第34話「妹様アクファル」 ベルリク

 バシィール城には演習場が併設してある。イスタメル公国時代には練馬場、領主用猟場、放牧地だった場所を丸ごと使っているので十分広い。猟場にあった林は演習場建設計画が上がった時点で道路整備用に全て伐採した。

 この演習場で、亡命してきたレスリャジンの者達を訓練する。隊名は捻らずそのまま、マトラ旅団レスリャジン騎兵大隊とし、三百名で編成した。

 隊長はトクバザルが推挙されてなった。亡命希望者を、人を集められるのだから資格があり、責任がある。セレード王国近衛驃騎兵の生き残りには余命を捧げてもらおう。

 彼等は兵士として動員する年齢幅が広く、老いた男、若い男女が、弓に銃に刀を持ち、成人手前の男女は銃に刀、子供の男には銃だけを持たせて体力に合わせている。足の速さは馬任せなので年寄りも子供も平等だ。

 今度、イスタメル州全軍で州総督による閲兵とそれに合わせて軍事演習があるから格好がつくようにする。格好がつく動きが出来ればあとは慣れだ。

 実戦経験豊富な年寄りがいるけれども、セレード王国軍を離れて久しく、統制があるやらないやらの傭兵暮らしも長く、そんな生活からすら離れた若者も少なくない。大規模な正規軍としての行動には不慣れだ。訓練あるのみ。

 全員騎乗したまま、まずはマトラ旅団長である自分が声をかける。彼等が乗る草原の馬に対して、こちらは魔神代理領で普及している砂漠の馬で体格が大きくて若干見下ろす形になる。ちょっと気持ち悪い。

「これから君等、レスリャジン騎兵大隊の訓練を開始する。内容は偵察と伝令だ。事前に覚えてもらった号令ラッパに旗信号を有効活用してくれ。軍事演習の日までひたすらこれだ。簡単に出来ると思うなよ」

「抜刀突撃は? 一撃離脱は? 旋回射撃は!?」

 トクバザルの息子、足折った馬鹿垂れ、妹アクファルの義兄、旧友ユーギトがビックリしたように大声を上げる。トクバザルがすかさずユーギトの頭に拳骨をブチ込む。

「その人数でどこに突っ込んで戦果上げるんだ。馬賊からは足洗え。今日から君等は敵をぶん殴る拳骨じゃなく、目の玉、耳そして手足に命令を伝える神経だ。曲芸でどうにかなる時代なんて千年以上も昔だ。弓に銃も刀も自分の身を守るためだけに使え。レスリャジン騎兵大隊の仕事は偵察と伝令だ。もし突撃命令が下された時は、それは死んで囮になれってことだ。突っ込んでくたばるのはその時にしろ。ラシージ」

 次にラシージが具体的な訓練内容を告げる。

「演習場敷地内にはマトラ旅団の旗を持った者がいる。これが味方であり、発見したならば手紙と伝言を受け取って速やかにこちらへ戻り手紙を渡し、伝言内容を伝えるように。状況によっては手紙が書けず、伝言で済ませる状況も考えられる。手紙だけではないのはそのためである。次に、同じように敷地内には模様が描かれた白い旗を持った集団がいる。これが敵であり、人数、装備、その他状況を見て報告を上げるように。また黒い旗を持った監督官も派遣している。彼等の指示には従うように。では解散」

 トクバザルが、早速ラッパ手に集合ラッパを鳴らさしせて大隊を集め、三つの百人隊が、それぞれ十の十人隊を持つという十進法の遊牧民伝統の編成にし、各隊を散らせる。

 伝言は結構難しい。丸ごと覚えるのは当たり前に難しいので要点を掻い摘むのがコツだが、失敗すると誤情報と化して危険である。同様に偵察も間違った情報を伝えてしまうと危険だ。小部隊だと思って軽視していたら実は敵の本隊の一角で、防御体勢が整わず攻撃を受けて敗北という戦例はある。かなり間抜けな話だが、そんな感じで大敗北を喫するのは珍しくはない。

 妹アクファルはレスリャジン騎兵大隊に組み込んではいない。ただ嫁でもなければお姫様でもないので奥座敷で寝転がらせておく気は無い。旅団長付きの護衛にした。貴族出の士官が個人的に従者等を戦場に連れて歩くのは珍しくはないのでその範疇。ルサレヤ総督の奴隷であるイシュタムだってその範疇だ。

 アクファルの実力に関してだが、トクバザルがお墨付きを入れていた。騎兵にするつもりで育てたら、育ったそうだ。従軍経験は無いが、武装した家畜泥棒を十人、女子供も含めてだが殺したことがあるそうだ。ただ大人の男十人殺すよりはある種凄い。容赦の無さは戦士の才能だ。

 訓練内容をラシージと考えている時に、試しにアクファルに伝言をさせてみたら、何と一字一句丸暗記して喋りやがった。相手が混乱しているという設定で少々支離滅裂にしてみたら同じく丸暗記したし、要領を得た省略も完璧。身内を側に置きたいというのを超えて、単純に優秀だから側に置く。絶対信頼が出来る奥の手は使うことが無くても安心が出来て有意である。

 初めはルドゥの野郎が凶悪な目付きでガンたれやがってせいでヤキモキしていたが、アクファルは妖精達とは問題なく生活が出来ている。一番の関門にして、通過さえできればほぼ問題無しなのがラシージである。ラシージ親分と仲良くさえできれば後の妖精なんざ付属品その他諸々だ。

 アクファルがラシージと初顔合わせをした時、アクファルはしゃがんで膝を抱えてラシージに目線を合わせた。背は低いが子供じゃないぞ、と言おうと思ったが雰囲気はそうではなかった。

 両者ともあの細い目で何も言わずしばらく見詰め合っていた。先に目を反らした方が負けという勝負でもなく、探り合いの気配も無かった。そのやり取りの意味は勿論不明で、それ以降も二人は言葉を交わした様子は無かったが、普段でも割と近くに寄り合って、今も馬を並べているので仲は悪くないようだ。交流に言葉が必要だというのは思い込みかもしれない。

 レスリャジン騎兵大隊が散ってしまったので戻るまでやることがないなぁ、と近くを飛んでいた蝶の羽ばたきを、動体視力を駆使して見られないものかと挑戦していたら、騎手も馬も汗だくの伝令がやってきた。疲労からかちょっといい加減な敬礼に、返礼。緊急の場合は敬礼省略と以前は考えていたが、ウチの旅団だけ例外にすると他所との折衝に齟齬が出てくるので従来通り。

「旅団長閣下、報告します! 三七番補給基地を通過したアッジャールからの使節団がバシィール城に向かっております。昼過ぎには到着の見込みです!」

 昼過ぎ? 二度寝でもしたか馬鹿垂れ! とすぐに怒鳴るような馬鹿指揮官は嫌いなのでやらない。理由を聞きましょう。

「準備するのもギリギリな時間だが、理由は?」

「は。使節団全員が騎馬で軽装、休憩時間も短いです。良馬揃いかと思われます」

 馬の本場アッジャールの良馬ときたら、血統までついたら船みたいな値段がする。瞬発力なら砂漠の馬には勝てないだろうが、長く動く持久力には優れている。妖精が使っているイスタメルのへなちょこ馬とでは比較するのは可哀想か。これからのレスリャジン騎兵大隊に期待したい。

「ご苦労、追い越されなくて良かった。下がっていいぞ」

「失礼します!」

 しかし、三七番補給基地の警備担当の奴等め、旅団長ベルリクに用事があるとか言われたんだろうが、そう聞いたからすんなり通すとか馬鹿正直過ぎる。バシィール城は確かにマトラ県内だが、地形的にはほぼマトラではないと言っても良い場所だ。ここには東西南北に舗装された道路が延びてるし、アッジャールの連中は使わないだろうが、河川艦隊の定期連絡船がある。一晩見逃したらどこに消えるか分からない場所なのだ。そんなことも考えないで、北部との交流で、相手方の進入はマトラ県内までに限るなんて規則をそのままその通りにするなんて何の心算だ? 足止めして、一報入れて判断仰いで準備をさせるかしてから通すって手順があるだろうに。ミザレジか踊り子妖精かその一派が何か企んでいるのか? 面従腹背とまでいかないのだろうが、軍属外の自我の強い妖精は一体何を考えているのやらさっぱりだ。あの二人なら分かっててやれる頭がある。どうしろっていうんだクソッタレめ。

 しかしアッジャールの連中が事前に通知しなかったのはどういうわけか? 揺さぶりをかける技術なのか、遊牧帝国ではそうやってきたのか、格下扱いなのか?

 腹減った。

「ラシージ、後は任せた。アクファルはどうする?」

「お側にいるのが仕事と仰っていたので、そのようにします」


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 アクファルを連れ立ってバシィール城に戻る。使節団が到着するまでは、ギリギリとはいえまだ昼過ぎまでには時間はあるので腹ごしらえを済ませておく。食事中にもし到着しても、待たせる言い訳が出来るし、一緒に食べるかと言って召使い頭の妖精の馬鹿盛り料理を……外交問題に発展しないように普通の量で出させるのが正解だな。

 最近になって発見したことだが、召使い頭の妖精が作る飯の量は条件さえ整えば決して多くはないのだ。これは次の飯の時間まで良く働けば十分に食べられるよう計算? されている。これに気づけば、動いて腹を減らしてたらふく食う、という流れが完成して強い体になる。ここに来る前に来ていた下着は明らかに小さくなった。

 妖精だらけの城で士官食堂とか意味が無いので、一般兵士が使う食堂に入る。

「おーい飯くれ! 用事あるから早く食いてぇ!」

「何だ城主、”生”食って虫飼うのか? 豚と揃いだな。糞食いてぇならここじゃねぇぞ」

 厨房からは、相変わらず口の悪い召使い頭の妖精が顔を出す。妖精とも女とも思えないデカい手は皮膚がぶ厚くて変色してて、作業から離れて自分を見に来た妖精には蹴りを入れて引っ込める。

「客来るからすぐ食えるの出せよ。無ぇならそのでっかいおっぱいから母乳出せよ」

「出ねぇよこの糞城主。待ってな」

 召使い頭の妖精が顔を引っ込める。床の絨毯に座って待機。

 給仕の妖精が、まずは牛乳粥、次に豚肉の燻製を葉野菜で包んだ物と一品ずつ続々と運んでくる。調理が終わって食べられるようになった温かい物、切るだけで簡単に作れる物が交互にやってくる。一品一品が結構な量で、それがあてつけではないが、見知らぬ者がいたらそのように見える量が運ばれてくる。ここで心配になるのがアクファルだが、体格は良いので男並みに食べるので問題無し。

 最後の一品なのか、給仕の妖精が切った蜜柑を持ってきて、それから何故か膝の上に座ってきた。

 蜜柑を食べてると、召使い頭の妖精がやってきた。察しがついて給仕の妖精を脇に退けたら、蹴っ飛ばされて膝の上に戻ってきた。食いかけ汁だらけの蜜柑を口から落とした。座っている絨毯の上だが、ここは土足で歩いたりする場所でもある。

「何落としてんだ城主、食えよ」

「やったのてめぇだろが、おっぱい揉むぞこら」

「早く食え、絨毯洗えねぇだろ」

 召使い頭の妖精が近寄って、給仕の妖精の太股を踏みつけてジリジリ踏み躙って悲鳴を上げさせる。黙るかと思っておっぱいを片手で掴み、もう片手で拾って食べる。

「おらよ、染みもねぇよ。ゆっくり食わせろや召使い頭」

 見た目通りに乳がデカい。両方掴む。

「召使い頭ぁ? 何だそりゃ」

 軍務省には将兵以外にも一般職員の名簿を提出している。そうしなければ給料が支給されないからだ。妖精連中はほとんどが名無しで、名前代わりに役職名で提出した。そういえば役職名って妖精に教えて回ったことが無かった気がする……いや、確実にしていない。そもそも、あいつら知らない内に仕事を取替えっこしているし。

 しかしここで出した物を引っ込めるのは性に合わない。

「じゃあ何だよ、役も無くて名前も無ぇってか、乳デカおっぱいって名前にしてやろうか?」

 揉むが、乳デカおっぱいは全く反応無し。

「好きに呼びな」

 本当にそう呼んでやろうかと思ったら、アクファルが「ナシュカ」と聞こえるように一言。

「ん?」

「あぁ?」

「名前が無いなら、ナシュカ。嫌ですか?」

「好きに呼びなって言っただろ」

 およそ受動的だったアクファルがここにきて積極行動。口に出さないだけで頭の中では言葉が相当量グルグル回っているのかもしれない。

 乳を揉んでる気が失せたので放す。召使い頭改めナシュカは給仕の妖精を掬うように蹴り上げ、舌打ちしてから蜜柑が落ちたところを指で拭ってにおいを嗅いで、腰帯に下げた手拭いで叩くようにして汚れを取る。

 最後の蜜柑をアクファルが口に入れたのを確認してから、「ごっつぉさん」「ご馳走様でした」と言って食堂を後にする。


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 執務室に移る。ここに偽の使者として来たのが懐かしい。まさか今では本物の使者を待ち受ける立場になろうとは、人生どうなるか分からないとはこのことだ。

 準備をすると言っても、筆記用具の準備と、旅団長という役職に関連する法をまとめた、自作本での予習ぐらいだ。この本は前にルサレヤ総督に見てもらった時に加筆修正してもらったので完璧である。

 アクファルは部屋の隅に座らせ、使節団の応対には同席させて社会勉強だ。補佐官にするかまでは考えてはいないが、妖精以外の相談役がいたら良いと思っている。それに、物は知らないより知ってるほうが将来役に立つ。

 扉が叩かれる。やっと来たか。

 アクファルがさっと立って「どちら様ですか?」と言う。そういえば入り口で応対させる役置いてなかったな。

「旅団長閣下に、アッジャール使節団の事前情報をご報告しに参りました」

 こちらを向いたアクファルに、頷いて中に入れろと指示。扉が開かれ、踊り子妖精が執務机の前まで来て、踵合わせて背筋伸ばし、敬礼。

「よろしいでしょうか?」

「頼む」

「アッジャール使節団は要人二名、護衛はそれぞれに十二名ずつの二十四名。一人はオダルという老人で、イディル王の若い頃からの戦友、将軍です。また子たるオルフ王イスハシル王子の側近であり、イスタメルの戦力評価に来ています。場合によっては連絡将校として残留する意志があります。二人目はマフダール、外交官でありオダルの息子でもあります。彼等のように一族で王子に仕えている者達がおります。しかし内戦では彼等のような者達が王子を捕らえて突き出しました。王命で王子を支えていると思われます。反乱には参加したのに、包囲されれば潔く降伏するなど考証の余地がある行動を取っております。以上のことからイスハシルの意志と乖離した交渉が有り得ます」

 何にせよ一筋縄ではいかない相手だということか。

「マフダールは、旅団長閣下からマトラ県を中継してのランマルカ革命政府との外交交渉依頼を目的にしています。その見返りに優待国基準の関税で交易することを提示する予定です。必要なら最恵国待遇の無関税まで引き下げる覚悟でいるようです。ほかにも弾除けのように提案をぶつけてくる可能性はあります」

 こっちで決められる案件は無しってことだ。自作本をめくって確認するが、全てルサレヤ総督に持っていかないといけない案件だ。こっち経由のマトラ、ランマルカの外交交渉だって、許可無しには一言も声はかけられない。

「交渉相手として旅団長閣下には警戒心を強く持っています。口だけで城を取った、交渉不能な妖精との信頼関係を持った、平定間際で人心荒廃しているイスタメル人を望んで死地に突撃させた、ということを話し合っております。戦争しか知らない純粋たる軍人として見ていません」

 思い切って先に条件だして良いよって言ってしまうか? どっちにしろ保留保留と答えるしかないが。

「私を信頼して下さるのならば、ランマルカ革命政府との外交交渉依頼を受託するようお願いします。これで同時に旅団長閣下とランマルカ革命政府との間で交渉窓口が開かれることになります。ミザレジ県知事はランマルカ革命政府を信用しておりません。受けた支援は今まで最小限でした。その支援を大きく得るのは、旅団長閣下の一押しでミザレジの行動指針を変える必要があります。マトラ代表が支援を受ける気が無いというのに、遠隔地のランマルカ革命政府が支援を送るわけはありません。受託すれば二つの利が得られます」

「利?」

 言いたいことが山ほど出てきているが、最後まで聞こう。

「まずアッジャールに交渉窓口が開くので、そこからランマルカ革命政府を通して情報が入ってきます。情報が抜け出る裏口は重要です。そして旅団長閣下とのランマルカ革命政府の交渉窓口です。必要な支援を要請できます。切り札と言ってもよろしいかと」

「そこまできたらルサレヤ総督に相談しなきゃどうにもならない。権限から逸脱し過ぎだ」

「では、会談後に問い合わせをお願いします。早馬を出させばよろしいかと」

 その心算だが、部下から言われる筋合いは無い。随分熱くなっているな。

「焦る理由を言ってみろ」

「焦る……否定しません。生半可で済まない敵相手に、我等、私のマトラ存亡の危機を前にして悠長にしていられるわけがありません。アッジャールに、魔神代理領のように妖精を区別して共存するような柔軟性はありえません。奴等は妖精を虐殺することで問題解決としてきています。遊牧帝国の中には一つも妖精の共同体は残っておりません。奴隷として生き残っている者はわずかと言われていましたが、繁殖の機会も無いので絶滅同然でしょう。魔神代理領にとってはマトラなど所詮は一戦線、一地域、便利な防壁程度に思っているでしょう。それに甘んじることなど有り得ません。出来ることは全てします。仮に我々が絶滅するのだとしても、妖精を滅ぼそうとしたのならばどのような犠牲を払うことになるのか知らしめます。世界にまだ生き残っている同族のためならば死は軽いものです。勝利か死か、我々の行き着く先は二つしかありません」

 異種族外国人からしたら実感の無いことばかり。軽視する気は無い。

「熱意と危機感は分かった。まずこのまま使者と会談する。下調べ通りに話が来たら返事は保留にし、ルサレヤ総督にお伺いを立てて返事を待つ。許可か不許可か、使者とお前も一緒にシェレヴィンツァに行くことになるか、総督代理がこっちに飛んできて再交渉かは分からないが、独断行動は決して取らない。取ったらむしろマトラに不利益に働く要素が多過ぎる。勝手に外国勢力を引っ張り込むなんてしたら処刑ものだ。ランマルカの力が必要かどうかは審議の必要がある。だから待て」

 踊り子妖精は何も言わず、表情も変えず、一礼して出て行った。何で分かってくれないのか、というような言葉でも浴びせてくると思ったが。


■■■


 踊り子妖精が持ってきた熱気が冷めたぐらいで、アッジャール使節団が到着したと報せが来る。そして、廊下を歩く音が妖精と違って派手なので近づいて来るのがよく分かった。

 アクファルが部屋の外で「お待ちしておりました、どうぞ」と扉を開けて二名を中に通す。

 老将オダル。何十年も戦場に立ってきた者の威風がある。

 オダルの息子のマフダール。外交官だが、文弱の様子は全く無く、頭の良い戦士と言った風貌だ。

「お初にお目にかかります、マトラ旅団長グルツァラザツク殿。私はアッジャールのオルフ王領の外交担当であるマフダールと申します。隣の者は将軍職を務めるオダルと申します」

 百の王を馬蹄にて踏みつけし偉大なる王の中の王、黒鉄の狼イディルの使者であーる頭が高い、とはこなかった。小国相手だったらするんだろうなぁ。

「どうも初めまして。さ、座ってください。あまりお客人を入れる城ではないので、ご不満が無ければいいのですが」

「そんなことはありませんよ。とその前にこれをどうぞ」

 オダルが、硬い長方形の革鞄。入れ物だけでも作りが良く、接待狩猟に持っていけば客より目立って怒られる程度の物を差し出してくるので受け取る。

 オダルではなくマフダールに主導権があるようだ。まあ、外交交渉は文官の領分か。

「これはどうも」

 マフダールとオダルが中々座らない。土産を確認しろということだと思うが、賄賂をやったからどうだみたいな小細工は無論効かない。反応でも見てるんだろう。土産に素直に喜ぶ単なる兵隊に毛が生えた奴か、政治に頭が回って警戒する奴か。そういう本格的な作業はルサレヤ総督にしてくれ。

 革鞄を席の後ろに置くと、マフダールとオダルが、倉庫から引っ張り出してきた客用の椅子に座る。アクファルに言われなかったら絨毯と毛皮に座らせるところだった。やっぱり必要があれば喋る子なのだ。

「それでは、お話の前に一つ。権限外のことは全て総督府に伺いを立てなければいけないことをご了承下さい。シェレヴィンツァの総督府にご案内も出来ますし」

 旅団長権限なら外交使節を連れて行って紹介ということは出来る。

「ここで一旦私が聞いて、その内容を早馬を出して伺いを立てるという方法もありますが、どう致しましょう?」

「一先ずはグルツァラザツク殿に聞いて頂きたい。直に接することになる人物とは話をしておきたいと思っています」

「分かりました。失礼ながら、手紙を作らなければならないので覚書きを作りながら聞かせていただきますよ」

「どうぞ。では初めに、大使館の相互での設置と、連絡将校の相互派遣がしたいのですが」

 連絡将校までならこの場で判断可能だが、そうなると派遣する人材が手元に限られる。自我の強い妖精だとラシージとなるが、旅団運営以外にも必要な人材なので無理。外交が分かるとしたら踊り子妖精になるが、仕事が別にあるし、妖精の上に女となるとかなり問題が起きそうだ。人間から出すといってもマトラ旅団は基本的に全て妖精。新たに加わったレスリャジン騎兵大隊から出すとしても、亡命して直ぐあっちに派遣なんて問題が起きるだろう。

「分かりました。総督府に問い合わせてみます」

「連絡将校だけでも権限で判断できないのでしょうか?」

「最適な人材を選ぶ必要がありますので、事前にご連絡頂けたら可能でした」

 事前連絡無しで来るんじゃねぇよ、と引け目を負わせる。負っても屁とも思わない面はしているが。

「分かりました。次に通商条約に関してですが、よろしいですか?」

「通商条約に関しましては軍人の権限を越えてしまいます。そちらの案があればそのまま総督府に送付できますが?」

「ではお願いします」

 渡された通商条約の内容を流し読みし、机の脇に置く。完全に守備範囲外だっつーの。分かってて言ってるだろ。それとも権限がどの程度か探りを入れるためか?

「次に、ランマルカ政府との外交交渉中継を依頼したいのです。これに関してはイスタメル州というよりはマトラの方と、特にグルツァラザツク殿と行いたい。妖精との深い対話が可能なあなたとです」

 本当にこの話持ってきやがったぜ。踊り子妖精、お前はどこに耳がついているんだ?

「外国を巻き込んだ案件については総督府との相談無しには一切行えません。こればかりは善意でもどうにもなりませんよ」

 踊り子妖精に加えてルサレヤ総督からもやれって言われたらどうなるんだろうな? ミザレジに話を出して、返事が来たら踊り子妖精にぶん投げる、か? ラシージにも相談しないと旅団的にもマズいよなこれ。

「なるほど、仕方がないですね。次に、レスリャジン氏族からの脱走兵の返還を要求します」

 完全にこっちの問題。しかし、脱走兵という扱いにするとは小癪な連中だ。喧嘩を売ってランマルカ外交交渉をふいにはしたくあるまい。交渉の道具、取り下げること前提の案件と見た。

「レスリャジン氏族には、指導者が指導者として不適格だと判断した場合にはその下から離れる習慣があります。当然のことです」

「我がアッジャールの法ではそういった習慣は認められておりません。彼等の集団脱走はレスリャジン氏族が我々の民になってから発生した事件です」

 背後に刀を佩いたアクファルが居るのによくもまあ平気でそんなことが言えるもんだ。

「法的な話となれば総督府の判断を仰がなければいけませんが、この場で言えることがあります。亡命は総督府の許可を得て受け入れました。またアッジャール側の関門は問題なく通過して入国しており、その違法性を訴えられた事実はありません。また魔なる法により、家族の保護が許されております。その脱走兵には私の家族が含まれておりますので、個人的行為ならばこの場で可能です」

 流石のマフダールは表情に変化無し。オダルの目がほんのわずか細まり、肩まではいかないが、胸の筋肉わずかに動いた。この問題でグジグジ言うなら怒っちゃうぞということは伝わったようだ。

「この案件についてはこの場での単純な交渉では終わらないようですね」

 敵から脅されるのは愉快でもある。こいつ何する気かなってのが面白い。

「ランマルカの件ですが」

 まだ言うか?

「もし交渉が成った暁には見返りに、アッジャール朝オルフ王領発足につき設定される関税を、優待国待遇にする用意があります。その点も合わせて総督府にご報告いただければ、と」

 別に北路が無くても困らないんですけどって言いたいけど、これを判断するのはやっぱりルサレヤ総督、もしくは中央のどっかの貿易担当の官僚だ。将来性とかまで一軍人が知るか。

「必ず連絡します。連絡の返事が来るまで待たれるのなら宿泊出来ますよ。この城の方が部屋は良いですが、妖精達との生活になりますのでちょっと、慣れないと色々とお困りになられるかもしれません。宿の方は商人が泊まる程度であまり良い部屋もありませんが、こちらは人間が経営してますので静かですよ」

 好き勝手やれるなら寝首掻いてやるんだがなぁ。

「ではお言葉に甘えまして、まず城の方でお願いします。寝辛かったら宿の方で、よろしいですか?」

「構いません。手配させますので客室でお待ちを」

 アクファルが部屋の外に出て、案内の兵士を連れて来る。何時の間にそんな仕事が出来るようになったんだ?

「この者がお部屋へ案内します。どうぞ」

 兵士が二人を案内して出て行くのを見送る。部屋を出て、離れたのを耳で確認。

「アクファル、何時仕事を覚えたんだ?」

「こちらに移って以来、見学していました」

 見学じゃなくて自学って言うんじゃないかな?

「良くやった、偉い、いつもより二割増しで可愛いぞ」

「ありがとうございます」

 よもやと思って見ても、アクファルの表情に変化無し。

 ルサレヤ総督宛の手紙を書くので、話を聞きながら書いていた雑用紙を見直し、下書きを別の雑用紙にパパっと走り書き。アッジャールの案件、踊り子妖精の話をどう構成して書くか考えながら二回目の下書き。清書のつもりの三回目の下書きを書き、何度も読み返しながら言葉のおかしいところ、誤解されそうなところを探して修正。

 この前のルサレヤ総督への定時連絡の返事に、文章どころか文字の書き順まで指導する朱墨の筆が入った手紙が返されてきた。半分冗談なんだろうが、仕事の面でルサレヤ総督に甘えた切りは嫌だ。個人の面ではもっと積極的に行きたい。

 最後に高級紙へ清書して手紙を仕上げ、封筒に入れて、蝋を垂らしてバシィール城の判子で蝋に刻印を入れて封印。マトラ旅団になっても本拠はバシィール城なので問題ない。

 昔に比べて手紙を書くのが早くなった。旅団になる前ぐらいの自分だったら明日まで掛かるか、ラシージに手伝ってもらったかだ。ラシージに手紙を手伝ってもらってルサレヤ総督に送ると”お前の腕は四本もあるのか?”などと返事がくる。全文を書いてもらえば”人を使うのが指揮官である”だ。内容を考えてもらったら”魔族でもそこが四つある者はいない。三つはいた”とくる。ルサレヤ総督は手紙で遊ぶクセがある。ババアめ、チューしてやりたい。

 部屋の隅でジっと待っていたアクファルに目が留まる。いけるか?

「アクファル、総督府に伝令出すから呼んでくれ」

「はい」

 淀みなくアクファルは部屋を出て行き、お土産の中身をチラっと確認していたら、さほど時間を置かずに城で待機させてる中でも、顔も覚えがあるような一番仕事が早い伝令を連れて来た。仕事を取替えっこする妖精の中でも、それをしなくなった進化型の奴だ。急な事でもあるが服装、装備もだらしないところは見受けられず、すぐに出て行ける状態だ。封筒を手渡す。

「ルサレヤ総督宛てだ」

「は。ルサレヤ総督閣下宛て、了解しました!」

 伝令は防水鞄に封筒を入れ、敬礼して足早に出発して行った。

「アクファル、どこでそんな仕事覚えた!?」

「マトラ旅団司令部付き偵察隊隊長ルドゥに相談し、最適な伝令を選んでもらいました。私ではありません」

「違うぞアクファル、他人を頼るのも仕事の仕方だ。合格、可愛さ四割増しだ」

「ありがとうございます」


■■■


 疲れたから外で庭を見ながらお茶にする。お茶の相手はアクファルで、話しかけなければ基本的に口を閉じたままなので静かで疲れない。こういう点ではラシージのようだが、ラシージだと弄りたくなるのでやっぱり違う。

 今日のは茶葉を粉末にした物で、香りが強い気がする。お茶は正直良し悪しが分からない。

 庭はナシュカが手入れをしているので綺麗にされている。観賞用の花はないが、観賞してもいいような薬草や香草、野菜が植えられている。配列配色にも一工夫あるような感じで、ただの暴力おっぱいではないと教えてくれる。

 このお茶を持ってきたのは給仕でもなければナシュカでもなく、踊り子妖精。二人分しか持って来ていないのは、弁えているのか、忙しいのか……忙しいならこんなことしないか。頭でも冷やしているのだろう。

「ね、妹様」

 踊り子妖精はしゃがんで、アクファルを見上げる位置につく。こういうのは計算してやっているんだろうなって思うと可愛くなくなる。

「私のことでしょうか?」

「そうだよん、アクファルの妹様」

「何でしょうか」

「私にも名前欲しいなぁ。あの足癖悪い飯炊き女にもあるんだったら私にもつけてください」

 妖精に名前が流行しそうな雰囲気だ。今更になると逆に面倒臭いような……ラシージに相談するの忘れてたな。軍事演習終わるまでそんな暇無さそうだし。

「シクル」

「シクル? うん、シクル。うふふ、語感は良い感じですね、シクル。由来はありますか?」

「コジュルーン三百夜という小説で、主人公の恋人の名前です」

「あら素敵。じゃ、あの女をこじらせたナシュカの由来は?」

「同小説の主人公の母親の名前です」

「私が恋人、あっちが母親。なるほど、そんな感じですね。でも実はですね、私には子供がいるんです。ナシュカにはいません、皆ビビって手を出しませんから」

「取り替えますか?」

 なんつーこと言うんだお前は?

「いやいやいや! 流石にそれは妖精でもご遠慮します。そう、そのシクルとナシュカってどんな人物なんです?」

「シクルは未亡人で、亡夫の遺産で生活している人物です。ナシュカは子沢山の母親で働き者です」

「私そんな風に見えちゃいます?」

「シクルは男を手玉に取るのが得意な絶世の美女、というあたりが相応しいかと」

「美女だそうですよ!」

 腕に命名シクルが絡み付いてきた。勿論おっぱいつきである。

「その二人、最後はどうなるんですか?」

「はい。ナシュカは主人公に頭を叩き割れて死にます。シクルはその前にナシュカに解体されて肉屋に並びます」

「それは聞かない方が良かったようですね」

 他に何か適当な登場人物がいる本があるだろうに。

 それから楽しそうにシクルが喋り、アクファルが淡々と返す、が繰り返される。言葉も風の音みたいになってきて、頭をボケーっとさせていたら何時の間にかシクルが去っていた。盗聴でもしにいったか。


■■■


 お茶飲んでその分小便を出して、演習場へ戻る。かなり広範囲に散るようにしてあるので時間はかなりかかるようにしてある。馬無しなら丸一日は掛かる程度に気合を入れてある。お茶と応対をしている間にどうなったか。

「ラシージどうだ?」

 ラシージは一人でポツンと帰りを待っていた。レスリャジンの連中は見当たらない。

「馬も乗り手も流石は遊牧民です。予想以上に早く訓練が終わりました。今日は新装備点検もありますのでまずは帰らせて、自分達で反省点を探させています。これで自分で考える頭があるかないか見ます」

「とにかく早さと持久力は合格だな。肝心な方は?」

「旧セレード兵の老人はこのまま投入できます。若年者はこのまま訓練を積まないと居ない方がマシです」

 誤情報配布は勘弁して欲しいな。いかなる名将とて目の玉抉られては勝利も覚束ない。

「子供が操る馬の足の早さが素晴らしいです。手紙だけなら子供で十分です。また子供の中には伝言も難なくこなす頭が良い奴がいます」

「偵察は結構良かっただろ」

「はい。偵察に関しては流石の遊牧民で、目が良いから敵役の者達が気づかないような遠方から偵察できています」

「で、対応能力は?」

「予告しないで行った襲撃には即座に混乱せずに対応しました、ただ逃げるよりも戦うことを多く選んだ点が不合格。伝言や手紙を渡すのにワザと手間取らせると激情していたのも不合格です。血の気を抑えないと実戦では使えません」

 兵隊、それも粉砕覚悟で突っ込む騎兵根性がある連中の好戦性を抑えるのは難しそうだ。

「どうやって抑える? 反復訓練と脅迫しかないか」

「何度か訓練してからになりますが、酷い場合は仲間に鞭打ちをさせます。反抗著しい場合は縛り首です。トクバザル大隊長にだけ今のところは言い含めてあります」

「妥当だな」

 身内が縛り首というのは気分が良いものではないが、予告して猶予もあるんだから甘い方だな。いきなりぶっ殺したら逃げる可能性も多少はあるし。

「ラシージ、飯食ったか?」

「まだです」

「行って来い」

「行って来ます」

 ラシージを見送ってから、馬の上で寝る。午後から開始予定の新装備点検の準備が整うまで待つ。風と馬の心音、鼻息だけが聞こえる。アクファルは静かなものだ。

 最近は大体十日に一度の頻度で新装備点検を行う。マリオルの港で武器商人と取引して、河川艦隊がここに運ぶので今だと十日ぐらいかかる。大砲があるから鈍足なせいもあるが、何より武器商人の来航頻度が遅い。

 新装備点検とは、輸入した銃と大砲の試し撃ちをして、不良品が無いか調べることだ。ついでに若い馬を火薬の爆音に慣らす訓練も兼ねる。

 物を運び、まだ派手な行動に慣れていない若い馬が騒ぐ音が聞こえてきたので身を起こす。続々と新装備点検を行う兵士が集まってくる。これにはマトラ県の民兵も多く参加している。実際にこの武器を使うのは彼等だからだ。

 銃撃用の的が設置され、砲撃の着弾観測用に一定間隔で杭が打ち込まれていく。

 ラシージが戻ってくる頃には作業が終了し、事前に指示は出されているので射撃が始まる。刺すように小銃の銃撃音が鳴り、的に当たったり当たらなかったり。大砲で砲撃して爆音、若い馬が驚いていななき、地面を砲弾で抉り、飛距離や照準のズレを計測。白煙が一斉に吐き出されて霧がかかったようになる。

 今までの試射結果では、広い魔神代理領から集められた武器なので規格に沿ってても性能がマチマチという評価だ。あからさまな不良品はほとんどないし、そういう物は発射前の分解点検で見つけ出せている。暴発事故で怪我人が出たのはまだ一件だけ。

 大砲の弾着観測のような難しいことはラシージにお任せである。大砲ごとの弾道の癖の検査なんてさっぱり分からないので、こっちは遊び半分で小銃に拳銃を撃ちまくるのだ。偵察隊が我々用の武器を持ってきたので開始する。

 ルドゥが狙撃用の精度の高い一品物の小銃を撃ち、遠くの的に当て続ける。たぶんど真ん中、遠くてハッキリ見えない。遊牧民の血が流れているのに、環境が違うせいで視力が普通だ。悪くないし、良い方だが、こういう連中には敵わない。

 アクファルも同じように小銃を撃つ。良い腕をしていて、中距離くらいの的だが、良く当てる。使っているのはルドゥに同じく値が張る一品物の小銃とはいえ、使いこなすにはやはり良い腕が無いといけない。

 アクファルの腕を見て感心していると、急に一斉射撃でその的が破壊される。こんな芸当が出来るのは知り合いで一人だけ、振り返れば白煙の中から登場、髪の毛お化けのセリンである。髪の触手には数十丁の拳銃が握られ、髪を広げる際に落ちたであろうお土産の巨大頭巾が足元にある。今回の武器の運送にくっついてきたみたいだ。

 拳銃を引っ込めたセリンは必要以上にべったりくっついてきた。肩に顎乗せて、左手を腰に回し、右腕と右足を絡めてきた。

「旦那ぁ、何あの子? 亡命してきたガキんちょ?」

 髪の触手で巨大頭巾を手繰り寄せ、自分の体に巻きつけてくる。女のにおいと硝煙の臭いが混じって咽そうになる。別に嫁でもないくせにとは思いつつも、顔にも声色にも出さない。

「種違いの妹だ。俺に親権が移ったから、娘ってことにもなる」

「妹?」

「紹介する」

 この言葉でようやくアクファルはこちらに向き直る。セリンみたいなのですら用が無ければ振り向きもせずに無視できる胆力は流石だ。

「こちらはマリオル県知事及びイスタメル海域提督であるギーリスの娘セリンだ。魔族でもある。公私共に仲良くやって、世話になってる。ご挨拶しろ」

「ベルリク=カラバザル・グルツァラザツク・レスリャジンの妹、アクファルと申します。よろしくお願いします」

 アクファルが銃床を地面に立ててから礼をすると、セリンがババっと体から離れ、勢いで巨大頭巾に巻かれて回転し、よろけつつ体勢を立て直す。

「あっ、あははははー! どうも、どうもね、よろしくね! あはーへぇーアクファルっていうんだ、良い名前だねぇ。おっ、よく見れば中々良い美人さんじゃないの! まあ、ウチの兵隊に見せたらモテモテだよ! 鉄砲の腕も凄いね、誰に教えてもらったの?」

「伯父である義父、トクバザルです」

「まあそうなの。ね、もう一回的撃ってみせてよ」

「はい。バラバラになっておりますが、どれを狙いましょう?」

「あはーはー、えーっとねー……」

 セリンは髪の触手を使って予備の的を掴み投擲、大体粉砕された的の距離で地面に突き刺さる。しかし的が前傾姿勢になっているので、髪の触手は次に石を投擲、三度投げて的がほぼ垂直になる。

「さあさ」

 アクファルは弾薬を装填、構えて、発射。命中して的が倒れる。石を投げて立てている間に刺さりが甘くなったのだ。

「あれ? 嫌だなぁ、倒れて当たったところ見えないや」

「はい」

 慌てて取り繕おうと頑張るセリン、平静に歯切れ良く返事するアクファル。笑ったらセリンが面倒なことになりそうだが、しかしこれは堪えるのが大変だ……ん? 堪える必要ないか。

「ビヤッヒャハハハハ! 何だお前等!? 何時打ち合わせしたんだよ? ギェヘヘヘ!」

 セリンは睨んできて、アクファルは「作為はありません」と返事。逸材だ。

 笑って満足したところで、革鞄を開き、アッジャールから貰ったお土産を取り出す。ルドゥが、暗殺でも危惧したか先に見せろと手を出してきたので渡す。じっくりあちこち眺めた後、作動確認をして、空砲で撃ち、実弾で撃って返してきた。

 このお土産、小銃は特徴的な外見を持つ。銃床が湾曲し、銃把が長くて引き金が下側についている。普通、引き金は本体と銃把の付け根にあるものだが、これは腕の太さほどに幅が空いている。銃床を右上腕に当て、手綱を持った左前腕で銃身を支えるという独特な構え方をする騎乗射撃に適している小銃だ。木製部分は黒塗りで、金色の装飾が黒に映えて美しい。

 折角なので馬に乗って撃つ。慣れると結構当たる。歩いたり走ったりしながらも撃ってみる。流石に訓練しないと長距離は難しいが、かなり良い。

 セリンも輸入された物の中で、一度に拳銃を数十丁近く髪の触手で持って釣瓶打ち。そして撃ちながら拳銃に弾薬を装填して切れ目無く素早く撃ちまくって白煙に姿が消えるほどになる。それでも人間じゃない目で見ているのか、狙う的を替えつつ命中させ続ける。

 爆音と発光、白煙と硝煙の臭いで色んな感覚が麻痺してきたところで新装備点検は終了した。

 今日は例のぶっ倒れるようなあの宴会かと思っていたが、セリンは閲兵と軍事演習に向けて準備があるからと早々に帰ってしまった。何とか時間を作って顔だけ見に来たってところか。化物のくせに可愛らしいことしやがる。


■■■


 名前を貰った記念に特別な料理が出る、ということもなくいつも通りのナシュカが作った晩飯も食べて腹も膨れて眠くなって、寝室へ行く。ベッドに跳び込んで転がり、服を脱いで散らかし、一息吐いてから洗濯籠に入れる。

 当番兵がやってきて、お湯の張ったタライを持ってくる。代わりに洗濯籠を渡す。お湯に手拭いを浸けて体を拭いて、顔と頭を洗う。予算があれば城に浴場を造りたい。聖都では聖女の屋敷で入らせてもらったが、あれは良い。個人用の浴槽だけなら用意させられそうだが、さてどうするか。色々面倒事が片付いてからでいいか。

 寝巻きに着替えて布団に潜る。

 今度の軍事演習に向けた日程も組んであるし、細かい調整も就けた人員が処理できるよう権限も与えた。具体的に頭を働かせるとしたら、やはりアッジャール関連。どう考えても面倒臭い。適当に中継ぎするだけして判断、行動は全部他人任せにしようか。そもそもそれをする程度の権限しかないし。

 扉を叩く音。来客か?

「誰だ?」

「シクルです」

 声は室内、上方、そして天井からシクル降ってきた。踊り子の衣装から装飾品を取っ払った姿で、隠すところだけ何とか隠している程度。

「おい、入って来い」

 叩く役の妖精が入って来て、踵を揃えて敬礼。シクルの部下らしく、何だか冷めたようでそうでもない何とも名づけ辛い表情をしている。顔を覚えさせない技術その一か? 顔を両手で掴んでグニグニグリグリして「何してんだこんにゃろ」と言っても、他の妖精みたいに嬉しそうにしない。

「任務です」

 腹と脇もくすぐれば、流石に顔を崩してウヒウヒ言い始めた。

「任務ご苦労帰ってよし」

 ケツを叩いて、撫でて、突っついてキャウンと言わせて部屋の外へ押し出す。

「先に部屋に忍び込む。扉を叩く役は事前に用意。天井にはどうやって張り付くんだ? 何にも吊るしてないぞ」

「ネジ式の取っ手金具を天井に差し込んでぶら下がる。石の天井だったら他に差し込む先を見つけて鋼線を張ります。衣装棚や、扉や窓の枠を使ったことがあります。枠は強度が低いので複数差して体重を支えられるようにするのがコツです。手軽な鉤金具だけでも張り付けますが、長時間は厳しいですね」

「穴開けたのか?」

 天井を見るが、不自然な点は無し。

「悪戯で穴を開けるのは気が引けたので、カーテンに隠れて中から天井近くまで上ります。声をかけられてから跳んで、音が鳴らないように手を突いて返事しつつ方向転換、降ってきたように着地するんです」

「凄ぇ身体能力だな」

「直に確かめますか?」

 艶っぽい声色で、わずかに体をくねらせ、腰が細くて尻が大きいのを強調するように迫ってくるので、顔をビタンと両手で挟んで止める。

「用件は?」

 挟んだ両手がくすぐられるように掴まれて外される。

「何でも出来ます」

 ”いいこと”するからランマルカ交渉の案件を成立させる方向に持っていけってか? 昼間、腕に抱きついてきたのは、胸の感触を思い出させてその気にさせるって伏線か?

「その辺にしておけ、俺が許してもラシージに”あのシクル”にされるぞ。朝飯は嫌だろ、俺もお断りだ」

 シクルがさっと身を引く。その顔は思った以上に険しい。やはりラシージは別格か。

「親分の名前を出すのは卑怯です」

「味方に色仕掛け使うのと比べてか?」

「そうです」

 そうです? 言い切りやがったな。敵なら何してこようが楽しいだけだが、味方にそうされるのは気に入らない。扉を指差す。

「おやすみ」

 シクルは踵を揃えて背筋を伸ばし、敬礼。

「失礼しました」

 部屋を出て行った。


■■■


 程なくしてまた扉を叩く音。二度も仕掛けてくるまいと思い、来客者の顔が過ぎる。

「旅団長閣下、お客様です」

 当番兵の声だ。

「どちらさんかな?」

「宿泊中のオダル将軍閣下です」

「お通ししろ」

「は」

 当番兵が扉を開け、オダルが入ってくる。当番兵は無言で敬礼して扉を閉めた。足音は三回、扉前で待機。何かあったら突入か。

 しかしさっきみたいに女も困るが、ゴツい爺さまも中々困る。早いとこ寝たいんだが。

 来客用の席を手振りで勧め、棚から酒と杯を出す。見たことがない瓶なので、たぶんセリンが置いていった酒だ。何なのかは確認していない。シクルが媚薬突っ込んだりとかしていないだろうなと思いつつ開栓してみると新品の手応え。まあ、ジジイが発情したところで襲ってくるわけでもなかろう。

「夜分にすみません」

「いえいえ、飲みますか?」

「頂きます。仕事の話ではないので」

 オダルに酒を注いでやって、こっちも注いで飲む。果実臭が強烈で甘く、しかし生薬みたいな後味が爽やかでしつこくない。お気に入りにしておこう。

「おお、これは飲んだことのない味です。流石は魔神代理領ですな」

「私も始めて飲みました。知り合いが海軍にいまして、こういう珍しい土産をくれるんですよ」

「なるほど今度こちらからも持ってきましょう」

「楽しみにしてます」

「それでお話なんですがね。イスハシル殿下との結婚を断った理由が知りたいのです。仕事の話ではありませんよ」

 オダルが酒を飲み干したので注いでやる。

「つまり?」

「イスハシル殿下とはもう、母君のお腹の中に居た時からの付き合いです。と言うのは、お腹に耳を当てさせてもらいましてな、丁度その時に蹴ったんですよ。その日から我が一族はイスハシル殿下に仕えております」

「孫同然ですか」

「かもしれません、いえ、そうです。ですから気になるのですよ、あんな国中、いえ世界中探しても滅多にいないような男との結婚を断った理由を。今や、黒鉄の狼イディルの次期後継者との噂も噂でなくなってきております。顔だって誰が見ても男前で美形で、髭も立派です。狩りの腕も良い、官僚の仕事も任せられるほどに学もあります。傲慢なところもありません。一体何処に不満があるのかまるで分かりません!」

 ウチの子の何が気に入らないんだって話か。

「まず、隣国でしかも敵対する可能性があります」

「妻に迎えた者を人質になどしません!」

「それは失礼、だが皆あなたのように高潔ではないでしょう。政治的思惑で命がどこに転がるか分からない遊牧民の王族ではいかに素晴らしい人物であっても承服できない。あなた方にする気が無くても、身内争いで妻を人質になんてのは当たり前でしょう。夫に連座して撲殺されるのも、撲殺前に酷い目に遭うということも話は外に出ていませんがそれだけで否定はされません。本人と意志と他人の意志と集団の意志が一致しない以上は、王族という狙われる立場にいる以上嫁がせるなんて出来ません」

「それは……ぐむぅ」

「その上で方法は一つ、地位を捨てて婿に来ることです。これが解決する方法になります。元王子ということで面倒はありましょうが、家族であるならばそのくらいの面倒は背負えます。身分くらいは詐称すればいいし、顔に傷入れて変えるとか、喉潰して声変えたり、髪を染めるとか剃るとかやりようはあります。しかしそれが出来る立場ではないでしょうし、女一人のためにそこまでするわけはないでしょう。だからお断りしました」

「そうですか。もう一つ、女々しいと思ってお答え下さい。妹様、アクファル嬢はどのように?」

「概ね、オダル殿が言ったように不満など無い男性、奇跡とすら言っていました。そして結婚したいかどうかについては、経験豊富な私や伯父に一任すると言っていましたよ」

 またオダルが酒を飲み干す。まだあまり飲んでないのに勿体無いとは思いつつも注いでやる。とっとと帰りやがれ。

「ありがとうございます」

「嘘じゃありませんよ」

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