第12話 顔のある小説を書こう
――文体は小説の顔である。
魅力的と感じる文体を備えた小説はおもしろそうに見えるし、不細工に思える文体の小説は読む前からつまらなそうと決めつけてしまいがち。
実際には、つまらなさそうに思えた小説がとてもおもしろかったり、逆におもしろそうだった小説がまったくおもしろくなかったりすることはよくあることです。
それでも人は、「おもしろそうだから」といってその小説を手にとるわけですから、小説の見た目――文体は大切だといえるでしょう。
『文体』と私は一言で片付けてしまっていますが、なにが文体なのか? なにをもって文体というのか? というのはとても難しいので、具体的な例をあげることにします。
ここにふたつの文章を上げます。
ひとつめは、『わたしの欠片』
https://kakuyomu.jp/works/1177354054889685211/episodes/1177354054889685470
ふたつめは、『紅蜻蛉(あかとんぼ)』
https://kakuyomu.jp/works/1177354054886658579/episodes/1177354054886658634
ふたつとも、カクヨムに上げている私の過去作です。見る見ないは自由ですが、見たほうがピンとくる話が以下に続きます。
ふたつの小説はジャンルが違います。
『わたしの欠片』は学園物。『紅蜻蛉』は時代小説です(まったく読者がかぶりそうにありません)。
私の場合、特定のジャンルが好きでそのジャンルの小説ばかり書くというよりは、「おもしろそうだな」「自分で書いてみたらどんな小説になるんだろう」と、色々なジャンルに手を出して書くということをしがちです。とにかく自分にどんなことができるのか(また、できないのか)興味があるんですね。
ジャンルの違いはまず文体に表れます。
今日こそ、書きはじめなければならない。わたしは文芸部へ急いでいた。(わたしの欠片)
遠くで神鳴りがすると思ううちに虫の声が聞こえなくなった。雨が降り出したようだ。(紅蜻蛉)
それぞれの書き出し部分を抜き出してみました。ちょっと違いますね。
もう一つ抜き出してみます――
「グッジョブ、莉奈。でも、ストーブなんてウチの部室にあったっけ」(わたしの欠片)
「訳あって刀柳斎どのを探している。ご存知のことがあれば、多少なりとも教示願いたい」(紅蜻蛉)
会話文です。どちらも主人公が相手に質問をしている部分ですが、ずいぶんちがいます。
小説には、ジャンルに応じた「ふさわしい文体」というのがある――ラノベにはラノベの、時代小説には時代小説の、純文学には純文学の(?)――というささやかな例として挙げました。
ジャンルと文体が、互いに互いを選びあっているというのは、小説の不自由のひとつですが、実際に小説を書き始めると、これを意識しないわけにはいきません。
小説を書く、そして書いた小説を読んでもらうということは、結局「自分のことを記述する」、「自分のことを知ってもらう」ということに通じていると私には思えます。皆、自分にふさわしいと感じる文体(ジャンル)を選んで小説を書いているといえるでしょう。
私のように、色々な文体(ジャンル)を書き分けて落ち着かない人というのは、小説で自分探しをしているといってもいいかもしれません。
なんか、青臭いなあ。
自分でもぴんときませんが、『私の欠片』も『紅蜻蛉』にも、自分探ししている私が書き込まれてるんでしょうね。
そして、そんな小説を読むという行為は、その作家を読むということ、――さらには、その小説に照らし出された自分を、読み手自身が発見する作業なのかなと思ったりします。
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