第10話「魔族の種」 シルヴ

 今日は外に出る用事が無い。遊びに行く先も強いてあげればユーグストルの家くらいなもので、マルリカがこちらに来る予定なので自室で待機中。ようやく楽しみが見つかった気分だ。

 定期便で手紙が届いている。普通は遠い任地先でなら何でもないような手紙でも嬉しいものだ。それでも気分が優れないのはきっと、何かある手紙ばかりだからだ。配達しに来る事務員を迎える度に、その愛想笑いを曇らせてしまうのは申し訳ないと最近思う。

 目をつむり、頭の中のヴィルキレク王子を八回くらい錆びた剣でぶん殴ってから――クソ、まだ息がある。もう一発――手紙を読み始める。

 まずは両親。ベルリクの親父さんのように、何事にも親としての視線以上も以下も無い、人達ではない。良くも悪くもお家大事の守旧派貴族で、跡継ぎさえ何とかなるなら他の子供は消耗品とさえ考えている。否定はしないが正直、それでいいのか? とは思う。年々義理立てする気分が薄まっているのは実感している。

 父。当たり障りの無い激励の言葉。行間を読もうとしたが、時頃の挨拶以上でも以下でもない。当然のように精励せよ、家名に恥じるな、とのこと。そういう人だ、と言い切るほどにはよく知らない。ちなみに書面でも偉そうな言葉遣いなのだが、只今無駄飯喰らいの真っ最中。公職追放処分を受けていて、そして民間に下る度胸が無いので結果そうなっている。頭の中ではまだまだ現役の騎兵将校で、毎日馬を連れ回しているはずだ。

 母。父と同じく当たり障りの無い激励の言葉。だが、行間が読める。海の勇者に逆らうなと言いたいらしい。母の知りうる範囲で、ヴィルキレク王子の言葉に従うのが得策と判断したらしい。人付き合いが広く上手な人だ。親切心からなら、多彩な情報の裏づけがあるので信用していい。ただ陰謀が趣味のような面倒な人で、何かの手段と考えているなら面白くないことが起こり得る。実の母なので多少アレだが、もし血縁の無い他人だったら既にこいつはもう十六回は棍棒で殴ってる。恨みを買う分事前に仲間を増やしておくとか、屁理屈の連発で丸め込むとか、人を使って間接的に思惑を進めるとかが得意も大得意。何度汚い手に加担させられたか思い出すだけで腹が立つ。陸軍に入るまで手駒扱いだった。機会があったら馬で跳ね飛ばしてやろう。あらごめんなさいお母様、今までの分をちょっとだけお返しします。

 上の兄達。数ばかり多くて頼りない連中だ。一番目がもう少し頑張りましょう、三番目が及第点、後は死んだか、神の呪いを受けなかっただけマシと言うのが精一杯。母が懇意にしていた家庭教師が悪いと今でも思っている。

 あの詐欺師は中々のやり手で、尻尾を見せるまで家中の誰もが信頼していたぐらいだ。尻尾が見えてからは遠出しているところを狙って頭を銃弾で吹き飛ばし、身包み剥いで追い剥ぎにやられたようにした。やったのは正解で、奴の教育を受けていない年長の一番目と三番目、そしてその末っ子の私が出世頭なのだ。

 一番上の兄。嫁さんの弟を紹介したいらしい。確か嫁さんは一四歳で、その下の弟は九歳だったっけ? 分かりやすいほどの政略結婚。あちらさんのお家も名のある没落貴族で、夫婦関係が良くて良くて、二十数人ぐらいの双子三つ子交じりの兄弟姉妹に加えて、その孫やら何やらで早めにあちこち結婚させて配って回らないと食うにも困ると聞いている。何とも言えない政略結婚だ。言われたからその通りに伝えてきたんだろう。一番上の兄は、気が小さくてお人よしで事なかれ主義と浅く付き合うなら満点の人間なのだ。しばらく返事は保留しておこう。忙しくて読み忘れてたとか、そんな言い訳で大体済む。

 三番目の兄。こっちからは謝礼の手紙。自分の昇進のおかげで軍官僚とのつながりが出来て商売が軌道に乗り始めたという報告内容が無駄に細かい。その細やかさから喜ぶ姿が良く分かるというものだ。他にも良いことしか書いていないが、こういう手紙が本来の姿だと思うと感慨深い。三番目の兄はマトモで精勤な人間だ。唯一自然と笑顔で話せる家族の一人。後は本当、名家が泣くような状態だ。本国に帰りたくなくなってきた。

 関わりたくない本国の親族じゃない貴族達。読む価値があるのはマシュヴァトク伯夫妻ぐらい。価値と言っても、具合の悪い方向だ。

 マシュヴァトク伯。短い一文だった、妻は無視しろ。彼は陸軍警務局の高官で敵にしたら面倒な奴だ。しかしベルリクに仇なした連中の一味と考えれば腹を裂きたくなる。減刑に寄与した上で、ヴィルキレク王子側ならその助言は素直に受け入れられそうな気がする。とにかく判断材料が足りない。後でヴィルキレク王子にお伺いでも立てるか。

 マシュヴァトク伯夫人。前回やその前々回などと同じく、傷痍軍人や孤児に未亡人を支援する慈善団体の活動報告だ。彼女の夫の手紙を読んだ後だと何だかこの手紙を書いた手間にさえ哀れみを覚えそう、で済ませられればいいのだが、最近気になって家計図を思い出しながら整理してみたら彼女は父の近縁だ。それと活動報告には目を閉じても見えてきそうなぐらいに影響力が強い輩がこれ見よがしにいた。腹の内はともかく、表面上はエデルト王党派の中の各王子一派に王の各兄弟一派も含んで一揃い、そして旧セレード王党派が揃っていた。不自然にならないようにそんな大勢の名前を連ねられる文章能力には感心、している場合ではない。この人に接触しなくてはいけなくなった時、藪のように相手の裏が見えず、知らない内に蛇に咬まれましたというオチが容易に想像出来てしまう。もしかして引き入れじゃなくて牽制が目的なのか? ならば夫人はセレード系貴族の影響力を排除したい勢力となるか? 考えれば考えるほど複雑になってキリが無い。

 実質的な直接の上官、海軍名誉元帥のヴィルキレク王子。他にも色々称号があり、陸軍大佐だとか外務省と陸軍省と海軍省それぞれに名誉顧問だとか、戦争以外に何か考えてるのかと聞きたくなる。それでも王子達の中では一番有能で有望ついでに有名で、王位継承権も一番。正に出てる杭だが、並の人間じゃ叩いても力が足りなくてビクともしない。彼の従兄弟があからさまな挑発をしたらボコボコに殴られ、今では修道院で介護付きの生活をしているのは有名。

 小鳥の息子、という妙な筆名。その前は氷河の家令、その前は満月の教師だった。意味は分からないし、大して理由は無いのかもしれない。相変わらず普通に読むと、読みづらい下手糞な詩集。そして、頭に叩き込んだ暗号表に基づいて解読する。

”この手紙すら何の意図で送ってきたかと悩むところだろう。思うに、やりたいと思ったことだけやっていろと助言しよう。中々そう上手く出来る者はこの世に少ないが。さて、こちらでの派閥争いの内容を手紙程度で教えるには私が辛い。教授するならば図説付きの特別あつらえの巻物か直接出向くか、と言ったところだ。君の嫌いな面倒事は私が処理出来る、とは断言しないが後二歩三歩で望みがあるとだけ伝えておこう。現在、魔神代理領との関係は順調に良好な方へ向かっている。その調子で進むよう頼む。それと異様な騎士の続報を楽しみにしている”

 ヴィルキレク王子までもこういった内容だ。本国に帰る気が失せる。

 そして最後。何かあった時には手紙を寄越してくるグルツァラザツク家の当主、ベルリクの親父さん。この堅実で誠実で信頼に足る人物から、一体何をどうしたらあんな奴が出てくるのか不思議だ。母親似ということなんだろうか? エデルトによるセレード併合時に領内の遊牧民族が去った時、その人も一緒に去ったと聞いている。幼い頃に会ったという記憶だけはあるが、顔も声もイマイチ思い出せない。

 簡潔に、ベルリクから手紙が届いた。きっとあなたのお陰だろうと思う。ありがとう、とのこと。やっぱりこういう手紙が欲しい。奴は母親似でしょうか? という趣旨で返事を出そう。それから繋げてちゃんと現状報告をしていたか炙り出すような小細工をしよう。マトモな親がいるクセに贅沢な奴め。

 書類仕事に移る。別のことに集中して嫌なことを忘れる、ことは出来ないが嫌な気分を薄めさせることは出来る。

 ユーグストル家が丸ごと私の世話係になった。総長代理ガランドが相談役、娘婿がお付きの伝令、娘と孫が日常生活の支援をすると文書まで発行された。

 それに並行して軍事顧問団から教導責任者に加えて交渉責任者なる地位が与えられた。アソリウス島騎士団と話し合いをする時は代表者になるとか、交渉事への臨時決裁権があるとか色々だ。そのために外務省と陸軍省と海軍省には書類が通され、承認された書類が届いており、こちらからもその三省へ返送する書類がある。海軍発案で外務省認可の下で陸軍が実行しているというこの軍事顧問団の複雑な実態に対して初めて怒りが沸いている。書類の内容が煩雑極まる、面倒臭い、頭痛い、代筆係を要求する!

 子供が走る軽い足音。ここで聞こえるのは珍しい。適当にドアが叩かれ、返事の確認もしないで入ってきたのは総長代理ガランドの孫、マルリカ。汗を額から流し、息を弾ませてやってきた。手には大きめの籠、中には切れ込みに野菜や魚の燻製が溢れた大きなパン。無言でぐいっと籠を突き出してくる。受け取って机に置き、手拭いで汗を拭いてやる。

「走って来たの?」

「うー」

 唸ったのか、うん、と言ったのか? 食事を取りながら、筆は走らせないが書類を睨んで文面を考える。ゆっくり食べないと中身がこぼれる。

 しばし唸ってからマルリカは処理済の積んである書類を、字を読む勉強のためにか眺め始めた。今手に持っているのは活動費の報告書。生活費や訓練費とは別で、接待とか謝礼とか買収とかに使う金だ。完全無欠な物など無いように、こんな島でさえその方面で意外と出費がある。交渉責任者になったばかりの自分が支払ったり指示した案件は無いから詳細は不明だが、そちらの担当もよく頑張ってきたものだ。

「姫さままだー?」

「時間があれば、と言ったでしょ」

「時間は作るものなの」

「今作ってるの。そしてあなたが邪魔してる」

「むー」

 マルリカには時間があったら字を教えてやると約束してある。おかしな連中ばかりが相手なので、たまにはそういう相手がいないと気が狂ってしまいそうだ。

 そしてまた何故そんな書類を平気で見せているかというと、人質にしたいからだ。知らなくていいことを知って敵が出来る、庇護が必要だ、じゃあ私がしてやろう。ということで、アソリウス島騎士団次席ガランド・ユーグストルを硬軟両面で取り込む。陰謀は嫌いだが、自己保身の為となればそんなことは言ってられない。好き嫌いあれこれ考えられるのは生きていればこそだ。大陸ならともかくこんな絶海の孤島、逃げ道が無い。せめて政治的塹壕くらい掘らないと気が休まらない。母に似てか、子供を巻き込むことに対して驚くくらい抵抗は無い。そんなことを考えてるとも知らず、マルリカはワザと大きな音を立てて勉強の準備を始め、ふくれっ面で睨んでくる。それが教えてもらう奴の態度か? ふくれた頬をつっつくと空気が口から漏れて、ぷっ、と鳴る。

「もう少しで終わるよ」

「ホント?」

「嘘は吐かない」

「大人でも?」

「そういうことは思っても口にしないの」

 書類仕事を、マルリカが五度催促してくるまでという短時間で終わらせ、精神的休息の時間に入る。机の引き出しから、この部屋に来る前から入ってた聖典を使って文字の読み方や言葉の意味を教える。教えていく内に、ある奇跡の話の一つに入る。ある聖人が奇跡で怪我や病気を治して歩くという陳腐な苦労話だ。お決まりの自己犠牲心の推奨である。否定はしないが、きちんと休息を取れば長生きできてもっとたくさんの人を救えただろうと言いたくなる。理性より感情が美しいとされるか。

「姫さまは奇跡を起こせるの?」

「魔術ね。私の地方じゃ奇跡って呼ばないの」

 わざわざ魔術を奇跡と呼び替えるは、教義上都合の悪い連中だけだ。面倒なことだ。

 指から弱い風を出してマルリカの顔に当てると、目をつむって振り払う仕草。そうしたらスカートめくって細い膝を出した。

「この前転んでひざから血が出てね、奇跡で治せるかなぁってやったら出来たの。お爺ちゃんは黙ってろって言ったけど、姫さまには教えるね。内緒だよ」

 魔術専攻課程で、怪我の治療が出来る魔術使いがいたら敵でも殺すな、生け捕りに、多少の犠牲も覚悟して、とその貴重さを教えられたものだ。

 右手の指先を一点に集め、マルリカの膝に置き、指を広げる。ゾワっとするほどくすぐったかったらしく、身体を震わせてスカートを下ろす。

「女の子がスカートをめくるもんじゃないの」

 マルリカの唸り声を聞きながら勉強を再開しようとすると、失敗した。外で馬が絶叫じみた鳴き声をあげ、ドっと倒れる音が響く。何事かと外へ行くと、汗まみれで息を切らせた海軍士官が落馬の衝撃で痛めた身体を丸めてる。警備兵が声をかけ、負傷は無いか診る。軍事顧問団だけでなく騎士達も騒ぎを見に集まってきた。将校が伝令とは重要事項か?

 海軍士官は何とか息をしながら、身体を触る手を払い、心配される声を打ち消すように大声を搾り出す。

「イスタメル海軍にアソリウス島騎士団船籍の船が拿捕された! 代表に誰か早く伝えてくれ!」

 休息終了。ついでに命も危うい。早速こしらえた政治的塹壕ごと根こそぎ真っ平らにされかねない。

 当然マルリカを家に帰す。流石に空気は察したようで、わがままは言わなかった。

 やや遅れて参上した軍事顧問団代表が指示を飛ばし、まずは幹部級以上の者と海軍の連絡士官を会議室へ召集するための伝令が放たれた。そしてこちらは何時でも直ぐに部外秘書類を破棄出来るように事務員を指揮して整理して箱詰め。用も無さそうだった暖炉には常に弱い火が焚かれているようにし、そして何時でも燃料を放り込んで大きな火に出来るよう枝に薪に油を準備させた。他の兵達には臨戦態勢を取らせ、何時でも沿岸部まで、邪魔が入っても脱出できるように完全武装での強行軍を行う準備をさせた。

 一先ずは会議室に行き、面子が揃ってから何を言うか考えているとまた騒動。お次は、市民が引っ張る荷車に乗せられてもう一人の海軍士官が熱中症らしき症状を見せつつも会議室に担ぎ込まれる。馬を潰して自分までも潰すとはアッパレともマヌケとも。

「イスタメル海軍が海上封鎖を実行! 我が艦隊に損害無し。ただし、アソリウス島騎士団船籍の船は大小問わず拿捕されています!」

 何とかこの報告を搾り出してからその海軍士官は失神。しかし重大事、桶で水をぶっかけて叩き起こして続きを言わせる。もう流石に言葉はたどたどしく、また途中で失神し、無茶かと思ったがまた叩き起こして最後まで言わせる。言い切ったことにその海軍士官はニヤっと笑ってからまた失神――死なないことを祈るばかり。死んだら多めの受勲を推薦しよう――彼の必死の報告は聴いただけじゃよく分からなかったが、口述を速記していた書記の紙をじっくり見て解読すると、クソッタレと叫んで壁を殴る者がいたような内容だった。

 騒動の原因はアソリウス島騎士団による魔族の種の窃盗、誘拐? によるもの。それで当たり前のように怒り心頭となり、領内のアソリウス島出身の者は全て拘束、縁者と思しき者も厳しい取調べが行われ、関係したと考えられる場所も全て床板引き剥がして壁も天井も崩すような捜査が行われているそうだ。また海上では警告と言いながら砲弾で海面を叩くのではなく、鎖弾で帆柱を圧し折りに来て、船を解体でもするかのようにそこら中の板をぶち抜いて臨検するらしい。

「何てことを仕出かしてくれた!」

 軍事顧問団代表が皆の意見を代表して叫び、それをきっかけにここで腐ってもしょうがないと行動を起こすことにする。会議の面子招集など悠長に待ってられない。真偽を総長に問いただすべきだ。情報が新鮮過ぎて事実関係が怪しいのが正直なところ。


■■■


 会議室を飛び出し、馬に乗って市民を何人か跳ね飛ばしそうになりながら総長の自宅へ到着。馬を降りて手綱を門柱に結んでおく。

 中に入ると飾り気は無いが広い家で、あの化け物騎士達が何するでもなく屯していた。雑談すらせず、挨拶もしないで入ってきた自分に声どころか目もくれない。一応は生きてるようだが、何だこれは?

 それは無視して片っ端から部屋のドアを開けていき、無人の部屋を何度も見て十個目のドアを蹴飛ばして開けると、中は礼拝堂になっていて、総長が神聖教会の印である縦に長いひし形が彫られた壁に向かってひざまずいている。そのままその後頭部を刀でぶっ叩いてやろうと思ったが、文明人らしい対応に止めた。

 刀を抜いて、何時でも腎臓を一突きに出来るように構え、化け物騎士が襲ってきても魔術の風で吹っ飛ばせるように頭の中で準備。

「釈明は?」

「う……寒気が走りましたぞ」

「それで?」

「うん、そうですな、嘘を吐いても仕方がないでしょうから、釈明というか説明を致しましょうか」

 総長は立ち上がって、壁際に置いてあった椅子二つと机を部屋の真ん中に置く。水差しと硝子杯を二つ用意して水を両方に注ぐ。そして椅子を引かれて着席を促された。刀は鞘に納めずに肩に担いで着席。総長は水を二杯飲んでから語り始める。

「私は前聖皇の密命で魔族の種を集めていました。昔からそういった裏の仕事を引き受けてきました。アソリウス島騎士団とはその隠れ蓑です。あえて馬鹿らしく習慣から何から古臭いのも故意です。今の聖皇は魔族との争いは避ける考えでして、今までのような支援も指示も受けられなくなりました。それに加えて魔族の種を盗んでも送り先が無いのではこの仕事も形骸化してしまい、それでやる気と言いますか、行動が雑になっていたのかもしれません。何よりあの新しいイスタメル海域提督は水中行動に特化した魔族になったとかで、どうもその力のせいで今件が発覚したと手の者から聞いております。何とも不幸な偶然です。潮時というのが正に相応しい言葉だと思えます」

 総長はしばらく顔を抑えてクツクツ笑う。泣き笑いに聞こえなくもない。

「それでもよく盗み出したものですね」

「昔は火事場泥棒のように騒ぎに乗じてやっておりました。それでも酷い失敗の繰り返しで、聖戦軍に随伴してようやく成功するかしないか。それが最近良くなった。先の大戦以来魔神代理領の、特に世襲制封建国家では政情不安定が続き、共和制国家でも良くない。そして中央政府は州の安定で手一杯。魔族共和派が混乱に乗じて動いているんです。勿論主流派より弱い彼等、頭数を揃えたいので魔族化を餌に不老不死を求める人間を煽っている。そんな俗な魔族化を許すはずがないのが魔導師、そしてその連中の集まりである魔導評議会は邪魔な存在です。おまけに餌にするための魔族の種を魔導評議会は独占管理しているので更に邪魔で、力を削ぐ必要があります。もし魔族の種を盗まれたら、その管理責任を取って自らが魔族の種になるという魔導師が出てくる可能性が高く、前例があります。高潔な人格者が多いから潔いのでしょう。これで手ごわい魔導師を非力な盗人でも殺せることになります。途方も無く大きな魔神代理領に、高潔な者しかいないと考えるのは当然間違いなんです。魔族の種の流出にその高潔ではない者達も良い顔はしない、勿論しない。しかし魔導評議会の壊滅という目的のために敵の敵という敵と協力することもあり得ることだとは思いませんか? それがあり得た。そしてようやく軌道に乗り始めたという時にこの失敗。運が無い、本当に無いと思う。冗談ではなく運が尽きたんでしょう」

 総長は水差しを傾け、もう空になっていて溜息を吐く。

「これからどうする心算?」

「勿論戦います。魔族の種を使って、成功したのは私とガランド。他は家の中にいる失敗した連中です。まず魔神代理領はこれらの生存は必ず認めない。アソリウス島騎士団の普通の騎士達、それとそちらが育てた連隊。彼等は義務を果たして戦って死に、いくらかは生き残るでしょう。島の住民達はまとまって抵抗するような性格ではないから、案外少ない被害で生きることを許されるでしょう……というのは希望的観測ですな。こんな風に魔神代理領から怒りを買って戦争をするというのも歴史的に珍しい。見せしめに皆殺し、街や村は全て灰にされてから地に鋤きこまれても不思議じゃない。その後島にはこの地を全く知らない移民が放り込まれてくるでしょう。さて、そちらも生かされるかどうか分かりません。お仲間のところへ帰られては?」

 これから死ぬと言う奴に反論等する気は起きず、言われたとおりにエデルト軍がどう対応するかの会議に戻り、総長殿の仕出かした事実を伝える。そして具体的な方策を打ち出される。

 何はともあれ国外への脱出が優先される。船に乗って帰るしかないが、封鎖中のイスタメル海軍に見咎められるのは確実。そこは堂々とエデルトの旗を掲げ、臨検されても抵抗しないことで切り抜けるしかないだろう。現在アソリウス島に停泊している隻数では到底敵わないし、拿捕撃沈なんてされたら大きな損失。

 海軍とも協議した結果、相手と交渉するためにまずは二隻を派遣。一隻が交渉にあたり、二隻目は交渉に当たる船がやられたら全力で逃げて報告する役目をさせる。

 会議は一度打ち切り、海軍に動いてもらっている間に脱出準備を更に進めて完璧に仕上げる。市内は戦争の準備で大騒ぎ、でもない。普通の国とは意識が違うのだ。

 翌日には二隻とも無事に戻ってきたと報告が上がる。そしてイスタメル海軍より通知、全エデルト人はシェレヴィンツァ寄港の後、船内及び持ち物検査を受け、紛争終了後までシェレヴィンツァ港にて拘留する。抵抗しなければ身の安全は保障する、というもの。ご好意には遠慮無く甘えることに全会一致で決定。

 しかし軍事顧問団の意地は見せねばならない。任務内容は教育指導と武器の供与ではあるが、エデルトが魔族ごときに怯んだなどと言う噂があってはいけないのだ。噂に尾ひれがついて威信が低下したら大事である。だから折衷案を出そうかと話し合う……雰囲気になる前に発言。

「私一人が軍事指導という名目で残りますので、他の方々は予定通り退避してください。セレードの肉挽き器と魔族にはわざわざ呼ばれていますので、なめられない程度には恐れてくれるでしょう。新式実験連隊の仕上がりも実戦で確認したいところです。上官の存在は指揮系統の混乱に繋がる恐れがあるので要りません。部下は数が中途半端で使い道に困り、死ぬ必要が無いので要りません。理解出来ない方は挙手を」

 鞘で床を叩く。誰も挙手してくれるな、筋は通ってるじゃないか。こんな楽しそうなことに邪魔が入っては興ざめだ。変な意地は出してくれるな。

 皆殺しにかかってくる魔族の軍を弱小兵力で迎え撃ち、尚且つ壊滅必至とは最高の状態。そう、味方の被害は最初から壊滅と勘定されているのだから遠慮なく使うことが出来るのだ。エデルト人どもがいたらそうも出来ない。だから邪魔。セレードの同胞には死んで欲しくない。だから逃げて欲しい。

 何よりあの竜のような魔族、何と言う幸運かルサレヤがいる。奴にはあの散弾をブチ込んでいない。殺し損ねたのだ。あれで殺せたかは確証はないが、穴の一つ二つは開けてやらなければ気が済まない。この機会を逃せば一生、人の短い一生では二度とルサレヤと戦う機会は無いだろう。絶対に逃さない。奴の首を大砲に詰めて撃ち出してやる。

 そしてベルリク、あの糞野郎。奴との勝負に逃げるわけにはいかない。逃げたと思われたら癪だ。逃げるのも癪だ。相棒の妖精の実力、口以外も試したい。とにかくこの一戦逃してなるものか。邪魔はさせない。必要とあればこいつら皆殺しにしても……。

「では、挙手が無いようなのでベラスコイ少佐に一任するということでよろしいかな?」

 それから軍事顧問団代表が望んだ方向へまとめにかかり、細かいすり合わせをして会議はお終い。

 残りたいとか一生ついていくとか言う奴は思いっきりぶん殴って、蹴飛ばして、意識があるようなら何回でも殴る。それでもすがり付いてきた奴は憲兵に連行させた。

 戦後は如何様にもエデルトの都合の良いように処理してくれ、と代表に言い残して別れる。既に夕焼けが見える時刻、彼らが出立するのが日出前。


■■■


 こちらは再度総長の自宅へ向かう。

 ガランドが何か言いたい様子で総長の自宅前にいた。どんな老婆心を飛ばしてくる気かは知らない。

「先の大戦の続きをやるぞガランド。血の海を泳ぐ」

 ガランドは姿勢を正して返事をする。

「お供致します、ご主人様」

 姫様じゃなくてか?

 自宅に入り、礼拝堂で物憂げにしていた総長に告げる。

「私一人が残ることに決まった。やるからには徹底する、全指揮権を寄越せ。目的は敵第一陣の撃退と、第二陣との戦闘での玉砕だ。勝てると思うな、刺し違える。そう徹底する。生き残ると考えるから無茶が出来ない」

 似たようなことを言っていたクセに総長は驚いた顔になる。

「それと私の魔族化だ。成功すれば相当な戦力の補強につながる。前線指揮の機会は多い方が有利だ」

 ルサレヤは魔族。少なくとも同等程度に戦うならばこの位はしないと折角の張り切りもあっさりと挫かれるだろう。

「……狂ったか?」

「魔族どもから逆鱗を剥ぎ取ってきた奴から言われるとは光栄」

「戦狂いは武門の美称。総長、エルシオ、今更じゃないか。ご主人様はそういうお方だと見ればその輝きで分かるだろう?」

「昔からお前とは話が通じないと分かっていたよ」

 総長が呆れたように頭を抱える。この程度で気疲れしているようでは指揮など到底できそうにない。申し出て正解だ。

「総長殿もその力を無駄にしないよう前線に出張ってもらう。何もただ死ぬだけじゃない。魔族達は意地にかけて容赦ない攻撃を仕掛けてくる。抵抗も、ロクな抵抗もせずに負けたとあっては好き放題されてしまう。血反吐塗れの抵抗でもって交渉の段階に引き上げるのが狙いだ。勝つことは忘れてとにかく敵に血を流させる。兵は全員玉砕させて降伏の申し入れとする。奴等の怒りが冷めるほど血を抜いてやるんだ。そのためにはやはり第一陣の撃退という演出が最低でもいる。そして第二陣に敗北に等しい勝利をくれてやる。これが戦力差から考えた限度一杯の抵抗だ」

「話は分かりましたが、あなたは何故こんな戦いに参加するので?」

「軍事顧問の義理、先の大戦の続き、逃げてはならない相手がいる。この三つだ、不十分か?」

「なるほど、私には分かりません」

 総長は息を長く吹き出し、立ち上がる。

「指揮権は実質的にお譲りします。流石に名目の上だけでも私じゃないのは混乱の元です。ベラスコイ少佐が提案して私が追認という形を取らせてもらいます。私が指揮不能な間はあなたが代行ということでよろしいかな?」

「総長も駒の一つとして動かさせてもらうのは譲れない。戦局を左右する」

「それはあなたもかな?」

「何を言う。一番槍を譲る気はない」

 総長は礼拝堂の絨毯を剥がし、地下室へ続く階段の板を剥がす。そして宙に浮く光の玉を魔術で呼び出す。

「ではついてきてください」

 総長の背中に続いて階段を下りる。ガランドは壁に掛けてあった松明を持ってついてくる。

「家にいる騎士達は亡者シェンヴィクの魔族の種で変わりました。特徴は疲れ知らずの痛み知らずだが、頭が弱いことが欠点ですな」

「それを私に使うとでも? 他に無いのか?」

「いえ、あれは失敗した結果です。魔術の心得がある者と無い者とでは効果が全く違うんですよ。私とガランドは使えるので正気のままです。彼等は使えないので正気を失っています」

「ご主人様、私には自分の傷を治す魔術が無意識にかかっているんですよ」

 魔族化する前から化け物か。それにしても階段が深い。

「二人ともその亡者シェンヴィクの魔族の種?」

「いえ違います。私どものはどうも魔族の種の中でも粗悪品で、姿形に大して変化はありませんでした。歳を取って流石に衰えを感じていた体力が戻ったところか、人間離れしてしまった程度の実感ぐらいですな。優秀なものだと全盛期の年頃の姿に若返るらしいですが、私もガランドも見ての通りの年寄りです」

「優秀に粗悪?」

「ほとんど元の姿をしていない異形な魔族の種ほど優秀で、ほとんど元と変わらない姿の魔族の種ほど粗悪というのが通例なようです。実際は大きく変わっているのに外見に表れないという例もあるらしいですが、その違いを見分ける段階にはまだ至っておりません」

 下り階段が終わり、先が暗くて見えない通路に入る。

「魔族の種はいくつ所有している?」

「今まで盗み出せたのは五体のみ。一つ目は前聖皇へ献上。二つ目はそもそも魔族の種の使い方が分からないので実験に使用し、カビが生えてボロボロになってしまいました。一応骨は保存してあります。三つ目は実験の続きに使用。遂に成功して私を魔族化させましたがその時にはもう、前回のようにボロボロになってしまいました。こちらも骨は保存してありますが、使い道は分かりません。四つ目はガランドに、その成功したやり方が正しかったか確認のために使用して成功しました。ただほとんど肉体に変化の無い粗悪品です。管理も粗雑で盗む時に苦労しませんでした。五つ目が亡者シェンヴィク。魔術の素養は無いが従順な騎士で実験しました。失敗のようではありますが、命令には盲目的に忠実だからある意味で成功です。それとガランドに使った粗悪品での魔術の素養の無い者への実験では即死という結果でした。解剖までしたが死因は不明」

 胡散臭いことこの上ない。だがそんなものだろう。

 通路が終わり、総長が分厚い両開きのドアを開ける。ガランドが部屋の中のロウソクに火を点けて回る。中は広く、六台の石のベッドに拷問器具とも医療器具ともつかない道具が整然と置かれている。そして四つの棺桶が部屋の奥に並べられている。

 総長とガランドは棺桶の一つを持ち、石のベッドの上に置き、蓋を外す。中を覗くと魔神代理領の上流階級の者が着ているような正装姿の、干乾びた死体。異形なところは、肌が妙に白いのと肉食獣のような牙と爪だ。生えている髪は妙に艶やかで、死に顔は穏やか。魔術の素養があれば感じられる魔の気配で、この死体は死体ではないと感じられる。

「多少は人間の姿と離れているが、粗悪の部類か?」

「いえ、亡者シェンヴィクは上等な部類です。中の上、というぐらいです。一見すれば粗悪品ですが、身体の作りが普通じゃないという情報です。なんでも不死身だとか」

「胡散臭すぎるのにも程があるな」

「ではガランドと同じ魔族の種にしますか? これといった名もつけられていない代物ですよ。魔族の種として使われずに埋葬されていた程度の。それこそ金と鉛並みに差があるという話です」

「そうじゃない。不死身というのがとてつもない罠への釣り文句に聞こえてな」

「まあ死に辛いということの謳い文句でしょう。どうされます?」

「やる。方法は?」

 総長は部屋の奥のドアを開け、それからガランドと亡者シェンヴィクの棺桶を運び込む。部屋の中には何も無く、風通しが無いのか空気が淀んでいる。

「方法は、まず一対一で光がほぼ無い状況にする。そしてただひたすら待ち、反応があったら大人しくされるがまま。意識が飛んで戻る頃には魔族化が終了しているという具合です。この単純な仕掛けに気づくまでに結構時間がかかったものです」

「なるほど」

「魔族の種は魔族の力を植えつけるから種というらしいです。衝撃とは言い難いですが、身に起こる現象には驚くでしょう。その点は覚悟を」

「何、私のようなただの老いぼれた馬鹿でも大丈夫でしたので、ご主人様なら何も問題ないでしょう」

 総長と、ガハハと笑うガランドが部屋を出て行く。魔術の光も火の光も無くなり、室内は完全な暗闇になる。

 蓋が開けられた棺桶の前に座り込む。ひたすら待つが反応は無い。死体が死体ではないという魔の気配は消えない。何となく急に襲ってくるんじゃないかという気がして少し不安になる。それにガランドがいるので心配は無かろうと思うが、総長に騙されているような気もしてくる。別に不利益をもたらすわけではないし、こちらに敵対するのは合理的じゃない。だが信用できると思っているガランドは本当に信用できるのか? 疑い出せばキリが無いか。

 時間の感覚が薄れてくる。もう夜が明けた気もするし、まだ夕日が水平線より高い位置にある気もする。

 中々反応が無いと思っていたら、亡者シェンヴィクへ異様に惹きつけられる。次に身体の中身だけ持って行かれる感覚に違和感を覚えたが、大人しくされるがままという言葉を思い出して抵抗しない。

 魔界? 急に何故かそんな言葉が浮かんだ。聞き覚えのない言葉なのに浮かんだ。

 暗闇が段々と赤くなってくる。それに熱い? 暖かい? 全身が網になったように何かが通り抜けている。洗われている感覚がして気分は大分良いが、身体は動かない。指先もピクリともしない。そもそも、今自分は身体があるのか?

 記憶、知識、経験が入り込んでくる。また急にだ。それらは言葉にして掘り出せないようなもの、自分だけが理解できるコツというような何かだ。記憶、知識、経験というのも正しい表現じゃない。

 シェンヴィクと彼が継承した者達から意志を託されたと確信した。と言っても漠然としているのだが、前進することに躊躇が無くなった気がする。

 意識がハッキリしている上で夢を見ているような感覚、と思いきや意識が薄れてきて身体中に何か変化があるのを感じる。それの繰り返し。不快じゃない。

 意識がハッキリする。これが魔族化と呼ばれるものか。何かその言葉に違和感を感じる。何故か感じる。直感だ。

 意識が薄れてくる……。

 意識がハッキリする。世界を前進させねばならない。方法は良く分からないが、常に頭の隅に入れておこうと思う。

 意識が薄れてくる……。

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