第十一話 邂逅(三)
宿の主人に「時間が少ないぞ」と背中を押され、少女は市へ延びる道へ足を踏み出した。するといくらも進まないうちに市場方面から来る二、三台の荷車とすれ違い、確かに閉場が近いのだと思わせる。
二区画歩いた先がもう市場だった。少女が出たところは場内を走る大きな通りに繋がっており、そこを境に左右に店が直線上に並ぶ。同様の店の列は大通りの両側に同じ数だけあった。どうやら少女がいる通りがちょうど真ん中であるらしい。直行する道の向こうに横切る人の姿が見えることからして、いくつもの小道が場内で垂直に交差しているのだろう。
いま立っている場所の辺りには主に食料品店が集まっていた。香ばしい燻製の香り、珍しい色の果物や野菜、小洒落た瓶詰めを陳列しているのは果実の砂糖煮や調理だれの店か。途端に好奇心が
「お嬢ちゃん、何かお探しかい」
少女の出身の街では珍しい品も目立つ。しげしげと眺めていたら、入ったところからしばらく歩いた肉屋の店先で急に声を掛けられた。店から焼いた肉の香りが漂い鼻をくすぐる。
「あ、いえ、旅の途中で。このお肉、なんのお肉なんですか? 不思議な香り」
「おや、旅の人かい! 珍しいのかな。若いとまだ知らんかなぁ、お嬢ちゃん」
故郷自慢の気持ちが湧くのか、それとも若者に対する年長者ならではの世話心も手伝ってか、売り手の声も弾み、最前列で売り出されている肉を指差す。
「ちょうど秋だから普段はないのが揃ってるよ。猪と鹿、それからこっちは雁だ。野生の肉はこの季節じゃないととれないからなぁ。ほらちょっと食べてみな」
商人は店の中から焼いた肉を串に刺して少女の目の前にずいと出す。
「いいんですか? こんなに大きいの」
「嬢ちゃんほっそいんだから、旅ならしっかり食べないと。美味いよ」
差し出されるままに口に入れてみると、噛んだ途端に熱い肉汁が口の中に広がる。食べ慣れた畜産動物の肉にはない臭みを感じたが、不快感は全くない。はふはふ言いながらも思わず感動が口から漏れた。
「不思議な味! でも、なんでしょう、んぐ。これ、食べたことないのに、ん、味付けのせいか、美味しいっ!」
「だろう! ちょっと臭みがあるけど、香辛料と合わせると引き立つんだわ」
「調理にもコツありなんですね。すごい、えっとお代……」
「いいよ、いいよ。旅の人に気に入ったなら嬉しいさ。ほら、この先も見るんだろ? ここからはこの土地自慢の工芸が多くて見ものだよ。うちの肉は帰りにまた食べたくなったらその時に買ってくれりゃあいいさ」
言葉に甘えて礼を言い、笑顔で見送られながら少女は商人が指差した先へ進んでいった。言われた通り、工芸品の類には木製の食器や調理器具、精緻な彫りで飾られた銅製品など匠の高度な技が溜息を誘い、この辺りが手工芸の工房によって栄えているのだと思われた。これまたきめ細やかで彩色豊かな模様が編み込まれた膝掛けや羽織物は見るからに暖かそうで、これからやってくる冬が厳しい寒さを連れてくるのだと教えてくれる。手に取れば柔らかく肌触り良く、またふわりと花の香りがして、気持ちまで溶かされそうだ。
少女が興味に任せてあっちへこっちへ間の小道にもふらふら足を入れ、数軒ごとに立つ食品店で渡された試食を遠慮なく貰いながら歩いていたら、もうすぐそこが広場の中心だった。円形に開いた中心に先の時計台が立つ。近くで見ると文字盤を載せる蔓の冠に沿って木彫りの鳩が飛翔している。それはいますぐ動き出してもおかしくないほど生彩な姿。文字盤にも細かく装飾模様が彫り込んであり、水晶のような薄紅の丸石が中央に嵌め込まれていた。遠目で眺めたときに光っていたものだろう。改めて近くで見ると、時計台は先ほど感じた厳かさをもって迫ってくると同時に、いまは触れるのを
少女が来た道と広場がぶつかるところでは、時計台の前に美しい女性の彫像が立っていた。右手は天球観測に使うのと似た球体を先端に付けた長い杖を掲げ、下げられた左手は蓮のような花が載る手のひらをこちら側へ出し、開いた花びらの間からは水が流れ出ている。
彫像は丸い実の彫り込まれた柊の葉を冠し、肩にかけて流れる衣は触れたら本当に揺れそうだ。衣の上に長い髪が垂れ、流れる水の如く胸元でゆるやかな線を描く。幾重にも巻かれた腰紐には何やら文字列らしきものが細かく刻まれているが、少女には読めない。
この街の信仰対象か、それとも過去の偉人の像なのだろうか。しばし見惚れた少女は、女性の湛える微笑にえも言われぬ親しみを覚えた。
女性像の顔を見上げたら、その頭の向こう側にある時計台の塔の屋根にも、像が持つ杖のそれと似た球状のものが乗っているのに気づく。
――博物館で見た昔の測量具と似てるなあ。
もっと近くへ、と少女は広場の中へ踏み込む。
その時だった。
対面の道の方から馬の
「場内規則に反しての騎乗入場をお詫び致します! しかしさらにいましばらく
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