魔族である。流線型の鎧甲冑を生物にした感じでいて昆虫的で、表皮は赤茶のなめし革地味ている。全体的に何かメッチャ強そうで、頭良さげな官服が似合っていて頭良さそう。実際良いんだろう。良くなきゃ無理な商売だ。
楽曲演奏やら魔なる信仰的な儀式のような演出は無く、大宰相が各人に視線を送り、準備はいいか? と一通りに合図をし、それから静かに開会挨拶がされる。
「魔神こそ全てである。これより定期会議を、魔神代理より俗なる法の執行を託されし大宰相である我、アークブ=カザンの息子ダーハルが御前にて開催を宣言させて頂く。大宰相任期継続審議から執り行い、次いで各種審議、質疑応答に入らせて頂く。それらは魔なる教えに基づいて進行せねばならぬことを列席の各々方は努々忘れぬように。それは良き明日を子々孫々に贈るためである。以上を定期会議の開催宣言とし、我、アークブ=カザンの息子ダーハルは大宰相の任を解かれる」
元大宰相はそう、ご大層な感じで口述を垂れてから席に座る……あれ、魔神代理って何処にいるの? スゲェそのことに質問したいけど、出来る雰囲気にあらず。屁どころかくしゃみすら憚られる。
「では大宰相任期継続の採決を執り行います。ではまず私、アークブ=カザンの息子ダーハルの再任に賛成の方はご起立をお願いします」
急に、威厳たっぷりだった開催宣言の口調を素に戻した前代大宰相に膝を抜かれそうになった。
次々と列席者がバっと素早く立ったり、落ち着き払って当然のように立ったり、よっこらしょと立つ。後は腕を組んだり、鼻息を吹いたり、目を擦ったりして、俺は立たねぇ、と意思表示してみたりする。ちなみにルサレヤ総督は、起立した。
賛成多数による再任が決定。反対もそこそこいるが、パっと見て分かる感じだ。落ち着いた拍手が鳴り、起立した者達が着席する。
かなり簡単に行われた。採決前に再任したら何するの? あんたの任期中にこんな失敗があったけどどう責任取る? とか、反対した連中はズケズケと嫌味たっぷりに質問しないのかな? 平時ならまだしも、先の大戦に加えてアッジャールの侵攻があってその残り火も赤々としているというのにだ。これが魔なる教えなのか?
「それでは大宰相に再任しました私、アークブ=カザンの息子ダーハルが進行をさせて頂きます……」
それからは色々と議題が上がっては討論、審議、起立による採決を繰り返す。
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全員が無駄な言葉は吐かず、淡々と会議は進む。一々分厚い資料などは用意されず、簡潔に内容が書かれている書類一つが回し読みされる。覚書きをする者もまばらで、しかし手抜かりは無い様子。優秀な州総督はともかく、時には凡百な君主殿もいるだろうに……弱い者いじめじゃないか! 頭の弱い者いじめ。酷いなぁ、これが魔なる教えなのか? 物を大量に持ち込めるような会議場ではないにしてもだ。
そんな義憤っぽい考えも最初の内。畑の違う話が多過ぎるので半分寝てた……流石に寝てはいないが、壁面に埋まった骨をぼやーっと眺めてた。星座を見るように骨を眺めても、どう組み合わせても一つの生物にならない。でも規則性があるような……?
「次、イスタメル州第五師団師団長ベルリク=カラバザル・グルツァラザツク・レスリャジン君」
腹の底から変な空気が喉から出そうになり、イシュタムが一瞬手を掴み、離したおかげで正気を保って飲み込んだ。全く、これが雌だったら変な勘違いをしてしまうところだ。
「未だかつて、妖精をそこまでに手懐けた者は史上いません。魔神代理領内にも複数の妖精居住地域がありますが、人間的な常識や合理性が通用せず、統治に難儀しております。いくら説明しても徴税を理解しません。興味津々に話を聞いてたと思っても笑っているだけで無視されます。戸籍を登録しようにも名前自体が無い者がほとんどで、家にいたっては共同で使用して自由に転居し、土地所有の概念は希薄。産業に関しては共同体で管理するという概念はありますが、責任者はおりません。職の入れ替わりも激しくて個人の特定が困難です。稀に人間の常識を理解し、ほぼ無条件で普通の妖精達が従う妖精が現れます。しかしその者が共同体の代表をしている事例は稀であり、代表者に推薦しても断られるばかりです。言葉が喋れる動物扱いをするにしては文明化されており、昔からの難題でもあります。そこでマトラ県という異例な妖精共同体が現れたことに我々は光明を見ました。他の妖精共同体への正常なる統治を行うためにグルツァラザツク将軍の参考意見を聞きたいのです。お願いします」
一歩前に出るところは無いし、イシュタムがどこか前に出ろと身振り手振りなりで示さないので、その場で発言することにする。お歴々方とそのお供達の視線が一気に集まり、向けられたその面の穴が全て銃口の方が気楽だなぁと思った。
「それでは、えー、そうですね、発端はイスタメル州での公国軍残党掃討におけるバシィール城制圧の折りにこのラシージ」
ラシージの肩に手を乗せ、この子だよ、と示す。背が低いので席の位置取りによっては見えない人もいるだろうが……あ、そうだ。ラシージの脇に手を入れて抱え上げて見せ、下ろす。妖精が頭に布を巻いて、上が黒、下が白という魔神代理領の将校服姿が珍しかったか、列席者達がちょっと大きめの反応を示した。
「彼」
彼?
「を筆頭にする幾名かの妖精奴隷を成り行き上で救助したことにあると思われます。彼は勿論のこと自我の強い妖精です。その後はそのラシージと相談しながら妖精達を軍に編制し、任務を遂行して参りました。特別何かを図ったという意識はありませんが、仲良くやってきたと思っております。自我の強い妖精には裏の顔もあるので確証あることは何も言えないのですが、弱い方の彼等は素直です。顔を見ただけで仲良くやっているとの確証はあります。えーそれから、国家名誉大元帥なる称号が彼等から贈られております。マトラの共同体防衛に貢献できる人物と見做されているからでしょう」
称号の内容の解説やら、ご立派なベルリク騎馬像についてはワザワザ触れなくても良いだろう。
「一連の任務で、妖精からかなりの戦死者数を、特にスラーギィの戦いで出しました。それは私の命令によってであり、妖精達も明確に認識しているところであります。それでいて尚、恨みの気配を一切感じることはありません」
お前等全員自害しろ、と命令すればしてしまうような気配を感じているとまでは言わなくて良いだろう。
「後は本人の口から聞いた方が良いかと思います」
ラシージの背を一瞬触る。
「では私、ラシージが続けさせて頂きます。将軍を、選んだという言葉を使うのならば、選んだ動機は感情的なものなのでそれ以上は表現のしようがありません。奴隷状態からの救出が発端というのは事実です。また祖国に勝利をもたらす英雄を尊敬するのは当然でありますので、以上の説明は不要と考えます」
どういう感情か聞きたいような、聞きたくないような。
「自我の弱い妖精を人間が従わせる方法は奴隷化のみです。人間の共同体に取り込めばいいのです。自我の強い妖精を人間が従わせる方法は人間に対するそれと同じです。それは私が知る限り、気味の悪さ、悪意のようなものを感じたならば、我々は離別を選択するのが常です。妖精の共同体を従わせるとなると人間のように対処したのであれば困難でしょう。運良く共同体の生存を意識した統率者に恵まれない限り、全滅するか従属の強制を挫くまで闘争は停止されません。共同体を己が領域に取り込みたいのならば名目上だけ、今まで通り宣言だけを人間の世界に流布すればよろしいでしょう。どうしても実利が欲しいのであれば、必要とされるものをあえて言うのであれば愛であります」
愛?
「我々にあなた方は真剣に愛を向けたことはありますか? 自分達の論理が通じない愚かで矮小な動物と思われていることを知っている我々から、何の見返りを今まで期待していたのですか? 少なくとも大宰相閣下が”手懐ける”と悪意も無く仰られているこの現状の転換が無い限り、溝はそのままです。つまり理解をしていないのだから理解出来ないのです」
地雷の発破もさることながら、ラシージが時にぶん投げてくる爆弾発言の衝撃波には足が震えて心臓に到達する。
「貴重な意見です。ありがとうございました」
ラシージの発言が終り、何ともバツが悪そうな沈黙がやや続いて――自分の中の時間経過だけが緩慢になっていたかもしれないが――から次の議題が取り上げられる。
今現在渦中にあるジャーヴァル帝国に関する事だ。今一番熱い話題なだけはあり、ラシージが冷やした空気はあっという間に熱々になる。何と魔なる列席者達が喧嘩腰にまでなった喋り始めたのだ。魔なる教えって何だろう?
ジャーヴァル帝国は中央集権化が未だに成されず、強い地方分権状態にある。地方政権を、帝国軍と外交交渉を硬軟合わせて用いて利害調整をし、統一と威容を保っていた。しかしアッジャールの侵攻で帝国軍が壊滅的打撃を受けてその統一と威容を損なってしまった。そして南部のザシンダル藩王国が中心になって独立戦争を開始。だと言うのに何故そこへ親衛軍を投入しないのか? とこんな感じにまとめられることをあれやこれやと喋っていた。
有事につき陣頭指揮を執るジャーヴァル皇帝は欠席しており、代理のジャーヴァル貴族の男は萎縮している様子。代理人にも困るほど戦いが辛いようだ。
それぞれ赤、青、緑、黄の、目が四つある魔族の親衛軍長官が投入をしない言い訳をする。
「ジャーヴァル南部の反乱鎮圧のために親衛軍が必要なことは承知していますが、アッジャール朝との一連の戦闘で大打撃を受けて再編中であります。生存した兵の数だけなら余裕があるように思われるかもしれませんが、士官、下士官の損耗数と訓練数の帳尻が合っておらず、新兵の補充も志願数がまるで足りておりません。急遽に数合わせを行うのならば強引な徴兵の必要があります。ですので組織としての体をなしていない部隊が多いのです。組織として動かせる部隊は治安維持と外勢力への牽制、戦略予備として確保しなくてはなりませんし、明らかに不足しております。アッジャール朝は分裂したとは言え、俄然主力は損耗したと言えども現存しております。彼等遊牧民の性質上、個人判断で行動をすることが望ましいとされ、末端の兵士でも独断行動能力を持ちます。部隊単位内にも部族や家族という繋がりがあり、人員が多く損耗しても、多少こちらからの視点で見れば部隊が破壊されて支離滅裂な状態にあったとしても戦闘行動を続行することが出来ます」
親衛軍長官の四つ目が若干ルサレヤ総督に注がれる。
「北方のオルフ領域は内戦が続いており、交渉すべき政権も無く警戒が必要です」
未だオルフ領域からイスタメル州スラーギィ県への難民流入は止んでいない。亡きイスハシルの息子である二代目オルフ王の摂政を務める王母ポグリアと、初代オルフ王イスハシルを暗殺したオルフ人民共和国初代大統領の隻腕ジェルダナ双方からの様々な外交接触も形振り構わぬものが多くてうざったい状況下にある。ウラグマ総督代理がのらりくらりと捌いているのだろうが、一瞬も油断がならない。
エデルトが何時その未亡人戦争に軍事介入するのかどうかというのも懸案事項だ。マトラ県がランマルカ革命政府との繋がりに影響されて不穏な動きをしないかというのも心配である。あのミザレジに「何も心配することはありはしない。マトラ人民の結束は国家名誉大元帥殿とラシージ親分とともに血枯れ、土褪せ、水尽きるまで鋼の鎖に団結されし結束であるからにして、何も心配することはありはしない」と説得力に欠ける台詞を吐いてやがった。それから、ランマルカ革命政府自体が何らかの謀略を企てていることは常識ぐらいに考えていい状況だ。あの件が無ければ正直、妖精のことに関しての論文をちゃちゃっと書いてルサレヤ総督に託してイスタメルに残っていたかった。
「南大陸北方の旧アレオン王領域ではロシエ王国が支援しているひじりかみ神聖教徒の反乱が未だに止んでおりませんし、南方のコロナダ族の領域では強力な指導者が誕生したとの情報があります。今一番魔神代理領内で多くの兵力を温存出来ているハザーサイール帝国でも自由に兵を動かせる状況にありません」
親衛軍長官のダメ押しに、鷲みたいな凶暴な風貌のハザーサイール皇帝が一瞬顔をしかめてから軽く頷く。
ここでルサレヤ総督が発言する。
「それでも親衛軍の早期投入を提案します。軍事教練は道中と現場に到着してからでも行えます。攻撃作戦に使えなくても防御作戦に使える程度に練兵するのなら多くの時間は不要です。案山子であっても牽制に使えます。それに、いざとなれば血を吐いてでも助けるのが魔神代理領という共同体です。魔神代理領を砕く気か?」
最後の言葉にはかなり殺気が篭っていた。魔族の中でもかなりの年寄りであるルサレヤ総督に睨まれたせいか、分かり辛くはあるが親衛軍長官の瞬きの回数が少し増えた。
次に長髪の美男子、でも肌が青い魔族のシャクリッド州総督ベリュデインが発言する。あのイディルの首を取ったガジートの主人だ。彼の後ろにいる威容にゴツい面の黒獅子の獣人奴隷がガジートだろうか?
「親衛軍に頼らずとも、魔族を増やし、魔族を正規兵力として組織して派遣した方が確実で早いと考えます。魔導評議会は何時までも特権を土に埋めた財宝のようにしていないで魔族化を広めなさい。出し渋りで組織益を得て何を企むのか?」
素人にも分かるほどに喧嘩売っちゃいけないところに売ってるなぁと感心する。これも魔なる教えか?
魔導評議会の、動くミイラ? の魔族の議長が枯れた指で不機嫌に円卓をコツコツ叩いた。
「悪戯に魔族を増やせなどと良く言えたものだ。魔なる信仰の否定とは愚劣極まる」
「魔なる信仰の否定はしておりませんが、評議会の否定ならばしました。まさかあなた方そのものが信仰だとでも仰る心算か? 高慢ですね」
列席者の中では一番普通の人間に見えるが軍務長官が、この場の嫌な空気に負けないように頭をガリガリ掻き毟って気合を入れてから発言。
「優秀な将校を軍事顧問としてジャーヴァルへ派遣して現地軍を強化して時間稼ぎ、あわよくば鎮圧。どの意見を採用するにしても実行できる手段です。まずはこれを議決して頂きたい。既に派遣準備は事前にしてありますので。大宰相、軍事顧問派遣の採決を、あっと失礼、この資料を皆様読んでください」
軍務長官が鞄から取り出した資料が回し読みされ、それから軍事顧問の派遣があっさりと可決される。
親衛軍派遣については後日に審議ということになって本日の会議は終了となった。初日は即決できる議題と審議が長くなる議題を選り分けるためにあるようだ。
■■■
岩窟宮殿を出た。夕焼けが迫っている空を見れば解放されたという気分だ。
「疲れただろ?」
ルサレヤ総督は腕を軽く組みながら葉っぱを入れた煙管に魔術で発火してから吹かし、左の翼で手綱を握り、右の翼で頭をポンポン撫でてきた。
「超余裕です。立ったまま寝るところでした」
「はぁん? ふぅん」
ルサレヤ総督は鼻から盛大に煙を噴出す。彼女はお疲れの様子。
「予定通りに派遣決定ですね」
「遊んで来い」
「そんなこと言っていいんですか?」
「真面目にやって来い」
「何時も私は真面目ですよ。真面目に遊んでます」
「ジャーヴァルは面白いところだ。良い経験になる。頭がイカれているのは何も自分と妖精だけではないと自覚させてくれるだろう」
「期待させますね」
「しとけ。いくら軍事顧問の仕事が激務でも、あそこに行ったなら嫌でも目に入るさ」
軍事顧問の件は事前に聞いていた。だからラシージと工兵、ルドゥの偵察隊、アクファルに斥候伝令のレスリャジン騎兵を連れてきた。
騎兵は若き青少年達。中でも親戚だったり、その親戚の嫁に旦那の親戚だったりするような近しい連中だ。未来の若き、自分のための士官候補生達と思っている。ラシージみたいな奇跡の拾いものを期待しているだけでは今後の楽しい戦争生活は成り立ちはしないだろう。自分で優秀な手勢を育てる必要が絶対にある。
身内というだけで理屈抜きに信頼関係は出来る。向こうはこっちを慕ってくるし、こっちもあいつらは可愛い。死んでも裏切らないような誰かは貴重だ。後は何が何でも楽しく全力で戦争が出来る体にしちゃうだけだ。
何時までも魔神代理領で軍人をやってはいないだろうから、離職しても自由に連れて歩ける奴等がほしい。
■■■
夕食前に寄るところがあるので、イシュタムにそこまで道案内してもらう。ルサレヤ総督は形式的にラシージが送る。
到着したのは鍛冶屋。外見は煤けた石造りの窯と家の合いの子と言った雰囲気。その建物の中から外へ熱気と焼ける臭いが押し出されている。
「雰囲気はあるな」
「キュイゲレの鍛冶屋はな、魔都の鍛冶屋では五本の指に入ると言っても大袈裟ではない」
イシュタムが訳知ったりなようで、まあまあ適当なことを言う。
ここはセリンの紹介だ。贈り物があるそうで、代金は支払ってあるそうだ。
「ごめんください」
中に入ると無数の武具と道具を背に、背中を丸め、研ぎ磨きが行われる前の荒い見た目の刀を睨んでいた火傷跡が目立つ赤ら顔の妖精が自我の強い目を向けてきた。
「はーい?」
「イスタメル海域提督セリンの紹介で来たものです」
「はい……はい! セリン提督の注文の品は出来上がっています。マトラの鉄火雷鳴将軍の名に恥じない代物に仕上がっていますよ」
マトラ発の噂が、魔都の妖精にはどんな風に流れ込んでいるかが何となく分かってしまう。鉄火雷鳴将軍の名は恥ずかしいだろう、という突っ込みはあえて伏せる。
鍛冶屋の妖精が大きめの木箱を棚から取り出し、手渡してきた。蓋を開けると中には敷布が敷かれ、波紋のような模様が入った刀と短剣の刃があった。柄は無い。
「普通の鉄ではないようですが」
「初代親方キュイゲレが発明した合金で、折れず曲らず断たず、欠けず鈍らず錆びず……というのは大袈裟ですが、酸や海水に漬け込んだり、過剰に研いだり、岩に滅茶苦茶に打ち込んだりしないで普通に油を塗って保護しておけば、鎧兜の人馬を百回斬り殺そうが大丈夫な物です」
「なるほど」
刀のほうは、根元から半ばまで真っ直ぐで、そこから反りが入っている。短剣は刺突専用の鎧通しで、切先から見ると刃が三菱状になっている。
「柄は?」
「手に合う物を選んでください」
妖精が出した複数の柄から握りが手に馴染む物を選ぶ。刀の護拳は単純な形ながら相手を殴り殺すことを念頭に入れた物を選ぶ。
そして柄に刃固定して貰い、素振りをする。妖精がそっと薪を放り投げてきたので刀で切ってみると、木ってこんなに脆かったかと思うほどスルっと両断……はしないが、半ばまで簡単に刃がめり込んだ。これは扱う人間の腕がヘボかっただけだ。それと薪も割る前の太いやつだし。
とにかくこれは良い物だが、悪い物だ。これでは人が斬りたくなってしまうじゃないか。武器に脳を乗っ取られて無茶をしてしまいそうだ。この魔性の刀め、お前は悪い女だ。
「腕は後で磨いておきます」
「ご武運を」
刀の背を手で押して薪を割り、ハっと思い出したように妖精が持ってきた鞘を受け取り、刀に鎧通しを収めて「ありがとうございました!」と背に声を受けて店を出る。
■■■
ルサレヤ邸に戻り、夕食をご馳走になる。伝統的なスライフィール料理だそうだ。
乾燥果と塩実入りのヨーグルト、焼いた干し野菜の盛り合わせが前菜。
すり潰した豆の汁、香草入りのすり潰した米と羊肉とタマネギの揚げ物、羊肉の串焼きが主菜。
砂糖と木の実たっぷりのパンに蜂蜜をかけた物と、甘い物無しには飲むのがやや辛いくらいに濃いコーヒー。
レスリャジンの一番若い奴がコーヒーの代わりに「お子様には飲めないからねぇ」と果物の絞り汁を出されたら、むくれてコーヒーを無理して何杯か飲んで、目を回して寝込んだ。本当にお子様には飲めないと証明された。
食後は地下室の蒸し風呂で汗を流して、垢すりに散髪に髭剃りに按摩もしてもらって一息。
レスリャジンの奴等と獣人奴隷の中でも若い連中が部屋の家具を脇に退け、相撲で勝負し合っているのをボヤーっと眺めていたらルサレヤ総督の部屋に呼ばれる。
何かいやらしいことでもないかなぁって期待はせずに入室。ルサレヤ総督の私服は東方風の着流しで、着心地良さげ。
「その辺に適当に座れ。寝てもいいぞ」
妙な柄の馬の毛皮……蔓編みの絹織りがけの座椅子……黒檀の安楽椅子……白い綿織り布団の寝台はルサレヤ総督が座っている。
「隣いいですか」
「構わんよ」
ルサレヤ総督は寝台をポンポンと叩く、ので、座椅子を引っ張ってきて目の前に座る。
「さてだ。御前会議、どうだった?」
「有り得ない話ですけど、お偉いさん方が綺麗な一枚岩に固まってるだとか何となく思ってました。口喧嘩おっ始めるとか予想もしてませんでしたよ」
「あれか、あれはあんなものだ。しかし昔からとは言えベリュデインめ、こんな異常な化物を増やしたいなどと、まるで正気とは思えない発言には毎度呆れる。悪戯に半不死性をバラ撒くなど恐ろしいことを言う。魔族の種などという得体の知れないものを鼠のように増やしたいか」
ルサレヤ総督が苦い顔をする。何時も余裕ババアな面をしているので、これは随分深刻な話題なのだろうと察する。
「よそ者には効率的に聞こえましたけど」
「生殖も出来ない化物にこの世を支配でもさせたいか? 無駄にしぶとく、寿命も長くて無駄に賢しらで、神にでもなったと勘違いして勘違いされて、一体どうなることやら。水は淀むと腐る。長寿は悪疫だ」
「それでも程度問題では?」
「世の全ての移り変わりを否定することは何よりも魔なる教えに反することだ」
「魔神代理領が砕けても、ですか」
「無用になったならば砕け散ればいい。必要な内は守るしかないがな」
「今は魔族による統治で魔神代理領が安定しているんですから、一概に水のように腐るとも言えないと思いますが」
「それはまだ腐らせるゴミが少ないからだ」
「ゴミですか」
自分をゴミ呼ばわりとは穏当じゃないな。
「増えてからでは手遅れだ。権力闘争は恐ろしい、家族すら平気で犠牲にする。それが魔族の座を巡るとなれば、更におぞましくなる。その上で魔族の中での権力闘争となれば更に酷くなるのは想像に難くない。覇権闘争になったらどうだろう? このババアには、脆弱なる者達を守り指導していく責務を負い、良心に従って行動することが義務となる、という魔なる教えを守ることなど到底不可能に思える」
「話が未来過ぎますが、考えは分かりました」
「というわけで、会議の趨勢は分からないが、魔族の増援は無いということを念頭に頑張ってきてもらおう。アッジャール軍に壊滅寸前に追い詰められ、その残党と反乱勢力を前に風前の灯になったジャーヴァル帝国を救ってきてもらう。たかが将校を派遣した程度で大局は変わらないものだが、やれるだけはやってこい」
「はい。ただ、硬い物を前に突き出す”男”以外を率いた経験が無いので、尻を前に差し出す”女”の指揮には自信がありませんよ。ジャーヴァル兵はどんなものですかね?」
「内戦には正義と王道を持って、外敵には全国が一致団結して、というのが全体の基本だ。それから部族や宗派ごとに差がつく。極端なところだと凶暴な人食い妊婦巫女、人工物が禁忌の全裸の投石兵、闘争をするぐらいなら嬲り殺されるのを選ぶ連中、取りあえず歌って演奏するだけの楽隊、がいるぞ。言葉もそれぞれ違うしな、まあまとまりが無いと言えば相当に無い、バラバラだ」
「そいつは編制に困りそうですね」
極端ではないところでもまとまりに欠けているということは、部族や宗派ごとに部隊分けをしないといけないか? 特色の少ない農民を徴兵して訓練するのが一番に思えるが、さて? こればかりは現地に行かねば分からないか。
「これをやろう」
ルサレヤ総督が懐から取り出した、小さな薄めの木箱を受け取る。人肌温度である。
「開けても?」
「うむ」
中身は、何たることか、ルサレヤ総督の羽毛で出来た羽筆だ。これじゃあまるで、
「今生の別れみたいじゃないですか」
「兵隊は何時だってそうだろう」
「ですけど」
「何? 死ぬのは私の方だと? ふふん、まだ三百年は現役の心算だよ」
「随分と蔓延る悪疫ですね」
「まあな」
何となく窓の外の月を見る。角度からして……夜も遅いか?
「あの最後になんですけど、魔神代理って何処にいたんですか? 普通の人間には見えないとか?」
「御前会議は名の通りに御前だ」
「まさかですが、会議場の骨みたいなのが魔神代理?」
「分かってるじゃないか」
「生きてるんですか? 魔族の種とか?」
「お言葉を発するのは必要な時だけだ。お前は会議中ボケーっとしていたから気づいていなかったかもしれないが、二回ご発言をしていたんだぞ」
「え? マジで」
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