「エリザベート・ファースタンバーグ」という生き方 3
ヒルビリーの案内したバーは、宇宙港東通りのとある雑居ビルの一階にあった。
海兵隊の沖縄駐屯地司令部にもほど近い。
カウンターは一〇人掛け、四人掛けの円形テーブルが四つ、ビリヤード台とダーツ機、四~五人編成のバンドが演奏できるステージもある。
終戦記念日、つまりお盆ということで店内はそれほど混んでもおらず、秋津洲人──会話から
明るすぎない照明、落ち着いた雰囲気のBGM、しみついたバーボンと煙草の香り、年季の入った調度品。
ヒルビリーは沖縄配置になるたびにここにきているらしく、地元人の従業員や先客たちとも顔なじみだった。
彼は極めてスマートにジャクスンやスミス、ロレンツォを先客たちに紹介した。
「へぇ、じゃあ君があの噂のジェリー・ビーンズか」
「例の論文は俺も読んだよ。各地のグール伝承とアノニのグールの系統比較。呪術の心得もないのによく書けたなぁ。細部は間違えているが、大筋は良かった。特にアノニの派閥によって系統分岐してることを証明したのはとても良かった」
「いやぁそれほどでもぉ……」
「あんまりこいつ褒めんでください、少佐殿、大佐殿」
「マジつけあがるんで自分らも苦労してるんですよ」
飛行徽章をつけた秋津洲海軍の少佐と、衛生徽章をつけた合衆国海軍の大佐が真っ先にジャクスン達を受け入れる。彼らはヒルビリーの連れてきた海兵たちを、仲間に紹介した。
どうやらつまはじきにはされずに済みそうだ。
空軍や海軍、JAXAのパイロットや管制官が主要な客層のこの店では、海兵隊や陸戦隊は好かれない。なんとなくの縄張り意識というものがある。
それでもヒルビリーは少尉になりたてのころからするりと入り込み、なんやかやと顔と名前を知られるようになっていた。本土やイラク、アフガニスタンでも同じようにしていたから、いまだ大尉にすぎない海兵隊歩兵将校、トッド・ヒルビリーを知る者は多い。
そうすると一般的な反応としては、ヒルビリーが軍での成り上がりを目指して活動しているな、と捉えられる。それはたまさか事実でもあったし、となれば彼を毛嫌いし、追い落とそうとするものが現れるのが普通だ。ヒルビリー家はその名の通り
ところがこの男、大学時代の失恋を拗らせて自分を鍛えなおすと兵隊に兵隊として志願したトッド・ヒルビリーは、ここへきて元からの育ちと愛嬌の良さを活用し、彼をやっかむ者たちとも重大な対立にならないように立ち回ったのである。スパイかどうかを疑った憲兵の取り調べを受けさえしたが、その事実を身の潔白に逆用するというから末恐ろしい。
こうなってくるとかえって「四軍や秋津洲軍とも顔が利いて実戦経験も豊富、出身校のコネも使える若手将校がいるぞ」と便利扱いされ始めるわけで、つまりはトッド・ヒルビリー、海兵隊歩兵大尉、通称アイスマン、十八世紀末に入植したどうということはない移民の末裔の成金は、軍でのエリートコースに乗ったわけである。
カウンターに座ったヒルビリーは、先客たちにジャクスンたちが受け入れられるのを見届けると、背後を振り返った。
そちらの丸テーブルでは二人の黒エルフの女たち──いや一人は性同一障害だ──が居心地悪そうに向かい合って座っている。
「あれどうしたの、トッドちゃんよ」
先客の一人である吸血鬼の空軍中佐が、横に座って尋ねてくる。
黒エルフたちが珍しいのも無理はない。
ヨーロッパから脱出した黒エルフの多くはユダヤ人たちの一部とともに合衆国に移民してきたが、そのほとんどは森の奥に隠れてひっそりと過ごしているからだ。
「地元つながりの腐れ縁、ていうか、宗家と分家の親戚筋の付き合いで、同い年なんだとか。階級抜きで二人だけの話がしたいらしくて。でも
「なるほど、そりゃしゃあない」
まぁこっちはこっちで飲もうと中佐は言い、トッドはご相伴にあずかることにした。
心配はなかった。
ホウプネフはなかなか辛抱強い──でなければ海兵隊将校にはなれない──し、なにより、先輩たちにあれこれ質問攻めにされているジャクスンがそれでもファースタンバーグたちのほうに聞き耳を立てているのを知っていたからだ。
◇
薄暗い店内の片隅の、丸テーブルに向かい合って座る二人の黒エルフ。
背筋を伸ばして座っているのはふたりとも同じ、身長も肩幅も似たようなものだ。
違うのは体の丸みと髪の長さ、二人のたたずまいと服装だろうか。
ファースタンバーグのほうが突き出るところは突き出て丸いところは丸く、長い髪をポニーテールにし、男物の服を着て、やや乱暴な雰囲気を醸し出している。
いっぽうでホウプネフはもう少しほっそりして、凹凸が少なく、ファースタンバーグと同じような黒髪をショートカットにして、パンツスタイルだが女性らしい装いで、典雅な雰囲気を顕していた。
どちらも恐ろしく美人で、それが互いに無言で睨み合っているものだから、傍目にも近寄りがたい。
「で? なんだよ。用が無いなら俺ァ帰るぜ」
五分ほども睨み合ってから、エリザベート・ファースタンバーグは腕を組み背もたれに体重を預けながらそう言った。
低く、小さく、剣呑な声。殺気すら滲んでいる。
「……確かに階級抜きでとは言いましたけど、遠慮がありませんのね」
口調自体は上品ではあるが、ジョー・ホウプネフもまた剣呑な声音で返答した。
ヒルビリーがそうあれかしと望んだ通り、抑制的な態度でもある。
しかし。
「お変わりなさそうで誠に重畳。ところであなた、海兵やめて郷にお戻りになりなさいな」
さらりと嫌味を口にし、乱暴に本題を持ち出すあたりはさすがファースタンバーグの親戚筋というべきか。
「もちろんあなた一人でとは申しませんわ。あなたの御婚約者のジャクスンさまもご一緒にどうぞ」
「……は?」
けげんな表情で声を漏らしたファースタンバーグは、我に返るとホウプネフに食って掛かった。小声ではあったし姿勢も崩さなかったから、それなりに世間体は慮ったらしいが。
「何を言ってやがる。それをお前が言うのか? 俺を追い出しにかかったホウプネフ家のお前が!? ジョニーを汚れた蛆虫呼ばわりしたお前たちが!?」
「なんなら父をここに呼び寄せて、正式に謝罪させてもよろしくてよ」
すました態度のホウプネフに、ファースタンバーグは激発しかける。
「テメェ……!」
「私が代わりに謝罪しても意味はございませんでしょう? それに私があなたの側に立っていたのは覚えてらっしゃるはず。忘れたとは言わせませんわ」
冷たい声とともにぎろり、とホウプネフが睨みつけると、ファースタンバーグは途端にしおしおと勢いを失った。痛いところを突かれたらしい。
これには横目で二人を盗み見ていた男どもも、小さくほぉと感心した声を漏らす。
激昂したファースタンバーグを抑えることができるのは、ジャクスンと中佐閣下、あとは数名の知り合いしかいないとされていたからだ。
「本当にお変わりありませんのね。ヴィクトリア姉さまと私がどれだけあなたを庇ってきたかお判りでしょう? 今ではジャクスンさまと閣下に頼り切ってらっしゃるみたいですけれど、いい加減にしてくださいまし。ジャクスンさまは軍では一介の下士官にすぎませんし、閣下だってそんなに何度も何度もお助けできるわけがないでしょう。それに私と父は同一ではありませんのよ。お気持ちはわかりますけれど、こちらだって腹も立ちます」
ホウプネフは一気にそれだけ捲し立てると、バーボンの水割りを胃に流し込む。
顔をしかめると、今度はバランタインの十二年をロックで頼んだ。
本当に腹を立てているようだ。
「皆さんバーボンがお好きですけれど、どうにも解せませんわね」
「……何を飲むかより、誰と飲むかだと思うな……」
ホウプネフのいらだちに、ファースタンバーグはやや幼い口調で、つい口出ししてしまう。
ホウプネフは盛大な溜息。
「……そういうところですわよ、エリザベートさん」
バランタインを一気に開け、今度はオーバーン三十二年をショットで二杯頼む。
二〇〇一年に六〇〇〇本だけ発売されたそれはプレミア価格が付き、ショットグラス一杯でも軽く三百ドルはする。
さすがに男どもがぎょっとするが、頼んだ本人は平気の平左。
ホウプネフは、テーブルに届いたグラスの片方をファースタンバーグに押し出した。
「ヴィクトリア姉さまも、御父上も、あなたにはお知らせしていないでしょうから、私がお伝えします。ミッチェルが戦死しました。陸軍第二機甲旅団偵察中隊。これで郷の四八年生まれは、私とあなたの二人だけ。大戦後の生まれはもう三人も減りました。あなたが郷のみんなを恨んでいるのはわかっております。ミッチェルにはあなたも私もひどく手を焼かされましたし。でも、せめて献杯ぐらいは」
ファースタンバーグは逡巡し、だが、確かにグラスを手に取った。
「森に帰れぬ子らのために」
二人はそう唱和するとグラスを目の高さに掲げ、暫時黙祷し、それから同時にグラスの中を空にした。
酒に弱いファースタンバーグはそれだけで目を回し始めた。
ホウプネフは視線と声音を柔らかくする。
「エリザベートさん、森に帰りなさい云々は父が伝えよと言ったまでのこと。年を取ってから権力に色目が出た老人の繰り言など、無視してくださいませ。ただ、私が伺いたいことは、別にあります」
それから呼び寄せたジャクスンに目配せし、ファースタンバーグを支えさせる。
もうかなり柔らかくなっていた。
「エリザベートさん。あなたがよくある男の子になりたい病ではなく、本当の性同一障害であることは私もよく理解しているつもりです。でもほかの人たちは、どうしたってあなたを女性としてしか見れませんわ。たぶんそれはジャクスンさまも同じこと……それでもあなたは幸せなの?」
ファースタンバーグはジャクスンが差し出した水のグラスに二口ほど口をつけ、多少背筋を伸ばそうと努力し──なんとかホウプネフの目をまっすぐに見た。
「そうだな……正直、女の体は持てあましてる。生理のたびに頭痛と違和感がすごくて死にそうになるし、走るだけで乳がちぎれそうになって痛くてかなわんし。尻もでかいくせに、男連中には筋力で全然かなわない。ついていけてるのは、俺がそこそこガタイがいいことと、ジョニーが引っ張ってくれてるからだ」
それからもう一口、水を飲む。
軽くあえいで、続きの言葉を。
「それでも俺は……この体のままでいい。この長い髪でいい。母さんが俺に残してくれた、最初で最後の思い出だから……それに」
言葉を切るファースタンバーグに、ホウプネフは先を促すようにうなづいた。
「性転換したらジョニーの子供を産めなくなる。この権利だけは、手放せないね」
ファースタンバーグはそう言ってニヤリとすると、意識を手放してしまった。
肌の色が赤黒くなっているのは、何もアルコールの影響だけではなかろう。
「……最後にとんでもない惚気をかまされましたわね」
ホウプネフはため息交じりに呆れた声で感想を述べた。
頬杖をついてジャクスンを見上げる。
ジャクスンは恥ずかしいような、困ったような顔をしている。
肌はちかちかと虹色に瞬いて、まるでクリスマスの電飾だ。
「ジャクスンさま。それではあとはお任せしますが、明日の夕方にもう一度エリザベートさんとお話ししたいの。お伝えくださる?」
「はい、もちろん。ですがその、良いのですか」
ジャクスンの戸惑った声に、ホウプネフは涼しい顔で見事に答えてみせる。
「海兵をやめてほしいってこと? それはもちろん私の本心でもあります。でもこの子、やるといい始めたら何を言っても聞きゃあしませんのよ。今さら何を言ったところで無駄ですわ。それに、あなたと同じで、この子は海兵ぐらいしか心地のいい場所がありません。せいぜいお気を付けて、お二人ともご無事でいてくださいまし」
ジャクスンは神妙な顔をしてうなづいた。
まったく、女という生き物にはかなわないな、と思っている。
「はい! それでは今日の私の用事はおしまいです! お騒がせして申し訳ありませんでしたわ、皆様がた! ここは私のおごりとさせていただきます! 先日株で大当たりしましたのでご心配なく!!」
ホウプネフの宣言に男たちはおお、と歓声を上げ、それからジャクスンを手伝ってファースタンバーグを背負わせた。
スライム男の背中でむにゃむにゃ言う彼女の寝顔は、確かに幸せそのものだった。
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