白夜

第四十一話 白夜(一)

 東塔の窓から見える空が赤紫に、さらには宵の紫紺に染め上げられると、まもなくして塔の内部は見事に闇に飲み込まれた。今日は新月の夜。月明かりは望めず、星の輝きは塔の中であまり役に立ってくれない。幸運なのは部屋の壁が白壁だったことと、夕暮れから夜闇に変わるのに時間がかかったことだろう。そのおかげで急に視力が奪われることもなく、アウロラの目は日が落ちても部屋の中のものがうっすら見えるくらいには闇に慣れていった。

「う……くっ……もう、痛いわよぅ……」 

 先ほどからずっと、どうにか出られないものかと扉に体当たりしたり取っ手を引っ張ってみたりと格闘しているのだが、ことごとく徒労に終わっている。

「今日はどうしてこんなに物を開けるのに苦労する日なのかしら」

 聞く相手などいないが、文句でも言わないと気も紛れない。言い終えたところで何度目になるか分からぬ体当たりを扉に食らわし、体を跳ね返されてこれまた何度目になるか分からぬ衝撃に身悶みもだえした。

「そもそも何で誰も迎えに来てくれないのぉ」

 愚痴りながら肩をさすると、腕につけた時計が目に入った。そういえば何時頃になるのか。文字盤を見ようと時計の角度を上下にずらしてみると、針が乳白色に淡く光っている。

「もう、こんな遅いの……?」

 そう長く待たぬうちに日にちが変わってしまう。アウロラの背筋に冷たいものが走った。城が異常事態である以上、自分の受け持った仕事で極力、他人ひとに迎えなどを頼りたくはないが、早急に城に帰ると言った自分がここまで遅いのを誰も気に留めないというのも不自然だ。

 ――まさか、何か起きたんじゃないでしょうね……?

 胸がざわめき、窓の外の闇に視線を投じた。

 



「どういう事だと聞いているんだ。そこの娘が王女ではないというのは⁉︎」

 強面の男は眉間に皺を寄せ、威圧的に詰問する。

「なに寝言を言ってんだ。王女の前で失礼な。丁重にしないと、あとの交渉もうまくいかないんじゃないのか」

 壁に跳ね返された男の怒声は空気を震撼させたが、シードゥスは全く動揺を見せない。むしろその顔には侮蔑的な笑いが浮かんでおり、明らかに相手を挑発している。「ちょっと」とウェスペルは止めかけたが、シードゥスは相手から見えないようにそれを制し、身をわずかにずらして自分の斜め後ろにウェスペルを隠した。なるほど、いまはウェスペルを盾にしてアウロラの安全を確保しようというのだろう。

 シードゥスは後ろ手にウェスペルの手を握ったまま、あくまで平然としたていを保ち続ける。

「それより城の方は」

「祭りならもう始まっている。予定通りしょぱなから心臓部の攻略にかかったが、大臣に聞けばアウロラ姫なら城を留守にしたと笑うじゃないか」

 ジジィ余計な口滑らせやがって――シードゥスの呟きと舌打ちが聞こえた。目の前に立つ青年の様子はウェスペルが知っているシードゥスとは何かが違う。触れている手指から緊張が伝わる。濃紺の瞳が険のある光を宿して相手を睨み、口元が引き結ばれた。

 だが男が言葉を次ぐ前に、シードゥスはもとの小馬鹿にするような笑みに戻る。

「それはの仕事の範囲外だから知るか。そしてこの方が王女でないことをどうやって証明するんだ?」

 鼻で笑う若者に、男は顔を引きつらせて絶句した。

「つまり俺には手落ちも非もない。城入りできるようお膳立てするまでが俺の任務だろ。思い通りにならないからって子供ガキみたいに当たらないで欲しいなぁ」

 その言葉が男の神経を逆撫でした。

「お前のその態度は何のつもりだ⁉︎ よもやお前が王女を東塔に逃したとでも言うまいな!」




 ふいに階下で扉の開く音がし、アウロラは耳を澄ませた。数人の足音が階段を上がってくる。恐らく二人、いや三人か。階段に響く足音に女性の軽さはない。成人の男だ。しかも、手ぶらではない。扉越しに重い金属のこすれ合う音がする。

 祭事の準備で一人でも多くの手が欲しい時だ。城の者が自分を迎えに来るなら何人も連れ立って来るとは思えない。しかし、それなら誰が? 

 アウロラは瞬時に身が動くよう体術の構えを取り、正面からは死角の位置に小刀を握りしめる。


 


 余裕をかましていたシードゥスの顔が固まり、笑みが消えた。

「そんなことを……どこから、仕入れた?」

「そう言うからにはやはりお前か?」

 男が得たりとばかりに口角を上げた。

「すぐに分かる。東塔で本物の王女が捕らえられればな」

 シードゥスの瞳孔が、大きく開いた。

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