闇の奥④

 ケシュマンド山中入りを予想したエディの予想は半分当たり、半分は当たりも当たりの大当たり、感謝祭の宝くじフェデラル・ボンド一等賞みたいなもんだった。

 つまるところロレンツォ中尉が立案し、秋津島のい佐々三等官が命じた作戦に基づき、俺とレイザー、コマツのチーム、ナザル大尉のチームが砂漠を北上して東の麓から山に入り、エディたちフォース・リーコン──いまやエディを含めて三人しかいない五中隊B班──は砂漠の戦線に居残りとなった。


 それはまぁ当然といえば当然で、まずもって疑似餌ルアーとしての価値が高いのは俺とナザル大尉だ。

 佐々三等官の言うことにゃ、ウジサトコレチカは小心者で偏執狂。だからこそ俺たちを追い回していたんだ。

 その彼らが討ち漏らした俺一人でも疑似餌としては満点だが、念には念をで人間神代兵装野郎・ナシード・イブン・ナザルの実兄・アフメド・ヤシン・ナザル大尉のチームがバックアップに入ることになったわけ。

 ついでに言えば砂漠の主戦線でJ-TAC統合末端攻撃統制官──ああ、航空攻撃や砲兵誘導を行える資格のあるもの──はエディとロレンツォ中尉しかいなくて、ロレンツォ中尉は参謀業務が忙しい、となればエディが残るのは当然だった。

 ついでに言えばコマツとヒラオカとは二〇〇三年のカンダハル南方で一緒に仕事をした仲だから、彼ら自身も俺とレイザーをチームに入れるほうが望ましいと言ってもいた。そいつを自慢に思わなかったと言えば嘘になる。


 けどまぁ、今だからこそ「当然」だなんて言えるが、あの時は。

 

 心底ブルってたのが本音の話だ。



 それでまたケシュマンド山脈に踏み入ることになった俺たちだが、ワリと早々に逃げ帰る羽目になった。


 というのも、灌漑用水路のすぐそば、歩いてわずか一時間、東の尾根を一本越えたところに奴らはひしめき合っていたからだ。

 航空偵察が使えない上に衛星偵察はカブールとバグラーム、国境地帯に集中していたから、こういうことも発生したりする。

 その結果。


「かーっ! だめだ! 火力が違いすぎる!」

「お前のせいだぞコマツ! 気をつけろって言ったのに!」

「ちゃんと食いついてきてんだから良いだろうが、ヒラオカ!」


 俺たちは岩肌むき出しの埃っぽい山肌を、ウジサトコレチカが直卒するグールの群れと人間神代兵装野郎・ナシード・イブン・ナザルに追いかけ回され駆け下りる羽目になった。

 その数、実に二個小隊。

 グールの数は三分の一程度。

 残りは全員、AKとRPG、迫撃砲で武装してやがった。

 おまけに昼を過ぎて夕方になり、気温も下がりつつあるときたから大変だ。

 奴らのグールの脚は、めっぽう早くなっていた。

 全部でたった七〇名程度とは言え、数と火力で圧倒できない現状では、致命的な戦力差だった。


 ドバン!

 コマツの背負子に後ろ向きにくくりつけられた俺のすぐ前で、大岩が爆ぜた。


「ジョニー! 身代わり呪札はあと何枚だ!」

「あと五枚しかないよ!」


 秋津島のお偉い呪い師、佐々三等官に渡された身代わり呪札──原理はよくわからんが、手近な何かに貼り付けると呪的存在はそれの札を貼った本人と勘違いするらしい──は、十一枚。

 そのうち六枚は奴らと遭遇してすでに消費していた。

 六枚目はさっき爆ぜた大岩に、俺が手を伸ばして貼り付けたものだ。


「なんだっけ、ヒラオカ。昔話にこんなんあったよな。安寿と厨子王?」

「全然違うよ、三枚のお札だ」

「それってどんなお話?」

「寺の小僧が山に栗拾いに行って、魔女の婆さんに追っかけられるんだ。小僧は坊さんがくれた三枚のお札を使って危地を凌ぐって話」

「あと五枚もあるんだ、楽勝楽勝」


 てなことを言ってると、左の方三〇メートルぐらいに敵の死霊使いがひょいと頭を出し、AKを乱射してきた。

 ビュン、ズバッ、ブゥン、様々な音を立てて銃弾が俺達をかすめ飛んでいく。


「こなくそ!」


 とヒラオカが反撃仕掛けたところで、俺たちの背後頭上のせり出した岩肌から黒い影がちらりと覗く。

 それを俺が05式で撃ち抜いた。


 マジで05式はいい銃だ。

 軽量コンパクトで操作性もよく、短銃身なのに反動もマイルド。

 二〇〇メートルまでなら一ドル札半分の範囲に集弾する。

 だが如何に高性能な銃を使おうとも、すでに行動命令を受領したグールの分隊相手にはいささか手が足りないことが往々にしてある。


 まさにその時がそれで、俺がぶっ殺した死霊使いの脳みそと一緒に、腐りかけのグールが五体ばかり降ってきた。


「タナカ! レイザー!」


 とコマツが叫ぶと同時に、俺たちの進路前方の茂みから銃弾が降り注ぐ。

 グールどもの二体は地面に落ちる前にドタマを撃ち抜かれ──レイザーの仕業だ──、残りの三体は俺とコマツとタナカが仕留めた。

 ホッとする間もなく、横合いから複数の銃声。


「走れ!」


 とヒラオカが怒鳴り、コマツがそれに従う。

 途中右手七メートルほどの岩陰に滑り降りてきたアノニの戦闘員と目が合ったが、そいつに反応するより早く、そいつは背後からの一撃で絶命した。

 後ろの水路沿いの茂みで、ウッドランドカモとイーグルのTLVBを着込んだ戦闘員がこちらに向かって手を振っている。

 

『コマツ、遅いぞ』

「ナザル大尉、そりゃこっちのセリフだ!」

『いいから早く行け。迫撃砲、撃て!』


 ナザル大尉からの無線にコマツが怒鳴り返すと、茂みの中からパカンパカンと六〇mm迫撃砲の発砲音。

 俺たちが眼前の茂みに飛び込むと同時に崖の上の方に迫撃砲弾が着弾。

 石ころと一緒に、何本かの手足やAKがバラバラと降ってきた。

 崖の上では何事か言い合う大声。

 そこにまた迫撃砲弾の着弾音。

 茂みに飛び込んだ俺たちは集合点に向かってひた走る。


「いやー生きた心地しなかったな!」


 なんて嫌にいい笑顔でいうコマツ。


「それは俺のセリフだよ!! いくら囮だってもこんな扱いあるかよ!!」


 ハーネスを解きながらブゥ垂れる俺。


「いやでもお前はいい仕事したよ。最後に振り返ったとき、崖の上に氏郷とナシードが見えたんだ。氏郷はスゲェ形相だったのに、ナシードはそれに呆れてるような顔つきだった」


 とはいつも冷静なヒラオカ。


『マイル44よりアルファ・ズールー! そっちはどうなった! 応答しろ!』


 と、そこに無線機からロレンツォ中尉の声。

 これには俺が応答した。


「マイル44。ゴッドスピードです。敵さんガッツリ食いついてきました。今はナザル大尉のチームの迫撃砲攻撃でちょっと距離が空きましたが、多分大丈夫です」

『根拠は』

「ヒラオカ曹長が見たんですが、ウジサトとナシードの表情に差があったと。ウジサトは怒りでエラい形相、ナシードはそれにやや呆れたような表情だったそうです」

『そいつはリーダーがスタッフの進言を聞かなくなる前兆だ。でかした』


 ロレンツォ中尉の声は今にも笑い出しそうだった。


「で、敵の部隊運動はまだ止まっていません。今はナザル大尉のチームが引きつけてます」

『いいぞ、ゴッドスピード。そのまま集合点まで引っ張ってこれるか?』

「だってさ、コマツ」

「やれやれだ、くそったれめ」



 茂みを抜けた先の集合点、急速に開墾されつつある農地に到着すると、先にレイザーとタナカが到着していた。

 タナカはちょっと丸っこい体つきの、ひょうきんなヤツだった。

 コマツたちのチームじゃ一番歳が若いってんで、いつも重装備を持たされてた。

 実際その時も、グレネードランチャー付きの88式小銃とM72A4携帯ロケットランチャー二本、重そうな背嚢を背負っていたな。

 んで、俺を目にしたレイザーは飛び跳ねるように走ってきて、コマツの背中から俺を奪い取り、抱え込んで唸り声を上げた。


「フシューッ!」


 母猫かな?

 だとしたらこの世で一番頼りになる母猫だ。

 しかしコマツをそれを意に介せず、ナザル大尉に連絡を取る。

 俺達が抜けてきた茂みの中からはまだ銃声が鳴り響いている。


「ナザル大尉、まだか」

『310度、集合点まで45秒。目標は緑スモーク。援護頼む。やりすぎるな、ほどほどでな』


 と、激しい銃声の続く茂みの中からポンと弾ける音がして、緑色の煙がもくもくと立ち上り始めた。


「よぉし、ナザル大尉のチームの脱出を支援する! 目標緑発煙、距離二五〇! ウッドランドカモは狙うなよ! 制圧射撃! 撃て!」


 号令一下、俺達は緑色のスモークに向かって連射を開始した。

 このときばかりはレイザーもライフルをM4に持ち替えて、三連射しては指を切り、またトリガーを引いていた。

 驟雨のようなM855弾の嵐に見舞われ、緑のスモークに覆われた茂みの木々がざざ、とざわめいた。

 土煙が上がり、小規模な爆発も発生する。

 誰か運の悪いRPG弾薬手の背負っていた弾薬が、被弾によって爆発したんだろう。

 

 そうこうするうち、ウッドランドカモを着た一団が、スモークの南十五メートル付近の茂みから六人ばかり駆け出してきた。ナザル大尉のチームだった。

 彼らの陰が、緑が混じり始めている砂漠の土砂に長く伸びる。

 夕闇はもうすぐそこまで近づいている。

 闇に潜んできた者たちも、だ。

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