バッドブラウン・スノーホワイト⑤

 三日目早朝。

 草木一本生えない砂だらけの稜線に、日の出を背後に背負って、間隔を開けて並んで寝そべった俺たち。

 その眼下の谷間、そこに目標地点の廃村があった。

 いや、『廃』は余計だな。

 谷底の村までの標高差は二〇〇メートル。水平距離では七〇〇メートルほど。

 数十名の遊牧民と数台のロバ引きの馬車が集い、わずかな草木の生える村落内部では盛んに煮炊きの煙が上がっていた。

 村の中心と外周はAKやモシン・ナガン、アフガン・ロングマスケットを持った男たちがパトロールをしている。

 北の峠には、二台のトラックと、その周りに十数名の武装した農民風の人影が接近してくるのが見える。そっちとの距離は二二〇〇メートルほど、高低差は一五〇メートルほどだった。

 トラックは時折ゆさりゆさりと揺れている。

 前日に出会ったガヒア族の一家族、彼らが言った通りの時間に奴らは来たんだ。

 アノニマニシス。

 無貌の狂信者。

 絶望の使徒。

 グール使いども。


 谷底の村落は風だまりになっているらしい。

 俺にもレイザーにも、武装偵察隊のワーウルフ系のローランド一等軍曹の鼻にも、谷底や北の小道の匂いは届かなかった。

 エディは自身を含め六人いる武装偵察隊のうち、カメラを持ったラッツ一等軍曹に写真の撮影を命じると、通信兵のボタスキー二等軍曹を呼んで司令部への回線を開かせる。シマムラ曹長はマクミランTAC-338スナイパーライフルと、ガンマイクと録音機材を、谷底に向かって据え付けた。

 残りは周辺警戒。

 エディは手元の通信機のテンキーを使って素早く短文メールを打ちこみ、送信。

 眼下の村落を撮影しているカメラは秋津洲製の最新デジカメで、たしかエディのチームは、一二一〇万画素のアキコンG3に一五倍ズームレンズと二倍テレコンバーターを付けてたのを使ってたな。ものすごいキレイにズームできるのに、画像圧縮も早くてさ。そいつのメモリカードの差し口に特性のアダプタ付けて、それで画像送信してたんだ。

 バリバリの最新高級機だったが、予算の出どころを探るな、なんていわれたっけ。

 その代り配備される予定だった.五〇口径ライフルが何丁か少ない、ってのも当時の海兵偵察屋界隈ではよくあった。


 話逸れちゃうけどさぁ、俺とレイザーはあんまり.五〇口径ライフル好きじゃなかったんだよな。

 そりゃあ狙撃学校でてりゃ、たいていの射手が一五〇〇メートルショット連発できたけどさ。何をするにも重すぎるしデカすぎるし音はうるさいし反動が重すぎるし、マズルブレーキからの爆風は射手にもダメージ与えるし、埃が舞って目立っちゃうってんで、射手を選ぶ銃だったなぁ。

 レイザーに至っちゃ「あんな集弾の悪いタマで何狙うんだよ」って、てんからバカにしてたな。

 オーガーやワーウルフみたいなガタイのデカい連中からは好評だったけど、偵察行で使う銃じゃなかったよ。

 ほとんどの場合は駐屯地やFOBでの防御にしか使わなかったんじゃないかしらん。だいたい俺たちゃ機体捜索救難小隊だったから、そもそも狙撃銃持ってるのはウチの班じゃレイザーだけだったけどさ。

 

 で、そんなレイザーは、支給品の七.六二ミリM40A4にサイレンサーつけたのを、俺の左隣に寝そべりながら構えていた。もちろん防暑・隠蔽用の偽装網バラキューダを被ってだ。

 俺は自前の超広角・超高倍率眼球を顔のど真ん中に作り、右手の袖をまくってM16A4の後半部をつつみ込んで構えていた。

 左手はノートとペンだ。ノートには周囲の地形や風向き、対抗部隊の予想される規模なんかを書いていたな。

 機体捜索救難SAR小隊のメンバーは、全員偵察狙撃資格MOS317を持っている。

 SAR任務はヘリボーン進出が多かったけど、中には敵中奥地に徒歩で進出して行う救出任務もあった。

 だから偵察能力は必要不可欠で、ノートとペンも必要不可欠ってわけ。

 

 さて、人員の配置やら峠に見えたトラックの車種やらをノートに書き込みつつ、俺はチリチリした何かを感じ続けていた。

 その感覚はトラックが村に近づくごとに、段々と大きくなっていった。

 俺の行くところにはアノニの影が必ずちらつく。

 まるで予めそう決められているかのように。

 そのチリチリした感覚はアノニとは無関係ではない。

 だが同じじゃないんだ。

 これは一体、何だ?


「ジョニー、ジョニー」


 その声にはっと気づくと、レイザーが右手で俺の左手を掴んでいた。

 視線はリューポルドのライフルスコープを覗き込んだまま。

 だがその声音には、俺を案ずる響きがあった。


「……すまん。どうも緊張してるみたいだ」


 俺は頭を振りそうになり、慌てて我慢した。

 ヒトは元来狩猟動物だ。

 ぼんやりあたりを見回しているようでも、急な動きには鋭敏に反応する。

 ため息をそっと吐いて、ごくゆっくりと、俺は姿勢を改めて低くした。


 そうこうしているうちに、トラックの車列は村の外周にたどり着いた。

 トラックから何人かの男たちが降りてくる。

 エディの号令とともにラッツがそっとシャッターを押し、ボタスキーは司令部とUAV指揮所の共用回線にアクセスし、シマムラ曹長はガンマイクをトラックから降りてきた男たちに向け、ローランド一等軍曹とブルックリン三等軍曹はワッツ曹長やスティール二等軍曹とともに外周警戒を行った。

 そしてレイザーは全く静かに呼吸しながら銃の安全装置を確かめ、俺はいまや痛みさえ伴うピリピリとした感覚を味わいながら、男たちの特徴をノートに書きとめていった。


 だが俺の手はやがて止まる。

 レイザーとラッツが息を呑む気配が僅かに伝わり、ボタスキーの声が上ずった。

 エディとシマムラ曹長は表面上落ち着いたふうで、なんの反応も示さない。

 俺はと言えば、ピリピリとした違和感の正体を確認できて、ようやく人心地がついたように感じた。正体不明なものほど、恐ろしいものはない。


 トラックから降りてきたパシュトゥン人やタジク人、そして変わり果てた人々。

 彼らを指揮しているのは、全く酷薄な顔の作りの秋津島人と、ナザル大尉とそっくりの顔を持つアフガン男。

 だがヤツの気配ときたら、鋭くもありつつ暖かな余裕を持つナザル大尉のそれとは全くの別物だ。

 その気配が俺の感じ続けていた違和感の正体で、ピリピリとした違和感にはきちんとした名前がついていることを、そのときに改めて思い起こすことになった。

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