第4話「軍事顧問」 シルヴ

 この島、アソリウス島は暑い。エデルトが寒すぎるという事を差し引いても暑い。魔術士官のつば広帽の帽垂布を下げ、後頭部への直射日光を避ける。

 少しでも熱を逃がそうと靴下を脱いで走ったせいで足の皮がむけ、出血した馬鹿がいた。服装規定を守れと真面目に訓戒したのは初めてだ。

 昔は馬鹿にしていた南方人の昼寝習慣に対する偏見は消えた。太陽が頂点に達してからしばらく続く本日最高の熱射の下で働くなど、体力に劣る者にとっては言葉通りに自殺行為。でも戦争にそんなことは関係ないので、日射病対策を十分講じた上で演習場に新式実験連隊を召集した。

 連絡役兼島民との面倒事対処役として、アソリウス島騎士団でも権威のある老騎士ガランドが、無骨な全身を覆う甲冑にマントを被せて――暑苦しくないのか?――傍につく。それも個人的にと言ってもいい。中途半端な立場の者をつけられても役に立たないこともあるだろうが、序列第二位の総長代理をつけられては逆に迷惑――嫌がらせか?――とにかく萎縮する。年功序列にすれば第一位になる大物をどうしろと言うのだ。

 おまけに何の偶然か、ヴィルキレク王子の作為か、ガランドは四十年以上昔の話になるが、ベラスコイ家に仕えていたそうだ。そのため、

「姫様の戦指導を今日も見られるとは、長生きをしてみるものですな」

 自分を姫様呼ばわりだ。ごく自然と騎士団の連中も姫様呼ばわりで、軍事顧問団の仲間連中は陰で言ってる様子。シルヴ姫などと呼ばれた時には吐き気がするかと思った。

 今では領地爵位全てを剥奪されているが、かつては二つの公爵位と一つの辺境伯位に複数の爵位を持って、領地名ではなく家名でベラスコイ大公と呼ばれた時代はあった。その時代で停滞した頭のガランドは悪意なく素直に、当然のように姫様と呼ぶのだ。敗北して没落した今、お嬢様と呼ばれるのも怪しいというのに。

 現在の立場で言えば所属の違いはあるとはいえ、こちらはガランドの何段も下位であるのに上位者として敬ってくる。どうもベラスコイ家への忠誠は捨てていないらしい。

 家を離れたのは魔神代理領に対する聖戦のためで、あくまでも一時的なもの。聖戦が終わっていない以上、アソリウス島騎士団、その存在理由である聖皇、そして神と神聖教会に対する義務は優先されるらしい。

 その事に関し、エデルト王国によるセレード王国併合時にベラスコイ家への救援に行けなかったことを跪いて泣きながら謝罪された。

「今のベラスコイ家の窮状を救うにはどうしたらよいでしょうか?」と本気の顔で言われ、「自力で何とかやっているから手出しは無用」と答えた。

「ならばせめて姫様には思う存分仕事をして頂くために、老骨に鞭打って協力する所存。なんなりとお申し付け下され」と言いやがった。総長も止めればいいものを「ガランドも遣り甲斐を見つけられて良かったな」と後押ししやがった。

 そう、皆の前でアソリウス島騎士団次席の総長代理、老騎士ガランド・ユーグストルが島に来たばかりの外国人にそんなことをして総長が追認したものだからこの状況を覆すことはおおよそ不可能である。

 さて、今日は新式実験連隊の全隊を同時に動かす戦闘訓練だ。士官は――止めさせたかったがどうしても譲らず、全身を覆わないだけマシな――兜に胸甲姿。下士官と兵士は騎士団で普段着として用している修道僧の旅装に、布靴に代わって革靴、剃りハゲ頭に代わって三角帽を被らせた。もっとちゃんとした軍服を着せてやりたいが派手な装飾は彼らの好みじゃないのでこの地味な格好だ。それと費用の問題。

 彼らにやらせるのは砲撃で敵を弱らせ、歩兵で相手の動きを止め、横合いから騎兵が突っ込むという基本形。実戦では相手も複雑に行動してくるので美しくその三つを決めることは難しい。しかし動かない相手にこの基本も出来ないようではお話にならない。

 百単位で並べた藁人形集団を敵に見立てた。これを的に実弾を使って訓練する。

 各大隊、各小隊には軍事顧問が直接随伴して教育を行う。あくまでもこちらは教育指導に徹する。軍事顧問が士官として派遣先の兵士の上に立つという指導方法もあるが、ここでは士官も不足しているのでまとめて教育することにしている。第一、我々がここを去ったら誰が代わりをするのか、と考えればこれがいい。

 連隊指揮官が伝令を飛ばし、この新式実験連隊を動かし始める。

 砲兵隊が砲撃を開始する。観測射を撃ち、着弾地点を確認。観測器具も使って照準を調整、砲撃することを繰り返し、藁人形近辺に着弾する。そして、地面ごと藁人形を穿り返すように連続砲撃を開始して効力射とする。

 砲兵隊に関してはこの島では一から作らねばならなかった。砲兵には数学的知識が必要なので、学生や商人、学のある職人から人を集めた。どの兵科でも言えるが、特に砲兵には学が必要。学の無い砲兵は味方殺しの為にいるようなものだ。

 何故一から作ったか? 既存の部隊から何人かでも引き抜かないのか? それはこの島にも砲兵がいないわけではないが、伝統的なものだったからだ。工房の職人が秘儀でもって独自規格の大砲を作り、それに合わせた砲弾を使い、職人自らの手で門外不出の方法で発射するという伝統。褒めていない、貶している。

 大砲の規格が統一されておらず、砲弾の大きさもバラバラで、工房毎に好き勝手動くので組織的に複数の大砲を運用する知識も無い。その事を調べるだけでも一苦労があった。

 徹底した秘密主義で、大砲はどのくらいの大きさと重さで、発射した砲弾の飛距離も不明。大砲神秘主義の典型、百年以上は昔に流行った傭兵的な工房砲兵の姿がここにあった。その百年後の現在では国の指導により、統一規格の大砲が国営工場で大量生産され、その国最高と思われる運用技能が砲兵に施され、組織的な行動が可能な砲兵部隊が合理的に作り上げられる。この島ではその合理性が今まで発見されてこなかった。それが発見された今でも、これから受け入れられるかは不明。

 我々はエデルト式の大砲、中でも取り回しの易さに重点を置いた野戦砲を持ち込んだ。

 船の積載量には限りがあるので、ただの金属の塊である砲弾は必要最低限とした。島で鋳造すればいいだろうという考えだったが、島の大砲神秘主義者は非協力的。何でも、製造技法の流出を防ぐためらしい。嘘か真か、どっちにしても馬鹿らしい。全てが政府主導で事が実行出来るエデルト的な発想が通じなかった。

 こちらは軍事顧問団、アソリウス島騎士団からの要請を受けて新式実験連隊を訓練している。そしてそのアソリウス島騎士団、ガランドを通しての依頼でも断られた。この島の守護者たる騎士団は俗に、戦う人、である。彼ら大砲神秘主義者は灰色ながらも、働く人、である。この島は、戦う人、祈る人、働く人、三種で構成される縦割り社会になっている。横の別種の人間に大きく干渉しないのが伝統になっている。残念ながらこの島にはその上に君臨する、統治する人、が欠けているのだ。島民の意識改革は任務の範疇外なので諦めた。砲弾の件に関しては、鋳造工房を新設することで解決した。

 それでも反目し合うのは良くない。何とか交流を深めようと、大砲神秘主義者に訓練や座学に参加しないか? と声をかけた。若い連中が名乗りを上げたらしいが、親方に引き戻されたというもっぱらの噂。未開の現地部族という言葉が過ぎった。千年以上前は文明の最先端にいた彼らに何があったのだろうか? そういえば他所から移ってきた蛮族の末裔だったか。

 歩兵隊が士官の号令で整列し、太鼓の音に合わせて行進する。味方の砲撃にビビって逃げ出すという失態はしなくなった。次の号令で停止、次に前列がしゃがみ、二列目が立ったまま銃を構え、そして掲げた剣が振り下ろされて一斉射撃。それから任意射撃の号令が下り、歩兵達は自分の早さで射撃を開始する。

 歩兵隊で問題なのは人を集めるという段階で躓くことだ。頭数が第一の歩兵部隊の頭数が揃わないという事態には参ってしまう。

 この島の軍人達、騎士は銃を持って雑兵のように戦うことを良しとしない。士官だったらやる気になるのだが。

 そこで市民から集めなければいけないのだが、この島では市民が兵士になるという考えが希薄で募集をかけてもあまり集まらなかった。そして徴兵制度なんてものも無いので無理強いは不可能。ガランドに協力してもらい、騎士団の名を大きく出して再度募集をかけてようやく部隊の体を成すようになったものだ。

 それと大砲と似たように銃の規格も統一されていない問題があり、おまけに性能が酷いので全てエデルト式の火打石式小銃に取り替えて解決した。

 騎兵隊がラッパの音に合わせて整列、ゆっくり進みだし、徐々に速度を上げる。その前に連隊指揮官が砲兵隊や歩兵隊に射撃中止命令を出す。そして全力疾走に入った騎兵隊は藁人形へ拳銃を射撃して、突っ込み、そのカサカサした頭を刀で叩き割る。

 騎兵は騎士から選出した。多目的に動ける騎兵隊として編成するには少々頭数が足りない。

 個人ごとの技量については教えるところはない。拳銃による騎乗射撃の訓練が必要な程度か。

 問題は統制にある。騎兵投入時期を見計らっている指揮官を無視して突撃する奴がいたらエデルトでは絞首刑だ。その罰を今まで馬鹿正直にやっていたらもう、騎兵隊の家族の首まで吊らないといけない。

 聞き取り調査をすると、隊列を並べて指揮官の号令で一斉に進み、足並み揃え、突撃に移る時はほぼ同時、という当たり前のことが気に入らないらしい。バラバラに突っ込んでも狙い撃ちにされる上にくたばって転んで後続もぶっ転んで突撃失敗になると言っても、避ける、だとか、飛び越える、などと言い訳していた。

 戦闘中は人も馬も脳みそ十分の一、馬は群れないとビビって逃げる、隊列組んだ圧力が無いと敵がビビらない、などなど講義をしてやって、ガランドの説得があり、ようやく渋々ながら隊列を組むことを了承した経緯がある。糞手間の掛かる奴らだ。

 全員の首を縄で繋げて隊列を組む訓練でもさせようかと思っていたぐらいだ。そうして訓練を行い、騎兵による集団突撃を素早く会得したという故事がある。

 今、初々しい新式実験連隊が撃破した藁人形集団と同じ集団を更に三つ、距離を取って配置している。引き続き部隊を移動して、捕捉させ、撃破する。

 二つ目から違うのは、連隊指揮官には様々な仮想の状況変化を伝える。指揮官としてどうすればいいのか訓練だ。発生した出来事に対応する答えはいくつもある。どれも最高の答えではないだろうが、ただ思考の停止は許されないのだ。

 士官学校で同じことをよくやったものだ。あの馬鹿ベルリクなぞ、教官に向かって兵の一部を突撃させ、混乱の中で訓練中止の声も無視して目的達成、なんてことをやったものだ。

 緊張した面持ちの連隊指揮官はそれはもう、この訓練を始めた時は何が起きているか理解するのに長い時間を要していた。戦闘になると普段なら、落ち着いているなら何でもないことでも理解できずに混乱してしまう。

 士官学校の校長が良く言っていた。「戦闘中は脳みそ十分の一。その域を脱するまでに生き残る者は百分の一。戦闘中でも十分の脳みそを持つ者は万分の一に満たない」

 二つ目に向かう。攻撃するために部隊を展開させるのが遅い。

「弾薬運搬車が敵の砲撃で大破。砲兵隊は現在攻撃不可能!」

 砲兵の援護なしで歩兵を敵に向かって前進させ始めた。後方から弾薬運搬車を要請することは考えなかったか? 敵の動きに対応するため早急に歩兵を動かすのは正解かもしれないが、砲兵は無視して捨て置いたまま?

 三つ目に向かう。砲兵隊を再建するのは中々早かった。

「敵の軽騎兵隊が遠巻きにこちらの様子を伺い始めた!」

 何のことだと無視し、藁人形に砲撃して歩兵で攻撃し、騎兵を繰り出した。

「無防備な砲兵隊へ軽騎兵隊が突撃してきた!」

 と言ったら慌てて騎兵隊に指示を出した。藁人形を斬ってた騎兵は反応が遅れバラバラになって砲兵へ援護に向かった。

 四つ目。このくらいの単純な動きでも、慣れないと目が回るくらい疲れる。各隊指揮官の指揮から精彩が欠けていく。

「敵が予備兵力を投入。こちらに向かってくるか友軍の方へ向かうか不明!」

 今度は萎縮したのか、部隊を動かさずに守りを固めた。これなら敵が一斉攻撃を仕掛けてきても大丈夫そうな感じである。それも一つの選択肢。でも不正解。敵予備兵力の動向を探る斥候を何故出さない? 目の前の敵を威嚇して予備兵力の動きを牽制できたはずだ。

「敵予備兵力は友軍を攻撃、友軍は敗走した。敵予備兵力、並びに友軍と相対していた敵部隊が共同してこちらに向かってくる!」

 そして最後、連隊指揮官は顔を白くして思考停止。副官が正気を取り戻させ、全隊を撤退させる。

 撤退行動も確実に行えているか見る。追撃してくる敵騎兵隊、縦隊で猛突進してくる歩兵隊を出して煽る。大砲を放棄しつつもギリギリまで砲撃して敵を牽制させ、決死の殿部隊を繰り出したり、それの救出部隊を出して生き残りを回収したりと良いところもあった。

 ただ騎兵隊の指揮を忘れ、独自判断をさせていたことは失点。それならばいっそ、独自に動け、と枷を外す一言をかけてやればよかったのだ。その一言があるかないかで動きに違いが出てくる。迷いと足踏みは死への行進だ。

 顔には出さずに慌てふためき、各種汗を流してグッタリしたい所を踏ん張って苦しそうな連隊指揮官には戦闘演習が終わっても指揮が続く。

 一つ、演習場の後片付け。戦闘以外でも軍隊というのは作業をするもの。片付け程度指揮できず、何の連隊指揮官か。

 二つ、装備品の管理。弾薬、刀剣類、衣服、馬と兵士の健康状態の検査などなど。装備人員の状態は常に把握しないといけない。

 物品を保守管理する補給隊の訓練、というより仕事が始まる。重要なのに人気がなく、少々意地悪をして人を集めなければいけなかった。これこそ商人出の連中を中心にやらせた。物の管理と言って頭の中で想像が働く連中じゃないと困る仕事だ。整理整頓すらよく理解できていない、バカタレという言葉もむなしい連中には任せられない。部隊が保有する物と自分の物の区別が分かっててもつかない盗人癖のあるクズには尚更任せることは不可能。本当に賢く分別がある者にしかやらせられない仕事だ。

 そして最後に給食班による食事。訓練して後片付け、腹いっぱい食って寝る。明日にも、あと一時間後にでも出陣出来るようにして全てを終えるのだ。

 そうしてようやく告げる。

「状況終了! 兵士諸君はゆっくり休んで明日に備えるように。士官諸君、総括を行うので三十分後に会議室に集合」

 指導についた我々軍事顧問団は、新式実験連隊の士官達を集めて今日の訓練の評価をする。士官には兵士を殺して良い権利が様々な言葉によって証明されている。給料も良くて社会的身分もゴミ虫と真っ当な人間くらい違い、その他の待遇もすばらしい。だからその分、兵士よりもっと苦しんでもらう。

 士官学校の校長が良く言っていた。「兵士を倍働かせたいなら、士官は十倍働け。そんな必要に迫らせた将軍は死ぬまで働け。失策した政治家は死んで欲しい」。話半分にしても、士官は兵士の倍は常に苦労しているべきだ。

 会議室と名づけられた広いテントの下で皆、三十分の間に溜めて工夫した遠慮無い叱責を新式実験連隊の士官達に浴びせる。お友達をしにきたのではない。ある者は泣いた、動かなくなった、怒った。散々に彼らを精神的に殴り続け、ヘロヘロになった背中を見送る。

 次は我々で総括。島の伝統という障害を差し引いたらならば順調である。あとは頭数。精魂込めた新式実験連隊でも数が揃わないと意味が無い。島の伝統を考慮した兵役制度の草案を検討する。老騎士ガランドには伝統が何なのか助言してもらいながら。

 騎士団と市民軍の並立などという事態を避けつつ、兵役制度を確立するのが軍事顧問団としての最終目的。

 騎士達は職業軍人として、退役するまで士官や騎兵のような職を勤める。市民達からは健康な、未婚者や長男以外から選出して二年間兵役に就かせる。兵役延長希望者がいれば、選考した後に下士官として取り立てる。兵役が終わったら予備役として登録し、年に三回訓練を受けさせる。春と夏と冬だ。秋は刈り入れとそれに関連する仕事で忙しいだろう。

 このようにして、戦時になったら予備役を動員して大量の軍を召集する。平時の経済的な圧迫は最小限にできる。これに自警団、警察、消防団などの準軍事組織が後方支援として常時待機してくれれば体制の基本は完成する。

 問題なのは、その準軍事組織すらこの島には存在しないこと。そして市民が兵役制度に対する知識が無きに等しいので混乱が予想されること。それに加え、騎士になる選考基準が、体格と体力は村一番の若者と呼ばれる程度に必要で、三代に渡って敬虔な信仰者であるという証明が必要というぐらい厳しいこと。双方とも人員確保が難しい。

 この島では、戦う人、祈る人、働く人、という三つが区別される伝統がある。それを取り払うに近い意識改革が必要だが、軍事顧問団の仕事の範疇を超えると結論。

 最後に、大抵の中堅国家の軍には一つ以上は置かれている、魔術兵隊。ここでは神聖教会に倣って魔術は奇跡と呼んでいるので、奇跡兵隊になるだろうか。集団魔術を行える程度の錬度に達すれば、魔術兵隊は条件さえ整えば百倍の敵に対抗できると言われるほど重要な兵科だ。

 魔術を使える者というのは非常に少ない。その上で己の魔術の才能に気づく者はもっと少ないと言われている。そして各国では最高待遇で魔術使いを集めているので市場価格というものがあれば常に右肩上がりで天井知らず。

 アソリウス島は大きな島であり、人口も少ないほうではない。ただ、部隊規模で編成できるほど魔術使いはいない。他国から雇い入れる資金は勿論無い。

 それと集団魔術のような技術は国家機密。自力で編み出した弾着修正魔術をはじめとする、頭と武器と魔術を組み合わせた技術もそれに準ずるとされているので伝授はしない。仮に魔術兵隊がいても、彼らに教えることはほとんど何もないと結論。あまり論じる必要はなかったが、切り捨てるという意味でこの議題を出して終了する。

 会議は解散。他人の庭で他人の子を指導するというのは難儀なものだ。自分のところの者ならもっと遠慮なく情熱も注げるというのに。

 演習場から出て、さも当然という風にガランドに送られ、市内にある騎士団本部に宛がわれている自室に向かう。

 騎士団本部はこの島の最高権力が集まる場所のはずだが、陰の小ぢんまりとした場所にある。どこかの酒蔵だと言われれば納得しそうなほど。治安の良さなどから飾りのように門番が立っているが出入管理はしていない。出入りする人数が少ないので見ただけで不審者かどうか分かるというのもある。

 馬鹿丁寧な就寝の挨拶をしようとするガランドを追い払い、自室に入ったら真っ直ぐベッドに飛び込む。

 明日は久しぶりに休みだ。休まないと人は死ぬのだ。帽子だの上衣だの靴だのは脱ぎ散らかし、寝る。


■■■


 そして暑さと喉の渇きで起きた翌日。頭をどう切り替えても暑い。ここの人間に川も海も凍ると言って理解してくれるだろうか。

 脱ぎ散らかした物、寝た時に着た物を片付ける。新しいシャツもズボンも靴も軍装のままに、軍服の青い上衣の代わりにこの島で買った白くて生地の薄くて風通しが良い上衣を着る。上の服を変えるだけ大分目立たない格好になる。現地人に紛れ込むとまではいかないが。

 山に囲まれ、石造の古代遺跡の上に木造の建造物が積み重なるアソリウス島の中心都市、セルタポリ市。その遺跡の一部、山から引かれた水道橋が生きていて、上下水道が修繕されながらも稼動している。思った以上に街並みは綺麗だ。暑くて乾燥気味の地域に水が溢れていると尚輝いて見える。

 綺麗な街並みというのは金が掛かる。しかしこの街では経済活動が活発じゃない。信仰熱心さに基づく清貧さと勤勉さによる住民の努力の成果だ。褒めてはいるが、手放しには褒められない。金を落とす巡礼者でもいればいいが、そういった聖地でもない。

 島にある主要な港は一つだけ。エデルトから戦列艦で来航した時は岸壁も無く、桟橋も小さくて着岸出来なかった。どうせ立派な港を作っても戦争になれば通りがかりの魔族の海軍が焼き払っていくので諦めているらしい。

 そして港からセルタポリまでの道のりは長めで、歩いて二日。道中には宿場町がある程度で後は荒地か農地か森か。上陸部隊を繰り出しても略奪するような物は無く、セルタポリは自然の要害に守られて攻めづらい。何というか、中身の入ってないクルミみたいな所だ。殻は硬い、割ろうとすれば割れる、苦労して割ったら中身が無い。

 エデルトの港になってもらうためには幾つもの努力が必要だろう。先を見ようとしたら挫けそうなくらい。

 休日なので街をのんびり散策する。遺跡が持つ重厚な石造建築物の数々は見応えがある。建築技術は衰退してしまったのだと実感させるほど城壁は厚く、石の一つ一つが大きい。塔も橋も風が吹いたら崩れそうに思えるほど高い。

 街の観光の目玉と普通なら言える市場は、市場というよりは配給所の様相を呈していた。物を買う時は客の名前を確認し、売る分だけ小分けにされた物を渡している。織物関係はそれなりに数が揃っているが、派手な色合いや柄物は一切無い。女性が喜びそうな装飾品は一切なく、あるとすれば神聖教会に関する祈祷的な物だ。

 礼拝の時間になると教会の鐘が鳴り、塔の上から聖職者が歌うように呼びかけを行う。そして住民全員が一斉に近くの教会に集まりだす。住民全員を収容するため、街の区画ごとに一軒の教会がある。それでも溢れるため近くの公園でも行われる。中には聖職者が自分の家に人を集めているところもある。

 この統率力、組織力を兵役制度に組み込めたら面白そうなことになりそうなのだがまだどうすればいいか見えてこない。神が導きたもう聖戦軍など、そのような扇動が巧みな聖職者でもいれば面白そうだ。

 考え込んでいると、小太りの婆さんに手を引かれる。

「お兄さん他所の人かい? 礼拝がこれから始まるんだよ」

「む、あの男ではありませんが」

「あら、ごめんなさい。こんなカッコいい人初めてみるから」

 ふふふ、と笑いながら引っ張られていく。その先には神聖教会の印である、縦に長いひし形が彫られた城壁。ちなみにひし形と言うと怒られる。聖なる種と言って、世界を創造した聖なる神の象徴とされる。

 住民が石畳の道に絨毯を引いて跪く。また足の悪い老人のためには椅子を置いて座らせている。婆さんは跪き、それに流される形で跪く。

 そして聖職者というよりはもう殉教者と呼ばれそうなヨロヨロの爺さんが車椅子に座り、助手に押されてやってくる。それから爺さんは宙を指でひし形、聖なる種の形になぞり、

「聖なる神と聖なる神が創りし世界とその世界に蒔かれし種より息吹きし子等に祝福あれ」

 集まった住民達が復唱する。

 そして爺さんは億劫そうに聖典を開き、初めにして最も重要である序文を読み上げ始める。序文の内容は、字の読めない農民でも覚えるべきとされていて、専門的な言葉が少ないので理解しやすい。家族と友人を大事に、真面目に働く、贅沢をしない、姦淫をしない、嘘を吐かない、暴力を振るわない、魔なる神とその悪魔達に惑わされてはいけない、などなど。

 それから創世神話から始まる本文を読み始める。毎回少しずつ読み進めては、終わったら最初に戻ることを繰り返しているようだ。今日は悪竜ゴルゴドを竜狩りの聖人アルベリーンが退治するところ。聖典らしからぬ冒険小説的で派手な展開に子供が喜んでいる。

 竜狩りか……確かに派手だったが、あれはそう喜ばしいものではない。

 話につられ、思わず体が動き出した子供の頭に親が拳骨を食らわせる。お話はキリの良いところまで読まれて終わる。

 そして老夫婦を指差し、子供の結婚式の準備はどこまで進んだか確認して、準備不足を指摘し、嫁入り道具はあの職人に頼みなさいと助言。

 独りで来ていた女性に、医者の言うことはその通りに聞き、過度にお祈りをしてはいけない。夫が不安になって病気が良くならないと注意。

 など、聖職者というよりは地域の世話役の仕事を始めた。また爺さんが一方的に喋るのではなく、住民同士での話し合いも行われる。節度を持って無駄話にならないようにという意志が感じ取れる。これだけ地域の繋がりが強いと、犯罪も起き辛いだろうし、火事になっても協力するのが容易か。これで準軍事組織が逆に育たないのか。

 礼拝を終える教会の鐘が鳴る。話は手早く打ち切られ、後片付けが行われた。

 婆さんがニコニコした顔でこっちを見てくる。長い話に巻き込まれそうなので、手を上げて別れの挨拶とし、早々に立ち去る。

 礼拝中もそうだったが、休日なのに仕事のことが頭から離れない。他の仲間が仕事をしているからそっちのことは忘れてもいいのに気になる。気が休まらない。疲れ知らずの突撃ベルリク馬鹿のことを馬鹿にできそうにない。仕事をしていないと落ち着かないとは一体何時に始まった性質だろう。

 頭を切り替える、風通りの良いところで寝転がって仕事のことに集中するのだ、きっとそれが一番気楽だ。近くの木陰に寝転がり、時折ガバっと起きては腕を組んで唸って考え込み、また寝転がる。

 猫がすり寄ってくる。思案の邪魔だから追い払う。水桶を運んでいる最中の女の子が不思議そうにこちらを見てくる。見つめ返すと足早に立ち去る。

 これだからダメなのだ。休みが休みにならない。最近、段々と睡眠時間が短くなってきている。それでいて昔は感じていた昼間や食後の眠気がほとんど来ない。疲れは正常に感じている、と思う。疲れを感じなくなったらもう病気だと聞いたことがあるが。

 砲兵教官として働く予定だったが、歩兵や騎兵の指揮官から補給の教官に口をついつい出してしまい、摩擦も無くそれから当たり前のように意見を求められ、尚且つ教導責任者という立場を与えられた。新設のもので、名称は臨時的。新式実験連隊の行動全体を見ながらケツに鞭を入れて意地悪を言う立場だ。私じゃなくていいだろうと考えようとしたが、自然と総長代理ガランドに助力を依頼している時点でもう、軍事顧問団としては上位に位置づけるしかない。仕事量を減らすには手遅れだ。

 自分の何が悪い? 悪いということはないが、その原因だ。

 まずは外見。アソリウス島騎士団総長が挨拶早々、「その鋼の如き鋭利な面構えなら、実戦に疎い者達も戦場にいるが如く気を引き締めるでしょう」と言った。「そんな面してるか?」と仲間に聞いたら、苦笑いだった。

 他の教官が指導する時と私が指導する時、新式実験連隊の反応は違う。返事だけでも「はい」と「はひッ」ぐらい違う。「私の声やしゃべり方はそんなに怖いか?」と仲間に聞いたら、「私たちはそんなことないと思いますよ」と苦笑いだった。

 そう言えば、階級が上の者も何だか私に喋るときは遠慮がちだ。忙しく動いている感覚はあるが、余裕が無くてイライラはしていないし、他人に厳しくしたり脅しに掛かったことはないはずだ。尊敬されている時の眩しい顔を見せられたわけでもないので恐れられていると思うが、何故だろう?

 没落したとはいえ名家だから? 国家功労銀鷲勲章、白金勇士勲章、一等勇敢勲章、二等魔術技能徽章があるから? 魔族からセレードの肉挽き器と呼ばれたから? 竜殺しだから? 優秀と思われるならまだしも、恐れられるのが分からない。敵同士でもないのに。

 いや、それらは問題ない。むしろ仕事がやり易いはずだ。じゃあ何故そんなことを気にしている? 姫様扱いでもされたいのか? 女々しいことだ。

「おぉ姫様! 趣味が合いますな」

 ガランドが現れた。服装はふんどし一丁に素足。歳に似合わない筋骨隆々とした体を見せ付けるようだ。

「絶対に合ってない、断じてない、きっと民族の血も別で、過去の記憶は改ざんされたものだから信用しないように」

 露出癖を共有しているように言われるのは不愉快。口を開いてみたら雪崩打って出てきた。

「ほっほう、いやいや、そこの木陰は私のお気に入りの場所でしてな」

「偶然ですね」

「何せ、そこの家は私の家でして」

 木の後ろにあるのは窓も無い家の石壁。ここは柵の無い裏庭か。

 さっきの女の子がやってくる。まだ居やがるのかとこちらを警戒し、そうこうしている内にガランドが抱き上げる。

「孫娘です。名前はこちらの守護聖人の一人、聖マルリカから頂いております。ほら」

 その孫娘が下ろされる。

「ご挨拶しなさい。こちらはシルヴ・ベラスコイ様だ」

「マルリカです、シ……ベラスコイ様」

 ガランドの様子を伺いながら軽く頭を下げて挨拶。歳相応に可愛らしいことだ。

「ああ、よろしく」

 笑って返したつもりだが、ガランドの太い足の裏に隠れてしまう。

「こら……うーん、申し訳ありません」

「いえ」

「おおそう、姫様。昼食はまだですかな?」

 そういえば昼飯時か。

「まだですが」

「でしたら、私の家で食べていかれませんか?」

 人の家の庭に寝転がっておいて断るのは、流石に有り得ないな。立ち上がって服についた草を払い落とす。

「お邪魔でなければ」

 ガランドに促されて家に入る。マルリカは先に走って家に入ってしまった。

 家の中は、騎士団次席の男の家とは思えないほど質素。必要な物はあるが過剰な物は一切無いような雰囲気だ。家具や柱に傷があったりするのが普通らしくて良い。

「お客様だ」

 ガランドが声を上げると、一目でガランドの娘と分かるぐらい頑丈そうな女性が炊事場から出てくる。スカートにはマルリカがしがみ付いている。

「これはこれはようこそいらっしゃいました。騎士様でらっしゃいますか?」

 誰のことだと思ったが、私か。この島の騎士団には女騎士なんて珍妙なのはいないはずだが。

「馬鹿者、こちらは主君筋に当たられるベラスコイ家のシルヴ姫様だぞ」

「ひっ、姫様でらっしゃいますか? これは失礼いたしました」

「えー!?」

 マルリカがビックリしたように大声を上げ、母親に引っ叩かれる。

「馬鹿このなんて声を出すんだい、はしたない」

「いえ、私は姫などと呼ばれる立場にはありませんので」

「いやいやご謙遜なさらず姫様。おい、この方の分もお出しするんだ」

「はい父さん。ほら、あんたはこっちで手伝いなさい」

 今度は食い入るようにこちらを見ようとするマルリカを母親が片手で持ち上げ、炊事場に消える。

「家の者が失礼しました」

「そんなことはありません」

「さ、どうぞおかけください」

 やや大きめのテーブルを囲む椅子に座る。手縫いの覆いがかけられ、なかなか可愛らしい。

 マルリカが炊事場から顔を出し、

「その人、女の人ぉ?」

 即座に拳骨を食らい、顔を掴まれて消える。

「姫様、何とお詫びしていいか」

「しなくて結構です」

 そう言うと、ふんどし一丁のくせにガランドが萎縮したように肩を落とす。あれ、何か喋り方がマズかったか?

「ただい……まっ!?」

 天気が良く、玄関は開けっ放し。家の若旦那が戸口を潜るのを躊躇い、蜂が代わりに入ってきた。

「こ、これはどうも、ご機嫌麗しゅう! 言ってくださればお迎えをしましたのに」

「これ、とっとと上がらんか」

「はい総長代理……あーえっと、お義父様」

 何も言ってないし、何も圧力をかけた心算も無いのだが、何故慌てふためくのやら。

 妙に姿勢よく婿さんは席につく。よく思い出せば新式実験連隊で歩兵隊の士官をやってる奴じゃないか。中々優秀な奴だと記憶している。

 マルリカがやってきて、背伸びをしながらテーブルを布巾で拭き始め――ちゃんと仕事をして偉いじゃないか――そして、こちらの近くに来て立ち止まり、じっと見上げてくる。

 自分が同い年ぐらいの時には、エデルト兵の頭を銃と魔術で吹っ飛ばして、削いだ鼻を集めて針金に通し、大人達にバレないよう送り届けて戦果を報告していたものだ。ついたあだ名が、ブリュタヴァ森の顔剥ぎ魔女だったか。エデルト兵に夫を殺された未亡人が復讐のために森で狩りをして、死体から顔の皮を剥いで夫の墓に供えているという噂まで立った。最後まで敵にも味方にも正体はバレなかった。今でもバレてないし、怪談話になって絵本や劇になったとか。

 そんな自分がマルリカの綺麗な目と目を合わせてる。汚してしまわないか不安になってくる。

「どうしたの?」

「男の人だったら結婚してあげたのになぁ」

 凄まじい早さで婿が立ち上がり、マルリカを炊事場に投げ入れる。ガランドと婿が両膝を床について頭を下げる。

「申し訳ございません!」

「何とぞご容赦を! 愚かとはいえまで娘は幼子にございます。斬るならば私の首を!」

「待ってください。別に私は気にしていませんので」

 と言っても態度を改める気配も無く、母親の方までこれに参加されたら困る。収拾のつけ方を知らない。こうなれば、

「気をつけ」

 王室儀杖隊もかくやという程の機敏さで二人が立ち上がる。

「着席」

 椅子に座る音まで同調させて座る。

「一々大袈裟に騒がない、私は何も気にしていないし怒ってもいない。復唱」

『一々大袈裟に騒ぎません。姫様は気にしていらっしゃらないし、怒ってもいません』

「よろしい」

 こいつらは一体、どこの世界の住人だ?

 仕事で感じる疲れとは別の何かでグッタリしそうになっていると、母親と、もう一発殴られたのか涙目で大人しいマルリカが食事を並べ、終わってから席に着く。

 食前の祈りが始まる。エデルト、セレードの敬虔と言われる家でも略式の略式とでも言うべきやり方で祈る。ただの略式は公式の場で行い、正式なものは聖なる日と呼ばれるような時だ。この島では常に正式なやり方である。とにかく長く、文句を暗唱するにも苦労するだろうと感心する。そして唱え終わってから黙祷するのもこれまた長い。鍋から皿に汁物を移してたら温くなりそうなぐらいに長い。

 食事は、お粥と野菜汁に魚の干物と粗食である。ただガランドとその婿、その二人は食べる量が多い。自分の目の前にも同じだけ。味に工夫がついていれば食べ切れそうな量だ。決して不味いわけではないが、味が単調。少し船を出せば魔神代理領から香辛料なり何なりが輸入できるというのに、塩とバターとオリーブ油がほんの少しだけ。

 しかし人の家の食事に、頭の中だけとはいえ文句をつけるとは下品になったものだ。

 食事中の会話で、何となくだが、どうも女に見られ損なったのをガランドが取り繕うように、姫様はお母様に似てお美しいだの、セレード美人はこうだのと言っている。余計なお世話だ、言われたことも聞いたこともない美辞麗句には怖気が走る。面と胸と尻に声も女らしくないことぐらい自覚している。

 婿の、歩兵隊の士官殿は緊張して固まっている。世間話程度に戦争や訓練に関わりの無いことでも軍人のようにハキハキ答える努力をしている。マルリカだが、母親が睨みを利かせているので大人しい。どうせなら子供らしく騒いでいてもらいたかったが。

 ガランドの誘いとはいえ、長居は婿に気の毒である。かと言って早々に帰るのも失礼、食後の白湯を飲んでから家を出る。

 ガランドがお供しますとばかりについてきた。家族の目が届かない辺りでもう結構と断り、察したのか静かに礼をしてから去った。礼をしたいならあのふんどし姿をどうにかしろと思うが、まあいいとしよう。


■■■


 騎士団本部内に宛がわれた自室に戻る。こちらが帰って来たのを見計らってか、軍事顧問団の事務員が手紙を持ってきてくれる。中身を確認すると、差出人は一応全てヴィルキレク王子の私信となっているが、封を切れば本物の差出人の名が書かれた手紙が入っている。

 家族からの手紙では、兄弟達は皆壮健とのこと。先の大戦での自分の功労が評判を呼んで家格が持ち直り始め、仕事もしやすくなったそうだ。家名の異なる遠縁の者たちには言及していないので、まだまだ身の回りで精一杯なのだろう。気になるのは文体がよそよそしい、というか機嫌を損ねないよう気を使っていることだ。

 没落以来は余裕が無くて息子達を優先し、期待の出来ない娘を冷遇してきたことと、今はその娘がどの息子達よりも有望株になってしまったことに戸惑っている様子だ。政略結婚に金目当ての結婚も出来ないのだから冷遇されるのは当然、それが分かってて士官学校に入ったのだ。今更一体どうしたと思ってしまうのは、あまり人間らしくないのだろうか。

 ベルリクの官舎に手紙を送ったら退職して不在だと通知が返ってきた。これが前回のことだ。今度はグルツァラザツクの家に送ってやったら、親父さんから行方不明と返事。そして、そちらで何か話を聞いていませんか、と心配げな書き添え。

 奴は度胸だけは伝説の英雄並みに持ち合わせているから何処へ向かってもおかしくない。新大陸開拓団に参加したと言われても納得する。ただ親にすら所在動向を告げていないとはふざけた奴だ。見つけたらぶん殴ってやる。

 そして開封済みの手紙。赤い墨で、旧セレード王党派につき注意されたし、と書き加えられている。信頼の証なのか警告のつもりなのか。

 差出人はセレード系軍人貴族でも有名なマシュヴァトク伯の夫人から。セレード併合時にエデルト側へ寝返ったマシュヴァトク伯だが、夫人の精神もそうだとは言い切れない。

 初めに当たり障りの無い賛辞が連なる。次に傷痍軍人や孤児に未亡人を支援する慈善団体の活動内容の報告があり、それと連絡先が付け加えられている。次に名前は聞いたことのある、有望な青年貴族も参加しているという話。随所にセレード方面軍人事の中身を匂わせる記述が少々。

 跳ねつけるような内容ではないし、家族が見たら是非活動に参加しなさいと推してくるだろう。もう既に似たような話は向こうでしている可能性はあるし、無視は出来ないと推測できる。そして、帰郷したらその青年貴族の何れかとのお見合いが待っていそうだ。社交と政争に加えておばちゃんのお節介が加味されている気がする。

 正直、目の前の仕事に専念する以上の頭は持っていないのだ。これは困る。放置するのは無理だし、家族に面倒ごとは丸投げなんてしていると取り返しのつかないことになる可能性が高い。とりあえず、職務へ専念するために返答は保留したいという旨の返事を出そう。嘘偽りはない。

 そしてヴィルキレク王子からと思しき、覚えの無い差出人からの手紙。後継の木偶、という妙な筆名。

 普通に読むと、読みづらい下手糞な詩集。字だけ上手な子供が初めて作ったような内容、それも意味不明で不気味な趣向の。そして、頭に叩き込んだ暗号表に基づいて解読すると、もっと不気味になった。

”アソリウス島騎士団では、人間を人間ではなくする術、つまり魔族になる方法を研究しているという情報がある。先の大戦では、魔族の強烈な個人戦闘能力を前に戦線はかき乱され続けた。魔神代理領にて魔族の秘密を探るのは困難であるが、アソリウス島ならばそれより易いだろう。アソリウス島騎士団は極めて保守的、排外的であるので潜入工作員等を潜り込ませることは不可能に近い。魔族に直接相対し、尚且つ魔術の心得もあり、騎士団次席の総長代理ガランド・ユーグストルに縁のある貴女以上の適任者はわが国にいない。端緒でもいいから掴んでもらいたい。我々は研究の糸口すら掴んでいないのだ”

 そんな大事なことは出発前に言え、という言葉が浮かんだ瞬間、そんなこと出発前に言えるか、と思った。あの島へ行け、あの怪しげな術を研究している島へ行け。油に手を入れるのと、煮えたぎった油に手を入れるぐらい違う。

 とりあえずクソッタレと、その手紙に魔術で火を点けて灰にする。

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