不思議の国の海兵隊④
土曜日の午前中には作戦に参加する他の部隊も交えての全体連絡会議を行い、訓練は午後から行われた。内容は概ね、突入チームの役割と各人の動きのリズムを把握するためのもので、カンダハール国際空港近傍の海兵隊市街地戦訓練施設で、他の部隊の訓練の合間に実施された。
作戦の目的は、ヘルマンド州とカンダハール州北部の州境の山岳地帯に入り込んだ、アノニマニシスの一党を襲撃、首脳部を逮捕もしくは殺害すること。
敵集団は山岳地帯の洞窟及び廃村を根拠地とし、周辺地域への影響力拡大を図っていた。数はおよそ一二〇名。二〇〇三年にカンダハール南方で海兵隊を襲った組織とは別の分派であることも判明している。
直接戦闘に関与するのはMARSOC第二襲撃大隊
中隊段列を合わせた突入グループは、合計で九一名に及ぶ。この人数で敵拠点を包囲し、攻撃を行う計画だった。敵兵力のほうが数的優勢にあるが、我には砲撃支援などの戦力倍増要素が多数存在するため、問題はないとされた。実際には輸送手段が限定されていたためであるが。
カンダハール州側は第三海兵大隊A中隊とアフガニスタン暫定政府軍及びポーランド軍から各一個中隊、ヘルマンド州側はブリテン陸軍第十一旅団、アフガニスタン暫定政府軍、ルーマニア軍並びにカナダ軍などから抽出されたそれぞれ一個小隊から一個中隊程度の戦力が包囲線を構築し、作戦区域の隔離を行う。また、第三海兵遠征群付榴弾砲中隊が随時砲撃支援を行うこととされた。
さらに空軍のMQ-9が二機、航空支援を行う。
同時期には東部でもアノニマニシス掃討作戦が進行していたことを踏まえると、非常に手厚い支援が与えられていたことになる。
言うまでもなく大作戦であり、これほどの戦力を投入するのであればいっそ海兵隊とブリテン軍の旅団全軍でことにあたってはどうかという意見もあるにはあった。
しかしヘルマンド州南部で旧政権軍と暫定政府軍の緊張が高まっていること、対抗部隊のアノニマニシス分派は六月攻勢ではあまり損耗を出さずに撤退した──他の分派の戦訓を学習していると見られることから、MARSOCを先鋒とする今回の作戦が立案されたのだ。
作戦開始時間は午前五時。夜間はアノニマニシスのグール化兵に有利すぎ、日中は敵グールの動きも緩慢になるが味方部隊にも熱中症などの危険があるため、気温の低い早朝での作戦行動を行うこととされた。
〇五〇〇、突入部隊はカンダハール国際空港に展開した
同時に近隣の駐屯地から作戦参加地上部隊が進発し、各中隊の展開地域へと急ぐ。
突入部隊の現状到着予定時間は〇五三〇。すべてが上手く行けば、〇八〇〇時には突入部隊は基地に戻り、包囲部隊の撤退が開始されるはずだった。
◆
もちろんそのようにことがうまく運ぶはずもなく、パーキンスは自分の勘があたったことを後悔した。
つまり一二〇名と判断された敵勢力は二二〇名の間違いであり、さらにアフガニスタン軍の担当区域の外でパトロールしていた四〇名の部隊も存在し、当然のようにアフガニスタン軍は担当区域から逃げ出してしまい、突入部隊は逆に包囲されてしまったのだ。
悪い予感があたったことを後悔するものはもう何人かいた。
そのうちの一人は、パーキンスが警護するその後ろ、廃屋の広間で被弾した海兵隊員の救護処置をしていた。
「ったく、いつもこれだ、畜生め」
例の生意気なピンクの肌の衛生兵、ジョニー・ジャクスン三等軍曹だ。
彼はスナイパーライフルを背負った褐色の肌の耳長女・ファースタンバーグ伍長を助手に、次から次へと運ばれてくる負傷者をテキパキと処置していた。
「IMO! チェック願います!」
「了解!」
ジャクスン三等軍曹が処置したのは左大腿部盲管銃創。
スライムである彼は体の一部を変形させ、創傷部に潜り込ませて損壊したり汚染された体組織を切除し、止血し、あるいは縫合していた。
処置が終われば
そうすれば負傷者は再び戦闘可能になり、あるいはグールにならずに、安らかに死ねる。
IMOの設置は試験的なものだが、成果を得られれば全軍に波及することになるであろうし、良いことか悪いことか──IMOとして配属された
二〇〇三年のアノニマニシス発足以来、グールとの戦闘は手足の欠損から逃れらないとみなされてきていたが、合衆国軍はなんとかしてそれを食い止めようと努力していた。
ジャクスン三等軍曹は、その最先鋒、かつ最も過激な人物とみなされていた。
彼は二〇〇三年のアノニマニシス蜂起にその場で立ち会い、二〇〇八年六月のアノニマニシス大攻勢も、自身も死にかけながら最前線で生き残った衛生特技兵だ。偵察狙撃兵資格も持ち、偵察・目標補足小隊の勤務経験も持つ。特殊部隊の医療担当として最適の人物だ。
七月には自身の経験と上位者の所感や暫定政権軍・旧政府軍・現地武装組織や秋津島軍特殊部隊の証言をもとに、二本の論文をまとめ上げ、大いに評価されている。
その態度や少佐、あるいはバディであるファースタンバーグ伍長(ひいてはその父親であるファースタンバーグ上院議員)との関係についてとかくなにかと後ろ指をさされがちだが、ジャクスン三等軍曹が対アノニ作戦の熟達者であることを否定するものは、全軍において誰一人として存在しなかった。
しかしパーキンスが見るところ──ジャクスン三等軍曹には、そのような気負いや自覚があるようには、到底見えなかった。
突入チームが包帯所──事実上の野戦病院として接収した、廃村の一番大きな建物の広間──に負傷兵が運び込まれると、軍医資格を持つIMO大尉がトリアージを行う。軽症者と、重症者。すでに手の施しようがない者は、まだ運び込まれていない。
ジャクスン三等軍曹の医療班の担当は軽症者で、感染の危険があるものが対象だった。軽症といっても意識があって自分で歩けるぐらいの意味で、民間では充分に重症者に区分されるところだったが。
ジャクスン三等軍曹は次の負傷兵の措置を開始する。
相手はアフガニスタン特殊戦第二連隊の隊員だった。
「ようラッジーブ軍曹。三箇所も食らうなんてついてねぇな? 残念ながらあの世の行列は満タンだし、
「くそ、罰当たりの悪魔め。地獄に落ちろ」
「よっしゃその意気だ。気をしっかり持てよ軍曹殿。家で嫁さんが待ってるぞ!」
三等軍曹は鼻歌を歌ったり、罰当たりな冗談を飛ばしたりしながら、腕を何本にも分けて、同時に複数の被弾箇所を処置していく。
その動きは全く素早く、手足であれば一箇所につき二分未満、胴体であっても最長七分程度で処置してしまっていた。
助手であるファースタンバーグ伍長は、負傷者とジャクスン三等軍曹の両方の世話に忙殺されている。
聞けば、スライムは自身の体から分泌する様々な物質で局所麻酔をしたり、消毒したりするという。果ては患部の接着や足りない組織を補ったりするいうから驚きだ。
つまりはそれだけ体力や栄養を消耗するわけで、事実ジャクスン三等軍曹のそばのゴミ入れからは、ゼリー飲料やMREの空き袋がどっさりと溢れ出ていた。
「ゴッドスピード! 手伝え!」
「アイアイサー!」
軽症者の処置が一段落すると、三等軍曹は重症者措置の手伝いに駆り出される。
そちらでもスライムの衛生兵が活躍しており、周りからはハードテイルと呼ばれていた。所属はMARSOC第二襲撃支援大隊。IMOの一人で一等軍曹だった。ジャクスン三等軍曹とは顔見知りらしい。
措置対象は偶然うまく捕らえることができた、アノニマニシスの幹部の一人だ。
彼は戦闘中に被弾し戦闘力を失ったが、自殺に失敗し、グールになることもできずにここに連れてこられたのだ。今は気を失い、全裸に剥かれて手術台の上に寝かされている。大腿部の皮膚が剥がされているのは、そこにアノニマニシスの呪いと媒介バクテリアのカプセルを埋め込んだ入れ墨があったからだ。
「ひどいぞ。腹膜が裂けて腸管露出、一部破裂。左腎管破裂に腰骨動脈にも傷がついてる。下顎部を小銃弾の破片で叩き割られて、顎関節も外れてるが、顔面動脈は無傷だ。ほかは左肩脱臼に左上腕裂傷に左手首粉砕骨折、右鎖骨骨折に貫通銃創。鎖骨で進路を曲げられた小銃弾が右肺貫通して、腎臓かすめて背部から抜けてるな。右腕神経叢は折れた鎖骨で圧迫されて一部断裂。体内出血多数。ルート確保は終わって、フェンタニルもバッチリ効いてるが、心拍数血圧ともに低下。危険な状態だ。ここまでドタバタになった作戦だ、こいつはなんとしても連れて帰らにゃ、バチが当たる」
「了解、ガニー。んじゃあいっちょ、やりますか」
二人のスライムは上半身裸になると上体をいくつもに分裂させ、手分けしながら捕虜の救護措置にあたった。
皆はこれは魔法ではないと言うが、パーキンスには到底、信じられなかった。
◆
情報収集の不足から危地に陥った襲撃作戦だったが、QRFの到着と逆包囲の成功、JTACオペレーターの呼び寄せた砲撃支援が功を奏し、敵部隊の殲滅と可能ならば幹部の逮捕という作戦目標は達成された。
通常、アノニマニシスは特定の指導者を持たない。全員がフラットな関係で、「この世界は根本から間違っている。よって正しい世界に戻すために、世界のすべての魂を肉体から解き放つ」ために働く。そういう宗教だ。
だが今回の敵集団は意外にも宗教的指導者を持ち、それがすなわち集団の頭目であった。
さらに頭目はもっと意外なことに、決定的な不利を悟ると全部隊に戦闘停止と投降命令を出したのだ。
通常、アノニマニシスは不利を悟ると脳や神経を傷つけないように、丁寧に自殺する。すると入れ墨に込められた呪いが発動し、カプセルに込められたバクテリアが活性化する。
これによって人体は素早くグールへと変貌し、人類の敵となり、魂は速やかにこの世から失せる。
結果現れるのは、ちっとやそっとでは成仏しないグールの群れだ。
そのはずが、である。
周囲の皆は大変厳しい戦いになると覚悟し──ジャクスン三等軍曹とファースタンバーグ伍長などはライフルに弾丸を装填し、銃剣の留具を外しさえしたのに、敵は投降し、銃声は止んでしまった。
お陰で損害は少ない。ちょっとした切り傷を含めると軽症者は四八名に上るが、重症者六名、死亡はない。ありがたいと言えばありがたい、というのが衆目の一致した意見だ。
だが釈然としない。なにがどうしてこうなったのか。
首をひねりながらパーキンスがワッツ曹長らとともに捕虜の監視を行っていると、バート曹長を伴った少佐がいい加減にヒジャブをかぶった女性を連れてきた。
背丈は小さいが一丁前に
薄汚れてはいるが、まぁまぁの美人、というよりは可愛らしい顔立ち。
それでいて何者にも屈せざる気迫を出しているあたり、只者でないことは容易に伺い知れた。
「パーキンス。こちらはヨーコ・オノデラ。このアノニマニシス分派の宗教指導者で、指揮官だ。どうも君に話があるらしい。話をさせないなら配下を全員グールにして、私らを食い殺すそうだ」
少佐は微笑みながら歌うように言ったが、バート曹長は困惑の表情を隠さない。
それはいきなり話を振られたパーキンスも同じだが、この悪魔みたいな少佐殿に振り回される限りはどこに行っても同じだと思い、渋々ながら頷くこととした。
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