第四十二話 白夜(二)

 ――これは、まずい。

 アウロラを閉じ込めた閂を抜いて入ってきた男は三人。身丈は成人男性の平均だが、体躯の逞しさは並ではない。「アウロラ王女か」と問うた声は低く、冷たく、何より感情が感じられない。

「王女ともあろう者がこんなところに一人でいるとはな」

 男の一人が身をずらし、暗闇の中で剣の影が揺れた。アウロラの背筋に冷たいものが走る。

「そちらが期待した迎えとは違うかもしれんが、なに、こうなっては誰が来ようと大して変わらん。ついて来てもらおうか。王女なしでは話も進まないのでな」

 言いながら男の腕が宙に線を描くように浮き上がる。床に向いていた剣先がアウロラの心臓の高さで止まった。刀身は長く、一、二歩間を詰めたら鋭利な刃がたやすくこの身を裂くだろう。

 だが、すぐに切りつけないということはまだ猶予があるという意味だ。口ぶりからして交渉の可能性は残されている。

 恐れを見せたら負ける。アウロラは唾を飲み込み、干上がった喉を震わせた。

「この国の民ではありませんね。正式な国際会談は手続きを踏むとの国際法がありますが」

「なに、しもの者との話に会談も何もないのでは。姫は市井の者と慣れ親しんでおられるはずだ」

 男たちが身につける武具に銀糸で縫われた紋章がきらりと光る。帆船に錨が組み合わされ、その上に南十字星をいただく。天と海の象徴。南の大国、テハイザだ。

 全身の筋肉がくまなく緊張する。鼓動が激しく脈打ち、後ろ手に握り締めた小刀が小刻みに振れた。歯を食いしばり、意識を総動員して姿勢を保つ。

 ——落ち着きなさい。あなたはシレアの王女でしょう。背筋を伸ばしなさい。

 密かに舌を噛んで震えを殺す。毅然とした態度を崩さぬよう、一つ一つ言葉を選んだ。

「貴国にはわたくしの兄が赴き、正式に貴国のあるじたるテハイザ王と不可侵および友好条約の締結を議しているはずです。貴殿の主君は、このような振る舞いをご存知なのですか」

 背中に落ちる汗が気持ち悪いが、弱気や反抗を見せたら危険だ。向こうに分があると思わせてはならない。相手の冷徹な視線を真っ向から受け止め、睨み返す。それを受けてなお男は表情を全く変えず、無機質な声音で続けた。

「歴代の王が長年、望んでいらしたことを行なっている。王女には穏やかにしていただくよう願いたい。城の方はすでに落ちたも同然なのだから」

「何ですって?」

 いましがた平静を、と思ったはずが、信じがたい一言で一瞬にしてアウロラの怒りが弾けた。

「テハイザともあろう大国が自らの誇りを捨てたのですか⁉︎ 友好を持って接する隣国を力でじ伏せようとは⁉︎」

 時が悪すぎる。時計台と地下水でまさに混乱の極みにある城に侵攻されたら隙だらけだ。

「力とは使うものだと知らないか、姫君よ? 城が済んだら次は街だ。もっとも、城下をどうするかはそちらの出方次第にしてもいいが、どうする?」

 アウロラはほぞを噛んだ。城を離れるのではなかった。彼らの言い方では、まだ城は完全に攻略されていない。しかし兄の外遊に連れ立って手練てだれの者が何人も欠けているのだ。城に残った衛士たちだけで敵うかどうか――そして、ウェスペルは……?

「王女、荒々しい態度は歴史ある国の姫にふさわしくない。国の看板がいくら立派でも、それでは婚姻先に断られるぞ。まぁこの国の主となる情深いテハイザ王なら貰って下さるかもしれんが」

 大将格の男はいかにも低俗なことしか頭になさそうな面構つらがまえで声を立ててわらい、その下劣な顔へアウロラは持っていた小刀を投げつけそうになった。

 だが、刀を握る右手は止まった。

 アウロラの耳が、塔の外、木々のざわめきの中に、かすかに馬のいななきを捉えた。




 アウロラも城も危ない――ウェスペルは堪らずシードゥスの袖を引っぱった。だがシードゥスは相手の出方を窺っているのか、一歩も動こうとしない。

「離反者の末路は賢いお前ならわかるだろう。大人しくお前がここで眠るか、それともお前の手で王女を眠らせ、罪滅ぼしするか?」

 するとシードゥスの瞳に怪しい光が走り、頰が上がって笑みの形を作る。

「俺をここに送り込んだ一人なら、眠るのがどちらかは知ってるだろう?」

 言うが早いか、シードゥスの上体がウェスペルの視界から消え、ほぼ同時に目の前の巨漢の胴部が後ろにかしいだ。武具の金属音がけたたましく鳴り響く中、相手の足を払ったシードゥスがすぐさま起き直り、ウェスペルの手首を強く引く。

「出るぞ!」

 その掛け声を合図に巨漢を飛び越え、二人は扉の外に駆け出した。

「アウロラは⁉︎」

 ウェスペルには青年が階段を駆け下りる速さについて行くだけでいっぱいいっぱいだったが、それでも走りながら叫んだ。振り返ったシードゥスの顔にはもう、ウェスペルが知っている澄み切った瞳がある。

「心配いらない。あの方が来てる」


 


 時間稼ぎが必要だ。アウロラは頭から爪先に至るまで意識を巡らせ、崩れかけた姿勢を改める。

「テハイザ国王陛下から直々のお話があれば拝聴します。公式の礼をないがしろにしては我が国も貴国に無礼を働くことになりましょう。猛々たけだけしい行いでは人の心も国も動かぬもの。武具をたずさえた方のお話は平常心では聞けません」

「なるほど、姫君はなかなかに交渉上手と見える」

 相手の高圧的態度はそのままだが、刺激しなければまだ大丈夫だ。アウロラの頭の中で、目まぐるしく時間の計算が始まっていた。

「城の者や民に荒々しく当たりましたら、国を守る身としてこちらも黙ってはおられません。それは才のある優れた逸材の多いテハイザ国の中枢におられる方なら、おわかりのはず」

 一体いま、シューザリーンの城の内部にどれだけの数が乱入しているのか。いまから城に向かってもまだ間に合う数であって欲しい。

 内心で願いながらも、アウロラは男の目をしかと捉えて自分が臆していないことを示す。しかし賊の方はといえば、そんなアウロラの態度すら滑稽だというようにせせら笑った。

「入り込んだ間諜に気付かぬ主君に、国を守る責務は負えまい」

「間諜?」

 聞き捨てならない言葉である。アウロラの眉尻が無意識にぴくりと上がった。

「身元の分からぬ下男の青年を、軽々しく信じるものではないな」

 ――シードゥス……!

 脳天から雷に打たれたような衝撃が走り、頭が真っ白になる。ぎりぎりのところで繋がっていた糸が引きちぎられ、体が均衡を失う——

 そう感じた瞬間である。

 視覚が捉えたものに、全身の力が呼び戻された。

 一方の男は、アウロラの表情に動揺が表れたのを楽しそうに眺め、下卑ただみ声が露骨に嬉々とした調子を帯びる。

「お人好しもいい加減にしないと身を滅ぼすぞ。無能な為政者が」

 その言葉はアウロラの火をつけるに十分であり――都合良く、時間の経過を待つ必要ももはやなくなった。

「彼にはわたくし自らが問います。愚鈍な雑魚の相手はしてられないわ」

「はっ! 何を小娘ごときが! すぐにテハイザ王の前でその生意気な口を後悔させてや……」

 どん、と鈍い音がし、男の言葉は勢い途中で途切れた。

「その必要は無い。王との交渉はもう平和裡に終わった」

 驚き振り返ろうとした残りの二人も、口を開く間も無くその場に倒れる。

 床に臥した男たちの向こうに立つのは、蘇芳すおうの瞳を持つ細身の美丈夫。久し振りに見る顔に、アウロラは破顔した。

「お帰りなさい。お兄様」

「ただいま戻った。留守中の采配、感謝する」

 一突きで巨漢三人を卒倒させた剣の柄を元の位置に戻し、王子は端整な顔に美しく笑みを浮かべる。最愛の兄の声を聞き、アウロラは込み上げる嬉しさと安心で、ようやく全身の緊張を解いた。

 はるか階下で再会を果たした二頭の馬が、塔に上がっていった主人を呼んでいななきを繰り返している。

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