第43話「死せるシビリ」 イスハシル

 シトゲネが送って来た木の実を鍋で煮て灰汁取りをしている。どこから持ってきたのか、ベランゲリの近郊かタラン部族の故地かは分からないが、中を虫が食ってたものが混じっていたので自力で取ってきたのは分かる。煮たら潰して、小麦粉を混ぜて焼いてパンにしようかと思う。部族から指導が入り、幼いなりに計算しての行為だと思うが、それはさて置き可愛らしいことだ。

 この作業をフルンが何度か手伝おうとしに来たが断った。大人しくしていればいいものを……前線にも居続けるとは……まあいい。

 一度目の攻撃は失敗だ。

 ジェルダナ率いる銃士隊の早期壊走と、自ら率いる騎兵隊の到着遅延。結果は大した被害を与えることもなく、こちら側の死者は一万を越えた。負傷者に脱走者も含めれば三万を越える。

 威力偵察という意味でなら失敗とは限らない。即製とは思えないほど強固な要塞、統制の取れた優秀な守備隊、艦隊に守られたダルプロ川が強力な補給線であることが明確になった。

 鍋を火から離してお湯を適量残るように切り、小麦粉を入れ、塩も入れ、木の棒で捏ねて混ぜる。

 フルンが頼んでもいないのに刀と弓に、最近めっきり触らなくなった玩具同然の猟銃の整備を始める。丁寧で手馴れた手つきなので不安は無いが。

 二度目の攻撃も失敗だ。

 増援と攻城重砲到着までの時間稼ぎと、それまでにいくらかでも敵を疲弊させる心算だったが、噂に聞くセレードの肉挽き器シルヴ・ベラスコイの到着により予定が狂う。牽制程度に使うはずだった大砲が軒並み破壊されてしまい、包囲部隊が丸裸にされてしまった。その門数は容易に補充できるものではなく、元の数に戻すにはオルフ中から掻き集めなければいけないほどだ……容易ではない。

 大砲が破壊されて素早く逆襲されてしまった結果、被害は未だ集計中だが死者は三万を越えてしまっている。これで勝ったならまだ納得出来る数字だというのに……不甲斐無い。

 頃合を見て鍋を火にかけ直す。

 そしてあの妖精使いベルリクは恐ろしいことに、投降した兵士を捕虜にせず不具者にして返して来た! その数も三万を越えており、馬の頭の皮を被せ、そして削いだ人馬の鼻を空から降らす始末! 情けないことにこれを見て逃げ出す者も錯乱する者も出た。

 死者、負傷者、脱走者、不具者を含めれば七万を優に超える被害は余りにも大きい。一体自分たちは何と戦っている……わけが分からなくなる。

 焼き具合を見て引っ繰り返す。

 不具者の三万が厄介だ。死んでいた方がマシだった。全く兵士として、人間としても不能になった連中だが、飯は食うし寝床で寝る。世話役も必要で、処分してしまえば楽だが、まだ健康な兵士達への動揺が凄まじいものになるので不可能。オルフに帰すにも細いペトリュクの街道を圧迫するし、帰したら惨状が目に見えて伝わって民衆は動揺する。スラーギィで飼ってても補給線に負担がかかるし、疫病の苗床にも……邪魔だ、苛々する。

 焼き上がった木の実パンを手に取る。焦げが多い。

 混乱は続いている。事態の収拾に当たっていた兄弟タフィールが戦死したせいで拍車がかかっている。しかもその死体から作られた石膏の死仮面がバラ撒かれるという侮辱! それに副官として就けていた他の兄弟達ときたら統制を失って仲違いするという馬鹿さ加減。更迭させようにも事態を現場で把握しているのがその馬鹿どもなのだから……頭が痛い。

 齧ると木の実パンの中は半生だ。チョビチョビ食べながら火の始末をする。

 新たに仕立てた宮幕へ戻り、机の上の手紙、書類を眺める。

 フルンがお茶を淹れてきたので貰う。

 中央軍はヒルヴァフカで一進一退の攻防を繰り広げている。お互いに投入できる予備兵力が有り余っているらしいので、もうしばらくこの状態だろう。

 こちらの現状を包み隠さず報せたが……父の頭の中が理解出来ない。正直に恐ろしい。

 左翼軍はジャーヴァル帝国内の反乱分子を焚き付けて状況を掻き乱して連戦連勝中。間もなくジャーヴァル帝国北部の抵抗勢力を始末し、西進して魔神代理領中央へ向かうそうだ。

 確実に我々右翼軍は左翼軍と比較されるだろう。陰口も気に入らないが、名誉を損なって実際の活動に影響が出てくるのが受け入れ難い。

 ペトリュク南部街道の第一期整備完了報告書。技術的な図解付きで、ダルプロ川の増水対策が完了したと書いてある。

 ポグリアの収支報告書。税率を変更してはいないし、臨時徴収もしていないが、税収が三倍以上に跳ね上がっている。田畑の発掘が順調らしい。

 既に三度目の攻撃用に第二陣十万、訓練を終えた補充兵も到着し、大量の物資を載せた車列も到着、攻城重砲の重々しい列も到着した。何れも二つの報告書が真実であると証明している。

 これで二十八万の軍の攻撃準備が整った。

 このまま敗戦続きではどのような処断を父が下すか分かったものではない。自分が散々無能だ馬鹿だと思ってきた連中と一緒にされるのは我慢ならない……動悸が胸から耳まで響く。

 伝令が到着したとフルンが言う……目の奥が重たい気がする。

 案内されて来たその伝令、馬も人も息を切らし、滴るほど汗を掻いている……嫌な予感しかしない。

 ランマルカ海軍が北部港湾都市ザロネジを占領との急報。大義名分としては邦人保護を謳っているらしいが、何を言ったって獣の唸り声と同じようなものだ……息が乱れそうになる。

 第三陣の兵十万をランマルカ海軍に向けるよう伝令を出す。第三陣はイスタメル内の制圧、ヒルヴァフカの側面から侵入する際の後備兵力として備えていたものだ。ここで投入することになるとは想定外も良いところだ。

 他に現状ではアテに出来る兵力は無い。

 非正規治安部隊は数こそ揃っているが、領内に散らばっており組織的にも差し向けられる部隊ではない。所詮は弱い者いじめのための部隊だ。

 ベランゲリのタラン部族兵も、他少数民族兵も非正規治安部隊の監督で外せない。王の旗を掲げただけの盗賊の監視役は外せない。

 訓練中の新兵を投入したところでどうにかなる相手ではない。

 余剰兵力が減った。数的には未だ優勢だが、次の攻撃の失敗でそれも無くなる可能性がある……頭が締め付けられるようだ。

 シビリがいたらまだ何とかなっただろうか?

 散々可愛がってくれた挙句にさっさと居なくなるなんて酷い仕打ちだ……何故死んだ?

 代わりがあの五人だとでも言うのか? 冗談だろう。だとしても、ジェルダナの身柄と引き換えに交渉の卓に乗せるものなど無い。特殊作戦で救出を行う人材も無い。攻撃して勝って奴等の身体の安堵と引き換えに、ヤケクソになってジェルダナを殺すなと勧告? 兵に馬を殺して、不具にして皮を剥いで鼻を削いだような連中相手に安堵を約束して捕虜を返せ? 何より、シビリを暗殺した連中と交渉だと?

 オダルの要望で武官として、マフダールとともにイスタメルに派遣してやったが、何か出来るわけでもないではないか。奴等は何しに行ったのだ?

 頭に血が昇る。体の感覚が薄い、酔っ払ったみたいだ。

「出れるぞ」

 イリヤスが行軍開始用意を終えたと報告に来る。

「あとは王大将閣下殿下の号令一つだ」

 号令一つで未来が決まるか。栄光の明日は遥か遠くに霞んでいる。

「勝てるぜ」

 返事をしようとは思うが口が動かない。四十万近い大軍を自由に動かす権限を持つ王が臆しているのか?

 イリヤスが食い残しの木の実パンを勝手に食って、ブゥーと地面に吐き出し、

「楽勝とはいかないけどな!」

 木の実パンの焦げを手でほじくり落とし、丸めて頬張る。その間抜けな顔に笑ってしまった。

「ホウモウ」

 口に物を詰め込んでモッチャモッチャ鳴らして言った意味は不明だ……まだこいつがいたじゃないか。

「出るぞ」

 急に頭の中が晴れた。

「おっしゃ、王様の言うとおりってな」

 宮幕を出て、二十八万の軍が行軍隊形で整列した姿を眺める。

 ユノナが遣わした救世神教の従軍司祭達が宗派問わずに祈りを唱えつつ、兵士の宗教を問わずに祝福の聖水をかけて回っている。

 この半数、いや十分の一までに兵が減少したとしても攻撃は止めない。皆殺しの憂き目に遭おうともベルリクの軍を立ち直れないほど血塗れにしなければならない。そうした後に徴兵して速成訓練を施した軍を合わせてぶつければいいのだ。

 シビリは死んだが、彼女の作った組織はまだ生きている。いくらでも人間を、オルフ人が涸れるまで突っ込んでやる。オルフ人がいなくなったらそれはそれで丁度良い。非正規治安維持部隊を突入する機会が得られることになる。それでダメなら今度は少数民族の軍だ……となればやはりジェルダナがいた方がいいな。奪還を視点に入れよう。

 ジェルダナがオルフ人を掻き集める。

 ユノナがそのオルフ人を鼓舞する。

 ポグリアが必要な金を集めて工場を動かし、装備物資を集める。

 シトゲネで忠実なタラン部族兵を動かし、オルフ全土の治安を維持する要とする。

 フルンで主戦場スラーギィのレスリャジン氏族の反逆を抑える。

 現状、欠けてならぬ者ばかりじゃないか。流石はシビリ、死んでも有能だ。

 イリヤスに「出せ」と声をかければ、

「全軍出陣! 前へぇ、進め!」

 と大声で号令を掛ける。それを合図に一斉に角笛の音が太く響き渡る。そして馬車の荷台に設置された大太鼓を鼓手が叩き、その音に合わせて全軍が前へ進み始める。

 フルンに手招きをする。驚いたような顔をして急いで側に駆け寄ってきた。

「はい」

「ついて来い」

「はい!」

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