第14話「獣人奴隷イシュタム」 シルヴ
肌が黒い金属のように変質するのは魔術であると判明した。刀剣類じゃ威力が大したことないので分からないが、銃弾が当たると魔術を使った時の渇く感じが増してくる。無意識的に発動する類の魔術とはやや珍しい。
ガランドの奇跡という名の魔術もそうだ。あまり調子に乗って敵を殺しているとどうしても受ける反撃による渇きで倒れ、普通の肌に戻ったところで普通に殺されるだろう。また、疲れないとか空気が必要無いのもその魔術かと思われる。疲れるような動き方をするとまた渇いてくる可能性があるので無理は禁物。継承した力の具合がまだ良く分からないので手探り状態だ。
ルサレヤと戦っていない内に消耗なんかしてられない……のだが、風を操作する魔術で跳躍を補助する船を渡った方法で先を急ぐ。獣人奴隷騎兵達が星と月明かりの下、追ってきているからだ。
予定通りにガランドと騎士達は夕暮れ時を狙って陽動攻撃を行い、玉砕――未確認だが間違いないだろう――しつつも敵軍本隊を、簡単だが足止めした。しかし夜目が利く獣人奴隷騎兵までは足止めできなかった。獣人奴隷騎兵達は走りながら馬上から予備の馬へ乗り換えつつ追ってきているので中々足が鈍らない。そして外れても当たって効かなくても諦めずに弓で射掛けてくる。そして渇きが増してくる。自分より相手の方がこの力について詳しいのだろうと推測できる。なんせ魔族の種を管理していたのは敵の魔神代理領だ。
指揮官だけを狙って殺し、混乱させた隙に追っ手を撒くことを考える。おそらく指揮官はイシュタム=ギーレイ。競技場で見た乗馬の腕の一部しか知らないが、あれは相当の使い手だろう。万全の状態でもない限り痛い目を見せるのは困難だと考えるのが妥当なので諦める。
風の魔術で素早く移動していたが、別の風――魔術の気配濃厚――に阻害されて間抜けな跳躍になり、体勢を崩す、持ち直す。
気配を辿った方角にいるのは、暗がりながら他の獣人奴隷騎兵とは一線を画す圧力を感じる敵、イシュタムだ。獣人奴隷が魔術を使えないという決まりは何も無かった。
膝を振り上げ腕を振り、化け物の力全開で走って逃げる。背中には順調に矢が当たる。しつこく当ててくる。魔術で弾道を補正している気配が濃厚。痛みなど無いが、当たるたびに躓きそうになるので相当な威力だ。流石は州総督の奴隷筆頭だ。
退路を塞がれる。敵は二騎。勢いのままに片方の馬の頭を殴って砕く。馬が暴れて倒れ、獣人奴隷は振り落とされる。
走り抜けようと思ったら投げ縄で首を絞められる。そのまま引っ張ってやると踏ん張りやがって落馬せず、おまけに鞍に縄が縛り付けられているので馬を引っ張ることになる。馬の踏ん張りは流石に強烈で、足が鈍る……馬鹿だ。今更短刀で縄を切るが、もうイシュタムが近くまで来た。
投げ縄を見事首にかけてくれた獣人奴隷に飛び掛り、殴って頭を潰す。そいつの刀を抜き、落馬の衝撃からようやく立ち直った獣人奴隷の頭をカチ割る。それから刀に回転をつけてイシュタムに投げ、馬の首は飛ばしたが本命は飛び降りて逃れた。
イシュタムは徒手で挑んでくる。正気か? 化け物の力であっさり殴り殺せるかと思ったら、腕を掴まれ足払い、一回転、星空、投げ飛ばされていた。徒手格闘術?
「死と疲れを知らず、正気を失っても戦い続けて武勲を挙げ、亡者と謳われたシェンヴィク殿の力を継承されましたか、ベラスコイ少佐」
跳ね起きるが、腰を的確に蹴りで押されてまた転び、その勢いで立ち上がる。
「そんな由来でしたか」
イシュタムは腰に刀や拳銃までぶら下げているが抜く気配はない。シェンヴィクの力を理解しているからだ。徒手格闘で挑んでくるのは、こちらの動きを止めるだけが目的。増援待ちか? 黒い肌は魔術だから、獣人奴隷騎兵で取り囲み、距離を保持しながら集中射撃で渇き切るのを待つ、だろうか? どっちにしろ付き合ってやれば負ける……ルサレヤ待ち? とんでもない、赤子のように殺される。今の状態じゃ甘噛みすら出来ないだろう。
自分でもビックリするぐらい地面の土を蹴って抉り飛ばして目潰し。走って逃げるが、イシュタムは動じず、主を失った馬に乗って追ってくる。
併走してきて、馬上からの蹴りで体勢を崩され、その隙に反転、馬の蹴りが繰り出されて転ぶ。起き上がりながら馬を殴り殺してやろうと思ったら刀の切っ先で腕を押され、反らされて外れる。人間技じゃない……獣人技か。
逃げようとすると馬上からの蹴りが飛んできて、反撃しようとすれば刀で反らされ、刀じゃ反らせないような体当たりをしようとすれば、馬を反転させて自分を足場に蹴って跳び、その隙にと逃げようとすればまた追いついて馬上からの蹴りで転びそうになる。人馬一体の騎馬格闘術とでも言えそうな曲芸を繰り出してきた。魔族を抱える魔神代理領に対魔族戦法のようなものがあるのは当然と言える。
それでも何とか走っていると、味方の斥候の姿が見えた。そいつは片手に燃える松明を掲げていて、追いついた獣人奴隷騎兵達の矢であっさりと射殺された。松明が無くても同じ死に方だったかもしれない。その斥候は徒歩だったので、近くに哨戒陣地があるはずだ。暗くて地形があまり読めないが、近くまでいけば現在地も分かるだろう。
射撃が始まり、包囲するようにイシュタムが指示を出し始める。そして身体の正面以外を矢で突っつかれながらもやっと哨戒陣地が見えてくる。篝火に照らされた物見矢倉が四方に立ち、そこを丸太柵で囲ってあり、更に浅いが空堀が掘ってある。入り口は門を兼ねる跳ね橋一つ。軽装備の獣人奴隷騎兵じゃ二の足を踏むだろう。
暗がりだが星と月の明かりで影が見え、何より矢を射る音に加えて派手な蹄の音があるので見張りが気づいた。甲高い警笛が鳴り、当番の銃兵が射撃を始める。それはいいが、自分に一発当たった。状況の変化に獣人奴隷騎兵達の動きが鈍る。
勢いは止めず、閉じ始めた跳ね橋を飛び越して中に入る。テントから出てきた兵士達が武装を整え、丸太柵後ろの足場に登り、小銃を発射し始める。夜間警戒の訓練はまだ少ししかやってなかったが、混乱も少なく動いてくれているようだ。
丸太柵の後ろの足場にいた、哨戒陣地を指揮する士官がこちらに気づいた。足場に上がり、この状況を説明しようと口を開こうとしたら、その士官の頭に矢が突き刺さって足場から落ちる。
そして敵の「門から離れろ!」の一声の後、間を置いて跳ね橋が爆発で吹き飛び、跳ね橋を引き上げていた兵士が巻き込まれて吹き飛ぶ。そしてバラバラになった丸太が飛んで兵士達を潰す。爆薬を馬に積んでいたとは感心する。
ここで一休み出来るかと甘い考えがあったが、やはりそれは甘かった。扉だった跳ね橋が無くなり、獣人奴隷騎兵が雪崩れ込んでくる。こちらに考えさせる間も無いような攻撃の早さだ。普通なら哨戒陣地を前に短時間でも右往左往しそうなものだが。
「諸君、仇は取る! だからここで死んでくれ」
そう言い残して風の魔術を使った跳躍で柵の外へ逃げる。そして背中に違和感。違和感を感じるのが違和感になった昨今、背中に手を回すと矢が刺さっている。ついにあの黒い肌の魔術も品切れか?
痛いぐらいなんだ、と思って走るが、身体が痛さではない何かで痺れてくる、ということは毒矢か?
毒が回り始めたか足がもつれて転ぶ。確かあの肌が黒くなっていた時はセリンの毒も緩和させてたはずだ。無意識で発動する魔術が意識的に出来るか試してみる。風の魔術のように手馴れた感覚ではやれない……気がしてたら緩和できた。意外にあっけない。
もしやと思って刺さった矢に手をかけると、石か何かに突き刺さっているような手応えだ。ほじくるように抜こうとすると固くて抜けない。だが肉が盛り上がってきたのか、矢が押し戻されてきて抜けたが……感覚が鈍く、麻痺しているとはいえ、体の中身がヌルルと動く感触には冷や汗が出そう、なものだが意外と平気。そのまま抜いて、腸くりになった鏃から自分の腸を外し、指で中に押し込む。そして腹筋で内臓をグリグリ動かしながら跳んで元の位置に戻ることを祈る。
また全速力で走って逃げる。哨戒陣地の方からは悲鳴、怒声、銃声、馬の嘶きが騒がしく響いてくる。獣人奴隷騎兵のほとんどはそっちへ引き付けられている。
追っ手を撒くのに丁度良い林がようやく見つかり、その中に飛び込んで更に逃げる。
走るのが辛くなってきて、自然に足が緩んで歩き出す。疲れたのだ。渇きもキツくて、一生魔術なんか使わないと誓いたくなる気持ちの悪さ。飲み比べで最悪な二日酔いになった時を思い出し、あんなのは取るに足らないと思う。
方角だけは星座を見てきちんと頭の中に入れておき、確認しながら歩いて進む。木の根に躓きそうになる。その辺の木の枝を折り、足元をそれで探りながら進む。
そういえばセリンと戦った時はまだまだ万全の状態だった。なのに毒を受けたということは、髪の毒針は浅くとも黒い肌を貫いていたことになる。あの戦いが長引いたり、髪の貫通にセリンが気づいていたらエラいことになっていた。お互い化け物になったばかりで力の使い方が下手糞なんだろう。そしてルサレヤはさぞや上手なんだろう。そんなのに戦いを挑む気か? 馬鹿みたいだ。
■■■
林の中で朝を迎え、太陽が頂点に達する昼に本陣に到着。驚いた顔の兵士に手を軽く挙げて挨拶。服がボロボロで汚れが酷いのはともかく、平気な顔をするように努める。
気が緩んだら背中が猛烈に痛い。手で触ってみると固まった血の塊に虫がついている。矢は抜けても傷が治りきるわけじゃないか。
陣地の奥から走って出迎えてくれたのはガランドの娘婿。ここの英雄にちなんでイルバシウスという名前だと聞いたのは最近だ。
「ベラスコイ司令、お待ちしておりました!」
「ああ、思ったより楽しかった」
無駄に強気に見せるのは偉いさんの仕事だ。近くにいた兵士はマジかよって顔をする。
「お怪我はありませんか?」
イルバシウスの耳元に口を寄せる。「んっ」というような息を呑む音が聞こえたが、気にしないでおこう。小声で「マルリカを呼んでくれ」と言うと、マルリカの魔術もとい奇跡については知っている様子で頷く。
「それとお前の奥さんの弁当も持ってきてくれ。何か、食べたい」
これと言って特別美味いわけじゃないが、ふと気づくと食べたくなる料理だ。いわゆる母の味と言う、と思う。自分の母は包丁を触ったこともないだろう。
「了解しました! 馬を飛ばして行ってきます」
「それと、死んだぞ」
「はい……そうでしょうね」
昨日の騎士達が陽動攻撃をした戦場、通りかかった時にはガランドの姿が無かった。そしてあのベルリクの近くで行われていた不自然な焚き火。たぶん、傷が治る魔術で不死身の化物みたいになっていたガランドを焼き殺していた作業だろう。
敬礼も早々にイルバシウスは走り出す。そして無駄に寄ってきては心配気に声をかけてくる兵士達。
「いいから持ち場に戻れ。あと少しで全員に死んでもらうから、準備は怠るな」
と言ったら退散してくれた。
それから仮設司令部であるテントに入り、士官達が起立して敬礼し、敬礼を返す。それから現状報告を受ける。迎え撃つ作業は順調に進んでいる。獣人奴隷騎兵からの被害を抑えるため、順次哨戒範囲を狭め、今日にはもう全哨戒部隊は本陣に到着させる予定だそうだ。もう小細工はしないので正しい判断だ。
特に文句は無いので仮設司令部を去り、自分のテントに入る。そして見計らって看護婦役を買ってくれてる尼さんがやってきて、ボロボロになった軍服を脱がすのと身体の汚れを拭くのを手伝ってくれる。傷は最後に背中に刺さった矢傷のみで、服のオンボロさとは吊り合わないくらい肌は綺麗だった。傷口は塞がっていないが、出血はカサブタでも剥がさない限りしない程度になっている。
布団の上にうつ伏せに寝転がる。少し、久しぶりに眠たい。
■■■
目が覚めると夜中。真っ暗でないのはテントの中でランプが灯っているからだ。
素っ裸で布団も被らないで寝てしまったと思い出し、まーいいか、と切り捨てる。起きようとすると布団が掛けられていて、その中でマルリカが寝てた。ここまで懐かれた覚えは無かったが。
背中を触れば傷が無い。傷を治す奇跡とやらは実証された。
マルリカを起こさないように布団を出て、予備のエデルト軍の軍服に着替え、食い切れないだけあるガランドの娘の素朴な料理に手を出す。
明日、明後日ぐらいか? 本番は。
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