ONE NIGHT
琥珀 燦(こはく あき)
「ONE NIGHT」
ある夜 君の声を聞いた。
★
クリスマス・イヴ。
まだ宵の口の東京。雪の白さも星の色も忘れてしまったような重苦しい灰色の夜空。
人々は、綿菓子みたいに儚い今夜だけの夢を抱いて、はしゃいでいる。
☆
肩の辺りに気配を感じて立ち止まった。
優しい気配だった。雪が降り始めたのかと、思った。
見上げると、頭の真っすぐ上。高層ビルに区切られた四角い夜空に、僕を呼ぶ声の主がいた。
大都会の濁った夜空にくっきりと輝く十字星座。あれは…白鳥座。
数時間後、僕はスポーツバッグ一つを手に夜行列車に乗った。
★
夜行列車に憧れたのは遠い昔。まだ幼い子供の頃。夜という時が、魔法の世界だったあの頃。
夜未の中を駆け抜ける列車の姿を思っては、心を踊らせたものだ。
胸の中は、道の物へのときめきで一杯になった。
さっき、雑踏の中で、夜空に白鳥座を見つけた時、子供の頃の憧れが心に戻ってきた。
だから。
出発は、今夜でなければならない。
☆
そろそろ日が変わる時間だろうか。次の到着駅を告げるアナウンスで目が覚めた。乗り込む時は、あんなに目が冴えていたのに。これからの旅を思ってわくわくしてたはずなのに。
ただ星が流れるだけの車窓の光景は、期待してたより単調で退屈だったのである。
『天気輪方面のお客様、次でお乗り換えです。ご準備お急ぎくださいませ』
てんきりん…そんな駅があるのか。どうせ行くあても決めてない。乗り換えてみよう。
★
『こんなやみよののはらのなかをゆくときは
客車のまどはみんな水族館の窓になる
(乾いたでんしんばしらの列が
せはしく遷ってゐるらしい
きしゃは銀河系の玲瓏レンズ
巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる)
りんごのなかをはしってゐる
けれどもここはいったいどこの停車場だ
(中略)
わたくしの汽車は北へ走ってゐるはずなのに
ここではみなみへかけてゐる
(中略)
汽車の逆光は希求の同時な相反性
こんなさびしい幻想から
わたくしははやくうかびあがらなくてはならない
そこらは青い孔雀の羽でいっぱい』
「へえ、宮澤賢治ね」
向かいの席の少女が言う。
座席の一つ一つに置かれた、真っ黒い革表紙の詩集。なかなかしゃれた演出だ。
少女はいかにも退屈そうに「青森挽歌」を読み上げる。長い黒髪が水色のコートにまとわりつくように流れている。
「あたしね、“やみ”っていうの。『夜』。未確認の『未』。で、夜未」
ロングヘアを揺らしてちょこん、と首をかしげる。星みたいな、澄んだ目をしてる。
「ね、あなたどこから来たの?」
「多分、君と同じ。退屈な街から」
僕の答えに、夜未はさざめく波のように笑った。
『次は、銀河ステーション、銀河ステーション』
車内アナウンスがとんでもない事実を告げる。
列車の真下に広がる関東平野。クリスマスの摩天楼は、水晶の柱の群れのようである。
…すっかり童話「銀河鉄道の夜」の世界。日本列島はどんどん小さくなってゆく。
これはとんでもない。ほんの気まぐれで乗り込んだ夜行列車が、あの「銀河鉄道」だなんて。
☆
夜未は、とにかくはしゃいでいる。ロマンチックというだけで、こういった事態にあっさり適応してしまう。女の子の感覚ってうらやましいものだ。
プリオシン海岸に到着。一面、光の砂が冷たい火を燃やしながらきらめいている。
「ね、降りてみよう」
夜未は窓枠を越え、ふわりと外へ飛び降りる。僕も慌てて後に続いた。
★
足元は、さくさくとしたガラスの粒子。夜未が手ですくうと、水晶の輝きを残してさらさらとこぼれ落ちる。
夜未の髪にもガラスの粒子がかかっている。星空みたいだな、と思った。
僕たち二人はジョバンニとカンパネルラのように、海岸の散歩を楽しんだ。海岸といっても、白いしぶきをあげながら流れているのは広大な銀河である。心地よいせせらぎの音。この流れは何を、何処へ運んでいくのだろう。
童話の中の大学士は相変わらず発掘作業を続けている。僕たちにも百二十万年前のくるみをくれようとしたが、夜未は、なぜか受け取るのを拒んだ。
☆
アルビレオが二重星だなんて、初めて知った。北十字…白鳥座のくちばしは、二つの星で構成されている。アルビレオ観測所である。
「あの望遠レンズ、トパーズとサファイヤ!」
アルビレオの二重星は、半透明な光を放ちながら一定の距離を保ってくるくると回る。レモン色と青色が重なる時、あちこちで鈴のような音を起てて、星の光がひらめく。
★
透明なポプラが立ち並ぶ林で、夜未はこはくでできたオルガンを見つけた。
「あたし、ピアノ習ってるんだぁ」
得意気に言ってオルガンの前に座る。
夜未のオルガンに、星が、草木が、宇宙風が共鳴する。野外コンサートの特等席にいる気分。
銀の芝生に座り、宇宙中のあらゆる音の共演に聴き入っていた僕は、隣に誰かが座るのに気づいて振り向いた。
『また、会えたね。ジョバンニ』
その名前で呼ばれることに、全く抵抗はなかった。
「とても、久しぶりになっちゃったね。カンパネルラ」
『僕…わからない、長いようで短いようで。でも、きみを待っている時間はとても幸せだった』
カンパネルラが、にこりと笑う。…懐かしい金色の瞳。そう、“懐かしい”という感じに近い。幼いころに読んだ、銀河鉄道の物語が、僕にジョバンニの記憶を与えている。あの物語を通り抜けた者は、誰もがジョバンニ。僕が、あの幼い日々のドキドキに、カンパネルラに再会するために、ここに来た。
カンパネルラの演奏するオルガンの美しいセレナーデに、夜未はじっと聞き入っている。頬に涙が光る。僕の視線に気づいて、慌てて涙を拭う。
「きれいなものに触れた時、泣けることってあるよね」
『ありがとう』
青い星の瞬きのように、カンパネルラは静かに笑う。
『僕は、星まつりの時だけ、天からアルビレオまで降りてこれるんだ。年一度、ここでオルガンを星たちに聴かせて、星のバイオリズムを調律する。それが僕の仕事』
銀河のせせらぎの音はここでも優しいBGMである。
『銀河を流れているのは、人の想い。一人では果たしきれない夢が、継ぎの時代へ、次の次の世代へと受け継がれていくんだ。だから、この流れは永遠で、この宇宙を包む夢は、無限なんだ』
夜未は水色の瞳をこらして、じっとカンパネルラの話に聴き入っている。
☆
カンパネルラは僕たちに切符を見せるように言った。東京駅でかったはずの切符はポケットの中で変貌していた。表面に、細かい曲線がはいまわっている。これが行き先を示す字らしい。カンパネルラはそれを一目見て、ひどく悲しそうな目をした。
『きみたちの旅はやっぱりここまでなんだね。もう、お別れの時間だ』
「また、会いに来るよ。次のクリスマス」
しかし、カンパネルラは、首をゆっくり横に振った。
『無理だよ。巡り会いの奇跡なんて、本当に本当に、何十億、何百億、何千億分の一の確率だもの。僕たちは、僕たちとして会うことはもうない」
「やだよ…このままさよならしたくないよ。せっかく会えたのに。ねぇ、あなたはまたひとりぼっちで、いつくるかわからない再会をどれだけ待ち続けるの?」
「しかたないんだよ、夜未。僕たちの切符はあの時ジョバンニが持ってた無限の切符じゃなかったのだから」
「でも、カンパネルラ、かわいそうだよ」
『…ありがとう。夜未は優しい子だね。でも、ね。僕は待っていることはちっとも辛くないんだ。必ず、また会えるって信じてるから。…僕たちの出逢いと再会はいっしょくただけど、出会った時の幸せな気持ちがあれば十分だ、と僕は思う』
カンパネルラはそう言って僕に握手を、夜未の頬にキスをした。
『また、会えるよ。さよなら』
「カンパネルラ…」
立ち去ろうとする彼の方へ、夜未は名残を惜しむように手を伸ばす。その勢いで、踏み出した彼女の左足が、星屑の砂地を踏み抜いてしまう。
「夜未!」
夜未の体が空に落ちる。後を追って手を伸ばし、僕の体も急降下していく。
★
「きっと、僕たちこれから出会うんだ」
夜未の右手に僕の手が届く。
「あなたは覚えてるかしら。そのとき、あたしのことを」
夜未の細い手が、僕の肩をしっかりとつかんだ。
「わからない。でも、出会ったとき、きっと何か感じると思う」
僕たちは両手をとりあった。互いのコートがパラシュートになって降下速度を落とす。
「今度…今度会う時、あたし“やみ”じゃなく光でいたいな…」
水晶の摩天楼。僕たちは淡い色に包まれて、舗道にゆっくり着地した。
ビルにはめ込まれた時計の示す時間はAM05:00。明け方とはいえ、クリスマスの朝。人っ子ひとりいないのは不思議だ。あるいは、ここもクリスマスの夢が見せた異空間?
「忘れてしまおうね、今夜のこと。できるだけ早く」
夜未がぽそりと言う。
「きれいな思い出って、いつまでも抱き締めてると悲しくなるから」
ああ、そんな風に考えていたから、この子は思い出をつくりたがらなかったのか。
「でも、僕はわすれたくない。夜未と、カンパネルラと出会った幸せも。さようならのせつなさも」
うつむく夜未の小さな肩をてのひらでぎゅっと包んだ。
「夜未にも、忘れてほしくない。でないと、僕たちは強くなれない」
夜未は顔を上げて不思議そうに僕を見た。僕は夜未の目に、銀河の流れを思った。
『銀河の流れは、永遠。夢は無限』
カンパネルラの声がくりかえし心に降りてくる。
「あ…雪」
星々の想いが舞い降りるように、降る粉雪。どうやらホワイト・クリスマスに間に合ったようだ。
fin
ONE NIGHT 琥珀 燦(こはく あき) @kohaku3753
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