闇の奥②

『もっと湯と水を! じゃんじゃん持ってきてください!』


 コマツたちの指揮下に入って二日目。

 衛生手袋を血に染めたレイザーが叫ぶと、手すきの女の子がぱっと駆け出した。

 そこはシギ村の西方2キロ、G砂漠の南の端。

 ドクター・サーブの創り給うた試験農場の片端だった。

 その当時はまだ測量と土地買収交渉が終わっただけだったが、地元の人達はそこがドクター・サーブと仲間たちが、なにか奇跡をもう一発起こしてくれそうな土地だと認識していた。

 その奇跡の土地は、血で真っ赤に染め上げられていた。


 何が起こっていたか話そう。



 カブール及びジャララバードで起きた大規模なアノニの攻勢、これは市街地では案外早くに沈静化した。だいたい半日かそこらだ。

 何しろOEF-A司令部は俺がぶっ飛ばされた段階で警報を発令していたし、アフガンの人たちはすっかりアノニの襲撃に慣れちまっていた。

 結果、市街地の連中はグールの最初の一人が治安部隊に成仏させられた頃にはみな家をしっかり戸締まりし、地下室や屋根裏に隠れちまった。

 グールに噛まれたかもしれないやつは、たとえ家族でも戸の外へ。

 そういう不文律がこの五年で出来上がっていた。

 だから派手な騒ぎのわりには市街地でグールの餌食になった気の毒な人たちは、一〇〇〇人か二〇〇〇人か、ともあれ都市の大きさの割には大したことなかった。

 大したことなかった、っていう言い方も我ながらひどいもんだが。

 

 問題は農村部から働きに出てたり、農作物を売りに来てた人たちだ。

 

 彼らが向かう先は?

 自宅しかない。

 なぜなら都市部の連中は彼らを助けたりしない。

 もう一度言おう。


 


 それが他人ならなおのことだ。

 それは都市部において、イスラームの美徳である「旅人を歓迎する」ことを、ものの見事に消し飛ばしちまってた。

 ジャララバードで暴れ狂うグールに襲われていた人たちの大半が、そうやって助けてもらえなかった人たちだ。

 彼らは自分で自分の身を守るしかなかった。

 その過程で他人を犠牲にするのも、仕方がないといえば仕方がない。


 実際、都市周辺部の地主の家では盛んに銃撃戦が起こってる。

 現場を見聞した連中の話じゃ、ある家は門扉を突っ込んできたトラックにぶち壊され、そこになだれ込んだ暴徒と化した人々は塀の内側で待ち構えてた地主の一族にあらかた射殺されちまったそうだ。挙げ句その一族は暴徒の第二波に紛れ込んでたグールどもに食い殺されたとあっちゃ、救いもへったくれもありゃしない。

 

 ここで俺たちの話にようやく戻ってくる。

 つまりジャララバードを脱出し近郊農村部の自宅に戻ろうとしていた人々は、クナール河沿いの国道と、その脇にそびえ立つ岩山の裏道を辿ってシェイワ郡へと逃げ込んできたってわけだ。

 何万人もの人々がグールどもに追われつつ、狭い谷間を押し合いへし合い、だ。

 無事で済むほうがおかしい。

 案の定グールとは関係なしに怪我人続出、どうかしたら難民と化した農民同士の銃撃戦まで発生する始末。

 ドクター・サーブはすぐさま水路工事の作業員や近隣住民から看護師を募り、近所の地主の家を接収して急増の病院を開設するに至った。

 でまぁ、アノニのイカレ野郎二人組が顔を出してくるまでちょっぴり暇で、たまさか近くにいた俺たちも臨時の医師と看護師として手伝うことに相成った。

 と、そういうわけ。


 ちなみにコマツたちゼロ中隊の指揮下に入った当日、G砂漠の片隅に集まった地元のお偉方とどんなやり取りをしたかは、こりゃちょっと言えない。

 国防総省の機密指定解除はまだ先の話だし、いらん憶測を呼んでもしかたない。

 ぶっちゃけそれについては一〇〇〇語ばかり書いてもいたんだが、国防総省出版統制局の担当者に「こりゃ困りますよ」と削除されちまった。

 とまれ俺たち──合衆国軍、秋津島軍、シェイワ郡の男たちに、旧政権軍に現地民兵組織、暫定政府軍のごく一部──は協力体制を整えることに成功した。

 レイザーのドスの利いた声と、何日か前にレイザーとスコープ越しに睨み合った旧政府軍スナイパー、ナシールのひと睨みがそれをもたらした。まぁそういうことにしとこうか。

 ああ、俺は何もやってないしされてもないからな? チビなことを馬鹿にされたり人種差別を受けたりなんてしてない。

 本当さ、海兵ウソツカナイ。


 さて、話が長くなった。

 場面を戻そう。



「レイザー、替わろうか?」

「ううん、大丈夫。ありがとな」


 額に吹き出た汗を拭ってやりながら俺が尋ねると、レイザーは首を横に振ってニッカと笑った。

 俺たちの役割は入れ替わっていて、レイザーが医師役だった。

 小さくなった俺じゃ、力が足りない。

 ちょっぴり情けなかったが、一度目のアフガン派遣のあと実家でブラブラしてた頃に比べりゃどうってことなかった。

 それにイスラームじゃ医者であろうとも、男性が婦人と直接言葉を交わすことはなるべく避けなきゃいけなかった。医師が女性であるか、かならず女性看護師がそばについていなきゃいけなかったんだ。

 そんなわけで、担ぎ込まれてくる女性方もレイザーを見ると、ずいぶんほっとしていたようだ。

 まぁ、ピンクのぶよぶよしたガキとうにょうにょ蠢く触手の塊が医師だと言われて落ち着ける人のほうが、珍しいっちゃ珍しいが。

 

 さて、俺たちの間には左足のふくらはぎから血を流すおっかさん。

 血に染まったふくらはぎから、にょっきり骨が突き出ている。腓骨開放骨折。

 銃撃戦を避けようとしてころんだ拍子に、尖った岩で脚を折っちまったそうだ。


『奥様、痛みますか』


 レイザーがパシュトゥ語で穏やかに尋ねた。

 折れた骨が神経をぶった切って障害が後に残ることがある。

 それを心配しての質問だ。

 四十絡みと思しきおっかさんは額に脂汗を浮かべつつ、ニッカと笑って答えた。


『痛いこた痛いけど、子供を生むときに比べれば、どうってことないさね』


 俺たちはそれに微笑んで、患部に秋津島から提供されたモルヒネとごくわずかな筋肉弛緩剤を打ってやった。

 レントゲンと麻酔医がいればと思ったりもしたが、詮無いことだ。


『緊急に手術します。ドクター・サーブでなくて申し訳ありませんが、ご了承を』

『息子を殺した異教徒に助けられるなんざ、皮肉なもんだ』


 おっかさんがサラリと口にした言葉に俺たちはぎょっとしつつ──何度聞いてもこの手の言葉には慣れることがない──、患部に清水と消毒液をぶっかけて消毒する。

 レイザーが話を続けるように促す。


『最初の旦那はソ連軍に殺されちまった。父と姑もだ。二人目の旦那と最初の子供は内戦で。二番目と三番目の息子はあんたらの空爆で』


 十分モルヒネが効いていることを確認してから、よく消毒したメスで傷口を切開していく。


『そこまでは諦めてた。戦争だもの。泣き寝入りするしかなかった』


 骨の破断面があらわになる。そこからが俺の出番だった。

 おっかさんに消毒した布を噛ませ、レイザーが足首を引っ張り、俺が患部に手を突っ込んで斜めにぶち折れた骨の破断面が噛み合うようにつなぎ合わせる。

 乱暴な施術にも関わらず、おっかさんはわずかに眉をうごめかせただけで、うめき声一つ挙げなかった。

 さて、俺たちぶよぶよスライムぬめぬめテンタクルの消毒パッチは、イスラーム法では違法ハラームとなる地域が多い。

 だから俺は、カブールの医師協会で遵法ハラールと認められた手術用の絹糸を、骨の接合部位に巻きつけて固定した。こいつには結構な注意とコツが必要だったが、なんとかうまくやれたみたいだった。

 骨同士がくっつく頃には、絹糸も溶けて体内に吸収されていることだろう。

 俺はそれだけやるともう疲労困憊、おっかさんに噛ませていた布切れを取り去ると、膝から力が抜けてふらついちまった。すぐ後ろにあった腰掛けに、崩れ落ちるように座り込む。

 レイザーはそんな俺の様子を見て微笑み、「休んでろよ。あとは任せな」と言って血管や筋膜その他の縫合に取り掛かる。

 おっかさんはそんなレイザーを眩しそうに見上げてた。


『娘さん。あんたを見てると末の子を思い出すよ。元気で男勝りで、とびきり美人で。村一番の人気者だった』

『お転婆だった?』


 レイザーが合いの手を入れると、おっかさんはくすくす笑った。


『そりゃもう! アンタと睨み合ったあのナシール、アイツのいとこが『なんでお前は男に生まれなかったんだ』『おれんとこに嫁に来い、アフガン一の勇士を一緒に育てよう』なんて言っててね。十五ほども年は離れてたが、あの子もまんざらじゃなさそうだった』

『私と気が合いそうです』

『アタシもそう思うさ……生きてればきっといい友達になれただろうに』


 筋肉をつなぎ合わせていたレイザーは、おっかさんの顔を仰ぎ見た。

 彼女は鬼気迫る表情で、涙を流してた。


『あの子は死霊どもに食われちまった。旦那とするべき男と一緒に。慎ましやかな幸せとともに。アタシは絶対に許さない。死霊使い共も、この戦争も。そしてやっぱりアンタたちも許せない。アタシのすべてを奪った、全ての忌むべきものを、アタシは決して許してやるものか』


 それは彼女の魂の叫びだった。

 俺はその慟哭に答えることはできなかった。

 だがレイザーは違った。

 傷口を手早く縫いながら、淡々と言葉を連ねた。


『……この戦争が始まった理由はご存知でしょう。旧政権が囲っていた聖戦士ジハーディストテログループの奇襲攻撃で、私の国の人間が二万人も死んだ。その後あのクソッタレの死霊使い共が涌いて出た。私達の任務はあの惨劇を繰り返させないこと。そして、愛する人々を守ること』

『そのためならアタシらを殺すこともいとわない?』

『まさに。もしそこの男、私の大事な相棒を殺すというものがいたなら、そうなる前に相手を私が殺します──きっとあなたの娘さんもそう言ったはず』

『全く報われない……アタシたちは結局殺し合うしかないってのかい』


 皮膚縫合の最後のひと針を刺しながら、レイザーは凄みのある笑顔を見せた。


『とりあえずは、グールどもの始末は私達に任せてください。娘さんの仇ぐらいは代わりに私が討って差し上げますよ。なんならお墓参りだってします。そのあと改めて、戦争でもなんでもすればいい。私は受けて立ちますよ』


 おっかさんもまた、おっそろしい笑顔を返す。


『わかったよ。罰当たりの死霊どもはアンタに任せる。その後のことはその後だ』


 しばらく睨み合った彼女たちは、ふと表情を緩めた。


『愛だの憎しみだの、なんとも面倒くさいものですね』

『しょうがないさね。何もかも、神の思し召しインシャラーだもの』


 そんな事を言いながら包帯を巻いて、頑丈な添え木をくくりつけているその時だ。

 建物の外の気配がにわかに慌ただしくなり、ロレンツォ中尉のお供を命じられた可哀相な二等兵ひよっこが俺たちの手術室に駆け込んできた。


「失礼します、三等軍曹、伍長。コード・イエロー発令です。奴らが姿を現しました。至急迎撃準備を」


 その後ろからコマツがひょいと顔を出す。


「よう、ジョニー坊や。お前の出番だ。やれるか?」


 俺はピシャリと自分のほっぺたを叩いた。

 疲れてへたばってる場合じゃない。


「コマツ曹長。いくら大先輩だからって、なめてもらっちゃ困るぜ。俺たちゃ合衆国海兵隊、悪魔の猟犬デビルドックだっつぅの!」

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