不思議の国の海兵隊①

 誓歴二〇〇八年八月十二日、午前五時二三分。

 ISAFドイツ空軍偵察観測管制飛行団のE-3A空中指揮管制機が、アフガニスタン中部、ヒンドゥークシュ山脈南方空域に不審な反応を観測した。

 電波反射パターンと高度、速度からそれはヘリコプターであることが伺えた。

 同時に緊急救難要請メーデーを受信する。電波の到来方向は不審電波反射源と同方向、使用言語は合衆国東部訛りのブリテン語だった。

 受信したメーデーによれば、ヘリは合衆国第一六〇特殊作戦航空連隊SOARのMH-60L。作戦完了後、帰還中に現地民兵から攻撃を受け、飛行機能に重大な障害が発生したとのことだった。

 メーデーはそこで途切れ、レーダーの光点も同時に消えた。

 E-3Aの管制指揮官はカブールのISAF司令部に事の次第を直ちに通報。

 ISAF司令部は、それをバグラームの合衆国統合特殊作戦コマンドJSOCアフガニスタン司令部にリレーした。

 それに対しJSOC司令部は、当該地域での作戦行動は行っていない、何かの間違いではないかと返答した。

 ISAF司令部は困惑した。何しろメーデーが伝えてきた機体番号は、JSOCがISAFに通達した登録簿にしっかりと記載されていたからだ。

 それをJSOCに指摘すると、JSOCはそんなはずはない、当該機体は基地にあるという。

 だがしかしE-3Aのレーダーには航跡が残っているし、メーデーの無線傍受記録も残っている。

 ISAF司令部は困惑しながらも空軍救難飛行隊PJの投入を検討したが、PJは東部領域でのアノニマニシス掃討作戦支援に出払っていた。そもそもバグラームから現地までは、少しばかり遠すぎる。

 代わりになりそうなのは海兵隊第三海兵遠征群に所属する、カンダハール駐屯の合衆国海兵隊機体捜索救難小隊の三班・四班だけ。

 ISAF司令部は直ちに海兵隊機体捜索救難小隊の投入を決定し、彼らはそれに従い、ヘリに乗り込みヒンドゥークシュの谷間へと向かっていった。



「う……」


 海兵特殊作戦コマンド所属のリチャード・パーキンス海兵隊大尉が意識を回復させると、そこは地獄絵図だった。

 ヘリは機首を地面にめり込ませ、地面にほとんど直立していた。コックピットは完全に潰れ、入りこんだ土砂が赤黒く染まっている。

 キャビン内部は妙な形にひしゃげたチームメイトたちや、捕虜にしてきたテログループ幹部の血肉に彩られている。

 左舷のドアガンナーはどこへ行ったものか姿が見えず、右舷のドアガンナーは首が一八〇度回転していた。

 パーキンスが生きているのは、何のことはない、ひしゃげてしまった戦友たちがクッションになってくれたから、と言うだけのこと。

 もちろんそれもまったくの偶然に過ぎない。

 首筋に痛みを覚えたパーキンスがそこに手をやると、皮膚が深く裂けていた。

 誰かの太ももから折れて飛び出した大腿骨のギザギザした断面が、危うく頸動脈を切り裂くところだったのだ。

 パーキンスは二、三度ひどく咳き込んでから、生存者はいないかと声を上げた。

 反応はまるでない。

 何度か声を上げたパーキンスはやがて諦め、機体外部への脱出を試みた。

 幸いに自身の怪我はひどくなく、首筋の深い裂傷を除けば、左足首が妙な方向にねじくれ、戦友のライフルのマガジンが左脇腹に深くめり込んだだけだった。それが原因でどこかの臓器が損傷している可能性については、あえて無視した。

 おまけに墜落のショックで頭がひどくふらついていたが、チームに所属する海軍水陸両用偵察隊員SARCに診断を頼むことはできなかった。その彼は特殊作戦に高度に対応した海軍衛生兵だが、機内に飛び込んできた岩に頭を潰されていては、診察どころではなかった。

 エンジンは止まっているが、燃料が漏れたような匂いがしている。

 脱出を急がなくては、いつ火がつくか知れたものではない。

 

 幸いにして壊れなかった私物のSOPMODⅡ準拠カービン──軍支給のコルト製ではなくFN製のもの──と衛生兵のフィールドバッグを抱えて、パーキンスはなんとか機外に脱出することが出来た。

 折れた脚を引きずって安全そうな距離まで離れるのは骨が折れたが、それを口にしても笑ってくれる戦友たちが居ないほうが、ずっと辛かった──大尉、骨はとっくに折れてるでしょうが。

 それでもなんとか二〇メートルばかり離れた大岩の陰に隠れ、モルヒネを打ち、水を飲むとひと心地つくことが出来た。

 というよりは──無理矢理に自分を落ち着かせのたのだが。


 砂埃が風に舞う中、周りを見渡す。

 ヘリが大地に突き立ち、自分が大岩に隠れているのはどこかの山頂付近の尾根筋。

 東西に深い谷がある。

 植生は貧弱で、まばらに草が生えているだけ。

 切り裂くように冷たい空気と植生から見て、海抜で三千メートルは超えている。

 GPSを確認すると、ウルズガン州内にあることだけはわかった。

 つまりは旧政権軍閥とテロ組織の勢力圏内だ。

 であるなら、ともかく友軍と連絡を取らねばならない。

 敵が墜落するヘリを見て、追いかけてこないはずがない。

 AN/PRC117F無線機を操作し、JSOCに指定されたチャンネルでの交信を試みる。


「ヴァイパー、ヴァイパー。こちらマスタング。スーパービーは墜落。マスタングも大破した。パッケージ・リモも失われた。直ちに救援を乞う。グリッド……」


 その呼びかけを三度繰り返したが、応答はなかった。

 おかしな話だ。

 事前の計画では周辺偵察及び通信中継任務の無人機RQ-4Cが近くの空域を巡航しているはずであり、実際それはパッケージ・リモ──テロ組織幹部──の確保任務中も順調に機能していた。こちらが無線でなにか言えば、電波が通る限り、何かしらの返答があるはずなのだ。

 しかしそれがない。

 ということは、無人機が撤退しているか、無線機が壊れているかのどちらかだ。

 だがそれこそありえない。

 無人機はあと十二時間はこの空域を監視し続けるはずだし、無線機のセルフテストに異常はない。

 となるとあとは、司令部の無線担当が任務を放棄しているのか。

 話が違うじゃねぇかクソッタレと毒づきながら、ROEに基づき、同一チャンネルでさらに三回、JSOCアフガニスタン司令部を呼び出す。返答なし。

 それからようやく、NATO共用エマージェンシー・チャンネルで、SOSを発信する。


「SOS、SOS。合衆国海兵隊、レイダース、MSOT8224、リチャード・パーキンス大尉だ。任務終了後、帰投中にヘリを撃墜された。至急救援を乞う。現在地は……」

 

 それを三度繰り返し、四度目を行うかを逡巡したところで、応答があった。


『パーキンス大尉。こちら3MEU、機体捜索救難小隊SAR四班。指定座標まであと五分。スモークは炊けるか?』

 

 無線の相手は妙なことをいう。

 3MEU、第3海兵遠征群などという部隊は存在しない。

 海兵隊の遠征群はすべて二桁の部隊番号が付されているはずだ。

 だが、疲労と苦痛、モルヒネの作用で判断力の鈍っていたパーキンスは、それをただの言い間違いだと思ってしまった。

 左胸のポーチに入れていた発煙手榴弾を、近くの空き地に向かって放り投げる。

 すぐに赤い煙が吹き出し始めた。


「炊いたぞ、SAR。赤色発煙」

『見えたぞ、パーキンス。あと一分。怪我はどうだ? 出血してるのか?』

「ああ、ありがとう。右首に裂傷。出血は大したこと無い。左足首が明後日向いてて、左脇腹がじんじん痛む以外は、俺はなんとも無い。他の連中はみんなダメだ」

『了解、気をしっかりもてよ。降下用意!』


 ヘリはそれからすぐにやってきた。

 明灰色に塗られたUH-1Nは、まさに海兵隊のヘリだった。

 スモークを炊いた空き地の上空でヘリはリペリングロープを垂らし、それを伝って一度に二名ずつ、合計で四名の海兵隊員が降りてきた。

 ヘリはロープを切り離すと上昇し、現場警護のため旋回を始める。

 降下してきた衛生隊員たちの一人が指示を出し、その隊員ともう一人がパーキンスに走りよる。残りの二人は足早に、墜落したヘリへ近づいていった。


「パーキンス大尉でありますか!」


 パーキンスを元気づけるような笑顔を浮かべながら、駆け寄って来る衛生隊員。

 彼を見て、パーキンスは安心しかけた。

 日焼けした肌、かぎ鼻、細面、ニューヨークの訛り。

 襟首に曹長の階級章が付けられたMARPAT迷彩の戦闘服にMPC防弾衣、AN/PEQ-2A赤外線レーザーを装着したM4A1カービンを各員がもち、全員が米語を喋っている。

  

「ああ。世話になる、曹長」

「もう大丈夫ですよ、大尉殿。スティール、担架だ」

「了解です、曹長」


 スティールと呼ばれた一等軍曹が折りたたみ担架を広げて近寄ってきたとき、パーキンスはぎょっとして身じろぎした。

 一等軍曹の顔は、なんというか──ディズニーの海賊映画の悪役そっくりの、触手で覆われたおぞましいものだったからだ。


「なんだ、何なんだお前たちは!」


 曹長はわずかに戸惑いながらも、笑顔を絶やさなかった。


「? 海兵隊、3MEU、SAR小隊四班です。自分はワッツ曹長です」


 また3MEUと言った。

 今度は聞き間違いではない。

 パニックを起こしかけたパーキンスはカービンを構えて振り回した。


「嘘だ、3MEUなんて部隊は存在しない。もしお前らが31MEUだとしても、今頃はイラクで帰り支度を始めてる頃だ。アフガニスタンになんかいやしない。それになんだ、そっちのお前! なんだその顔は、パイレーツ・オブ・カリビアンのコスプレか!?」


 衛生隊員たちは顔を見合わせ、今度こそ本当に当惑した。

 

「どないしよ、曹長。えらいパニクってはるで」

「まるで現地民みたいに怯えてるな。ファースタンバーグ! スティールと交代だ! こっちへ来い!」

『アイアイサー』

「なんや、ワイの顔があかんのでっか? しゃあけど珍しおまっせ、ワイらぬめぬめテンタクルズにビビるようなやつ、ブートキャンプに入りたての訓練兵ぐらいのもんでっしゃろ」

「拗ねるなよスティール」

「ほなら大尉はん、すぐに美人さん来よりますよってな、落ち着きなはれや」


 そういって一等軍曹の階級章を付けた触手男が立ち上がると、入れ替わりに褐色の肌をした長身の美女がやってきた。

 その耳は長く尖って、ハイカットヘルメットの縁から覗いている。


「今度はロード・オブ・ザ・リングか? だいたいSARに女がいるってどういうことだ、女は艦隊勤務かいいとこ司令部勤務だろ」

「落ち着いてください、大尉殿。我々は味方です。安心してください」


 なおもパーキンスが文句をつけると、ワッツ曹長が慌てて制止した。

 パーキンスを見下ろす褐色女の目つきが、恐ろしく険しくなっている。


「大尉殿、ファースタンバーグはトランスセクシャル性同一性障害です。一部の人間以外から女扱いされるのを良しとしません。むろん、自分たちも。伍長、あっちはどうだった」

「あっちはダメでした。息をしているのは一人もいません。QRFを呼んで現場を確保、遺体を収容する必要があります」

「そうか。大尉殿を担架へ移す。足持て」


 命じられた褐色女は、一旦背中に回していたカービンを構え直し、パーキンスの眉間に照準をピタリと合わせた。


「伍長、どうした!! やめろ!!」

「曹長、大尉殿は我が合衆国の海兵隊員ではないのでは?」

「なんだと?」

「右袖の国籍ワッペンを見てください。爪のあるところが、星になっています」


 ワッツとパーキンスは顔を見合わせた。

 ワッツの右袖に付いているモノクロの国籍ワッペンは、スターズ・アンド・ストライプスの星の部分が、獣の爪になっていた。

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