邂逅

第九話 邂逅(一)

 会議室をあとにしてから、王女は図書室で国の行政に関する資料をひっくり返していた。時計が動いていないため正確な時間はわからないが、作業を始めてからおよそ小一時間くらいだろう。ざっと見たところ、やはり三世代ほどの国事記録にめぼしい情報は無かった。

 ただ、時計台については普段の時報以外に鐘が鳴った記録もある。祝祭事、宗教典礼、葬儀等の重要事に、式典の開始時刻など何かしら意味のあるまさにその時、自動的に組み鐘が鳴り響いたことが祭事等の記録から分かる。

 ——そういえばそうだったわ。時報じゃないのに音を聴いたもの。何で疑問に思わなかったのかしら。

 全く無意識に音を聴き、何も疑問などなかった。しかし普段の時計は切りのいい時刻しか鳴らない。論理的に考えてみれば妙な話だ。

 王女は別の手がかりがないか、さらに先の頁を見ていく。しかし甲斐はなかった。そのほかは、国家を襲った雷雨、中規模地震、何十年に一度という豪雪に遭っても滞りなく動いていたらしく、点検、修繕などといった言葉は一切見当たらない。まして止まったことなど皆無だ。

「あまりに順調でみんな無関心って感じね」

 記録書を閉じて次の書を見ようと右手を伸ばしかけ、王女は手を止めた。気付けば書見台の上、自分の右手にうず高く積んだはずの書物の山は無かった。いつの間にか最後の一冊だったらしい。左手には読み終わった記録書の山が出来ている。王女は立ち上がると、いましがた読み終えた一冊を書の山の上へ重ね、山ごと抱えあげて棚にしまいに向かった。

 続けて城の物品管理記録を何年分かどさりと取り出す。古いものから頁をめくっていくが、途中からかなり端折はしょって流し読みになってくる。目を通した感覚から細部を見ても無駄だと思われた。

 作られた当初から止まっていないとしたら、どこにも手立ては書いていないのではなかろうか。

 珍事が一つ起こってみると、この時計台には不可解なことが多いのに気付いてしまう。時間や暦に合わせて自動的に鳴るだけならまだしも、なぜ予測できないはずの王族の葬儀や出生の時にも何の手も加えていないのに鳴るのだろう。今まで生活に溶け込んでいたから当たり前だと思っていたが、これは特殊なことなのではないか。王族の誕生と逝去。母后が先に亡くなった時にも響き渡った。

 思い返せば、このシレア国になんらかの節目が訪れた時には必ず時計の音が伴っていた。

「そもそも誰がいつ作ったのよぉ」

 王族たる者が知らぬのも悔しいが、実際に何も聞いたことがない。自分以外は無人の図書室にやけっぱちな独り言が虚しく響く。いや、元来独り言というのは虚しいものだけれども。 

 何が原因なのだろうか。もしかするとこの時計は、シレアにとって代え難い「何か」を伝えるのか——? だとしても、時計が鳴るのではなく、停止する理由は?

 王女は必死で自国について知る限りのことを思い起こす。だがどうだろう。自分が生まれてからこれまで、両親が他界した以外、国には何の異常も起こっていないのだ。国は至って平和。対外的なことを考えても、隣国テハイザとの緊張関係も先代から続くものに過ぎないはずだ。 

 シレア国の現状が常と違うところを探してみてすぐに思いつくことといえば、兄王子がいないという点くらいしかない。

 自分より九つも年上で、父王の崩御以来、城をまとめ国を支えてきた第一子第一王子。その兄はいま、他国との古き友誼を結び直しシレアの新たな治世を興すために、自分のそばから離れて外遊の最終地、南の大国テハイザにいる。確かに王女個人の問題としてなら、いつも自分と一緒にいた兄がかたわらにいない寂寥感は大きい。しかし兄が国から一時的に欠けたことが、時計台が常と違う鳴り方をする王族の生死以上に重大なのかどうかは自信がない。

 ――生まれ出づる光と還る光、か。

 言葉が頭をよぎった途端、ぱん、と王女は頬を叩いた。

「だめよ」

 言葉は口に出せば力を持つ。不安のせいだろうか。つい他愛もない巷間の言い伝えが頭に浮かんだのは。今は余計なことを考えている暇などないのだ。出来るところから手を打たねば。

 とりあえず会議室から移動後、事態はそうそう変化していない。何らかの進展あるいは事件があればすぐに知らせが来るはずである。このような時に変化がないということが本当に良いことかはともかく、悪い方へ進むよりはましであろう。王女は次に取るべき行動の方に思考を切り替えた。

 資料の中に頼りになる情報が見当たらないとすれば、ひとまず根本的な解決は脇において、最悪の事態を免れるための策を講じねばならない。最悪の事態、すなわち隣国との間柄が微妙な状態にあって、国家の異変動揺を悟られ、侵攻されてはならない。

 ――そうだとすれば。

 王女は棚から出して積み上げた資料をそのままに、廊下に飛び出て商務省のある棟へ走った。上階は城の者の行き来が多いので、廊を走るなら地下である。階段を駆け下り、昼でも少し肌寒い石造りの壁の間を抜けて行く。

 そのまま省へ直行するつもりだったが、ちょうど城の中心に来たところでふと思い至り、足先を左手の部屋へ向けた。速度を緩め、小さな扉の中へ半歩だけ踏み入れる。

 照明の明るい廊下とは打って変わって、一気に視界が暗くなる。急な変化に目を細め、部屋の奥の壁を見つめた。

 そこには、静かにきらめく細い流れが石の裂け目より出でていた。

 水流は壁を伝ってくだり、透き通る水面とぶつかる。水は部屋の中に平らかに広がり、入り口近くに作られた木組みの足場の真下から、再び地下に潜っている。

 古来伝わるこの国の宝であり、いわば時計台と並ぶ、もう一つの神秘。

 この流れまでも一緒に止まることが王女と大臣のもう一つの懸念だった。不幸中の幸いか、少なくとも現時点でこの流れは止まっていない。 

 王女は廊に戻り、商務省へ向かって再び走る。民をどうにかしなければ。

 ――ともかく、何か言い訳。

 商務省の棚から市場出店登録簿を取り出す。明日からは連休のため市場は閉場。翌営業日まで宿泊する国外の業者は事前に届け出が義務付けられている。しかし連休の宿泊代より帰ったほうが安いのだろう。幸い本日の逗留者はない。連休明けの出店予定者は今日と被っている。運が良い。

 登録簿を急いで棚へ戻し、今度は厩舎へ走る。お忍びならば軽装に着替えて走って行ったほうが手っ取り早くて楽なのだが、今回ばかりは王女として行かねばならない。

 ——ああもう、体面を整えなきゃ人の前にも立てないなんて不自由極まりないわ。

 表向きの形を整えるせいで仕事も遅れるとしたら、それは果たして正しい王家の姿と言えるのかしら、と王女は舌打ちをする。

 厩舎の手前の守衛所で馴染みの若い衛士を見つけた。これまた運が良い。ここで捕まえられるのが頭の固い年配の衛士だったら、城内への伝達はどうしただの、代わりに他の官僚を行かせてはだのと小言が待っていよう。そんなものに付き合う暇はない。

「ごめん、休憩中悪いのだけれど、市場に行くの。連れていってくれない? 馬車でなくて構わないわ。ただ、公儀用の馬でお願い」

「姫様、何か急な伝達ですか? 姫様の馬ならいまちょうど風邪ひいちゃってて殿下のしかここにはいませんが」

「お兄様のならなおのこといいわ。市場の閉場までに着かないと!」

 正確には、市場閉場の準備をきっかけに時計台の異常が特に国外の者に気付かれ、災禍の火種になる前にを実行に移さなければ。

 承知しました、と複数いる兄の馬の中でも毛並み美しく駿馬と評判の高い白馬に寄り、衛士は馬具をつけ始める。王女もすぐに手を貸した。二人乗りのため、王女の愛馬である小柄な一頭よりがっしりとした兄の馬のほうが好都合だ。

「飛ばしますよ。しっかりお掴まりになっていて下さいね」

 了解、と王女が馬上に飛び上がると、衛士は即座に馬を城門へ走らせた。守衛所で大臣への言付けを頼み、門を抜ける。衛士のかけ声とともに白馬は速度を上げ、参道を城から南に位置する市場へ向かって馳せる。王女の普段の感覚から考えると、そこまでの時間は経っていないはずだ。まだ間に合う。

 秋にしか見られぬ、黄金色に染まり上がった歩道は眩しいくらいの美しさだったが、それに気を向ける余裕すらない。

 王女を乗せて、馬の蹄は足元の黄金を蹴散らしていく。

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