3-1. トロピカル・アイランド オキナワ2010

「エリザベート・ファースタンバーグ」という生き方 1

「ファースタンバーグ三等軍曹。お前の割当ての装備をさっさと受領しろ」

「そうはいっても中尉殿、こんな集弾の悪い弾で何狙えっていうんですか」


 二〇一〇年八月十四日。

 秋津洲皇国沖縄県沖縄島中心部に存在する、秋津洲・合衆国共用の実弾演習場。

 その沖縄本島共用実弾演習場の南端に存在する三キロメートル射場、そのアッセンブリーエリアに響いた声が、その場に一種の緊張をもたらした。

 つまり、魔王の統治せる魔族領合衆国海兵隊U.S.M.C.海兵特殊作戦コマンドMARSOC特設救難大隊SHyBt第9小隊SHP9所属偵察狙撃兵である黒エルフのエリザベート・ファースタンバーグ三等軍曹は、その日の訓練であるM82A3バーレット12.7mm.五〇口径対物ライフルによる長距離狙撃訓練を、演習場に来てから拒否したのだ。


 当然、海兵特殊作戦コマンドMARSOC第三襲撃支援大隊兵站小隊のポール・シュミット中尉は多少の腹立たしさを覚え、多少の威厳を込めて再度装備を受領するように命じようとした。

 俺が白エルフだから楯突くのか、とも思っている。

 第二次世界大戦の折、ドイツの白エルフはユダヤ人ともども黒エルフをひどく迫害した歴史があり、彼はその当時すでに生まれてはいたからだ。

 そこに割り込んだのはファースタンバーグ三等軍曹のバディであり、観測手のジョニー・ジャクスン二等軍曹。

 普段ピンクの肌を迷彩色に変化させたスライムの男は、申し訳なさそうに苦笑いしながら頭を下げる。


「失礼いたします、中尉殿。ちょっとこいつわがままなもんで。すんません」

「別にゴッディ謝んなくたっていいじゃん」


 が、ファースタンバーグは唇を尖らした。

 まるで子供。

 これにはシュミットもつられて苦笑し、思っていたより幾分柔らかい態度を取らざるを得なかった。


「あのな、三等軍曹。お前さんが凄腕だって話は聞いてる。けどいつでもお気に入りの機材を使えるわけじゃないだろう? それにキャリバー50口径じゃなきゃ破壊できない目標を狙うことだってありうる。お前さんの体格じゃいささかしんどいのはわかるが、文句を言わずにやるこった」

「……アイサー」


 ファースタンバーグはしぶしぶ同意し、装備と弾薬を受領した。彼女が楯突いたのは、どうやら双方の人種的歴史にもとづく悪感情が原因ではなく、本当に.五〇口径が嫌いなだけだったらしい。

 ジャクスンが申し訳なさそうに少し頭を下げ、少し離れたところからそれを見ていた9小隊の小隊長、スミス大尉もシュミットにうなずいてみせた。

 それでシュミットは良しとした。と同時に、こうも思っている。


 俺だって偵察狙撃の資格は持ってる。

 閣下の肝入りの新編部隊、どれほどの実力か見せてもらおうじゃあないか。


 シュミットが度肝を抜かされるのには、そう時間はかからなった。



 M82A3の工場出荷保証精度は〇.五MOA。一〇〇ヤードで〇.五インチの弾丸散布界だ。つまり一〇〇〇ヤードでは弾着のばらつきは、五インチに広がる。

 ただしこれはマシンレスト──専用架台に固定し、試射トンネルで無風状態での射撃結果だ。

 現実には弾着はもっと──あるいはもう少し広がることになる。


 だがファースタンバーグはどうやったのか、最初の試射一発のあと、一五〇〇ヤード標的の五インチ円内に残り四発を叩きこんでみせた。

 周囲がさすがレイザーなどとおだて上げる中、彼女は全く納得していない表情でスコープを覗き込み、銃設計者に対してひどく罰当たりなことをつぶやいた。

 後ろで見守っていたスミス大尉が「レイザー、チート使え。許可する」と命じると、レイザーと字名ホーリーネームで呼ばれたファースタンバーグは目の色を変えた。

 構え直すと、周囲の空気のながれが少し変わったようだ。

 スミス大尉は観測手のジャクスンに命じる。


「ゴッドスピード。二〇〇〇メートル標的だ。右から三番目」

「二〇〇〇メートル標的、右から三番目。アイ。レイザー、弾倉交換」 

 

 ファースタンバーグの射撃結果に驚かされていたシュミットは、その命令にさらに驚いた。

 その標的はほかの標的と違い、小高い丘の上にある。その手前の木立が邪魔して標的はよく見えないし、風の巻き方もかなり複雑だ。

 おまけにこの共用実弾演習場は海抜一〇〇メートル以下。

 カナダのスナイパーチームが、アフガニスタンで.五〇口径ライフルを用いて二二〇〇メートル射撃を成功させたが、あれは空気の薄い標高二〇〇〇メートルの山の上での出来事だ。空気の濃いこの演習場では、如何に遠距離射撃の可能な.五〇口径でも狙って当たるものではない。

 だがゴッドスピード──ジャクスン三等軍曹は、委細構わずスポッティングスコープ測的鏡での観測結果を淡々とファースタンバーグに伝えていく。


「二〇一二、三二メートル上。一八〇〇の木立、一番高い梢の右。気温三四度、湿度七二度、気圧一〇〇八ヘクトパスカル。風速三、標的付近で右奥から左手前。木立付近は左から右に風速一メートル。梢が風に揺られて旋回してるな……一.二秒で一回転。エレベーション上に一〇クリック、ウィンテージ右に一クリック」

了解Rog.。照準修正、エレベーション上に四クリック、左右修正なし」


 ファースタンバーグの返事はジャクスンの指示と違うもの。だがジャクスンも見物に回ったほかのメンバーも、涼しい顔をして聞き流した。


「エイム」

「エイム……アイ」


 空気が引き締まる。

 ファースタンバーグの眼前──というより彼女の構えたM82A3、その銃口の少し先の空間が、細く長くゆがみだした。

 やがて照準が定まったのか、ファースタンバーグは目を細め、細く浅い呼吸に切り替えた。

 だがそれにしては銃身の角度がおかしい。

 二〇〇〇メートル標的を狙うなら銃口がそれなりに上を向いていないとならないが、シュミットが見る限りファースタンバーグは標高差分ほどしか銃口を上げていない。

 測的鏡を覗き込みながら、迷彩色の肌にもうひとつ目を作って横目でファースタンバーグの様子を確認していたジャクスンは厳かに命じる。


ファイア撃てファイア撃てファイア撃て


 それから半呼吸置いてから、ファースタンバーグはトリガーを引き絞った。

 銃口に設けられた四角いマズルブレーキ、その側面から白煙を吐き出し、発砲炎マズルフラッシュを細長く引き伸ばしながら、銃弾は発射された。


 シュミットはエルフであるから、.五〇口径弾程度であれば目で追える。

 そしてファースタンバーグが新たに放った銃弾は、シュミットの知る弾道を描かなかった。

 普通より、というよりもほとんど減速せず、それは極めてフラットな弾道を描き、風を突き抜け、揺れる梢を避け、ほぼまっすぐに、標的のど真ん中、直径五インチのブルズアイ中心円の右下に着弾した。


 もしこれが実戦で、ブルズアイが敵スナイパーの覗き込むスコープであれば、ファースタンバーグは見事に敵スナイパーの鼻の下ど真ん中に.五〇口径弾を送り込んだことになる。もちろん敵は即死だ。

 シュミットはこんな見事な射撃は見たことがない。あまりの美技に彼は口笛を吹いて賞賛しようとした──だがファースタンバーグの仲間たちはそうしなかった。

 彼女が盛大に罰当たりなセリフを吐くのがわかっていたからである。


「くそが! 魔女のばあさんの尻に敷かれておっ死ね!」

「……四オクロック、中心から二.五インチ。少し流れたか」

マッチ高精度弾でこれってありえねーだろ! ふざけんなよな」

回廊コリドーは何メートル作った?」

「一五〇〇。五〇〇で二.五インチもズレるとか馬鹿かっつーの」


 ありえないのはどっちだ。

 二〇〇〇メートルならほとんどの射手が的を外す。二二〇〇メートルで初弾命中させたカナダのスナイパーなぞは、風向風速気圧温度湿度に加え、地球の自転速度やコリオリ力なども勘案し二〇分も計算してから射撃している、

 だがこいつらは、スライムと黒エルフの不似合いなコンビは、まるで鹿撃ちのような気楽さで射撃し、命中させ、ど真ん中じゃないからといって腹を立てている。


「マジ納得いかねぇ、くそが」

回廊コリドーがタイトすぎたんだ。空気断層に弾かれて、弾道がおかしくなったんだろ」


 ファースタンバーグが小声でぶつくさと文句を言い、その傍らでジャクスンはスミス大尉から何事か許可を取った。


「レイザー。自由射撃。好きにやれ」

「アイサー。自由射撃実施する」


 それからファースタンバーグは残り四発を全弾ブルズアイに叩き込んだ。

 完璧な射撃。完璧な射撃。まさに完璧な射撃だった。

 だが彼女はついぞ一発もブルズアイの真中心を射抜けなかったことに腹を立て、盛大にM82A3そのものを罵りだした。

 その罵りようがあまりにひどいものだから、ついにスミス大尉はファースタンバーグとジャクスンに、完全武装で射撃レンジの左右をダッシュで一〇往復するように命じるほどだった。



 その夕方、シュミットが士官食堂で夕飯をつついていると、やせぎすで蜘蛛のように手足の長いオークのスミス大尉と、MARSOC第三襲撃大隊のパーキンス大尉、おまけに特設救難大隊本部付連絡士官のロレンツォ大尉がメスキットを持ってやってきた。

 パーキンスはこことよく似た異世界、アメリカ合衆国海兵隊のMARSOCの出身で、スミスと同期だというロレンツォはまるでオークかドワーフのように肉付きの良いゴブリンだった。


「昼間はレイザーがすまないな、シュミット中尉」

「いえ、とんでもない。いいものを見せていただきました、スミス大尉」


 シュミットの答えを聞くと、スミスたちは顔を見合わせニヤリとし、口々に愚痴を吐き始めた。


「あいつ、ちょっとおかしいんだよ。今日だってバーレットで二〇〇〇で集弾五インチだぞ。あれで死なないのはドラゴンぐらいのもんだ。なのに私物の.三三八ラプアみたいにピンヘッドできないからって。それができるのはお前だけだっつーの」

「射撃と偵察と隠密接敵・追跡はだれにも負けない。天性の狩人だよ。他は……ちょっとアレだな、確かに」

「ゴッディが全然注意しないから。もうちょっと手綱ひいてくれりゃ俺も楽できるんですがね」

「いや、あれで普段はゴッディのほうがだらしないからな?」

「確かに。アフガンで世話になったときは、ずいぶん緩い奴だと思ったよ」

「公私の区別はつけてるし仕事はできるから、ヘタに注意したらへそ曲げるし。スパイディ、お前あいつらマジ何とかしろよ。直属上司だろ」

「これでもだいぶ抑えてんだぞ!? わかんだろそんぐらい」


 三人は立て板に水を流すかのように、それでいてどことなく嬉しそうに、問題児のスナイパーとその相方を論評する。

 それに妙なおかしさを感じたシュミットは、ぷっと吹き出してしまった。

 するとスミスが彼に向き直り、目玉をぎょろりと一回転させ、ため息をついてからこう言った。


「中尉。MARSOCじゃあんたが俺より先任だし、あんたのほうが俺より三〇歳も年上だ。だから謹んで忠告しとくぜ。あんた、もうあの二人に巻き込まれてる」


 それでシュミットはようやく事態を飲み込んだ。

 実際はそれほどひどい目には合わずに済んだが、少なくとも、五年後に彼が退役する前の思い出が彩り豊かになったのは、確かだった。

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