朋友遠道而來,不好玩 ⑭
「縮地の術ですか」
「いえ……おそらく、身体能力の爆発的な強化。呪文の詠唱などの事前動作無しに任意のタイミングで発動させたとなると、呪符による外部発動法でしょうね」
スミスはG3ライフルを、劉はシグP226を、油断なく構え直し入江の頭部に照準しながら、小声で確認を交わす。
声は落ち着いていた。
意識して落ち着いた声を出すことで自分の動揺を鎮め、周囲にそれを伝播させる技術だ。下士官や将校に必須の技術と言ってよい。
実際のところは、二人の額には冷や汗が浮かんでいる。
すっ、と林が劉の前に出て、入江から劉を守ろうとする。
ファースタンバーグはこの距離なら絶対の自信があったが、入江は彼女をこそもっとも警戒し、少し身をかがめてファースタンバーグから見てホウプネフの陰に隠れるようにしていた。
ジャクスン、ケイティ、瀬里沢は肉塊から目を離せない。
ヘルシング、黛は背後から入江を狙える位置にいたが、入江は彼らにも目を配れる姿勢をとっていた。
一方でホウプネフは、首を絞められたことによる身体の反応──入江の腕を振り払おうとする無意識の動き──を抑え込み、そっと右腰のホルスターに手を伸ばす。
彼女も海兵隊特殊作戦コマンドの一員であるからには、そういう動きが普段の訓練の中で仕込まれていた。
しかし入江はそれに気づくと、拳銃──タイ製らしい、仕上げの荒いコルト1911のデッドコピー──をゆすってカチャカチャ鳴らし、その存在を強調する。
「動くなと言いましたよ……この銃は粗悪品です。ちょっとした動きで発砲してしまうかも」
ねちっこい発音のブリテン語で耳元でささやく入江。
ホウプネフはそれに生理的嫌悪感を覚えたものの、おとなしく両手を肩の高さまで上げた。ドイツ語で罰当たりな言葉をいくつか並べる。
そうした入江のしぐさを、劉はあくまで胡散臭い演技を貫きながら睨みつける。
入江の顔面にこそ、胡散臭い笑みは張り付いたままだった。
「次代の五龍候のおひとりにそのように睨みつけられると、いやはや、やはり恐ろしいものです。頭を予告なしに吹き飛ばされてしまいそうだ」
それから入江は肉塊へ目を向けた。
「いつまで寝ているのです?」
入江が声をかけると、ぴくぴく蠢いていていた肉塊からほのかに立ち上っていた蒸気が渦を巻き、それに巻き上げられた肉塊は見る間にヒトとしての形を取り戻した。
「……すまんな。この体にはいまだ不慣れでな。手間取った」
ぼろを纏ったその男は、低く落ち着いた声で、厳かに宣う。
蓬髪、やせこけた頬、頑健な骨格と、筋張った筋肉。
灰色の瞳には何も映っていない。
その何も映っていない瞳が辺りを見回し、やがてジャクスンと視線が合う。
同時に、洞窟内の温度が急激に低下する。少なくとも、スミスと劉にはそのように感じられた。それはその男の放つ無機質な殺意と、膨大な魔力によるものだった。
「……ラシード・イブン・ナザル。お前、いったい何と混ざりやがった」
ジャクスンは軋るような発音で、彼を殺しかけた男の名を口にした。
ラシード・イブン・ナザルは、秋津洲の陰陽師・
ジャクスンとは会話したことはない。ただ殺し合っただけだ。
しかしそれゆえに、ジャクスンにとって最も忘れがたい人物であった。
「ラシード・イブン・ナザル……それがこの体の要素の一つか」
一方のぼろを纏った男は、何の感慨もわかない様子でその名を口にする。
しばらくジャクスンを見つめる。
二人の間の空気が揺らぎ、ジャクスンは覚悟を決めた。
だが何も起きず、というよりは、その揺らいだ空気は横合いから別の揺らぎに突き崩され、ぼろを纏った男はちらりと劉を見る。
劉は彼を見つめ返す。周囲のよどんでいた空気に、いくつかの流れが生まれ、すぐに消えていく。
ぼろを着た──ナシール・イブン・ナザルによく似た男は、初めて感情らしきものを表した。唇の端を、ごくわずかにゆがめたのだ。
おもむろに、ぼろを纏った男はファースタンバーグに目を向けた。
ぼそり、と口を開く。
「……もっと口径の大きな銃なら危なかった」
それを聞いたファースタンバーグは、入江の前頭部に照準を付けようと試みながら、眉をひそめて舌打ちをした。彼女は.五〇口径ライフルを蛇蝎のごとく忌み嫌っている。
その音を耳にしたぼろを着た男の目が、わずかに細くなった。慈しむような眼。
それから彼は身をかがめ、祭壇の後ろに置かれていたナイロンバッグを持ち上げ、誰にとっても意外なことを口にした。
「逃げるぞ。手詰まりだ」
「なんですって?」
ナシール・イブン・ナザルの外見をした男が肉片から復活し、海兵たちが彼の魔力に気圧されることでいやらしいニヤニヤ笑いを強めていた入江。
彼の笑みは凍り付き、わけがわからないままわけがわからないとわめきたいような表情となる。
それはそうだろう。
圧倒的な再生能力と魔力量と魔術的火力を併せ持つその男こそは、追い付いてきた海兵たち──なかんずく、「アノニマニシスのグール」と深い縁を持つジョニー・ジャクスン──を抹殺する切り札だったからだ。
その彼が逃げるべきだと、手詰まりだと述べている。
訳が分からないのも当然だった。
だが案外にもその男は、理を説いて人を説得する、という得難い性質を持っていた。あるいは妙なところで親切だった、というべきか。
つまり、豆鉄砲で撃たれた鳩のような顔をした入江に、その男はなぜ逃げねばならないか説明してやったのだ。
「その男、ジャクスンといったか。そいつは殺さねばならない。俺の存在を害する者だ。そういう星回り、そういう運命に生きている」
「ですからこの場で」
「だがこの場ではだめだ。そちらの龍の若者、子超に俺の術の起こりを見られた。俺がジャクスンを、あるいは他の誰かを撃とうと術を組んでも、魔力を術に装填する前に、声も出さずに魔力だけでその術を崩してくる。先ほど実際にそうなったし、今もそうなっている」
驚いた入江が劉を見ると、胡散臭い中年男の姿をした龍族の少年は、額から脂汗を流しながらニヤリとしてみせた。
空気の流れは、今や誰の肌にもはっきり感じられる強さになっている。
「ジャクスンをこの場で殺すことができないとは言わん。だが、その次の瞬間にこの体は子超に焼かれ、貴様は銃弾でぼろ雑巾になるだろう。それに、俺の仕事はお前を守り、データを持って帰ることだ。ジャクスンをこの場で殺すことではない」
「千載一遇の機会を見逃せと!?」
「むしろ彼らにこそ、好機となっていることを理解した方が良い。先ほどから子超と俺は互いに術を妨害しあっているが、俺が不利だ。龍とはいえ、若いのによくやる」
ぼろを纏った男の声音は終始落ち着き、平板なものだったが、ごくわずかに喜悦がにじんでいる。
入江が絶句したその時、ホールの入り口から小石が転がる音が響いた。
全員がそちらを見、現れた男たちの姿を確認した時、入江の顔面は明るさに満ち溢れ、ジャクスンやヘルシングの表情からは感情が消えうせた。
表情を崩さなかったのは、ぼろを着た男と、劉こと黒龍太子子超だけ。
新たに表れた影は、グールとなった王虎と、衣服がズタボロになった李の二人。
その李の首筋には大きな噛み傷があり、その目から光は失われていた。
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