不思議の国の海兵隊⑤

 廃村の小さな家。

 周囲の家は銃砲弾で打ち崩されていたが、そのひっそりとした家だけは、何事もなかったのかのように静かに荒野にたたずんでいる。

 家の中には部屋が一つきり。

 板間に砂にまみれた絨毯が敷かれているだけだ。

 部屋はすでにMARSOC隊員の手によってクリーニングされており、トラップの類が無いことは確認されていた。


 オノデラは円座を拾ってバンバンと叩き、少佐とパーキンスに手渡した。

 自分も円座を叩いてホコリを落としてから、そのへんに適当に座る。

 少佐はあごをしゃくって、MARSOC隊員たちを退出させた。

 出ていこうとしたワーウルフの大尉に、ジャクスン三等軍曹とファースタンバーグ伍長を呼ぶよう伝える。二人はすぐに顔を出した。

 オノデラが怪訝そうな顔をすると、少佐は有無を言わせない態度で言う。


「二〇〇三年カンダハール、二〇〇六年モスル、そして今年の六月大攻勢。全てに立ち会い、全て生き残ってきた二人だ。聞く権利はあると思うが?」

「ああ、噂のジェリー・ビーンズってそっちの彼だったんだ。じゃあ、いいですよ」


 オノデラが感心した顔つきでジャクスン三等軍曹にお辞儀をすると、彼も釣られてぎこちなくお辞儀した。一瞬、妙な空気が流れる。


「それで、俺に話したいことって、なんだ?」


 パーキンスがジャクスン三等軍曹からミネラルウォーターを受け取りながら尋ねると、オノデラは彼の目を見据えた。


「パーキンスさん、九五年の地下鉄サリン事件は知ってる?」

「ああ。アナポリスでも大きな話題になったよ」

「日本に配属になったことはある?」

武装偵察隊フォース・リーコンに配属になったときに、沖縄へ」

「そのころ、ボンボンカレーには月何回通った?」

「そんなとこあったか? 俺が行ったのは名護と北谷のココイチだ。まぁ、休みはそんなになかったけど、それでも一〇回ぐらいは行ったかな。MARSOC勤務になってからも、沖縄に配属されるたびに行ってるよ」

「吉牛は?」

「ああ、あそこも美味いな! キャンプ・ペンデルトンに戻ってもしょっちゅう行ってるよ。それが?」

「ちょっとした確認です」


 パーキンスが首を傾げると、オノデラは少佐を見た。

 少佐は訳が分からないという顔をしていた。


「パーキンスさん。こっちにはココイチっていうカレーチェーンはないんですよ。吉牛も」


 少佐はなるほどそういう確認方法もあったか、とつぶやく。

 パーキンスは目を見開いた。不思議な雰囲気を持つ女だとは思ったが、自分以外にも異なる宇宙からの来訪者がいるとは、思ってもいなかった。

 オノデラは寂しそうな表情を浮かべ、パーキンスに向き直る。


「ありがとう、大尉。貴方は私達の救いだわ」

「それは、どういう」


 パーキンスの問いかけを無視し、オノデラは再び少佐に視線を向ける。


「少佐。私は、私の証言による司法取引を望みます。信徒たちの開放と、希望者には貴方の国への移民を。もちろん私も」


 少佐は眉をひそめる。


「私の権限は限られている。司法省に問い合わせる必要がある。当然時間はかかる」


 オノデラは初めて笑顔を見せた。凄惨な微笑。

 その横顔を見たパーキンスは、背中に氷柱を入れられたような怖気を覚えた。


「嘘ばっかり。知っていますよ。貴方は本来なら何度も大魔王に成れている。今だって、その気になれば現職大魔王の首を取ることなど造作もない。それどころか、バチカンの守護天使たちを焚き付けて世界大戦を起こすことだって」

「お前、消えてなくなりたいらしいな?」


 終始にこやかだった少佐の雰囲気が、突如暗転・・した。

 肉食獣に睨まれた? そんなレベルではない。

 何か理解できない恐ろしいものがそこに居た。オノデラの凄みなど雲散霧消した。

 パーキンスは足元が崩れ、真っ暗な大穴に吸い込まれるような感覚を覚えた。

 それは彼だけではなく周りの全員がそうだったようで、バート上級曹長ですら盛大に冷や汗をかいている。

 ジャクスン三等軍曹とファースタンバーグ伍長は腰を抜かして、その場にへたり込んでいる。漏らさなかっただけ褒めてやるべきだろう。

 しかしオノデラは、少佐の視線を正面から捉えてたじろぎもしない。

 どころか挑むように姿勢を改める。

 しばらくオノデラと睨み合った少佐は全く悪魔のような、実際人を頭から食ったとてなんとも思わないような。つまりは人が自分の血を吸った蚊を叩き潰したような顔つきで、目を逸らさないまま言い放った。


「フン。ちょっと地獄の一丁目を覗いたぐらいで、賢しらに。まぁいい。バート、私はこいつのクソ生意気な態度が気に入った。あとでアスタロト姉さまとマクメイヤー司法長官に一報入れるから、手配しとけ。おいオノデラ」


 オノデラは目を逸らさない。


「はい」

「貴様、もしつまらん話だったらどうなるかわかってるんだろうな? お前の言うとおりの権力を私が握っているなら、貴様らは全員グールとして駆除されて、それで全ておしまいになるんだぞ」

「いいえ、少佐ドノ。そうはならない、絶対に」


 少佐は鼻を鳴らすと、バート上級曹長にあごをしゃくった。

 上級曹長がジャクスン三等軍曹とファースタンバーグ伍長に気合を入れ、パーキンスとオノデラの盾になる位置につかせる。

 パーキンスを自分の正面に座らせたオノデラは、とつとつと喋り始めた。

 声に抑揚は少なく、ともかくも聞いてほしいという態度で、なにかに救いを求めるように。



 私は貴方に今日この場で出会うことを知っていた。

 貴方に会ったことはない。

 だが我が信徒を捕らえ見張る貴方は、ひと目で貴方だとわかった。

 貴方はこの宇宙ではない、よく似た別の宇宙からやってきた。

 私にはそれが分かる。

 なぜなら私もそうだから。


 私は九六年、父親に連れられてロシア旅行中に、交通事故で死んだ。

 そのはずだった。

 目覚めると横転してめちゃくちゃになったはずのバスの中で、やたらくたびれた人たちと一緒になっていた。

 父の姿はない。

 周りの人たちと話すと、そのバスの乗客は、あの地下鉄毒ガステロを行ったカルト教団のメンバーで、日本から逃れてきたのだとわかった。

 それはこちらの世界の私も同じだったようだ。


 私は教団で活動していたときの記憶を持たなかったけど、なんとかうまく周囲に言動を合わせようとした。

 私がこちらの私ではないと知れてしまったら、何をされるかわからなかったから。

 でもそんなものは全然意味がなくて、すぐに私が私ではないとバレてしまった。

 そこから色んなことが、ほんとうんクソみたいな色んなことがあったけど、最終的に私の存在が今のアノニマニシスの教義の源流になったのは間違いない。

 ここの他にも宇宙がある。ただしい宇宙が。そしてきっとこの宇宙は間違いだ。なぜなら正しい我々が失敗して、逃げ出さねばならないのだから。

 でも私の宇宙も間違いだ。なぜなら私の宇宙でも彼らのテロは為されて、彼らは警察と公安に追われることになったのだから

 けれど、けれどだ。

 宇宙がこちらとあちら、その二つだけだとなぜ分かる?

 結論。

 どこか別の正しい宇宙に辿り着くその日まで、我々は修行を行い、多くの命も連れて行かねばならない。助けねばならない。救わなければならない。迷える衆中を導かねばならない。

 それは奇しくも、教団のもとの教義からそんなに遠くはなかった。


 教団はロシア国内を転々としながら、その結論を得るまでに丸一年を費やした。

 その間に、最初は五〇人ほども居た「同志」は十五人まで減っていた。

 減った理由は聞かないで。どこにでもある内ゲバだもの。

 むしろ私達こそが元の教団の中での異端になっていた。

 それでいよいよその日の食事にも事欠く有様になってから、誰かが言いだした。

 この教えを広めるにはどこに行けばいいだろう、って。

 そのときアイツが現れたんだ。

 ニヤニヤといやらしく笑う秋津島人が。



「そのあとはまぁ、そいつの支援のもと、教義と布教方法と体調を整えながらアフガニスタンに潜入し、秋津島系イスラームを装いつつ布教していって、今に至る、というわけ。布教自体は大して難しくなかった。過酷すぎる現実、原典からずれてしまった信仰、天国信仰、グノーシス主義、原始仏教の名残り。必要な全てがここにはあった」


 オノデラはそこまで話すとバート上級曹長にもらったミネラルウォーターに口をつけ、ほうとため息を付いた。

 パーキンスはちらと少佐を見た。

 彼女をがうなずくのを確認してから、疑問を口にする。


「君は布教に抵抗はなかったのか?」

「言い訳するわけじゃないけどさ、十六歳の私には、生きるか死ぬかの瀬戸際だったんだよ。そりゃああのとき死んでいれば、この罪悪感やその他諸々は抱えずに済んだかもしれない。実際何度も死のうとは思ったんだ」


 オノデラは存外蓮っ葉な口調で喋る。

 いくつもの戦闘をくぐり抜けた者に特有の、油断なく脱力した姿勢。

 タイ捨流では、こういうのもタイのウチだったな、とパーキンスはふと思った。


「なぜ死ななかった?」

「いつだったかな。何度目かは忘れたけど、仲間に犯された夜、私が隠していた携帯電話を粉々に壊されたんだ。電池ケースの蓋の内側に、お父さんと一緒に撮ったプリクラを貼っててさ。それが目に入った。それらはすぐに焚き火にくべられて燃やされたけど、その時決めたんだ。死ぬのはこいつらが死ぬところを見てからだって。それまでは何だってしてやるって」


 オノデラの目に光はない。

 有るのはドブ川のように濁った瞳だけだ。


「9.11のほんの少し前、アフガニスタンに入ってすぐに、あのニヤケ野郎がグールの呪いとネクロマンシーを私たちに教えた。みんなはそのへんの負傷者でそれを試して色めき立った。けどニヤケ野郎はそれを使うのはもう少ししてからだと言った。そして9.11が起きて、あなた達はすぐに仕返しにやってきた。その混乱の中で私たちは布教範囲を広げていった。ある時、ひとりが入信の儀式でトチって入信しようとしていた老人をその場でグールにしてしまった。当然その場に集まったアフガニスタン人は私たちを殺そうとした。でも、私たちはグールを使ってその場を収めた。ようするに皆殺しにしてしまったのだけど。その晩、私は私を犯していた連中の一人をグールにしてから殺したの。あのときのアイツの顔ったら!! 仲間には昼間の騒ぎでグールに引っかかれたんじゃないかって言っておいたけどね。それから私たちはある程度の人脈を築き直してから、分散して布教を行った。現地人に殺される連中は割と多かったけど、それでも私を含めて七人が信徒の獲得に成功した。あのマヌケなターバンぐるぐるアラブおじさんに接触したのは、二〇〇二年の秋のこと。パシュトゥ人旧政権はあのアラブ人たちを明らかにお荷物扱いし始めていたし、アラブ人たちには国を懐かしむ連中も出始めていたから、教化するのもそんなに難しくはなかった。ターバンぐるぐるおじさんは、きっとパキスタン国内を転々としてるんだろうなぁ。自分から棄教したせいでパシュトゥ人にもアラブ人にも追われるハメになってるんだから、いい気味だよね。でもあのおじさんにはグール化の秘術は教えてないから、パキスタンで私たちの教義とグールが広がることもない。口じゃ全ての諸衆を、なんて言っといて、自分たちで状況をコントロール出来ないのはいやなんだよ。馬鹿だよね。で、私たちは隠れながら布教に努めてたけど、のこりの半分もこの間の六月攻勢のときに死んじゃったのは確認できてる。できれば私の手で殺したかったけど、まぁしょうがないかな。それより、あのウジサトが焼き殺されたのは、すっごく良かった。アイツが乗っ取った派閥は、たった一人私をかばってくれた人の派閥だったんだ。彼女は原始仏教への帰依を図っていたし、グール化どうこうより現地での生活の改善を図ろうとしていた。たぶん、根はいい人だったんだよ」


 淡々と話すオノデラに呑まれ、誰も口を開かない。

 オノデラは濁った瞳を宙に彷徨わせた。

 しばらくそうしてから、パーキンスを見、少佐を見て、改めてパーキンスを見る。

 オノデラの濁った瞳の奥底に、ほんの僅かに光が見える。


「貴方に知って欲しかったのは、私みたいなのが居たってこと。流されるままに、そうなってしまった人たちがいるってこと。たぶん貴方もそれは一緒。でも、貴方は自分の望むように生きている。芯のある生き方をしている。こっちに来ても軍人を続けてるのって、そういうことだと思うんだ。それが、私たちの、私の希望なんだ」

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