不思議の国の海兵隊⑥

 オノデラのもたらした情報はあまりに膨大かつ核心的であり、確かに彼女たちの投降を受け入れて損はないものだった。

 共通の思想、共通の戦術、共通の教化ノウハウ、あるいは派閥ごとの違い、蜂起初期から現在に至るまでの戦略の変化、大派閥とその分派など、内容は実に幅広い。

 なかでも意義が大きかったのは、六月大攻勢に呼応しなかった西北部の小さな派閥が、信徒を引き連れプッツリと姿をくらましたという情報だった。

 これはCIAやDIAはおろか、東方教会奇譚収集部、MI6、ISI、統参情報部別室にその他諸々、ともかくいずれの情報機関も掴んでいない情報だったから、あちこちで担当者の悲鳴と怒号が上がり、官僚たちの混乱が生じた。


 少佐はそういったものを見聞きすると満足気に微笑を浮かべるのが常だったが、今回ばかりはそんな余裕はなかった。

 なにしろ当事者どころか、その混乱を引き起こした張本人である。

 事情が事情であるから真っ先に議会と司法長官に話を通し、ついで大魔王にも許可を取ったまでは良かったが、いくらなんでも越権行為にもほどがある。できるからと言ってしてよいことではない。法治主義に背いてしまう。

 降格や更迭は免れたが、作戦終了後即座に帰国させられ、あちらこちらの査問会や聴聞会で引っ張りだことなった。


 それは当然ながらパーキンスとオノデラも同様で、彼らは厳重な護衛を付けられた上で疾病予防管理センターCDCP4最重要隔離施設に寝泊まりしながら、アクリルガラス越しにあれこれと聴取されたり尋問されたりした。


 二ヶ月後の十一月半ば、こちらの世界で対処できない病原菌やウィルス疾病、遅効性呪術のたぐいが無いことを確認された二人は、ようやくCDCから開放された。

 パーキンスは新たな社会保障番号と兵籍番号を受領し、市民権を与えられ、正式に合衆国民かつ合衆国軍人として認められた。

 オノデラは連邦裁判所の秘密法廷で結審を受けた──司法取引は成立し、彼女は新たな身分と経歴、顔を手に入れ、パーキンスや自分の信徒たちと別れた。

 別れの言葉はなかった。

 それはそういうのものだし、そういうルールだったからパーキンスには文句はなかった。

  

 けれど、自分がオノデラたちの希望というのは、どういう意味だったのか。

 それをもう一度聞きたかったのは、事実だった。



 翌年三月、再訓練を終えたパーキンスはMARSOC第三襲撃大隊に配置された。

 第二襲撃大隊からはあの少佐も抜けていて、別の支援大隊の編制作業で忙しいらしい。

 第三襲撃大隊の活動範囲はアジア。

 沖縄やグアムとキャンプ・ペンデルトンを行ったり来たりする生活が始まった。

 訓練と任務で忙しくする間に、たまにはかつての仲間のことを思い出し、物思いに沈むこともあったが、仲間たちの墓はこちらの政府が建ててくれたから、少しは救われたような気がした。

 第三襲撃大隊にパーキンスのことを知る者はいなかったが、チームの皆はパーキンスの来歴を聞いても「まぁまれによくある話だし」と、取り立てて大きな興味は払わなかった。

 心地よい孤立。

 パーキンスにもたらされたものはそれであった。

 だからと言って仲間のために命を投げ出すことに、パーキンスに躊躇はなかった。

 それは彼の「現場での勤務態度」よくに表れていたから、彼はすぐに第三襲撃大隊の面々から何かと頼りにされるようになった。

 もちろん気の置けない友人もパーキンスは獲得していた。そのうちの一人は、あのSARチームのワッツ曹長だった。彼とはメールでしょっちゅうやり取りし、女のことや住宅ローンのこと、将来についてよく話し合った。


 さらにもう一年後の、二〇一〇年八月のころ。

 東南アジア某国での麻薬対処作戦を終えて沖縄に帰還したパーキンスは、いつものようにチームメンバー達と北谷町のカレーショップに出かけた。

 食べ慣れた味とは微妙に違っていたが嫌いになるほどの違いはなく、これはこれで奥深いものだと、パーキンスはしみじみ感心しながら食べていた。

 そうやってゆっくりかみしめながら食べるパーキンスをチームメンバーはいつもからかっていたが、その日はちょっと違うことが起こった。

 後から入ってきた民間人連れの騒々しい海兵の一団に、見覚えのあるものが何人か混じっていたのだ。


「あれ? パーキンス大尉殿? お久しぶりです!」


 と敬礼してきたのは、あの凄腕衛生兵のジャクスン三等軍曹。目つきのきついファースタンバーグ伍長も、ビシッと格好良く敬礼をしてきた。

 二人は新編成った特設衛生大隊として、他の仲間とともに、沖縄に訓練に来たのだそうだ。大隊長はあの紫肌の少佐殿だが、逆に現場に出れなくなってぶぅ垂れているのだとか。

 やぁやぁ懐かしいなと挨拶を交わし、互いのチームメンバーを紹介しあい、ついでにジャクスンたちが連れていた二人の民間人にも挨拶する。


 一人は背の低いサキュバスで、今は海兵を休業して大学生をしているアイシャ・ラミレス。海兵での階級は二等軍曹で、偵察狙撃技能MOS0317持ち。とてもそうは見えない。

 ショートカットのピンクのくせっ毛、蝙蝠羽、海兵隊のクソダサ出生制限メガネにでっかい胸にでっかい尻。

 しかし彼女はぴしりと小気味好い動作で敬礼してみせた。イラクにも従軍し、ジャクスンとファースタンバーグと一緒に行動していたそうだ。彼女はファースタンバーグともう一人の民間人の女の子と腕を組んで、大きな大きな笑顔をみせていた。


 もう一人の女の子はラミレスの一学年下で、秋津島からの留学生。ラミレスと同じくイェール大学医学部生で、ラミレスより少し背が高く、長く美しい黒髪で、全体的に肉付きが薄い。なんというか、儚い印象。名をヨウコ・アサクラといった。

 二人はちょうど夏休みで、ジャクスンたちが沖縄配属になるのにタイミングを合わせて、旅行にきたそうだ。


 パーキンスはアサクラの目と声に、覚えが有るような気がした。



 アサクラはパーキンスと同じように、ゆっくりかみしめながらカレーを食む。

 その様子があまりにパーキンスとそっくりで、周囲の仲間たちはパーキンスを冷やかした。

 それで気になったわけではないが、彼女が食べ終わったころを見計らって声をかけようとしたところ、逆にジャクスンから声を掛けられた。


「アサクラの占いはちょっとすごいですよ」


 とピンク色の肌をしたスライムが言っている横でアサクラは、同心円が幾つか描かれた布と、色とりどりの小石をテーブルの上に取り出していた。

 アサクラはそれを、子供の頃に中東系の老婆に教えられたそうだ。


「何を占います?」

「さてな。迂闊なことを聞くと死亡フラグが立ちそうだ」


 勧められるままにアサクラの前に座るパーキンス。彼を見つめるアサクラの視線には、探るようなものがあった。

 アサクラの横にはラミレスがぴったりくっついて座り、気ぜわしげな視線をアサクラに向ける。


 いや、違うな、とパーキンスは思い直す。

 この視線、やはりどこかで覚えがある。

 数年前、アフガニスタンで。


「そうだな……何年か前に生き別れた人が居る。女性で、君と同じ日系……秋津洲人だ。年も多分同じくらい。また会えるかな?」


 アサクラは視線を和らげ、微笑んだ。

 小石を手に取り、同心円に向かってこぼす。


「……難しいですね」

「どうして?」

「だって、彼女はもう昔の彼女ではないから」


 アサクラは困ったような顔をする。

 パーキンスは、それもそうだ、とつぶやいた。


「俺はその子に聞きたいことがあったんだ。つまり……俺がその子たちの希望だっていうのは、どういう意味だったのかなって」


 アサクラは眉をひょいと上げてパーキンスの目を見た。

 

「……その方、ほかになんておっしゃってました?」

「芯のある生き方をしているって。ほかの世界から飛ばされてきて、身寄りもないのに海兵をしているのは、そういうことじゃないかって。けど」

「だけど?」


 パーキンスは頬を利き手の人差し指で搔いた。

 照れくさそう、ではない。

 釈然としていない顔だった。


「俺が海兵をしているのは、ただの執着なんじゃないかってさ。他に何ができるわけでもないし」


 そういうとパーキンスの連れたちが彼の背中を叩いて騒ぎ立てた。


「そりゃないっすよ大尉殿」「ボスみたいな海兵、私は見たことないですよ」「あんたみたいな海兵に率いられることが、俺たちどんなに誇らしいことか!」


 ほかにもがちゃがちゃ。

 うるさいよお前らとパーキンスは仲間をたしなめ、アサクラは少し呆れたように──温かいものを見るかのように、彼を見た。


「まさにこういうことですよ、大尉。あなたは仲間の皆さんに敬意と友情を捧げ、それを当然のものとし、ときどき自分はちゃんとやれているか確認したくなる。でも自分を見失うことはない。……心の帰る場所があるから」


 いわれてパーキンスは居心地悪そうに、椅子の上で尻をもぞもぞと動かした。

 チームの仲間たちが彼の肩や背中を叩いて囃し立てる。


「けど、彼女にはそれがなかった。そしてあなたが来ると判ったときに、あなたのそういうところがとてもうらやましく思えたの。──ああ、だからきっと彼女はこう言いなおすべきだわ」


 アサクラはコップの水で唇を湿らせ、パーキンスの目をやさしく覗き込んだ。


「心の帰る場所のある、あなたに憧れたのよ」



 少々長居しすぎたと、みんな揃ってカレーショップを後にする。

 ジャクスンたちは休みに入りたてで、夏の沖縄を満喫するようだ。

 残念ながらパーキンスたちは明日から再訓練、もうそろそろ駐屯地キャンプに戻らねばならない。

 それじゃあまた、と別れるときに、パーキンスはふと思い立ってアサクラに聞いてみた。


「そういえば、例の彼女。どうして俺があそこに来るってわかったんだろう。君にはわかるかい?」


 アサクラは意味ありげに目を細めて答える。


「そんなの簡単ですよ」

「なに?」

「占いで」


 それでようやくアサクラは子供のように朗らかに笑い、ラミレスと腕を組んで立ち去った。


「いいんですか、ボス? あの子、ボスの好みでしょ」


 パーキンスの背後から、チームで弟扱いしている新人の伍長が尋ねてきた。


「馬鹿言え、あんな乳臭いガキ。それに」

「それに?」

「彼女にも帰る場所ができたんだ。俺が心配するようなことは、もうないな」


 伍長は訳が分からないといった顔をする。

 去り行く一行のうち、ラミレスが振り向いて笑って肩をすくませた。

 そういえばサキュバスには隠し事はできないそうだが、とパーキンスは思い出し、あの哀れなオノデラ、今は幸せなアサクラの、これからの人生に幸多からんことを、祈った。


 パーキンスはその後、二〇一九年の秋津洲奪還戦争で重傷を負うまで、前線に立ち続けた。

 傷病除隊は二〇二二年、最終階級は中佐。

 除隊後はニューヨークに移住し、ワッツ曹長の親類の女性と結婚。

 退役後数年かけて自伝を出版し、そこそこの名声を得ることとなる。

 その自伝のタイトルは──。

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