三人の①

 雲ひとつない秋晴れの土曜日、マディソン郡ウインターセットのバプテスト教会には人々が詰めかけていた。

 軍服を着たものも、地元民もまた晴れやかな笑顔をみせている。


「この結婚に正当な理由で異議のある者は、今ここで申し出よ。

 さもなくば永遠に口を閉じるべし。

 また今まさに婚姻せんとす二人に告げる。

 人の心を探り知られる神の御前に、静かに省み、この結婚が神の律法にかなわぬことを思い起こすならば、今ここで表明すべし。

 神の御言葉に背いたる結婚は、神が合わせられるものにあらざれば。

 アーメン」


「「アーメン」」


 その宣告で群衆はわっと沸き、壇上の二人は熱烈なキスをした。

 今まさに婚姻の誓いを行ったのはサムことサミュエル・ホーキンス退役海兵隊中尉と、幾度も軍役を果たし、合衆国市民に戦乙女と慕われ、今は皆に少佐殿と呼ばれる堕天使の美少女であった。

 ジョニー・ジャクスン海兵隊三等軍曹とそのバディであるエリザベート・ファースタンバーグ海兵隊伍長は、よく晴れた夏の日に見上げる太陽でも見るかのように新婚夫妻を見つめながら、大きな拍手を上げていた。



 アイシャの生み出した仮想的意識空間、乳白色の精神的世界に降り立ったジョニーたちは、互いに目を合わせた次の瞬間、その場に崩れ落ちた。

 目を合わせた瞬間に、お互い見ようとしなかったところ、隠し通しておきたかったところが全てさらけ出され、互いの意識に奔流となって流れ込んだできたからだ。

 三人はその瞬間に互いの全て、を理解した、いや、理解して


 なんのことはない、少佐殿閣下の言ったとおり。

 全て若気の至りでしかない。

 エリザベートのアイシャへの思い。

 アイシャのジョニーへの思い。

 ジョニーの二人への思い。

 三人でお互いに愛し合うこと。

 三人で家族になること。

 三人の何もかもが思い違い。

 全て、すべて性欲と友情とが入り混じって生み出した幻想に過ぎなかったのだ。


 そのことに三人は同時に打ちのめされ、同時にその場に崩れ落ちた。

 しばらく乳白色の地面に手をついてうずくまっていたが、そのうちに誰からともなく肩を震わせ笑い始める。

 本当は泣きたかったに違いない。

 だが泣いてしまうにはあまりにも滑稽で、みじめで、笑うしかなかったのだ。


 どれほどのあいだ笑っていただろうか。

 一息ついたときには、三人ともが憑き物の落ちたような、すっきりした表情を見せていた。

 いつも眉をしかめて藪睨みするか、さもなくば無表情だったエリザベートすら例外ではない。


「あーあ。やんなっちゃう。アンタのことすごく気に入ってたのにな」

「俺だって嫌さ。あんなに悩んだってのに、俺のはただの性欲だってオチはさ」

「そういう真面目なとこ、やっぱり好きだよ。うん」

「でもなぁ」

「そ。でも、なんだよねぇ。アンタが女の子だったらよかったのに」

「あらら、フラれちゃったよ。あんなに迫ってきてたのにさ!」

「そりゃあレイザーの気を引きたかっただけだし」


 ジョニーとアイシャは素っ裸のまま顔を見合わせると、今度は屈託のない笑い声を上げた。

 エリザベートはそんな二人を見て、ふにゃりと柔らかい表情をした。


「ところでこの格好はどういうことだ?」


 と、ジョニーが自分の姿を試すすがめつしながらアイシャに問う。

 ジョニーの体格は年相応、筋骨隆々の海兵男子という風情だったが、体の色はピンクと言うより紫に近い。質感は普段よりぶよぶよべとべとしている。

 アイシャは普段どおり、衣服の上から予想していた通りの体格だったが、至るところに消えかけの傷跡が見える。

 エリザベートは胸と股間を腕で隠していたが、胸は現実世界よりもやや薄く、腰幅も同様だった。身長も随分小さくなっていて、子供に見える。髪はつま先まで届きそうなほど長かった。


「顕在意識と潜在意識のバランスがこの姿を産んでるって言われてるけど、正直アタシたちサキュバスの間でも諸説あるね」


 アイシャはあぐらをかいて肩をすくめた。

 ジョニーの視線が胸元と股間に注がれるが、彼女はまったく気にしない。

 他人ならともかくジョニーであれば本当に気にならなかったし、次の瞬間にはふくれっ面したエリザベートが、頭からジョニーのあごに突っ込んでいったからだ。

 これが二本脚の男なら、夢の中とは言え顎の骨が折れているところだ。

 

「あははは、学習しないなぁ」

「悪かったよ、アイシャ。本能的に見ちゃうんだよ。ごめんな、レイザー」

「……反省してるみたいだから許す」


 ジョニーはあごをさすりながら、むくれっ面して仁王立ちするエリザベートを自分のあぐらの中に招いた。

 恥ずかしがってたじろいだ、少女のようなエリザベートの股間には控えめな男性器がぶら下がっているが、ジョニーはそれを一瞥しただけだ。

 それでもじもじしていたエリザベートは意を決して、ジョニーの胸元に飛び込んでいく。

 アイシャにとっては実にまぶしい光景だった。


「脳の活動ってのは、突き詰めれば電気信号とホルモン放出による、生体コンピューティングよ。それはアンタらスライムも同じこと。問題は回路が半端なく多いうえに可変性、冗長性がありすぎて、シナプスの接続状態を追跡できないこと。原理自体ははっきりしてるわ。アタシたちは単調な加減算回路にしてメモリチップの集合体よ」


 気を取り直したアイシャは極めて断定的に話を続けた。

 それに今度はエリザベートが、長い髪で身体を隠しながら尋ねる。彼女は耳まで真っ赤にしていた。


「つまりこの光景、姿も脳が見せている幻覚?」

「現象面だけならそういうことね」

「けどアイシャはそれを信じてない?」

「まさしく。アタシたちのこの姿は、アタシたちの今ある魂の姿。アタシはそう信じてる。脳科学者の言うことなんてクソッタレだわ。信じる神が何であろうと、アタシたちには魂がある。絶対に」


 アイシャは語気をわずかに強めてそう言った。

 あるいはそれこそがサキュバスとしての矜持かもしれなかった。


「つまり俺の正体は今んとこ『体は大人で中身は子供』、レイザーは見たまんま両性の子供ってわけだ……アイシャのその傷は?」


 ジョニーが尋ねると、アイシャは薄れゆく傷跡を感慨深げに撫で回した。


「これはきっと、アタシが今まで受けてきた心の傷の表現だと思うな。でも見て。ほとんど消えかかってるでしょ? 今も少しずつ薄れてる。アンタたちと一緒にいるからだよ。間違いない」


 アイシャの答えに、ジョニーとエリザベートは微笑んだ。


「俺達と一緒にいた意味はあった?」

「レイザーを寝取られないのは残念だけど、そんなのどうでもいいや。本当に、本当に感謝してるんだ。生きててよかったなって感じてるの、わかるでしょ?」

「そいつはお互いさまだよ。しかしこりゃ強烈だな。アイシャがセックスより恥ずかしいって言ったの、わかるよ。でも、こうする必要はあったのか?」

「だってアンタあのままじゃどうしたってヤりそうになかったじゃん! だからまずみんなでもっと深くわかり合ってって思ったんだけど……でも……若気の至りだけで突き進んでも良かったなって、今は思ってる。想像の百万倍恥ずかしいや」


 アイシャが照れくさそうにそういうと、ジョニーはからからと声を上げて笑う。


「でもさ、俺が今何考えてるのかも筒抜けなんだよなぁ」

「すくなくとも、ジョニーが自分で思ってるより純情でガキ臭くてドスケベでおっぱい大大大、だ~~~~~い好きなのは、まるわかりだね」


 ジョニーの疑問をアイシャが茶化すと、ジョニーの膝の中で横抱きにされているエリザベートは、口元に手を当ててクスクスと笑った。


「なに笑ってんだよ。さっきから俺とアイシャには、お前のドスケベ妄想がドカドカ流れ込んできてんだぞ。お前が俺たち三人の中で一番ドスケベなの、もうわかっちゃったんだからな。俺びっくりしたよ」


 と、ジョニーがエリザベートを見下ろして言うと、レイザーの顔の赤みが一段と増す。

 アイシャの方を見ると、彼女は至って真面目な顔つきで腕組みをしてウンウンと深くうなずいていた。


「アンタだけだよ、まだ三人でどろどろぐちゃぐちゃになりたいって考えてるの」

「そ、そんなことないぞ! ジョニーだってさっきから、す、すごいこと考えてんじゃん! お、俺にあんなことやそんなことしようとかぁ!!」

「あのなぁ、こんなもん健康優良男子なら平常運転だっつぅの。おまけに好みの女二人に囲まれてお預け食らってんだ。むしろ夢の中だからって無茶苦茶やらないことを褒めろよ。本当ならお前だけでも今すぐ押し倒したいところだ」

「ばっ……! そ、それに今の俺ってこんなだぞ……こんな、こんな中途半端なの相手に発情するとか変態じゃねーかよ!」

「お前だからいいんだよ。言わせんな恥ずかしい」


 くっついたままぎゃんぎゃんと吠え始めたぶよぶよ野郎スライムと黒エルフのコンビを見て、アイシャは心の底から温かいものが湧き上がってくるのを感じた。

 二人の間に残っていた僅かなおり、有るか無きかの薄い壁は取り払われた。

 もうあの二人は、なにがあってもすれ違ったりすることはないだろう。

 或いはこの時のために、アイシャ・ラミレスは海兵隊に入ったのかも知れない。


「それにしてもアンタたち、そうしてるとまるで兄弟だね」


 エリザベートの顔が赤みを増すのは、これで何度目だろうか。

 アイシャの言葉を聞いたエリザベートは振り上げかけた手をゆっくり下ろすと縮こまり、顔を伏せ、おにいちゃん? と小さく呟いた。

 アイシャは礼儀正しくそれを聞かなかったことにしたが、ジョニーは今度こそ体色を照れたときの玉虫色に変化させたのだった。

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