第29話「返事」 イスハシル

 アクファルとの結婚の是非、彼女の義理の父、伯父トクバザルからの返事が来た。

”そちら様からの結婚話が来る直前に、アクファルの親権を娘の生き別れの兄カラバザルに移す相談をしておりました。またそのカラバザルは魔神代理領で重職を担っており、私のような一介の老人よりも家長として優れているのは明白であります。カラバザルは仕事の都合で一旦帰ったので話の決着は保留中であります。身分低き娘には身に余る良縁とは存じますが、返答を保留させて頂きたい”

 嘘なら完全にナメた話ではあるが、事実ならば慣習的に何とも言えない理由だ。婚約を覆されたわけでもないのだから文句は言えない。それに強引に手に入れたくはない、ましてや誘拐など有り得ない。正しく、相手が納得した上でなければいけない。政治ならばともかく、これは完全に自分が好きに、自由意志でやりたいことなのだ。

 だとしてもこの騒動の最中にもどかしい返事だ。魔神代理領絡みとは穏やかじゃない。それに騒動とは内戦のことであり、面倒事ばかりで頭が一杯になってくる。

 内戦の一報を聞き、ペトリュクの防衛を老将オダルに任せて、緊急出動したペトリュクの親衛部隊と父の軍の姿を見ただけで、内戦を引き起こして息巻いていた敵の軍は城壁の内側にあっさり引っ込んだ。単純に数が違うこともあるが、父の軍が掲げる黒鉄の狼イディルの旗の威圧感は、子の自分から見ても尋常ではない。

 そして自分が「私は黒鉄の狼イディルの息子、ペトリュクの主イスハシルである。降伏しろ!」と簡単な降伏勧告をしたら無血開城までしてしまった。最も信頼されてなければいけない、味方の将軍に反逆者である兄弟は引っ立てられる始末。そんなに尊敬していないなら諫言するなり軟禁するなりして精神の異常でも訴えてくればもっと尋常な対処も出来たというのに。根っからの軍人というのは気難しい。

 目の前には旧ベランゲリ公国の都、同ベランゲリ。オルフ一と呼ばれる都市がある。主要河川二本の合流地点であり、陸路交通の要衝でもあり、北の海にも接続している。またオルフ諸侯が一同に集まる際にはこの街を利用するのが慣習だと言う。そんな程度に由緒正しきこの街へ、二百門の大砲は威嚇の空砲しか発射していない。芸術保護も盛んな趣味の良い美しい街なので、馬鹿みたいに実弾を込め無くてよかった。

 ここの兄弟は王国ではなく一つ格下の公国なのが気に入らず――こんな大きい街を貰っておいて――隣の旧ザロガダン=ドゥシャヌィ王国のザロガダン領を要求。言い分を総合すると、理由はザロガダン領が、ベランゲリを都にした旧ユグダリ王国の――いやに複雑な臣従、権利関係を整理すると――名目上では違うが実質的な領地だったことにある。

 オルフの土地所有者や権利関係の変遷は目まぐるしく、それを整理して把握するためだけに、秀才を集めた大きな官僚の部署があったほどだ。そんなものは継承順序の確認や開戦の口実探しに使うオルフ人にとって意味があるのであって、アッジャールには関係がない。そしてそれを持ち出してアッジャールに騒乱をもたらすのは反逆者。何よりも、外の道理を内輪に持ち込んだ恥知らずだ。

 この騒動一つを起に、兄弟達が騒ぎ出した。独立君主ならまだしも、所詮は首輪つきで餌付けされてる王子の分際でだ。

 まずザロガダン=ドゥシャヌィを統治する兄弟から援軍要請の手紙が来た。厚顔無恥にもベランゲリを統治する兄弟からも援軍要請の手紙が来た。それからその二人から援軍要請を受けたから一緒に軍を出そうという手紙が来た。またそれからあいつはこの騒動を口実に自分を狙ってるだとか、この隙にあいつを一緒に潰そうだとかいう手紙も来た。一応目を通さねばならないのだが、脳が腐るかと思った。

 それぞれに知恵を絞り、いかに自分が正当であるかを訴えていた。言葉とは不思議なもので、適当に理屈を揃えればそれらしい正当性が見えてくる。文の上手な兄弟など、流し読みしたら納得しそうな程だった。

 それから示し合わせたかのように黄金の羊シビリへは手紙が送られて来ていない。代わりに自分へシビリを黙らせるようにと手紙ではなく、伝令という形でやってきた。中にはよっぽどの報酬でも用意されていたのか、伝えてから服毒自殺した凄い奴もいた。

 その調子なので暗殺者も送られてきたが、シビリ子飼いの隠密が全て防いだ。昔から首を狙われてきた者は別格か。

 面白い暗殺者もいて、そいつから暗殺しようとしたことを謝ってきたのだ。そして依頼主をあっさりと吐き、それはベランゲリの兄弟であると言う。そして謝ってきた理由は、人事案作成で食事もとらないシビリに、自分が作れば食べる気にもなるだろうと調理場にいたからだ。それに毒を盛る気だったそうだが、自分を見て思い直したそうだ。この目と声の魔術は感情を揺するせいか、それで感動して泣いていた。改めて指摘されるとかなり照れくさかった。

 そんなことがあったのでこのように真っ先にベランゲリへ顔を出した。

 父を引き摺り下ろして君臨しようという野望なら理解できるが、ちょっとした隣の領土が欲しいと言うケチな野望は理解できない。何よりやり方が稚拙過ぎる。誰かに唆されたのではないだろうか? 思ってもみない形で操ってくる奴は時にいる。

 もし本当に領土が欲しいのなら兄弟争いを誘発させ、道理を持って制圧することだ。争いなら制圧した者が後任に選ばれることが多い、というのが前例。その時に思い通りにいかなくても慌ててはいけない。それから暗殺だが、暗殺は失敗してもバレない可能性があるものの、後任者選びに大きく介入する必要があるのでかなり面倒だ。そういう謀略に自信があるのなら逆にお勧めではある。

 他に色々と手はあるだろうが、戦力比も考えないでロクな根回しもしないで蜂起するなんて方法は無い。何故こんな馬鹿に土地と権力が? 父はそんなことは承知で、兄弟で殺し合わせて相応しい後任を選び出そうとしているのか?

 反逆者、ベランゲリの兄弟が目の前で跪かされる。抵抗は可愛いものでそいつの服がはだけて髪が乱れているぐらいだ。

 シビリが征西軍の実質的な指揮を取っており、諸将を通してだが、父の軍を動かせる存在だ。おかしなことを仕出かしたらそのシビリにケツを叩かれることぐらい分かるだろうに、分からないのか? そしてまともな王子ならそのシビリに協力することも分からないのか? 単純に、分散してしまって治安維持程度が精々な兵力では何をしたって勝ち目が無いと分からないのか?

「イスハシル、俺はお前と戦う気は無いぞ! 止めてくれ」

 哀れな面で命乞いまでしてくる。そしてこいつの表情、この目と声の魔術が効いているのが良く分かる。何と気持ちが悪い。身内でさえこれか。

「しかしアッジャールとは戦うのか」

「違う! あれは本来俺の物なんだ、誤解だ!」

 話が通じないようだ。こいつの論理は詳細に順序だてて聞かされても理解できないだろう。聞いても仕方ないだろうし。

 生き残りのオルフ人が吹き込んだと推測するが、ベランゲリの貴族はこいつが全員広場に吊るしたと聞いている。貴族の小賢しい生き残りの策謀? それとも貴族並みかそれ以上に力を持ってる商人組合の策謀? 調査が必要だろう。それか、向こうから接触してくるのだろうか。もしかして自分に成果を捧げると……この目と声のせいでそんな突飛なことも有り得るのだから、先人の知恵が通用しない。

 シビリが珍しくキレて、手の平でペチンとベランゲリの兄弟の頭を叩く。シストフシェの復讐は例外で、シビリは部下の失敗を指導はしても怒ったところは見たことも聞いたこともない。

「このクソガキが、人事のし直しじゃボケ!」

 しかしキレても全く迫力が無い。じゃれてるようにしか見えない。

「俺を誰だと思っている!」

「イディル様の失敗作かな? でもご安心を、殿下の王国は別にご用意致しました! はい刑吏さん」

 刑吏達が棺桶を引きずってきて、樽を転がしてくる。馬鹿とはいえ貴人で身内なので血を流さない処刑が行われる。

「何をする気だ止めろ、止めてくれ!」

「アッジャールの法がそうさせているんですよ殿下。勉強してくださいって言いましたよ、十四年と五ヶ月と七日前の朝、お勉強の時間で」

 棺桶の蓋が外され、寝ても痛くない程度に樽から塩が注がれて敷き詰められる。

「やだやだ! 嫌だ!」

 暴れるベランゲリの兄弟は刑吏に抱え上げられ、棺桶に寝かされる。

「死にたくない、アァー! アーアーアー!」

 ジタバタする兄弟だが、刑吏は殴ったりしないで抵抗する指や足を引っ込めながら苦労して蓋をする。身内の貴人の扱いはあくまでも丁重である。

「ごめんなさい! 許して! ごめんなさい!」

 蓋越しのくぐもった泣き言。そして蓋に釘が打たれて封印される。釘を打つ音に、早口で何を言っているか分からない弁明が掻き消されていく。シビリは「あらあら」と少し感心顔で頷いて弁明を聞いていた。何を言っているか分からないのは自分の知識不足だろう。

 棺桶が立てられ、ゴトゴト鳴って揺れ、倒れそうなので支えが入る。それから馬を足場に棺桶の上の方に穴が開けられ、漏斗をはめて塩を注ぎ込む。それからガリガリと鳴り始める。蓋の裏でも引っ掻いているのだろう。

 シビリが手を拡声器の形にして口に当て、棺の蓋にくっつける。

「ちゃんとレーナカンドに送りますからね!」

 抵抗するように棺桶が揺れて、うめき声が鳴る。「痛っ」とシビリは口を押さえて棺桶から離れる。舌か唇でも噛んだみたいだ。

 棺桶が一杯になったことが確認されて塩詰めも終り、穴も塞がれ、棺桶が荷馬車に積み込まれる。身内が死んだ気がしないのは自分の性分か?

 棺桶が最後にガタっと揺れ「うー」と断末魔が聞こえた。流石に即死はしないな。

「シビリ、あの馬鹿独断での反逆ではない」

「そうですね、洗脳された感じです。蓋に釘打ってる時、オルフの文人貴族か官僚でもなければ知らないようなザロガダンの話をしてましたね。あの勉強嫌いが自力で理解できるものではありません。オルフにおける分割相続制と母系相続の例外事項、多重臣従時の決まり事から名目統治と実質統治の違いによる継承例外なんてあの子には区別つかないでしょう。専門家の領分です。異国の者にはオルフの人名家名地名を覚えるだけで大変なのに」

「蓋するのは早かったんじゃないか?」

「そうですか?」

 長年見てきたから分かる。シビリの顔は今、機嫌が良い。そういうことなのか?


■■■


 これからこの騒動で兵を挙げた馬鹿の始末に回ることを、シビリと連名で父に手紙を送る。普通なら父の軍だけで戦力は十分で、自分の軍など出しゃばり以外の何物でもないが、犠牲を抑えるという名目があるのならそうではなくなる。この魔性と呼ばれる目と声が一番の口実だ。これで無血を目指して降伏させて回る。こういう時は便利だ。

 挙兵した連中にも色々といるので、毎回このように塩漬けをアッジャールの都レーナカンドに送ることはないだろう。警告に従って兵を引かせるのならば良し。引き下がらないなら撃破し、平時に戻す。その時、一番偉いのはシビリなのだが、看板は自分だ。既成事実とは重い。

 父はご存知か?

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