第5話「イスタメル平定」 ベルリク

 起床ラッパで目が覚めて反射的に跳ね起きる。

 気分が悪い。ラッパとラッパ手にはむしろ好感を持っている方だが、これを軍隊に導入した奴は殺したい。バッチリ目が覚めた。

 ラッパが鳴り終わり、城内をバタバタ駆け回る音が響き始める。慣れればラッパが鳴る前に目が覚めて駆け回る必要は無いし、ラッパが鳴っても余裕が作れるからのんびり出来るものだ。

 慣れぬ滑るような高級寝具の感触、目に映る良さの分からぬ調度品。豚小屋の藁束の方が寝やすい気がしてくる。これで身の回りの世話までしてくれる者を雇ったら気が張って寝るどころじゃないだろう。

 平民とほぼ変わらぬ貧乏末端貴族から下っ端将校、流れ者の次は城主ときた。次は囚人か国王か?

 この前支給された軍服を着て、ボロく見えないように補修した自前の三角帽を被って着替えを済ませる。魔神代理領では上級の者は、頭に布を巻いてから身分に応じた飾りをつけることが慣習で決まっているようだが、面倒だ。綺麗に巻いてくれる奴隷なりなんなりを所有するべきなのだがそういう気分ではない。自分でやれることを――そのクセ色々と面倒臭がっているのはさておき――他人にやらせるのは気分が悪い。

 そして朝いの一番にやるべき事、便所に座って踏ん張る。糞というのは出せる時に出さなければいけない、兵士の義務と言ってもいい。我慢すれば注意散漫、身体能力も低下するし、漏らせば感染症の恐れがある。酷いときには赤痢などの流行病の元にだってなる。

 昔は便所の取り合いで喧嘩になった。しかし今は取り合うどころか掃除人が綺麗にしてくれる城主専用の便所があり、のんびり糞を垂れていられる。偉い人間には何かにつけて専用があるものだ。

 ケツの下で豚どもがフゴフゴ鳴いている。高さがちゃんと調節されているのでケツをなめられることはない。でも豚を連れに来た飯炊き女に「てめぇ頭に糞かける気か糞野郎」と言われたことならある。

 ズボンをずり上げ、改めて鏡で外見を確認した後に寝室を出る。

「城主さま、おはよーございます!」

「ああおはよう」

 お行儀の良い子供のように挨拶をしていく妖精、この城の兵士だ。子供に見えてちゃんと子供じゃない。子供みたいにわけわからん追いかけっこはしていることはあるが。

 朝食会、とは呼べないがそういうものが朝に待っている。昨晩はルサレヤ総督一行が一泊したのだ。会場は執務室。応接間などは扉を取っ払い、兵士用の食堂に改装してしまった。客室などもほとんど兵舎にした。来客応対という儀式のことを完全に忘れていた。何れまたそういう部屋なりなんなりを整備しないといけない。

 執務室に入る。既に用意が整っており、机や椅子は何処かへ片付けられ、床に絨毯や毛皮が敷かれている。とりあえず毛皮が豪華じゃない方に座って待つ。そして獣人奴隷によって扉が開けられ、身嗜みを整えたルサレヤ総督が入室。起立して、

「お早うございます」

「ああ」

 と返事をしてルサレヤ総督が毛皮が豪華な方に座り、それからこちらも座り直し、一対一となる。獣人奴隷は入ってこない、飯はもう食ったのか?

「人が、妖精が良く集まっているな。良い事だ」

「はい」

 改めて面と向かうと何を喋っていいか分からなくなる。道端で会った時は気楽そのものだったのに立場というのは大きい。

 食事が運び込まれる。内容は家庭料理的な物で、雇った妖精の飯炊き女はそういう物しか作れない。外の仕事を最優先に人を集めて分配しているので、礼儀的な部分には手が回ってないのだ。そんなことを内心気にしていると、

「この状況で宮廷料理を出されたら私が困る」

 とルサレヤ総督が笑って言ってくれた。彼女が食事に手をつけ、こちらもつけ始める。

 ルサレヤ総督と護衛する奴隷騎兵一行は馬の方が数が多く、かなりの大飯食らい。今すぐ食糧が枯渇するわけじゃないが、後で不足分の食糧を買わないと困る。

 イスタメルの農地は荒廃しているため、他所から買ってこないといけないのだ。しかし接待する側が宿泊代金を要求するなんて、どう言ったらいいかと考えていたらルサレヤ総督が先に「現実を見て判断をしろ。意地を張ると管理怠慢になる。言うだけならタダだ、遠慮するな、と言っても遠慮するだろうから遠慮したら罰せられる気でいろ」と怒られてから代金を貰った。

「一言二言で機嫌が悪くなるような無能はそもそも総督資格を得る試験に合格出来ない。もしそのような人間だとしても、総督資格試験に挑む前提条件として魔族化が要求されるため、そのような人格は更正される」とか。それに加え「今この場でお前が糞を垂れて暴れだしても笑って後始末してやれるぐらいのババアだから気楽にしろ」だの。見た目は元気の良い、人間なら三十代くらいの女だが、その老成した笑顔は百を過ぎた者が子孫達を眩しく見るようだ。

「朝飯ぐらいで緊張するな。他に目があるならともかく、一対一だぞ? あの時の気軽さはどうした」

 見透かされているなんてものじゃない。見え見えな上に隠してすらいなかった。

「あの時は……何にもありませんでしたので」

「変なところで常識があるな」

 そして食後のお茶の時間になり、ゆっくり飲みながら、ルサレヤ総督から今専念すべきこと聞かされる。

「城主としてすべきことは、兵力の増強とその維持、治安の維持、隣接地域への援軍が出せる余力の確保だ。城主の役割を正文化された言葉にすると、部隊の定数、装備、練度を維持する。平時には定期及び非定期に観閲が州総督によって行われる。戦時には州総督が必要と認めた場合のみ観閲を行う。管轄地域の治安維持を行う。城主およびその代行者は逮捕権を有するが、裁判権は県が有する。募兵は管轄地域内で自由に行う。もし管轄地域外で行いたい場合は、当該地域の責任者に許可を取ること。尚、強制的徴募は管轄地域内に限り、その際には州総督の許可が必要である。防衛上必要と認める土木工事を県に要求することができる。両者間での協議で決着がつかない場合は州総督が裁定する。所有領地の徴税権等は県が保有する。予算は州から与えられる、となる。観閲とは、軍隊がどの程度の基準に達しているか州総督が判断する行事だ。不備があれば解任ものだ。我々は基本的に志願兵で軍隊を構成するようにしているから強制徴募は最終手段として考えてくれ。そのような状況になったらこちらから頭数を揃えろと通達を出すからそこは受身でいい。州から与えられた予算内でやりくりして貰うのは軍事面に注力してもらうためだ。過去、給料代わりに土地からの徴税権を与えた結果、経営ばかりして本業が疎かになった事例がある。それに利権と結びつくと汚職が蔓延るものだ。それを監視して処断して新たな人材を充てるに時間も資金も要する。ここまでで分からないことは?」

「代行者は逮捕権を有するとは、どの程度の範囲まで適応出来ますか?」

「それは君の裁量だが、基本的には全兵士、警察活動を行う者全てに与えるべきだ。与えない事例としては、外人、傭兵、罪人、懲罰部隊といった曰く付きの部隊だな」

「防衛上必要と認める土木工事の費用はどっちが持ちますか?」

「君は予算管理を部下に丸投げしているようだな。部下を信頼するのもいいが、管理怠慢となると話は別だ。さて、費用は県が持つことになる。県とて予算は無限に使えない。必要があれば州からも臨時予算を出すが、計画的に工事を行え。両者間での協議で決着がつかない場合に州総督が裁定する、とある。しかしそんな喧嘩に発展するような事態は原則認めん。仲間内同士の喧嘩に勝ったことを自慢するような阿呆にはなってくれるなよ」

「州から与えられた予算が足りない場合は臨時予算を要求できますか?」

「要求するだけなら好きにやっていい。その場合は理由を添えろ、遠慮はするなよ」

 そうこうしていると朝礼の時刻になり、服装を整えた妖精の兵士が迎えに来る。兵士に先導されて城の中庭に出る。すると、

「気をつけッ!」

 と高めで良く通る良い声の号令が掛かる。

 整列した妖精達が踵を揃えて背筋を伸ばす。演台に登壇して、妖精達を眺める。皆、支給された軍服に軍帽姿。軍帽と上衣は黒、ズボンは白。魔神代理領軍の色だ。昔は恐怖の対象だった。

 顔を見る。初期の奴隷だった連中を初め、イスタメル北部のマトラ山地に住む妖精達が大勢集まった。旧イスタメル公国の政策でマトラ山地に追いやられた経緯があり、数十年ぶりの帰還という者もいるそうだ。

 全員が全員、子供か幼げな青年といった顔と背丈で、人間と変わらないような者もいるが、耳が三角形で尖り気味。これがこの地の妖精の特徴。折角の軍服も背伸びして着てみました、少年少女音楽隊、といった風体である。彼等全てが若年世代に見えるが実際は違う。人間で言えば中年世代に相当する者も少なくない。彼等が老ける時は坂を転がるどころか、崖から落ちるように一気に老けてあっという間に死ぬそうだ。

 この城に人間はベルリクしかいない。妖精達だけで人数は足りてるし、まだ志願者がいる状態だ。イスタメルはまだ平定されていない。イスタメルの人間には反旗を翻す要素が残っている。平和が訪れてから城の仕事に人間を使う予定だ。それまでは従順な妖精がいい。何にしても可愛いし、文句言わないで働くし、可愛いし、銃の腕は人間より良いくらいだ。

 ちょっと気をつけの姿勢が長めになり、妖精達がもぞもぞしだす。もういいか。

 面倒がらずに頭に布を巻いたラシージ――すげぇ似合ってて可愛い――凛々しい彼に目配せ。

「休めッ!」

 とラシージが号令をかける。普段は無口で声は小さいが、出すとなれば良い声が出る。

 現在は部隊を四大隊に分けて、担当場所を交代させながら働かせている。城の警備兼休暇、補給隊護送、建設現場警備、街道警備の四つ。前日に街道警備を担当した大隊からは連絡員だけが顔を出している。後からクタクタに疲れた彼等が帰ってくる。

 言うことは決まり通りだが、それでも各大隊に本日の割り当てを告げる。分かってても伝えるというのは重要なことだ。言わなくても分かるではいつか失敗する。

 それらとは別に、ラシージとその弟子とも言うべき者達には建設指導の仕事があり、最近決まったマトラ県知事との書類交換もある。

 他にも魔神代理領に併合されることを見込み、自分達を売り込むために時間をかけて作成してきた、測量した地図とそれに合わせた建設計画書の見直しもしている。

 既に知事から許可が下りている建設計画もあり、その中でも街道沿いの監視塔建設は着工済み。塔の本数と高さに無駄が出ないよう、地形の高低差による視界の広さの違い、気候の変化による見通しの良し悪しも考慮しているらしい。そんな、全く口出しが出来ない分野なので全て自由にやらせている。休みも自由に取らせているが、休んでいる様子はない。

 城主はこうして簡単に口出しをするだけ。無能は無能らしく城でドンと構えて有能な部下に全てを任せるのが最善である。怠慢じゃなく、総督、知事、他城主から連絡を受け取る必要がある。まだ代理に出来そうなのはラシージぐらいだ。あとは妖精といえど怪我病気をするので責任を持って人事を行えるものがいないといけない。幸いなことにまだその出番はない。

 それと有事の際、例えばどこかへ襲撃を受けたら城にいる大隊を動かし、他の大隊から応援を呼ぶ伝令を飛ばす必要もあり、留守にできない。平時の仕事が出来ない分、何かあったら強行軍で敵に突っ込んで血まみれにさせてやる準備が必要だ。

 それでも今日は特別な予定があって出かける。イスタメル南東部のマリオルにいる海賊から招待を受けた。内容は単純これだけ”酒を飲みながら船でシェレヴィンツァを見にいこう”というもの。

 海賊は海賊でも、マリオル県知事、そしてイスタメル海域提督就任予定の海賊からだ。働き次第で海賊から正式に海軍として登録されることになっており、もう既に当確であろう。マトラ県とはお隣で、そして城主と提督となれば軍事的に行動を共にすることもあるだろう。まだ顔合わせもしていないので会うべきだ。手紙の内容からも分かるが、かなり分かりやすい人物らしいと噂。

 補給隊護送の任につく大隊にマリオルまで同行すると告げる。そうすると、心なしかその大隊の皆がうれしそうな顔になる。普通、上司が同行するなんて言ったら嫌がられるものだが、妖精達はうれしそうにする。一体どこでそんな人気を得たのやら見当がつかない。

 他には珍しい報告も無く、朝礼も終わりに近づく。長々やる気は無い。

 ただ折角偉いさんが来ているので、何か一言言いますか? と斜めに身体を向けて視線を投げてみると、ルサレヤ総督が演台に登壇、中央を譲る。ラシージが号令を掛けようとして、ルサレヤが軽く手を上げて止める。姿勢は休んだまま。

「君等妖精は人間に虐げられてきた。魔神代理領そしてここイスタメルでも、今後はそのような事は無い。偏見がすぐになくなることはないだろう。だが、法的には平等であることを覚えておいて欲しい。君らの家族と故郷は我々が、そして君達が守る。命を懸けて、泥を啜って、血を流して守るのだ」

 そう言ってルサレヤ総督は演台を降りる。そして解散をラシージに命じ、

「各大隊ごとに作業に移れッ!」

 と号令をかけて終わる。

 それから大隊ごとに分かれ、日程確認を始める。どう見ても子供達が集まって、これからどーしよー、んー分かんなーい、はーいはい! こうしよー! みたいな感じだ。ルサレヤ総督が何か、目を細くして眺めている。これ可愛いよなぁ。

 そんな光景だが何時までも見ているものでなく、ルサレヤ総督は広場を去り、各大隊も散り散りに行動を始める。

 演台に座って足を下ろす。ラシージも隣に座って倣う。

 ここに来た時はこんな風になるなんて思わなかった。ラシージがいなかったら今頃どうなっていたか、想像がつかない。嘘が本当にという具合に、遊牧帝国に去った母へ会いに行くことになったかもしれない。

 バシィール城城主として必要な部分の九割九分をラシージが担っている。人事は全てラシージが行ったようなものだし、その人を集めたのもラシージ。正直、自分が今いなくなっても問題なさそうだ。嫉妬も横から口出しする気も起きない。なのに何故か妖精達は慕ってくる。自分がやったのは無血開城ぐらい。あの様子じゃ、脅しの大砲一発で降伏していただろうからいてもいなくても同じ。

 ラシージの前だと、自信も何も無くなってくる。そんな感じで本人の前で腑抜けていると、じーっと見つめてくる。腹の内が読めない黒い瞳だ。そして手を握ってくる。自信とは別だが、泣き言はいえなくなる。

「総督閣下の砲弾より速く城主様は飛んでこられました」

 いきなり言われた言葉を理解出来ず、言葉通りの意味と理解し、追加の説明がないか待ってみるがそれは無いようだ。

 本日から街道警備に当たる大隊が出発。前日に街道警備に当たっていた、疲れた足取りの大隊がマリオル行きの補給隊を連れて到着して城内警備に移る。入れ替わるように建設現場警備の大隊が出発。補給隊の小休憩中にマリオル行きの準備をする。すると言っても、筆記用具に着替えを用意して、道中の暇を潰す本を持つだけ。

 準備が出来、馬車に乗り込む。隣にはラシージ。道中にある建設現場の一つに用事があるそうだ。

 ルサレヤ総督とその奴隷騎兵達が騎手より多い馬を連れ、地面を揺らして城を去る。事前に見送りは要らないと言われている。


■■■


 馬車に揺られて進む。バシィール城周辺は手がつけられ、もう既に石畳の道になっていて快適である。ただ着工から日数が少なく、しばらく進めばすぐに踏み固められた土の道に変わる。雨が降れば簡単に泥沼になる道だ。

 本を開く。ルサレヤ総督が”初めて門を潜る者の為の略史・内政編”を貸してくれた。まず大きい、そして分厚い、紙面は無駄が無いように文字がビッシリと書かれつつ、図面も併用して分かりやすい、と思われる。他に、外交編、経済編、法務編、文学編、食糧編、建築編、地理編、軍事編、儀礼編、魔導編、文化編、統計編、情報編と、まだまだ他に同じような大編と呼ばれるものがあり、それらを細かく解説する小編というものがあって、それを応用するための外編というのがあるそうだ。略史とはどうも、ただの国史じゃないみたいだ。

 本をチラっと読む。過去の部分はざっと飛ばし、現代の最初あたり。時代によって役職の名前や役割が変わるので、まずはその解説が入る。

 まず我らが魔神代理領の頂点が魔神代理。そして魔神代理より俗なる分野を任せられているのが八人の宰相で、その中から一人選ばれるのが大宰相。大宰相が各州に派遣しているのが州総督。ここではイスタメル州総督ルサレヤ。州総督の下に、各県の行政のために県知事がいる。陸軍力維持のため、各要地に城主が置かれる。これが自分、バシィール城城主ベルリク。そして海軍力維持のため、各海域に提督が置かれる……本は苦手だ。ルサレヤ総督から口頭で言われた時はすぐに分かったというのに。


  敵は何処か、知るのだ同胞よ

  奴らはいる、隣にいる、我らを吸血する奴ら

  その汚らわしい手に噛み付き、食い千切れ

  剣を持て! 吸われた血を大地に還せ

  その大地を耕し、豊穣とせよ


  敵は何処か、見つけた同胞よ

  奴らはいる、そこにいる、我らを滅ぼす奴ら

  あの汚らわしい首を落とし、穴に放れ

  銃を持て! 戦列を組んで勝利せよ

  革命の火を広げ、世界を創れ


 妖精たちお気に入りの共和革命派の歌が外から聞こえてくる。歌の一番は、上流階級を殺してその奪った資産で行う富の平等分配で幸せになれるというもので、二番は他所の国にいる上流階級もぶっ殺して共和革命派の仲間を増やそうというもの。その意味が分かっているのかいないのか、あまりにも堂々と歌われている上に反抗する気配が全く無いところが何ともいえない。

 歌に乗り、遠足気分で目的地の一つに到着。今、イスタメルで行われるべき建設工事が集中している沿岸道路だ。

 道路の規格幅は馬車二台と二分の一分以上とし、騎乗半日の距離ごとに駅を設置し、簡易宿泊所を併設する。地形や気候で疲労具合が左右されるので騎乗半日は現地で測定する。塚は定められた一馬理間隔で置き、管理番号を振ること、とされる。

 その道路の脇では井戸掘りが進み、作業員用の住居建築も順調、資材をその場で作成する工房も建てられて煙突から煙を吐いている。道路だけではなく、橋の建築、安全基準を満たさない橋の改築。集団農場、堤防に水道橋建設などなど、旧イスタメル公国軍を討伐しながらとは思えない復興振りが見られる。

 作業員は戦火で放浪していた流民がほとんどで、これで労働力の確保と治安維持を両立。食糧と給料はルサレヤ総督の私財と魔神代理領政府からの支援で賄っている。そして何より、現場監督達は安全第一で仕事するよう気を配っている。これは下級な奴隷労働ではないのだ。

 この辺りは荒廃していたせいで人もまばら、マトラ山地から妖精の作業員を呼び寄せないと手が足りない地域だ。揉め事は、命令されなければ争おうとしない妖精達が多数のせいか、腹が満たされているせいか、仲違いをしている様子はない。

 ラシージの目的地はここだ。昼飯時なので馬車を降りて休憩。大隊も休んでいる作業員に混じる。

 草むらに座り、隣にラシージ。妖精の子供が配食しに来る。そして転んで飯の一部が地面に転がり、拾って、土と草を取って息をフーフーかけて戻す。妖精はあれでいいらしい。地面に寝っ転がって腹壊したという話は聞かないからあれでいいか。

 はいどうぞ、と差し出して来た子供の頬を軽くつねる。くすぐったがる。むひー、とでもいうような声を上げてから走り去る、転ぶ、起き上がって走る。ラシージの頬を軽くつねる、もじもじする。

 噛んだ砂を吐き出しながら食事。離れるのが辛い、心細い。それを知ってか知らずか、別れ間際になるとラシージは座る距離を詰めて来た。

 兵士どもを弾薬のように使って敵に突っ込んで殺して回るのは正直平気だ。でも、戦闘以外の仕事を順調にさせること、妖精の兵士達とその家族を守ることを考えると頭が動かなくなる。そういう事を順調に行えるようにしてくれているのがラシージだ。はっきり言って依存している、いないと困る、いなくなって代役がいないなら辞職する心算だ。

 建設現場の住居前の広場には労働者像とも言うべき像がある。旗を持つ青年、鍬を持つ女性、金槌を持つ男性が堂々と立っている。その前で妖精労働者が演説をふるう。こういったものは飯を食いながら聞くのが正しい形だろう。

「……振るった金槌は敵への痛打である。紡いだ糸の一本は同志を救う命綱である。労働者よ、工房もまた戦場なのだ。薙いだ鎌で収穫した作物、それらを食べて戦う兵士達。草刈る鎌こそ真に敵の首を刈る武器であるのだ。労働者達よ、食べながらでも聞くといい。この建設事業もそうした戦いなのだ。我らの積み上げた石の一つ、木の一本一本が仲間を助け、敵を打ち倒すのだ」

 それから拳を突き出して大声を上げ、

「悪い封建主義を打破せよー!」

 観衆、主に妖精がそれに応える。人間は何が起きているのか理解していない。

『悪い封建主義を打破せよー!』

「働く人の権利を守れー!」

『働く人の権利を守れー!』

「階級闘争に勝とー!」

『階級闘争に勝とー!』

「逆らうからには理由があるー!」

『逆らうからには理由があるー』

「労働者の楽園を作ろー!」

『労働者の楽園を作ろー!』

 それは前座だったようで、次の舞台が用意される。裁判長と書かれた札が乗った机が置かれ、そこの席に演説をふるった労働者が座る。

「これより革命労働裁判を執り行う。判決は死刑、被告人前へ」

 それは裁判じゃないだろう、お前らは一体裁判を何だと思ってるんだと半笑いしていると、必死の形相の男が縄に縛れ、妖精に引っ立てられてくる。漫才かと思ったら違うようだ。

「俺は腰が痛くて休んでいただけだ!」

 検事らしき妖精が前に出てきて皺だらけの紙を掲げて読み上げる。

「被告、エイコフは故意の建築作業放棄による間接的破壊工作を行いました」

 それだけ言ってその妖精は紙をポケットに突っ込んだ。そして弁護人らしき妖精が前に出てきて、

「弁護の余地なし」

 と吐き捨てて下がる。そして裁判長が机を金槌でガンガン叩く。

「労働の中でも特に尊い建築労働を軽んじる者にはその重みを身を持って知ってもらう。該当建築現場に埋める判決を下す。礎として戒めとして君は永遠に生きるのだ。これは死ではない、新たな生である! 作業開始!」

「違う! 止めてくれ!」

『はーい! 礎となれー!』

 必死に抵抗するエイコフという男が引きずられ、既に掘られていた穴に落とされる。命乞いの声が響き、土を円匙で被せられ始めると悲鳴に変わり、段々こもった声になって、唸り声のようになり、聞こえなくなった。

 お遊戯見学と昼飯休憩も終わり、ラシージが立ち去る。感じていた体温が消えていく、視界から遠ざかっていく。振り返ってはくれない。

 支柱に巻きつけられている縄が一斉に引かれて圧し折られた、そんな気がした。知ったら忘れられない。出会わなければこんな思いを知らずに済んだ。

 母が遊牧帝国へ去った時、理解が出来なかった。理解が出来る年頃には納得していたし、祖母がその分面倒を見ていてくれた。

 シルヴの誘いを断った時、あんなに良い誘いをカッコつけて断るなんて馬鹿でクソッタレだと思った。しかし、彼女のことを思えば後悔はわずかだ。

 ルサレヤ総督に一目惚れしたのは間違いないが、別れても辛くも何ともない。自分が心配するような小物ではないと確信しているからだ。自分が死んでも総督は死なない。

 ラシージは……これこそ言葉に出来ない。とにかく、いないと困る。

 ラシージは去った。こちらも大人気なく騒ぐこともなく、馬車に乗って寂しくマリオルに進む。どうせ数日したら会えるのだ。


■■■


 喪失感を胸に、無駄に大袈裟だなぁと自嘲しつつ、マリオル市に到着。海上からの襲撃で陥落したとあって陸側の城壁は綺麗なものである。

 走っている馬車の扉を開け、併走している騎兵の馬に飛び乗る。ビックリしながらもキャッキャ騒ぐ騎手の妖精を抱え上げ、背中に回しておんぶの姿勢にし、他の騎兵が手綱を引いていた城主用の白馬に馬上から乗り移り、妖精をまた抱え上げて彼の馬に戻す。曲乗りは得意で、母の親族に何時会ってもなめられないように練習している。

 隊列の先頭集団に混じり、開けっ放しの門へ進む。その真ん中に、訓練でもしたかのように愛想の良い女がいた。それも、娼婦ですらしないような胸に股間と尻を隠すのがやっとの服装。いや下着姿か? そしてスカーフを巻いても溢れるほど異様に長い髪と、機敏そうな筋肉がついた腕をブンブン振る。やけに可愛らしい。

「いっやぁ陸もんの旦那、任務ご苦労、おっ疲れさーん!」

 彼女が傍までやってくる。三角帽を摘み上げて挨拶。

「港にいる海賊が陸送貰うなんて間抜けな話だけど自前の船が足りんとなるとこれが安上がりなのよ」

 聞き取れる限界寸前の早口で捲くし立て、顔面掴んできて引きよせられる。それからニコっと笑って、

「ありがとっ」

 ふふーん、と鼻息でも笑う。もう少し若かったらこの子しかいないと決断していただろう。そんな人物が現在イスタメル周辺海域を牛耳る海賊の親玉セリンだ。外見は外聞通り。

 大海賊の親父がくたばったので家族で船団を分け合い、そして時流に合わせて魔神代理領内に限り、それぞれ好きな所へ海軍として自分を売り込んだ。その中でセリンはイスタメル総督ルサレヤに声を掛けた、という話。活躍が認められればマリオル県知事とイスタメル海域提督の地位が彼女の物になる、という約束だ。既成事実はもう出来上がってしまっているようだが。

「当主自らお出迎えとは痛み入ります」

「にゃーにゃーにゃー、んな堅苦しい言葉は要らねぇ、カモメに食わせて糞にしちまって頂戴な。それになんだい当主って? セリンでいいのよー」

「分かったセリン」

「そーそー、それそれ」

 セリンが徒歩なのに馬上では少々格好が悪いと思い、馬を下りて並んで歩く。そうすると、腕を絡ませてきてグイグイ引っ張り出す。この手の女には会ったことが無い。どうすればいい?

 市内に入ると、海賊達が新たな支配者として街中を歩いている。悪い意味ではない、守る者と守られる者の空気が出来上がっている。各所では若い連中が海賊に加わろうと募兵官の所に集まり出している。店では金払いの良い客に喜色満面だ。

 バシィール城主の仕事は今のところ、身内の妖精達で事足りているからいい。城の周辺は領主の狩猟地だったので住民もいない。全く手間がかからないのだ。街を見ていると、県知事なんて任されたら手に負えないと思えてくる。こんな大量で様々な人間を治めるなんて、一体何をどうやるんだ?

 セリンに県知事をするならどう治めるか聞いてみると、

「食って寝る、飲んで騒ぐ、働いて死ぬ。そうしてりゃ何とかなるでしょ。あ、ヤって産むが抜けてた」

 ギャッハハハハ、と笑う。直感だが、良い街になりそうな気がしてきた。

 補給隊が海賊の倉庫で荷降ろしを始める。護送の終わった大隊には四交代の仕事に支障が出ないよう、規定通りに休憩させてから帰すことにした。セリンから酒出すとか泊まってけとか誘いがあったが、酒を貰うだけにとどめた。勿論、道中酔っ払うなと注意をしておく。

 堅物な対応で不機嫌面になったセリンにどう対応しようか困りそうになると、コロっと表情を変えて手を掴んでまたグイっと引っ張り出す。

「名前ベルルルなんちゃらかんちゃらだっけ?」

「ベルリク=カラバザル・グルツァラザツク・レスリャジン。ベルリクが父がつけた名前、カラバザルが母がつけた名前、グルツァラザツクが父方の家名、レスリャジンが母方の氏族名」

「くぁっ、めんどくさっ、長ぇ長ぇ、お祈りみてぇ、カビ生えるわ、腐ってきた、うわ臭っ」

 セリンは鼻摘んで、もう片方の手で空気をかき混ぜる。それからこっちの鼻も摘み、尻の辺りの空気をかき回し始める。

「しっかし一匹で、ベリリクあー、ベルリクね、あんたお城ぶん捕るたぁ、海賊もびっくらこいて屁こくわ」

「そうか?」

「そーそー。たぶんあんた、本か何かに載るわ」

「そこまで難しくねぇぞ。ずっと嘘ベラベラ喋ってたぐらいで、後は妖精任せだ」

「巧い奴は簡単に言いやがんのよ」

 会話しつつ、手を掴まれて引っ張られた先、潮の生臭さが通る港。出払っているのか、海賊所有と思しき船の数は少ない。その船でも沿岸向けの背の低い櫂船が多く見られる。三層甲板のドデカい戦列艦のような大物は一隻も無い。貶すわけじゃないが、やはり海軍ではなく海賊というところか。

 停泊している中で、一番大きな巡洋艦級の船に案内される。色艶の良い塗装の上を、色艶の良くない塗装で船名が塗り替えられた跡が見えた。

 乗船すると見えるところ全てが新品同様で、処女航海の時にでも盗まれたんじゃないかと推測。随所に彫刻も施してあり、貴族の遊覧船か何か、接待用の船に思える。

 船内ではなく甲板上に宴会の用意がされている。それに出港作業が入り乱れ、素人目には何が何だか分からない大暴れをしているように見えてしまう。

 邪魔にならないよう隅で作業を眺めている内に係留索が外され、帆が開いて風を孕み、出港する。景気づけか馬鹿騒ぎの前触れか、無意味に空砲を撃ちまくる。

 揺れる船上でセリンはグラつかずに腕を組んで仁王立ち。船員達も揺れ等無いように動き回る。真似をして立ってみるがすぐ転びそうになる。

「怪我すっから大人しく座って私のケツでも見てなさい」

 そう言ってセリンは両手でケツを叩く。そう言われて座ってケツを眺めようとしたら、隠すほどに髪が長いので見えない。苦情だ。

「髪の毛上げてくれ、ケツが見えない」

 当然の如く冗談だが、何も言わずに髪の毛を束ねて肩から胸の前に落とす。下着同然のズボンは上向きのケツの形をそっくり見せ、その下八分の一ぐらいが布に覆われてない。ケツと太股の境目がハッキリ見える……何だこりゃ、誘ってんのか?

 同格かどうかはともかく、お隣の偉いさんに変な気を持つのは避けようと違う世界に逃避する。苦手な本の世界にだ……だというのに、本を開いて直ぐに頭の上が暖かくて、柔らかくなったり固くなったりする。ザザっと海草みたいな髪の毛が垂れてくる。海の野郎なんてスゲェ臭いのが当たり前だが、何でこうも良い匂いなのやら。

「ねー何読んでんの?」

 セリンが頭に腹を乗っけてきた。そして目の前には上着というには心もとない布っきれから覗き見える乳の下側……これは裸よりはるかにいやらしい!

「”初めて門を潜る者の為の略史・内政編”だ。ルサレヤ総督に借りた」

「これの題名、丸暗記してから宮殿に登庁しやがれって意味だって知ってる? 高級官僚向けだよ」

「初心者向けにしては難しいと思ってた」

 船酔いしやすくなるからと、本は取り上げられた。ちゃんと船長室に保管するから暴れても大丈夫と念押しされた。

「これからシェレヴィンツァを見に行くよん旦那。しっかり飲んで食って、ちゃんと中身を船酔いでゲロっちまおうぜぇ」

 そんな風に宴席に連れられる。魔神代理領風に、絨毯や毛皮を敷いて床に座って飲み食いする形式。机に椅子に慣れていると、どうにも最初は落ち着かない。ケツが馴染んでくると椅子より良いと分かっているが。さて、どこに座ろうかと迷う。席順っていうのがこういう時はあるものだ。

「旦那の席はここだよ。あんたと私以外誰が上席座るっての? ほいほら来いクソ」

 投げられるくらいの勢いでセリンの隣に引っ張られる。足場の不安定な船上では丸っきり敵わないと直感した。

「ままあ、最初の一杯は私の手酌だ」

 どんぶりから溢れるまで注がれる。

「ゲロなら海にゲロってね。ささ、あんたも注ぎなさいや」

 同じようにやってやると一気飲みしやがった。

「へぇあーごっつぉさん」

 睨んでくるので、一気飲み。度数はそれほど高くない、低くもないが。そして美味くて一気飲みが勿体無い。肩をバッチバチ叩かれる。

「米で作んだ。私の母親の故郷の酒だぁ、美味いだろーお?」

「美味い。一気飲みは勿体無ぇな」 

「ああん? 出し惜しみするように見えんのかおい」

「知らねぇよ」

「じゃあ知れ」

 また注いでくる。蒸留酒のようなキツさはないが、こうも水みたいに飲まされたら記憶が吹っ飛びそうだ。


■■■


 ……酒と船の揺れに酔って、ゲロ吐いて、出したら入れるという具合に酒を飲まされ、ゲロ吐いて。気持ちが悪い、何回か失神した気がする。顔に何回か水ぶっ掛けられた記憶がある。目と頭が止らない。海面滑って空飛んでる。立ってる、間違えた、横になって若い奴の泡吹いた口に足突っ込んでた。起き上がったら頭が割れた。割れてない、割れた、血まみれ、セリンが鼻血吹いて手榴弾を海に投げて水柱を上げてる。船内にも手榴弾転がってきたから海に投げる。海水を被った、不味い、口直しに何か食う、噛み切れない、固い臭い、綱だ、何だ? 酒だ。船べりに、羽休めのカモメ、拳銃で撃つ、弾が入ってない、装填、引いてもダメ、火薬入れる、こぼれた、刀で突く、当たった、血がついてる、カモメどこだ? 気づいたら夕方か。酒樽がいくつも転がって来る。手に感触、どんぶり一杯の……スゲぇ頭が痛くて、喉が粘るように渇き、胸焼けが酷くて、腹が気持ち悪い。最悪、死んだら楽になれそうだ。いつの間にか朝、ということは昨夜の記憶が一切無いということ?

 大きな街が見える、頭がイカれてなければあれがイスタメルの中心都市シェレヴィンツァ。シェレヴィンツァなら北西から南東にかけての沿岸街道の中間地点にあり、主要な交易港がある。現在は陸と海から包囲され、デカい干物にされている最中のはずだ。何となく手を見たら干物を握ってた、齧る、変な味、何の干物だ?

 海から包囲している艦隊の船員と、戦場と宴会場を足して割ったようなこの船の船員が手旗信号でやり取りをしている。

「ありゃりゃりゃりゃ、えー、根性無ぇの」

 昨日の騒ぎなんか無かったように元気そうなセリンが船縁に立って気の抜けた声を上げる。そしてシェレヴィンツァ港側の防御塔に立って風になびく旗がイスタメル総督領の物に代わる。

 どうやら、今陥落したらしい。

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