第9話「論功行賞」 ベルリク
一時解散となった軍部交流会。続報無し、再び全員が集まる様子は無い。
出来たたんこぶが痛む。あの糞女、もう少し手加減したらどうだ? 口を塞ぎたいなら口でしやがれってんだ。痛いからしゃがんでラシージに「痛いとこ撫でて」と言ったら、頭を抱きしめられた。たんこぶは頬で撫でられた。
腹が減ったので、お流れとなった騎士団との昼食会場の厨房で立ち食いして、暇を持て余している他の城主達と茶を飲んだり、誰かが連れて来た犬に丸めて縛った手ぬぐいを投げて持ってこさせたりして、給仕の妖精がそれに混じって遊び始めた時に続報が入る。騎士団には都市の見学をしてもらい、それから夕方に始まる論功行賞の後の祝宴に参加してもらうらしい。持て余す時間が延長された。
ということで、連れて来た妖精達のところに戻って適当に遊ぶことにした。
「ポケットに入れて叩くとあら不思議、二つに増えるビスケットだ」
「それ知ってるー」
「叩いて割って、二つになりました、でしょー」
「おおバレたか」
悪戯がバレたように笑って見せる。それはそれで妖精達は笑う。
「じゃあ一応叩くぞ」
ポケットにビスケットを入れ、服の上から叩いて、そして取り出す。
「あれ割れてねぇや」
と言いつつ、手に持ったビスケットをずらして二枚目を見せる。
「でも増えた」
「えー何でー!?」
「割れてないのに増えたー!」
それからネタ切れになるまで手品を披露。お手玉をしている内にどんどん増える銀貨をやれば、際限無く増やしてくれるものだと期待してきた。異次元でこっちと妖精達のポケットが繋がる手品をやれば、こっちに物を送ろうと自分達のポケットに何でもかんでも詰めだす。切っても切れない腕をやれば、必死になって手に持った短刀を取り上げに来る。ガラス窓を抜ける銀貨をやれば、タネを明かそうとガラス窓をブチ破る。まだまだやったが、まあホントに良い反応をする客だ。
手品のおねだりを屁で振り払い、昼寝でもしようかと部屋に戻る途中に騒ぎがあった。
教派によっては妖精は人間に与えられた奴隷であるとしている。そのせいか、妖精を見下げてる人間というのは少なくない。
生意気な糞ガキ相手になっているかのような人間と、ブチキレた子犬みたいな妖精二人が睨みあって口喧嘩をしている。バカだのアホだの、あとはチビとか短足だとか身体特徴をあげつらったもの。喧嘩が始まった理由は知れない程度の内容で、無視しておけばいいようなものだが、種族が違うと種族対立という形に推移する可能性がある。違いが過ぎる者の対立はとかく大袈裟になりやすい。
「そこの二人、馬鹿は止めろ。こっちへ来い」
ラシージに怒られる妖精二人。呼ばれると喧嘩相手を無視してパタパタ走ってやってくる。
「親分ごめんなさい」
「ごめんなさい」
耳先までしょげる妖精二人。可愛くてたまんねぇ。
怒りの矛先を逸らされて変な顔をしている人間は手を振って追い払う。結構自分は顔が売れているのでこういう時に簡単でいい。
そして自分に宛がわれた部屋に到着すると、困ったことになった。部屋の前で立直している妖精に「誰も通すな」といい加減に命令したことを思い出した。
「ここは誰も通せません」
「俺でもか?」
「そう言われました」
城主さますら通す気が無い。そこでラシージが無言の圧力を加えると、脂汗をかいて震え出すが踏ん張る。おお、頑張るなぁ。
はいはい、と通ろうとすると銃口を向けてきた。本気らしい。
「じゃあもう一つ命令をするぞ、俺を通せ。でもこうなると、通せという命令と通すなという命令が重なるなぁ、どうしたらいいのかなぁ?」
そんな意地悪をすると妖精はうーうー唸りだし、泣き顔になって失神してしまった。ラシージとどうしようかと見つめ合った後、とりあえず自分はベッドに倒れこんで寝ることにした。ラシージは人手を呼んで倒れた妖精を片付けた。本来こういう時は命令の解除をしてやれば問題なく済むのだ。こいつらを見るとつい可愛くてイジりたくなる。
■■■
大してついてもいない目ヤニを擦り取りながら昼寝から目覚める。ラシージはというと、椅子に座ってこちらの寝顔を見ていたらしい。うん、妙な感じがしないのが妙だ。
何となく窓から外を眺めていたら珍しい客、短い黒毛の犬頭獣人イシュタム=ギーレイがやって来ている。奴隷官僚の服を着たルサレヤ総督直近の高級奴隷で、筋骨隆々の強面だ。しかし妖精達からは笑顔でわーきゃー歓迎され、まとわり付かれている。おそらく、宿敵の人間以外に対する反応があれなんだろう。
そんな中、給仕の妖精がイシュタムの後頭部に飛びついてしがみ付く。抵抗は確認出来ず。あれはもう玩具にしてくれと言ったようなもの。
「うーうー」
足バタバタ。
「ひげー」
引っ張る。
「みみー」
摘んでイジイジ。
「しっぽないのー?」
腰のあたりまでズリ落ちる。
そうして視界から外れる。たぶん自分に用があるんじゃないかと思い、出迎えに行くと、
「あ、タンタンいたよー」
イシュタムに肩車された給仕の妖精が自分を指差す。
「人のことを指差すんじゃない」
給仕の妖精の人差し指の先に、自分の人差し指の先を突き合わせる。
「うりりりり」
「うりりりり」
「三角頭というあだ名はもう聞いたか?」
イシュタムが、肩がつくほど横に来てボソっと言う。近くで見る黄色い目が気味が悪くてしかめっ面になりそうになった。
「俺の命令じゃないぞ。皆、自主的だ」
給仕の妖精の腹をつっつく。キャッキャ笑う。
「責めてはいない。むしろ良くやったと褒めている」
「理由は聞いても?」
「他と装いが違い、そして精強であり、畏怖の噂が伝播しているという事実が重なった時、実際以上の働きが見込める。それは作りたくても作れる部隊ではない」
「そいつはどうも」
給仕の妖精の靴を脱がし、足の裏をくすぐる。肩から転げ落ちそうになり、イシュタムの耳が思い切り引っ張られるが微動だにせず。
「何故だろうな? 人間のお前が妖精に好かれるのは」
「タンタン?」
横目、つまり目が横についている犬頭のイシュタムは横に真っ直ぐ睨んでくる。人間にタンタン呼ばわりされる覚えは無い様子。
「うちの妖精達の親分が言うには、総督閣下の砲弾より速く飛んできた、らしいんだが」
「孵ったばかりの雛鳥ということか」
「それかもな」
「さて、重要な用件がある。ついてこい」
イシュタムは給仕の妖精を降ろし、足早に歩き出す。給仕の妖精には「皆のところに戻りなさい」と言い聞かせてやってからイシュタムの後を追う。
延々早足で歩かされ、走った方が楽じゃないかと思い立つ頃、着いたのは港の防波堤の上。そこにはゆったりした、寝巻きのような無地の服を着たルサレヤ総督。地面を翼の肘で突いて寝そべり気味に、ヒザを立てて座っている。あとは人間の腕で釣竿を持って糸を垂らしているが、魚を入れる桶も無ければ餌箱も無い様子。はて?
「二人で糸でも垂らそう」
何と返事しようか考えたが、その沈黙もイシュタムは許さないとばかりに睨んでいる。ルサレヤ総督の横には、餌どころか針もついていない釣竿、糸と錘はあるみたいだ。
「分かりました」
「野次馬は無しだ」
その言葉にイシュタムは厳かに礼で返し、この防波堤に登る道を立って塞ぐ。後をついてきたラシージとしばし睨めっこをし、ラシージは眩しそうな顔もせずに太陽の高さを確認してから立ち去る。
ルサレヤ総督が隣に座れ、と翼の指で地面を二度叩いてきたので隣にお邪魔する。何も吊れない釣竿を防波堤の上から垂らす。糸の長さはどうも海面にようやく届く程度。波の感触が味わえるだけ。
「これの理由は聞かないほうが?」
「これは代替だ。酒は酔うし、茶は小便、お菓子は無くなってしまう。針は引っかかると面倒、餌は臭うし、魚を釣り上げたところで処理に困る。散歩は目立つ、乗馬は小忙しい、馬車は狭い。何も無しに室内で座っているのは落ち着かない。お前は言葉で教えた方が早いから本も無用。納得したか?」
「合理的で」
煙管に香木を詰め、魔術で着火して吸いだすルサレヤ総督。セリンに貰った葉巻とは比べ物にならないくらいの香りが立つ。その毛髪代わりの赤い羽毛が風と煙に巻かれる。人間ではなく魔族。頭から二本角が突き出て、背中から赤い鱗の翼が生えている。普段の頭に巻いている布や軍装があればこそ、この異形も装飾めいて立派だが、普段着姿を見ると現実味が無い。本当にこれが身体の一部なのかと。
何となく引き込まれるように翼の、皮膜が張っていない三本の指を触ってしまった。かなりの握力を体験。
「痛ぇ!」
解放。火傷したわけじゃないが、思わず痛いところをしゃぶって濡らす。
「年上をからかう真似は止せ。青春が戻ったらどうする気だ?」
翼というのは、指が変形して皮膜が張った腕だ。つまり、隣り合って座っていたら思わず手が伸びて握った、という純愛物語の一節みたいなことをしてしまったわけだ。相手は化け物だが。
「望むところです」
「ほう? まあ、昔はこうじゃなかった」
「昔?」
「あの時があれだから、七百十三年前だな」
「どエラい数字だことで。魔族って長生きですね」
「まあな。その時は背中にも頭にもこんなものはなかった。目も髪も黒で普通だった。魔族化する直前にはひ孫が分かってる限りで百七人いたな。今じゃ本家筋以外どうなってるかよく分からん」
「子供、いたんですね。随分産んだっていうか、大昔なのに良く育ちましたね」
「そうだな。今の形じゃ想像つかんだろうが、当たり前の普通の、健康な女だった。官僚の夫の手伝いをしていた程度に頭は回った。魔術は使えたが、釜戸に火を入れるのが楽だった程度だ」
「それが今も生きて、街を丸焼けに出来る魔族になったと」
「耄碌婆になって、後は寝たきりのまま死ぬって時にだ。あれが一番丁度良い時期だと思うよ。まさしく第二の人生、後悔の欠片も無かった」
「セリンは、随分若くしてなるんですね」
「あれが優秀なだけだ。あんな娘が可愛いだけで海賊なんか率いられるわけがないだろう」
「まあ、そうですが。若すぎるような、俺より年下ぐらいに見えますが」
「若くして魔族になるというのは複雑だろう。私のように死に損なってからとは違う。普段から手下どもにナメられまいと気張っているから弱気も見せられないし、素直で信心が深いから畏れ多いのと、断るなんて想像も出来ないから現実逃避で時間稼ぎもしていないだろうし、人間の内にやれることをやり尽くしてもいないだろう。後悔無くとは絶対にいかないな。魔族化を判断する魔導師にとっては魔神代理領のために滅私せよというのが基本方針で、個人の事情を斟酌するところではないからな」
で、どうだ? という感じの視線を横目で投げてくる。女の扱いなんか知らん、とは言えない雰囲気。
「私に出来ることなんてたかが知れてますよ」
「そんなに出来ないのか?」
横目が若干下向きになってニヤっと笑いやがる。ババアは下ネタが言えるのか。
「総督……言うんですね」
「私が純真無垢な乙女に見えるか? 何、まさか見える? ふふん。まあいい、一言声をかけるだけで大分違う。お前以上に気が許せる相手もこの辺りにいないだろう。後は適当に得意のホラでも吹いておけ」
ホラ吹きが得意技と見られているなんて心外だ。相手の心理を見抜くとか、もっと言いようがある。それじゃまるで普段から吹いて回ってるみたいだ。
釣竿を脚で挟み、手をホラ貝に見立て、手笛で一曲演奏。故郷の民謡、夕日の枯れ原。思わず泣きそうになったので切り上げる。
「最初から分かってたか?」
「何がですか?」
「初対面じゃないってことだ」
「最近になってそうなんじゃないかって気がしてたんですが、今確信しました。あの竜の格好イカしてますよね、本物かと思いました」
「そうか」
「一目で気付いても同じようにしましたよ」
「その理由は?」
「一目惚れです。あの、女としてじゃなくて男にもする種類のほうの」
「ほう」
言葉が続かない。言葉変えればよかったか?
「君の思い切りの良さは認めてる。タルマーヒラもそれに負けた」
「あの大きな竜ですか?」
「うんそうだ。昔はそれなりに思慮深かったが、片目を潰されて以来乱暴になってな。連携と言う言葉を忘れてしまった」
「そうでしたか」
「あれが奴の寿命だ」
ルサレヤが釣竿を上げる。錘を餌だと勘違いしたのか、糸ごと食い千切られている。ここにはちょっとした化け物でも泳いでいるのか?
「一つ失った心算でいても二つも三つも失せてしまうものだ。全ては守れんし、守らないと崩れる。崩れたら他の物で埋める。そうすると別の何かになる」
「はあ」
気の無い返事をしてしまう。だって意味分かんないんだもん。
「ああ、前置きの世間話が長くなった。君もこれからは魔神代理領の武官だ。魔とは何か教えようと思って呼んだんだ。無知では恥を掻くし、不都合がある」
「魔、ですか?」
「神話から簡単に説明する。聖なる神がこの世界を創った。しかし脆弱で、改めようにも力尽きて動けない。そこで魔なる神がこの世界の脆弱なる部分を改め始めた。そして現在に至る」
「表見てひっくり返して見ただけで歴史が終りましたね」
「いきなり中身を語っても分からないだろう。さて、何故我等は魔神代理領と名乗っているかな?」
ルサレヤ先生か。
「その魔なる神から権力を授かった代理様の支配地域だから?」
「魔神代理と略さず言え、そして様をつけるな。そのままで敬称だ。様をつけたらあからさまな皮肉になり、不敬になる」
「あ、すいません」
「では、魔とは、世界を通常では考えられない法則で変化させる力のことだ。そして出来ればより良く、それか望んだとおり変化させることを目指す。それは魔術や魔族という形で表現される。例をあげれば私だ。空を飛び、硫黄の火を操り、人間より遥かに頑強、そして長寿で病気知らずの永遠でもないが、しぶとくうら若い乙女だ」
「魔神代理領の言い回しですか?」
「茶々を入れるな」
おい、それには納得せんぞ。
「その魔という変化の力をこの世界にもたらしているのが魔神。その魔神が生み出す魔でもって世界により良い変化を広める使命を持っているのが魔神代理」
「川がある、そこの水は飲める。ある人物が訴える、この川は君達の喉を潤すために流れている。私はこの川の代理、この川に小便することは許さん」
「つまり、意思も無い資源のような魔神の、その代理を名乗るのがおかしくて滑稽ということか」
「どこか違いますか?」
「初代魔神代理は聖なる神に創られた脆弱な者ではなく、魔なる神に創られた始めの強靭なる者。使命のために世界を改めるべく魔神代理を名乗り、勢力を立ち上げて活動し、継承され、今日に至る」
「と言う伝説?」
「文字すら発明される前、大昔からの語り伝えだ。そう伝えられていて、大筋はそのようだが実際はどうか分からず、事実ではないが丸きり嘘では無く、学者の遺跡遺物の発掘などにより根拠はあるという解釈も無視できない、ということだ」
「そらまた……なるほど、追求は無意味ですね。いや、強靭なる者はご存命ですか? 生き証人がいれば、総督がウン百年生きるならその方は?」
「強靭なる者とは魔族のこと。始まりの方々は後継のために犠牲になられた」
「犠牲?」
「魔族の種になることだ。生きながらに生きておらず、後継のため魂も捧げた姿。種は自らの全てを次代に継承させるものだ。魔族にとって命を捨ててまでの奉公は不義理にあたる。魔族の種となるのが義務。私は、畏れ多いことだが竜王ゴルゴドを継承した。何れはそれにこの八百年を越える経験を重ねた魔族の種を後継に残さねばならない。まあ、あと千年は現役の心算だがな」
「あー……継承に失敗ってあるんですかね?」
「魔術が使えればまず問題ない。魔術が扱える者は、強靭なる者の雛だ。セリンは、披露したかは知らないがちゃんと使える」
「脆弱なる者、普通の人間ですか、がやったら?」
「種の意思による、としか言いようがない。良い事が起きるか悪いことが起きるか何も起きないか。ただ正規の継承は間違いなく出来ないな」
「魔族って人数が世代を越えて増えるようなものなんですか? それとも一定?」
「魔族化すると当たり前の生殖能力は無用とされて喪失するが、魔族の種を使って繁殖することが代替になる。魔族の種は消耗品ではないから減ることは無いしな」
「疑問はもう大丈夫です」
「続きだ。その魔神代理の使命に賛同する諸勢力の集合体が魔神代理領だ。中央から派遣された私のような官僚が治める州もあれば、世襲的な封建国家、議会を持つ共和制国家も内包している。今の時代の魔神代理が行う仕事は、魔なる法の運用と改定を行って道徳を定めて良心を保つこと。そしてそれに基いて助言する。助言には強制力も、違反した場合の罰則も無い。ただ不名誉の謗りは受ける可能性は否定できない。何かしらの挽回をしたならば無視しても問題は無かった事例はある」
「法律は?」
「それは魔神代理に代わって俗事を担当する宰相府、中でも大宰相の分野だ。大宰相は俗なる法の運用と改定を行う。俗なる法が所謂法律だ。政治の方針を決めたり、罪人の首を切り落とす基準を定めたりだ。さて、入り口が分かったところで魔なる法、魔神代理が定める道徳とその良心とは何ぞやを指導しよう」
「難しいですかね?」
かなり哲学くさいにおいがする。
「魔法官、俗法官、城主に知事に総督、魔導師と各実績のある私に任せろ」
力強いお言葉である。強すぎて圧し折れそうだ。
実際講義が始まって感じた。脳みそを圧し折られる、妙な言葉だがしっくりくる。ルサレヤ先生の教えを要約出来るだけ要約すると、適度な正義を持って仁義に恥じず、子々孫々を守れ、というところ。他にもあったが、覚えてないか、言葉にまとめきれない。この言葉にまとめるだけでも一年分の知恵は振り絞ったと思う。
「一つ聞きたいことが、あと、怒らないって約束ください」
「いいが、何だ、言ってみろ」
「前々から不思議だったんですが、魔神代理は信用出来るんですか?」
「そんなことは考える必要が無い。千年以上昔ならともかく、魔神代理には具体的な物事に干渉する権限は無い。食事を取れ、という指針を示すことはできるが、何時何処で何をどれ位誰が何人が食べるかということまでは指定できない。そもそも俗なる分野には干渉したことは歴史上でも稀で、批判がついて回ることがほとんどであり、それはよろしくないと誰でも分かっている。少なくとも私が生きてきた間には大権をふるって差配したことは無い。魔なる分野に対しても指針を示されるだけで、実質的な事は魔導師や魔法官が行う」
「最悪、いなくても?」
「短期的にもそう言えるかもしれないが、やはり言わないな。魔神の理念を、俗なる者が自分に都合の良い様に捻じ曲げることを許さず、道徳と良心を維持してくれるお方だ。失われたとして、どうやって取り戻すのか? 分からないから失ってはいけない。何千年単位で考えてくれ。魔神の威光を利用しようとする輩は、魔神代理の威光浴びる下でさえ出てくる。無くなれば更に言うまでもない。存在していればこそ、そんな輩どもの不当性を明らかにして世界に無用な不安を呼び起こさないようにしてくれる。この世界の未来は何処まで続いているか分からないのだから、不滅の導きは必要だ」
「不滅の保障は?」
「さてな」
「さてな、って」
「我々が全力でお守りする。成功するか失敗するかは分からない。それで分かるな?」
「はい。その保障の話ついでと言っては何ですが、イスタメルの軍人達に約束して欲しいことがあります」
「ふむ、まずは言ってみろ」
「我々の犠牲と勇気には代償を支払って欲しい。征服された彼等には特に必要です。私個人は好き好んで参加した輩なのでどうでもいいんですが、妖精達に何か報いることが出来ないかと考えていました。人間の方はついでですが」
「遺族や廃兵への補償金や年金のための予算割り当ては軍務省基準でしてあるのだが?」
「名誉です、名を不滅にして頂きたい。使い捨ての被征服民、捨て駒が惨めに弾除けにされて肥料になったなんて笑い話にならないよう、勇敢な戦士が義務を果たしたと称えてください。今はそれで実りが無くても、次の世代からは意味を持ちます」
「そういうことか。ふむ、うんうん、そうだな、彼等も今や同胞であるな。分かった、頭に入れておこう。だが期待はしすぎるなよ。いくら偉くても所詮は役人、出来ることと出来ないことがある」
「ありがとうございます」
「何、腹蔵なく話してくれて助かる。いくら経験があっても気が回らないことがあるものでな。次に移る……」
それからはまた魔なる法とやらの解説に話が移った。難消化物を頭に詰め込まれすぎたので明日は下痢だ。鼻からたぶん出てくる。
脳が膨らむような苦しみを味わっていると、ラシージがイシュタムの脇をすり抜けて迎えに来る。
「そろそろ論考行賞の準備を致しましょう」
釣り糸を手繰り寄せて釣竿に巻き、立ち上がる。すると同じく立ち上がったルサレヤ総督がラシージを躊躇無く抱え上げて、眺め、孫でも抱っこするようにする。互いに何も言わず、ラシージもラシージで緊張しているのか人形みたいに動かない。
何かの冗談かと考え、考えても埒が開かないのでラシージを受け取り、脇に抱えて一礼して立ち去る。
■■■
宛がわれた部屋に戻り、その前に部屋を守る妖精に命令解除を言い渡し、身体を濡れた布で拭いてから礼装に着替える。
そして夕刻、赤い空を眺めながら目的地、総督官邸へ。そこでは、儀式だ何だと聞いていたが、大広間には関係者が集められた割に飾り付けも何もされず、楽隊どころか綺麗なお姉ちゃんも美味そうな食事も酒も用意されていなかった。いや、ルサレヤ総督がいたか。でもからかってケツを触れるもんでもない。ラシージはいるが、こっちは何時でも触り放題だし、他の連中には渡さない。
ここに用意されている物は、山積みになった大小の木箱だ。中に何が入っていて誰に宛てた物であるかと書かれた紙が貼り付けられている。
論考行賞の儀式が行われる会場というよりは何かの集積所である。エデルト軍時代に物資を受領しに行った時を思い出す。補給士官が名簿片手に、面倒臭そうに署名を貰って「はいあんたの隊はあそこの山ね」と。
ここでは補給士官の代わりにルサレヤ総督が名簿片手に名前、功績、褒賞を読み上げる。それからイシュタムが読み上げられた人物に声をかけ、何処へ運べばいいかを聞き、荷物運びに雇われた労働者に指示を出す。
こういうのはもっと儀礼的にするべきなのだ。金ぴかに飾った広間で、お上品な音楽流し、ルサレヤ総督が各自の功績を皆の前で褒めてやって記念品や勲章を渡し、大きい物は後日送り届ける。褒美を渡す以外にも、仲間にはこれこうこういう人物がいるんですよ、と紹介する場面であるべきなのだ。
「ベルリク」
考え事をしていたせいで名前を呼ばれたが反応が遅れた。口笛が鳴り、その音源に顔を向けるとルサレヤ総督が口に指を咥えていた。何だかもうこれは儀式じゃないだろう。
「はい」
返事をしてからルサレヤ総督のもとへ駆け足で向かう。今の彼女の雰囲気は、お偉い州総督というよりは仕事中の役人だ。
「ベルリク=カラバザル・グルツァラザツク・レスリャジン。バシィール城奪取、管轄地域の安定化ならびに発展、旧イスタメル公国軍残党の掃討、妖精達の統率など、功績大である。二等功労勲章が宰相府より贈られる。これは普通の人間が貰える中では上等な方だ。次に、軍務省より一等銀獅子勲章、そして報奨金が金貨一万ウラクラが贈られる。これは身分に合った物を買い揃えろという意味だ。それとウラクラ金貨が使いづらいならルシュク銀貨に崩してやってもいいぞ。次に、内務省より名誉市民権並びに個人に対する免税特権が贈られる。法人税と固定資産税は発生するから気をつけろよ。最後に、イスタメル州政府より、何がいい?」
ルサレヤ総督が首を傾げ、ほら言ってみろと誘ってくる。
「何でもいいんですか?」
「私の足でも舐めるか?」
「どうせなら乳でも吸わせてくださいよ」
「イシュタム」
「は」
イシュタムが上着をはだけ、黒毛が生え立つ逞しい胸を晒す。
「主人の命ならば私は何であろうと受け入れる。遠慮する必要はない、餓えた赤子のように吸うといい」
冗談キツいぜこの二人。
「それはさて置いて、です。妖精達で作る軍隊、規模がもっと大きくできそうなので、予算配分の時に配慮してくれたら有難いです」
「具体性が無い。軍拡は経済が整備されてから検討する。お前は軍閥でもこさえる気か? 以上の理由で却下だ、大人しく吸い付いとけ」
「それはもういいでしょう。ではイスタメル北東部の国境警備隊の創設と指揮の権限、予算をください。現状の北部担当の国境警備隊だけじゃあそこは空白地帯同然です。土地勘のある妖精達でおこなうべきです。いくら広大な森林地帯とはいえその北には遊牧帝国、今はアッジャール朝でしたか、がいます。主力部隊から、指令系統の複雑化を避けるために人員を出したくありませんのでお願いします」
「了解はしたいがそれは褒賞ではない。次の予算会議で議題として提出しろ」
「じゃあ、書類作るの手伝ってください。連名で」
「仕事熱心か、兵隊が玩具か、か。後日、時間があったら使いをやろう。草稿ぐらいは用意しておけよ」
「もう作ってあります」
「そうか分かった。次、ラハーリ……」
皆より大目に時間を使ったことでちょっと嫌な視線を浴びる。咳払いも頻度が増えている。何事も無かったように服装を正し終えていたイシュタムに、配送先は宛がわれた部屋を指定する。重量物といえば一万ウラクラの現金ぐらいなものだ。勲章に証明書類なんかは軽い軽い。
「……最後に、イスタメル州政府より、ラハーリくんにはめんこめんこをしてあげよう」
「何と?」
もとより額が後退し始めて十数年といったハゲの上、残る草原地帯にも円い不毛地帯が散見される小汚いおっさん。その頭をルサレヤ総督が撫でようとし、ラハーリは思わず避ける。自分だったら避けるどころか抱きつきに行って「ぽんぽんも撫でて」と甘えるのだが。
「何でもない。早く行け」
「あの総督閣下?」
「いいから行け、早く素早く行け」
ラハーリ、ルサレヤ総督に真っ先に降伏したイスタメル土着貴族。同属殺しを率先して行ったという悪い評判と、多くの同属を助けたという良い評判が二つ並び。ルサレヤ総督の冗談なのか本気なのか良く分からない行動に首を捻る。
「セリン」
「はい!」
上下とも白い海軍将校の礼装――お世辞で似合っていると言える程度――に身を包んだセリンがキビキビした動作で歩く。長い髪は油で撫で付けられ、極限までキツく絞って一本の三つ編みに結われていてる。派手なスカーフに代わり、頭には白い布巻き。表情も動きも固く、まるで軍人だ。開放的な格好で酔っ払ってゲラゲラ笑っていた姿が想像つかない。
「ギーリスの娘セリン。残留聖戦軍への敵前上陸による陽動、マリオルの占領、イスタメル海域の制海権維持、海上交通の安定化、多数の艦船拿捕、旧イスタメル公国軍残党の掃討など、功績大である。何より艦隊を率いての魔神代理領への帰順、感謝の言葉もない。儀仗刀が近衛侍従長より贈られる。魔神代理からの歓迎の言葉と理解しろ。一等功労勲章が宰相府より贈られる。これは普通の人間が貰える中では最上級だ。次に、軍務省より三等金獅子勲章、白銀水竜勲章が贈られる。これで陸海軍双方にデカい顔をしてもいい。次に、内務省より名誉市民権並びに個人に対する免税特権が贈られる。法人税と固定資産税は発生するから気をつけろ、免税されると思って商売に手をつけて失敗した奴がいるからな。イスタメル州政府より、マリオル県知事及びイスタメル海域提督への就任を提案するが、受けるか?」
「勿論です、尽力させて頂きます」
顔も声もセリンとは思えないガチガチな緊張ぶり。これは後でからかってやるより他ないだろう。
「そして今紛争における私掠物品について、五割を州政府に収める義務があるが、今回は免除する。支度に大金がかかるだろうからな。そして最後に……」
ルサレヤ総督は言葉を、溜める、ということはしなかった。だがセリンが周囲まで息苦しくさせ、時間も鈍く感じさせる空気を発した。
「魔導評議会より通達。明日にはここシェレヴィンツァに、魔族の種、海の賢者と謳われるアスリルリシェリ殿が到着される。ギーリスの娘セリンはかの方の犠牲を軽んじず、力の継承をもって魔族となり、世界を魔なる力によってより良く改めるべく滅私せよ」
セリンが唇を震わせながら息を何とか吸って声を吐き出す。
「はい!」
「うむ。さて、セリンで最後だが、まだ一つ残っていたな。ベルリク! 早くイシュタムの乳を吸え」
大広間が重圧から解放されたように笑いに包まれる。セリンも、笑いはしていないが少し力が抜けて見える。
「総督のでお願いします」
また笑い。
「イシュタムは私の奴隷だ。つまりイシュタムの乳は私の乳である」
イシュタムがまた服をはだける。あいつもよくやるよな。
「辞退させて頂きます。マジで」
「贈ったものを突っ返すとはどういうことだ?」
「代わりに書類作ってくれるって話です」
「それも受けたが、別に取り消した訳ではないぞ。返す訳にはいかない。受け取れ、命令だ受け取れ。受け取らぬならば、命令違反が適応される。此度の論考行賞は軍事的儀式であるので、これは軍務に含まれる。軍務における命令違反者に下す判決は銃殺刑だ。分かったら受け取れ」
また笑いが起こる、と思ったが起こらない。ルサレヤ総督が一つも笑いはしないからだ。まだあの事務処理をしている役人面を下げたまま。イシュタムも笑いもせず胸を張り出している。
皆の前でイシュタムにしゃぶりつくか、鉛弾をブチこまれるか、中々天秤が吊り合ってる気がするな。
ラシージが懐の拳銃に手をかけつつ、床を魔術でひっくり返すように手をかざす。流石にそれはマズイので手で止めろと合図。ラシージが珍しく眉間に一瞬シワを寄せる。
「冗談キツいですよ総督」
「冗談に聞こえたか?」
大広間が静まり返る。皆の呼吸が聞こえる。心臓の鼓動すら響いてきそうだ。やけに廊下から女達の笑い声が響いてくる。
「おいイシュタム、どういうことだ?」
ルサレヤ総督が小声で喋る、が結構響いている。
「主人、おそらく皆は冗談なのか本気なのか等と思案しているようです。よろしくないかと」
「なんだと、馬鹿じゃないのか?」
「おっしゃる通りです。教えてやるべきかと」
「皆良く聞け、今のは冗談だ。さあ笑え!」
そして会場に轟く大苦笑、溜息。セリンに気をつかって冗談をやったと分かっていた人間がこの場にどれだけいたか。
「うむ、もう少し間合いを究めればモノになりそうだ」
止めてくれ。
■■■
論考行賞は終わって解散。早速宛がわれた部屋に戻り、礼装の服に勲章をぶら下げてみる。見栄のためにエデルト軍時代の勲章もつけてみようかと思ったが、今回貰った物に比べると段違いに安っぽいので止めた。
手帳に一万ウラクラの使い道を思いつく限り書いているとラシージが迎えに来る。気づけば日が沈んでいる。
宴の会場に向かうと、篝火が何時もの夜の倍は出ている。会場を差配していると思しき老人にうやうやしく案内されて指定席に座る。
一度セリンの死人が出そうな宴を体験すると普通の宴がヘボく見えるものだ。この会場もそんな程度だ。別に悪くはなく、むしろ上等。
毛皮に織物敷きとはいえ、長いこと床に座ることに慣れてないイスタメル人達はなんだか尻が落ち着かない様子だ。ついでに皆礼装姿のままなので、思うように陽気になれない。しかし、中の一人が上着を脱いで召使いに渡すと、他の者も真似しだしてそんなことはなくなる。
宴の始まりの挨拶をしたルサレヤ総督が早々に去ってから、各自自由に座る位置を変え始める。するとベルトを掴まれ、あんたの席ここ隣、とセリンに引きずり込まれる。彼女とはご隣席、というか、同じ毛皮を尻に敷いているのでご相席だ。
当たり前だが彼女と、その連れて来た元海賊の海軍士官連中は前みたいな大騒ぎをしていない。元海賊とはいえ、常識知らずの無頼漢というわけではないようだ。
一部の魚を生で食べるのはセリンの母親の故郷での食い方、らしい。元海賊の料理人が作って持ってくる。気味が悪くて食えた物じゃないが、セリンは美味い美味いと食い始める。
「旦那も食べなよ」
「無理無理」
「遊牧民って馬の血飲んだりするんでしょ。同じようなもんよ」
「こっちは腹壊すだろ」
「そりゃあ扱い知らない素人がやった時の話よ」
箸に取って魚の刺身を突き出してくる。遠慮。
魚の刺身を唇に挟んで突き出す。目を閉じて、正座、何故か後ろ手。無防備なようでいておそろしく攻撃的。遠慮。
「何よビビりやがって、今の史上最強に可愛かったでしょが!」
確かに破壊力抜群。しかし、身内だけならともかく、初顔合わせをしたような連中がいる中で出来るはずがあろうか? アソリウス島騎士団とエデルトの軍事顧問団までいるというのに。
そういえばシルヴを見かけない。キョロキョロしていると、それを察したかセリンが耳を引っ張ってくる。
魔族化が決まり、マリオル県知事にイスタメル海域提督就任と、祝い事だらけのセリンには節度や暗黙の序列で決まった順番でお偉方が挨拶に来る。型通りが何となく馬鹿らしく、媚びているようで卑屈に思えてしまうが、顔と名前に声まで知っているのと知らないとでは後々の関係に影響が出るもの。面倒臭がらずに応対するのが常識だ。いつものセリンらしい愛想たっぷりの受け答えで、思わずデレデレしてしまうおっさん方。あれはよっぽど根性が捻くれていない限りそうなってしまう。
自分もそのお偉方の一人であるとふと気がつく。何時の間に取り入ったんだと、嫉妬交じりの視線を時折浴びる。突如現れた成り上がりの田舎者という不審人物がセリンの陰から偉そうにしているようには確かに見える。立場が逆なら何だこいつと思うこと間違いなし。
それにしても現状だ。セリンの隣に当たり前のように座る自分、挨拶に来る人は自然我々二人に語りかける形になり、まるで夫婦? うーん、頃合を見計らって逃げなければ。落ち着かなくなってきた。もう手遅れだろうが、嫉妬から足を引っ張られるのは超面倒臭いのだ。
逃げる機会を伺いつつ、明日の大事に備えて酒はあまり飲まないようにしているが、周りに流され、特に酌してくるセリンに合わせて思わず口をつけてしまう。ホロ酔い程度で済ませたいものだ。さてそのセリンはどうかというと、明るく楽しげにしているが酒には一切手を出していない。時折俯いては深刻な顔になる。まあなるだろうな。
色々と脳内であれこれ苦しんでいると、何の苦しみも無さそうな給仕の妖精が意味も無く来る。大所帯の宴なので、出張中の我がバシィール城連隊からも人を出して手伝わせている最中なのだが、サボりに来たようだ。
「回れぇ右」
肩を掴んで半回転させる。
「前ぇ進め!」
背中を押してやると「ぶーん」と言いながら小走りに進み、反転して戻って来てニッコリ笑う。そしてまたパタパタとその辺を動き回り、思い出したかのように酒酌みの仕事に入る。そうしたら酔っ払った将校の一人が、何の気は無しに給仕の妖精の頭を撫でようとした。確かに思わず手が出る可愛らしさ。だが給仕の妖精はビクっと怯えて手を避けて、ラシージの陰に隠れる。
「うちの子に手を触れないでください」
ボソっとその将校に言ったラシージだが、あっさり見捨てて他所へ動いたのでこっちの膝に抱きついてくる。背中を撫でる。
「おおよしよし、恐くなーい。こっちの人達の方に配ってなさい。他は大きいお姉ちゃんに任せなさい」
噂をすればその大きいお姉ちゃん、飯炊き兼召使い頭の妖精。人間の男程度に体格が大きいし、耳も特別尖って長く、イスタメルの地の妖精ではないらしい。ラシージが親分なら、まさにこっちは姉御。
「おい城主、何か呼んだかよ?」
丁度その召使い頭の妖精が料理を運んできたところだった。その料理の味は単純素朴だが煮加減、焼き加減、塩加減は絶妙。虫や花まで料理にして出すが、ちゃんと食える。
「他所の相手は他にやらせてやれ」
「あん? おいこら、おめぇは邪魔だとよ、厨房に引っ込んでな」
召使い頭の妖精は給仕の妖精を蹴っ飛ばして追い立てる。周りは騒がないもののビックリしてしまう。しかしこれは何時もの光景だ。戦争中などの緊急事態以外の時は、妖精同士だと命令を下しても反応が鈍く、こんな感じで急き立てないと動かないのだ。うん分かった、あーもう少しお休み、よっこらしょ、あ、お腹空いたなぁ、ぼへー、あくび、あれ何だっけ? まいっか、何かあったらまた言いに来るよね、うにゃんにゃ、ぐー、もう食べられないよー、という具合。あとはそう、召使い頭の妖精は何時も手に何か持っているからか、足で蹴っ飛ばす癖がついている。扉を開ける時も足、物を退かす時も足、人を急かす時も足。
「おい他の奴の前で……」
口に蒸かした芋突っ込まれ、熱くて吹き出す。
「てめぇ食いもん粗末にすんじゃねぇ」
熱いのと口に芋が残ってるのでまともな言葉にならないが、アホかてめぇ、と言う。
「物食いながら喋ってんじゃねぇよ」
お茶で口の中を綺麗にして、
「うるせぇ糞女、おっぱい揉むぞてめぇ」
「んだとこのスカボケウンコ、目ん玉抉れやがれ」
口の端を片方吊り上げ、尻を掻きながら空になった酒瓶の片付けを終える召使い頭の妖精。それからは何事も無かったように食べ物や酒の手配をしてはテキパキ片付け、他所の召使いまで手早く指揮している。口は荒いが非常に有能だ。「酒くれぇてめぇで注ぎな」と酌を求める酔っ払いに凄んでビビらせたり、「おめぇ豚の餌にしてやっから安心してくたばれや」、と料理をこぼした召使いの一人の首を絞めたり、大活躍。
そうしている内に逃げる機会を喪失してしまう。あの二人をダシに逃げる戦術は思いつかなかった。
セリンの視線を横目で伺い、明らかにこちらから顔を背けた瞬間を見計らい、ラシージに一瞬の視線を送って合図。若干こちらに顔を向け、また直ぐに戻すという了解の返事を受け取る。それからラシージは一旦会場から去り、少し時間を置き、戻ってきてこちらの耳元に囁く。
「城主様」
その一言だけだが十分である。ああ分かった、と言わんばかりの顔を作って立ち上がる。別に何も無いのだが、まるで部外者お断りの事案発生をにおわせる小芝居を打つ。素晴らしいのが、ラシージとは事前の打ち合わせも何も無いということだ。
セリンがどうしたかと見上げてくる。その上ズボンまで、軽く握ってくる。こいつは重たい。
「主役はそのまま」
お前は良い子だからそのままそうしてろと声音に乗せて囁く。そして足取り軽く、しかし後ろ髪引かれ気味に会場を後にする。ラシージがあの事案に対してどうしましょうか? という感じの右斜め一歩後ろの副官の位置でついてくる。
宴の騒がしさも去った。会場の暑い空気から抜け出したことを頬で感じる。篝火に照らされる中庭と観葉植物に、先ほどまで気が緩んでた衛兵。笑ってやると苦笑いで返ってくる。
よくやったラシージを思う存分可愛がってやろうかと思って振り向くと、殺気立つラシージと、良い子にしないでついてきたセリンがいた。
「何で追ってくるんだよ」
「逃げるからよ」
今までにないセリンの不機嫌顔に若干腰が引ける。敵からとはまた違う、身構える気の起きない圧力。
ラシージが、背中に回していた手でこちら、いやその後ろを指差す。食い止めるから逃げろということだろう。後ろへ向かって走り出す瞬間に見えたのは、連続して中庭の土が埃を立てるように空へ向かって弾け始め、煙幕が張られたことだ。
後はラシージに任せて逃げる。逃げすぎて道に迷うとエデルトの軍服を着た、顔馴染みのヘッポコ砲兵三人衆を見つける。最後に声を聞いたのは、竜のタルマーヒラを引っ張ってきた時か。
「おいお前等シルヴの手下どもじゃねぇか。まだ生きてたのかよ、面腐れて敗血症で死ねよ」
「シルヴさんと呼べ。梅毒野郎」
「そうだぞ。ひぜん掻き」
「敬意を払え。物狂い」
隻眼、火傷面、鼻無し、と凶悪面のこいつらは士官学校時代から俺のことを平気でこんな風に言ってやがったな。
「何がシルヴさんだ。俺とあいつはベルベル、シルシルでつーでかーなんだぞ」
「それは初耳」
後ろから首を絞められる。背中に胸が、当たらない!
「げぇっ、胸が当たってない、胸が当たってない!」
「外せ」
『はっ!』
ヘッポコ砲兵三人衆が引きつった顔をしながら敬礼をして足早に立ち去る。
「神よ助けたまえ、我が祖先とてこのような苦難に遭わなかっただろう」
「どういう意味だこら」
解放されて、背中を押される。振り向けばシルヴ。面は笑顔全開、まるで気が違った肉食獣みたいだ。無表情が一番愛想の良い面という類の女だ。きっと嫁の貰い手は自分以外にいない。
シルヴが親指で差した先、格子窓から月光が射している、普段は座る人もいないような長椅子の上には酒瓶二つ。その封は切られていない。用意万端。おそらく、あのヘッポコ砲兵三人衆が自分を呼びに来る段取りだったんだろう。モテる男は辛いねぇ。
長椅子の端に座る。シルヴは反対の端に座り、酒瓶の栓を齧り取り、格子窓を開けて外に吐き捨てる。何ともお下品、こちらも同じようにして栓を外に吐き捨て、何も言わずにグイっと酒瓶を煽る。キツい蒸留酒なので咽そうになる。
それにしてもかなり久しぶりに二人っきり。たぶん怒られる。筆不精をしただけでメッチャ怒られる。たぶん、大人ってそんな風に怒られないよね? って子供が思うくらい怒られる。シルヴが面を見せた途端に笑顔だなんて不吉過ぎる。日食、魚の死骸一面の川、呪いの言葉を吐く奇形獣並みの凶兆。
そんなことを想像してビビっていると、シルヴが顔を触ってきた。鼻引っ張って、顎摘んで、頬抓って、眉擦って、耳たたんで、まぶたひっくり返して目の玉まで見るのもさせるがまま。
「元気になったみたいね」
「あ……うん」
シルヴがホっとしたような小さいため息を漏らすとようやく女性らしさが欠片ほど見えてくる。「あの目に睨まれると心が出血する。声をかけられると体がガラスになって寒さで割れる」とはアソリウス島の騎士の一人が、自分がエデルト軍に在籍していたことを知って話しかけてきた時にシルヴをそう評していた。戦争が終わって彼女が変わってしまったのかと思っていたが、昔と何一つ変わってない気がする。それも少女時代からだ。違うのは背だけ、胸と尻は同じ。周囲の連中はシルヴを前にすると妙に緊張するらしいが、自分は妙に安心する。ここが変わらないということは、他の変化は微細過ぎて確認する必要もない。
「どうしたの? ボーっとして」
「今思ったことを口にしたらシルヴが俺に惚れてしまうから秘密だ。追いかける楽しみが無くなる」
「へー」
ラシージが様子を見に来て、すぐにいなくなる。シルヴは少し首を傾げるが、何事も無かったように酒を飲み始める。
「あの後どうしたの?」
あの後ってのは、エデルトのあの酒場の時からだな。
「退職はー知ってるか。南に行って、新大陸か南部か魔神代理領って考えて、魔神代理領の方が面白そうだった。田舎暮らしにも飽きたしな」
「都会はもう少し東。変なところで掴まったわね」
「掴まったんじゃなくて掴まった。あれ? ああ、分かるだろ。俺がガシっと総督に掴まったんだ」
「あんたから声掛けた? 物好き、変態、アホ。随分馬鹿やったみたいだけど、馬鹿だから? 馬鹿よね、馬鹿面下げてる。あの妖精どもは何? やっぱり変態ね」
「俺の好みが、血に飢えた殺人鬼のクセに分別があるから仕方なく軍人やってる女紛いだからな。そりゃ変態だ、常識人に同類だと言う勇気は無いね」
「一言に」
「僕もあなたも変態」
「そう」
「そっちはあの後?」
「ヴィルキレク殿下の命でアソリウス島に派遣。軍事顧問団として現地人集めてエデルト式軍隊の教練。そして何故かアソリウス島騎士団の政治顧問みたいな仕事もしている」
「内政干渉たぁ、すんなりと属領化してんじゃねぇかよ。お家はどうだ? 奴等息してんのか?」
「あんたの父親から聞いたらどう? もう主従の義理も無いっていうのに尽力してくれてるようだけど」
「その話か」
「あの人は別に頭は固くないし、理解力はある方だと思っているけど?」
「何て言おうか思いつかなくてよ。母さんの次に俺ってなったら、どんな面するか怖くてな。迷ってたら抜けれそうになかったから黙って出てきた」
「そう。手紙くらい出しなさいよ」
「その内出す」
「書く期限は三日後。出すのはその二日後まで」
「何だよそれ」
「期限決めなきゃダラダラ後にしてやらないでしょ。約束しなさい」
「その代わり?」
「親への義理を果たす栄誉を与える」
「もっと物理的なよー、あんだろーが」
「あれは何?」
誤魔化すなよとは心の中でつぶやいて、シルヴが酒瓶持った手で指差す先には、胸の前で左手首を右手で掴み、半泣きになってウロウロしているセリンだ。おいおい、勘弁してくれよ。あんなのルサレヤ総督に見られたら怒られるだろうが。これは放っておくわけに行かなくなった。
「シルヴ、また後だ。ルサレヤ総督に構ってやれって言われてる」
「じゃあ最初から離れなきゃいいのに。面倒な奴、早く行きなさい」
シルヴに断りを入れてる間にセリンを見失う。頼りのラシージは? 何時の間にか目の前に現れ、ついて来いと歩き出したので追う。ラシージの案内が終わり、その先の曲がり角から覗くと、小さな屋上の庭にいた。月を見ながら庭石に座って泣いてやがる。参った、やっぱ見なかったフリして逃げるか?
ラシージの方を見ると、こちらに背を向けて道を塞いでいる。誰も通さない心算らしい。こっち側からも。
覚悟を決めて、深呼吸し、頬を揉み解して、唸って、壁を引っ掻いて、後ろ向いたり向き直したり、もう一回覚悟を決めてセリンの方に向かう。こちらに気づいたセリンが、顔を腕で拭ってから手招きしてくる。震えているように見える。
「わたし、どう見える?」
思ってしまった。こんなに女って可愛くなれるのか?
「何時も通りじゃないと思うが」
とりあえず意味は無いが慎重に、身体に触れないよう隣に座る。
「ここにいるのか?」
「皆のところに戻りたくない……」
セリンがうつむいたまま袖を掴んでくる。
「一人にしないで」
心臓えぐられたかと思った。明日魔族になるというのでちょっかいは出さないが、分かっててやってるのかこの女め。
「憧れの魔族だけどさ、いざってなると恐いよ。だって人間じゃなくなるって何? 身体が変わるって何? 旦那分かる?」
普段から結構可愛らしいが、しおらしくなると無敵に可愛い。
「分かんねぇ。魔族の先輩、ルサレヤ総督に聞くのが一番じゃないか?」
と喋ったところで、こんなこと言う必要ないと気づいた。相談じゃなくて、不安だからとりあえず喋りたいだけ、なはず。
「ルサレヤ総督はさ、旦那は何か気楽みたいだけど、私達にとってみれば雲の上の人なの。こんな話できるような人じゃないよ」
雑念を払うにはどうしたらいい? 頭の中のシルヴよ。え、何、太股に短刀を刺せ? なるほど、却下だ。
「じゃあ、俺が聞いてきてやろうか?」
「ダメッ!」
袖をグイっと引かれる。言葉選びに失敗。
「聞かない」
「うん」
セリンから手を繋いでくる。ルサレヤ総督が若くて可愛いだけじゃないと言ったのが分かる、細くも柔らかくもない手だ。
どれくらい黙ってそう座っていたか分からないが、セリンが何かを吹っ切ったように跳んで立ち上がる。
「風邪ひいちゃうね」
そういえば風が吹いて冷えてきたようだ。緊張して気づかなかった。
「おやすみ」
「おう」
セリンはニコっと笑って、それから振り返りもせずに早足で立ち去る。こっちも早めに寝ようと思って宛がわれた部屋に向かう。ラシージが後ろをついてくる。
「今日もご苦労さん」
と言いながら部屋に入ると、ラシージも一緒に入ってきた。
「いいか、可愛い子ちゃんが酔っ払いの寝室なんかに入っちゃダメだぞぉ。お前はぁ、あれだ、男女からアレだ」
服を脱いでその辺に放り、ベッドに寝転がり、縁に踵を引っ掛けて長靴を脱ぐ。足の指を開いたり閉じたり。
ラシージは脱いだ物を綺麗に片付け始めた。目を閉じて寝るつもりになってるので音でそう判断。やっぱ気が利くなぁ、と思っていたらベッドに座った。どうしたと思って目を開けると、正座してこっちを見ている。何?
「んあ?」
「妖精が人間のこと好きになっちゃダメ?」
耳の穴に銃弾ブチ込まれたかと思ったが、死んでない分衝撃力はこっちの方が上。酔いが醒めた。上半身を起こしてラシージの肩を掴む。
「おいどうした? 落ち着け、俺は落ち着いてるぞ。ん? うん」
「昔の上官のところに戻りたい?」
「上官? ああシルヴだな。あいつとは同期だ、昇進に差はついたけどな」
シルヴと仲良しなところを見て、妖精が不安がるということだろう。見捨てないか、などと。
「俺はシルヴの誘いを蹴ってこっちに来たんだ。今更引っ繰り返すことはしねぇよ」
ラシージは頷き、部屋から出て行った。飲み込みが早くて素晴らしい。
しかし妖精が人間のこと好きになっちゃダメ? とは具体的にどういう意味だったのか? ラシージが個人的に? 妖精全体として? 分からない。ついで言うとどの類の、好き、なのかだ。納得したから出て行ったのではなくて、期待した答えが引き出せないと判断したからという可能性もある。
クソッタレ、こんなんで寝れるか。
■■■
そして眠れず、うつらうつらしていたら夜が明けた。外が何やら騒がしく、召使い頭の妖精が「外出れねぇたぁどういうことだ!」と暴れ始め、うるさくて寝るのは諦めた。それを止めようとする妖精達が殴られたり蹴られまくっている。昨日の宴で水や食料が不足気味で、外の井戸やら市場やらに行かないとまともな朝飯が作れないらしい。ラシージが不足してもいいからあり合わせで作るように指示すると、デカい舌打ちをして厨房に引っ込んだ。一応アレでもラシージの言うことなら聞く。それ以外は気分次第。
そして朝飯。野菜には見えない物が並んでいた。そういえば、通りがかった中庭が穿り返されて荒れていたような気がする。気づいていない者も多かったようだが、鼠と鳩が肉にされて皿に乗っていた。気づいた者が多数だったが、蜘蛛とゴキブリが食えるように処理されて出ていた。内容はともかく、皆の腹が膨れるように作っている。召使い頭の妖精が作るんだから不味いはずはなかった。ただ食べ残すと「口に入らねぇならケツから詰めてやる」と本当にズボン脱がされてケツに突っ込まれた妖精が以前いたので、お残しは出来ません。
何故こうなったかラシージに尋ねれば、魔族化の儀式のために市内には戒厳令が敷かれ、一般人どころか軍人の外出も禁止。店舗は勿論休業。
様子を伺うため、屋根の上に上る。完全武装の師団規模の護衛が、親衛軍の証である鈴をジャラジャラ鳴らして行進。その列には魔族の種が収められている、か、居る? ような鉄板張りの馬車が混じっている。時折市民が排除される怒声に悲鳴が響いた。
見るからに人間ではない魔族がチラホラ見える。魔族の中でも人格高潔、知性優秀、信心深く、失敗も成功もしてきた経験豊富な者の中から選ばれると言う魔導師達か。
儀式は市庁舎で行われるようで、親衛軍はその手前で停止、素早く散開して市庁舎を取り囲み、整列する。そして大声で何度も接近する者に対しての無警告攻撃が宣言される。大袈裟に非公開とは並々ならぬ殺気立ちようだ。
屋根を伝い、近寄れるギリギリのところまで行く。市庁舎に入る魔導師と馬車の列の中にはルサレヤ総督とセリンの姿は無かった。遠目でも見たかったのだが。
しばらく朝日を浴びてぼーっとしていると、魔導師代表と思しき人物の朗々とした言葉が静まり返った市内に響く。
『魔神こそ全てである。魔神代理は唯一である。我々はその御心にかなうべく諸々をなさねばならない。魔神代理より魔なる法の執行を託されし我等魔導師が御威光をお借りして告げる。初めの神に設計されし子供達は皆脆弱である。ギーリスの娘セリンよ、今、魔なる力によって脆弱を捨てる事により、強靭なる者、魔族となる。以前とは違い、以後は違う。魔族になることは、あらゆる弱さを捨てることになる。後戻りを願うことは許されない。魔神代理の良心が届く限りの地上において、脆弱なる者達を守り指導していく責務を負い、良心に従って行動することが義務となる。己を捨て、死ねず永遠となっても魔神代理の行いを受け継ぐことが義務となる。偉大なる先達は、導きために死ねず永遠となって自らを贄にと差し出した強靭なる者達である。その力は重責であり、ただ強大な筋肉を身につけるが如きではない。遺志を継ぐということ、魔神代理の使命を託されるということである。以上のことを覚悟し、滅私せよ。以上の事を魔神代理より魔なる法の執行を託されし我等魔導師が告げた。我等が同胞に魔の御力がありますように』
それからしばらくは鳥の鳴き声と妖精の騒ぐ声だけが聞こえた。一応最後まで見ておかないと、と思っていたが、待つのが長くて横になってしまい、日差しが丁度良い具合で寝てしまった。
起きた時にはもう昼飯時。何時の間にか頭の下には枕、身体には布団が掛けられていた。勿論、枕元にはラシージが待機。寝てる時の話を聞くと、魔導師と親衛軍は休憩も取らずに市内から去ったそうだ。ルサレヤ総督やセリンに関する報告はまだ無し。戒厳令は解除されたそうだ。
そうと決まればやることは決まっている。昼飯を食ってから市庁舎に向かう。一応、無警告攻撃を警戒。そわそわした役人達とすれ違い、総督の執務室前へ行く。そこにはイシュタムが誰も部屋に入れないようにと立っていた。何も言わず、廊下に置いてある順番待ち用の椅子に座る。イシュタムが文句垂れてこないということは待ってても良いということだ。
また寝そうになって、一瞬寝たりとするようになった頃、ドン、と音が鳴る。何事も無かったような面をしてイシュタムが壁際に寄っている。何て親切な奴だ。好意に甘えて立つ。
執務室から出てきたのは、異形となったセリン。海軍の正装に身を包み、頭に白い布を巻いているのは昨日と同じだ。髪は結んでおらず、一本一本が太くて生き物のように蠢いており、光の加減で黒色にも鈍い銀色にも見える。手袋ははめておらず、指の間にははっきりと大きな水かき。首には切れ込みがあって、おそらくエラで、開いたり閉じたりしている。目は、普通のまぶたと違う半透明の膜が瞬きするように下りて上がる。そして肌が、白、茶、赤、橙と目まぐるしく変わり、元の肌の色に落ち着く。そして姿が変わったことを差し引いても、顔つきが確実に変わっている。腹が据わったという表現が適切だろう。
何て言ってやればいいのか分からなくなったので、とりあえず思いついたままに。
「相変わらず美人で可愛いな」
そして反応する間もなく、セリンの太い髪に巻かれて抱き寄せられた。もがいても無駄。
「旦那の口からそういうこと初めて聞いた」
しんみりした口調で力が抜けてくる……、
「もほぐぁ!?」
と思ったら服の中に髪が入ってきて、未知なるくすぐったさに再度もがく。その後ろでルサレヤ総督が声出して笑うのを堪えていた。
魔族って何だろう?
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