第30話「調査報告」 ベルリク

 酔っ払いながらじゃ相手もこちらも耳と口が馬鹿になっているのは常識である。

 散々酔っ払って、伯父トクバザルの幕舎にて宿泊し、朝になり素面になってから周辺情報を伯父と、信頼できる親戚から聞き取りを行って内容をまとめた。きちんと記録を取らないで聞いてもガキの遊びにしかならない。

 情報集めも一通り終り、土産の馬乳酒を貰ってスラーギィを発つ。土産を飲みながら森を南下、妖精達から地図の製作状況を聞きつつ、バシィール城へ帰って一泊。定期連絡船に乗ってセルチェス川を下り、海に出てシェレヴィンツァに入港。

 シェレヴィンツァは新体制の着手に騒がしかった。丁度魔神代理領の中央からやってきた官僚やら兵隊やら荷物やらを積んだ船団の入港に鉢合わせてしまったのだ。

 まず今までは見たことも無かった入港管制を行う海軍の船がいた。お国の船は優先して入港させており、自分は特権でそれよりも先に入れた。隣にいた商船の奴等はガタガタ文句垂れてた上に、連絡の使い走りを乗せてくれないかとしつこく迫ってきた。海兵隊が威嚇射撃で追っ払った。

 上陸してからも港から連なる荷馬車の列が総督府までの道路を塞ぐ。要所要所に兵士が立って交通規制を入れ、迂回路を示す立て看板を設置。これだけでも他国との文明の程度の違いが知れる。

 先ほどから影が頻繁に通り過ぎる。雲ではない、イシュタムの言っていた空を飛べる若き竜だ。突然頭上から、ヴォワサッ! と聞いたことも無い、羽ばたかせる音が鳴るのでビクっと首が下がる。音に加えて風圧もあるので中々慣れない。蛾とかの虫でさえ頭上を飛ばれると無駄に怖いのに、あの大きさになると本能が理性を凌駕する。あと、上空から糞やら小便やらを撒き散らすことは無かった。それどころか乗せてる人間に言葉で道案内したり、愚痴をこぼしているぐらい。

 総督府の門など更に混雑。勝手口でも人が列になって荷物を順番に渡していっているので入る暇が無い。門に戻り、鉄柵部分をよじ上り、天辺から飛び降りて受身を取る。やっと入れた。

 初めて見る人種に種族だらけで、本当に魔神代理領は世界帝国だと思い知らされる。これに喧嘩を売るなど、正気ならば考えられない。中でも、肌が真っ黒い人間はヴィルキレクの奴隷で慣れていたが、トカゲ頭には驚いた。魔族かと思ったのは自分だけではあるまい。奴隷ではない獣人官僚もいて、前を歩く猫頭で可愛い喋り方の女が耳をピコピコさせてたりとか、撫でないように手を我慢するのが辛かった。

 建物の中には窓から入った。運び込まれる本に書類も山のようで、未整理前の物が廊下に積まれて狭い。人の列で渋滞している。自分の偉そうな軍装のおかげで道を譲ってくれるが、それでも動けない時は、靴を脱いで積まれた本の上を通る。それで怒ったジジイがいたが、「仲間の失態は俺が何とかする!」と格好つけておいた。言葉に敏感な文官だったら意味くらい分かるだろう。

 渋滞ぐらいは可愛いもので、部屋割りの調節に壁をぶち抜いたり、渡り廊下を作って隣の建物につなげている工事で通行止めになっている箇所も多い。通交案内くらい無いのかと思ったが、無いようだ。

 面倒なので窓から、窓枠を手、足がかりに屋根に上って総督執務室の近くまで移動する。若い竜達が空からも屋上、中庭へ荷物に人まで運んでいる。

 吹き抜けになっている中庭から屋根にぶら下がり、窓をつま先で蹴飛ばし続け、通りがかりの官僚に開けてもらって廊下へ入る。流石にここは下の階のような混雑は無い。

 それから総督執務室前まで行き、秘書の部屋にいる犬獣人ワンコ奴隷イシュタムに手を上げて挨拶。何時もより机の上に積まれた書類の数が多いし、増えた隣の席にはさっきの官僚が着席した。

「エラい騒ぎだな。ここまで屋根伝ってきたぞ」

 秘書の部屋にある、入室前の身嗜み確認用の壁掛けの大きい鏡を見ながら軍服についた土埃を払う。

「建物がこちらの基準より狭い様式だ、扉が特に狭い。大きな竜も正面からなら余裕で入れるように作らないと本来はいけないんだ、差別になるからな。天井はそこそこ高いが」

 イシュタムが天井を見上げ、こちらもつられる。

「燭台吊るしてるな。竜の頭が引っかかる」

 あのタルマーヒラの姿を思い出す。世界帝国基準は厳しい。

「イスタメルでは地震がほとんど無い」

 廊下の脇には巻き上げ機が通交の邪魔をしつつ、鎖を天井の車輪に伸ばし、そこから燭台を吊るしている。改めて見ると天井が剥げて車輪ごと落下してきそうに見えてきた。金属製だから頭に直撃すれば即死、灯したロウソクが並べられているので火災の可能性増。正気じゃないような気がしてきた。

「そっちの田舎にゃ地震あるのか? セレードじゃ十年に一発、床に尻つけて屁こいた程度の揺れぐらいしかないけど」

「私の田舎は周りに硫黄鉱山がいくらでもある火山地帯の盆地でな、時折山が崩れる噴火があるぐらいだ。地震は小さいのも入れれば二日に一回くらいか」

「山? そりゃ、ヤバいな」

「地質学者が言うには三千年前にそういう崩壊的な噴火があったそうだ」

「三千?」

「地質学で三千年ってのはごく最近のことになるらしい」

「へぇ、気が遠くなるな。その田舎、ワンコの鼻で硫黄なんて嗅いでたらヤバくないか?」

「肺が病むから寿命は短い。移る土地は近くになく、唯一まともな金になる硫黄の採掘は火山の毒で危険。だから有望な者は奴隷に出す」

「そりゃご苦労だな」

 うんこ臭い話を続けてもしょうがないので、親指を立て、ルサレヤ総督はいるか? と聞く。イシュタムは扉に向かって顎をしゃくる。

 両開きの扉を軽く叩き、「マトラ旅団旅団長、ベルリク入ります」と言い、ルサレヤ総督の「入れ」の声で執務室に入室する。

「失礼します」

 正面の執務机、その席にルサレヤ総督。肘掛に翼をかけ、腕を組んで待ち構えている。

 脇の執務机、その席に魔族の男が翼の手も、腕の手も膝に置いて何だか慎ましい雰囲気で座っている。彼はルサレヤ総督と同じ種類の半分竜の姿で、鱗と羽毛の色は黒。肌の色はルサレヤ総督より黒く、顔つきはどう見ても人種が違うのに似ている。噂の総督代理で、ついでに親戚とかか?

 踵を揃え、背筋を伸ばす。

「マトラ県北東部以北の調査報告書です」

 報告書をルサレヤ総督に手渡す。

「ご苦労。読むから少し待て」

 前半の内容。


・北東部スラーギィ地方

 逃亡オルフ農民を主体にした小規模勢力を、セレード王国を出奔した遊牧勢力の一派レスリャジン氏族が支配している地域。マトラの山と森を南境、旧オルフ分裂国家群南部の森林沼沢地帯を北境にする草原地帯。主要河川はほぼマトラの山を水源地とする。およその人口は三千戸で、現在は疫病や紛争で悩まされてはおらず、土地が余っている状況で、オルフ人難民の流入もあって人口は増加中。尚、難民は狩りの対象になっている模様。

 商人を装って進入した時に販売したマリオルの塩を不自然にならない程度の額で販売したところ非常に安いと好評。十分に利益が出る。

 最近になって旧オルフ分裂国家群を征服したアッジャール朝の圧力によりほぼ無血で属領化される。同時にアッジャール朝の者との婚姻推進策により関係を強化中。その新しい親戚達を伝に旧オルフ分裂国家群を統治するための人材を確保。アッジャール、レスリャジン氏族のような周辺及び内部少数民族、征服されたオルフ人、という三重構造で統治する政策が取られている。

 レスリャジン氏族においてはアッジャールとの婚姻を歓迎する者も多く、反対する者は少数派で基本的には沈黙を貫いている。

 主にこのスラーギィ地方に関与しているのは旧ペトリュク王国領を統治するイスハシル王子。人を惹き付ける魅力に溢れている驚く程の美青年だそうで、見ただけで心酔する者が出現するという噂。魔術の類が疑われている。

 またアッジャール朝では名高い高級官僚、実質の宰相である黄金の羊がスラーギィに現れ、結婚話や権利問題をまとめる等、新たな征服地での活発な活動が見られている。


・旧オルフ分裂国家群

 前述の通りの三重構造での統治が推し進められている。旧各国領は黒鉄の狼イディルの王子達に分け与えられて統治され、中でも最大勢力はオルフの統治が安定するまで駐留すると思われる黒鉄の狼イディルの派遣軍。この一軍で全王子の兵力に匹敵すると言われており、野心の高い各王子に対する抑止力ともなっている。また各王子の兵力は個々ではさほどではないという噂。兵力の算出にはまだ時間がかかる。

 反乱勢力の有無だが主だったオルフ貴族は全て処刑されており、国外へ手勢を引き連れて逃亡した者も存在しないと思われる。アッジャール朝の侵攻に内応したオルフ貴族は無事という話だが実権は奪われて抵抗する力も無く、また民衆からは嫌われている。

 民衆の扱いは苛烈で強制移住や間引きが徹底的に行われ、土地と集団の結びつきが断ち切られている。また商人に対しては伝統的な融和策を取っており、同じオルフ人でも扱いに相当な開きがあり民族的な団結はさせないように硬軟合わせた策が取られている。反乱の気運は低い。


・アッジャール朝本土

 アッジャールの軍は大きく旧オルフ分裂国家群を攻める征西軍は実質の宰相である黄金の羊が、ラグト朝を攻める東征軍は王である黒鉄の狼イディルが率いて二正面同時侵攻を行い、旧オルフ分裂国家群は既に征服を完了。ラグト朝への攻撃を続行中。遊牧帝国統一間近と言える。


「スラーギィは別として、ヒルヴァフカの方で上げてる報告との齟齬は少ないな。良い比較材料だ」

「褒めてくれてます?」

「役職相応だ」

「嬉しいです」

 ルサレヤ総督は報告書の後半へ手を進める。口の片方を吊り上げて、笑ってるんだか呆れてるのか。


・アッジャール朝南進の予兆

 幾つか考えられる中でも、秋の狩り入れ時、略奪して得る物が多い時期に平原続きで攻めも引きもしやすいヒルヴァフカ州を攻めて主力を誘引。こちらは想定されている戦争なのでよく持ち応えるはず。冬の始まる頃までじっくりそちらに増援も含めて引き付け、おそらくヒルヴァフカ州に我々が増援軍を派遣して防備が薄くなったところでこちら、イスタメル州を攻めてくる。

 一年で一番乾燥するその時期にマトラの森を焼き払って道を拓いて突破、略奪もそこそこに最速で側面に回って挟み撃ちにする。勝てるならば良し、勝てぬならば略奪して帰る。勝っても占領を継続できないなら略奪して帰る、と彼等は遊牧民らしく柔軟に対応するはず。

 その時にオルフとラグトの敗残兵を集めて突っ込ませてくる可能性が高く、棄民目的なので動員数に無茶が利く見通し。

 魔神代理領の中でも貧しくて動員人数が少ないこの北西部は一番弱い地域である。この事実だけで強者が弱者に見えてこなくもない。そういう雰囲気、気分というのは十分判断に影響すると思われる。

 あちらが短期戦で占領に固執せず、主力軍への痛撃と略奪を勝利条件にしているならば我々が思っているよりも気軽な冒険風に仕掛けてくる可能性がある。例え最弱な地方でも、世界最強の魔神代理領に勝ったならば遊牧帝国の中で地位を向上させる宣伝が大きく打てるという点も見逃せない。それだけでも戦う価値はある。名誉の向上が各集団を集めて結束させる方法である遊牧帝国の面々にとって、十分に名誉とは実利である。

 以上のアッジャール朝の圧力増加により、当方からはマトラ県での民兵組織結成の補助を要請する。


「マトラ県の民兵組織は許可する。事後承諾とはらしいが、生意気だぞ」

「私ですか? 知らない内に連中、派手な閲兵式が出来るようになってましたよ。ミザレジに言ってください」

「保護者の責任だ。それから州からの資金提供はできない。民兵へ資金提供を行うのは、その地が支援なしでは防衛力を維持できない場合だ。むしろマトラは過剰兵力で規制が入るような状況だ、しないがね。しないから資金と装備の自弁は無制限に許可する。特別に反乱の予兆があるか無しかが主だった判断基準だから安心しろ」

「ありがとうございます」

「ヒルヴァフカ侵攻は昔からの話だが、イスタメル侵攻は現時点で妄想の域を出ない話だ。スラーギィ地方からの南進があると想定して、それに対応した軍を増強するにしても経済に釣り合わない動員は出来ないし、対応できるように臨戦態勢を取るとしてそれは何年続く? どちらにしてもアッジャールの動向が知れないと現状待機、どうにもならない。だからマトラ県の民兵組織を大きくするのは許す」

「それ以上は旅団長じゃどうにもなりませんか? 火器が足りません。時間があれば配備は完了するでしょうが、その間が危険です。弓兵に比重を置くようには出来ますが、訓練に時間がかかります」

「可能性は完全に否定しないが、現実に合わせる。そうしないとあっという間に軍事費を回す為に周辺に侵略を続けて転んでくたばるまでのた打ち回る出来損ないの軍事帝国が出来上がる。それは千年、万年続くための魔神代理領の姿ではない。お前がそれを守るんだ」

「そこまで私……言ってます?」

「大袈裟に言うと、言っている。私の行動を良き先例にする可愛い連中だっている」

 ルサレヤ総督は報告書に添付したマトラ県民兵組織の資料を指で叩く。

「しかしこの動員数、本気か? これ以上どうかしたいのか?」

「確実な勝利のためです」

 ルサレヤ総督が資料を脇の席の魔族に見せると、その魔族は声を出さないように笑って足をジタバタさせる。見た目と違って反応が妙に可愛い。何かもう好きになった気がする。

 報告書の最後の方を見てルサレヤ総督は、少し唸る。

「最後がレスリャジン氏族の亡命の是非か。最大で約三千戸、最低で十人未満?」

「奇跡と確実なところ、ですね」

「三千戸は当然不可能。一戸を小さく見積もって四名にしても、一万名を越える遊牧民の流入など混乱以外の何物でもない。許容するのはマトラ県内で問題を起こさず居住できる程度の人数、お前が騎兵隊として管理できる程度までだ。まさか、三千戸の面倒を見られるとは言わないな」

「派閥が無かったらいけそうです。土地と軍事費が怪しいですかね。あとは大丈夫です、問題ありません」

「問題山積って言うんだそれは。旅団が一万を越えて師団規模になるなら一度相談しろ。別に減らせとは言わないが、手続きがある」

「それはどうも」

「ただし、政治的に重要、事案を抱える人物の亡命はこちらに相談するように。分かるな」

「一時保護は?」

「それはそちらの裁量だ。それからの最終決定には従ってもらう。それからオルフ人難民は論外で、越境次第生死問わずに追い返すように。レスリャジン氏族はお前に縁があってそれなりに制御が利くだろうが、オルフ人にまで指図はできないだろう。ある程度まとまった集団ならばともかく、飢えた農民は害獣と同じ、今のイスタメルに不要だ。容赦不要」

「それは確かに。レスリャジンには少しオルフ人が混ざってますが、それは?」

「そこまで細かいことは言わなくていい。まるで私が気の利かないババアみたいじゃないか」

「失礼しました」

 背筋を伸ばし、踵を揃え直してみる。魔族の男がこちらを見てニコニコしている。

「報告ご苦労。あちらの要人に対する突っ込んだ報告も欲しい。法よりも人の差配が強い国だからな。引き続き調査せよ」

「はい」

 ルサレヤ総督は書類を置いて、机の引き出しから出した煙管に香木を詰め、魔術で着火して吸い、煙を吐く。お仕事お終いか?

「親類はいたのか? レスリャジンだろ」

「はい。伯父に会って――母が再婚して娘が――種違いの妹がいることが判明しました」

「ほう、良かったじゃないか。最低でも亡命させたいのはその家族と親戚周りということか?」

「はい。母と再婚相手は既に亡くなっており、伯父が義父だったのですが、妹はこちらで引き取りたいと思っています。それから伯父と親戚一同、その知り合いから亡命希望者を集めます。伯父が、頭もがれた長老より、信用ならん帝国より、身内の将軍様の方が良い、だそうです。マトラ旅団の騎兵に取り立てる可能性も話してます」

「他人はともかく、家族を保護するなんて私に一々言わないでいくらでもやっていいぞ。魔なる法は当たり前の話を肯定する。当たり前にやれ」

「そうでしたか、良かったです」

「ということで」

 ルサレヤ総督はもう一度煙管を吸って煙を、輪にして吐き出す。

「気になる新顔はウラグマという。私と同等の権限を与えられた正式な総督代理だ。私がいない場所での彼の発言は私の言葉になる。それから私より十四代下った孫だ。可愛いだろ?」

「どうもベルリクくん、よろしく。活躍は聞いてるよ」

 ウラグマという脇の席にいた魔族が、手を伸ばしてきたので握手。喋り方も握り方もなんだか気軽で優しい感じで、人懐っこく笑ってきた。ラシージには敵わないが本当に可愛い爺さま? 兄ちゃんで、ルサレヤ総督がババアバカを発揮してしまうのがよく分かる。

「よろしくお願いします」

 つられて笑う、力まで抜けてくる。これは才能だなぁ。


■■■


 報告が終り、また混雑を抜けようとして諦め、屋根に上って若い竜を口笛で呼び、塀の外に空から下ろしてもらい、バシィール城主邸へ帰る。

 マトラ旅団の旗が掲げられた門の両脇に、衛兵が人形のように直立不動で、目線すら直進のままで立直する。そこの応対役である体格も立派な妖精の門衛士官が、威風も漂う敬礼で迎えてくれた。旅団の顔である。

「旅団長閣下、報告します。新体制移行により、マトラ旅団並びにマトラ県に関する事案の調整が本邸会議室にて、副団長閣下主導で行われております。旅団長閣下には会議室までご足労願います!」

「ご苦労」

 敬礼を返す。少し前まではこういう威容がある人材はいなかった。短い間にも時は進んでいる。

 門を潜り、花壇で脇を固められた小道を進む。邸宅の扉の両脇に控える兵士が、こちらの歩きに合わせて扉を両開きにし、屋内に入ると同時に音も無く閉める。この完璧な感じが若干怖い。

 わざわざどこかの会議室を借りることなく、各隊の用事を済ませられるという意味でも城主邸というのは有意義。師団長でも旅団長でもどこか一つ城主を兼任するのが現状で、肩書きが城主一つの者よりは断然邸宅は大きい。ちょっとした大使館機能も保有する必要があるのだ。もしレスリャジンの者が用事でシェレヴィンツァに来ることになったら、このバシィール城主邸に泊まらせることになる。

 会議室へ入る。議論を交わしたような熱気が部屋を包んでいる。暑苦しい、窓開けたい。

 我が旅団の副団長ラシージ、各連隊長、独立大隊長、マトラ県議員が機械仕掛けのように椅子を素早く引いて起立、気をつけ、敬礼。わずかに遅れて――初めて見る――二名の官僚が同じ動作を行い、最後の一人の官僚が歳のせいもあるか、ゆっくり起立して礼。軽く敬礼して「楽に」と言い、全員が着席。知らない間に偉くなった感じがする。不思議なもんだ、実感が無い。

 上席のラシージが席を譲り、そのラシージのケツであったかくなった席に座り、ラシージを掴んで膝に乗せる。妖精達が、この階級ともなると騒ぎ出さないが、目線を送ってきて羨ましそうにする。官僚三人はどう反応していいか困った顔をし、そして賢明なことに無視した。

 着席を見計らったように給仕の妖精達が入室し、お茶を配り、退室する際に窓を少し開けていった。もしやと思い、お茶を口にすると香り豊かな味が出ているという奇跡が起きた。召使い頭の妖精がいないと薄過ぎるか濃過ぎるか、お湯だったり雑草で青臭かったりするのに、まともな淹れ方になっている。技能に熟練すると妖精は進化する、改めて実感した。

 ラシージが三名のお客を紹介しつつ、マトラ旅団管轄範囲、つまりマトラ県全域に対し、新体制によって変更される規則の報告をする。

「あちら警察官僚の方。警察活動をマトラ県内の人間居住地域、街道沿いにて行います。妖精居住地域に関しての警察活動はマトラ県自警団に委任することになりました。人間と妖精の間に発生した事案については、小事であっても特例案件として扱い、裁判所と連携を取ります。これでマトラ旅団は警察活動から解放されます。またバシィール城には連絡員を常駐させることになります」

 これで我々は純粋な軍隊になった。人間と妖精の区別も妥当、問題ない。

「あちら俗法官僚の方。人間に対する裁判権はマトラ県地方裁判所が県知事から引継ぎ、妖精に対する裁判権は県知事が引き続き保有します。人間と妖精の間に発生した事案については、小事であっても特例案件として扱い、県議会と連携を取ります。その特例案件の決着が長期に渡ると見込まれた場合、魔導師による魔なる法での判決が下され、それが最終決着となります」

 魔なる法とは随分と応用が利いて便利なようだ。面倒臭いことはそれでスパっと快刀乱麻、素晴らしい。だが、イスタメル州に魔導師なんて何人いる? まずルサレヤ総督。ウラグマ総督代理も資格を持ってると見ていい。セリンはひよっ子だからそんなご大層な資格は持っていないだろう。持ってたら深刻そうな面して教えてくれるはずだ。ということは、そこまで持ち込む気なら覚悟しろよって意味か。何だか怖ぇなぁおい。

「あちら内務官僚の方。バシィール城と県庁所在地に連絡将校並びに職員複数を待機させます。尚、行動内容は部外秘であるため、干渉は不要とのことです」

 怪しさ爆発。職員って言うが、情報員だろう。得体の知れない情報を拾っては流すような輩。それと職員複数という表現だが、場合によっては千名単位の武装した”複数”を持ってくることもあるだろう。懸念だが、マトラの県庁所在地に待機するのは本気だろうか? そいつら”妖精の常識”に頭やられて逃げて来るんじゃないか?

「以上です」

「諸君、任務ご苦労である。何も無ければ解散したいが?」

 ラシージの腹を撫でながら、お返事が無いか待つ。多少は考える時間を与える。急がせて大事な案件を言い忘れたなんて間抜けた事態はごめんである。

 内務官僚がそっと手を上げた。

「どうぞ」

「今まで、魔神代理領の長い記録の中で旅団長閣下のように妖精を強力に統率出来た者は皆無です。内務省では妖精自治区という形での隔離を行い、俗法で対処できないならば魔法で対処してきました。閣下のその”不思議な能力”と言いましょうか、その事についてお教えくださればありがたいのですが」

 こういう事は内務省の役人が突っ込んでくるのか。波風立たないようにルサレヤ総督に任せればいいのにと思ったりするが、これは監視される州総督と監視する内務省の確執の一端か? 役職と組織にも人格は宿るから、案外正解だったりして。それにしてもルサレヤ総督の監視とは羨ましい。

「優しくしたら優しくしてくれた、としか言えない。妖精達も何でかよく分かってないようで」

「理由は不明ですか?」

「お前等分かるか?」

 妖精達は「うーん」だの「むー」だとか唸ってから『大好きだからです!』と、口を揃えて言った。改めて言われ、ちょっと感動してしまった。それからラシージが同意するように親指をそっと手で握ってきたので、泣きそうになった。長旅続きで疲れて涙腺が緩んでるか。

 内務官僚は両手を上げた。

「降参です、参りました」

 食い物から食べ方の指導までして、胃腸の状態管理にケツの穴まで覗いて、垂れた糞を掻き回して調査することが仕事の内務省が降参などするものか。これからこの変質覗き魔野郎との楽しい同棲生活が始まること間違いなしだ。せめてケツを拭いてくれるんだったら可愛げがあるんだが、それはお仕事じゃないと言い張るだろう。可愛くないから可愛がってあげない。

「それでは解散。ラシージ、たまには二人で外に飯食いにいくか?」

「はい」

 内務官僚が早めに席を立とうとし、こちらの言葉を聞いて動きを通常の緩慢さに変え、息の吐き具合から溜息を寸で堪えたのを捉えつつ、ラシージの頭を撫でる。可愛いから可愛がる。

 また川を上って森を抜けてスラーギィ。妹アクファルに会うのは楽しみなようでいて結構気が重い。部下ではなく、家族として責任をこれから持とうと言うのだ、気楽なわけがない。だからどこかで暇を取るべきだ。指揮官は正常な判断を下すために疲れてはいけないのだ。頭を掻き乱してくる内務官僚みたいな腹の虫の相手なんかしている場合じゃない。

「何食うかな?」

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