第49話「オルフ王イスハシル」 イスハシル

 硝子窓には雪がこびり付いている。外の様子は強い風の音で伺える。吹雪だ。

 片目を切られて潰された。それから指まで突っ込まれた。その傷口も殴られて広がり、首の皮まで噛み切られた。もう少しで動脈に達するところであった。

 あの場での記憶は朧気だ。雪の中突然に騒ぎがあり、近衛隊が警戒行動を取り、気付いたら敵と打ち合って……その後は苦しい熱い夢をひたすら見ていたようだった。夢と現実の区別がつかないような。

 意識がハッキリしたのは、スラーギィから――命からがら!――ベランゲリに戻り、自分の寝室に戻った後。

 意識が戻っても傷はまだ生々としている。今でも傷が熱いような冷たいような、痛くて痒い。いっそ掻き毟りたいぐらいだ。

 畜害風に乗じた敵の奇襲に散々にやられてしまった。オルフに引き上げた将兵は十八万程。後はスラーギィの雪の下で寝ているだろう。

 フルンが死んだ。腰骨を銃弾に砕かれた。

 ユノナ=レーベが死んだ。馬に轢かれて全身の骨が砕け、内蔵が破裂した。

 イリヤスが死んだ。顔面を銃弾に撃ち抜かれた。

 襲撃してきた敵はほぼ皆殺しにしたそうだが、あの混乱の中ではその情報も不確か。

 ベルリクとあのアクファル、それにエデルトから条約の関係上で参加しているアソリウス軍の、魔族のシルヴが加わっていたらしい。そしてその重要な連中はイスタメルにいるオダルからの情報で無傷だという。仕返しにもなってない。

 まだ通達は無いが、これから亡き父の葬儀に、後継者を決める会議が通例ならばあるはずだが、さて?

 悪いこと、不穏なことばかりではなく、良いことはあった。

 既に気を利かせたポグリアと少数民族兵が連携して主要都市の要人を予防拘束済み。おかげで名目上は配下だが、他所からの息が臭いくらいかかっているアッジャール兵は動かなかった。亡き父の後継者争いに名乗りを上げるためにこのオルフを踏み台にと考える輩はいるはずだ。よくやった。

 ジェルダナの息子達……義理の息子達が彼等の騎馬憲兵隊で、状況に乗じた心算で武装蜂起した共和革命派を鎮圧。動きは事前に察知していたそうだ。そんなに有能だったとは知らなかった。いざとなれば王を取り締まるために実力でも隠していたか?

 ランマルカ海軍は何事も無かったように撤退。邦人保護が完了したと声明が出された。

 占領されたザロネジには市街戦の跡は残ったが、略奪や破壊は無かった。代わりにだが、共和革命派に感化された連中が増えたそうだ。治安部隊は、ランマルカ海軍対策も含めた守備隊、沿岸警備隊も合わせて増強済み。”にわか主義者”どもの再教育には徹底した見せしめが必要だ。街頭には祭りの飾りつけのように首を吊り下げておかせよう。

 それから、ポグリアから急に赤ん坊を手渡された。それから「ご覧ください」とその子の小さな男性器を見せられた。何のことかと思ったが、後継者だ。

 シトゲネが無邪気にその子をあやしている。姉弟にも見えてくる。その子に名をつけさせろとベランゲリ総主教がせっついているらしい。名前か……。

 マフダールが大使として和平交渉に当たることになっている。オダルはその補佐に動き回っている。

 イスタメルとの交渉以前の地盤固めの、近隣諸国との接触での成果は出ている。

 エデルト公使に主力健在を囁いた結果、何らかの圧力は現在まで無いそうだ。動員の、その準備の気配も無い。アソリウス軍に関しては触れないでおくことになっている。彼の国の攻撃性には常に警戒を払う必要がある。他人のことは言えないが。

 バルリー大使からは通商条約更新の打診の予告があった。戦乱による経済混乱で貿易収支の調整がうんたらかんらと理屈を捏ねて。火事場泥棒を企んでいる。

 イスタメル隣接国は静観の模様。こちらは魔神代理領との戦争で負った疲弊から立ち直っていないのでそれどころではないようだ。

 加えてイスタメル内では、今回の戦争へ応援に来た軍の帰郷が慌しいことになっているそうだ。内乱? 外敵? それらを踏まえ、強気に交渉へ出るそうだ。全てマフダール、オダルに任せると返事をした。

 和平交渉初回の結果。

 スラーギィの全割譲要求……これに対してはまず拒否。南北分割案を交渉材料にする。

 ペトリュク南部関門の非武装化要求……これも拒否。野盗対策程度の武装という名目だけの譲歩を交渉材料にする。

 最恵国待遇の通商条約の復活要求……開戦前に戻すことが国益に適うか要検討と返答保留。

 賠償金並びに損害補償金五億ウラクラの請求……そんなに出せるか! こちらは春になった頃にはまた三十万の兵力を出せるぞ。断固拒否。

 ジェルダナの解放を要求……オルフ領内の奴隷妖精の解放と引渡しを条件に了承される。マトラの地の妖精がかなり死んだようだからそれの補充か? これは他案件とは別に妥決された。

 レスリャジン氏族の帰属は本人の意思を尊重……同意はしなかったが、暗黙の了解としている。移動制限を実行すればレスリャジン氏族からの反発もあり、戦闘再開の恐れもある。フルンが亡き今、その繋がりは大分細くなってしまった。


■■■


 冬がますます厳しくなってきている。召使い達の立ち話のほとんどが雪と寒さに対するものになっている。

 顔と首の怪我が無くても外出が躊躇われる今の時期、宮殿内で散歩をするようにしている。傷がある程度癒えて、食欲も戻ってきた。ただ尻の肉が大分減った。

 ポグリアの仕事が忙しい間はシトゲネが息子の面倒を見ている。今も息子を背負って散歩についてきている。上り階段にさしかかれば「んしょんしょ、重いっ、重たいねー。もっと重くなっちゃうねー」と。

 レスリャジン氏族は兵役から復員し、帰属交渉中のスラーギィで普段の生活に戻った。我が身の帰属も土地次第という気の者ばかりらしい。生活がかかれば当然だ。

 レーナカンドで行われている後継者争いには首を突っ込まないことに決定した。葬儀の報せも無いとはどれほど混乱しているのやら。

 代理を立てて様子は伺うが、基本は何もしない。静観させてもらう。”自国”の立て直しが急務だ。

 今日は散歩ついでに正門に向かう。ジェルダナが帰って来たのだ。

 帰ってきたその姿――雪を薄っすら被って――以前の迫力は薄らいでいる。左腕の一本はほぼ根元から切断されて無い。幾分身が細くなり、顔はやつれ気味で白髪もやや混じっている。はっ、老けたな。

「お前は私のものだ。勝手に側を離れるな」

 雪を払ってやったら、皆の前で抱きつかれて、音が鳴る位の接吻をされる。

 二次交渉の結果。

 スラーギィ割譲案では、中洲要塞を線に南北分割に譲歩案も見せつつ、賠償金並びに損害補償金五億ウラクラを値切る方向に持っていくそうだ。

 ペトリュク南部関門の非武装化に対しては、野盗対策程度の武装と名打って譲歩しつつも、兵の配置次第では実質その内容を無実化する方法もあるので、その辺も考慮して無賠償、減額要求に織り込んでいくそうだ。イスタメル側よりペトリュク南部関門に監察官を派遣するという要求もあるらしい。落とし所は見つかる程度の摩擦には思えるが、どうだ?

 対等な通商条約を再検討することに決定。後腐れの無い関税をかける方向に持っていくそうだ。調整するとなれば経済官僚、学者、見識ある商人の出番になる。年跨ぎに時間がかかるな。それまで暫定で、年次更新での最恵国待遇となるかも検討される。関税無しで商品を持ち込まれるのは今となっては考えものだ。北進する余裕が無い魔神代理領相手にデカい飴をくれてやるより、金を稼ぐ方が大事だ。


■■■


 雪も溶けて春の兆しが見え始めた。多少は肌寒いが、青空が見える中庭に出てお茶の時間だ。

 シトゲネは大層息子がお気に入りだ。授乳しているポグリアの隣に座ってその様子を近くで見ている。時と場合によれば殺し合うこともあるだろうに。

「王、陛下? さま、わたしも赤ちゃんほしいな! あ、です」

 ポグリアが顔を背け、口に手を当てて笑う。自分はお茶を吹き出してしまった。何年先の話になるか。

 腕を失ったにもかかわらずジェルダナは引退もせず、国内の不穏分子の炙り出しと粛清に余念が無い。同時進行に軍の再編も行っている。ベランゲリに顔を出すのも稀だ。妻なのか将軍なのか……両方か、今更だな。

 三次交渉の結果。

 ペトリュク南部関門の軽武装化と、イスタメル側より派遣される監察官の駐留が決定した。これで賠償金の減額要求に相手が応じた。不名誉的だが実質問題ない。別の場所に相応の部隊を置けばいい。

 対等な通商条約の再検討には相互に専門家を出し合って調整する段取りがついた。また暫定の通商条件では最恵国待遇ではなく、エデルトとの間に結んでいる条件を微調整したものを流用することになった。

 予想通りにレーナカンドでは後継者選出で揉めているらしい。静観して良かった。支持してくれと各所から使者がやってきて小うるさい。お願いが圧力になって威嚇になる日も近いか? 隙を見せればそうなるだろう。

 早期にイスタメルとの交渉を決着させて南部を固めたいが、マフダールとオダルを焦らせてはいけない。


 春らしい春になった。パンに塗った蜂蜜に蜜蜂がとまるような。

 シトゲネが咲いたばかりの物で作った花輪を息子の頭に被せた。平和が良いと思い始めたのは片目を取られたせいか?

 四次交渉の結果。

 スラーギィ全割譲と引き換えに賠償金並びに損害補償金は帳消しになった。スラーギィの割譲で、レスリャジン氏族のほとんどはオルフを離れた。フルンの一族関係者のみがオルフに残るという話も出たが、残ってもしょうがない。スラーギィへ帰した。

 和平成立。スラーギィの中洲要塞での調印式が行われる予定で、これが済めば南方は固まる。

 この程度の和平条件はぬるま湯より飲みやすい。後はアッジャール後継者戦争を高見から見物して次に備えよう。

 父を完全に継ぐ必要性など無いのだ。砕けた狼如きを……。

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