第四十三話 白夜(三)

 気絶した男たちを武具についていた鎖で適当に縛り上げると、兄王子は部屋の中を見回した。視線がある一点で止まり、目を細める。

「開いたか」

 蘇芳の瞳が向けられたのは、祭器を守っていた櫃だ。

「こんなことになると分かっていれば、先に教えておくのだったな」

「結果としてはお兄様と……お母様が守ってくれたのだもの。問題ないわ」

 アウロラは耳にかかった髪を掻き上げる。碧と珊瑚色の宝玉が揺れて互いに触れ合った。

「まだ逝かれてから一年しか経たないのに……懐かしいな。やはり母上に似ている。よく似合っているよ、アウロラ」

 二人は布に包んだ祭器を荷袋に詰めると、賊が逃げないよう扉の外から閂をかけ、すぐさま階下へ向かった。早足で階段を降りながら、兄王子はよく通る声で説明する。

「聞いていたのと違って、新しいテハイザ王御本人は話の通じる方でいらした。向こうも我が国と親密な関係にいた方が経済的にも文化的にも良策と考えていたらしい。ただ国内の危険分子を恐れるあまり、交渉に入るのに戸惑いがあったようだ」

「危険分子?」

「侵略と国土拡大を狙う極右派だ」


 


「どこの家に生まれるかってのはさ、簡単に逃れられないって意味じゃ呪いだよな。ずっと前から気に入らなかったんだ」

 東塔の最上階からかなりきつい傾斜の階段を駆け下りる。足元の慣れないウェスペルを時々振り返りながら、シードゥスは独り言のように語った。

「シレア国の豊かな山の恵みは確かにテハイザにとって魅力的だけど、うちにはシレアにはない水の恵みがある。だったらお互いに無いものを補い合えばいい。うちに無いから奪うとか、聞き分けのない子供ガキじゃあるまいし」

 間諜などという後ろ暗い立場にいたとは思えないほど、シードゥスの口調はさっぱりしたものだ。「なんだってそんなのに加担する家に生まれたんだか」、と吐き捨てる。


 

 兄王子がテハイザ王の言うところを汲んで整理すれば、話はこうである。現王は即位する前から長らく、シレアと不可侵条約を交わし、いにしえの友好を取り戻したいと思っていた。ところが好戦的だった先王が崩御したのをきっかけに、先王の意思を継ぐという声が古参の極右勢力の中で高まった。もともと発言力のある彼らの力は宮廷内で過剰なまでに増幅し、若い新王の行動すら牽制し始め、テハイザ王城内は穏やかならぬ状況だったのだ。

「闇雲に王権を振るってはかえって逆効果だ。説得と軌道修正の機を掴もうと、随分と悩まれていたそうだ」




「こっちに来てからつくづく嫌気がさしてた。まったくうちの馬鹿どもはこの国の国政を見習えよ。でもここに来る前から、奴らが王のためだとか言ってることが、今の陛下の本意とは違うとも感じてきてたんだ」

 塔の階段は意外に長い。一体、どれだけ高いところにいたのか。

「それなら間諜として放り込まれたのを利用して、機を狙ってシレア侵攻を狙ううちの派閥を壊せばいい。王の真意に反して行動したとなれば潰す理由としては十分だろ。俺が反対派閥の中で動けばたやすいはずだ。つまりさ」




「話をしてみたら、先王とは真逆で現テハイザ王は穏健派だ。こちらと友好条約を結ぼうにも、まずは自国の体制を整え国政をまとめなければシレアにも有害と考えた。要するに」

 最下層に差し掛かって、兄がアウロラの方へ振り返る。

「組織を建て直すなら」




 段差が大きく開き、シードゥスが手を差し出す。

「組織をぶち壊すなら」




「内側からだ」





 地上階まであと一階。開け放たれた出入口から入ってきた風が、塔の中の黴臭い空気を抜けて階段の上まで昇ってくる。肺に吸い込んだ新鮮な風に出口が近いのを感じる。長い階段の終わりに期待が高まり、足の運びが加速する。

 しかし下の階の壁が見えてくると、その壁の色にえも言われぬ違和感が生じた。胸の内に生じた不快な塊が段を降りるほどにどんどん大きくなっていく。

 出口から飛び出した時、それは確信に変わった。

「何だ、これは……」

 驚愕する兄の横で、アウロラも息を飲んだ。




 まろびつつ外に出たウェスペルは、出口で立ち尽くしたシードゥスの袖を震える手で掴む。

「これ……」




 とうに夜も更けた時分のはずなのに、地平線近くで筆を引いたようなくれないの筋が夜闇に喰い込み、いまこの時にはないはずの色彩が濃紺の空に侵食している。

「白夜だ……」

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